―皇国戦記260X―:10話:鉄の軍勢を遮る鬼の霍乱(後編)
「どこだ……どこにいる!? くそっ!」
撃たれた時、射撃音は聞こえなかった。
私のすぐ隣で共に敵を待ち構えていたハンスは、慌てた様子ですぐさま中腰姿勢で立ち上がると、飛び込むようにして壁と壁の隙間を移動して負傷した兵の下へと向かう。
彼が急いで止血作業を行おうとした時だった。
チュンチュンという、金属が何かにぶつかる音と共に周囲に大量の砂埃が舞う。
弾丸がすぐ側のアパートの瓦礫に命中した音で間違いなかった。
位置は不明ながらも、敵に完全に捕捉されていた。
「10時方向だ! 撃ち返せッ!」
砂埃が舞う中、先程負傷した兵士を引っ張って一旦後退したハンスは応戦を命じる。
彼は射撃音などから、敵は正面を12時方向として10時方向にいると予測していた。
すぐさま射撃戦が開始され、見えぬ敵めがけて制圧射撃が行われる。
私もStGを構えて、とりあえず適当に10時方向へ向けて射撃を行った。
だが再び小さな着弾音が聞こえたのですぐさまその方向へと振り返ると……
……次の瞬間目に入ったのは、凶弾によって次々に倒れていく仲間達の姿だった。
私の頭の中に一抹の不安がよぎる。
もしや見当違いの方向に射撃しているのではないか……と。
それをハンスに告げようとしたが、ハンスは止血作業で手一杯の様子だった。
私は不安を抱えたまま、何度か射撃をしては壁に隠れるという作業を繰り返す。
そのようなことを3回ほど弾倉を交換するまで繰り返し、再装填の上で再び射撃しようとした時であった。
フォンっという音が目の前を通り過ぎ、そして次の瞬間、右頬が熱を帯びて強烈な痛みを襲った。
弾丸が顔をかすめたのだ。
その音を聞く限り、たしかに10時方向側に敵がいるように感じた。
だが、妙な違和感を覚える。
私は壁の左側から身を乗り出して射撃した。
これは利き目が左だからだ。
その際、顔の半分以上を壁に隠した状態で顔の左目周辺のみを外に露出させる形で顔に弾丸が命中しないように努めていた。
つまり、右側は完全に壁に隠れる状態で射撃していたのである。
にも関わらず、私は右頬を負傷している。
壁を弾丸が貫通した形跡は無い。
この状態に頭が混乱した。
10時方向から射撃されたとて、右頬を銃弾かすめるなんで事は無い。
にも関わらず何故……
疑問に思いながら周囲を見回していると……
不可思議な現象を目にした。
チュンという音と共に、私の背後で弾丸が地面に命中し、地面をえぐった衝撃でレンガタイルの地面の一部が剥がれたのだ。
その剥がれた破片はなんと……正面から見て9時と8時方向の間へ向かって転がっていくではないか。
それも1つや2つではない。
いくつもの破片が同じように転がっていくのだ。
偶然ではないということ。
破片だけじゃない。
砂埃もその方向へ向かってゆらゆらと舞う。
その姿を見て確信した。
敵がいるのは――
「――ハァァァンス! そっちじゃない! 1時方向だ!!!」
「何ィ!?」
その時点で敵は視認できていなかった。
だが、確信をもったので私は大声でハンスに真実を伝えようとする。
その上で1時方向へ体を向けると……
遠目でも見て取れる、何やら迷彩服とみられるモノに身を包み、その状態で身を屈めながら戦闘配置について今まさにこちらを狙い撃ちしている皇国兵の姿が視界に入った。
彼らもまた、崩れた瓦礫を盾にしている。
方角からして、状況は最悪。
ともすると敵に囲まれつつある状況だった。
おまけに、彼らの方向からこちらを見ると、盾にした瓦礫は盾の役割を果たせていない。
我々はそういう位置で陣取っている。
相当に滑稽な状況にあった事だろう。
ゆえに慎重に奇襲攻撃を行ったのであろう事は容易に推測できた。
彼らがどちらの方角からの部隊なのかによって、こちらの命運は決まる。
北側なのか西側なのか……北側なら……いや、今はそのような事を考えている場合などではない。
一先ず彼らへ対応を行わねば、こちらの命が保たない。
「今の位置だと当たるぞ! こっちだ! こっち側に隠れろ!」
私は少しばかり回り込んで、射撃が来る方向に合わせて位置を整えて瓦礫を再び盾にする。
他の分隊員も私の言葉に続き、瓦礫を盾にした。
それによってさらなる被害の増加は一旦収まる事になる。
「どんな手品を使ったか知らんがッ!」
私は近くの地面にいつでも撃てるよう配置していたパンツァーファウストを手に取ると、敵のいる方角へ向けて射撃を試みる。
成形炸薬弾は人へ向けて射撃するのは完全に過剰火力であるのは間違いなかったが……それどころではなかった。
すでに分隊員の半数近くが敵の攻撃に倒れ、何人かはすでに沈黙して身動き1つしていない。
このまま行けば全滅は必至。
とにかく状況を覆そうと必死であったのである。
この時、視界に入ったのは6人ほどいたが、3人ほどが固まっていたのでその方角へ向けて射撃する。
バシュッという音と共に射出されたパンツァーファウストは、見事に敵のいる瓦礫へと飛んでいき……
爆風が舞うのと共に成形炸薬弾の破裂音が聞こえた。
敵との距離は140mほどはあるだろうか。
この時、私が射出したパンツァーファウストは普段我々が知るモノではなく、何やら試作品かつ試供品のようなものだった。
倉庫の片隅に150という焼印のされた箱が2つほど紛れており、それを部隊員の下へ持ち込んだのである。
弾頭の形は明らかにこれまで用いたモノとは異なっていたが、コレまでの経験から焼印は射程を表していることを知っていた私は、150の意味が150mであると直感的に捉えてあえてこちらを選択したのである。
その選択は……間違っていなかったようだった。
これまで用いたパンツァーファウストの最長射程では届かない距離に見事に弾頭が届いた姿を目にする。
米粒のように小さな人は、破裂音におののいて危険を回避しようと動く姿が見て取れた。
しかし……パンツァーファウストは最後に敵のいた付近の瓦礫に命中する事は命中したものの、敵への効果は無かった様子であった。
「野郎……ッ!」
気づくとハンスは止血作業が終わったのか、再び私のすぐ近くまで戻ってきて応戦していた。
私も応戦しつつ、時折周囲を見回すと……
他の分隊員も無事な者達は応戦している様子が見て取れる。
他方で、倒れ込んだ分隊員の人数からして、通常なら撤退も考慮せねばならぬ状況だった。
しかし交戦中に撤退など出来るわけがない。
逃げたくとも、目の前の敵を片付けねば丸腰の状態で背後から撃たれるだけだ。
「くそっ。これが消音器ってやつなのか!? 何時射撃してんのか着弾までわからん」
「25発だ。25発撃つ度に射撃が一瞬だが止まる。その隙を狙いたい。タイミングを図れないか?」
私は敵の射撃された弾丸の着弾音の様子から、弾倉に装填された弾丸は25発と予想した。
その上で、リロードタイミングを見極めてその隙に攻撃を繰り出そうとハンスへと促す。
「いや、待ってたって状況はひどくなるばかりだ。もう一度コイツをお見舞いして怯んだ隙きを突くぞ。一斉に波状攻撃を仕掛ける」
「わかった」
「ヘッ……いつもより射程の長いブツで助かるぜ。合図と共に構えろ!」
ハンスはまだ無事な分隊員に向けて号令をかける。
私を含め、無事な者達は手慣れた動きでパンツァーファウストを取り出すと、いつでも構えられるよう抱え込んだ。
その際、改めて周囲の状況を確認していると……どうやら部隊長はまだ無事な様子でパンツァーファウストを抱きかかえているのが目に入る。
実は彼は1度目の大戦も経験したことがある猛者だったりする。
射撃戦に関しては何度も経験してきたので、今までただの一度も被弾したことが無い。
口数も少なく、ハンスが事実上の部隊長のように振る舞うのを許しているのは、ひとえに戦場の姿が様変わりしてこれまでの常識的戦争からかけ離れてきているために、古豪な経験が逆に足を引っ張ることを危惧しての事であるとの事を一度だけハンスがいない場においてこっそり漏らした事がある。
その要因は、我々の部隊に配属される前に配属された部隊において、多くの部下を自身の古い戦略眼が元で失っているためらしい。
若者達を犬死させる行為に悲観した部隊長は、任せられると考えた男に全幅の信頼を置いているということだ。
だから今の状況においてただの1つの文句も言わぬ。
自らは戦場で培った経験で抗い続けるのみであった。
「合図と共に撃てッ! 敵のいる方向だ! 地面に当てるなよ!」
残るパンツァーファウストの残弾は5発。
それを一斉射して相手を混乱させ、その隙を狙いたい。
ハンスの考えはそうなのであろうことは言われなくともわかる。
体制を立て直すには、相手側に引いてもらう他ない。
ゆえに、火力が上回っていることを証明するのだ。
「フリッツ。タイミングは任せる。俺には残弾数がわからん」
「わかった」
ハンスは止血作業等を行っていた影響で、敵が何時リロードしているのかタイミングを掴みかねていた。
私はこの状況下でも音で敵の残弾数を把握していたが、彼は迷うことなくこちらに射出のタイミングを任せようとする。
こういう男だからこそ、これまで戦場で生き残ってこれたのだ。
私は信頼に応えようと、耳を研ぎ澄ましてその時を待つ。
「18……21……24…5! 今だッ!! 撃てェ!」
叫び声と共に周囲を土埃が舞う。
一斉射のバックブラストによって舞い上がった砂埃は正面まで回り込み、視界を部分的なれど塞いでしまった。
だが怯まない。
敵の攻撃が止んだ隙を好機と捉え、さらにStGで制圧射撃を行う。
敵の姿はよく見えないが、相手が引くことを願っての行動だった。
「ヨゼフ! ミハエル! 今のうちにまだどうにかなりそうな奴の手当を! 敵の攻撃が止んだ! 撤退を検討する。一度引いて体制を立て直したい!」
「はっ!」
「了解!」
パンツァーファウストを射撃してから2分ほど。
敵の攻撃は完全に止み、ハンスはその状況を見逃さずに医療措置が行えるだけの最低限の知識のある部下に撤退時についていけそうな者達への応急処置を命ずる。
私の見立てでは18名いた分隊員のうち、既に4名が死亡、地面に倒れて戦闘不能な4名のうち2名ほどしか撤退時に同行できそうな者がいない。
五体満足で動ける人間は私を含めて10名。
ちょっとした襲撃で6人も戦闘不能にされる……これが皇国との戦闘では当たり前だというのだ。
これが王立国家やNUPなら、ここまで絶望的な状況に陥らない。
正直、白旗を挙げたくて仕方なかった。
こんな戦い……終わるまで生き残れるような気がしない。
私が今地面に足をつけて戦っていられるのは本当に運が良かっただけ。
その運がいつまでつづくというんだ……
◇
「ハンス代行! ダメです。連れていけそうなのは先程代行が止血処置されたヨーゼフのみ。他はもう……動脈を貫通する深い銃創で、身動きするとおそらく失血で……」
パンツァーファウスト射撃から4分ほどが経過。
相手は未だ応戦する事なく、沈黙状態。
しかしながらこちらは頻度こそ下げつつも射撃を続け、警戒態勢を解かない。
そのような状況下でハンスや私のいる下へ駆け寄ってきたミハエルは、残念な知らせとばかりに状況を伝えてきた。
「チィッ……あっちはこういう時、すぐに助けが来るっていうのに……俺達は見捨てるしかないってんだからな……置いていくしかない。皇国はまだ紳士的な方だ。ともすれば捕虜となって生き残る事はできるかもしれん。止血だけして置いていく」
「仕方ありません。シャルルもヘニッヒも、自分達を置いていくよう懇願しておりました」
「どちらも太腿を貫通しているのか」
リロードのタイミング見計らって負傷者の様子を一瞬垣間見たハンスは、彼らが足を撃ち抜かれている事、そしてそれが貫通して致命傷を負ったことを理解する。
止血したとしても彼らの命はあと数時間。
敵側はどんな場所だろうと着陸する回転翼機がすっ飛んできて病院に運んでくれるというが、翼が回転して飛翔する白衣の天使は、我々に笑顔をふりまく事はない。
そもそも、白衣の天使という言葉の語源となった存在自体が敵側にかつて存在した医者な始末である。
「そうですね……」
「ただの銃弾じゃねえな。この距離だと短機関銃ではあそこまで貫通する事はありえない。間違いなく小銃弾だ。それをバカスカ軽々連射してきやがって……どういうカラクリだ。魔術でも使ってんのか」
「信じたくなりますが、今はそのような事を述べている場合では……」
「わかってる――いいか、聞け! あと数刻ほどしたら移動するぞ! みんな準備しろッ!」
ハンスの言葉を聞いた者達は攻撃を可能な限り継続しつつも、撤退の準備を始める。
持ち込んだ弾薬は半数ほど使い切ったが、まだ戦闘継続自体は可能だったのだが……
残念ながら継続するには純粋な兵力が足りない。
皇国の兵士による射撃によって軽く引き裂かれてしまったのだった。
戦術的には完全に敗北と言える。
ある程度予想はできてたとはいえ……なんという有様だろう。
頭の中では現実を受け入れたくない思いで一杯だ。
こうなってくると絶対に否定したい、己の心情としては信じたくないモノを信じてしまいそうな不安に駆られて虚しくなる。
生まれてこの方、私はオカルトのような話は信じないタイプだ。
だが、恐るべき事にヤクチアの兵法に関する敵側の情報を記したマニュアルですら、東亜の者達が魔術や気といったものを使い、自らの戦闘力を底上げする恐れがあると記述している。
噂によると味方であるはずのNUPのマニュアルにも記述され、そのような姿を目撃しても邪魔立てしないように……などと本気で綴られているらしい。
我が国も例外ではない。
おそらく100人いたら1人か2人しか信用していない話だが、皇国軍の戦闘力の高さの要因は魔術や気といった類のものも影響していると書かれているのである。
とはいえ、彼らと戦えば戦うほど……
そんなのはオカルトなのだとわかっていても信じたくなってしまうのは、それだけ異常な戦闘力の高まりを表していると言えた。
開戦直後は劣っていた相手が……急激にここまでの力を得てくるとは……
方法はわからないが、成長させたんだ。
我々をいとも容易く倒せる領域まで。
「よし、どうやら奴らは引いたようだ。今なら行ける。まずは東の……街の中心部まで一旦引く。恐らく途中で同じように撤退してきた者達と合流できる。合流したら可能であれば反転、そうでなければ……その時は……」
「その時が訪れてから考えても遅くは無い」
「そうだな。行くぞみんな――」
敵の状況を単眼鏡で確認した後、他の者達も移動が可能な様子であることを把握したハンスは立ち上がり、周囲の者に撤退を促す。
それから10歩ほど歩き、それまで盾にしていた壁から相応に離れた時であった――
「ーーーーーーーーーーーーーーーーッッ!?」
轟音と共に吹き飛ばされ、地面に背中を叩きつけられる。
何かが爆発した。
何かが爆発して吹き飛ばされた。
爆発の規模は手榴弾のソレではない。
まるで迫撃砲か、あるいは榴弾砲か……もしくは空爆による投下された爆弾の直撃を受けたか……
あまりの激痛に悶絶し、しばらくまともに息が出来なかった。
爆風によって舞い上がった煙は完全に周囲の視界を覆い、状況が全く飲み込めない。
「な……にが……」
必死で力を振り絞り俯向け体勢を整えた後、匍匐前進するがごとく移動を始める。
次なる脅威に自然と体が拒否反応を示し、とにかくどこかへ逃げようともがいていた。
完全に本能だ。
生存本能が残された力を振り絞って体を移動させようとする。
すると鉄帽に何かが当たる。
俯向けの状態のまま、地面に顔をこすりつけるように移動していたのでそれが何かわからない。
ソレが何かを確認しようと手を伸ばすと……まだ暖かい何かを触れることが出来る。
しかし、人ではなかった。
人ではないが、人肌のぬくもりを感じる。
人体の一部だ。
間違いなかった。
爆風で体が四散した、元は人間だった何かが目の前にある。
一度それを理解すると手が震えてくる。
嫌な予感しかしない。
この距離に転がってそうな人体の一部なんて……限られている。
爆発の直前、一番近くにいたのはアイツだったはずだ……
最悪の事態に陥った可能性がある。
しかし違うかもしれない。
あくまで私だけが負傷していて、もうしばらくしたらいつものようにアイツが「しっかりしろ!」――と言いながら駆け込んでくるかもしれない。
次第に冷たくなるソレは、部隊長とか他の者かもしれないしもしかしたら自分の体の一部かもしれない。
しばらく考え抜いたうち、勇気を振り絞って顔をあげた。
ハンスだった。
いや、ハンスだった何かだ。
そこに転がっていたのは……ハンスの首だった。
爆発の直撃で完全に胴体と泣き別れした、数刻前まで皆を勇気づけていた戦場で出会った親友の成れの果てだった。
「ヂグジョウ……夢なら醒めてくれ……嘘だと言ってくれ」
止めどもない涙が溢れ出る。
戦場の心の支えだったモノを失った。
その現実に今すぐ拳銃をこめかみに押し付けて自殺しそうだった。
震えながら泣きじゃくると、遠くからドタタタタッという射撃音が聞こえてくる。
軽快なほど間隔の狭い連射音。
それでいて射撃音自体に重厚感はある。
制圧射撃のようだった。
「アイヅラ……戻ってきたのか……一旦引いたのは迫撃砲でも持ってきたか……」
どうやら私に残された時間は僅かなようだ。
皇国兵は攻撃を止める様子がない。
なんとなく理由はわかる。
パンツァーファウストのせいだ。
あれで一斉射なんてしたもんだから、相当な重火器で武装していると相手は思っている。
だから完全に沈黙するまで、攻撃が止む事は無い。
やりすぎたのだ……我々は。
もっと早く引いておくべきだった。
しかしもう遅い。
……しばし考え込む。
この後の選択をどうするか。
このまま死ぬまで俯向けになり、恐怖に怯えながら皇国兵が来るのを待つか。
体力が多少なりとも回復した後、親友のために一矢報いるべきか。
あるいはカバンの中に入っている白いシャツを振り回して投降するか。
死体になりすましてその場を凌ぐか。
地面を銃弾が跳ねる音からして、立ち上がれば即撃ち殺される気がして動けない。
ともすると相手は私の事を死体と誤認してこちらに照準を合わせていない可能性がある。
やり過ごせそうな気配はあった。
だが、そんなのどこまで信じきれるんだ?
私はこれまでここまでの状態に陥ったことがない。
死体になって状況をやり過ごしたなんて話、これまで戦場で聞いたことがない。
多分上手く行かないんだ。
本当に上手く行くなら自慢話の1つや2つ、どこかで聞けるはずだ。
だから私に残された選択は3つしかないんだ。
3つのうちどれが正しいのか……わからない。
ハンスを殺された恨みはあるが……怒りの感情は湧いてこなかった。
怒りよりも悲しみと虚無感のほうが強い。
誰を責めればいいかわからないからだ。
誰が本当の悪なのかわからないからだ。
私は一体……誰を、何を恨めばいい。
そして……この後、もうそう長くはないかもしれない人生をどうすればいい。
走馬灯のようなものは見えてこない。
今唯一の救いは、なぜか死に顔が穏やかなハンスの姿だけだ。
なぜかは知らないが満足そうな顔をしている。
なぜ、そのような顔をしている……お前は……
まるで何かを成し遂げたような……
そういう男じゃないだろう。
お前は生きてこそが人生の華だと言っていただろう。
爆発の瞬間、一体何を悟ったんだよ!
みんな全滅したのに、どうして……
「――そこにいるのはフリードリッヒ兵長か! 生きているのかッ!」
混乱した頭の中、嗚咽に苛まれていたその時だった。
聞き覚えのある声に体がビクリと反応する。
「た……たいちょ……」
「随分と吹き飛ばされたようだな。一瞬見失ってしまったぞ。肩を貸す。動けるな?」
信じられないほどの饒舌である。
ここ数ヶ月で最も言葉を発していると言えるほどで、別人のようにすら感じられるが……
腕を抱えられた状態で横目に顔を覗き込んだ時、間違いなく部隊長であることを確認した。
「一体何がおこって……」
「わからん。小銃を構えて何かを射出した瞬間までは見えた。そいつが低速で飛んできてズドンだ」
「小銃? 迫撃砲ではなく?」
「小銃だけだ。 私がヨハネス兵長に声をかけようとした時には手遅れだった。彼らが戻ってきて小銃を構えた次の瞬間には何かを射出していた」
「榴弾ですか」
「恐らくはな。かなり遠くにいたぞ。200m以上は離れていた」
抱えられた状態で歩きながら、私はヨハンの言葉を思い出していた。
Ⅱ号戦車を倒した武器の正体だ。
間違いない。
この爆発力なら、一気に何発もブチ込めば10mm程度の鋼板だって吹き飛ぶ。
ヨハンもハンスも同じ武器でやられたんだ……
「隊長はよく無事でしたね……」
「とっさに身を隠した。本能だよ…………兵長、よく覚えておけ。戦場では臆病で利己的な者が生き残る。私は声をかけるよりも先に身を隠そうと動いていた。こうやっていつも部下を見殺しにしてきたんだ。だがどうしようも出来ない。1度目の大戦で培った経験が、私を生かそうと体を動かすんだ。だが身を隠す瞬間にハッキリと見えたものがある」
「……なんですか?」
「爆発の瞬間、ヨハネス兵長は君に覆いかぶさった。君を守ろうとした。彼は共倒れを許さない勇敢な青年だった」
「そうですか……」
ハンスの表情の理由が今わかった。
お前は吹き飛ばされた瞬間、あるいは吹き飛ばされる直前……私が助かることを確信できる何かを感じたんだな?
だからあんな穏やかな最期を……
そう思うと自然と涙が溢れ出る。
馬鹿野郎……そんな男だったか……ヨハネス・ゲオルグ・シュターゼン……
君は一見して我先に身を隠そうとしそうな言動をしながら……誰よりも仲間思いで……
そして、友人のために自らの命を犠牲にできる男だったか!
知らなかったぞ……そこまでの傑物だったなんて……
最後の最期に教えてくれるなんてな……
「フリードリッヒ兵長。君は生きねばならない。生きてヨハネス兵長を語り継がねばならない。例え我が国が滅びようとも、そういう国民がいたのだと語り継がねばな……まだ君は若い」
「ええ……足掻きますよ。足掻いてみせますとも……絶対に死んでなんかやるものか……アイツの分の人生、他人の倍生きてやらねば親友に顔向け出来ない」
「その意気だ――」
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隊長のその言葉は今でも忘れられない。
その後しばらくして、我々は皇国軍に囲まれ、投降した。
迫撃砲部隊で生き残ったのは、私と隊長を除いて他に2名。
信じられない事に負傷したシャルルとヘニッヒであった。
彼らは事前に止血の処置を受けた後、近くの建物の影に隠れるように移動させられており、それが功を奏して爆風から逃れられたのだ。
彼らは生存者がいないかと近づいてきた皇国兵に向けて白旗を揚げ、結果的にヘリコプターに運ばれたことで九死に一生を得たのである。
自ら部隊に置いていくよう懇願して死を覚悟していた二人が生き残り、勇敢に戦い続けた者が死ぬ。
これは一体どういう事なのだろう。
生と死を分ける境界線というのが私にはよくわからない。
どういう行動が死を招き、どういう行動が生をもたらすのか。
あの爆発の瞬間、私は何もしていなかった。
何もしなかったのに助かったのだ。
しかし何もしなかったのに亡くなった者もいたようだから、最善手ではなかったことは間違いない。
捕虜収容所で一通りの治療を受る間、ひたすらその事を考え続けたのだが……結局収容所にて入院中に答えを出すことは出来なかった。
退院後の私に待ち受けていたのは、ある意味で求めていた平和だった。
ひたすら労働の毎日ではあるが、食事は最低限保証され戦場から遠く離れた地で荒れ放題となった道路などのライフラインの復旧。
それが捕虜となった私に強制された第三帝国人としての贖罪だったのである。
……これが贖罪なのだとしたら、戦場のほうが余程過酷だ。
戦う意味とは一体なんなのか、全く見えてこなくなる。
国家という枠組みの中で国民として戦うことを強いられた外側に移動すると、こうも状況が変わるのか……
正しさとは何なのか、正義とは何なのか……
私にはよくわからなくなってきた。
わかる事は1つ。
この世においては、死を覚悟して身を挺して友人を救うことが出来るだけの器量をもった人間が存在する。
もしこのまま生きていくことを許されるなら……私はそれを後世に伝えられるよう精一杯努力しよう。
まさしくそれは人間が持つ真の意味での善意だ。
絶対に失ってはならないものだ。
この世が閉じる最後の最後まで、人類が決して忘れてはならない感情であり、真実だ。
私はその業を背負って生きる。
生き続ける。
補足:気や魔術については史実における1943年頃までのアメリカ、イギリス、ソ連のマニュアルやプロパガンダ映画で冗談抜きで出てくる話です。