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第170話:航空技術者は王の威光を垣間見る(前編)

 2601年7月末日


 その日の夜、ビルの立ち並ぶ大都市のど真ん中の高級レストランに特設された会場にて、明日より始まるメジャーリーグ選抜チームとの交流戦の開始を祝うパーティが行われた。


 そんな中、俺は楽しむ気になれずに一人会場の隅でひたすら料理とシャーリーテンプルを口にしながらすごしている。


 とても酔う気にはなれないので、多くの外交官も口にする子供向けカクテルで周囲に溶け込んでお茶を濁す。


 何が気に入らないか。

 あえて言えば全てかもしれない。


 2601年の12月以前のNUPというのは、戦争よりも野球のワールドシリーズの結果の方が重要だったぐらい戦争から目を背けた国だった。


 これは未来が変わったのか、それとも同一なのか……気になるところではあるが……


 その目で現地を確かめてわかったことがある。

 今俺がいる国は、第三国のことをとやかく言えない立場かもしれぬ現在の皇国より別格なほどにひどい。


 ハワイからこちらに到着して以降、軍事色というのは微塵も感じなかった。


 むしろ交流会が行われたハワイの方が軍事色を感じられたほどだ。

 車で巡った街並みはとても穏やかで、日常そのもの。


 国中において目にする様々なモノに全く戦争に関連するフレーズのものがない。


 一度売店の新聞を手にすれば野球とフットボールと労働問題などのNUP人の関心事項のみで記事が綴られ……


 まるでドレスのような絹の洋服を身に着けた白人の女子が公園で遊んでいる姿などを平然と見かけるほどだ。


 聞いた話では、映画館などでプロパガンダ作品が上映されていたというが、そういう看板は隅っこに追いやられて売れ筋の映画の看板のみが連なる。


 もはや余裕すら感じる。

 それこそ戦いもせずに勝利した戦勝国であるかのような振る舞いのごとく……だ。


 事実、経済もなんだかんだ上向きだ。


 共和国の風刺絵などで痛烈に批判されるように、NUPはレンドリースという名の公共事業的な各種輸出事業でもって経済を活性化させ、人々の暮らしはさらに豊かになりつつある。


 共和国ではその姿をマフィアと捉え、星条旗柄のスーツを着込んだマフィアが葉巻を咥えながらマシンガンを片手に大量の武器を今まさに供与しようと差し出す姿と、それらを渇望する皇国を含めた諸国の首脳らをデフォルメして描き、マフィア側には「戦争は君達のものだ」という吹き出し付きの台詞を描いていた。


 状況はまさにその通りであり、NUPは戦争を海の奥に遠ざけて激動する世界の中を鮮やかに立ち回っている。


 何が残念なのかと言えば……彼らの弱体化を微塵も感じないことだ。


 かねてより発足した地中海協定連合側による積極的な経済活動によって、各地の経済状況は俺が知る世界より良くなっていたはずだった。


 事実、皇国の経済状況は明らかに本来の未来より一段か二段上の位置にある。


 むしろNUP側が苦しむことすら予想されていたはずだった。

 だが、彼らは結局レンドリースを盾に"あの頃"と変わらぬ超大国へと走り出しているのだ。


 この姿を見たら「勝てる」――などとは早々に思わなくなるのは間違いない。


 西条からの話では「2597年において俺が提出した報告資料より経済的体力に乏しい分、あの時ほど過剰な軍拡には至っていない」――とのことだが、つまり本来の未来ではもっと勢いがあったと?


 そんなところと事実上の二面戦争で戦おうとしたというのか、我が国は。

 正気じゃないな。


 いや、正気じゃなかったからこそ勝てなかったわけではあるが……


 たしかに本来の未来において俺はNUPの2601年~2603年頃に公開されていたプロパガンダ映画などを集め、この国の余裕っぷりのさまをそれとなく確認してはいた。


 例えば本来の未来において2600年に公開された、王立国家の様子をNUP視点で見つつ自国と比較したプロパガンダ映画を見てみると……


 王立国家はこの時点で必死そのもの。

 男も女も成長期の子供も老人も関係なくなんらかの労働に従事し、軍需工場では必死に働く労働者の姿が映し出される。


 その上で王立国家の様子として特筆すべきは、適切な休憩時間と労働時間の確保を徹底していたことだった。


 彼らは連続7時間以上の労働を1日続けるような真似を365日単位でやっていくとむしろ生産力と品質がどんどん低下していくということを大変よく理解しており……


 その上で1日の最大労働時間を8時間以内とすることで生産効率はむしろ上昇するとし、厳格に実施していた。


 つまりどこかに休憩時間を挟みつつ、8時間以内の労働で収めて1日の業務を終了していたということだ。


 これに加えて少なくとも週休1日以上で連続勤務7日を絶対によしとはせず、適切な労働間隔とすることを徹底していた。


 さらに連続7時間もなるべく避けようとしていて、ティータイムと称して昼食とは別に30分ほどの休憩も挟んだりした。


 そういった姿はプロパガンダ映画内に如実に描写される一方、昼食やティータイムでの姿も描写され……メリハリの良さはプロパガンダ映画を見れば大変よく理解できた。


 当時のNUPはこれを茶化すようにあざ笑うかのごとく紹介していたが、実際問題効果があることが生産数関係の統計データで十分に証明されていて、労働時間無視のNUPの企業と比較すると生産効率が上回っているケースが多々あったことは戦後に証明されることになる。


 この時点でのNUPは「生産効率」よりも「総生産力」を重視しており、労働者の数の違いなどをひたすらに誇示して己の労働力の高さを自慢するばかりだった。


 そんなNUP。

 2600年~2602年までの映画は、それ以降の映画と比較してある1点が大きく異なることが興味深い。


 それは労働者の人種と性別と年齢だ。

 見ればわかるが、2600年~2602年までの映画内に登場する労働者というのは、人種は白人で性別は男、年齢は20~40代程度。


 航空機製造から何から何まで女性の姿は皆無。


 極めて効率的で、かつオートメーションに近い最新の工場施設内で高度に製造と量産がシステム化され、ベルトコンベア方式で流れ作業となった作業場でひたすらに同じ作業を繰り返す工場勤務者の姿が映し出される。


 我が国で効率的な生産とは、労働時間でも休憩でもなく、完成されたシステムだと言わんばかり。


 B-24やB-26の製造風景など、全てのプロパガンダ映像は2602年頃までそんな感じである。

 白人女性は家庭で料理を作って夫の帰りを待ち、子供はのんきに外で遊ぶ。


 どう見ても王立国家を小バカにした態度で、自らの国民の人口と効率的な生産方法でもって王立国家を上回っているんだとしきりに宣伝するような映画が当たり前だった。


 それが2602年の秋頃を境に突如として雰囲気が変わる。


 それまで「余裕」があるからと成人白人男性だけが働いている姿を映し出していたNUPは、「我々は自由で平等な国であるからして、人種や性別や年齢に制限を設けない!」――などとのたまいながら、王立国家と同様な工場作業風景となっていくのだ。


 働いている人間は白人、黒人、大人、10代中盤以上の青少年……そればかりかハンディキャップを抱えた人間すら登場するようになる。


 これぞ我が国が少なからず与えた打撃によって、表面上は取り繕う一方で総力戦を強いられて表向きこそ平静を装おうが裏では必死だったNUPの国内の状況そのものだった。


 例えばB-29の製造風景のプロパガンダ映画など、2604~2605年あたりの国内のプロパガンダ映画なんかは、もはや作業に携わる人らに全く笑顔が無い。


 2602年まで白い歯を剥き出しにして遠まわしに王立国家を煽っていたのとは対照的だ。

 また労働時間の制限などは王立国家ほど厳格化されていなかったので生産数の増加に対して強いられた苛酷な労働環境に笑顔など見せる余裕などなかったことは容易に想像がつく。


 むしろ2604年頃の王立国家のプロパガンダ映画の方が労働者に幾分余裕があるようにすら見受けられる。


 作業場などでは時折笑顔も見られ、一致団結して緊急事態を乗り切ろうという結束力が感じられた。


 工場外でも大人の女性がまだ10代中盤といった青少年に紅茶を振る舞い、その姿に笑顔を向ける青少年の姿など、苛酷な環境の中のひと時というものが開戦から4年を経てもまだ存在することを描写していたが……笑顔が消えていったNUPとは対照的と言えた。


 しかもNUPの場合はこの頃ともなると劇中でははっきりと皇国を脅威とみなす描写が現れるようになり、我々は勝つために国内の総力を結集するといった言葉も出始める。


 しかし深刻な様子はまるで無く、なおも余裕を保っていた。 

 それはズラリと並んだ兵器の数と、皇国の兵器の予想保有数との対比数字の表記などから理解できる。


 しかもこの数字表記は実際の皇国よりも一定程度盛った数字で、過小評価されたものではない。

 NUP側が様々な情報網を通して分析した当時の皇国からかなり正確な数字に余裕をもたせたもの。


 有無を言わさぬ総力結集の結果、統計的には各種兵器生産量は馬鹿げた数字に至っているのは事実で、それを数値にして表して自国の国力の強さを示していた。


 あの時に見たプロパガンダ映画と、今の世界の実際のNUP国内に相違はないように思う。


 つまり俺がとにかく何が気分が乗らないかというのは、一度裏切りにあえばあの頃と同じ歴史を歩みかねない不安が襲いかかってきているのと、国内の人々が命の削りあいたる戦争の幇助を存分に行いながら一方で無関心を装う姿という双方が好きになれなかったのだ。


 いかな正義面したって、結局国家の内面なんてこんなものだと思い知らされる。

 自分が一番大切なんだ。

 他者がどうなろうと関係ない。


 それでいて経済力も生産力も段違い。


 より手札が多く、手段も多い国が傍若無人な態度であることを許せなかったのだと思う。


 現時点では何もかも間に合ってない。

 彼らの野望を打ち砕く新兵器は量産化に至ってない。


 皇国は間違いなく瀬戸際にいる。

 ここを乗り越えられれば未来の展望が開ける……そんな分水嶺の瀬戸際だ。


 乗り越えねばならない。

 それはもう、技術者や製造者たる労働者達だけでは無理だ。


 どう足掻いてもそこにすべてをひっくり返す兵器はまだないんだから。


 政治力がいる。

 間違いない。 


 当面の間は外交戦でもって勝負することになる。

 いかに相手側の戦力拡充の速度を落とし、こちらの戦力を増強するかを可能とする政治的な力がいる。


 もちろん、皇国政府も西条もみんなそんなことはわかっていた。

 このままだとマズいということは。


 出向く前に渡された資料には、現時点での状況が芳しくないということから今後はNUPの方面へ向けての外交戦に総力を注ぎ込むため、外務大臣の変更をすると記載されていた。


 現状の外務大臣は華僑との問題を片付けて以降、大きな成果は全く出せていないのだ。

 ユーグ方面とNUPにおいてはさほど人脈がない人物。

 一方で華僑の状況が安定化しないため、彼自体が不必要だったかというとそうでもない。


 その役割ももう十分だという評価に至ったのが2601年7月現在というだけである。


 ではその間にユーグやNUP方面においてはこれまでどうしていたかというと……例えば王立国家関係などの所々の関係構築は"吉田"なる駐在王立大使などの力によるものだったりする。


 俺は彼についていまいちよく理解していない。


 本来の未来ならとっくに大使を辞めており、裏でコソコソやって西条政権の転覆にも関与していた人物。


 一方でそれ以前の活動状況をたどると、むしろ華僑には強硬派だったり陸軍側からはそれなりに評価されたりなどしていて……西条本人も彼自体をクビにする気は無かった程度には高い能力を誇る外交官らしい。


 今の世界ではチェンバレン政権との各種交渉や即位式のお膳立てをしており、ユーグ方面においてはもはや外務大臣といって差し支えのない行動をしていたという……


 外交官としての実力があるのは間違いない。

 その一方で思想が読めない。


 殆ど記録が残っていないんだ。


 敗戦の折、彼は皇国が赤く染まった後にウラジミールから危険人物とみなされて即座に処刑されている。

 それも裁判などを通さぬ事実上の暗殺。


 残念ながらウラジミールがどうして危険人物としたかもわかっていない……謎多き人物の一人というのが俺の中での評価である。


 ゆえに、いかにして西条政権の転覆を狙ったのかが見えないのだ。

 しかも政権転覆における関与は極めて薄いとされる。


 こちら側の政敵として単純にみなすことは出来ないが、非常に怖い人物。


 西条も最大限警戒しつつもこれまでは対応してきたが……まあ今のところ彼が妙な行動を起こすようなそぶりは見せていない。


 恐らく未来の情報からして西条は彼を外務大臣にすることはないものと思われる。

 西条はこういう未知数な人間は能力を純粋に評価する一方で遠ざける傾向があるためだ。


 いわば駐王立大使という肩書はベストマッチングと言えなくもないということだ。


 一方で、彼と同じかそれ以上の外交官でも無い限り、現在の局面を打開できうる外務大臣など夢のまた夢という報告は総力戦研究所よりなされていた。


 どういう人材を選ぶのかについては、状況を見守るとしよう。

 今周囲で高笑いしているNUPの外交官達が青ざめるほどの外交能力を持つ人材が国内にはいるはずだ。


 ――そのようなことを考えながらもアルコールが一切含まれない酒を口にして黄昏れていると、ふと気づく。


 さきほどまで照明の明かりが明るすぎて眩しく感じていたのに、何か大きな影が自身を覆っていることに。


 顔を上げると申し訳無さそうな表情をしながら、一人の大男が近づいてきていた。


「――あのう……どうかされたのですか?」


 とても流暢な皇国語だが、一方で顔つきや髪色は完全に東亜人のソレではない姿が視線に入る。

 身長1m90cm以上。


 今回の皇国の選抜チームで最も長身で、皇国の二枚看板として宣伝されていたもう一人のエース。


 国籍を取得する際に須田から名を改め、再び「素多留陽スタルヒン」と名を変えた皇国人ピッチャーである。


 本来の未来だと今時期は病魔に侵されていたが、どうやら未来が変わったらしい。

 国籍を得たことで精神状態が前向きになれたことが要因なのだろうか。


 現地に到着した別働隊から渡された皇国内の新聞では、彼がNUPへ渡るということで旭川より急きょ駆けつけた住民達を含め、巨神のファンなどの多くが声援を送っていたとされる。


 その姿に笑顔で手を振り、航空機へと乗り込む姿が北海道新聞の一面記事となっていた。


 名実ともに皇国人となった彼が今更申し訳無さそうな表情をする原因は俺だろうか?


 思えばこのパーティに参加した陸軍人は俺だけだった。

 中山などは招待枠に入っていなかったのだ。


 肩書が肩書ゆえに参加せざるを得なくなったのだが……背景同然の扱いだったので背景と同化していたのが先程までの自分の状態である。


「いえね……やはり軍人だと様々なものを目にするといろいろと考え込んでしまうこともあるんです。何しろ大国ですし、一時は刃を交えるかもしれないとされたところですから」

「やはり陸軍人というのは厳格で仕事に率直な方が多いのですね。こういった場所でも仕事の一環で物事を見通していることに尊敬します」

「そんなことはないですよ。国力の差を見せつけられて、少々気を落としただけです。気にかけたなら申し訳ない」

「こちらこそ申し訳ないです。なんというか……今の世相で軍人さん達も真剣な状況の中で交流を目的にスポーツをしに来ているなんて……大変な時期なのに」


 恐らくそれは、ナイーブで周囲の声に過敏に反応してしまう生来の性格がそう言わせたのであろう。


 一部では確かに「この状況で野球とは何事か!」――といったような声は軍にも市民にも無くはなかった。


 そういう言葉を直接球場にまでぶつけに来る暇人もいたほどだ。

 だが、俺は彼らに向けてそんなことは思っていない。

 違う。


 むしろ彼らの立場は羨ましく、かつ誇らしくも思っていた。

 この状況下で、やりようによってはNUPに一泡吹かせることができる唯一の立場にいるのが彼らだ。


 バットとボールという、状況によっては危険だがルールの下で厳正に行われるスポーツという平和的な戦いで、彼らはNUPという国に皇国の強さを証明できる唯一無二の立場にいる。


 だから気を落としてほしくなった。

 そんな思いが一気に爆発してしまう。


「それは違うな素多留陽スタルヒン選手。それは違う。貴方方は希望であり、皇国の誇りだ。何を後ろめたいことがある」

「えっ!?」


 突然の言葉に素多留陽スタルヒンはうろたえるが、すでに自身を制御することはできなくなっていた。


「貴方が明日身につけるユニフォームの金糸で刺繍された菊の紋章……あれは伊達や酔狂で施されたものでは決してありません。陛下自らの軍団であることを示すため、その強い想いでもってユニフォームに縫い込むことをお決めになられた、いわば陛下直属の軍勢そのものを表す証です。皇国の軍人は元帥においてですら皇族関係者を除いて軍服にそのような刺繍を施すことは許されていない……きっと様々な人間から批判され、身につけることを憚れることでしょう。勲章という形で菊の紋章を胸に身につけることはあっても、市民がその衣に陛下の想いを染み込ませるようなことはこれまで決してなかった。許されなかった……ですが、此度の交流戦においては、陛下の強い想いから皆さんの左胸にあつらえられたのです」

「………」


 無言で聞き入る彼に向けて、ひたすらに純粋な思いを伝える。


「参加する選手は皆、皇国国籍を持つ皇国人。そして皇国の代表選手。だからこそ国旗を刺繍で描くのは当たり前。そこまでならば誰も驚くことはなかった。自分は初めてユニフォームをその目にした時、驚きと共に純粋に貴方方が羨ましいと思った。あの菊の紋章は皇国という国だけでなく、皇国の王の代わりとしてマウンドに立ってほしいという純粋な想いです。つまりこれは外交戦……戦争です。世界一平和な戦争以外のなにものでもありません。貴方はその戦の場において戦うことを許された数十人の中のさむらいの一人として選ばれた。決して遊びに来ているわけではないことは何よりも陛下が存じているわけです」


 皇国の侍の軍勢が身につけるユニフォームは、事前に応援にも使うかもしれないと上着と帽子だけ手渡されていたのだが、俺は素直に驚愕した。


 本来の未来における今時期の野球ユニフォームと対極的な、ド派手とも言えるような美しい色合いであったからだ。


 基本の色は藍色をベースとした染色。

 藍色というよりかは紺色とも言うほどに染められている。


 これは海に囲まれた島国である皇国のイメージと、皇国人の気質を表すものらしい。


 この周囲には、太陽を表す朱色の染色が所々に施され、胸には皇国が国外から呼称される名称をアルファベット表記している。


 アルファベット部分は赤く刺繍され、その周囲を金糸で縁取られており……ここは燃え盛る太陽の中心を表しているらしい。


 この左胸に燦然さんぜんと輝く2つの紋章。

 その1つが国章で、もう1つが菊の紋章であった。


 その菊の紋章が「十六葉八重表菊」なのである。

 2580年よりパスポートなどに使われ始めた簡略形式の「十六弁一重表菊」ではないのだ。


 とどのつまり、これは皇室旗そのものを表している。

 これまで十六葉八重表菊が市民の被服に施された例など聞いたことがない。


 恐らく様々な想いがあってのことだと思われる。

 批判や否定の目を向けられないようにしたいとか、相手側にこちらの本気度を見せつけたいとか……


 だが何よりも感じるのは、冗談抜きで勝ちに来ているということだ。

 生半可なメンバーで挑んでいるわけではないが、練習試合などというような半端な気概で来ているわけではないということを主張しているのだ。


 陛下が本心ではどう思われているかわからないが、甘っちょろくワイワイがやがやと親睦会のようなことをやりにNUPに来たわけではないというのはユニフォームを見れば一目で分かる。


 それこそ「負けたら不可侵条約を確約してヤクチアや第三帝国との戦いに参戦しろ」――と述べるような勢いすら感じる。


 なにしろ中山から伝え聞いた話では、当初この紋章は帽子のど真ん中に施してほしいと伝えていたことだ。


 さすがに目線より上の位置に身につけるものでは陛下の立場が下となってしまい、そもそもそんな帽子では王冠と変わらぬものとなってしまうと周囲からの反対を受けて胸に移動した経緯があるらしいのだが、その一方で「十六葉八重表菊」とすることは最後まで譲らなかったとされる。


 そもそも陛下は当初からユニフォームのデザインに積極的に関与していたらしく、白一色に「皇国」と描き、その上で縞模様にしようなどと考えていた選抜チーム側に対して、「国そのものを一目見ただけで表す彩りあるものとしてほしい」――と頼み、結果的に鮮やかで見ていて飽きない美しいものへと変貌したらしい。


 そのため上着だけで予算を使い果たしてしまい、アンダーパンツは白一色となったらしいが……きっと背番号と共に名前が刺繍で施されたユニフォームを受け取った時には、目の前にいるエースも喜んだに違いないことは想像に難しくない。


 一方で菊の紋章が消えた帽子は、「J」というアルファベットが大きく描かれ、Jの下部の隙間部分に太陽と国旗を表す日の丸の刺繍が施されていた。


 このアバンギャルドなユニフォームは発表と同時に反響を呼び、各地からもレプリカの販売を所望されたのだが、結局その強い要望に応えて販売がされるという。


 当然にして手が込んでいたためとても高価で簡単に手に入るものではない。

 また、菊の紋章もレプリカには施されていない。


 俺が受け取ったものもレプリカ品。

 あるのは国旗だけ。


 同封された説明書に選手用との違いを解説するために描かれたイラストを見て、初めて事実を知ったが……真の侍だけが身につけることを許された証に様々な感情が湧いた。


素多留陽スタルヒン選手。あなたは本当に今一番羨ましい立場にいる。皇国人としてNUPという大国相手に争うことが許され、そして勝利することで相手側に強力な一太刀浴びせることができる。それも極めて平和的に。これで勝つということは皇国そのものの勝利に他ならない。自分のような一介の技術者には永久に縁がないもの。すべてにおいて勝ると息巻いて、とりあえず多少なりとも試合として形にとなりそうな分野で勝負をしかけてきた国に向けて直接戦えるのは選手の皆さんだけなんです! 何も後ろめたい事なんてない! 私が気を落としているのはこれから自分が皇国に向けて何ができるかを考えた時に不安を感じたからです。決して貴方方に向けての負の感情ではありません。これを見てください。これは何に見えますか?」

「腕時計ですか?」

「そうです。シュビーツの自動巻きでしてね。私がこれまで生きてきた中で最も高い買い物でした。どうしてシュビーツ製なのかというと、それが世界で一番正確な時刻を刻んでくれるからです。私にとって時刻は軍務上とても重要なものなので……素多留陽スタルヒン選手。この時計の中で不要だと思う部品を挙げてください。どれか1つとして不要なものが存在しますか?」


 それは成人した自分に生まれてはじめてご褒美として購入した時計。

 全く着飾るような装飾などなく時計としての機能を突き詰め、ローター式の自動巻きという、時刻を刻む性能だけを突き詰めたもの。


 当時の年収が軽く吹き飛ぶほどの価格だった……思えば随分無理して購入したものだ。


 俺はその時計を腕から外し、彼に手渡す。


「どうですか? 不要なものがありますか?」

「いえ、全く」

「この時計こそが皇国とその国民を表すものだとしたら、今の貴方はこの中でも秒針や分針といった主要な部分そのものの部品であると言えます。何が言いたいのかと言うと、この時計と同じで不要な存在であるなどと、あるわけがありません。私はきっとこの部品の中では辛うじて裏側にあるバネや歯車の立場になれるかどうかではありますが、貴方はその対極にいる。国家にとって国民が不要なことなどありえない。国民の代表者たる貴方は、この時計の部品と同じく何1つ不必要といえない存在。むしろ私としては全力で戦い、その力の様を見せつけてほしいぐらいです。それは貴方にしか出来ないことだ。しっかりと戦えば後に続く者達の道標となります。貴方の活躍は、貴方の後ろにいて今はまだ生まれてもいない……いずれの時か同じマウンドの場に立つであろう次の世代の者達の目標ともなる!」


 気づくと素多留陽スタルヒン選手の目頭からは熱い何かが溢れていた。

 きっと後ろめたい何かを少なくない状態で抱え込んでいたのだろう。


「すみません。男なのにこんな……」

「できればそれは勝利した後にとっていただけると私としてもありがたい。忘れないでください。皇国はいつも貴方と共にあります。なぜなら貴方は皇国の誇る代表選手だからです」

「僕は代表としての自覚に乏しかったかもしれません。ありがとうございます」

「応援してますよ。必ず勝ってください!」

「はい! 陸軍の皆様にも恥じぬよう、精一杯に!」



 それでいい。

 後ろを向く必要性なんて無い。


 これで伝わってくれるといいんだが。

 一部を除き、多くの国民は同じ想いを共有しているはずだ。


 俺は彼らの代弁をしたと同時に自分の思いを吐露したにすぎない。

 彼は立派な皇国人。

 人種が白人というだけだ。


「――あの、よろしければ名前を伺っても?」

「信濃。信濃忠清です。階級は技術中佐。陸軍のしがない技術者ですよ」

「……信濃中佐。きっと中佐にもこの地でやらねばならぬことがあってここにいらっしゃるのだと想います。それが何かはわかりませんが、中佐もがんばってください」


 俺はあえて無言のまま、キッとした正しい姿勢で敬礼でもって返答する。

 その姿を見て見様見真似の敬礼を行った素多留陽スタルヒン選手は静かにその場を去っていった。


 ……正直、返す言葉が見つからなかった。

 俺の場合は俺自身の力ではどうにもならない立場で成果を得なくてはならない。


 もちろん、機会があれば逃さないが……できることは記憶し、活かすことだけ。

 世において主体的に行動して状況を動かせる立場にある人が本当に羨ましい。


 俺の場合は結局開発をしても製造するのは別の人間なわけだし、そもそも戦っているのは飛行士たる陸軍人。


 加賀の時の件は特殊事例。

 いつも見送ることしか出来ない。


 でも、今日確実に死にゆくとわかっている人を送り出すよりも気分がいいのは、たった今見送った人物が誰も死なない戦場に向かう侍だからなのだろう。


 今は待つ。

 その時を。

信濃忠清が見送った人物はプロ野球にて史上初めて「18番」の背番号を身に着けた投手だったが、彼の後々の活躍から、その番号は「エースの背番号」として皇国のプロ野球に定着することとなる。


そして皇国は半世紀以上先の時代においてNUPとは野球の世界大会と戦うこととなるのだが、記念の1度目の大会では決勝戦を見事に勝利し、見事「第一回大会優勝」という栄誉を授かることとなるのだった。


さらにその三年後の二度目の大会においても優勝を飾ることとなるが、その時の決勝戦のマウンドに立ったのは「素多留陽の再来」などとも一部で称された身長196cmの長身の皇国人選手だった。


この時はもう1名のエース級ピッチャーとの二大看板で挑んだことから「2601年の伝説の皇国選抜チームの再来」などとも囁かれた。

チームは投打においてかつてないほどに最強の布陣で、信濃忠清もその姿に今日の日をふと思い出すことになるのである。


その頃には、今日の日の彼らは伝説となっていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] スポーツが世界一平和な戦争って表現は恰好良い [一言] 史実の親善試合(1934)のメンバーggったらアメちゃん本気出し過ぎてて草
[一言] ホント国力があるってすげえわ・・・ しかしこの国の横っ面を殴って本気にさせた皇国ってホント正気じゃないと言われても仕方ないんだよなあ
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