第20話:航空技術者はエンジン改良に挑戦する2
ところで、一連の原因などがわかっているなら、なぜ山崎と手を組まなかったのかと今ここに集まっている長島の連中すら不思議に思うだろう。
そこは俺が知っていることが1つあるからだ。
なぜ長島飛行機が液冷エンジンにて失敗したのか。
それは単純にケストレルを倒立にするという、長島がよくやるいいとこ取りが大失敗だったからである。
彼らは小型でローパワーな正立V型エンジンではそれなりのモノを作れていたのだ。
山崎ですら第三帝国の古いエンジンの改良程度しか未だに出来ていない状況で、長島は1からの自作を出来ているのである。
長島がなぜ倒立で失敗したのか……
それは倒立V型が欠陥品だからだ。
倒立V型エンジン。
第三帝国を中心に航空機用として大戦期に登場した航空エンジンだ。
通常のエンジンならばシリンダーヘッドが上、オイルパンが下となるところ……
それを上下逆転させてオイルパンが上、シリンダーヘッドが下となる。
つまり構造的にピストンは地面を蹴るように真下に向かって動き、爆発によって生まれるピストンの動きはほぼ常に重力に逆らいながらとなる。
エンジンオイルの配置は通常通りの仕組みゆえ、エンジンオイルの消耗が通常の3倍。
それでも、航空機に搭載する上ではレイアウト上視界が開けるので都合が良いとされた。
だが、当然にしてこんな構造で振動抑制なんてできるはずがない。
通常、クランクシャフトから発生した一次振動はピストンの動きによってある程度抑制できる。
直角V型エンジンや水平対向エンジンがより振動が少なくなる理由だ。
このあたりのエンジンは振動抑制のカウンターシャフトが不要と言われる。
だがこれはきちんとエンジンオイルが潤滑していた場合の話。
倒立V型エンジンはエンジンオイルの潤滑が常に正常に行われることがないので、シリンダー内で不快な動きをする。
これが無駄に振動と摩擦熱を発生させ、エンジン自体の熱量を高めて焼きつきを起こす要因ともなる。
また、通常はクランクシャフトやピストンの自重も加わった形でクランク軸の回転運動が起きるのとはやや異なり、運動エネルギーのみでクランクシャフトを動かそうとするため……
爆発力が一定とは限らないキャブレター時代においては、接続されているプロペラ軸は燃焼によって発生した運動エネルギーをモロに影響を受け続け、クランク軸全体に常に想定しきれない負荷がかかる。
これがハ40で苦労したクランク軸が様々な運動エネルギーを受けて回転中にたわみ、クラックを生む要因となっている。
重力による自重で落下するピストンならば、ある程度制御できてしまうがそれが出来ない。
常にエンジンに負荷がかかるような背面飛行を行っているようなものなのだ。
これらのせいで起動中にも異常に振動しながらシャフトが回転するのを防ぐため、ローラーベアリングが複数必要となっている。
DB601は工業精度が必要だった――などというが、そもそもが倒立V型エンジン自体が割と無茶苦茶な構造となっているのだ。
当然にして大戦期を境にして消える。
ハ40やアツタがそもそも失敗している点はまさにここにある。
ローラーベアリングに関してはDB601なら4つ、ヒスパノなら5つ、ヤンカースですら2つ必要。
ヤンカース以外、どんだけ不安定な運動になっているんだといわんばかりの構造である。
むしろ倒立V型エンジンでありながら、最小限の2つに留めているヤンカースが光っているな。
さすが信頼性の高さから大戦末期に重宝されたエンジンのメーカーだ。
伊達に高度1万5800mまで飛んだ航空機に搭載されてない。
一方でマーリンについてだが、やり直す前の世界における当時の俺はそこまで興味を持つことは無かった。
どうせ再現できぬだろう。
無理だろうと決め付けていたのである。
しかし戦後から30年がたったある日、独立解放運動の活動中に王立国家に渡った俺は王立国家の博物館にあったマーリンを見て衝撃を受ける。
ないのだ。
ローラーベアリングなんてものが。
気になった俺は急いで陸海両軍の技研がP-51やシーファイアを分析したデータを確認した。
するとやはり軸受けにローラーベアリングがないことに驚嘆している記述がある。
そう。
後の技術書関係で当たり前のように語られる、大戦期の液冷エンジンにローラーベアリングを多数採用しているというのは嘘だった。
マーリンとV1650の双方共にそんなものはない。
軸受けは我々が空冷エンジンに使うのと大差ないものでしかないのだ。
そこについてはあまり真面目に検討することはなかった。
俺達皇国の連中が基本的に知っているのはケストレルまで。
ケストレルの頃はローラーベアリングなどなかったわけだし、そんなの当たり前だと思っていた。
だが俺は…………違うな。
技研の解析に関わった者達以外、陸軍関係の技術者は誰一人とてそこに注目しなかったのだ。
あれだけ活躍するマーリンにソレがないのだと。
なにしろマーリン搭載機との交戦は、開戦時期から数年間はほとんどない。
すでに液冷エンジンを諦めた末期にP-51が搭載したV1650が実質マーリンなわけだが、これが主。
この頃はもうそれどころではなかったので、手に入ったところでどうすることも出来なかったわけだが……
マーリンを支える評価の柱とは、こういった一連の機構に精度が必要となりすぎるパーツを除外するためにあえて正立を採用して構造を頑丈なものとさせ、その上でブースト圧をどんどんあげていって、エンジンパワーを引き上げていった所にある。
構造もDB601やヒスパノルイザの系統と比較すると非常にシンプル。
各種パーツは大型で構造部の強度も十分以上に保たせてある。
だからこそ後の改良においても各部の強化は最小限に留め……
ともかく、搭載されたスーパーチャージャーの高性能化ばかりに軸がすえられていた。
それで1600馬力出したのである。
そんなマーリンだが、よく巷では極めて精度が要求されるので皇国には量産不可能なんてな話が出てくる。
確かにマーリンエンジンは大戦期に存在する中で唯一流体力学を駆使して作られたエンジン。
エンジンオイルの流動などはとてもよく考えられている。
一方のDB601やヒスパノ・ルイザなんかはまるで考えてない。
それこそが全ての不具合に繋がっている。
全体構造の設計自体に無理があるんだ。
精度は重要。
だがな、難しいのはアルミ鋳造ブロックの製造だけだぞ。
V型、直列型、どちらも最も精度が要求させるのはここで、そもそもが問題になったベアリングなんて現代の自動車にも使われん構造なんだぞ。
自動車のベアリングは通常プレーンベアリングと言われるものだ。
半世紀後ぐらいに生まれた技術者がDB601をバラしたら大体こういう。
"なんでこんな面倒くさい構造になっているんだろう――"と。
半世紀後でも一から作るのが億劫になるような構造をしているし、整備したくなくなるようなパーツばかりで構成されているのだ。
それってやっぱ倒立V型がいろいろ間違ってるだけじゃないか。
きちんとした正立V型なら諸所の問題は解決しやすいという裏返しだろう。
液冷エンジンの問題とは鋳造ブロックの精度。
そこに関しての精度についてはハ40ではきちんとしたものを作れていた。
DB601もアルミ鋳造ブロックだ。
DB601で苦労したのはローラーベアリングと、冷却系統。
最終的に空冷化とかやってみたりして見事に成功したりするのだが、アレは量産できる代物ではないので……
最悪鋳鉄ブロックに置き換えることも考え、長島にちょっと作らせてみようと思う。
流体力学を駆使して作られたエンジンをベースに油冷にしたソイツがどうなるか……
やってみようじゃないか。
◇
「信濃技官。シリンダーヘッドはいいんですが、軸焼の問題は結局試作の倒立V型エンジンでは解決できませんでしたよ」
「長島知久平氏より製造記録を見せてもらいましたが、外注した企業がよろしくなかったようです。だから皇国精巧の技師を呼んだんですよ」
「ではこの人たちは……」
「お邪魔しております」
会議室に持ち込まれたエンジンと取り外された軸受けを山崎の技術者など無視して手にとってメモを取り、マジマジと興味津々見つめているのは皇国精巧の技師。
その道のプロフェッショナルにして、皇国で最も最初に軸受けを製造したメーカー。
ハ40について俺が知っていることがある。
それは皇暦2596年にDB601を導入して量産化を開始しながら、2601年に至るまで軸受けを自前で調達していたこと。
山崎の技師は手作業でやすりで削って精度を上げようなどとふざけたことをしていた。
それもまるでベアリング製造に関わってこなかった作業員がである。
当時軸受を製造できるメーカーは3つあったのだが、実は海軍もなぜか皇国精巧とは別の会社と手を組んでいた。
最も技術力があり、最も精度の高い軸受が作れるメーカーなのにも関わらずである。
理由は海軍工廠や東海地域に皇国精巧の工場がなかったからであり……
皇暦2601年に至るまで彼らがより精度の高くなる工作機械を導入せず、単なる町工場をもつ中小企業の1でしかなかったから目立たなかったためであるが、技研総出で軸焼け解消に必死で奔走し、解決できうる企業を探し回った結果、皇国精巧とタッグを組むことになってハ40の信頼性は以降劇的に改善されて三式戦がまともに戦えるようになっていく。
ローラーベアリングでまともなものが手に入るようになったわけだ。
次に問題になったのはむしろラジエーター類であり、軸受についてはこのメーカーによってどうにかする。
それだけじゃない。
彼らは排気タービンとジェットエンジン開発の上では絶対に必要不可欠の会社。
なにしろ彼らこそ、ネ20のタービン軸受を担当したメーカーであり、排気タービンの軸受を製造したメーカーなのである……
ローラーベアリングでだ。
3年前倒しで彼らを招集しているのは、ジェットエンジンのためのものであるのだが……
すでに西条に頼んで出資してもらい、第三帝国より工作機械を取り寄せ、彼らが皇暦2598年に多摩川にこさえたばかりの工場に納入させた。
元々2598年に多摩川工場は作るのだが……元来であれば最新の工作機械は3年後の2601年に導入する予定だったので3年前倒しである。
そして新たな機械で製造された平軸受によって届いたばかりのハ43は比類なき信頼性を獲得するに至っており、軸受1つで戦況を変えかねないと西条らを震わせた。
「軸受が解決しても耐熱鋼などの問題が……」
「正直私は開発中のジェットエンジンにしかニッケルは使わせたくないんですがね、今は好きに使っていいと本部長から通達が出たんですよ」
「いいんですか!?」
「書面は後で渡します。ただ、こいつ関係以外で大量に使うのは許さんとのことです」
まあ西条にそう書かせただけで、実際は今の言葉は俺の言葉なのだが……
西条には後述する件などと合わせ、ニッケルの使用についてはある程度使用可能範囲を広げてもらうよう説得したので、少しだけ未来が変わっているのだ。
「そんなー。勘弁してくださいよー」
「DB601よりこっちの方がよほど信頼性が高いんですよ。技研としてもそうしてくれとしか言えません。ニッケルについては一応の目処がついたので、今後しばらくはそれなりの使用が認められる予定ですがね」
発動機の技術者は顔が緩み始めた。
彼らは高額の予算を用いて開発に失敗し、中止を受けたことで気を落としていたと聞いていた。
長島の技師にはまるで天使が舞い降りたかのような気分となっているのだろうな。
DB601と比較して熱量も低く、ニッケル使用量もこっちのが格段に少ないんだからこっちでがんばってくれ。
ただ、ニッケルの問題についてはおいおい解決する必要性がある事ぐらいはわかってはいるつもりだ……