第166話:航空技術者は拘らない(後編)
「信濃よ、本気なのか!? 0.2など……弱視一歩手前ではないか」
「ええ。確かに現在の認識ではその通りでございますが……将来的にはその程度まで世界基準においても緩和されるため、ここまでの基準を引き下げるだけの根拠も一通り揃っています」
ここに来て西条が額に汗を浮かばせるのは初めて見る。
恐らく彼が想像していた案を大きくかけ離れた話だったのだろう。
電撃のごとく全身をほとばしった緊張がそのまま身体的な反応として現れていた。
「待て。1.0未満となると陸海軍双方において予備役となるか不合格となる者達なのだぞ」
「ですからヘリコプター運用に限り入隊基準も緩和するんです。いや、もはや入隊基準そのものを見直してもいい。救難機としての運用も大規模に拡大するおつもりなのでしょう?」
「確かにそうだが……」
「だとしたら医療に長けた者が必要となる。医療に長けた者すら現状で定めた裸眼1.0の基準では人材の確保など到底不可能です。もちろん首相や稲垣大将ら上層部が認め辛いのは承知の上で申し上げています!」
「どういう根拠でもって緩和が可能だというのだ……」
「それについてまずは私の話に耳を傾けていただければ――」
――本来の未来における大戦末期。
ここで皇国は学徒出陣を行う直前まで、視力の低い皇国人を戦場に向かわせようなどとは考えていなかった。
2600年代の現在、いまだに視力が弱い者というのは身体的に重いハンディを抱えた者とそう変わらぬ扱いだ。
入隊基準は1.0以上で、それ未満は戦争が始まった途中から予備役として認めるようになった状態。
いわゆるメガネなどの矯正機を用いた者でも一般市民と同列の扱いをされるかどうかについては、その者の現在までにおける肩書きに左右され……
大した肩書きでないのに若くして視力が弱い者というのはぞんざいな扱いを受ける。
これでもまだマシになった方なのだ。
20年も前の頃ではもっとひどい扱いだったのだから。
最近はメガネを用いている者についての認識は以前よりかは遥かにマシになってきている。
理由は1つ。
他でもない陛下が身に付けておられるからだ。
陛下が身に付けて公の場に立つまで、陸軍軍人も相当な階級でなければ平時で身に着けていても写真撮影などでは無理して外すことが当たり前だった。
そもそもが、陛下ですら身に付けて公の場に立つことを憚られ、身に付けることすら周囲より批判されたほどだ。
しかし陛下は著しい視力の低下を一時起こしていたため、矯正しなければ失明されると医者などから危惧され、さすがの周囲も身に付けることを認めざるを得ず……
その結果、これまで肩書き無き視力の弱き者は人権が無いのと等価などと言われた世間一般の認識を根底からひっくり返さざるを得なくなった。
陛下自体は視力が多少弱い程度で市民らを否定できるものかとお考えで、周囲の反対も半ば押し切って今日においてもそのお姿を公の場で披露しているわけだが、皇国人における眼鏡に対する認識はあの御方が大きく変えたといって過言ではない。
つまりわずか20年~30年程度で皇国人の認識は改められ、現在にまで至るということだ。
すでに数年ほど前からおしゃれアイテムの1つと化しているNUPとかとは正反対なわけだな。
そこら中の若者が必要も無いのに度無し眼鏡を身につけているNUPはある意味で寛容なのかもしれない。
まああっちでは目が弱い人が多く、サングラス需要などがあるために抵抗感が無いのかもしれないが、皇国は本当につい最近までそういう国ではなかったということだ。
それでも航空機の操縦を行うためには裸眼で1.0以上の視力が必要だといわれた。
かく言う俺も視力は1.2ほどある。
かつては1.5以上あったことが自慢だったものの技研に入ってから落ちてしまった。
本来の未来においても老年に至るまで1.0未満となることはなかったものの……技研に入るために必要な資格として視力も何気に重要だったりする。
視力とは、もはやそれそのものが肩書きの1つだ。
この国の人間はすぐにものさしで計れる基準でもって人格を否定しようとする。
曰く、血液型がどうの……星座がどうの……誕生日が仏滅だっただの……そんなことを言っている場合か?
そんな根拠も薄いものに拘って他人を全てにおいて平均以下に落とし込もうとする無駄な努力が最終的に国力を衰退させるのだ。
クソ食らえだ。
未来を知るからこそ否定する。
この世には航空身体検査というものがある。
視力などを含めた航空士として必要となる身体的適性を見極めるための検査と、その基準だ。
本来の未来において俺がやり直す頃において軍が設けたかつて皇国と呼ばれた地の航空機パイロットの基準は0.2だったが、あと数年のうちにこれも0.1まで引き下げるという話がにわかに叫ばれていた。
この理由が未来において近年発達する矯正用具……つまり眼鏡やコンタクトレンズにおけるレンズの性能において、収差やその他が大幅に改善されて0.1でも裸眼と空間認識力が変わらず問題ないものとされたからだ。
一方で実は民間向けの航空身体検査の基準においてはすでに0.1という基準点すら削除されていた。
上記理由を基に「矯正視力」が片目0.7の両目1.0を目標値に達していれば問題ないとしたのが2660年代初頭だったが、ようは矯正視力における最大の問題は各種距離感に対する認識能力の誤差であり、これを改善できるというならば矯正状態で問題無いだろうとされた。
そんな中でかつて皇国と呼ばれた地の軍では俺がやり直すあたりの頃までは段階的に緩和しつつも裸眼0.6などに拘っていたりしたのだが……
世界はすでにその10年も前の時点で0.2の基準を標準化しつつあった。
皇国が引き下げたのも諸外国の基準に合わせたからにすぎない。
この0.2という数字の根拠は手術を除いたいかなる矯正方法であっても遠距離と中距離、近距離のそれぞれの状態の誤差が生じにくい近視の最低値というのがその数値だったという統計学的なデータなどに基づくもの。
例えばここに乱視や遠視が生じる者達ならば話は変わってくるわけだが……
近視0.2未満ならば矯正すれば従来までの眼鏡でそこまでの距離感の認識的誤差は生じにくいというデータが取れていたわけだ。
……そしてこれは固定翼機の話だ。
ヘリコプターはヘリコプターでまた別の基準が設けられている。
戦闘機ですら矯正可能とし、民間用途の航空士としての基準も引き下げられる中、ヘリコプターの基準はどうなっていたか?
なんとすでに民間部門においてはこの時点で世界各国は最低基準なんて取り払い、両目0.7で可としていたのだ。
片目の視力すら基準点として設けないケースが当たり前であり、固定翼機より一段低い基準とされていたのである。
軍においても多くの国が両目1.0を採用しつつも最低基準を撤廃。
戦闘機などより明確に低い基準で運用されていた。
矯正しようがしまいが両目1.0であれば軍で採用してもらえるというわけだ。
俺がやり直す時点においてかつて皇国と呼ばれた地など限定的な地域が0.2などの最低基準として設けていた程度である。
ここで意外にも諸外国より高い0.4という最低基準を設けているのはヤクチアと並んで世界一ヘリコプターを多用しているNUP(陸軍)だったりするわけだが……
この国の場合は例えば陸軍なら訓練生採用時0.4を最低基準とし、訓練後は0.05まで許容する等、採用前と採用後における最低基準が異なっていたりする。
いわゆる厳格運用を行うために採用前と採用後についてそれぞれ数値を定めているというわけだ。
……が、実は0.4といいつつも割と甘い判定で通すことが多く、殆どのケースで弱視を除いて試験通過が出来ると言われており形骸化されているともっぱら噂される。(裸眼と称してコンタクトを使用する者を平気で見過ごすといったことが常態化しているとよく言われ、0.05未満という話も厳格運用されてはいないというのはかなり有名)
そのため、実際には最も厳格なのはかつて皇国と呼ばれた地など本当に限られた所のみといわれ……
そしてその0.2という数字も生真面目な国民が厳格運用する上で検査が煩雑になるからと、回転翼も固定翼も最低基準を統一しようなどという理由で定めたものであり……
固定翼機のためにヘリコプター要員が犠牲になっただけである。
……といってもこっちはこっちで実際は0.2としつつも固定翼機のパイロットとして採用時する場合においては0.8以上を必須とする等、かなり視力が高くないと一般の航空機のパイロットを選抜する場合は弾かれており……
0.2が実質資格取得後の最低値だったりするので、裸眼0.2という最低基準はヘリコプターだけの話ともっぱら言われてたりするのだが。
どちらにせよヘリコプターですら0.2を最低としているという点では諸外国より一段上の最低基準であるとは言えよう。
つまり世界各国の認識としてヘリコプターにおける裸眼視力の最低基準なんてものはないも同然と言い切ってしまっても問題は無いほどだ。
理由はいくつもある。
1.高高度は飛ばない
2.(一部を除いて)宙返りなどの空間認識を狂わせる飛び方をしない(出来ない)
3.最高速度がそこまで速くない
4.固定翼機と違って危険を感じたらその場で停止できる
5.航空機において最も危険な離着陸時の速度が固定翼機と比較してとても遅い
こういった理由により「多少の認識誤差なんて大したことはない」――などと、まるで自動車と同じような基準だったりするわけだ。
まず1と2については空間認識を狂わせるほどの高空を飛ぶことが無く、さらに宙返りなどをして
空間識失調を生ずるといったケースも固定翼機と比較して0ではないが極めて少ない事。
例えばヘリコプターが飛ぶのは精々5000m程度が基本。
9000m程度まで上昇する事は不可能ではないが、運用限界高度を遥かに超えている数値だ。
空間識失調の多くは高空の雲の上あるいは雲の中での飛行中にて発生する。
よって7000mあたりから空間識失調に陥る可能性は急激に高まる。
諸外国が5000m未満ほどをヘリコプターの運用限界高度としているのも、こういった点を鑑みてあえて低く見積もっているのだ。
ヘリコプターはその多くが計器を満載して計器飛行方式による飛行も可能な固定翼機と異なり有視界を中心とした運用が行われるので、リスクをより低くするため発生源そのものを絶つ意味合いで運用限界を定めているわけである。
といっても、困ったら高度を下げたりなど相応に対処すればいいだけなので危機的状況に陥って立て直せなくなるケースが固定翼機より非常に少ないのもまた事実。
例えば空間識失調については山間部で霧などが発生するとヘリコプターでも発生しうるとは言われるが、それらについては操縦技術を磨きあげることで4の特性から回避は十分に可能であり、一度生じると回避不能なケースが多々ある固定翼機よりかはどうにかなるわけだ。
上記2つの問題については当然にして三半規管など視力以外も関与することだが、より視力が高い方が誤認しにくいというデータは確かに出ていた。(視覚によって認識を改めやすいという事実はあった)
それらを運用時の制約と飛行特性もとい特長を活かすことで十分に対応可能とすることで、最低基準の撤廃に繋げている。
3についても割と重要だ。
速度が上がればより遠くの状況を見て飛行中の状況を予測しながら飛ぶ必要性がある。
ヘリコプターは前述の通り特に有視界でもって飛ぶものだ。
だが最高速度なんて出せて300km/h少々。
特殊なヘリで500km/hといったところ。
300km/h程度なら両目0.7で視認できる距離であれば十分というわけである。
速度に対して視力が重要なのは鉄道分野でも知られる通りであり、例えば障害物に気づいて反応して制御を試みても速度が速すぎると間に合わない。
ゆえに皇国では信号(もしくは踏切)までの停止距離を600mと定めて最高速に実質的な規制を設けてきたわけだが……(第161話:航空技術者は依頼される(後編)なども参照)
現時点で固定翼機が最高速度が600km/h以上にも達する一方で、速くてもその半分程度にまでしか至らず、巡航速度の平均が250km/h程度のヘリコプターは当然にして固定翼機より遠くが見えなくても操縦特性と合わせてどうにかなるだろうという考え方である。
ちなみにこの600m条項の根拠となっている視力は0.7とされているわけだが……(鉄道の運転資格もまた1.0だったが余裕を持つために0.7とした)
……仮に時速250km/hで飛行していたら秒速約70m/sで移動しているわけになるけども、人間が600m先にある障害物に気づいて反応するまでの時間は平均的な成人男性で1秒未満程度とされる。
ヘリコプターならそこから回避または停止までにかかる時間は最大でも6秒未満。
全体の時間に7秒程度かかっても600m先が見渡せたら停止あるいは回避できる。
将来的なヘリコプターの搭乗資格における矯正可とした上で両目視力0.7とした基準の根拠はこれだ。
ゆえに4についても視力を引き下げる根拠となっている。
固定翼機は危機的状況に陥っても飛び続けなければ墜落してしまう。
ゆえに何らかの理由で一時的に視覚を含めた五感を失っても取り返しのつかない事になるわけだが……
ヘリコプターは異常や危険を察知したらその場で緊急静止してホバリングし続けることも可能だし、急減速しつつの緊急上昇するということも可能だ。
考え方は車と変わらず、飛行中は絶えず進むことを強いられる固定翼機とは異なり車などに近い特性を持つ。
このままだと山や崖に激突してしまうことが予想できてもどうにもならない……みたいな状況に陥る可能性は固定翼機とは比較にならないほど低い。
当然、そうならないために認識できる距離はとにかく遠くまであった方がいいに決まってる。
だが、空中静止が可能で緊急減速能力も極めて高い事から、各種統計データ等も見据えて視力条件を落としていいか良いと判断されているわけだ。
空中静止や急減速緊急上昇といった固有の能力が、操縦者の資格の1つである視力という条件を大きく左右させてすらいるということだな。
最後に5についてだが、これも4と似たような理由だ。
常に進み続けることを強いられる一般的な航空機と異なり、ヘリはゆっくり降下して着陸できるし、危ないと思ったらすぐにやり直せる。
着陸地点……すなわち滑走路の状況を遠くから確認して調整するという、視力が重要となってくる状況についても固定翼機より苦労しない。
例えばヘリが平均的に着陸態勢に入る際の高度は多くの場合でたかだか50m程度だ。
数百m以上先から状況を見定めて着陸態勢に入ってーといったようなものとは異なる。
その場所が安全に着陸出来ないと思えば安全な場所まで移動して着陸する。
これだけだ。
滑走路が限定されてしまう固定翼機とは違う。
着陸地点を選べるという大きなアドバンテージと、低高度を維持したまま自由に動ける特長は必要となる視力の条件を緩和させるに足る根拠となっている。
以上がヘリコプターには軍属ですら最低条件が殆どのケースで存在しない理由だ。
……といっても……これはあくまで将来的な話。
黎明期からしばらくの間はやはり1.0が求められていたのは事実。
ノウハウが構築された結果として最低条件が緩和されただけに過ぎない。
ゆえにあえて今回は20年もしないうちに統計学や科学的に証明されて緩和される「根拠」をもとに裸眼0.2を最低数値とする。
その上で理由には上記5点に合わせて3つを新たに根拠として追加する。
6.今後登場する皇国のヘリコプターは基本的に乗員が2名以上であり、これらはほぼ全て並列座席となっている。
つまり操縦者は1名ではなく2名のため、空間認識能力は単純計算で1名時の2倍である。
メインパイロットとコ・パイロット双方が相互に補完し合うことでより安全性が確保可能。
7.ヘリボーンを行うにしてもヘリコプターは戦闘行為には参加しない。
直接戦闘を行うための根拠として1.0としているならば緩和しても問題ないと思われる。
銃座などを設けたとしてもそれは乗員が操作するものではないのだから1.0とする根拠とはならない。
8.元々双発式ロ号以降はレーダーを標準搭載する前提で設計されているが、今後運用するヘリコプターは王立国家の対地距離を観測する爆撃照準用レーダーなどを応用したレーダー計測器を用いて地上との距離を観測して計器表示するよう調整し、それらによって空間識失調を総合的に防ぐ機構を標準搭載した上で計器飛行方式を可能とする。
この3つを5つの条件に加えることで緩和するだけのそれなりの根拠として成立しているはず。
さらに入隊後に視力が落ちた者も拾い上げんため、訓練資格は軍属の者達にも与える事とする。
現体制と同様、階級制限も設けない。
既に1.0で選抜している条件にも階級制限など設けていない。
佐官も尉官も関係無い。
望めば検査の後、合格後には訓練資格を得られる。
年齢制限も既存の選抜者条件と同様に満45歳未満とする。
出来るだけ幅広く多くの人材を各所から呼び込むのだ。
それこそ本当は素養があったのに視力だけで弾かれて予備役とすらなれなかった者だって構わない。
……といっても、本格的な戦闘攻撃ヘリを作るならば当然にしてパイロットに上記理由を当てはめて視力の弱い者を採用することはできないが。
戦闘ヘリは縦列のタンデム方式が基本で1名は銃座に専念せねばならず、おまけに直接戦闘にも参加する。
俺が作るとしたら一部の機種などのようにガンナー側が全く操縦できないタイプではなく、アパッチを含めて諸外国の多くの戦闘ヘリが採用するガンナー側も緊急時を想定して操縦可能なように設計はするものの……それでも平時において操縦するのは1名だ。
なるべく視力は高い方がいいからな……
まあ戦闘ヘリが登場するのは暫く先の話。
まだ開発する気もなければ開発できるだけの余力も今の皇国には無い。
将来を見据えて戦闘ヘリの操縦者だけは従来と同様の方向性とし、その他のヘリコプター操縦者だけに適用するのが妥当と思われる。
現状においては新型の双発式ロ号を除いて今後量産される機体は全て並列方式で乗員2名。
俺から言わせれば矯正視力なら可でもいいぐらいだが、0.2ほど科学的根拠が薄いために今回は基準を裸眼0.2に対して矯正視力を片目0.7の両目1.0というのが無難な判断であろう。
もちろんこれはヘリコプター限定の話。
高速化著しい戦闘機についてはまだまだ有視界戦闘が続き、センサー類だって今はまだ話にならない状況なので従来と同じ1.0の基準から緩和しない。
ヘリコプターに関しては、高い素養を持ち演算力の高い頭脳明晰な理系の学生などの殆どが従来まで視力によって弾かれてきたがゆえの致し方ない基準緩和だ。
「――正直言ってヘリコプター要員採用だけ0.2とすると妙な反発がおきそうです。やるならば衛生兵などのいくつかの兵員も条件を緩和して正式入隊できるようにすべきかと」
「なぜ小ぶりの航空機が大型旅客機のように乗員2名だったのか……まさかそのためだったのか?」
「いえ? 将来標準的となる仕様でしたので採用しただけです。安全性と冗長性確保のために小型でも多くが乗員2名とするものなのですから」
操縦自体は1名でも飛行可とされているヘリコプターについては、安全性を保つためによほどの事が無い限り乗員2名での運用を想定しているものが大半だ。
操作が複雑なヘリコプターは1名だけで操縦した場合のリスクは大きい。
ゆえに補佐する人間が必要だと気づくまでにそう時間がかからなかった。
当初は乗員1名での操縦だったヘリコプターも、誕生から10年もしないうちに並列副座が標準仕様となりデファクトスタンダードとなるが、制御機器の発展や技術発達による信頼性の向上から1名運用も問題無しとされているだけで軍用は緊急時などを除いて2名体制が絶対だ。
試験機とみなしていたロ号までは1名だった俺も以降は2名に改めたのはそれがベターな選択だったからに他ならない。
「……直接戦闘を参加せず、2名体制で、かつ運用制限等も加えることでの条件緩和か……」
「首相。毎年視力検査で落ちてる人数は10万単位なのを知らぬわけではないでしょう。一体どれだけの眠れる人材が国内に埋もれているかわかりませんよ。航空機に憧れを抱いて視力を理由に枕を涙で濡らした者も少なくない。固定翼機は無理でも、それが同じく空を飛ぶ航空機という存在であるならば彼らはきっと死ぬ気で訓練に励むことでしょう。我々はその中から素養があるものを見出していければ良いだけです。今やらねば運用体制など夢のまた夢です。これまでの格式などに拘っている場合ですか」
「それはそうだが……」
西条本人はすでに納得している様子だったが、彼は上層部の顔色を伺っているかのような反応を示していた。
1.0を成人男性の基本などと主張してきた陸軍が突如として0.2まで条件を緩和する。
これまで技術者採用でですら1.0に拘った陸軍がそんなのことをしたらありとあらゆる分野で条件緩和が必要となる。
たかが視力で全てが決まるわけがないのだが、技術者の立場ですら視力を満たしているという健全さを自身の誇りとして今日まで活動してきた者は陸軍に少なくない。
俺もきっとやり直す前ならば反対したことだろう。
何せ、操縦も可能で設計もできることに誉れというものを感じていた立場だったからな。
そんなでこの大戦を乗り切れるなら幾らでも否定したことだろう。
間違いなく生き残る未来が見えないからこそ、1度目にそんな幻想は全て捨ててきた。
俺は拘らない。
何よりも――
「――人口推移から見ても今後数年で一気に陸軍入隊者が激増する事はないんです。何らかの条件を緩和しない限り」
「お前の記憶が正しければ、我々は未来において情勢が傾いた際に年端も行かぬ未成年すら戦場へと向かわせたらしいな……結局戦況が傾けば同じ事か」
「戦況が不利に傾いてろくに訓練すらしない者を多数動員するぐらいならば、現段階で可能な限り人材を拾い上げて鍛え上げた上で戦地に向かわせるべきです。チャーチルがやっているのと同じ事をやればいいだけ。自分は何も学徒を採用しろと申しているわけではありません」
「採用など出来るものか。そうしないために今日も明日も藻掻いて抗っているのだ。視力が足りずとも訓練を受けた大人だけが操縦士だ。そういうことなんだな信濃?」
「そうです。そのための航空機に新型機は仕上がっています」
「よかろう。提案はしてみよう。弾かれても泣くんじゃないぞ」
いや、それはダメだ。
その程度の気持ちの持ちようではすぐさま否定されてしまう。
「いえ、反対する者達が泣いて許しを請いてもやめないだけの覚悟で挑んで下さい」
「私も全てを押し切れる立場ではないのでな。悪いが保障は出来ない。議会で提案は約束しよう。いいか、反対者を押し切れるだけの論理をまとめた書類を早いうちに仕上げろ。データなどがあれば尚良し」
「すでにヘリコプターの設計を始めた頃からある程度の資料はまとめております。本日中には届くよう手配いたしましょう」
「助かる。……まずは味方を作らねばならぬな。長島大臣らに声をかけて外堀を固めるしかないか」
「手法はお任せします。私は政治には疎いものですから。では、私はこれにて」
「ああ、引き続き頼む。特に疾風に関しては任せた」
「あ、そうだ」
「どうした?」
部屋から出ようとした刹那、俺はいったん扉を向いた後で振り返る。
先ほどからずっと視界に入っていたものがどうしても気になっていた。
「もしよろしければそちらのヘルメットを頂いてもよろしいですか? 試したい事がありまして」
「私は二輪に乗らん。好きにするがいい。荒井も誰からしらに試して欲しいと言っていた」
執務室の机の上に置かれたヘルメット。
どうしても現状での性能を確かめたくなっていた俺は欲しいという衝動にずっと駆られていた。
己の所有物にしないまでも1度か2度は試してみたい。
それに少しばかり「改良」も施してみたくなっている。
ゆえに西条に頼んでみたのだが、あっさりそれを許されたのには拍子抜けした。
さっそく手に取ってみると見た目に反して重量はそれなりにあった。
見れば見るほどブラウンシュヴァイクに本拠地のあるヘルメットメーカーのJ1に似ているな。
2589年からヘルメットを作ってた件のメーカーを参考にしたとは思えないが……
金属のパイプで出来たチンガードがまんまじゃないか?
ちゃんとインナーなども作られている。
中身を検証した上で二輪に乗って感触を確かめてみることとしよう。
……それにしてもやることがまた増えたな。
ヘリボーンをやるってことはラペリングが必要となる。
西条はラペリングハーネスについて理解があるのだろうか。
そこまであの時の資料に書いた記憶が無い。
それも作らないと意味が無いことを伝えないと……
ラペリングハーネスも出来ればフルハーネス方式がいい。
それらを上手く駆使して……
忍者や怪人蜘蛛男のごとく施設に突入して制圧できるような部隊に仕上げられるといいんだが……
執務室の去り際、そんなことを考えつつも予期せぬ成長を見せる自軍の姿に足取りは軽かった。
参考資料
How Long Do Pilots Look Forward? Prospective Visual Guidance in Terrain-Hugging Flight 2009
(ヘリの緊急停止と認識までの研究データを示した論文)
捕捉:ヘルメットについて
似ているヘルメットはシューベルトのJ1です。




