番外編17:己の正義を信じる者、それぞれの道2
信濃忠清ら、皇国の技術者達が最新鋭技術を手に入れて寝る間も惜しんで技術革命の波に乗っているのと同時刻。
シアトルのとある高級レストランにおいて、店を借り切った上で自らの信頼する部下を集めたボーウィンのCEOは感情を爆発させていた。
「完全にしてやられたッ! 一体誰が裏切り者だ! 我々が唯一独占できていた技術革新を、よもや第三国の……東亜の島国に渡す羽目になるなどと……!!」
怒り狂っているほどではないものの、誰の差し金によって今の状況が起きたのか理解できぬボーウィンの創業者は、この世の全てが信じられないとばかりに周囲に当り散らす。
「お前か? それともお前か? 陸軍か? 海軍か? はたまた我々を陥れたいライバル企業か!?」
「普通に考えて大統領でしょう。ここのところ、大統領は自らの権力を強めようと躍起になっています。特に陸軍は大統領の至らぬところで勝手な行動をすることが目立ってましたからね」
「勝手なこと? 何をやっていたというんだ」
感情を噴出させて自らにかかるストレスを軽減させようとしたボーウィンのCEOは、自身に平然と立ち向かうがごとく意見を述べる部下に詰め寄る。
ところが部下はたじろぐ様子ひとつ見せない。
「噂じゃ密かに第三帝国に石油を横流ししているらしいですし、石油精製機器を譲ったとも。また、XP-39をヤクチアに渡したのも大統領の判断ではなかったらしいですよ。華僑で裏工作を働いていたのは大統領の監視の下で行われた事だったとのことですが……最近の行動は独断であり、大統領としては無用な行動で我が国の立場が崩れるのをとにかく嫌っていて――」
「待て……待て、待てッ! それは我がボーウィン社が関与したことか? 我々は一切の関与をしていないんだぞ! 一機たりとも華僑や第三帝国に機体を卸したことなんてないんだ! にも関わらず、なぜ私達は大きな不利益を蒙らなければならないんだ!? 私はこれまで大統領のその手の怪しい取引の提案を断ってきた立場であるが、それが気に入らなかったとでも?」
社長の荒れる姿に何名かの部下は眼を背けた。
彼の顔を直視していると「裏で陸軍との接待を通じてボーウィン社が優位な条件の仕事が出来るように取り計らっていることを大統領が気に入っていないのだ」――と、口にしかねないからだ。
それは火に油を注ぐ行為。
社長はあくまでそれは"自社製品こそNUPにおいて最高峰である"という自負の下での行動なのだが、大統領がそれを単純に陸軍との癒着と判断していたことに気づいていない。
現大統領は、思想はどうあれ自らの意に沿わぬ行動を行う組織を嫌う。
ゆえに華僑での失敗以降、コントロールが効かなくなった陸軍を憂慮していた。
この場にいる誰も知らぬことだが、本件は警告である。
私に無断で勝手な行動をするならば、お前たちにも相応の罰を受けてもらうという。
そもそも大統領にとっては「エポキシ樹脂」などというものがどれほどの価値あるものなのか理解に薄かったが、当時の多くの技術者もそれは同じくしている。
ボーウィン社のように真っ先に飛びつくような者は少ない。
実際問題エポキシ樹脂というのは、その製造方法さえ知ればそれなりの化学製造関係のメーカーは作れるもののため、特許として登録して技術情報を公にしてしまっている以上はいつまでも独占状態を押し通せるものではないのだが……
それでも特許期間内においては圧倒的優位性を確保できうる素材であることは間違いなかった。
しかし大統領は「どうせ権利期間を過ぎてしまえばこれらの努力も無駄になる。今無駄にしても同じだ」――などと、独占して国内のみで流通させることがNUPの大きな利益となる可能性よりも単純に自らの権力掌握を推し進めた方が公益になると考え、皇国との関係性においても現状の世界情勢から火花を散らすのは得策ではないとしてあっさりと情報を流したのであった。
その結果がどういう事態を引き起こすことになるかも知らずに……
「ええいッ、気に入らんッ! 野蛮な侍共め……こちらを見下すかのように」
「見下す?」
妙な言葉に反応を示したのは、当日その場にいない部下であった。
彼は"見下す"という言葉に疑問を持ったのだ。
現時点で確かにカタログスペックで並ぶ航空機を持つ皇国だが、それでも完全にこちらを上回っているとまで言えるほどではなかった。
ゆえに社長の表現が気になったのである。
「そうだッ! 奴ら他の技術には目もくれなかった。本当にエポキシ樹脂にしか興味がなかったのだ。我々が自信を持つ最新鋭の胴体形状や翼形状、そしてフレーム構造に至るまで、まるで最新鋭でないとばかりの反応を示した。挙句の果てに333を旧型扱いだぞ。どういうことなんだ!? 333は確かに廃案となったが、決して旧型機などではない! 340シリーズと同じ最新鋭爆撃機なんだ!」
「私は今回の件について今日初めて知った上、ニューヨークの空を飛んだとされる深山を目にしていないのでなんとも言えないですが……ハワイで撮影された写真を見る限りは333の方が技術的には先進的な機体と見ましたがね。にも関わらず、彼らは333を旧型機扱いしたと?」
「そうだとも。記憶が間違っていなければだが、B-17と同等の古い機体だと言い張った。東の島国ではさぞかしすばらしい新型機を開発中なんだろうな!」
「……思い当たる節がないわけではないです。噂程度ではありますが、次の機体は800km/h以上の巡航速度となる大型爆撃機だという情報がありますからね」
「なんだと!?」
ある部下の一言によって、社長は急速に正気を取り戻していく。
彼は即座にそれが"レシプロエンジン"の航空機でないことを見抜いた。
「ニック。わかっているのか? 800km/hというのがどういうものなのか……」
「私たちがおよそ知る既存のエンジンでは達成できないでしょうね。ですが、彼らにはCs-1がある。社長がゴルフに興じている間も我々は技術理解を深めて参りましたが、もうレシプロ機関で飛ぶ時代は終わりですよ。あのヘリコプターを見たでしょう? 社長自ら自家用に買おうとおっしゃってたじゃないですか。ああいうのを可能にするターボシャフトエンジンは、構造次第で800km以上で飛行することも可能であることは、すでに各国が研究中のタービンエンジンの断片的な研究結果資料より我が研究室内でも結論がでていることです。特に、それを唯一実用化した皇国はもはやレシプロ機関に拘る必要性なんてありませんから、容易でしょう」
「つまり、必要だったのは機体構造をより軽量強化できうる接着剤だったと……」
「軽量化よりも外板の凹凸を減らしたいのでは?」
「何? どういうことだ」
研究室に所属する部下の話に興味が湧いたボーウィンの社長は、先程まで立ち上がって別の部下の下へ詰め寄っていた状態から体の向きを整え、彼の話の全てが聞き取れるような位置に椅子を移動させて腰掛けた。
「800km/h以上となりますと、ちょっとした凹みですら外板に想定外の負荷が生じる可能性がありますからね。なんたって皇国の外板整形技術は稚拙。深山は突出した技術理解のある設計者によってどうにか出来ているだけですよ。あれなら600km/hの世界までなら誤魔化せるでしょうが、それ以上だとエポキシ樹脂は必須といえなくもない。皇国の現用の製造技術力では……」
「ううむ……なるほど」
「ですが、私は特に気になることがあります」
「なんだ? 是非教えてくれ」
「失礼! オーナー! 後ろのメニュー表を記載するための黒板、これを使ってもよろしいか!」
社長の言葉に何かを感じ取った研究室所属の男は、すぐさま立ち上がってやや遠くで様子を見守っていたレストランのオーナーに向けて手を振りながら了解を取る。
するとオーナーは店奥からチョークの詰まった箱と黒板消しを持ち出して手渡した。
「しばしお待ちを。これから理由を説明しますから」
そう言ってニックは巨大な黒板に計算式を記述しはじめる。
◇
「――これは我が社の研究室と風洞実験室から得られたデータですが、既存のテーパー翼では対気速度が700km/hを超えたあたりから主に翼上面の衝撃波の増大が尋常ではないのです。これにより機体は安定性を失うばかりかフラッターはより顕著となります。そもそも、翼上面の衝撃波の増大は気流剥離をも生じさせ、この時の主翼においては大いなる神の手が掴み掛かっているかごとく速度上昇を阻む。そして安定性上昇のために従来より施されてきた主翼の上反角を付けるというのも限界があり……我々が認知する常識的な翼では800km/hには達成できない……」
「……以前の研究結果報告では、翼そのものを薄くすればどうにかなるという話だった。エポキシ樹脂ならばそれが達成できうるという事で、全く新しい常識に囚われない構造部材の形状を見出していくべきだと。我々が目指すべきはその方向性で……そういう話ではなかったのか?」
「おっしゃる通りです。ですが、薄くするにも大型機では限界がありますし、小型機でも急旋回等を可能とする戦闘機ならば同じこと」
「……ニック、つまり何が言いたいのか?」
「第三帝国にブーゼマンという男がいます。彼は優れた流体力学研究者にして航空技術者なわけですが、ここに陸軍が密かに第三帝国と技術交換してきてしばらく前に入手した技術情報があります。そこに含まれる彼の研究には、翼上面の衝撃波対策として従来の翼形状に後退角を設け、それによって気流が翼を流れる距離を伸ばしつつ翼形状を見直すことで上面の大気の気流速度を低下させることで気流速度に起因して発生する衝撃波の発生を抑制させ、さらに後退角によって偶発的に生じる衝撃波の発生点を翼のエリアごとにズラすことで衝撃波による気流剥離が生じて同時に発生した層流が翼にへばりつくことで翼全体に発生しうる抗力増加を抑制……すなわち抵抗力を減らし、従来では考えられない速度帯での飛行をも可能とするという事実があることが発覚しました」
「なんだと!?」
ビル社長が何よりも驚いたのが、自社の研究室が自身の理解する常識を大きく吹き飛ばす最新鋭の翼に到達していたことだった。
しかもその出所は第三帝国であったのだ。
第三帝国側の技術理解のすさまじさに驚くと同時に……自身がなぜエポキシ樹脂を譲り渡すことになったのか、なんとなく察することが出来た。
ただ、それよりも新鋭の翼に対する衝撃のほうが圧倒的に大きいものであったのは言うまでもない。
「それだけじゃありません。彼はそもそもが翼上面に流れる気流の速度を制御することが出来れば、気流が翼上面を這うようにして流れる距離……すなわち面積が大きければ大きいほど有利となることを見出し……これらの情報から我々は2つの翼形を見出すことができました。1つが後退翼。翼そのものを斜めに取り付けて少しでも翼表面の気流が流れる距離を伸ばそうとするものであり……もう1つが」
「いや、言わなくてもいい。ニック、君の言葉ですべてを理解した。私はもう1つの翼に見覚えがある。皇国の最新鋭機だ。確かにソレが付いていた。距離を単純に伸ばすならば面積を増やした従来の直線翼で面積を増やしてもいいが、それでは重過ぎて話にならない。ゆえに胴体付近から翼端へ向けて減少してくる衝撃波に合わせて上から見て三角形に形状を整えるのだろう?」
二人の会話に周囲の者達は静まり返っていた。
ある者はニックの説明に息を呑み、ある者は黒板に描かれた図や数式に見とれている。
ここに集まっているのは社長も含めて航空技術者。
ゆえにこの手の最新鋭技術には見入り、聞き入ってしまうのだ。
それは信濃忠清による技術談話に皇国の技術者が魅入るのとなんら変わらない。
「ええ。第三帝国ではその翼形状をデルタ翼と呼んでいます。ただ、ブーゼマン博士すら理解できぬとされているのは……デルタ翼における翼上面の衝撃波対策は後退翼とは比べ物にならないほどの難易度だということです。現状ではブーゼマン博士すら見出せておらず、ゆえに無尾翼とする以外で方法は無いと判断しています。ところが……皇国の新型には尾翼があるわけです」
「モックアップはフェイクで、実物は無尾翼なのではないのか?」
「そうですね……我々も当初はそう考えていました。ですが、もっとシンプルに物事を考えることにしました。もしかしたら皇国では……翼上面において衝撃波対策を行った流体力学的に洗練された形状を施して……いや、翼そのものの断面形状をこれまでの常識を超越した全く新しい衝撃波を逃がす構造にしたのではないか……と。つまり、翼の断面形状が極めて複雑かつ計算しつくされたものとなっていて、それによって尾翼を装備することを可能としたのではないのかと……ブーゼマン博士の研究資料を見て我々は思いついたのです。事実であれば後退翼のための最適な翼断面形状も未だ途上で実用化に程遠い我々を大きく凌駕している事になりますね」
「ニック。君は自分で言ったことを理解しているのか? 流体力学研究において我が国すらをも超えうるとされる第三帝国のトップの技術者すら到達できぬ所に、まだ航空機に手を出して30年程度の皇国の技術者が到達したと?」
「ヤクチアも第三帝国も王立国家すらも、皇国のこのところの技術的躍進は皇国人以外の技術者によって達成されているものと判断しています。物事はシンプルに考えるべきです」
「つまりこの間のメジャーリーグ選抜を負かしたエースピッチャーのような男がいるということか」
「私は純粋に"空の魔物"が誕生したと思っていたりもするのですが、まあそういう可能性が今のところは高く、同意見の者が大勢を占めているということでしょう」
CEOであるビルはふと考え込んだ。
ブーゼマン博士については2595年において超音速飛行の可能性について提唱し、音の壁という存在を超越した航空機が近いうちに誕生するとまで言い切った男である。
その言葉に「いよいよ我々は世界中どこにおいても24時間以内で向かうことができる時代が来るのか」――などと、ギリギリ敵対する前の時代だったこともあって論文を入手して胸を躍らせていたのだが……
そのブーゼマンと双璧を成すリピッシュ博士が第三帝国にまだ根を下ろしたままの状況で、一体誰がそんなものを思いついたのかと。
音速か音速に近い飛行についての特性を研究していたのは彼らを含めごく少数。
彼ら以外にそんな者はいないとすら囁かれていたほどだったのである。
その頃はまだ500km/h程度の最高速度であり、そもそもレシプロ方式のプロペラ機ではその領域に到達できないことは既に結論が出ていた時代でもあった。
そればかりかその頃の自国では液冷エンジンに手を焼いていてもっぱら空冷を主力としていたが、その空冷エンジンでは600km/hにすら到達不可能とされていた頃である。
その常識を吹き飛ばしたのが他でもない皇国であったわけだが、600km/hを達成したキ35はともかく薄い逆ガル方式の翼で、とてもではないがその領域に足を踏み入れる様子など無かったのだ。
考えてもまるで新型機の翼の発明者は浮かんでこない。
しかし、ハッと何かに気づいてニックに問いかける。
「待て、翼断面形状に何か特殊な構造を思いついているかもしれないということは……今皇国に探りを入れればそれが手に入るかもしれないという事ではないのか!?」
「……非常に厳しいでしょうが、不可能とは言い切れませんね」
「私はすべてを理解したぞニック。なぜ侍共がエポキシ樹脂を求めたのかを。特殊な翼断面形状を達成させるためには、従来の常識的なリベット打ちによる構造では不可能なはずだ。ましてや800km/h以上で飛行するというのだから外板はより強靭に接合しておきたいわけだし、相応な技術が必要になる。侍共は間違いなく、エポキシ樹脂と並ぶ超技術を隠している! だから333を旧型と扱き下ろすることも出来たのだ! ふッ……ふふふ……奪われてばかりなどいてたまるものか……エポキシ樹脂を明け渡した見返りとして何としてでもその技術を手に入れてやる」
「まあ、我々としてはどんな方法であれ新鋭技術が手に入ることは喜ばしいことです。ただ、技術者の命に関わる危険な行為だけは控えていただきたいとだけ。それだけのモノを思いついた人間は世界の宝です。お忘れなきよう」
「わかっているとも! 私をウラジミールなどと一緒にしてくれるなよ。ともかく、急いで隠密行動可能な調査隊を組織するぞ。長島、山崎、四菱……どこの企業が隠し持っているか探るんだ。軍が発明したとて製造は企業側。技術理解無く作れるわけがない。企業側も理論などは把握しているはずだ」
次第に機嫌を取り戻し、やる気に満ちていくボーウィンの社長。
研究室に所属する部下であるニックは彼の目がキラキラと輝いていたのを確認したが、自らを含め周囲の多くの者が「後退翼」と「デルタ翼」という新鋭技術そのものに目を輝かせる中、彼が「第三国の技術を奪ってくる」事に目を輝かせていることに、一抹の不安を感じざるを得なかった。
それは自身にも責任の一端が生ずる行動によりはじまったことではあるが、奪うよりも共有することで伸びた企業に対し、強引な手法の行使を厭わないというのは、大いなるしっぺ返しようなものを食らうのではないかと思ったのである。
「社長。皇国企業だけでなく王立国家の企業なども探りを入れるべきでは?」
「む? ピアソン。どうしてそう思うんだ」
「彼らはまだ大型機を大量生産する効率的な生産手法を確立させていません。現時点でそれを可能とするのは我が国と王立国家。ともすると王立国家とは大量生産時に手を結ぶ可能性があります。また、実はこの間の件は王立国家も背後で手引きしていた可能性もありますからね。まあ何の確証も無い戯言ではありますが……エポキシ樹脂については王立国家も相当熱心だったはずなので」
「なるほど……よし、ヴッカースなどへも人員を送り込むか。やるぞ皆! 世界に遅れをとらぬため、ボーウィンの明日のため、やってやろうじゃないか!」
ビル社長の言葉に周囲が応える中、ニックは一人冷静さを保っていた。
明日のためを考えるなら素直に皇国と取引する方が良い。
そう思ったからである。
ニックは本件を引き起こした原因は立場を求め、貪欲に情報を集めんがために陸軍との距離を縮めすぎて大統領から危険視されたことにあると考えていた。
ゆえに今後の行動がさらに大統領の神経を逆なでしうる可能性を考えると、素直にビル社長に同意することなど不可能だったのである。
かくして連山開発から始まった1つの波紋は、信濃忠清の知らぬ間に広がりを見せていくこととなるのだった。