番外編16.5:決断の影響
陸軍が全国各地へ向けて通達を出して数日のうちに、各地では様々な出来事が起こっていた。
例えば、ある大農家では……
「父さん。父さん、是非聞いていただきたいことが!」
「……なんだ。まさか軍へ今一度志願したいなどと言うのではなかろうな?」
「その……」
「あの時お前は私にこう言ったはずだ。飛行士になれなかった時は家業を継ぐと……言っておくがお前は長男なんだぞ? 今日までに手塩にかけて育ててやったというのに、まだ夢物語を語るというのか?」
「た、確かに私はあの時約束を交わし、その上で身体検査にて落第して実家に戻ってまいりました……ですが問題だったのは視力だけで試験自体は合格だったんです! なので今一度!」
「男と男が交わした約束を、親と子が交わした約束を反故にするっていうのか! お前は!」
家中に響き渡る怒鳴り声に周囲の者は一切加勢しない。
母親すらも耳を塞いで見ぬフリをする。
この時代において、まだ人生選択の自由はそこまで保障されてなどいなかった。
しかし父親はあくまで家業を継ぐのを強制させたいわけではない。
甘美な条件緩和に惑わされて息子の覚悟が不完全なものではないかと見定めていた。
芯が強く、一度決めたら譲らないのは自分譲りなのは理解している。
しかし今一度不合格となった時、果たして諦めてその後を生きていけるのか。
条件緩和は諸刃の剣。
緩和された条件ですら認められなかったということは人間否定にも直結されかねない。
自身を黄泉へと追いやるに足るだけの決定力がある。
空に染まりすぎた可愛い我が子が、よもや自殺などしてしまってはたまったものではない。
半端な覚悟で向かわせるわけにはいかなかったのだ。
「確かに私はあの時に約束しました。飛行士となることが出来なかった時は実家に戻って家業を継ぐと。ですが、再び機会を与えられた以上、今一度可能性があるならば飛行士となることが再び出来るようになったと解すべきです!」
「そんなふざけた覚悟で認めると思うのか!」
「認めぬというならば勘当していただいて構いません! 今日は私の意思を表明しに参っただけです! あの時も仕送りなどは一切求めていなかったように、自助努力のみで挑戦します!」
「それで今度もなれなかった時はどうするつもりだ」
「飛行士となるまで挑戦し続けるまで。視力条件の更なる緩和の可能性は示唆されています。挑み続けるだけです。飛行士となるその日まで。もちろん、実家にご迷惑とならないよう努めます。止めるというなら二度と飛行機に乗れぬよう腕を切るのも目を抉るのも好きにしていただきたい。無論、私はその行動を振り払ってでも向かう所存です」
目力だけで理解できた。
息子は本気である。
誰が止めても向かうのは明らかであろう。
そして、ちょっとやそっと叩かれた程度では潰れぬ男であることはよく存じていたが、さらにその精神には磨きがかかっていた。
「いいだろう。そこまで言うならば行って来い。飛行士となるまで二度とこの家の敷居をまたぐことは許さん! とっとと出て行け!」
「……父さん……」
「私は飛行士以外の人間と話し合う事などもう無い! 好きにしろ!」
「……愚息に温情をかけていただきありがとうございます。必ずや吉報をお持ちいたしますので!」
本当は誰よりも応援したい立場だったが、世間からの目や周囲への威厳を保つためにそれが出来ぬ自分に心の中では応援しつつも、表向きはあくまで勘当同然で追い出したことにした父親だったが、言葉の選び方によって周囲にはそれとなく応援していることが伝わっていた。
数年後、"再び戻ってきた息子は父に暖かく迎えられることとなる"。
不器用な民族と不器用な人間達。
それがこの国の良さだという者も多いが、直接伝えぬ愛もまた存在するのである。
一方で直接伝える愛というものも存在した。
ある裕福の家庭では……
「――母さん」
「敏夫さん……どうされたのですか?」
「私の人生に課された使命というものが理解できました」
「まあ。それはすばらしいことです。もしかして……今もラヂオで話題になっているお話なのでしょうか」
ややとぼけたように表現しているが、息子が何を目指そうと奮起しているのかは母として理解している。
誰よりもやさしく、誰よりも正義感が強く、誰よりも人のためになりたいと考え……
そしてそれが足を引っ張って職につけずにいた青年が、ようやく己の道を見つけたことを心より祝福したいと考えていた。
やさしすぎる性格に対して弱い視力がゆえ、中々に表世界になじめずにいた息子が始めて自らの足で立ち上がろうとしている姿に安堵すらしている。
「ええ。そうです。これまで大変ご迷惑をおかけしました。大学を卒業しながら定職に就けず、文学者を目指すなどして迷走してきた中でずっと応援してくださって感謝しています」
「……俊夫さん、飛行士は貴方の夢なのですか?」
「夢ではありませんが、やりたいこと……やるべきことであると理解しております」
「詩人となるのは貴方の夢ではなかったのですか?」
「小説も詩も……才能がまるで無いことは理解しておりました。私はただ、人前で恥ずかしくない肩書きが欲しかっただけなのです」
「俊夫さん。飛行士になろうとする人達は、きっと大変な心持ちで目指すことでしょう。まさかとは思いますが、落第してしまった時に同じような言い訳をするつもりはありませんよね?」
「母さん。私は絶対に合格します。何が何でも。これほどに名誉な仕事はありません」
「人を助けるだけの仕事ではないかもしれませんよ。新聞にもそう書いてありました。多くの兵隊さんを戦地に運ぶ仕事だと……それは人助けではなく、人殺しの幇助であるかもしれません。それでも貴方は任務をこなす覚悟がおありですか?」
「はい。それ以上に人を助ける仕事が出来るならば本望です。いつか戦が終わり、世界が平和になった頃には……兵隊を運ぶ仕事は無くなって人助けのためだけに飛ぶことが出来るようになりましょう。私はそうなる前から飛行士として活動したいと思います。二つの面を見て己を戒めつつ命の大切さを問いながら、多くの命を紡ぎたいのです」
考えにやや甘さが残ると理解しつつも、母親は背中を押したかった。
きっと息子は成長して戻ってくるはずだ。
そう思い、あえて思いを直接口にした。
「……戦場はそう甘いものではありません。貴方の父も似たようなことを述べて戦地にて果てました。人は戦場で変貌すると私に手紙を残しております。それでも貴方は向かうのですね?」
「負の面も知らずに人助けを願うというのは偽善ではないでしょうか。尊さを理解し、無惨な世界を知らねば……ただの口達者な狂信者です。私は人として人のありようをその眼に刻み込んだ上で、自分の掲げた信念を曲げずに生きてゆきたいのです……人生とは何か、与えられた人生に対して何をすべきか。その答えを見つけに行きに参ります」
「わかりました……俊夫さん。絶対に死んではなりませんよ。必ず生きて戻ってくるのです」
「約束は出来ません。軍人ですから。ですが、母さんに孫の姿が見せられるよう努力します」
後に彼は戦地での飛行経験も得た後で戦後に国内での活動に従事し、一生の大半を回転翼機に捧げる。
戦地より戻ってくる頃には、その一言一言に重みが増し、年を重ねた頃には命の大切さについて詩や小説を描いて世間にも認知される作家ともなった。
一方で覚悟を持たずに飛行士となるような者もいた。
とある田舎の農村では……
「とーちゃん! ただいま! うおっ!」
「よぉく! 帰ってきたな! このバカ息子が!」
農作業より戻ってきた息子に対し、初老の父親は箒でもって過激な対応をする。
いつもと違う対応に息子は困惑せざるを得ない。
「なんだいなんだい! なんで箒を振り回してんのさ! 家にいれておくれよ!」
「とっとと、この荷物をもって、陸軍に入隊してこい! このたわけっ!」
バシバシと頭を何度も叩きながら、なんとしてでも家から追い出そうとする父。
それは決して虐待なのではなく、叩く力もそう強いものではない。
「な、なんだい、いきなり! それは俺のザックじゃないか!」
「そうだ、お前の部屋にあった生活用品を全部入れておいた。これをもってとっとと行って来い!」
「いやだよ! っていうか無理に決まってるだろ! 俺あんま頭よくないし!」
「確かにお前の頭は良くねえ! おかげで農業もロクにこなせん出来損ないと周囲から笑われるほどだ! 目も悪けりゃ頭も悪い、何1つ誇れるもんがねえなんて言われてもヘラヘラしてやがる!」
「別にいいだろ! 俺は俺なりにがんばってんだ!」
「だったらヘリコプターとやらの飛行士に挑戦してこい! 目が悪かろうが飛行士になれるっていうじゃねえか! いい機会だ。飛行士になって皆を見返してみろ!」
「嫌だよ! 俺高いところ嫌いだもん。ちょっとしたつり橋だって怖くて渡れないのにさ、出来るわけ無いだろ」
「そうやって諦めるからなんも出来ねえんだよ! このアホウ!」
「あいたっ!」
ゲンコツをお見舞いしてまで息子を飛行士にさせたい父親には当然理由がある。
自身の夢を背負わせたい、そう考えていた。
「急になんでそんな態度をとってるのさ!」
「んなもん、飛行士なんていう晴れびやかな職に就けるまたとないチャンスだからに決まってんだろうが! 父ちゃんもな、昔受けたんだよ! 視力で落ちたけどな! 母ちゃんはその時の下宿先でお世話になった定食屋の娘っ子だ! 知らんとは言わせんぞ!」
「聞いたよ! 何度も何度も! 予備役なのが自慢だっていうけど一度も呼ばれたことなかったんだろ! っていうか、そんなに言うなら自分が行けばいいじゃないか」
「父ちゃんはもう年齢制限以上に歳くってっから無理なんだよ! お前はお前で俺と同じく視力が弱い所が似ちまいやがって……本当にどうしようもない息子にしちまってずっと後悔してたんだ! でもな、今なら俺を超えていけるかもしれねえんだ! 農業なんて近いうちに廃れるかもしれんのに、こんな不出来な息子を父はいつまでも養ってやれねえんだよ! 独り立ちしてもらわにゃこまるんだ! 飛行士になって手に職つけりゃ仕事にゃ困んねぇ。お前が生きていくために必要なことだ!」
「お、俺は農業をそれなりに気に入ってるし……それに軍隊に入ったら父ちゃんにも母ちゃんにも親孝行できなくなっちまうっ!」
常日頃口癖としていたのが親孝行だった。
要領が悪く、集中力も無い息子だが、親を思う気持ちは人一倍。
人格まで問題を抱えているわけではない。
それゆえに父としてはいつまでも見守ってやりたいが、無理な挑戦がたたって結婚が遅れたことで息子を産んだ頃には40近くとなってしまい、常に不安を抱えながら今日まで生きていた。
だからこそ、息子に独り立ちできる機会が生まれて欲しかったのと同時に……
もう1つ果たせなかった夢を果たしてもらいたかったのだ。
「親孝行っていうならな、飛行士になって俺をお前の飛行機に乗せろ! 俺は空を飛ぶのがずっと夢だったんだ! 空から皇国中を眺めたかったんだ! 秋の紅葉、春の桜、冬の雪景色……ご先祖様が見たことねえトンでもねえ景色が見られる時代になったってのに……その夢が適わねえなんて認めたくねえ……死ぬまでに見たいんだ! あの富士を真下に眺める世界ってぇのをよ!」
空のために一生の一部を捧げたがゆえに、目を潤ませてまで語る姿は息子に突き刺さる。
息子は思い出したことがあった。
小さい頃から何度も何度も何度も何度も寝る前に聞かされた空への憧れと、空のすばらしさ。
それまで息子にその言葉が突き刺さることはなかったが……
親孝行と空が完全に直結したことで、父の思いは心に深く突き刺さる。
「そんなに飛びたいのかよ」
「飛びたいんだよ! でも、もう誰かの力を借りるしか飛べねえんだ! 誰しもが飛べる時代がすぐに来るわけがねえ! 俺にはそれまで待つ時間が残されている気がしねぇ!」
「俺が飛行士になったって、父ちゃんを乗せられるかわかんねんだぞ」
「11人乗れる。飛行士は2名で、他11人乗れるって話だ。こっそりでいいから機会を見つけて乗せてくれよ……一度だけでいい。一度だけでいいんだ」
「なれるかどうかもわからないのに」
「正直に言う。お前は一度も本気になったことがないだけで、本当に頭が悪いわけじゃねえ。ガキの頃にゃ算数の宿題などで何度も驚かされた。努力すりゃどうにかなるはずだ。今だって母ちゃんと同じで銭勘定は達者じゃねえか。そろばんも無く暗算があれだけ出来んのに、それ以外ができねえってだけでバカ者と片付けるのは惜しい。見返してやれ! 全てを!」
実は父はヘリコプターの素養に計算が必要で、その力が息子に相応にあることを見抜いていた。
普段から農業関連含めてからっきしなのも、深く考えすぎて理解されないためだ。
誰よりも物事を考える人間であり、それが皇国の今の世相に評価されないと知っている。
妻もそれで苦しみ、中々実力を発揮できずにいたが……とても賢く、それが息子にも遺伝していることを誰よりも理解していた。
「数字なんて出来たって何の役にも立たないんだよ……計算は好きだけど、数学者なんて金持ちがなる職業だろ……」
「ヘリコプターとやらには役に立つかもしれねえだろ!」
「都合のいいことを……」
「見返したくねえのか。村の人間を! お前に駄目人間と決め付けるご近所の連中を!」
「そりゃ見返したいよ」
「ならやって来い。本気でもがけばどうにかなる! 父ちゃんですら視力以外はどうにかなったんだ! お前はそれを超えて来い」
「ああもう……わかったよ……やるだけやってくるよ。駄目でも文句いうなよ」
「それはお前次第だ。本気で挑んでなかったらいくらでも文句を言ってやる!」
「ズルいぜ全く……で、どこに行けばいいんだって?」
「全部その封筒の中に書いてある。逃げんなよ。身内に聞けば試験を受けたかどうかはすぐわかるからな!」
「ちぇっ」
未だ半分しかやる気がなかった息子は途中で逃げて誤魔化そうとしたものの、退路をふさがれた。
そのままその日のうちにしぶしぶ陸軍の指定した試験会場へと向かったその男は……多くの者と出会い、彼らと語り合い、そして彼らから見せられた世界各地でヘリコプターが活躍する新聞を見て段々とやる気が沸いていき……
さらに試験会場で待ち構えていた新型機の姿を見て心を奪われ、完全に心を入れ替えることとなる。
紆余曲折あって最終的に飛行士となったその男は「蛙の子は蛙。血は争えない」――などと実家に帰省する度に父と語り合うこととなるのだが……
最終的に親孝行を果たし、父と母に四季折々の空からの風景を見せることすらしてみせた。
様々な想いが交錯する中で、飛行士の数は増え始めて行くのだ。
たった一人の技術者の提案から始まった条件緩和は、すでに皇国の命運すら揺り動かす事態となっていることを、この時点で本人はまだ知らない。