―皇国戦記260X―:8話:新戦力による圧伏2/4
これまでに多くの大戦中における海軍の動向等を記した解説を執筆してきた私だが、自らが軍務として関与した過去を記すという、いわゆる自叙伝というものを書くのは今回が初めての経験である。
大艦巨砲主義が崩壊したばかりか我々が青々と生きていた時代における小型艦が主戦力となりつつある今、花形の戦艦や巡洋艦に終止符を打ったとされる存在に乗船し、そればかりか現代戦闘の模索を戦中時点で行ってきた立場としては、いつかは語るべきことを理解していた。
我々が一体、あの時何をしていたのか。
これまでそれとなくでしか触れてこなかったことを、より深く掘り下げて語るとしよう。
◇
海軍史において戦中の各々の作戦展開と艦種の変化については、こう総括されている。
――当時の皇国海軍はまさに混沌にまみれている。――
――大艦巨砲主義と航空主兵論のぶつかりあいは、もはや矛盾ともいえる行動を内々に示した。――
これは大和級を建造する傍ら、全く新しい戦力として駆逐艦を生まれ変わらせ、機動部隊の一翼として華々しい戦果を挙げる一方で、頭の御堅い連中による艦隊戦のための作戦行動を強行する姿を軍全体像として捉えて示したものだ。
これまで私は自著内にて何度も繰り返し述べたように、当時の海軍は戦中にもかかわらず、ある時期よりもはや内部抗争とも言えるような事態が生じてしまっていた。
航空主兵論を掲げて軍の近代化を加速する宮本司令は、大変恐縮ながら最終的に彼らをまとめあげることが出来なかった。
だが、思うに私はこの主たる原因は自分自身を含めた特定の者達にあると思っている。
我々は少々暴れすぎたのだ。
あの時代、砲撃戦が最後となるかもしれないと覚悟していた砲術士は少なからずいた。
かくいう私もその一人なのだが……
よもや駆逐艦が多数で連携することで、大型艦を次々に葬り去るということを予測できていた者はどれほどいるだろうか。
圧倒的機動性の裏で犠牲になった装甲を戦術で補えるようになった時、戦艦や巡洋艦と駆逐艦の立場は逆転した。
我々の活躍により、諸外国はもとより海軍も大きな衝撃を受けてしまった。
大量の建造費と運用諸経費が生じる大型艦が、ちょっとした新兵器を搭載した駆逐艦の後手に回ったのだ。
結果的に、そのことは敵味方関係なく萎縮させ、戦艦と巡洋艦は世界中から見捨てられることとなる。
今日の皇国海軍における砲撃戦を可能とする艦種から戦艦・巡洋艦を葬り去り、駆逐艦のみとしてしまったのは……
戦中において「航空駆逐艦」などと称された、艦載ヘリ搭載型駆逐艦の戦績が多分に影響している。
そして私は他の作家や歴史研究者らが語るように、終戦までの間、最も多くの時間を一連の「航空駆逐艦」にて過ごした。
皇暦2601年7月9日。
それまで長門の高角・機銃分隊長だった私に転属命令が下る。
新たな赴任先はなんと……駆逐艦だった。
通常の人事ならば間違いなくありえないこと。
砲術士として重巡洋艦などから転属を繰り返し、当時の連合艦隊旗艦であった長門の分隊長ともなっていた人間が突如駆逐艦への転属を命じられるなど……通常は左遷と判断すべき状況である。
懲罰人事というやつだ。
当時の長門は自らの速力が諸外国の戦闘艦より1歩劣ることから、度重なる戦闘で後塵を拝していた。
特に長門は機動艦隊護衛の任につきながらも、現在では大敗だったと判断される第一次北海海戦にて大苦戦。
空母機動艦隊は何とか撃沈こそ免れたものの大打撃を受け、護衛任務は大失敗に終わる。
実は長門、この時に多数飛来してきた第三帝国の爆撃機を全く撃ち落せなかったのだ。
当時高角砲と機銃の分隊長であった私は当然大変な責任を感じており、左遷の理由もこれであることは明らかであると考えていた。
もちろん、甘んじて受け入れるつもりでもあった。
しかし実のところそれは全くの誤解で、私が転属となったのは当時の軍令部に大変な興味を抱いていただけた「防空に関する研究論文」や「新型戦闘機と砲術艦の相互運用についての研究論文」などに起因するものであった。
転属先は地中海を中心に活動を行う予定で新たに設置した方面艦隊である「第八方面艦隊」所属の「第七航空戦隊」所属艦。
中でも、後の世において武勲艦に名を連ね、その武勲から未来においてネームシップにすらなる存在が着任先だった。
そう、幾度となく映像作品化された、あの「陽炎型駆逐艦 第14番艦 谷風」である。
ここで第七航空戦隊について改めて説明しよう。
第七航空戦隊とは、宮本司令による発案で2601年6月に新設された部隊である。
この第七航空戦隊、なによりも特筆すべきは「一隻たりとも空母が存在しない」という異様な編成だ。
しかもさらに言えば編成艦がすべて駆逐艦という、正気を疑うような編成内容となっている。
一応、当時の航空戦隊というのは駆逐艦も所属してはいた。
だが、もちろんそれは護衛艦という立場であり、航空部隊を運用する空母を筆頭に編成されていたものである。
少なくともそれまでは第一~第五まではきちんとした空母が所属しており、それらとは別に護衛艦も配属されるというような状態だった。
だが、あるモノを搭載することで機動部隊の運用が可能であると判断した宮本司令は、あろうことか駆逐艦のみによる編成で航空戦隊を組織したのだ。
彼がそこまでの決断に至った理由は、皇国の新型航空機の性能によるものだった。
陸軍を中心に開発したるそれは、開発が終了する前の段階で性能諸元が従来までの航空機と別次元ともいえる領域に達しており……
宮本司令は開発者の素性から、確実に諸元通りの機体となることを確信の上、急遽竣工直前の谷風の改修を命じたのである。
他にも神風型駆逐艦の1番艦である「神風」や、白露型駆逐艦の9番艦「江風」、吹雪型の11番艦「綾波」といった異なる艦種の駆逐艦も改修を命じ、それぞれ第七航空戦隊に所属させた。
異なる艦種とした理由は最適にヘリを運用できる駆逐艦の形態を確かめたかったためであり、実運用で統一した艦種としないのはむしろ運用効率が低下するリスクを孕む。
だが、あえてそうすることで将来の戦闘艦というものをすでに見据えていたというのが驚くべきことながら事実なのである。
すでに前述の4隻は6月までに改修が終了。
最も遅れたのは6月下旬まで改修作業が行われた谷風であった。
そんな私は7月上旬の段階で呉へと回航された谷風に転属の上で乗艦。
以降4年以上の期間をこの谷風にて過ごすこととなる。
当時は副長としての着任であった。
この時の艦長は現在において大戦中最高峰の操鑑技術を持つと言われる中瀬大佐だった。
今でこそ海軍最高峰の操鑑技術を誇ると称されるが……当時の中瀬氏は事務方の人間。
艦長経験はわずか1年しかなく、海軍省のお役人という見方が強かった。
おまけにしばらく外洋航海に出ておらず、相当なブランクを抱えていた。
この人事、当時の内情を完全に理解する者以外は適当な人材を新兵器搭載の駆逐艦に閑職同然であてがって運用しようとしていたようにしか見えない。
事実、同期の友人達はその多くがこちらの境遇に同情していた。
だが、真にその人物の能力を知る者ならば「これ以上の人選などありえたであろうか?」――という最適解となっている。
もちろん、後の歴史を知る読者の方々はそれがよくお分かりであろう。
我々はその史実がドラマや映画化されるほどのものであったのだから、いうまでもない。
中瀬大佐は当時の四航戦司令官が作成した現代の海軍でも重用される「爆撃回避法」というマニュアルを愛読し、その内容を熟知していた。
そしてマニュアルに従った実戦運用すら可能としていた。
この「爆撃回避方法」というのがまさに私が研究論文で示した「最新鋭戦闘機に対する防空は困難を極める」という内容に対する回答の1つであり、彼を艦長に据え置いたのも副長の立場として彼から答えを見出せという宮本司令の計らいであったものと推察される。
同時に、この人選は宮本司令による手腕が存分に発揮されたものであった。
あえて表向きは不適格と思われる人材をあてがうことで、艦隊派は積極的な妨害活動を行うことはせず、運用に支障をきたす可能性が減る。
大佐は海軍省所属の人間だったため、上とのやりとりは極めて円滑で宮本司令の翼となってくれる一方、艦隊派による出る杭は打つとばかりに内部の人間に口添えして組織崩壊に至らせるような行動を抑制させた。
結果的に艦隊派の者達が行動を開始しようとした時、すでに大佐は谷風の乗員の心を良い意味で掌握しており、一切の妨害活動は無意味であった。
これは宮本司令の手腕の高さを証明するに足る揺るぎない事実であろう。
高年齢+経験不足という先入観でもって高みの見物を決め込んだ者達は、最終的に戦艦や巡洋艦ごと葬られるか……あるいは私のような立場となって駆逐艦に転属されるかを選ぶ定めが待ち受けている。
予想通りほとんどの者が退役してしまったが……一連の行動に対する世間の風当たりは強く、冷たい視線に肩身の狭い思いをすることになるのだ。
ただ、この時点でさまざまな所から冷たい視線を向けられていたのは他でもない私たちであったのは言うまでもない。
だが徐々に機運は訪れる。
全てのはじまりは皇暦2601年9月25日だった。
呉を出航してから2ヶ月近くをかけてスエズへと辿り着いた我々は、9月中旬よりとある新兵器を受領するため、ポートサイドで待機していた。
その日は晴天。
風も無く、ジリジリとした熱が周囲を漂っていた。
現地時間で午前11時を回った頃、ついに新兵器が到着するとのことで艦長命令により我々は後部デッキへと集合する。
この場所には本来掃海具や爆雷発射機などが設置されていたが、一連の機器の代わりに風変わりな、後の時代にて「ヘリポート」などとも称される小さな小さな飛行甲板が設けられていた。
後部へと集まった大勢の乗員は、その時を待ちわびる。
私は艦長のすぐ隣で静かに新兵器に胸を躍らせながら待機し続けていた。
「副長。君は横須賀へは行かなかったんだったかな?」
「え? ええ、私は長門から下船してすぐに呉へと向かうこととなっておりましたので」
「そうか……ではアレを見てはいないのか」
アレとは何か。
言うまでも無くヘリコプターである。
どうやら艦長はすでにソレを見ていたらしく、興奮している様子など一切なく、あくまで淡々とした様子で飛翔してくるのを待ち構えている様子だった。
「千早くん。腰を抜かすなよ。多分相当にいろいろもってくるだろうから」
「相当に? 相当にとはなんなんです?」
「見ればわかる。あえて事前に詳細を語ることはしないでおこう。期待を裏切ることはないということは伝えておこうか」
「艦長がおっしゃられるなら、間違いないのでしょうね」
この時点での私は、ヘリコプターというものが何なのか、いまひとつわかっていない。
というのも、長門は殆どが外洋航海による作戦活動が中心で、かつ補給場所も加賀や赤城といった空母とは異なっていた。
当時ヘリを搭載していた艦は唯一加賀のみだったが、加賀が王立国家内で待機命令を受けた上であれこれしていた状況を目撃する機会は一切無かったのだ。
しかも私は長門から下船してそのまま本土へと帰還をしなければならなかった。
ゆえに各地の新聞で賑わせていた新兵器について全く外観も認知していなかったのだ。
おそらく一度でもロンドン周辺で新聞か雑誌を購入すれば、どんな外見をしているかどわかったはずなのだが……
谷風に乗船していた航海長なども全くソレを知らなかった様子から、どういうものなのかについて知る機会は限られていたと思われる。
◇
さて、後部甲板で待った時間はどれほどだろう。
あの日、あの時ほど時間の経過を遅く感じたことはない。
おそらく20分もしなかったであろうとは思う。
しばらくすると陸地のほうから現代の人間が聴くよりもよほどすさまじい"バタバタ"といった音が聞こえてきた。
この当時のローターはまだ完成度が低く、ヘリはある程度の距離からその接近を察知できたのだ。
音は次第に大きくなり、その音量から私は相当な大型機なのではないかと考えた。
しかし遠くに見えるシルエットはまるでそうではない。
小さい。
小さいのだ。
冷静に考えれば駆逐艦の後部に設けられた小さな甲板に着陸するのだ。
大きいはずがない。
だが周囲にこだまするローター音から尋常ならざる航空機であるということは、私を含めた多くの乗員も感じたのであろう。
先ほどまで耳の横を通り抜けていた雑談による雑音はいつの間にか聞こえなくなった。
そしてヘリコプターは思った以上に速い速度で我々の目の前に現れる。
「な、なんだあれは!?」
「は……はあ!?」
「魚雷だ! 魚雷を抱えてやがる!」
「一本じゃない……一本じゃないぞ!?」
目の良い船乗りは、すぐさまそのヘリコプターの異様な容姿に気づく。
彼らよりしばらくした後にその姿を私も目にしたが……遠目でもはっきり見えたのは航空魚雷を複数抱えながら飛翔する見たことのない航空機の姿。
一切の翼の無い航空機があろうことか飛んでいるのである。
一体何を見せられているのか……一体何が飛んできたのか……現実感の喪失が一気に私の全身に襲い掛かる。
驚いた私はすぐさま艦長へと目を向けると、艦長はニヤリとした表情で状況を見守っている。
どうやら艦長は1度以上はこの姿を見ている様子であり、あえて周囲を驚かせるために多くを語らなかったようだ。
そして私はようやくこの新鋭機種の航空機というものの恐ろしさに気づく。
私は当初、甲板に着陸するためのなんらかの装置を身に付けた一般的な航空機なのだと思っていた。
従来までの水上機とは違い、非常に先進的で発展的な着陸装置を備えた航空機が、駆逐艦の小さな後部飛行甲板に着陸するのだと。
完全に想像力が足りていなかった。
天才の発想は遥か上に行く。
あろうことか航空機が垂直離陸し、垂直着陸できるなどと……この時代の誰が想像できようか。
ましてや生粋の船乗りがそんなものをいかに空想できようか……
しかし、しかしだ。
現実に今、まさに眼前にソレは存在するのである。
途端に私は艦長が先ほど述べた"相当なもの"という実感が湧いてきた。
言葉にはできないありとあらゆる何かを、相当分持ち込んできている。
そんなヘリコプターは高速で谷風上空に到達すると空中で静止し、ゆっくりと降下をしはじめた。
次第に近づくにつれ、後部甲板にローターによって生じた強風が襲い掛かる。
後部甲板は、まるで嵐に見舞われたかのような状態となった。
その時になってようやく谷風艦長である中瀬大佐が口を開く。
「諸君……よく見ておけっ! 真の新兵器とはこういうものだ! 昨日まで存在しなかった常識を、今日現実のものとする。昨日までの非現実をひっくり返して今日実現する…………これが我が国の最新鋭にして最高峰の航空機、ヘリコプターというものだッ!」
強風の中でもはっきりと聞こえる声量。
誰もが艦長の言葉を胸に刻み込んだ事だろう。
宮本司令がなぜここまで無理をして谷風の改修を命じたのかよくわかる。
駆逐艦に重爆級の積載量を誇る航空機を搭載できるなどとわかれば……あの方ならやるであろう。
「うおっ!」
「ぬっ!」
ギシッという音と共に小さな飛行甲板にヘリコプターが着陸した時、私も確かに谷風がその重さで後部が少しばかり沈み込むのを感じた。
多くの乗員も沈む挙動に気づいて姿勢を崩さないよう整えようとする。
こうなるのも当然である。
800kgもある航空魚雷を3本も積載した状態で着陸しているのだ。
単純にそれだけでも2.4tもあるのに、さらに航空機自体の重量もあるはず。
総計約4tもの重量が後部に一気に圧し掛かったのだ。
谷風自体は後部にそのような重量物が乗っかっても大丈夫なように各部を補強しているが、だとしても重さに耐えられず艦が沈み込むのは防げない。
「やり直すことなく1度で着陸したか……いい練度だ。優秀な乗組員が新たに加わってくれるようだな」
この時点での私は知らぬことだが、ヘリコプターの操縦はきわめて難しい。
艦長がふと漏らした感想は、素直にそのときの心情を漏らしたものだが……
中瀬大佐がそれらも理解の上で艦長としての任についているということを私が理解できるのは、もう少し後となってからである。
この時点ではあくまで一連の発言について気にかけてなどいなかった。
◇
「七航戦谷風回転翼飛行隊所属、若狭健中尉! 本日より着任致します!」
「同じく谷風回転翼飛行隊に配属された井上准尉と申します!」
「うむ? どこかで見たことがある顔だな……?」
「私も井上も以前は五航戦に所属しておりました! 回転翼機の飛行士として見出され配置転換となりましたが、1年ほど前は九七艦攻で日々訓練を重ねておりました! 後ほど合流する飛行士達も皆同じ部隊の者です!」
「そうかそうか、雷撃の経験は?」
「みな実戦で経験済みです。戦果に関しましては……まだ出せてはおりませんが」
「いや、非常に頼もしい。雷撃可能な要員を軍令部に求めていたんだが最高の人材をこちらにまわしてくれたようだ。若狭中尉、井上准尉。ようこそ……航空駆逐艦へ」
新たに着任した両名の飛行士が返答に若干の間を置いたのも無理はなかった。
聞きなれない言葉に驚き戸惑ったのだ。
航空駆逐艦。
後に大佐より聞かされるが、この「航空駆逐艦」というのは大佐が一番最初に考えた言葉であり、当時は正式に存在した艦種ではない。
だが語呂も悪くないこの名前はすぐさま他の七航戦の艦にも浸透し、その後の活躍から本艦隊を含めた第七航空戦隊所属艦は正式に「航空駆逐艦」という種別があてがわれることになるのだが…将来的には再び消える艦種でもある。
なぜ消えたかというのは以前にご説明した通り。
谷風を含めた、この時の駆逐艦の装備構成が世界標準となったことで「航空」の文字が不要となったのだ。
依然として艦載機を搭載しない駆逐艦も存在しないわけではないが、艦載機を搭載した駆逐艦というのもまた1つの標準として定着したたため、「航空」の文字の必要性は薄れたのである。
いわば谷風は「現代艦」という領域に一歩足を踏み入れた存在だったわけだ。
私はこの「ようこそ航空駆逐艦へ」――という艦長の言葉が今でも忘れられない。
その時を境に、谷風は現代艦として生まれ変わったのである。
中瀬大佐はすでにそのことに気づかれておられたわけだ。