第164話:航空技術者はかつての仲間達と成し遂げられなかった重戦闘機を空に舞い上げる
皇暦2601年7月20日
技研に長島の発動機部門の者達がハ44を持ち込んでわずか72時間ばかり経過したその日。
立川には朝から4機の戦闘機が飛行場でその時を待ちわびていた。
「デカいな……」
「ああ」
「今日を迎えるまで、私はなぜ軍部が百式戦を軽戦闘機と種別するのか理解できなかったが……今ならばはっきりと軽戦闘機と断言できる。アレと比較したらこの世の全ての戦闘機なぞ軽戦闘機といって支障は無い」
「全くだ。てっきり私は重戦闘機という名は誇張だと思っていたが……思い違いをしていたようだ」
集められた航空隊の関係者らは口々に持ち込まれたキ63に向けて感想を述べる。
彼らはこの日、設計図ではない実物を始めてその眼で確認することが出来たのだ。
実はキ63。
百式戦闘機に続く純粋な後継機で、かつ皇国が心の底から待ち望んだ真の重戦こと重戦闘機については、ジェット機たるキ84と同等レベルの機密体制が敷かれ、その実像がボヤけた状態ででしか知ることが出来なかった。
それだけ慎重に事を運んだ理由は、影打として正真正銘の切り札のバックアッププランであるキ63は、ともすると状況によっては真打にすり替わる可能性もあったからだ。
あえてキ84に苦戦している偽情報を流して第三国をかく乱させ、本機を本命として情報を流しつつ持ち上げて揺さぶる方法もあったのだが……
西条は「士気に影響する」と述べ、それを許さなかったのである。
どちらが真打なのかわからないように情報を秘匿し、製造メーカーたる長島や立川を含めた限られた者達だけが情報を共有する……
そうすることである種疑心暗鬼のようなものは生まれるものの、その疑心暗鬼こそが第三帝国などを含めた敵性国家をかく乱させるに有効でありつつも、士気を著しく下げることにはつながらず、かつ無用な混乱を生じないと判断され、一時期より情報公開を全くしなくなったキ84以上にキ63の存在は不明瞭なものとなっていた。
小野寺中佐によると第三帝国はこれまでの皇国の戦闘機の進化の流れを逆算して2000馬力級であるという予想はすでにしており、さして意味はなかったのではないか……としつつも、2000馬力"級"にとどまるのか、2000馬力"超級"となるのかは今後の新兵器開発を含めた戦略方針に影響するため、あえて過小な評価を国外で流布するなどしていたらしい。
おかげで本機は皇国内の新聞でも「出力2000馬力」とされていたが……
それは半分正解で半分間違った評価だ。
新聞で予想された機体はハ43搭載機だけだ。
こいつが1980馬力、他は2000馬力を超えている。
中でも72時間という限られた状況の中、なんとか飛べるだけにまで仕上げてきたハ44は2000馬力程度などではない。
この日のために2430馬力にまで仕上げてきた。
数時間でオーバーホールが必要なぐらいに各部品は煮詰まっていないものの……12時間ほどの連続運転には成功している。
今日の日は心配なので念のため本来運用を想定しないオクタン価である100オクタンとしているが、本物の2400馬力だ。
正真正銘……本物の2400馬力。
その馬力さえあればNUPの最新戦闘機と同等に渡り合えると、今この場にて俺だけが知る本来の未来における2605年の段階で語られた出力。
現時点でこの領域にまで到達したという情報は諸外国から届いていない。
最大のライバルたるR3350は当然のごとく苦戦続き。
2000馬力なんてものはNUPですら大苦戦するものなので当然。
彼らは後2年の間にエンジンを形とするが、現時点でまだR3350は形になっていない。
試験モデルが何度も破損して改良しての繰り返しを続けている。
最終的に2500馬力をオーバーしたセントーラスも現段階では2000馬力超級にとどまる。
2400ほどの出力は手にしていない。
皇国が……皇国だけが手に入れた2400馬力なのだ。
本来の未来においては2610年まで不可能と言われた心臓部を……護の開発中止などによる集中と選択、さらにはハ25こと栄すらも投げ捨てて何とか達成したハ44。
生贄に捧げた分の余力のほぼ全てを注いだ力……見せてもらおう。
◇
「篠原中尉。感触はどうですか?」
「不思議です……振動は皆無なのに何か鼓動のようなものを感じる……細かい振動と共にスティックから伝わる何かが緊張を解すかのような……」
アイドリング音が静かなだけじゃない。
翼上面に乗っかって篠原中尉に向けて話しかけている自分も、そのまともではない感触は伝わってくる。
翼上面で振動を全く感じない。
なんなんだこいつは……40年先の高性能スポーツカーにでも触れている気分だ。
先ほどハ43搭載の試製1号機を確認した時とは全く違う。
間違いない。
絶対に速い。
そう言える。
今は超獣の本性を隠して大人しく振舞っているだけだ。
突貫作業でハ44を搭載した2号機については、テストパイロットを篠原中尉に任せた。
華僑にて百式戦にて戦い抜く彼はすでに多くの撃墜記録を持つ百式戦のエース。
最後に顔を合わせた時は准尉であったが、あれから昇進していた。
さらにいまだ存命でもある。
皇国のテストパイロットの大半は現在ジェット機関連などで忙しく、実戦投入も行う上で現場のパイロットを召還した上でテストパイロットとすることが適任と判断されたのである。
本来1号機に乗ってハ43タイプのキ63を任せる予定だった篠原中尉は当日急遽2号機に変更。
宣伝と士気高揚もかねて2号機にも特徴的な稲妻の塗装を尾翼に急遽施したのだが、おかげで1号機の手直しが間に合わず、稲妻塗装の機体が2機存在する状態になっている。
現状で彼以上に安心して任せられるパイロットは他にいなかったための措置である。
それでも尚、不安はあった。
「中尉。この機体は1時間ほど前に最終確認を何とか終わらせただけの突貫作業機体です。ともすると空中でエンヂンが脱落する可能性もある。危ないと思ったらすぐに試験中止か脱出を」
「心得てますよ。実際に飛ばないと見えてこないものですからね」
「エンヂンに使われた各種部品は完全に煮詰まっていない状態です。耐久性に不安があります。こいつも数日前にとりあえず形になった段階のもの……数時間保てばいいってな仕様です」
「まるでレース機ですね」
「申し訳ない」
「いえ……ありがとうございます。貴方のおかげで我々は迷い無く飛んでいける。百式戦から襷を受け取る次の世代の機体……モノにしてみせます」
本当なら事前に試験飛行などして機体に慣れてもらう必要性のあったところ、そういうことすらできず申し訳なく思う。
しかし彼は一切の不満を述べることは無かった。
ただ飛びたい。
そして皇国の翼として一切の不足無しと言えるハ44搭載型の重戦に乗れることに心が満たされる感覚に少しばかり酔っているようですらあった。
これならパイロットは大丈夫だ。
後は機体だけ。
なあみんな……キ117は間違ってなかったよな。
これで戦えるはずさ……そうだろ?
◇
「パッとしないな……」
「空力的にはあちらの方が優秀なはずとのことですがねぇ」
「液冷ってこの程度なのか?」
「機体が重すぎるのでは? 装備重量で5000kgをオーバー、飛行重量は6000kg以上とのことですよ。まるでこれまでの皇国戦闘機と趣が異なりますから」
ハ43搭載機の1号機、そしてこの日のために山崎と長島がそれぞれ製造した上で吸気タービンと組み合わせたマーリン66搭載機の3号機と4号機の飛行する姿を見た将校らは不満を隠さない。
見てればわかる。
運動性は並、機動性も並。
最高速度は680km少々って所だが、低空なのでその最高速度が発揮されることはなく、さらに機体が大きいので遅く見える。
しかも運動性は並という評価は全世界から見て並ってだけで、皇国としては落第点。
ようは2000馬力では足りぬということだ。
といっても、本当なら700kmを超えられるはずのマーリン66搭載型の最高速度が低いのはブースト圧を抑えているため。
2000は超えてるが2150馬力とかそんな程度だろう。
2200以上出せるはずだが、やってない。
調整が追いつかなかったんだろうな。
おまけに急な話だったのでカウル類も適当。
洗練されてない。
マーリン66搭載型については急遽試験することが決まったのだ。
完成した国産マーリンエンジンの性能を確かめたい上層部や未だに液冷をあきらめられない様々な人間によって。
すでに試験段階では少なくとも長島製のものは十分な数値をたたき出していたため、スピットファイアに載せれば700kmをゆうに超える速度を出すことは可能なことはわかっていた。
マーリンについては特に長島製の完成度は高かった。
事前にマーリンⅡを手にして油冷化調整などによって鍛えたノウハウと、本来の未来においては苦戦していた冷却水問題を長島内にいた天才によって見出されたプロピレングリコールを含有させることで突破したことにより、本国の技術者達も太鼓判を押すほど。
つまりはプロピレングリコールと長島の力双方を合わせれば十分戦える液冷レシプロエンジン搭載戦闘機は皇国でも作れたということなのだ。
倒立V型エンジンに拘る必要性なんてなかった。
2601年までにマーリンを手に入れて実用化し、主たる戦闘機に用いるという方法もあったわけだ。
そうなるとマーリンvsマーリンとなるわけだから、性能的な優位性については疑念も生じるが……そこは戦う相手次第だということ。
以上の状況の一方でハ44の開発が遅れていたため、ハ44が間に合わなかった場合のバックアッププランとして突如マーリン66搭載の話が持ち上がり、なし崩し的に試験機を作らざるを得なくなったわけである。
だが大口径エンジンを搭載する予定の大型重戦闘機であるキ63にマーリンエンジンは小さすぎた。
流体力学の関係上、正面が大きく膨らんでいても後部に向けて窄む形状というのは特に空力的に不利とはならない。
これらは本来の未来におけるキ63や、キ100が証明している。
だがその逆に小さな突起物の後ろが突如として大きく膨らむというのは、流体力学的に極めて不利。
いかに気流剥離をさせないかの構造において適切な形状とすることに困難を極める。
正面の構造体で大気を圧縮するならまだしも、そうでないなら余計にだ。(そもそもが圧縮するならするで適切な構造が必要だ)
むしろ気流の一部をあえて散らすことで騒音抑制などに繋げる事もできるので必ずしも採用しない形状でもないのだが(未来の新幹線のように)……航空機においては中々に珍しい形状となる。
俺がやり直す頃にはユグバスのベルーガみたいな例が無くはないが、こいつはコストの関係上A300からパーツ共有率を50%以上とすることを求められた特殊用途の貨物機であり、コックピット後部の貨物エリアである飛行船のような巨大構造物を適切な形状とすることで機首先端から散ろうとする気流を巨大な機首の斜め上かつ後方の位置にあるカーゴスペースまで流し込み……
そこで気流を揚力として胴体そのものを浮かすよう効果的に活用しながらもカーゴスペースそのものが正面から受けた気流を重ねることで剥離を防ぐ仕組みだ。
こういうのは新幹線共々何もない胴体そのものだから許されるのであって、正面が気流を散らすプロペラや層流を発生させるジェットエンジンのダクトだったらまるで逆効果。
キ63はキ100とは違う状況。
胴体径は太いのにエンジンは小ぶりで細長いため、エンジンナセルやカバーなどの一連の設計は急に提案されてもそう上手く行くものではなかった。
実のところ王立国家でもマーリンの優秀さが認知されると既存機が相次いでマーリンに載せ換えとなったため、類似する問題が一部の航空機にて生じたわけだが……
一例としてウェリントンなどが翼形状の影響でマーリン変更時に大変な苦労をしたことで有名だ。
あれはそのまま搭載したんじゃ径を合わせられないっていうんで、無理やりエンジンを前に突き出して何とか流体力学的に問題とならないダルマ型形状として事なきを得た。
それでも軽量化を果たせるぐらいマーリンが小型軽量高出力で助かったものの、大型機や双発機をマーリン化させる際において、当初設計では空冷星型エンジンを搭載していてマーリンに変更する場合に度々メーカーは頭を抱える事になったのだ。
こういう話は皇国内でもある程度認知されていたにも関わらず、上層部は強引に試験飛行に間に合わせるため、俺や西条の知らぬ所で密かに試験機のエンジン変更をメーカーに直接依頼し、長島は立場上無理難題を俺に頼る事無く達成せねば心証を悪くすると思ったため単独でこれを決行。
これは推測だが、恐らくそれが耳に入れば俺が中止しようとして動き、その動きが指示した勢力基盤の喪失につながる事を不安視してそうしたのだ。
長島は俺達とだけ仕事しているわけじゃないからな……
結果的にエンジン径を胴体径に合わせた形でカバーを大型化させたため、マーリンの利点が殆ど無い状態となってしまっている。
見た感じでは機首付近が王立国家のワイバーンから二重反転をやめたような形状になっている。
おそらくカウル内に空気を送り込んで内部のタービン用の配管を冷却しようと思ったに違いない。
配管を外に出さないようにしたことで空力的な問題を解決しようとした結果、ターボプロップエンジンのような見た目になっている。
ワイバーンのレシプロエンジンを搭載した試作機とレシプロのまま二重反転としたTF Mk.1とは違う、TF Mk.2以降の状態と似ている。
逆を言えばマーリンと一見してわからない形状というのは有利に働いているとは言えなかった。
ハ43に対する出力の余剰分を活かしきれていない。
当然にして将校らが思い描いている重戦闘機とは違っている。
きっと期待を裏切られた思いで一杯に違いない。
しかししばらくするとザワザワと口々に不安を述べていた将校らは静まり返った。
遠くよりかすかに聴こえはじめた高音のタービン音が彼らの耳に入り始めたためである。
マーリン搭載型と異なり、プロペラ音もエンジン音も静かなソレは、まず先行してより遠くまで響くタービン音が聞こえた。
「なんだこの音は……」
「別の新型?……うおっ!?」
俺や将校らの頭上を高速で一気に貫いたハ44搭載の2号機は、その怪力の全てでもって我々の視線の先にて瞬く間に垂直ループを描き……そして速度を微塵も落とさずに一気に描ききる。
その姿は完全に別の機体といって差し支えなかった。
モタモタした動きであった他の3機とは違う。
まるで聞いたことがない低いエンジン音と、高音のタービン音が組み合わさった飛行音。
タキシング中における"ドルルルル"という独特の低音サウンドは高回転側に至っても低いまま。
まるでジェット機のようなタービン音に混じって聞こえるドゥオロロロという、これまで俺が生きてきた中でも聞いたことがないような重低音サウンドに周囲は完全に静まり返った。
先ほどまでのキ63とは明らかに違う。
巨体と大重量をものともせず、軽々とした身のこなし。
それは俺が望んだスペックを間違いなく発揮していた。
足を出したまましか飛べなかった本来の未来におけるキ87。
組み上がった状態でそのまま飛ばすことが許されなかったキ117。
両者共に、仮にまともに飛んだとしてもハ43を搭載した状態と並んだとは思えない。
だが、頭の中で俺を含めた技術者達は思い描いていた姿があって……そしてそれは今、間違いなく目の前で飛んでいる。
それを目撃した刹那、目の前にあの日の光景が蘇ってきた。
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「――どうしてですか! すでに機体は完成しています! 飛ばさせてください。もう爆撃はたくさんだ。あの上空にいる怪鳥をどうにかできる機会はもうありません! 後生です!」
格納庫の片隅で開発チーム責任者に向けて自らの正義に燃える青年がいる。
彼は技術者の一人として最後の切り札たるキ117の開発を任されていたが……最後に一矢報いるため、その命を燃やさんとしていた。
キ87の事実上の失敗以降、彼はもはや壊れかけていた。
戦場に向かった仲間達に切り札として求められた存在を送り届けられなかったばかりか、初めて戦闘機開発の主要メンバーとして選ばれた立場ながら失敗作としてしまったことに、深い自責の念に駆り立てられていたのだ。
「ならん! お前もわかってるはずだ! 2400馬力なんて出ない! 精々1700行けばいい方だ! この味方の砲弾の嵐の中を飛んだって無駄死にするだけだ!」
「それでも600km出せれば体当たりぐらい出来る! 非国民と罵られながらこれ以上生きたって何の意味もありません。だったら一人でも多くの者を伴って靖国に行く!」
「このたわけっ!」
「うぐっ」
予想だにしない筋力による拳の一撃にその場に倒れこむ。
それでも青年は食い下がらんとばかりに相手をにらみつけることを止めなかった。
「皇国を一人で背負ってるつもりか貴様は。足りないのは全てなんだよ! 工業力! 技術! 技術理解! そしてそんな中で他を圧倒するほどの知見を有した技術者! 何もかも足りない! それをわかっていて我が国は戦いを挑んだ。その結果が今だ! 将校殿らは未だに逆転の秘訣があると思っているようだが……そんなモノあるはずがない! 玉砕するか、素直に負けを認めて次の算段を練るか……どっちかだ」
「ならばなお更!」
「貴様は技術者だろうが! 技術者なら技術者らしく最後まで足掻いて見せろ! 例え泥をすすることになっても、皇国の技術者としての本分を全うして見せろ! それが技術者として国に生涯を捧げると誓った者の生のあり方だろうが! 第一あれは戦闘機だぞ! 体当たりするために機銃が付いているわけじゃない! 何のために戦闘機として開発が許されていると思ってる!」
「貴方はそれを面と向かって将校らに言えるのか!」
「言うさ。言ってきたからこそ開発を許可されたんだ。体当たりをするための戦闘機なんぞ俺は作らん。言い切ったからこそキ87もキ117も許されたんだ。上だってわかっちゃいるんだ。駄目なのはそれを強いるモノしか作れない俺たちの方だろうが!」
「技術屋の意地も見せぬまま果てるなんて自分には出来ない!」
地面を己の脚で叩き、自らの姿勢を正す。
もはや軍令も作戦も上下関係すらも彼の中には存在しなかった。
まだ齢30にも達しないその青年は、相対する人間にとっては自殺したがりの駄々をこねるそこいらの子供に成り下がっていた。
「はあ……失望したよ信濃。技研の中でお前は俺達にない発想力と、皇国人らしい性格あってキ87の時に声をかけたというのに……お前もそっち側の人間なのか。それじゃあ自分も飛ぶといってさらさら飛ぶ気すらなく必死の兵器を作った男と同列だぞ」
「違う! 責任を取るからこそッ!」
「責任は未来永劫背負い続けるもんなんだよッ! 俺達のように国に奉仕する立場の人間というのはな、国家を成す歯車の1つとなったその瞬間から責任を負ってんだ! 本当は国民全員がそうであるべきだが、俺たちが背負うべき者はそこいらの市民とは大きさも重さも違う。己が歩んできた道が死でもって償えるとでも? 俺からすればお前は目の前の惨状から目を逸らして楽になりたいだけの卑怯者だ! これから先にどんな地獄がこの世に待っていようともそれを受け入れろ。それが陸軍の技術者としてお前が成すべきことだ。ともすれば来世に機会が訪れるかもしれないが……今お前に来世が訪れたって、皇国にしてやれることなんて1つもありゃしない。歯車の1つにもなれぬ野良犬よ。今のお前に技研の肩書きを背負えるだけの力なんて無い。わかったらとっとと失せろ!」
言葉の終わり際に壁にかかった大きな工具を取り出した男は、それを両手で抱えながら形だけは整って見えるキ117へと少しずつ歩んでいく。
「何をするんです!」
「破壊するんだよコイツを。NUPに渡してなるものか。これは俺たちの執念の塊だ。それをあんな奴らに触らせるものか。お前はとっとと去れ。今のお前にその光景を見ていられるわけないだろうが!」
「くっ」
「もういいだろ信濃……こっち来い。頭を冷やせ」
「中山! やめろ! 離せっ」
ある意味で救いの手であったその手を振りほどこうとする青年は、もはや自分が何をしたいのかすらわからなくなっていた。
感情と本能に全てを支配され、思考することが出来なくなっていたのだ。
「頼むから言うことを聞けっての。みんな少なからずお前と同じような思いを抱いてんだ……それでもここにいるのはお前より"大人"なんだよ」
そのまま青年は引きずられるようにして格納庫から追い出された。
青年が少しばかり離れた後から聞こえる金属の衝撃音。
それは手塩にかけて磨き上げようとしていたキ117の断末魔に他ならない。
もはや終戦は秒読み。
それは一度皇国がNUPに対して無条件降伏を飲む前日の事であった。
すでにその事を把握していた者らによって、キ117は一度も飛ぶことがなく、永久に葬り去られたのだ。
◇
「落ち着いたかよ信濃」
「どうしてだ……どうして……」
「お前だけじゃなく全員が悪いんだ。その責任を全国民が取らされることになっただけさ」
「どうすれば勝てたんだ」
「さーなあ? 戦車もなけりゃまともな航空機もない。空母と戦艦ならあったかな? すでにみんな沈んでるが……何が足りなかったかすら検討がつかん」
「ジェット機があれば……」
「俺たちが自力で作れるまともなジェットエンジンなんてこの世にあるわけないだろ。あったとしたら奇跡だよ。もちろん耐熱鋼を使わないジェットエンジンになるわけだろ。アルミ合金とかで作れるっていうならとっくに実現してんだろー」
「ならせめて2400馬力に達する発動機さえ……」
「生半可な方法じゃ無理さ。実はこの間ちょっと計測したんだがよ……あのハ44な、1760馬力しか出ねんだ。あれじゃ100オクタンガソリンが辛うじて使えた頃のハ45と変わらん。高空600km/h越えは無理だ」
立川基地の片隅にて座り込みながらひたすら俯いて独り言のように呟く青年に、同期の仕事仲間は声をかける。
彼もまた冷静に状況を見定めてどうするべきかを考えられる大人なのだった。
「何度過去に戻ろうとも勝機が浮かぶだけの神がかり的な兵器の発想ってのがねえ。現用の技術理解でどうやってこの国の今の状況を覆せるんだか。ロケット……いや、無理だな。本当に稼動する2400馬力発揮する発動機を作ったって足りない。あっちはもう3000馬力近く出るんだろう? かといってその敵さんですらジェットに手を焼いてるときてる。第三帝国の作ったジェットエンジンは俺らで作れるとも思えんし、エンジン寿命も大した事無いって話だぜ」
「そもそもがジェットエンジンなんて完全実用化できるのかもわかりゃしない……みんな将来性の無いものに血眼になってるだけかもしれない」
「かもな。数千時間単位で動くジェットエンジンとか魔法でもかかってるんじゃないか。何の合金で出来てんだよ。サイエンスフィクションだろそんなもんは」
「でも俺は……ハ44なら、ハ44ならきっとどうにかしてくれるってキ87の頃から――」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「――ずっとずっとこの瞬間を!!! 信じていたんだ!!!! あの時のみんなだって!!!」
「なんだ? あの男は技研の……開発責任者か?」
「もっとだ! 中尉! もっとブーストを上げろ! エンジンが壊れたっていい!」
ふいに蘇ってきた何かに突き動かされ、あの時いた周囲のメンバーの囁きのようなものを受け取ったかのように無線に手をとり、そして中尉に向けて指示をする。
「ぬおっ!?」
「さらに音が……」
一段階加速しているのが手に取るようにわかる音の変化。
中尉がこちらの意思を汲み取ってブースト圧を調整するツマミを動かした。
エンジンにかかる吸気の圧力はさらに上がった状態となる。
今一体何馬力出ているのかわからない。
だがこんなもんで終わってたまるか。
2400程度で終わっていいエンジンなものか。
2400馬力程度で終わっていい戦闘機であるものか。
「速すぎる……低空でこんなに出るのか?!」
「700以上出てるんじゃないのか……なんか翼がヘンだぞ!?」
何度も旋回して頭上を通過する2号機。
目が泳いでしまうほどに速い。
一段と速度を増し、もはや通過音はジェット機なのではないかと誤認しかけるほど。
通過する刹那、シュワゥという空気を切り裂く音はどこの世界のどの国の戦闘機なのかと問いかけたくなる。
そんな大台に乗った速度で水平ループを行ったとき、俺も将校らも確かにソレを確認した。
そして遠くから試験飛行の様子を覗き見している白人達も、確かに見たはずだ。
王立国家か、NUPか、はたまた第三帝国の人間なのか知らないが……偵察してやがる。
どこからか情報が漏れたに違いない。
王立国家はまだしもそれ以外だとすると厄介だが……この際だ、存分に見ていけばいい。
高速機だけが見える空気の壁というものを。
翼の後端に雲を纏っている試験機の姿がそこにある。
それはレシプロ機の限界速度付近で急制動をとった際にのみ見られ、そしてジェット機ならば割と楽に見ることが出来る高速領域に達することで確認できる空気の壁。
600km以上の高速領域にて急制動を行った際の気流剥離によって確認できるもの。
翼が優秀でなければ確認できないため、中々レシプロ機では見ることが出来ないのだが……
これまでにない翼断面形状の主翼は見事に乱流を押さえ込んでいるので翼後端で発生した空気の壁がはっきりと確認できる……機体はもはや雲を引くのではなく、雲を纏って飛んでいる。
俺の知る従来の皇国の戦闘機では急降下からの急制動で、主翼の破壊する間際に一瞬見られるかどうかといった状況。
それをこいつは翼の破壊なく見ることが出来る。
運動性の高さはその裏返し。
高い運動性は、もはや大気の方が追いついてこず白旗を揚げているかのような状況なのであった――
◇
「アタタ……」
「どうされました?」
「いえね、ちょっととんでもない加速で……どうやら首を捻ったみたいです。とんでもない怪物ですよ。うっ……これは腰もやってしまったかな? 明日以降は筋肉痛にうなされそうです」
「大丈夫です?」
「大丈夫。大丈夫。問題ありません。こんな加速初めてですよ。すごい機体だ……」
篠原中尉は試験終了後にて、首をさすりながらこちらへ近づくと、まずは最高の機体だったとばかりに握手を求めた後で、首を痛めてしまったことを素直に嬉しそうに報告していた。
レシプロエンジンで首を痛めるほどの加速Gがある戦闘機なんて聞いたことがない。
試せる機会があるなら試してみるか?
加速G以外で首を痛めた可能性もあるが、それだと座席の設計に間違いがあったことになるからな……気になる。
「今日は大盛況でしたよ。中尉……ありがとうございました。ブースト圧を上げてくれましたよね?」
「はははっ。一応テストパイロットなんでね、指示があれば何だってします。エンジンが音を上げるかなと思って心配でしたが、まあ問題ありませんでしたね。なんていうか……2400馬力じゃないですねこいつは。もっと出る。今日一体いくつまで出力が出たのか知りませんけど……低空で700km超えてたような気がします」
「ええ。おそらく超えてましたよ」
中尉には何も語らなかったが……これなら間違いなくあのベアキャットですら軽く追い掛け回せる。
そう理解できるだけの速度を試験機は示してくれた。
ベアキャットとは戦う事は無いかもしれないが、飛ぶ姿を確認したことがある立場としては全方位でアレを上回ってることだけはわかるんだ。
試験終了後の去り際、将校達は言葉にならぬといった状態でしばらく何もない青空を眺め続けていたことが記憶に残っている。
そんな彼らに俺は終了を宣言した後で一言付け加えておいた。
「本日飛んだ機体は、全て一切の軽量化のない完全武装状態です」――と。
その言葉に彼らは絶句し、それ以上こちらに何か問いかけることなどしなかった。
散々不安視していた機体の真の姿に失望しかけ、それを言葉にして口にした己を恥じたのかもしれない。