第180話:航空技術者は自らの足で立ち上がろうとする進化の瞬間に立ち会う(前編)
「――信濃! 改めて計算してみたが、現状の原材料費でエポキシ樹脂を多用したFRPプレートの量産は無理だぞ! ほれっ!」
「ああ、助かる」
朝から技研の施設内へと向かう傍ら、屋外のとある場所にて、すれ違いざまに現実を突きつける報告をぶつけられる。
中山が投げてきた封筒の中身は大体予想がつく。
俺は別にそれを正式採用すると述べたわけではないのだが、可能性を探っている様子を見かねて現状の問題点を数学的にまとめたものを作ったのだろう。
妙な幻想など抱かずに他の案を考えろと、そう言いたいわけだ。
わかってるよ。
だから代替素材が無いか探しているんじゃないか。
求められるのは生産性。
現状の重化学工業は自らの主幹業務で手一杯。
つまり、町工場レベルで大量生産できる代物で防弾性能を持つ素材を探さねば目標は達成出来ない。
この時点で相応の施設規模が必要となるポリアミド系繊維も絶望的。
航空機においても重要なため組成その他把握しているものの……今から環境を整えている間に戦が終わりかねないほど時間がかかるのは見えている。
2年以内だ。
2年以内に大量生産が可能で、町工場レベルの施設でも機器さえあれば量産出来る。
これで作れる素材が必要だ。
そんなものがそこらに転がっているなら苦労しない。
未来の知識もフル動員して探すしかない。
絶対にあるはずだ。
正直、化学繊維系についてはタイムマシンでも欲しくなるぐらい余裕の無い状況だが、諦めるものか。
俺がこの世界へと戻ってきた時、送り出した人間は確か情報その他しか過去に送り込むことは出来ないなどと述べていたが……
それはその時の理解。
現実に自分という存在がこの世にある以上――
「――もしかしたら物だって未来から取り寄せて……あ?」
設計室のある建物へ入ろうとした時だった。
建物の入口付近に静かに鎮座されているモノを見た瞬間、言葉を失う。
しばらく完全に思考が停止した。
今まさにくだらない妄想をしながら移動していた矢先……視線の先にあったのは……
「バカな……C200!?」
目を疑わんばかりに真新しさを感じる二輪車であった。
外観は完全に本来の未来において20年先に存在する二輪車である。
似たような外観を持つモノでも少なくても10年以上は先。
完全に未来から取り寄せたと言わんばかりの意匠に戸惑い、何度も手で目を拭ってそれが現実かどうかを確かめるが……間違いなく現実だった。
手で触れるとソレと本当にあるのだ。
車体がそこに。
外観だけで誰が作ったのかはわかる。
寺社仏閣スタイル。
皇国が失われようとする最中、何としてでも皇国らしさを残そうとした、ある天才技師が破壊される文化遺産を目に焼き付けて車体に施した皇国独自の外観。
抽象的すぎたためにヤクチアの魔の手を逃れたものの、間違いなくソレは「皇国独自」の意匠を纏っていると言えるものであり……
皇国の、皇国による、皇国だけのオートバイと言えたものだった。
ある程度年数が立つと次第にその意匠は陰りを見せていくが……少なくても皇国の技術者が抵抗した証として、世界各国はそのスタイルを「寺社仏閣スタイル」として記憶していたのは間違いない。
忘れもしない。
本来こいつが誕生したのは20年以上先。
2623年のはずだ。
汎用オートバイなどと呼ばれながらも実は普通にスポーツスタイルのバイクで……相応に速かった。
まさに皇国の工業が「もっと早くにこの領域に到達していれば」と嘆きたくなるような名車の1つ。
一体どうやって……
「信濃技官。おはようございます」
「君、この単車は一体……」
「ああ、丁度良かった。夜明け前に何やらゾロゾロとつなぎを身につけた人らが持ち込んでおいていったんですよ。ZDB125をこの国に持ち込んだ人に是非乗って欲しいって。確かZDBを持ち込んだのは技官でしたね」
「皇国人で間違いないか?」
「見た目もそうですが、遠州人の意地と努力の結晶だって述べてましたから間違いなく」
間違いない。
宗一郎含むもう1つの技研のメンバーだ。
ともすると皇国楽器も関与してるかもしれない。
それにしても――
「……随分走り込んでいるなあ……浜松からここまで自走してきたとしてもこうはならないはず。試走を繰り返していたのか」
「気になったので私も聞いてみましたけど、注油などの最低限のメンテナンスのみで1万km走ってきたって言ってました。走りきれたと。自信作だと」
自信作……そんなレベルのものじゃない。
そんな領域にはいない。
世紀の傑作だ。
間違いなく。
よく見るとエンジンは百式機動二輪車と同じ。
つまり完全にC200とは同じじゃない。
車格もC200より大きく、C90クラス。
しかし、車格に対して異様なほど大きいフロントライトはNUPの7インチシールドビーム、シート下でボコッと膨らんだ部分には間違いなく自動車用と見紛うほどの鉛蓄電池が入っているのは確実。
ウィンカーまで完備していて、隙が無い。
完全に公道走行用だ。
軍用車両として作ってない。
真の意味での公道走行用二輪自動車の完成形を目指して幾重にも試案を重ね、そして恐らくは宗一郎が奈良などを巡って着想を得た「寺社仏閣スタイル」を押し込んだ。
エンジンと動力部以外は完全に一から作っている。
皇国のモノ作りの結晶たる工業製品だ。
リアはスイングアームとツインサスペンションを当たり前に装備し……
そしてフロントは……
「なあ。このフロントのフォーク構造。こいつを見てどう思う?」
「ただならぬ気配を感じますね。最初に見た時はリジットに戻したのかと思いましたが、内側を見るとバネがちゃんとある。しかし高度な技術が要求されるテレスコピックでも無い。とても大きいバネがフロントに仕込んであるような……自分も単車は趣味で乗るんですが、今まで見たこと無いです」
「だろうね……さしずめ名付けるとするならボトムリンク式とでも言うべきなのかな。この部分について問いかけてみたりは?」
「もちろん聞きましたよ。なにやらNUPのスクーターと、現状で最速を誇るヴィンセント・モーターズの単車のフロント構造などを参考に、独自のものを思いついたのでやってみたと。皇国楽器の技師などの提案なども組み込んだ結果との事で」
「そうか……ありがとう」
「いえいえ。では私はこれにて」
技研に入ったばかりの若い技師は伝えるべきことを伝えると、忙しい身なのかその場を去っていった。
俺はその姿にしばらく見入ってしまう。
「……遠州人……やはり天才だったか」
これはあくまで趣味の話。
二輪に関する趣味として記憶している情報。
ボトムリンク式サスペンション。
これが量産車として世に登場するのは今から9年後の2610年。
二種類のバイクから登場する。
どちらもZDBと同一のメーカーが作ったもので、1つはバイク、もう1つはスクーターへ向けて搭載したもの。
一般的にはこのボトムリンク式こそが史上初であるのは事実として本来の未来においては認識されていた。
しかしだ、多くの技術系の資料においてボトムリンク式の発明者(または功労者)の中には皇国人の名前も刻まれているのだ。
それが他でもない恩田宗一郎であり、彼は遅れる事6年。
一部では"ドリーム"などと呼ばれる車両にその機構を施すのである。
王立国家やNUPにて「ドリームMF」などと呼ばれる車種だ。
実際問題、彼が独自にこの機構に到達したかについては定かではない。
同時期に彼はユーグに潜入していて、将来のために王立国家などの主要国の二輪車を偵察していた。
また、当時のもう1つの技研も世界各国の特許情報を集めていたので、技術情報は認知していたのではないかと言われる。
しかし、ZDBのメーカーの次点という立場でボトムリンク式を採用して以降、後続の量産車の性能向上は目覚ましく、冷戦期に突入して各地で代理戦争が繰り広げられる最中、世界各国のレースに参加した宗一郎達の作り上げたマシンは大暴れ。
皇国の技術ここにありとばかりに、マン島TTなどで相次ぐ優勝を飾るようになり……
それらのレースマシンは必ずしも装備していなかったものの、量産車に搭載されたボトムリンク式は俄然注目されはじめ……
"カブ"と名付けられた世界有数の名車の登場によって、その機構は不動のモノとなっていった。
宗一郎が天才なのは間違いない。
ボトムリンク式という、一時は多くの量産車が搭載した機構をデファクトスタンダードの1つとして昇華させた功労者なのも間違いない。
だが、発明者であったのかどうか。
それは資料も不足していて永遠の謎だった。
本来の未来において趣味として関連の技術資料を集めていた俺の仮説としては、「FOX125等を参考にした可能性は多いにあるが、特許紛争を避けるために内部構造や作動機構を大幅に変更しており、また特許情報からは完全再現が難しく、外観等からサスペンションの働きとその他を読み取って独自のモノを考案。つまり仮にFOX125等を見なかったとしてもいずれかは到達できる」――という論理を組み立てており、簡単な論文のようなものも作ったりした。
すでに東側に属していた、かつて皇国と呼ばれた地域が特許紛争に巻き込まれるかどうかは別として、外貨獲得のために宗一郎含めたメーカーのバイクは大量輸出されたため、関税等で不利を被る可能性はあったはず。
それを避けているのは明白な内部構造であるのは間違いなく、その後のラリーレース車両等を鑑みても宗一郎が生み出せる余地は相当分に存在していたので……そう結論づけたのである。
そして今まさに、それが証明されたというわけだ。
現時点においてボトムリンク式というサスペンションはこれまで存在していないはずだ。
第三帝国側に俺のような立場の人間でもいない限りは。
少なくともそういう情報は得てない。
機構的に言えば整備性も良好で頑丈だから、もし仮にやったとするなら既に軍用車両に採用されている。
第三帝国はテレスコピックに拘ってたわけじゃない。
他のフロントフォーク構造が現時点のテレスコピック式に劣っていたと感じたから、無茶を承知で工作精度にものを言わせて採用していただけ。
そうせずとも済むならボトムリンク式にしていたことだろう。
でも、日頃様々な写真や技術資料を眺める機会のある俺は、ボトムリンク式を除いた他のフォーク構造以外の車両を見たことがない……
ゆえに存在しないと言い切れる。
だとして……
だとして、どうやって辿り着いた?
先程の若手技師が妙なことを述べていた気がするが……
頭の中で情報を整理して改めて考えてみよう。
フロントフォーク構造。
当初生まれたばかりの自動二輪車両は自転車と大差が無い代物だった。
そのため当然フロントフォーク構造はリジット。
つまり車輪とフロントフォーク構造においてサスペンション等を装備せず、衝撃をモロに受けて頑丈なフロントフォーク構造とフレームでもって乗り切ろうとした。
だが、二輪車の高速化に伴い、リジット形式では路面追従性の問題から危険過ぎることが段々とわかってくると……日夜研究が重ねられ、サスペンション構造が考案されていく。
中途半端なものなら40年前ぐらいからいくつも出てきていたが……
一般的にフロントフォーク構造の始まりとされているのは今から40年以上も前。
皇歴2564年に登場した王立国家のアリエル・モーターサイクルのとあるC1904が初とされる。
まだバイクが自転車から離れないような状態でペダルも当たり前にあった頃、C1904はアリエルの量産車として販売され、この量産車はその時点ではデファクトスタンダードであったリジット仕様だった。
しかし、王立国家の紅茶のキマった二輪雑誌のライターの一人は、完成度の高い本車において唯一玉に瑕といえたリジット仕様のフロントフォークに満足できず……
自身の二輪雑誌が二輪の限界に挑むロードテストを題材としていた事を逆手に取り、販売されたばかりのC1904を魔改造。
フロントフォーク構造を二重にしてバネを仕込み、ここに「フロントフォーク」という概念そのものが誕生するのであった。
この仕様となったC1904はラリーテストで凄まじい成績を叩き出すと、その構造を発明としてアリエルが買取り、3馬力仕様となった3HPと呼ばれる車両にて量産車として本格採用。
この量産車の販売が2568年であり、歴史的には2568年がフロントフォーク構造誕生の年ともっぱら言われる。
なお、一部資料はより改良され本格的なスプリンガーフォークとなった2573年の車体が初ではないかとする話もあるが、どちらも同じアリエル・モーターサイクル社の製品であり、全てはアリエル・モーターサイクルから始まった……もとい紅茶のキマった連中によって始まったといって過言ではない。
この黎明期のスプリンガーフォークとはどういうものなのかというと、主としてフレームのヘッドチューブにリンク機構を設け、その外側にリンク機構を介して独立させた状態でリジット式の従来のフロントフォークを仕込む。
スプリングはフロントフォークの一部とヘッドチューブとの間に設け、リジット式のフロントフォークの衝撃を、ヘッドチューブ下面に設けられた2つのスプリングが受け止め、リンク機構が衝撃を逃しつつフロントフォーク構造の負担及びフレーム側にかかる負担を分散させる。
外観はリンク機構とヘッドチューブを見ると菱形状にリンク機構とリジット式のフロントフォークが配置される構図であり、これにより従来のヘッドチューブ構造は大幅な構造変更をする事無く最低限の状態でサスペンションを施すことが可能となる。(1908のアリエルの車両を見てもらえばわかりやすい)
また、ハンドルはヘッドチューブ側に接続されるのでフロントフォークの上下によってハンドルも連動する事はない。
当時は画期的どころではなく、ロードテストではリジット式が過去の遺物と化すほどの性能差を見せつけ……
世界各国のメーカーは「サスペンションの重要性」に気づいて様々な機構を試案するようになるのだった。
【参考情報】
HONDA C200(主人公が勘違いした車両)
https://www.honda.co.jp/pressroom/products/motor/90c200/scub-c200_1963-05-20/
HONDA C92(車格の参考 劇中ではC90としているが外観の類似点からこちらを列挙)
https://www.honda.co.jp/ridersvoice/bl-business/2008/004.html
Ariel 1908(初のフロントフォーク構造導入市販車)
https://www.yesterdays.nl/product/ariel-1908-3-hp-325-cc-1-cyl-aiv/
wikipediaの参考情報
https://w.wiki/3hag