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第165話:航空技術者は開発を依頼する(後編)

 個人的な飛行試験が終わったその日の午前中。

 俺は湿布を急いで調達して背中に貼り付けた後、すぐさま参謀本部へと足を運ぶ。


 西条に向けて新型機の性能が良好なことと同時に、FRPヘルメットについての提案をするためだった。

 そんな俺はメーカーについての提案も含めて話し合おうとしていた矢先、思わぬ出会いを果たすこととなる。


 まるで用意されていたかのごとくベストなタイミングであった――


 ◇


「――ですので、二輪車でも70km以上出るようなものでしたら、ヘルメットは絶対に必要なんです! 転倒時などの身体が負う被害がまるで変わってくるものですから。私自身何度も試して実験しましたが、特に後頭部! オートバイに用いるヘルメットは後頭部まで保護できなくてはならない! ここを強打すると状況によっては一生寝たきりになります」


 いつもの通り参謀本部の西条の執務室の扉の前に来ると、何やら男の声が外に漏れてくる。

 驚いたことに、ヘルメットという単語が飛び出してきた。


 最初は向井氏が俺から話を聞いて誰かしらに提案を行い、それで西条の下まで足を運んだ人物がいたのかと思ったが……どうやら違うようだ。


 彼は自身の活動を通してある結論に達し、その上で西条にオートバイ用のヘルメットの採用を求めようとしていた。


「それで、これが試作したものなのか? 奇怪な見た目だが……」

「そうです。後頭部までも適切に保護するヘルメットというのは現代においてはまだ珍しい部類です。ゆえに日常的に目にするような外観とはなりません。作成するにあたって参考にしたのはNUPのフットボール用ヘルメットです」

「革や鉄ではないようだな……樹脂なのか?」

「ええ。2年前にNUPで開発された世界初の試みである樹脂製ヘルメットは、元々フットボール用でした。今や彼らは軍用の鉄帽をも樹脂製に出来ないかと画策しているようですが、私も1つ取り寄せてみたところ相当に優秀でしたので、試しに製造法の特許を見つつ再現してみたのがこちらになります――」


 樹脂製ヘルメットを知っていてさらに製造できる人間……だと。

 そんな優れた技術と知見を有する人物は皇国にて限られる。


 ということはあの人で間違いなさそうだ。


 樹脂製ヘルメット。

 2599年にNUPフットボールで従来の革では防御力が足りないとされて導入されたソレは、肉と肉のぶつかりあいであるフットボール界にて重傷者を大幅に減らすことに成功した。


 そしてその高い性能がすぐさま様々な業界に波及して認知され、軍用の検討もなされることとなる。


 残念ながら樹脂オンリーでは防弾能力が皆無であったことから採用は見送られるが、鉄帽の中のライナーとしてM1ヘルメットでは樹脂が採用された。


 これはM1ヘルメットに採用されたマンガン鋼が、当時としては対磨耗性や靱性に優れる一方で、衝撃を吸収しきれず曲がったり歪んだりした際、その部分が尖ったりなどして頭部に結果的に少なくないダメージを与えるからである。


 多少の破片や小口径の銃弾ならばライナーを入れることで曲がっても樹脂ライナーを貫通して頭部まで衝撃が伝わるということがなく、硬い樹脂が衝撃によって割れることで運動エネルギーを相殺し、頭部への深刻なダメージを防ごうとするものだ。


 といっても、実際には同時にライナー素材として採用されたFRPがライナーとして全方位で性能が上回っていて、後にそれがヘルメットそのものに進化するわけだが……


 少なくとも樹脂という存在が鉄よりも対衝撃防御にて優れているという認識をNUPの技術者達に与える多大な貢献を果たしたものこそ、彼が語るフットボール用ヘルメットというわけだ。


 ちなみに、NUPの本格的な航空機用ヘルメットは2605年においてXP-80用に開発され、F-80として採用後の正式装備化を念頭に陸軍にて誕生した、G-9と呼ばれる戦車兵用の紙と革を駆使して作られたヘルメットの帽体シェルを紙と革から大半を樹脂に置き換えつつ魔改造して製作された試作品が始まりだ。(一部は革製のまま)


 こいつの具合が良かったのでP-47のパイロットを中心に少数導入され、実戦投入もされている。


 実際に此度の戦においてNUPの戦闘機乗りは対Gスーツと共に樹脂やFRPなどの航空機用ヘルメットを身に付けて戦っていたわけだ。


 その後、実戦で得られたデータをフィードバックし、後頭部まで保護されるフットボールヘルメットをベースにすべてを樹脂に置き換えたP-1と呼ばれる今日のものと殆ど形が変わらぬ航空用ヘルメットが2607年には誕生。


 それからほぼ毎年のように幾度となく改良を受け、2610年にはP-4と呼ばれる2620年初頭ごろまでの航空機パイロットが皆身に着けたNUPの航空機パイロットのイメージを確立したヘルメットが誕生し、以降はP-4が何度か改良されつつ、10年以上使われ続けることとなる。


 これは今日の航空機用ヘルメットなどと大差無い外観となっている。


 海軍も負けじと2609年にはH-3などと呼ばれるプラスチック製のヘルメットを導入し、以降は順次改良し、2612年にはその後に続くヘルメットの雛形となるH-5を生み出す。


 NUPにおいては今から9年後には革ヘルメットなんて被っている戦闘機パイロットなんていない。

 全て樹脂やFRPで作られたものに置き換えられている。

 その上で世界各国もその流れに追随していくわけだ。


 いわば、今世界各国において標準的な飛行帽は、その寿命がもう10年無いということだな。

 もっといえば後4年ほどでNUPにおいては退場を促される立場にある。

 皇国も遅れを取りたくない。


 だからこその今回の提案なのだが、適任者がすぐ近くにいる。


「この顎の辺りにある金属の棒は何の役目を果たすのだ?」

「もちろん顎の保護ですよ。あっちでは通称チンガードと呼ばれてます。あちらではもっと沢山の金属の棒を組み合わせて口や鼻も守りますが、量産するにあたって高価となるため、とりあえず最低限顎を保護できるような構造としました。アルミ合金製なもので納入価格を考えると……これが最適解だと思っています」

「なぜアルミ合金なのだ? 鉄では駄目なのか」

「多くの鉄や鋼は曲がりますし、曲がったことであらぬ衝撃を身体に与える可能性があります。 つまり衝撃を受け止め切れていないわけですが、衝撃を受け止めるには折れるべきなんです。ですが、炭素鋼のような硬い鋼のごとく折れて破片が大量に出るのも望ましくない……破片が口の中に入るかもしれませんしね。試行錯誤の結果、最も顎を適切に守ることが出来るのはアルミ合金による金属パイプを顎の周辺位置に輪っかのごとく配置することでした。このわっかが樹脂製である帽体全体の構造をも強化するわけです。西条閣下。百式機動二輪車用の標準装備として採用してはいただけませんか?」

「といってもなあ、”荒井”よ……オートバイにヘルメットが必須という考えをどう説明して皆に納得してもらえば――」

「――その話! 興味があります! 失礼します!」


 気づくと扉を開いて室内に入っていた。

 その提案を絶対に潰したくないと思ったからだ。


 思ったとおり、その場にいたのは荒井社長であった。


 荒井廣武。

 もとい荒井廣武商店。


 皇国では極めて珍しいヘルメット専門の企業にして、現時点にて我が陸軍の全てのヘルメットを製造、納入している唯一のメーカーである。


 かねてより帽子屋であった現社長の父の姿を幼い頃から目にしていた荒井社長は、成人後において小洒落た帽子屋ではなく実用性一辺倒のヘルメットに将来性を見出し、4年前に荒井廣武商店を立ち上げたばかり。


 元々陸軍軍人であった彼は、実戦を通して軍用ヘルメットの大切さを理解するに至ると……

 作業用ヘルメットの販売を通して利益を上げる傍ら、陸軍御用達の唯一無二のヘルメットメーカーとして陸軍が用いる全てのヘルメットを製造しつつ今日に至る。


 主として起業してすぐさま仕事として陸軍に製造を依頼された九八式鉄帽の製造一手に引き受ける傍ら、戦車用の革ヘルメットなど様々なものを開発しては陸軍が相次いで採用。


 ヘルメット素材こそ他のメーカーに開発等任せているが、実際のヘルメット自体の製造は全て一任されるほどの信頼を獲得している。


 そんな荒井社長が生涯趣味として嗜んだのがバイク。


 当時はまだ極めて珍しいオートバイという存在に取り憑かれ、その一方で危険とされる存在をより安全なものとするためのヘルメット作りに余念がなかった。


 ちなみに当時としてはやや変人扱いされている人物なのだが、残された記録写真では走行中のオートバイのシートの上に腕を組みながら立ちが上がって仁王立ちし、そこから転倒した場合にどうなるかといったような非常に危険な真似をしながら試行錯誤していたことが知られていて、その姿が異様すぎたがゆえに世間からはその理念などがやや理解されない部分があった。


 実際にはヘルメットとバイクに対しては真剣そのもの。

 後のレース界には必需品となる極めて優秀なヘルメットを作り続け、俺がやり直す直前でも世界に轟くブランドとして名を馳せていた。


 俺が執務室内に入ったのは知的好奇心も相当に影響していたが、中に入ると西条の執務用の机の上には、どこかで見たことがあるような一般的なシールド等もないジェットヘルメットが置かれているのが視界に入る。


 ヘルメットの顎部分には、適切な位置にてリベット止めされて簡単には外れないように施されたチンガードが施されていた。


 シンプルなジェットヘルメットだが、J1と呼ばれる第三帝国の後の国が製造していたモノにそれとなく似ている。


 あれからシールドやインナーバイザー等取り払って、さらにシンプルな帽体にしたような形状だ。


 大変良く出来ている。

 流石だ。


「――すまない。今、取り込み中なのだが……君は一体……」

「信濃!? どうした突然。らしくもない」


 荒井社長は人として極自然な反応を示し、西条は時にはそういうこともできる男だったのかと新鮮な表情でこちらを見つめている。


 入った直後の俺はすぐさま言葉を発することが出来なかった。

 本当に自分自身でも半分驚いているが、体が自然に動いてしまったんだ。


 感動の出会いだ。

 これ以上の機会はない。

 なんという巡り合わせ。


 最高のタイミングで荒井社長と出会うことができた。

 FRPヘルメットを任せようと思っていたのは、他でもない彼に向けてだ。


 この人は10年もしないうちにFRPヘルメットに目覚めて手を出す。

 それがオートバイに最適だと理解した上での行動。

 現時点にて彼以上に適任な人材はいないのである。


 個人的にヘルメットについては皇国二大メーカーのうちもう1つの方が好きなのだが、残念ながらそちらの創業者はまだ齢14でその領域にまでは達していない。


 彼はまだ板前を夢見る魚屋の息子だ。

 おまけに彼がヘルメットに挑むには宗一郎の力がいる。


 現時点ではどうしようもない。

 一方で荒井社長なら現役だ。


 すでにオートバイ用のヘルメット製造については革製のものを2598年より開発して試行錯誤している。


 どうやら百式機動二輪車に影響されたのかすでに樹脂にまで手を出しているが、どちらにせよ本来の未来においてもあと数年で樹脂やFRPに目覚める人物。


 だから西条が本件の話題を切り上げる前に一連の事情を説明しておきたかったのだ。


「閣下の直属の部下の方ですか」

「首相補佐兼、参謀総長補佐等を兼任している人物だ。最近話題の男だよ」

「ああ、では彼が例の航空技術者ですか」

「突然で申し訳ない。しかし絶好の機会であったがゆえに失礼を承知の上で入室させていただきました。実は荒井社長に是非お会いして提案をしたかったことが――」


 静かに口を開き、ありのままに事情を話す。

 彼に向けてFRPヘルメットの開発依頼と製造について、FRPの導入の背景を踏まえて――


 ◇


「なんと、そんな話が……それはまたとない機会だ」

「FRPヘルメット……そんなものがあるのか」

「確かにNUPのここ最近の特許情報から、彼らがなにやらFRPに防弾等の効果を見出しかけていることは認知してました。ゆえに樹脂と並んでヘルメットの開発を行おうとしていることは想像していましたが」

「実際にそれを作ったという話はまだ聞きません。ただ、技研の立場としてFRPがきわめて優秀な新素材であることは理解しております。ゆえに幅広い分野で活用したいわけです。その上で障害となるものが……」

「契約方法とライセンス料が一括支払いで、高額なので減価償却を考えると大量生産品などで少しずつ切り崩すしかないということなんだな? それでヘルメットに利用したいわけか」

「首相。その通りです」


 事前に向井氏からの報告もあったがゆえに西条は状況を理解していた。

 その上でFRPがヘルメットにも有効という話は初耳だったはず。


 ところが俺が執務室に突如入り込んできてFRPの話をしたのでヘルメットと結びつくことも大よそ想像できていたのか、そこまで驚くような様子は無い。


「技官は鉄帽をFRPに置き換えることを期待されているんです?」

「既存の鉄帽を置き換えるだけでは大量生産の上で足りません。私は今机の上に置かれている存在をFRPにしてもらうことも考えています。それだけじゃない。この世の全てのヘルメットはFRPを使っても良いとすら考えてますよ。戦闘機や戦車だけじゃなく、安全帽ですらも」


 他でもない世界で一、二を争うほど頑丈なFRP製ヘルメットを世に送り出す男に向けてFRPについて説明するなぞ本来は釈迦に説法も甚だしいのだが、現時点での社長はそこまでFRPに期待をかけているわけじゃない。


 そもそも大量生産が可能な状態にまでなってないしな……まだ夢物語に感じる素材なのだ。

 でも、相当に早い段階から挑戦して結実する立場にある。


 その力があるからこそ任せたいし頼みたいのだ。


「FRP自体は陸軍として導入しなければならない立場にある。新型航空機用の素材として必要なのだ。……荒井よ。1つ試してみるというのはどうか? ライセンス料は実際に生産する際において支払うよう調整しよう。開発の段階でまで徴収するようなことはしない。利用を検討の上で萎縮してもらっても困るのでな」

「それでしたら挑戦させていただければ。では二輪用も開発させてもらってもよいのですかな?」

「無論だ。従来までの飛行帽に変わる航空機用なども検討し、可能な限りの試作品を用意しろ。技研や戦車学校で精査の上、可能な限り採用していく。開発費用についても我が軍が出す」

「ありがたきお言葉。すぐに開発体制を整えます。FRP関係のデータ等について資料をください。形成方法等を見出してなんとしてでも形にしてみましょう」

「NUPより先周りできるよう努力しろ。その礼は陸軍での正式採用でもって応えさせていただこう」

「はっ! それでは荒井廣武商店は本日よりFRPヘルメットの開発に参与の上、まい進して参ります。まずは半年ほど時間をください」

「頼んだぞ!」


 西条の期待をかける眼差しに荒井社長は機嫌を良くして去っていく。

 これは……ともすると皇国のレース界に影響を与えかねない行動だったかもしれないな。


 もう1つのメーカーがヘルメット業界に参入しなくなってしまうことだけは避けたいところだが、今のうちにもう1つのメーカーが誕生するためのシナリオも考えておかねばならないか。


 何しろ戦闘機ヘルメットの納入は荒井社長の方ではなくもう1つのメーカーが行っているんだ。

 個人的にも思い入れがある。


 だとしても、FRPの有効活用法の1つが見出せたことは皇国に新しい展開をもたらすことだろう。


 ◇


「――で、重戦はどうだった。今朝方の報告ではお前自身が乗ったと聞いているが?」

「重戦闘機として申し分無い性能には仕上がっています。近く700km/hをゆうに超える速度記録がもたらされることは間違いありません。じゃじゃ馬どころではないほどの強烈なパワーに背中を痛めましたがね」

「何か欠陥があるのか!?」

「全てが正常に動作した結果、人間側が耐えられなかっただけです。もはやそういう領域の戦闘機だと考えていただければ」

「そうか、しかし700km/hか……」


 何か感慨深いものを感じ取っていた西条だったが、慢心するような様子などなかった。

 理由はどうやら机の中から取り出した資料にあるようだ。


「信濃。Me163については知っているな? 4年前に提出されたお前の報告書にも記載のあったロケット機だ」

「ええ。存じておりますが」

「あちら側はどうやら飛行速度記録を公開する腹積もりがあるらしい。飛行試験の様子などもまるで隠そうとしない。現地に潜入の部隊がその存在を特段の努力もなく確認することが出来た。つい先日のことだが、滑空試験で855km/h出たらしい」

「ほう……それはそれは……」


 その報告は間違いなく第三帝国の危機感を表しているものであって差し支えなかった。

 キ84こと疾風はやてに関する情報はある程度まで認知されており、900km/h以上出るという話は新聞でも取り上げられている。


 ただしあくまで設計段階ということで詳細な性能等の情報は錯綜しているものの……


 第三帝国がいかほどの影響を受けているかについては従来まで確認することが出来なかった。

 だが奴らは自国の士気高揚も含め、情報を公開する必要性があると感じたのだろう。


 あえて他国すら少しでも調べたらわかる状態にまで情報管理を杜撰なものとし、皇国に心理的ダメージを与えたいようだった。


 なんと奴らは自国の工業技術こそ世界一とでも言うかのように皇国にけん制してきたのだ。


 恐らく彼らの言い分としては「お前はまだ700km台だろう」――と、そう言いたいのだろう。

 それのおかげで陸軍上層部が冷静な状態を保っているのだとしたら、むしろこちらにとっては好都合なんだが……


 どうやら西条にも第三帝国が投げてきた薬の効果が現れているらしい。


「やはり重戦でMe163との戦いは厳しいな?」

「状況によります。あっちは燃焼時間数分で、最大速度は瞬間的に1000km/hを超えますが以降は滑空する他ありません。ですがこちらは航続距離も十分。戦いようはあります。戦略を今のうちに練っておくのが得策かと。相手側は航続距離が短い分、戦闘行動半径が極めて狭い。敵基地との距離を冷静に見定めることが出来れば大したことはありません」

「戦術方針としてはお前の考えは正しい。だが戦略方針としては正しくはない。軍という組織としては可能な限り正面戦闘でも勝てる力が必要なのだ。実際に刃を交えなかったとしても、可能であるのと無いのでは違う」

「そちらも心配いりません」


 今日報告する必要性があるかどうかはさておき、念のためにとかばんの中にしまいこんでいた1枚の写真を取り出す。


 試験稼動用のハ44が届いたその日、実はもう1つ別に俺は1枚の写真を受け取っていた。


 誰が撮影したのか知らないが、その1枚のカラー写真はNUP製のコダクロームで撮影されており、美しい青い空を背景に1機の銀色に輝く戦闘機が映し出されている。


 正直言えばメーカーに現像依頼をするのが基本のコダクロームにおいて、写真の現像を一体どこでやったのかについて気になるような代物ではあるものの……息を呑む美しさだった。


 その戦闘機には喉仏のように膨らんだ何かが機首の下に存在はするものの、プロペラのような従来の概念で飛ぶための機構はなんら有しているように見えなかった。


 ただダクトという名の穴が1箇所喉仏の付近に存在しているだけ。


 尖った機首は600kmや700km程度の速度で満足しない自身の最高速度を示すかのような威光を放ち、巨大な従来までとは形状が全く異なる垂直尾翼を1枚携えた姿はまさしく次の世代に自らがいることを証明していた。


 この写真が2620年代に撮影されたといっても、後の時代の人間すら疑う事はないように思う。

 だが、一人の男がひっそりと抱える皇暦2601というパネルによってその存在が現在において間違いなくその場に存在し、未来から取り寄せた写真でもなんでもない事を伝えている。


 戦闘機の足元には組立に関与した技術者達が大勢で座り込んで自らの仕事ぶりを誇っていた。


「……飛べるのか?」

「秒読みです。エンジンも載っかってます。士気高揚のため、飛行士候補生達に向けて現物の見学について許可を取ろうと考えておりました。私もまだ現物は見てないのでなんともいえないですが、設計上の最高速度こそ発揮できずとも800km/hの壁を越えるのは間違いなさそうであるという所まで仕上がっているのは外観を見ただけでわかります」

「いつ飛ぶ? 前倒しは出来そうか」

「9月までには1回目の飛行試験を行います。今は各部の接合状況や各種耐久試験などを行う最終確認作業中です。後1月だけください」

「……その前の段階で自力飛行ではなく滑空試験は可能か?」

「滑空試験で誤魔化すよりも飛ばした方を発表された方が良いと思われます。こいつは地上スレスレの飛行でも設計上では900km/hでますから」


 安堵の表情を浮かべつつも前倒し飛行試験等を要求してくる西条に向けて、俺は丁寧に現段階のペースのままでの作業続行を提案する。


 理由としては、最もインパクトのあるのは飛行する姿を映像で収めて公開することだからだ。


 黎明期から第一世代までのジェット機において顕著なのは、高い高度よりも低い高度の方が速度が乗るということだ。


 アフターバーナー等も搭載されていない現段階のジェット機は、当然にして空気を圧縮して飛ぶ仕組み上、加速においてその性能を最大に発揮できるのは気圧がより高いところ……すなわち低い高度となる。


 これは速度が一定以上となればエンジン内に入り込む気流自体の量も増えるので実質気圧が上昇したのと同様の状況となり関係なくなるわけだが……


 だとしてもより低空の方が加速できるわけだ。

 低空だとプロペラ抵抗が増加して加速が鈍くなるプロペラ機とはここが違う。


 設計上の最高速度である905km/hについては、当初より上空だけでなく低空でも出せる数字。


 これが音速以上となると空気の壁が低空ほどブ厚くなるので最高速度は出せなくなるものなのだが、1100km/h程度なら空気の壁もそこまで問題となることはなく普通に極低空でも十分出せるし、加速も極低空のが速い。


 ゆえに低空で900km近くで飛行してその映像を撮影し、全面的に公開して第三帝国へ見せつけた上でMe163は同様の事が果たして出来るのかと煽ってしまえばいい。


 1000km/h以上を10月に出したとしても、こちらは高速巡航速度が900km台なのだと証明すれば軍部も無用な混乱は起こさないだろう。


「――なるほど? 確かに、飛行した方が心理的な作用では相手に与える衝撃がより強くなるのは違いない」

「一応、来月には低出力稼動による滑空試験も行いますが、そちらの映像を公開するという事も不可能ではありません。どちらとするか選んでいただければ幸いです」

「いや、お前の言うとおりだ。秋を迎える前にあのチョビ髭の鼻っ柱をヘシ折ってやるほうが皇国市民らも後ろ向きにならずに済む」

「そのために今日まで努力してきましたからね。お前たちの領域に我々もいると言ってやりましょう――」


 頂へ。

 一歩一歩近づく。


 もう俺の知るあの頃の皇国は存在しない。


 今あるのは、真正面から正々堂々と飛び込んで相手を制すことすら不可能ではない列強の一角へと上り詰めようとする東亜の島国。


 かつて侍の国と呼ばれた国の鋼鉄の翼は新たな姿へと形を変えつつあり、あの時は姿を見ることすら敵わなかった頂をしっかりと見つめ、静かに飛び立とうとしていた。

10数年後。

とある旅館の宴会場にて自動車関係の技術者達が嘆く姿があった。


「皇国には確かに二輪レースにも耐えうる頑丈なヘルメットはあるものの、これらはサイズが皇国人に合うだけで空力まで考えて込んでいるものではない」

「世界で戦えるレース用ヘルメットを製造するメーカーが必要だ。だがしっかりとしたFRP形成技術を持ってボートなんかも作っている"あそこ"でですらヘルメットには手を焼いているという……どうすれば良いものやら」


 レース用の車体を開発していたチームの技術者は口々に現状のヘルメットの性能に対する不満を述べ、酒を交わしつつあれこれ語りながら世界と戦えるマシンに必要な世界で戦うレーサーのためのヘルメットを所望していた。


 その姿を偶然にも目をしていた旅館のオーナーがいた。

 彼は旅館のオーナーでありながら板前でもある一方、別途FRP製の浮き具などの漁具を製造する企業の社長でもある立場だったのだが……


 その話を聞いてもう1つの企業の社員らと共にFRP整形技術を活かしたヘルメットを自作し、時折旅館に現れる開発チーム及び創業者の1人に向けて試作品を提供するのだった。


 しばらくした後、そのヘルメットは彼らの企業の純正ヘルメットとして採用される傍ら、レース用ヘルメットとして進化し、数多のレーサーが重用しはじめることとなる。

 これこそ信濃忠清が待ち望んでいた、もう1つのヘルメットメーカーなのであった。


 2つのメーカーは自社の強みを活かしながら、世界においても「Arai」「SHOEI」というブランドでもって信濃亡き後もレース界などを中心に活躍を続けることとなる。

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― 新着の感想 ―
[良い点] キ63がここまでの性能を発揮するとは。 これは戦後も東南アジアとか南米あたりで、長く活躍しそうですね。 [一言] 空冷エンジンのキ63でこれだけの仕上がりなら、信濃が液冷エンジンで戦闘機…
[良い点] 埼玉のArai!世界のArai!
[良い点] アライの二輪用ヘルメット製造が10年近く前倒しされて、しかも最初からフルフェイスFRP化ですか。 フルフェイスヘルメットは本来60年代後半にようやく市販されたはずなので、これでどれだけ多く…
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