第173話:航空技術者は友に託されて自らの内に眠る獅子を呼び起こす(中編)
「ひどいなこれは……」
立川の研究室に戻って未来の技術情報を満載した金庫より今回の開発に必要となる資料を取り出した俺は、改めて評価試験の内容について眺めていた。
呆れるほど史実通り。
何1つ進化、発展していない。
評価試験に参戦した小銃は全て"俺が知っている小銃"以外の何物でもなかった。
共通点は「トグルアクション」
それぞれ、甲、乙、丙と名付けられた試製自動小銃は3つともこの方式。
甲のみピターゼンを真似たので遅延式ブローバックを併用。
それ以外は一般的なブローバックによるトグルアクション方式。
どうやら俺が口酸っぱく上層部を通して主張していた「ガスオペレーション式ロングストローク」という方式には微塵も目も耳も傾けなかったらしい。
おかげでM1ガーランドは疎か銃として完成したものは1つたりともない。
試験結果の総論には、トライアルに間に合わなかったとされる試製百式自動小銃なるものもあったそうだが……どうせこれはフェデロフの模倣小銃なのだろう。
大きく未来が変わってAKのごときライフルとして生まれてはいないはずだ。
確信をもって言い切れる。
なぜなら、1年前に完成しながらも評価試験に参加出来ていないからだ。
本来の未来では工作精度の低さから再現できずにまともに連射できない代物だったからな。
削り出し構造を上手く再現出来ないがゆえ、1発目こそどうにかなるがその後は連射速度がバラついて反動制御も厳しく、とてもではないが試験に参加できるような代物ではなかったのだと思われる。
……はあ
現実だけでなく心の中でも何度も溜息が出る。
完全に皇国の悪い部分が出た。
1つの構造、1つの機構。
たとえそれが優れておらず全く将来性が無いものであっても、なぜか捨てることが出来ず拘ってしまう"皇国固執病"ともいうべき病気が発症している。
ガーランドが正式採用間近でピダーゼンが不採用な見込みであることをリアルタイムで確認できるのが今の世界だぞ。
情報が遮断されてガーランドの情報が錯綜しまったあの時とは違うんだ。
そればかりか今の陸軍はNUPすら先駆けて本小銃を採用してすらいる……
にも関わらず、微塵も将来性が無く複雑で部品点数も多く、結果整備性も最悪ながら精度が要求されるトグルアクションになぜ拘ったんだ。
世界の自動小銃がガスオペレーションに傾きかけていて、BARなどの多くの傑作機関銃が存在しながら……
国内に同じくガスオペレーション方式で大成功した軽機関銃が存在しても尚、現場は「小銃と機関銃は違う」――とでものたまいてトグルアクションを強行したというのか。
全くもって話にならない。
……決めた。
彼らに開発協力を依頼するのはやめよう。
基本的に開発はガスオペレーション式の軽機関銃を開発した者達と協力してやろう。
パーツが多くなる上に機構としては完全に間違っているトグルアクションを強要されたらたまったもんじゃない。
その上で……未完成状態のJARを今から完成させないといけないのか。
本来未来でやっていれば未来の銃器技師達の力添えを得られたかもしれないのに……やらなかった。
過去の自らの行いを悔やむ時だな。
あの時の自分がいかに愚かだったか……
でも俺には踏み込めなかった。
ソレを完成させればヤクチアに狙われる可能性があったがゆえ、航空技術者の立場として、再び独立を果たさんがために活動する皇国民として……あの時はまだ覚悟が足りなかった。
ならば、もう一人でやりきるしかない。
やり遂げるしかない。
最悪の場合は……AKが生まれる前にAKもどきを生み出すことも考えるが……それは絶対にやりたくない。
1から見直すぞ……全てを。
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皇歴2643年の春先。
私はとあるユーグの国内の山間の村にて拠点を構え、密かに銃器開発を行っていた。
かつては航空技術研究所所属でもあった人間も、今や見る影もない。
もはや自分がどういう技術者なのかもわからなくなるほどだが……トカチョフの声を聞き入れ、新たなバトルライフルの設計に邁進している。
まず使用弾薬だが、入手性の問題から7.62×51mm弾を選択する他ないようだ。
私は7.62mm×39でいいのではないかと述べたのだが、彼は"あれは共産主義者の弾丸だ"――といって、あえてこちらを採用しようとしていた。
一応、鹵獲されて相手側に使われるのは絶対に防ぎたいという戦略眼に基づいての判断であることを丁寧に説明してくれたのだが……
それだけが理由ではないように見受けられる。
出会ってから今に至るまでにコミュニケーションを重ねて思うことは、トカチョフは思っていることを全て語るような男ではないということ。
壁があるとか、信頼されてないとか、そういうのではなく……
なにかに警戒して本心を語ることを抑え込んでいるようだった。
……恐らくヤクチアでの生活がそういう人格を形成してしまったのだと思われる。
かくして使用弾丸は7.62×51mmを想定しての開発へと至るわけなのだが……
当然にしてそれでは反動が強すぎるので火薬の装薬量を11%ほど減らした減装薬弾となることは早々に決定された。
通常ではエネルギー量にして3300~3500Jにもなる7.62×51mmだが、諸外国ではフルオート射撃も想定して火薬量を11%~12%削って2400~2500Jほどにしたものを別途用意していたため、それを標準仕様としようということで話がまとまったのである。
これでは長距離狙撃は当然無理だが、それでもAK用の7.62mmと比較して弾道特性は優れている。
それこそ西側の5.56mmに匹敵するほどだ。
ただ、私は同時にトカチョフより恐ろしい話を聞いた。
彼曰く、AEK-971が正式採用された場合、通常使用が予定されているのは従来の装薬量のものではなく火薬量を増やしてエネルギー量換算で2460Jにも達する強装弾を用いるのだという。
7.62×39mm弾については、開発からすでに40年以上も経過。
あの頃より火薬の精製技術は発達しており、強装弾とすることは可能だった。
弾頭重量の8gは変更せずに強装弾仕様とする。
つまりそれは……これまで弱点とされていた200m前後から大きく弾道が落ちて狙いにくくなる7.62mm弾の弱点を大幅にカバーして230mほどまで一直線に飛んでいく、装備する小銃は間違いなくバトルライフルといって差し支えないほどのものへと化けることが確約された弾丸を標準仕様とするということだった。
トカチョフ本人は"最悪は薬莢長を削って7.62×42mm程度のものを作ろうか……"――といった、運用面で主に携行弾数で支障が出た場合を想定した設計も並行して行おうとしていたが……
7.62×51mmを採用した裏事情としては、ヤクチアが対7.62×51mmを想定して7.62×39mm強装弾を次世代小銃の基本仕様として検討しており、一方でこの強装弾と7.62×51mmによる攻撃を至近距離でも十二分に防げるセラミックを用いたボディーアーマーを開発していた事に起因する。
つまりトカチョフは5mm級の一般的な小銃弾なんて一切想定していなかったのだ。
警戒すべきはそれだけでは無いということもトカチョフは説明してくれた。
ヤクチア以外にも、ヤクチアですらも危機感を抱く装備を作り出す国が他にもあったのである。
2640年代に入ってからというもの、ヤクチアはとある国のある素材を警戒していた。
それは華僑地域で製造される炭素系複合素材である。
一応は共産主義国家ながらヤクチアから完全に独立している華僑では、対ヤクチアも想定しつつ国際社会においてより発言力が高められるよう世界各国に向けて安価な武器・装備品類を輸出販売していたのだが……
2640年を過ぎた頃から、ヤクチアと対立する国家や時にヤクチアとも刃を交える世界の武装集団達の防御力が目覚ましい向上を果たしていたのである。
その要因こそが華僑によって成型された複合素材によって作られたヘルメットやボディーアーマーによってもたらされている事に気づいたのは……
すでに現地の部隊より5.45mmどころか西側の5.56mmすらも全く通じなくなってきているとの報告を受け、自国の優秀な諜報員に調達先を探らせた後になってからだった。
華僑としては、あまりにも世に広まりすぎたAKの影響で自身も7.62×39の恐怖に苛まれているため、これを十分に防げる歩兵装備の開発に力を入れるのは当然なのだが……
それが極めて安価かつ大量生産された上で人種や組織を問わず世界中に広く販売されたことで、結果的に西側どころかヤクチアすらも苦しめることになったのである。
といっても、華僑としては狙い通りであったのは言うまでもない。
優れた武器と装備を頒布すればするほど、それだけ自らの主張に賛同する勢力は増える。
それは結果的にヤクチアへの間接的な抑止力になるのだからやめるわけもなく、そもそも華僑からすれば"AKを制御不能なまでに世界中に広めたのが悪い"――と考えていたようである。
だからこそヤクチアは貫通力と射程に勝る7.62×39mm強装弾を使うことを検討しはじめたわけだ。
それを唯一まともに扱えるのは散々危険視されていたAO-36からの系譜であるAEKであったのは言うまでもないが、一切の危機感も無く5.45mmを使い続けようとしたわけでもなかった。
まともなボディーアーマーでなくとも5.45mm弾は相手を倒すのに3発ほど必要なのにも関わらず、華僑製の装備ではさらに5発、6発と必要となってきて……それでも殺傷に至らずなんてことが多発してきた上、時に7.62mm弾ですらも仕留めきれないケースがあることが判明したからだ。
そもそも本当に危機感がなかったなら、AEK-971をトライアルに参加させたりなどせずにトカチョフを閑職に追いやればいい話。(実際にはAEK-971ではリスクマネジメントの一貫なのか設計主任が変わっていたりなどするが、本人は開発者の一人という形で携わっている)
つまり、自らの戦略方針によりもしかしたら使うかもしれないと開発させ……そしてそれが思った以上に強力すぎることから再び見なかったことにして闇に葬ろうとしていたのが実情だ。
ここにAEK-971の試験データがある。
彼らがなぜ闇に葬ろうとしたのかは、ある程度は察しがつくデータが出ている。
AEK-971の集弾率については、"強装弾を使わないAKM"との比較で、強装弾使用の時点でセミオート射撃で2.5倍、フルオートに至っては10倍。
反動軽減機構は完全に仕事をしていた。
つまりこれを華僑など、ともすると構造を完全再現できうる国が手に入れて量産したら……
それはヤクチアにとっては恐怖以外のなにものでもない。
確かにAEK-971も多くの弱点を抱えている。
だが、だとしても改良の余地がある以上、失格の烙印を押すのではなく改良を行わせるべきだったはず。
それが出来なかったのは、AKという存在があまりにも"身近"になりすぎたからだろう。
だからこそ我々は、ヤクチアの代わりに改良をやってしまおうと言うんだ。
ソレをAKから遠く遠ざけた形にまで発展させて……
さて、JARを開発する上で私がまずやったのはAEK-971のウィークポイントを改良していくことだった。
トライアルの評価においては全てが政治的な事情が絡んだ批判的な記述ばかりではない。
中には有用で、素直な評価がなされている部分もある。
ことさら気にかけられていたのは、AEK-971のパーツ点数の多さ。
特に分解時において従来のAKと比較しても極めて分解しにくい構造となっている。
原因は反動軽減機構にあった。
AO-36の頃の反動軽減機構は重りとなるピストンとボルトキャリアが完全に別体化していた。
ゆえに別々のガイドレールで可動しており、極めて複雑かつパーツ点数の多いものとなっていた。
AEK-971に至るまでの間、トカチョフもここを問題視。
そこで彼は重りとなるピストンとボルトキャリアを一体化させようと試みたのである。
何をやったかというと……ボルトの上に筒状のパイプを作り、これを後退するガスピストンとし、筒の中に前進するガスピストンを仕込んだのであった。
これを1つのボルトキャリアとして完成させたのである。
しかし、私からするとこれでもまだ不完全だった。
JAR開発のため、トカチョフはAEK-971の実物を実際に持ち込んでいたのだが……
分解してみるとAKと比較して時間がかかるのは事実だった。
そもそもAKというのはパーツ点数自体は初期モデルからそう少なくはないが、整備のために必要な分解の手順は少なく、いわゆる完全分解でなければそう時間がかからない程度に洗練されていた。
それこそ西側のM16を清掃のために分解している時間に、分解して組み立てられるぐらいの時間差があり、ここはAKの長所で間違いなかった。
しかしAEKの場合、ボルトキャリアを取り外そうとした時にカバーやら細かいパーツやらを外さなくてはならず、これではあまりにも時間がかかりすぎる。
トカチョフはカバーなどの構造物についてはベースとなったAKもさほど変わらないと述べていたのだが、たしかにAKもリコイルスプリングとガイドレールなどが独立してはいるものの、そこを外せばあとはボルトキャリアは一体化していたのでそこまで分解は複雑じゃない。
AEKはAKと同じく最初にレシーバー上部のカバーを取り外し、リコイルスプリングとガイドレールを取り外し、さらに反動軽減機構を取り出すにあたってはキャリッジをレシーバー内に保持しているリテーナーを取り外してからキャリッジと一緒にボルトフレームとバランサーを取り外さなくてはならなかった。
このキャリッジが極めて繊細な作りで、組み立ての際の取り付け位置に注意しないと破損する原因にもなる。
一連の複雑な機構の原因は、トカチョフがAKをベースに小銃を考えている点にあった。
各部でパーツや製造ラインの共通化を図ろうとした結果、AK譲りのレシーバー上の泥除けカバーやその他諸々の構造をそのまま採用していたのである。
私はヤクチアが採用をしなかった理由の1つとしてここが問題だったのではないかと考え、この機構を簡略化した。
まずボルトキャリアについては完全に一体化させ、1つのユニットとする。
すなわちリコイルスプリングとガイドレールをボルトキャリアに統一するのだ。
AKですらそれはやっていなかったことだが、反動軽減機構の構造上それが達成できることに私は自信をもっていた。
また、そうすることでAEKで懸念された反動軽減機構の構造的な強度問題についても改善できると思ったのである。
何をやったかと言うと……新たに2つのギアを持つ反転可動用の構造物を作った。
そして前進する重り用のピストンの後部を中空構造とし、後端に竹の節のような構造を内部に設け、竹の節の中心に穴を空け、さらに一部に視力検査用のCマーク記号のような隙間を設けて外からシャフトを押し込めるようにする。
従来のただの棒だったリコイルスプリング用のガイドレールの先端には、重り用のピストン後部の内径目一杯にまで大きくしたもう1つのピストンとも言うべき円柱状の構造物を設け……
これを竹で出来た水鉄砲のごとく竹の節のような構造の先に装着するようにした。
当然リコイルスプリングは内蔵した状態で装着する。
この結果、竹の節にあたる部分はスプリングを受け止める保持部となっているが……リコイルスプリングのガイドレールは節の先に第二の重りのようなピストンを内蔵する状態となった。
この第二の重りのようなピストンの先には2つのギアを中心部に内蔵した二輪車のような構造物が配置され、中空の重りピストンとはこの構造物を介して接合状態となっている。
この中空の重りピストンをこれまた中空の筒状態となっている従来と同じ動作を行う後退するコッキングハンドル付きのボルトに挿入し、完全一体型のボルトキャリアとした。
なお、全体のパーツはリコイルスプリング、リコイルスプリング用ガイドレール、リコイルスプリング用ガイドレール後端部、中空構造の最大内径及び外形を持つ筒状のロングストロークボルト、反動軽減用のための可動部をなす2つのギアを2本のシャフトで接続した二輪車のごとき構造物、ロングストロークボルトに挿入されつつもリコイルスプリング用ガイドレールを内包する反動軽減用の重りとなるピストンの6点で構成される。
2つのギアとその構造物とシャフト、さらにロータリー式のボルトの細かいパーツを個別に計算しても、全体数は10。
それを完全に単一ユニット化することに成功した。
従来まではギアは1つながらもガイドレールが独立していて、重りとなるピストン内部には複雑なパーツが4つ以上入り組んだ上で配置され、さらにリテーナーなどボルトキャリア周辺を構成するパーツ総数は15以上にも及んでいた状況をパーツ点数でいえば5点以上の削減、実際にはユニット化により1点とすることが出来た。
この一連の構造によりガイドレールの耐久性と、反動軽減用ピストンの形状が適切化され、大幅な耐久性の向上が達成できた。
これまでだと、ただの棒だったガイドレールの先端構造は衝撃を適切に受け止めることが出来ず、1つのギアを仕込んだ複雑なパーツを組み合わせた反動軽減のピストン部分を成す一連の構造部分は連続射撃を行うとギアの異常摩耗が生じたりなどして連続発射を続けると破損して射撃不能となったが……
新たな構造ではギアを摩耗させかねない強い初動の衝撃を適切にリコイルスプリングが受け止めるようになり、ギア自体も2個に増えてそれぞれ応力を受け止めることが可能となったため、ユニット化して連続発射1000発も余裕で耐えられる極めて頑強な構造へと改善出来たのだ。
ただし、この単一ユニット化されたボルトキャリアには弱点があった。
なんと従来のAKと同様の構造では上手く保持できずに射撃中にボルトキャリアが脱落してしまう可能性がでてきたのだ。
だが、そんな程度想定済みの私は、レシーバーを含めた全体の構造を大幅に一新することとした。
すなわち、JARはこの時において「AK」であることを捨てたのだ。
従来までのAEKのレシーバー構造は、AKMにて確立されたプレス成型されたコの字型の箱型のものを踏襲していた。
初代AKは当初これをやろうとして耐久性が不足して前後分割式の削り出し構造としていたが、これは製造に120もの工程を必要とする極めて生産性の低いパーツであり、AKMになるに至ってはコの字型のプレス成型された鋼板に削り出し構造のバレル保持具などをリベット接合して用いていた。
AEKもこれを踏襲していたのだが、私はこれをやめたのである。
箱状のレシーバーはピストルグリップなどの部分のフレームともなっていて、この部分にマガジンの装填機構やら何やらを仕込み、非常に軽量なものとなってはいた。
そのため、実はAKの後部かつ上部の部分はアッパーレシーバーではなくただの泥避けカバーで、その部分がなくても特段問題なく射撃できたりするのだ。
これは適切に装着されていたりしないにも関わらず照準器が搭載されていたりするため……AKの命中率を低下させる原因ともなっていた。
私はそもそもこの構造がとにかく気に入らなかった。
すでに時代は20世紀を終わろうとしていて、各国の新型小銃はピカティニーレールと呼ばれる様々な装備を状況に応じて装着できる航空機でいうパイロンのようなものが導入されてきた時代だ。
AKはレシーバー構造がゆえにこのピカティニーレールを装備できる余地が殆どなく、やろうとしても可能なのはハンドガード付近のガスポートとバレルを保持する削り出し構造で作られたレシーバーと結合された保持具の上に設けられるかどうか。(通常ではアイアンサイトがここに付属)
SVDなどを見てもらうとわかる通り、従来よりスコープなどは下部のレシーバー側から伝うマウントフレームを側面に設けて装着するような状態であった。
これが気に入らなかったのだ。
ゆえに、レシーバー構造を完全に新規形状に改めた。
まず、以前まではカバーだった部分を新たなレシーバーの一部……すなわちアッパーレシーバーとし、プレス成型で形成された大きな1.5mm厚の鋼板で成型した。
ただし、これは排莢を行う右側は大きくポッカリと穴を設けるかのような状態とし、新たなアッパーレシーバーは左側と右側で大きく形状が異なっている。
また、後端部分についても穴が設けられ、そのままだと銃弾を発射しようものならボルトキャリアが視界に向かって飛び込んできそうな状態となっている。
この状態でハンドガード付近に従来のAKと同じく削り出し構造のバレル保持具をリベット接合するようにした。
さらに新型のアッパーレシーバー上部には頑丈な航空機にも使われる6000番台のアルマイト処理を施したアルミ合金をピカティニーレールとして装着。
これはエポキシ樹脂の接着剤を用いた上で3つのリベットを併用して接合されているが、穴は4つ設けられていた。
4つ目はハンドガードを保持するための穴であり、ここにハンドガードをピン留めするのである。
エポキシ樹脂を用いた理由は電食対策。
強力な絶縁性能のあるエポキシ樹脂によって鋼板を用いたレシーバー部分と接合を行った際に接着面において電食が生じてアルミが異常腐食する対策を施している。
このアルミ合金製のピカティニーレールはエポキシ樹脂を併用することで一種の外骨格的なフレームともなっていて、アッパーレシーバー構造をより強固のものとする。
ただホロサイトや光学照準器を装備するだけのレールではないのだ。
こういう所は積極的に航空機開発のノウハウを投入した。
トカチョフもこれには大いに驚いていたが、軽量化と耐久性の双方を同時に達成するのが航空機屋というものなのだ。
このおかげで照準器は高精度なピープサイトをレールマウントにて標準装備する他、光学照準器などを標準装備化することもなったわけである。
さて、このような形状のアッパーレシーバーに対してレシーバー下部……すなわちロワーレシーバー部分はどうするのかというと……
砂型で鋳造したアルミ合金を6工程の削り出し処理で済むマガジン装着部としたロアーレーシーバーをハンドガード付近の奥に、ピカティニーレールと同様エポキシ樹脂とリベットを併用してバレル保持具を通してアッパーレシーバーと接合。
さらにこのマガジン装着部にはピンを用いてこの部分から中折れする形となって整備性を向上させる、ピストルグリップとトリガー、トリガーガードなどロアーレシーバーの後部構造を担う、これまた砂型アルミ合金を4工程で削り出し処理で形成したピストルグリップを接合している。
グリップ部分はFRPカバーが装着されており、真冬でも問題なく握り込むことが出来るようになっていた。
そしてここからが本銃の素晴らしい点なのだが、この中折式で整備性を向上させる後部レシーバーとも言うべきピストルグリップ部分については、なんとボルトキャリアの後端……それまではリコイルスプリング用ガイドレールの後端部分だった所とラッチで接続。
一応ピストルグリップを接続しなくともボルトキャリアが最低限飛び出さないようアッパーレシーバーにおいて仮止め装着ができるようになっているが、このピストルグリップとのラッチ接続によってボルトキャリアはアッパーレシーバーと共にピストルグリップと完全に固定化されるのだ。
つまりピストルグリップはリコイルスプリング用ガイドレールの後端とアッパーレシーバーをあわせて1つのラッチでガチッと接合状態とするわけである。
さらにこのラッチ接続をより完全なものとするため、後端部分と右側のサイドカバーを担うカバーをこれまたレバー式のラッチで接合して三重にボルトキャリアを固定する。
これにより、AKよりもよりパーツが少ない状態でボルトキャリアについて強靭な保持が出来るようになった上、上部にピカティニーレールを設けることが可能になるのだ。
しかも、ピストルグリップ、マガジン装着部、アッパーレシーバー、ボルトキャリアなどはその殆どがユニット化されており、整備時においてのパーツ分解についてはバレルやバレル保持用のパーツなどを合わせてわずか9点しかない。
当初より運用する場合は「ユニット単位」による交換を想定しているが、ユニット単位での分解は2分あれば余裕で可能。
専用のハンドルは無いもののハンドガード等を取り外せばバレル交換すら可能であり、軽機関銃としての使用も十分視野に入れていた。
全体の総部品総数については実に88点と、かのAKの96点を下回る。
アルミ合金製のパーツのおかげである。
こういうアルミ合金製パーツを容易に組み込むことが出来たのも航空技術者ゆえ。
通常であれば熱膨張率が2倍も異なるアルミと鋼板においては、熱管理を適切に行われないと膨張に伴い一部に異常な負荷がかかって破損や歪みを生じかねない。
しかし適切な熱管理さえできれば問題ない。
実際、FN FNCは同様にアッパー側をスチールプレス、ロアーをアルミ鋳造としていたが、類似した設計を押し込んだに過ぎないのだ。
他方、FN FNCでは複雑な形状を一体成型していて削り出しの工程数も60以上にも及び、極めて生産性が低くコスト上昇の原因ともなっていたが、私が用いた方法は2分割かつ単純構造が故に工程数も10工程程度と極めて生産性が高くなる見通しだ。
これは後の時代のアルミ合金製ロアーレシーバーを持つアサルトライフルと類似した、複雑な構造をあえて廃して時に分割方式とすることが功を奏しており、製造価格の上昇などは最低限なものとすることが出来たのである。
ちなみにこの時点での銃床の形状はまだ固定式だった。
ここについてはまだ煮詰まっていなかったのだ。
他方、ハンドガードはその時点でNUPの最新鋭モデルを模倣したカーボン製。
程よく冷却用に穴が設けられ、これでもって反動軽減機構のガスチューブ部分を完全に覆い隠してハンドガードとした。
結果的に、2643年の時点で本銃は21世紀の自動小銃といっていい外観となったのである。
こうした理由はそのままだとハンドガード前部の形状がAKに似ていたのが、様々な意味で危険なのではないかと思われたからだ。
そもそもトカチョフと私は本銃をいかにAKから逸脱させるかで意気投合していたわけだが、同時にこれがAEKの発展型だと察知されないようにする必要性にも迫られていた。
何しろ、当時すでに世界中にヤクチアの工作員が紛れ込んでいて、どこに敵がいるかわからないような状況に陥っていたのである。
本来なら無関係な活動に従事する工作員が本銃の開発現場をふと見てそこからAKを連想されてしまった場合などを考えると、とにかく遠ざけたかったのだ。
ともかく、基本形はこのようにして出来上がった。
JAR開発には各国の信頼できる銃器技師も招来して行われていたが……製造コストと運用性の両面を見てAEK-971とは比較にならない銃であることは、一連の基本設計を見てもらえばわかるだろう。
しかしながら本当の戦いはこれから始まるのだ。
この時点での私は、反動軽減機構がこれほどまでに調整の難しいものだとは知らなかった。
そして気づくことになる。
本銃の致命的な弱点を。
参考特許
RU 2500967C1
RU 2482417C1
RU 2683036C1
JARの外観の参考
A-545のCivilian(スポーツ射撃用)モデル
https://www.thefirearmblog.com/blog/2019/01/30/new-balanced-recoil-sporting-rifle-from-russian-degtyarov-plant/
https://www.youtube.com/watch?v=6FLpoRQoI2g
なお、スポーツ射撃用とはいうがフルオート可能で実戦投入経験あり。
また、レシーバー部分等についてA-545はチタニウム合金とポリマー樹脂の併用だが、時代的に全く再現できないためアルミ合金+スチールプレスとなっている。