第168話:航空技術者は優れた集団の報告に見入る(後編)
時の首相すら惹きつけるほどの伝産品を全国から集めつくした研究資料によって、総力戦研究所の研究員も同様の理解へと至ったのであろう。
ゆえに可能な限り保護できるよう、統制という名の保護政策を定めている。
一連の伝産品は商標法だけで守られているわけではない。
こちらもA、B、Cに分けているわけだが、伝統産業は基本的に軍需的要素は皆無である。
ゆえに重、軽工業とは異なった分け方がなされた。
A群は外貨獲得が可能で、国外でも需要がある伝産品を生産する企業または組織である。
いわゆる焼物などが中心であり、有田焼などに関連する窯元、そして関連企業などが名を連ねる。
例えば有田焼は碍子や絶縁体などの製造も行っているが、これは一部軍需的要素がある。
しかし伝統工芸に指定されたものは、たとえ軍への納入品があっても軍需関係においての生産についての比重は設けないこととされた。
むしろ外貨獲得可能な分野は、積極的な外貨獲得への努力を命じられる事となる。
国内には電線もあるので碍子などの平行して製造された品の生産量は減らせないが、ようはバランスを取って国外でも評価される美術品としての有田焼も作って良しということだ。
これは本来の未来とは大きく異なる。
本来の未来においては、本年7月より統制番号というのが製品に付与することが義務付けられ、有田焼というのは軍需生産への完全転換を義務付けられた。
何を強いられたかというと、金属製品の代替製品となる配給用として配給された代替生活用品などを無理やり作らされたりなどされたわけだ。
統制番号というのは、どこの窯元がいつ製造したのかを示すもので、窯元が用いる陶磁製品を焼くための燃料やその他が適切に使われたのを示すID番号のようなもの。
焼物に使う燃料も貴重品がゆえ、いつ、どれほどの量を使ったのかを配給にて供給の上で細かく監視し、制限した。
すなわち、本来の未来において「贅沢は敵」「工芸品なぞ無用」とした判断を真正面から背を向けて180度反転し、戦争からやや遠ざかっている地域……
主としてNUPなどへ向けてこれまで通り輸出を行って効率的な外貨獲得手段とし、開戦によって生じた機会的損失を許さずに皇国の伝統工芸品を作れ(守れ)と言っているのが今の世界の皇国の7月の状況であるというわけだ。
まあ金属製品については主としてアルミ製食器などが国内で大量に出回っているからな。
無理して代替品を製造する必要性がない。
当然出回ってるのはみんなNUP製で……レンドリース品である。
一部市民は新聞等で批判されるように「まるで無料だと思って配給時に大量に申請する例がある」――という話だが、あの手この手で手に入れた品を闇市で販売している例は郊外では良く見かけるほどだ。
「配給品に食器はあるが箸が無い」――などと、芸人が面白おかしく文化の差をお笑いネタにする程度で……箸はそこらの竹でも割って自作しろというような風潮が一般市民にはある。
その分の余裕を、こういった外貨獲得可能な伝統産業のキャパシティに割くわけである。
日ごろ贅沢は敵などと述べていた環境の中で何とか伝統産業を遺そうと暗中模索していた窯元らは、今回の提言を聞いたらどういう反応を示すのかとても興味がある。
もちろん「国内向け」ではないというのが建前であり、きっと現場担当者は「諸君らがその手で生み出す伝産品はNUPやユーグなどの資産家が国内への貴重な外貨を獲得し、皇国経済が破綻せしめぬために必要不可欠なものであって、国民の気が緩むような贅沢調度品では断じてない! 諸君らも気を緩めず邁進するように!」――などと述べて正当化するのであろう。
どう考えても国内でも出回るのは目に見えている。
なぜなら「輸出に限定する」――という項目が設けられていないからだ。
国内の資産家も贈答品などのために購入して経済を回すことも意識したのであろう。
特に今は経済インフレが激しい。
こういった通貨の代わりとなる美術品はインフレに対して価値が下がらない。
恐らく総力戦研究所もそれを見越して金の代わりに爆買いする層が結果的に経済をまわすことを理解しているのだ。
さて、このようなA群に対してB群は国外での需要等は殆どないが、生活用品等として従来まで国内で流通して評価されてきた伝統産業品を生産する企業または組織とされている。
どういうものかというと……熊野筆、行田足袋、南部鉄器、播州毛鉤などがこれにあたる。
一連の製品は国内では高く評価される一方、国外での輸出実績はきわめて微小か皆無である。
足袋はまだしも、他のものは生活必需品とまでは言えない。
例えば、熊野筆については本年より学校の授業に習字が必須教科として取り入れられたために各地での販売が大変に盛況であるが、国外に目を向けると漢字圏を中心に少数が輸出販売されるのみでユーグやNUPでは弱い。
南部鉄器は意外にも華僑への輸出実績があるが、A群に入るほどの外貨を獲得できているわけでもない。
播州毛鉤は河川でのいわゆる川釣り等における釣果が大きく左右されるため、関西地方を中心に大量に出回っており大変に需要もあるが、関西以東ではその名を知る者が少なく国外でも認知度は低い。
これらは必需品とまでは言わないまでも国内での需要は相当にしてあるが、近年の戦時下体制では一部の市民から贅沢品とみなされ、生産者に心無い誹謗中傷がぶつけられることがあった。
このB群に関しては一級調度品として生産を公に認め、輸出関連事業の開拓を国や道府県をあげて目指すことで一致。
入手性を向上させるため、配給所を通した取り寄せ購入をも可能とする。
公営の配給所を活用することで真正品を入手できるような仕組みを作り、認知度を向上させるというわけだ。
また、粗悪品の無駄買いをなくさせて市民生活の悪化を防ごうというのだ。
より品質の高い調度品を国が積極的に広報して需要者拡大を狙いたいわけである。
それだけの生産力もある品々と生産者達がB群に並んでおり、今後も国内で引き続き生き残るであろうと見越してのことだ。
心無い誹謗中傷も「外貨獲得をも画策した伝統産業品である! 諸君らが広く活用して認知度を国外にまで伸ばすことで、ひいては皇国経済の活性化にも繋がるのだ!」――といって押し切るのであろう。
……贅沢は敵だとは一体……いや、粗悪品が出回って市民感情が悪化するよりかはいいのか?
こういう関連は特に西条が強く推奨していそうだ。
市民生活の向上が何よりも戦争における戦闘継続力に繋がるといって、出張などあれば現地でゴミ箱を漁る人間だからな……
ちゃっかりレンドリース法をフル活用して本年度から「学校給食」なるよくわからないものをはじめたりしていたのを俺は知っている。
児童の栄養状態を健康に保つことが、富国強兵に繋がるというのは正論である。
しかし皇国中の国民学校生徒を中心に、全ての学校及び児童へ向けて昼食を配給するというのは思い切ったことをやるものだ。(昼食どころか生活困窮者には夕食分すら配布していると聞く)
全国の学校から配給願いが嘆願されてたとはいえ、決して負担は軽くない。
それでも可能な限りやるというのが、西条英樹という男なのである。
……レンドリースの支援物資における穀物が小麦や大麦ばかりで、うどんなどの麺類やパン食ばかりになって一部では不満もあるらしいが、ともすると皇国人の食生活そのものに変化が生じるかもしれないな。
ともかく、レンドリース法でできた余裕は各所に相応に影響し、伝統産業品にも影響が及んでいるということだ。
最後にC群だが、C群は国内需要が不明確……または生活必需品でないものを言う。
一部の、生産効率をどうしても向上させることが難しい染色品や織物だけでなく、雛人形や達磨がそれにあたる。
神具類もここに含まれる。
リスト内には「さるぼぼ」などの記述もあった。
こういった製品……特に達磨などといった置物系なんかは実は戦時中も生産が続けられていたのはあまり知られていない。
達磨なんかは大量消費する時期が一定なので作り置きができるためだ。
雛人形もそう。
ゆえに戦地に向かわなかった女性達を中心に彼女らが副業として製造し、それなりの数を一定の時期において集中的に供給して収益を得ていたわけである。
東京にも「東京だるま」なる、群馬にて有名な「高崎だるま」と顔が良く似たものがあるのだが……これも2605年まで販売が続けられていたという恐るべき事実があるのだ。
大空襲のあった、あの東京で普通に生産が続けられていたのである。
達磨の生産に必要な木型は、その多くが厳重に保管されていたために生産継続可能であったらしく……また、原材料も古新聞などを流用することができたためであった。
魔除け、願掛けの神具でもある達磨は、ヤクチアによって赤く染まるその日まで作られ続ける。
結局は魔除けの効力は発揮することはなかったが、それでも願掛けの置物もとい玩具などとして需要があるのは間違いない。
贅沢は敵だとしても、こういう分野にまで制限が加わることは無かった。
他方、本来の未来において制限ではなく保護が働いていた分野がこのC群にはある。
それが皇国人形だ。
雛人形や五月人形を含め、多くの人形については「技術保護指定」がなされていたのを知る者は果たしてどれほどいるだろう。
製造技術に関して継承が極めて難しいこういった工芸品は、実は技術保護の対象として製造などに制限が加わってなかったのだ。
つまり、今やっている伝産品の保護というのは……本来の未来でも小規模にやったことを大規模に拡張してやっているに過ぎない。
そしてその「技術保護」を声高に訴えたのが、他でもない本来の未来における西条と……その背後におられるであろう御方なのは間違いなかった。
今回の総力戦研究においても重視される政策は、いわばどの世界においても少なからずあった伝統を重んじる心でもって、現在の世界情勢に合わせて最大限に守り抜こうとするもの。
あの頃において技術保護指定をできた分野は数少ない。
今ならそれを引っくり返せるかもしれないのだからやってみようと、そういうわけだ。
もちろんそのためのしわ寄せは各所にも及んでいるわけだが、総力戦研究所はNUP式の大規模農家の生産手法なども真似て工業力に余裕を生じさせようとしているようだ。
だがここに関して総力戦研究所の提言は甘い。
農業関係で生産効率を向上させるためには、絶対に「アレ」が必要となる。
そういった所まで踏み込んだ記述はなく、トラクター等による機械化が漠然と記述されるだけ……
トラクターだけではだめだ。
もっとすごいものがある。
稲作の完全機械化を達成しうるものが。
それを可能とすれば、工業力を支える人員を農家から少なからず捻出することが出来るほどに効率化をなし得るものが。
近いうちに計画を立てねばならないかもしれない。
ここまでやるなら、例え数年以内での生産力向上が適わぬとしても「アレ」を導入すべきだ。
戻ったら提案してみよう。
農業分野に対する提言のツメが甘い一方、インフラ関係の整備においては工業分野と並ぶほどの踏み込んだ提言が行われていた。
なんと彼らは「新省庁の設立願」すら提言内で行っている。
今回の提言は概ね了承して実行に移すという話だから、本当に新設される可能性が極めて高いが……一体何をしようかというと、「鉄道省の解体」と「それに伴う国土建設と運輸分野における総合的な整備・管理・運営を行う新省庁の設立」であった。
名称は「仮称:国土運輸省または国土整備運輸省」などと記述される。
恐らくこれは高速鉄道建設と道路整備の双方において道府県や市区町村で混乱をきたし、主要国道以外の整備が進まない状況を改善する目的と、鉄道関連において慢性的な機関車不足等が生じて輸送効率が悪化していることへの是正のためだ。
こと高速鉄道に関しては一部の陸軍人は「ただの夢物語」などと語って進行速度を嘲笑うかのごとく見守る者もいたが、多くの若者で構成された総力戦研究所は「現実のものとする」ための適切な手段を用意しようというわけである。
また、調布空港の拡張事業など、空港整備関連での円滑化も行いたいのだと思われる。
正直国土運輸省は語呂合わせが悪いので、どうせなら「国土交通省」とでもすべきだとは思うが、運輸事業については従来の鉄道だけではなく陸海空全てに関与するもので、これらにあわせて国土建設……すなわちダムや堤防といった皇国の公共事業についても一括で管理する組織とする所存らしい。
こと鉄道建設において新規路線を開拓しようものなら手続きが煩雑で大手私鉄以外は実行力に疑問符がつくことは常日頃ジレンマとして生じていた。
こういった各所での手続きを国土交通省で一元化管理することで、早急なインフラ整備を行おうというのだ。
合わせて道府県、市区町村の道路整備関係などの権限の多くを委譲させ、いちいち承認を経ずに必要とあらば一旦国道として整備の上で市道として譲渡するような仕組み作りを行うらしい。
恐らく譲渡せずに市道や県道の国道格上げすら画策していると思われる。
総力戦研究所は「道を作るのは国」という認識で一致していた。
この信じられないほど権限の大きく大きな母体をもつ組織自体は、鉄道省を事実上拡張する形で新たに新設する。
初代大臣については長島鉄道大臣がすでに手を上げているらしく……俺は鉄道省以上の組織運営が果たして彼にできるのか多少の疑問も無くはないのだが、就任すれば今後は次期首相としての能力が本当にあるのかを見定める試金石として、その活動実績が評価されることになろう。
個人的には元南集鉄道の理事をされていた十河氏の方が適任ではないかと思うが……長島大臣が首相となった際には彼を新大臣として推薦したいと思う。
まあ現状だと集の事変において積極的だった彼は西条からすると気に入らない人物かもしれないな。
しかし本当に踏み込んだ内容だ。
記述が事実ならば、総力戦研究所は省庁間の垣根を飛び越えた組織すら作る所存であるらしい。
例えば空港運営においては、その運営関係の管理は従来まで商工省管轄であった。
一方で空港整備を行うとなると今後は国土運輸……国土交通省と名づけたい組織が中心に行われることとなる。
この非効率な縦割り行政の壁を突き破るため、新たに「航空運営委員会」を設立。
この航空運営委員会は商工省と国土交通省と名づけたい組織双方の下部組織としており、空港整備の承認権限は国土交通省に預けつつも、整備後の空港運営……空港拡張の提言やその他整備事業においてはこの航空運営委員会が行うこととされた。
つまり運営関係の商工省からの提言を国土交通省で即座に承認できるような組織を新設するというわけである。
ようは新省庁は承認だけして、実態としての整備関係の検討などは航空運営委員会が執り行うようにするのであろう。
同様の組織は鉄道関係でも設けられ、元々商工省は鉄道省ともとても仲が良かったのだが、その仲を組織的に繋げてしまうようだ。
しかも鉄道整備関係は市区町村から権限を委譲してもらうため、従来まで北九州地域などで顕著に存在した市区町村と私鉄の対立などもすり減らしてインフラ整備を行えるようにするようだ。
来年に誕生する西鐵と後の未来で誕生する北九州市の仲が極めて良くないのは俺でも知っていることではあるが、一連の組織が誕生すれば北九州市が行える事は「周辺道路事情と路面鉄道の関係が実情にそぐわないので高架化及び一般鉄道化してほしい」といった提言が出来るかどうかな程度で、そうしろと強制は出来なくなる。
逆に鉄道側が高架化工事を行おうとすることに対して承認を妨害したりするような事も出来ない。
貧弱極まりない鉄道事業におけるインフラ強化を行う上ではより素早い整備が可能となる見込みだ。
といっても、際限のない鉄道の新設となって廃線が相次ぐような事にもならないようコントロールが必要となりそうだが……そこは俺が知る限りの情報を提供して最小限となるよう提案してみよう。
我田引鉄を防ぐ絶対的な仕組みも必要だな。
だとしても、国土整備と運輸双方を一括管理できる組織の誕生は望ましいばかり。
そうさ……別に俺なんていなくとも、この国には実行力のある力をもった集団がいるんだ。
だから諦められなかったんだ。
この国そのものを。