第156話:航空技術者は新たな時代の幕開けを瞳に刻む
「――報告はそれで全てか」
「はい。交渉内容等もお手元の資料が全てです」
「ふむ……それで、お前はまた陛下のもとへ頭を下げにでも行くつもりか?」
「いえ、全く。こういうのは2度目は無いものと考えておりますし、私はそもそも謁見することも許されぬ立場と自らを理解しております」
「それはどうかな……」
「……それに、1度目と今回とでは状況が異なります。前回は大敗した要因の1つであるからこそ動かねばならなかった。いわば見えていた大局に対して変化を生じさせねばならなかったからです。しかし今度の件はあくまで計画の進行速度とその成功率を高めるためのもの。元来ならば技術屋が自力で達成すべき話です」
商談が終わった当日の夜。
立川にてすぐさまその日の交渉内容をまとめた俺は、夕食すら忘れて参謀本部へと足を運んだ。
やや殴り書きに近い内容記述ではあったが、論点と状況を箇条書きにしてわかりやすくしようと努めた内容に対し、西条は冷静に状況を分析しようと勤めている様子である。
「ここに書かれている内容を見る限り、代替案というものはあるのだな?」
「代替案というよりかは、正確には20年~30年先において普遍的となる処理手法です。しかし現在の我々にとって、そのやり方はあまりにも技術的ハードルが高すぎる」
「あれも出来ぬ。これも出来ぬ。10年前から何も変わらん。いつもそうやって自国の工業力の無さを突きつけられてきた。戦車1つだってそうだ。数年前に私は四菱の技師より25屯程度が将来に渡る生産可能な皇国の戦車の限界だと言われた。その言葉を無視しつつ、いざ歩みを止めずに耐えてみれば5、6年程度で世界屈指の40屯超級戦闘車両が量産できるかもしれないとはいうが……それもお前や第三帝国からの亡命技師達の力あっての事だからな……お前が難しいというなら本当に難しいのだろうな」
「一応、リベットを打つための器具たるリベッターはNUPから取り寄せるつもりです。あれが一番精度がいいので。残念ながら国産のものを連山に使うことは出来ません」
「小道具1つで国産ではなくなるという事はない。実際、航空機製造の現場は国外より取り寄せた工具ばかりだものな。そこらは好きにやってくれ」
さすがに工具類まで国産を使えと強いるような者など陸軍にも海軍にも皆無であろう。
皇国の軍需工場は工作機械も工具も何もかも国外から取り寄せたものばかり。
現時点においては自国で何もかもこさえるというのは難しい。
それでもリベット類などに関して皇国は自国のものを使ってきた事実がある。
少しずつ着実に、他国に頼ることをやめて自らが工作する道具も自らの手で生み出せる力をつけつつはあった。
しかし連山は現用の皇国の道具類では製造後の品質が信頼できないため、それをやめる。
例えばもし俺がやり直す直前の時代から各種小道具を過去に持ち出すことが許されるなら有無を言わさずかつて皇国と呼ばれた地域から取り寄せただろう。
あの時代の皇国地域のリベッターなら、特に特殊な溶剤等を用いずとも信じられないほど綺麗に金属外皮を仕上げることが出来た。
打ち込む精度がこの時代とは比較にならないし、航空機にも使えるものとして、摩擦熱を極限にまで押さえ込んで常温加圧させて正確無比に鋲打ちを可能とする油圧式が存在した。
実際の航空機は溶剤を用いて全自動で打ち込むのが業界内での主流となっていたが、手動式の最高峰のものならば今の時代においても他国とは比較にならないほど綺麗に外皮を整えることが出来たのは言うまでも無い。
この油圧式。
仕組みこそ理解しているが、アナログ制御ではないため再現できない。
油圧ジェネレーターの構造等を考えると後30年はかかるだろうな。
だが、いつかはこの領域のリベッターを手に入れなければならないことだけは理解している。
というのも、俺は本来の未来において自動車整備をやらされていた頃、人手が足りないとのことで博物館行きが予定されている疾風をオーバーホールする際、関係者で実際に技研内にて戦中に作業を行ったということから新しい外板のリベット打ちの仕事を任された事があるが……
特段なんもせずとも当時とほぼ同じ組成の新品のアルミ合金板を何の下地処理や溶剤等用いることなく最新のリベッターで作業を行ったところ、表面が全く波打たず均一になってしまい、逆に「当時の印象が損なわれた」――などと言われて作業を全てやり直しさせられることとなった。
リベットも当時とさほど変わらぬ品質のものを用意したにも関わらずそうなったんだ。
結局、本来の未来におけるハ45を搭載した四式戦闘機疾風を再現する上では、わざわざ当時の工具を取り寄せて作業を行った。
すると見ていて気分が悪くなるほど疾風は当時のイメージそのままになったんだ。
現在の皇国のリベッターは残念ながら世界水準に達していない。
それが世界水準に達するまでには時間がかかる。
また世界水準といっても、先の先の未来における工具とは天と地ほど性能差に開きがある。
少しでも近づけるためには致し方ない事だ。
「……一応、必要となる溶剤に関しての組成等は把握しています。現用でも精製可能な代物です。ただ、これが上手く行く保障がないために、いくつか他の手法も試してみたいというのが技術者としての本音ではあります」
「お前も良く理解しているとは思うが、こういう軍からの小言のような言葉に振り回されるようになると絶対君主という陛下の立場は崩れてしまう。これは皇道派と新聞雑誌内にて呼称される一部の集団ですらも一線を引いて越えないようにしている部分でもある。わかるな?」
「ええ。まかり通れば皇国の君主は一体誰なのかということになります」
「他の方法案も浮かぶ可能性がある以上、議会の議題として陸軍の立場にて件の技術の必要性等について述べるようにはしておこう。だが、行動を促すような文言は一切挟まない。私はそうであるべきだと考えるが……異論はないな?」
「無論です。一切の心の迷いなどありません。むしろ首相にそうおっしゃっていただきたくて今夜参謀本部へと足を運んでいるぐらいです」
しゃきっと起立しなおしてまでそう答えたのは、実際に本心からそう思っているからだ。
西条には少しでもこちらの気持ちを汲み取ってもらいたかった。
「なれば良し。代替案を中心に計画を進めつつ報告を待て。ただし、いつでもNUPへ向かう準備もしておけよ。いざ向かうとなっても技術情報を正しく収集できなかったでは笑い話にもならんからな」
「はッ!」
「例の親善試合に関しての日程はすでに決まっているが、改めて伝えておこう。再来週にメジャーリーグのどこだかのチームが訪れて練習試合を行い、本番は7月28日からNUP内にて計5試合行うこととなっている」
もうそこまで話が進んでいるのか。
しかしそうなると例のアレはどうなっているんだ?
最近全く話題を聞かないぞ。
最後にその話を聞いたのは……谷先生から直接その話題を向けられた時だけ。
いや、そもそもキ77に関しては谷先生以外から話を伺った事すらない。
信頼性を鑑みてエンジンを四発にするか双発にするか最後まで迷ったが、エンジンの信頼性を信じて双発にしたことだけは知っている。
最高速度を捨てて揚力確保を狙い、エンジンが1つ破損しても相当な長距離を飛べる設計にしたことも聞いていた。
タービン類は信頼性を損なうという事からあえて装備せず、ハ43の燃費を改善した改良型を航研が独自にこさえて装備させたとかなんとか。
実は図面を見ていないので外観すらよく知らないが、おそらく本来の未来におけるキ77からそう逸脱しないとは思われるが……
「……キ77の話を最近聞きませんが、陛下はキ77にて太平洋を渡られるのですか」
「ああ。航研は研三と並んでキ77に力を注いでいるが、すでに関東から武漢への往復飛行にも成功している。NUPへの不意打ち狙いゆえキ77に関しての情報は最高機密扱いとなっているが……お前には報告が届いていなかったようだな」
「そうなんですか? 耳を傾けなかったのもありますが……実はどこのメーカーが作っているのかも存じていないんですよ」
「開発と製造は立川が航研と共に行っている。なかなか悪くない航空機だ」
つまり言葉の通りなら本来の未来におけるキ77とそう変わらぬものであるようだ。
もしかすると本来の未来よりも機体が大型化している可能性はあるが。
「首相の言葉で何となくどんな航空機なのか想像できました。本番では選手も乗るのですか?」
「一機しかないため無理だ。御召飛行機としてあちらに向かうためだけに飛ぶ。帰りは状況次第だが、太平洋横断飛行は危険が伴うので船になる可能性が高い」
「まあ、現用の航空機の信頼性を考えるとそうでしょうね」
谷先生ならきっと行きだけでも自身が設計した機体を用いてくれるというだけで喜んだはず。
往復どちらもなんて拘るような人物ではない。
むしろ行きだけでも使うと聞いて戦々恐々としている可能性があるぐらいだ。
俺もそんな話を振られたら困惑したことだろう。
もしかすると何も伝えてこないのは不安を煽りたくない谷先生らによる配慮なのかもしれない。
こちらもこのところずっと忙しくて手が離せない中でキ77にも関わって欲しいなんて話をふられたら厳しいところだった。
「ところで話が変わるが、明日の研三の初飛行はお前も見に行くのか?」
「ええ。速度試験等の今後についてはさておき、初飛行ぐらいは見ておきたい所存です。なんといっても深山と違って調布で見られますから」
「大田との往復となると汽車を乗り継いで2時間もかかるものな。とはいえ、往復に連絡便を用いて立川から航空機で向かってもいいのだぞ?」
「今後は検討致します――」
――その後はしばし西条から近況の報告を受けた後で立川へと戻った。
彼からの報告を聞く限り、砂漠地帯の戦況はよろしくないようだ。
陸軍による砂漠の狐の軍団への直接攻撃部隊はすでに編成が完了して現地へ向かう直前との事だが、王立国家を中心とした軍勢は終始押されっぱなし。
敵の兵力が本来の未来よりも大幅に増強されていることが判明した。
まだⅥ号戦車は現れていないし、失敗作も姿を見せていないが……
巡航戦車を中心とした部隊はひたすら押し負けている状況。
そこに増援として合流するといってもこちらの兵力も主戦力がシャーマンとなってしまい、準主力がチハという悲しい状況だ。
重突は輸送の手配が間に合わず、部隊運用も確立しきっていない。
早めに持ち込む予定だが、しばらくの間は小さくない被害を蒙りながらアレクサンドリアを死守することとなろう。
そしてもう1つ気になるのは蒙古地域での紛争の激化。
ようやくヤクチアも本腰を入れて支援をし始めたらしい。
シベリア鉄道で運び込まれたT-34は華僑の北部にて猛威をふるいはじめた。
本来のノモンハン事件はとっくに終わっている時期だったし、T-34なんて生まれてもいなかったのだが……状況的にはよろしくない。
T-34と相対している戦車の影響だ。
現状にてアレに立ち向かうことを強いられているチハは統一民国の主力たる戦車でもあるため、T-34に対して全くもって歯が立たず、死傷者が続出しているのである。
T-34に対して数で対抗していける程度の性能は十分に誇るシャーマンは、まだ統一民国に届いていないらしい。
シェレンコフ大将からもたらされた情報によると、蒙古地域での紛争の激化はヘリコプター等の新兵器を皇国が投入してくるのではないか画策してのことであるという。
1つは新兵器の性能が北部戦線だけではよくわからない事と……もう1つは鹵獲を狙っているのであろう。
すでにロ号は現地に派遣されたが、これはヤクチアの思惑通りということになる。
ともするとヤクチアはこちらの戦力を見定めている可能性すらある。
ロ号の生産性などの情報は投入戦力から推察することは出来なくはないからな……
慎重に運用せねばならないが、そこは運用する部隊も上層部も理解している様子だ。
また、現地よりもたらされた写真を見る限り、地上攻撃を行っている航空機の中にIL-2の姿も確認できる。
この写真は百式襲撃機のパイロットが撮影に成功したものだが、一部のパイロットはヤクチア人の可能性が高い。
いくつかの写真の中にはピンボケ気味で顔つきはボヤけているものの、蒙古の人々のソレとは明らかに異なる人物が確認できる。
いずれ打ち落として暴いてやりたいところだが、ヤクチア人らしきパイロットが乗ったIL-2は戦線の後方にいるらしいので容易ではないだろう。
1つわかることは、IL-2と直接的に対抗できる航空機が皇国にあり、それが大量生産されていて華僑にもいたことは、皇国にとっても統一民国にとっても幸運であったということだ。
ヤクチアは簡単に撃墜されてしまうのを恐れ、国境線付近にIL-2を中心とした航空部隊を投入したわけだが、もし百式戦闘機や双発攻撃機しか皇国になかったら少なくない被害を出していたかもしれない。
こんなフルプレートアーマーを身に着けた騎士同士の殴り合いのようなよくわからない戦場になるなんて予想していなかったものの……IL-2を脅威とみなして先手を打った行動は正しかったことが証明された。
前線での評価は経済界でいうところのストップ高というところらしい。
飛んで無事に帰ってこれるのが当たり前というのが可能な航空機なんて他に無いので、そういう評価にもなるのだろう。
一方でせっかくの百式戦闘機は中々活躍の機会が与えられない。
双発機は偵察や爆撃その他多様な運用が可能なためひっきりなしに戦場を飛び交うが、百式戦闘機は攻撃力が不足してIL-2に対して有効打を与えられず交戦区域を右往左往しているという。
ホ103に搭載された新開発の弾頭であるマ弾でもどうにもならないらしい。
一応、20mmであるホ5は翼面内であれば装備できるよう当初より余裕を設けていたため、西条にはホ5搭載型の生産および改修について進言しておいた。
最高速度を捨てる事となるが、機首砲と同時装備する事も可能だ。
ホ5ならそれなりに打撃を与えられる。
百式襲撃機の生産数をさらに増やして投入するか、統一民国内に配備された既存の百式戦闘機を改修するか。
後者の場合は重量増大にある程度目をつぶってコックピット内の防御鋼板の厚さを増やす必要性があるものの、既存の百式戦闘機を無駄にせずに済む。
前者の生産は後者の運用をどうするかで悩むことがあるが、パイロットの喪失を確実に減らせることになる。
どちらが正しいかは陸軍上層部の判断に委ねることにした。
百式襲撃機は統一民国にも供与しているが、最悪は用無しとなった百式戦闘機も供与してしまってもいいかもしれない。
統一民国にある百式戦闘機はヤクチアが高高度飛行が出来る技術を持たないことからタービン非搭載モデルなのだ。
新技術はそう多くない。
供与した際のリスクは双発攻撃機ほどではない。
その分、機体の軽さでもって高度4500m未満での加速力等に優れるのだが、優れた戦闘機が欲しくてたまらない蒋懐石の機嫌をとるために犠牲となってもらうという手はあるかな……
とはいえ……さして欠陥もなく、前線の兵士からもそれなりに高い評価を貰っていながらも活躍機会に恵まれないというのは悲しいものだ。
兵器というのは戦場を見定めて性能を裏打ちして作り上げ、そして戦場に投入するものならば、百式戦闘機は広義の上では失敗作として未来における軍事研究家から評価を下されるかもしれない。
凡庸だが性能は低くなく、Bf109はおろかスピットファイアMk.2あたりより高性能だが、一方でその性能が敵国を刺激して戦略を煮詰めなおす結果に繋がり、それが要因で活躍機会を失った……
そうであるならば性能が必ずしも戦の場にて優位性を示すものでもないのかもしれない。
開発中の他の機体がそうならないよう気を引き締めねば。
特に西条から「入れ込みが過ぎる」と言われている重戦闘機については、肩に力を入れすぎて迷走しないようにしなければ。
◇
翌日。
朝から立川を出て車にて調布へと向かった俺は、皇国のある種の記念日といっていい日において、その記念を象徴する航空機の姿を格納庫内でくまなく調べた。
メタライトによって構成された胴体は美しい。
キ78。通称"研三"。
本機は当初こそ一般的な航空機のソレと同じアルミ合金であったものの、途中から上層部の意向によってオールメタライト形成に変更された経緯がある。
その際に本機は谷先生にゆだねられ、事実上主任設計者もとい責任者を交代した形となったのだが、おかげで本来の未来における現型航空機たる"Pond Racer"に表面の質感は相当近くなった。
外板をメタライトにし、強靭なフレームに接着または接合していると思われる胴体は継ぎ目が全く見られない。
表面の凹凸も手で触ってみないとわからない程度に美しく仕上げられている。
正直これを連山に使えるならば連山は目標性能を間違いなく達成できるだろうといわざるを得ないほどのクオリティであった。
俺が設計した頃の最高速度は730km前後。
出ても735km未満といったところだった。
しかしメタライトで軽量化され、さらにここまで表面処理の精度が高いと一体どれほどの速度が出るのかとても気になる。
エンジンがコンパクトかつ軽量なCs-1なため、双発型といってもエンジンカウル周辺の構造がまるで液冷エンジンのレシプロ機のようだったが……
本機は立派なジェット機である。
牽引式プロペラ駆動ではあるが、レシプロ機ではないのだ。
本日の試験飛行は報道制限もかけられなかったのか、多くの報道記者が朝から詰め掛けていたが、少し前の新聞でも"新世代タービン発動機装備型高速試験機の完成"――などと報じられ、タービンエンジンであることがすでに公にされていた。
俺は今研三を舐め回すようにバシャバシャと写真を撮り続ける者達をかきわけながら機体を見守っているが、さすがに不用意に触れられて破損されてはたまらないので、ある程度以上近づけないようロープが張り巡らされていた。
そのロープから身を乗り出してまで一心不乱に写真撮影を試みるのは、それだけ当機が期待されている証左なのか……それとも報道関係者という人種はこういうものなのか……果たしてどちらなのだろう。
◇
「圧力上昇! 圧力計確認!」
「コンプレッサー圧力、点火位置! ヨロシ!」
「点火ぁ!」
ギュアァァという、独特のタービン音を奏でながら回りだすプロペラ。
調布の整備要員はすでに次の世代に足を踏み出したこのエンジンをいとも簡単に始動させてみせたが……目の前にある航空機は、その外観が外観なのでこれが皇国の風景であるのだということがにわかに信じられない自分がそこにいた。
こんなことを中山に言えば自分が設計したのに何を言っているのだと思うが……メタライトによる表面処理がそうさせたのだろう……恐らく。
「空気を切り裂く破裂音が全く聞こえない」
「あの高音はタービンの音なのか? プロペラ音はどこへ?」
誰がその言葉を口にしたのかは定かではない。
しかし確かにその言葉が耳に入り込んできた。
彼らが驚くほどに、眼前の研三はプロペラ音がしなかった。
回転するプロペラはシューといった空気が通り抜けるような音しか聞こえない。
それもそのはず。
このプロペラは俺の基礎設計を見て谷先生がさらに改良させてみせたプロペラ。
プロペラ効率はもはや50年後のターボプロップ機と全くかわらない。
適度に捩れたプロペラ構造は通常のレシプロ機のソレとは違う。
スクリューと言い換えてもいいような外観となっているのだ。
プロペラは百式機動二輪車を新たに製造しようとしている皇国楽器によるもの。
素晴らしい仕事だ。
ここまで設計通りに理想的なプロペラを作れる企業も早々ないだろう。
タービン音とわずかに聞こえる内部のギアの駆動音。
そればかりが聞こえるのは、それだけプロペラの効率が高いということ。
ふと見渡すと一部の将校らは武者震いしている様子であったが、これが完成度の高さをそのまま表していることを体で理解しているのであろう。
しばらくすると本日搭乗するパイロットが現れた。
口元に髭を生やしたパイロットは、ある程度まで近づくと不動の状態のままこちらを見つめて待機している。
その容姿からは何か力強い覇気のようなものを感じ取る事ができた。
誰かわからないが、間違いなく優秀な腕のパイロットだ。
「――お越しの皆様。本日の飛行を行いますは向かって右手に待機しております松本中尉であります。この皇国の記念すべき日におきまして新世代航空機の舵をとる青年に、どうか盛大な拍手を!」
進行役の兵士によるアナウンスが終わりきる前から、周囲の鳥も驚いて羽ばたいていくほどに盛大な拍手がパイロットへ向けて送られる。
一方で俺も拍手を送りつつも、その名前に引っかかりを感じていた。
松本中尉?
初めて見る顔だが、名前は聞いた事がある。
本来の未来ならば兵庫にいた優秀なテストパイロットで、本来の未来におけるレシプロエンジンな四式戦闘機疾風のテスト飛行を行った人物。
顔見知りではないが、技研に顔を出した事もある。
まだ息子さんが幼いながらも東京に呼ばれたのか……
彼の腕は相当に優秀だったが、ともすると現在の世界におけるジェット機のパイロット候補……もしくは教官なのかもしれない。
最近の調布の状況はうかがっていないが、もっぱらジェット機の人材育成はこちらで行われている。
どちらかであるのは間違いないだろうな。
叩き上げながらも最終階級は少佐にまで上り詰めた男。
人材育成においては相当優秀で、陸軍でも重宝された人物。
新世代機を操縦するパイロットの確保は急務だが、何が足りないかって志願者よりも育成者なのだ。
陸軍きっての教官と呼ばれる男なら、呼ばれていないほうがおかしいぐらいか。
なんだかんだ優秀な人材というのは適材敵所に配置されるものなのだな。
全てにおいて面倒を見ていられない立場とはいえ、こういう場面に遭遇すると心が安らぐ。
誰しもが皆、最大限の成果を出そうとして奮起するからこそ、正しい人材を正しい場所に配置するのだ。
独りよがりの戦いで勝てるような戦ではないからこそ、心強い。
今後は彼らに背中を任せて、開発により集中できそうだ。
◇
試験飛行はわずか1時間弱ほどに過ぎなかったが、研三は自身が新しい世代の航空機であること、そして新しい時代の幕開けであることをまざまざと見せ付けた。
安定した飛行。
鋭い加速力。
この日は初飛行ということで速度制限等が設けられていたはずだが、間違いなく700km近くの速度を出していた。
その状態でもプロペラ音はとても静かで、わずかながらに船の汽笛のごとくボーっという音を奏でながら高速で目の前を通過していく姿には、素直に痺れた。
正直に言えば、第三帝国はすでに秘密裏に純粋なターボジェット機を飛ばしている。
そういう意味では一歩遅れていると言えなくもない。
だがエンジンの完成度はこっちの方が上。
今度は追い抜かす。
あの時とは違う。
我々は後一歩まで追いついた。
追随なんてさせない。
36年後から始まった彼の息子が描く漫画シリーズの中に、オリジナルの試作機として本機の戦闘機版が登場することになるのは、また別の話。
追記:本編のエンジン音がどれだけ静かなのかはこの辺りの動画をご覧いただければ想像しやすいかもしれません。
https://www.youtube.com/watch?v=-2pwp5EZjK4
https://www.youtube.com/watch?v=mWpqlujcD70
最新鋭機は四発機でもこのレベルの静音性という。