第163話:航空技術者は機械の奏でる音色に魅了される(前編)
静穏式ヘリコプターの基本設計図が完成して数日後、俺は一連の構造について特にローター周辺の構造部位に関してシコルスキーに開発を任せることとし、西条に向けてはヘリコプター静穏化に伴う製造価格の上昇に対する詳細と、製造に必要不可欠なFRPを調達する計画の概要を記した書類を提出した。
現段階の皇国とNUPなら契約は結べるだろう。
必要か必要でないかで言えば、ほしいが優先度合いが高くはなかったFRP。
こいつは本来の未来ならばヤクチアが手に入れてきて皇国に流してきた技術だ。
そいつを熟成させるのにかつて皇国と呼ばれた地域は10年ほど費やすこととなる。
だが最終的にそれらで培ったノウハウは世界屈指の炭素複合繊維成型技術などへとつながっていく。
必要ではあるんだが現段階で入手して果たして活用できるものなのかは未知数。
FRP部材を作るための原材料となる繊維プラスチックも現段階での皇国の力で自作出来るとはとてもではないが思えないので状況を見守っていたのだが……
ローター素材に必要なため入手せざるを得なくなった。
本当はこいつが活用できれば様々な分野で有効利用が期待できる。
それこそちょっとしたFRP製ボートを二輪を現在製造しようと努力している皇国楽器に作らせてみたりとか、未来のものよりかは確実に劣るものの、その防弾能力を活かしたジャケットを試作してみるとか……
航空機の軽量化だけでなく多くの工業製品において利用できる画期的な素材ではあるんだが、いかんせんそれを製造、運用するための土台が無い。
その状態でローターを作ろうなどむちゃくちゃを言っているようだが、実は現段階でもFRPについては皇国楽器が航空機用プロペラに使えるのではないかと注目をしてはいた。
本来の未来においては当然にして我々は敵だったのだから渡す気などサラサラ無く、手に入れようとも手に入る代物ではなかったのは言うまでも無い。
だが今は違う。
望めば手に入るが……この手の技術ライセンス料はぼったくられるので皇国企業としては目先にある程度確実性のある利益でもないと簡単には導入できないだけだ。
だから状況が変わっても手に入れていないのは……PCCとかと同じ。
しかしローターそのものを作れる可能性のある企業だけに、本来の未来にて様々な分野で活用するあの会社にローターブレードの製造を任せてみることも検討しておかねば。
◇
「――あ、いたいた! 忙しいと言われている一方で食事はきちんとした時間に採るんだな。探してしまったよ!」
「向井さん!」
「参謀本部から面白い商談を持ちかれたからね。食事がてら少し話そうか」
計画書その他の資料を郵送したその日の午後。
朝から各種業務をこなし、昼休みとなったので食堂で食事を取っていると向井氏が現れた。
何を話そうとしているのかは即理解できる。
西条はFRPの調達計画を四井物産に任せたのだ。
まあ陸軍がこういう時に頼るのはいつも四井物産なのだから、今回も従来通りの方針で行くというだけなのだろうが……
このとてつもなくスピーディーに事が運ぶのは間違いなくヘリコプターそのものに賭ける軍の姿勢を表している。
基本は救援機かつ物資輸送用の貨物輸機としての運用が主力のロ号は、すでに王立国家やNUPなどの技術関連雑誌などでも活躍する姿が取り上げられて注目されていた。
ロ号はやろうと思えば500kg爆弾を両脇に抱えて飛べるわけだが、この機体は事実上滑走路を必要としない。
水平飛行の最高速はきちんとしたローターを手に入れて約200km少々。
一見すると最新鋭固定翼航空機と比較すると大したことはないのだが……
現実を見てみればこれに+100km足した程度の複葉機が現時点でも存在し、一部では本気で飛んで戦っていることを考えれば注目されないはずがなかった。
一連の複葉機は1000kgなんて積載量あるわけがなく、こっちはそいつらと比較しても小ぶりでありながら怪力とも言える積載力でもってそれなりの距離を飛べるのだ。
今や少しずつではあるが各国に貸与という形での供与が開始されている現状、各国での急務は固定翼機とはまるで操縦に必要となる素養が異なるヘリパイロットの確保である。
皇国陸軍、そしてすでに配備が開始された海軍でもこれには手を焼いている様子ではあったが、少しずつ素養のある者を見出して人員は確保できていた。
そんな中、一連の雑誌の中に妙なことが書いてあったのが俺は気になっている。
NUPは退役軍人かつ二重国籍者などを中心に傭兵として各地に派遣し、ヘリパイロットとヘリ運用について模索しようとしている――という話なのだが……
本来の未来において最初に大量配備の下で運用法を見出した国はさすがに手が早い。
技術が盗まれる可能性は低いということから立場上排除しにくいので現在は静観している皇国ではあるが、仮にNUPと敵対することとなったら彼らはシコルスキーに大量に製造させてこちらにけしかけてくる事になる。
可能な限り妨害したいにも関わらず人命救助にて大活躍をし、配備地域周辺での殉職者が信じられないほど低下する現状、その立役者となるパイロットを排除するのは容易じゃないのがな……
あっち側の言い分は「もう1つの祖国なのだから、祖国のために奔走するのは当然」――と言い張っていて、その論理を崩す方法は皇国の上級将校らや政治家達ですら思いついていない。
どうせしばらくしたらNUPに戻って得たノウハウから訓練法や運用法などを確立させてしまうに決まっている。
それに非常に長けた大国こそがNUPなのだ。
……やってくれるぜ。
こういう時に俺の本来の未来における知識は役に立たない。
技術者としての限界だ。
ならば俺は技術者として出来る方向性にて、あっち側からモノを手に入れて活用するしかないな。
「――FRPの話、感触はどうです? 譲ってくれそうですか」
「ははは。昨今の状況下においてあの国から持ってこられない技術なんてものはないよ。ようは作れるか作れないか、いくら払えるのかだけさ。最近は私も直接商談する機会が増えた。今丁度陸軍からシールドビームライトとやらの有償による技術供与について我が社が商談役を勤めさせてもらっていてね……技術関係の商談は今年に入ってFRPで4つ目だ」
「シールドビーム?」
「おや? 君も関与しているのでは? 最新鋭の兵器に投入すると聞いているのだが」
「いや……レンドリース法下で大量に仕入れてくる予定で、自国生産は考えてませんでしたよ」
「なるほど。つまり自国生産できない危機感から独自に動いている人らがいる様子か。今のは失言だった……かな?」
「問題ありません。そういうのは任せていますから」
状況はすぐさま理解できた。
俺がジープ用のシールドビーム以外論外と主張し、その採用以外認めない強硬姿勢であったことから、「ならば技術を手に入れてきて作れば良い」――となったのだろう。
上層部の一部の連中がずっとNUPのみからなる調達に難色を示していたための落とし所をそこに見出したのではないか。
「はは。君のそういう所が上層部から好かれているのだろうね。入手法まで限定するようになったら火花が散る。君にとって必要なのは自身の要求性能を満たす存在そのものか」
「そうですね。ちなみにどこで作らせる予定なんです?」
「陸軍が声を上げて真っ先に手を挙げたのが御糸製作所だった。鉄道用信号機や鉄道用照明に使えるからと」
御糸製作所……か。
本来の未来にてセミシールドビームを自作した会社だ。
他からも手を挙げてもおかしくない状況なのだが、軍需で忙しくて手が回らなかったか。
「数年前に新たに鉄道車両製造部門を立ち上げて業界内では新興企業として奮闘していた御糸製作所は、2年前の大洪水で華僑にある工場などの半分が機能停止に陥ったのと、華僑での鉄道関連事業について不用意な競争で自滅して国外企業に需要を食われることを嫌って合弁会社が生まれることとなって単独の車両製造からは手を引かざるを得なくなり、割と自身の製造力を持て余していたからねぇ」
「そういえばそんな話を新聞で見ましたね」
「うむ。彼らは東京近郊に新工場まで作って車両製造メーカーとして歩んでいきたかったのだろうが、今は鉄道信号機や鉄道車両用の照明装置で確固とした立場を得たい様子だ。工場もすべて照明器具製造のために生産ラインを整え直している最中で、生産力、開発力には相当分の余裕がある」
確か京浜工業地帯周辺に工場を新設していたんだっけか。
人員確保までやって……相当な意気込みだったことを新聞か何かで読んだ記憶がある。
それだけじゃない……
「そういえば華僑における鉄道関連事業で四井物産とは関係があったんでしたっけね」
「その通り。あっちでの鉄道整備は結局は独力で出来ないから現状では皇国を頼らざるを得ない。ただ、車両メーカーが乱立して互いに受注合戦を繰り広げるとコスト高騰などが起きたりして第三者に掻っ攫われる可能性があった。16社以上からなる合弁企業を作ったのも皇国政府や我が社による事業戦略方針によるものさ。おかげで独占受注できたのだから損失は出していないのだが……当然にして経営者や技術者らとしては単独事業化できなかったら燻るに決まっている」
「技術者の一人として大変理解できる話です」
「だから本件は手を挙げた時点で彼らに任せる事にした。無論、確たる技術力もあることを理解の上でのこと。信頼しているからこそ任せる事にしている」
それはまるでFRPの活用ができる企業について君は理解しているんだなと促すかのような口調であったが、何かあるのかもしれない。
簡単に譲ってくれないか……それか契約手法に何か問題がある?
「もしや……一連の話はFRPの技術供与に何か関係があったりしますか」
「察しがいいね。さすが信濃君だ。シールドビームは大規模な需要が見込めるからこそ技術供与の商談に前向きなんだ。理由はライセンス料が一括支払いで、その額が尋常じゃない。いったん決済用の管理企業を設立して各種パテント費用に関わる知財と財務管理をしないと信じられないほどの損失を被る。この先20年は本技術で生産される照明器具が生産され続けないと元が取れないようなものなんだ。正直、人によっては特許切れまで待つような技術案件だ」
理解できた。
つまりは――
「FRPも同じということですね? ローターブレードだけで終わらせようとして製造費に上乗せすると、とんでもない額となってしまう……と」
「そう。実はFRPについてはいくつかの企業から商談の仲介を頼まれて1年ほど前に本国企業と何度か話し合ったことがあるが、彼らはFRPが化けるのか化けないのか未だに未知数という観点から莫大な額の一括ライセンス支払いのみを要求してきた。例えばこの技術が各所で大量に製造されて世において普遍的で永久的に活用されるものであるというならば破格の条件だ。1個あたりのライセンス料はあってないようなもの。だが、応用が一切できず大量生産もしないならば不良債権となんら変わらない」
「応用ですか……」
「可能な限り大量生産できればそれらの製品価格に上乗せすることで減価償却していける。現状でのFRPのライセンス購入は正直正攻法でやるならオススメできない。"それなりの金額を積んであの手この手で盗んできたほうが早い"と言えるよ。用途を軍事だけに限定すれば、だが」
それは皇国内の限定利用ならば問題ないのだが……輸出する場合は裁判沙汰になって天文学的な額を要求される可能性がある。
また、向井氏の提案は恐らくサンプルや特許情報を入手しての自力開発も視野に入れての話なのだろう。
実際にナイロンについては2598年にサンプルと特許情報だけを入手してきて「ナイロン66」に対する特許に抵触しない「ナイロン6」の自力開発に本年の段階で成功したのが本来の未来。
新聞雑誌を見る限りは現実世界においてもほぼ同様の流れとなっており、来年にはナイロン6の販売がされるのは間違いなさそうなのだが……
FRPでまでそれが可能かどうかについては怪しいし、そもそもそんなに時間をかけてもいられない。
ゆえにFRPではそれをしたくない。
今後を見据えれば航空機の主翼の一部においてFRPを用いることだってあるんだ。
例えばNUPのModel747の主翼には外板を構成する部分において他の素材とサンドイッチされるような形でFRPは活用されていた。
そういう使い方もある。
手に入れるなら輸出も視野に入れておきたい。
応用法か……かつ大量生産できるもの……
「救命用ボートや小型ボートだけでは足りないですしねえ」
「もっと……安価でも100万個単位で生産できるようなものでないと駄目だ。そういうものはなさそうかい?」
無くは無いのだが……未知数すぎる。
それでも提案してみるか。
「そしたらヘルメットとかですかね」
「ヘルメット? 鉄帽の代わりになるというのか」
FRPヘルメット。
残念ながらFRP自体の大量生産を実現したNUPでですら大戦中における実用化は頓挫したものだが、彼らは繊維強化プラスチックが一定以上の防弾能力があることに着目し、大戦後から開発に力を注ぐ事になる。
実はその前段階の時点で来年に標準化されるM1ヘルメットの一部メーカーの中帽たるライナーはFRPで出来ていたのだが……(大量生産の影響により、M1ヘルメットのライナーは樹脂とFRPの二種類が存在していたのだった)
こいつが鉄の外帽たる帽体との相乗効果で単純な樹脂ライナーのM1ヘルメットと比較して防弾性能に優れていた事に気づき、その後、FRP製ライナーに使用されていた化学繊維そのもののさらなる強度向上を目指しながら戦闘用ヘルメットという存在を模索していった結果誕生するのがFRPヘルメットである。
FRPといっても使われる化学繊維はケブラーなどであり、現用のものより数段上の強度と防弾能力を誇る。
それこそ俺のやり直す頃において戦闘用ヘルメットというと、7.62mmライフル弾で狙撃されても貫通しないことがあるぐらいで、ある兵士は戦場で頭を狙撃されたが首の捻挫だけで済んだというほどに研ぎ澄まされていくわけだが……
それらをヘルメット状に成型していくための技術やその他は2600年代からすでに始まっており、その過渡期において存在したのがM1ヘルメットの中帽ことライナーなわけだ。
現状で同様の防御力を得ようとするなら鉄より軽いだけでかなり分厚く重いヘルメットになろうが……それでも鉄帽と比較して重量的にも防御力的にも優位なものとなるのは間違いない。
また、戦闘用のヘルメットとしてだけでなく戦闘機用などのヘルメットとして活用することも出来る。
最悪はM1ヘルメットと同様、ライナーにFRPを適用して鉄帽の防御力を向上させるという方向性もある。
これ以外となると各工業製品では部品単位だ。
鉄道用の内装の各種カバーとか、自動車のボディまたはボディの一部、二輪のマッドガードとか……
後はユニットバス用などに使われる浴槽とかか。
大量生産に向く素材ではあるが、現用において大量生産される存在に使えそうなものは限られるな。
やはりヘルメットが本命か。
「ヘルメットか……確かに大量生産される代物ではある。しかし、任せられる企業にアテはあるのかい?」
「無くは無いです」
「一応交渉自体は進めるよう申し付けられている。首相にも伝えたが応用できるモノと企業をいまのうちに探したほうがいい。今日来たのは君にもその協力を要請したかったからだ」
「わかりました。頭に入れておきます」
静穏ヘリコプターはすぐに必要となるわけじゃない。
とはいえいずれ必要となるもの。
近いうちに西条にヘルメットの件を話そう。
大戦中に間に合わなかったとしても、大量生産は出来る。
高いライセンス料は無駄にはならない。
◇
向井氏が訪れた日の3日後。
突然の来訪者達に驚かされることとなった。
なにやら朝から轟音が聞こえたと思ったらすぐ近くの飛行場に着陸していたのは百式輸送機である。
まだ日の出から1時間少々。
こんな朝早くに輸送機が訪れるなんて珍しい。
遠目から様子を伺うと輸送機から出てきたのは長島の発動機部門の技師達であり、彼らが百式輸送機から丁寧に運び出していたのは、布で包まれていたものの一目で星型エンジンとわかるものであった。
わざわざ太田飛行場から輸送機で持ち込むなんてよほど急いでいたのだろう。
まさかハ44でまた何か問題が発生したのだろうか。
もう流体力学技術でどうにかする方法なんて無いぞ。
いよいよ世紀の大失敗を犯してしまったか。
――などと不安にかられていると、彼らは大急ぎで技研へと向かってくる。
その様子は慌てているというよりかは、明らかに興奮しているという様子であった。
「―技官! 信濃技官いらっしゃいますか! ハ44の試験機がついに完成したので是非見ていただきたくッ!」
若手の技師は溢れんばかり声量でもって周囲のガラス戸を振るわせる。
「例の構造は上手く行きましたか?」
「是非ご覧いただきたい。技官の流体力学的理解に間違いはありませんでした。トンデモないものが出来上がっていますよ。さあ早く!」
俺はまだ冷静さを保っている。
恐らくはまだ実証用の試験モデルのはずだ。
量産するにあたって問題が出たり、長期耐久試験で多数の問題を生じえる不完全な雛鳥からそう逸脱するものではない。
ましてや数十年後の流体力学を用いて改修したといっても、現用の皇国の技術力はたかが知れてる。
そう簡単にこちらの心を揺り動かすような代物となるはずがない。
やったのは付け焼刃的対処だったはず。
タンブル流だけでそんなに変わるのかどうか……見せてもらおうじゃないか。