第155話:航空技術者は後悔する
「どうです。うちの技術力も捨てたものではないでしょう?――おぉっと、メモを取るのは控えていただきたい。今日で結論が出ない場合においては、記憶以外に持ち出せるのは我々が用意した小冊子のみです。商談の最初にそう述べましたよね?」
「これは失礼。あまりにも興味深い内容につい――」
どうしても忘れたくない情報があったのだろう。
ウィルソンCEOはメモとペンを取り出すと何か忘れてはならない単語を書きとめようとした。
その様子を見逃さなかった向井氏はすぐさまけん制してその行動を制止させる。
公開した情報は一応、機密情報としては最大レベルのもの。
ゆえに外部に持っていけるのは記憶と最低限の情報をまとめた冊子だけ。
向井氏が前日までに俺にそう指示していた影響で、俺は彼の商談スタイルも考慮して望むままに公開できうる情報だけをまとめた小冊子を作ってすでに渡していた。
正直なところ、その情報だけでも第三帝国にわたってほしくないような内容が刻まれてはいるのだが……商談の上で必要と思われる情報を抜粋して技術情報を記入してある。
G.Iの機密保持体制を信用しての行動であった。
彼の突然のルール違反な行動は、それだけでは満足できないほどの知的好奇心をかきたてるものがあったということなのだろう。
「……ううむ。なんというか、この情報をもっと早くに我々に教えていただければ共同出資会社の件などもまとまりがついたと思うのですが……やはりその頃にはこの領域にまで基礎理論が構築していなかったという事なのですか?」
「存じません。ただ、タービンエンジン大量生産に伴う共同出資会社につきましては、皇国内の他の企業も協力いただければ上層部は成立するものだと考えていたので、この情報をその時点で出す事はまずなかったと思いますよ」
「集の鉄道の件においてもですか?」
ウィルソンCEOが何を言いたいのかは理解できる。
どう考えても天秤に置かれた重りはこちらの方が非常に重たい。
ゆえにこちらが"追加で求めるモノ"が他にあるのではないかと疑っているのであろう。
その通りである。
「ええ。Mr.ウィルソンのお察しの通り、本件技術は例の航空企業の技術情報の提供の確約だけでは足りないものです」
「でしょうね。この技術情報は明らかに国家の持つ最大級の機密情報そのもの。たかが航空機の外板の表面処理技術だけで釣り合うはずがない。そちらは一体なにをお望みなのですか?」
答えは決まっている。
ある程度は向井氏が望む集の鉄道関係で優位な条件を引き出すために持分を使うことだが――
皇国陸軍としても絶対に譲れない条件が2つだけあった。
これは西条らとも相談の上で決めたものである。
「皇国陸軍としましては二つほど提供をお願いしたいことがございます。一つ、貴国の電気鉄道経営者協議委員会が管理するPCCシステムに関するライセンス料を全面的に無償とし、PCCシステムの改良その他に関わる自由を認めていただきたい。方法は問いません。電気鉄道経営者協議委員会によるライセンス管理企業であるトレインリサーチ社を傘下に収めるなどして実現化できるだけの力がG.Iにはあるはずです。また、この無償化する対象は全ての企業が対象というわけではなく、従来よりほぼ同様の包括ライセンス契約を結んでいる京芝とほぼ同様の契約内容で、ライセンス料を0とするものをいくつかの企業に対して認めていただきたい」
「ほう……」
西条が現在最も危惧している事。
それは主力たりえる新型戦車の数をとにかく大量に揃えたい一方で、その戦車の価格が尋常でない事である。
戦艦一隻ということはないが、戦車300台もあれば駆逐艦を配備できるほどの調達価格の高さには頭を悩ませていた。
その主たる原因がPCCシステムである。
1台あたり300ドルもの金額を支払うのは重荷以外のなにものでもない。
現状ではレンドリース法を活用すれば事実上それを0に出来なくもないが……最終的にはその金額を支払わねばならないのだ。
くわえて、まだ誕生してから日が浅いPCCシステムは特許でガチガチに固められ、各種機器を製造しようにも部品単位でライセンス料を徴収されてしまう。
これはPCCシステム自体の普及を阻むものですらあったわけだが……
例えば京芝が一連の機構に関する個々の部品を作ろうとする場合、ライセンス料は二重徴収されてしまうわけである。
かねてより京芝はG.Iが大株主な子会社に近い立場である一方、大昔より結んで今日まで続く包括的ライセンス契約においてライセンス料は無償化されておらず、下請けとして京芝を頼りながらもライセンス料によって収益を上げる事業モデルが出来上がっているのだ。
京芝が自由に出来るのは一連の商品の独自改良その他の自由裁量権と、もしその改良したものをG.Iが利用する場合は無償で利用させろという条件のみ。
それさえ守れば、京芝はG.Iが開発・並びに生産する製品すべてをライセンス料を払うだけで製造することが許される。
つまり、B-29の遠隔操作機銃などの一連の最新鋭兵器を京芝は詳細設計図を手に入れて作ることが許されているのだ。
無論、その技術力があれば……なのだが、PCCシステムは現時点で完全国産化が出来ており、おそらくB-29に装備された遠隔操作機銃システムなども設計図や工作機械等あれば製造は可能である。
一方でこのトレインリサーチ社とG.I双方によるライセンス料の徴収によって大量生産しても価格が下がらないのだ。
そして契約上の問題で他社が生産することも許されていないため、PCCシステムはG.Iが皇国国内またはNUPで大量生産体制を確立しない限り、京芝の生産力だけに左右されてしまう状況となる。
しかもPCCシステム自体はG.Iだけが製造しているわけではないのだが、京芝もといG.I以外の関連企業から調達しようとしたところで京芝から調達するよりも高い額となってしまうジレンマもあり……価格を下げる上では八方塞となっている。
これをどうにかしたいのだ。
ライセンス料が無償となると現状のPCCシステムは価格は6割以上も下がる。
鉄道関係事業者などが目をつけぬはずが無いほどのシステムなのだ。
現状では補助金の提供があっても一部電鉄が新型車両として採用を見込むに留まり、大量生産による費用対効果が薄いPCCシステム。
こいつを大量生産することと併せて1システムにかかる価格を今の3割程度までに落とし込みたいのである。
すなわち、ライセンス無償化と大量生産で調達価格を7割以上削減したいということだ。
「生産を予定しているメーカーは京芝以外はどこなんです? 常陸ですか」
「常陸と四菱ですね。共に鉄道関連の製品も取り扱ってますから」
「四菱に無償化するというのは即座にYESと言えることではないですね……残念ながら。京芝と常陸と、あとは冨士電気あたりでしたら私の一存で認めてしまっても良いのですが……」
この時、俺はまさか冨士電気の名前が出るとは思わず冷静な表情を保ったままではなかったことであろう。
元来なら京芝のライバルとも言える2601年現時点の皇国の重電分野第三位の企業。
現状では四菱、常陸が1位と2位を争い、三位が冨士、そして四位が京芝である。
この関係は本来の未来であれば後2年ほどで京芝が一気に二位にまで駆け上があることとなるのだが……
少なくとも現状では京芝よりも規模の大きい企業であるのだ。
なぜ俺がこの発言に驚き、その意外性に冷静でいられなくなったのか。
それはこの企業が第三帝国随一の重電分野企業ことS・Sと皇国の企業が共同出資して誕生した企業だからだ。
関係性としてはG.Iと京芝と非常に良く似ている。
各種製品の設計、開発はS・Sが行い、その製品の生産を行う……それこそが冨士電気。
自社内での製品開発は行わないというのが従来のスタイルで、そういった部分からすると自社製品の開発にも力を入れる京芝とは異なる立場にある。
第三帝国との火蓋が切られた現状、冨士電気は会社設立時より続くS・S系製品の生産を続けてはいたのだが……
親会社ともいえる存在が敵国であるがゆえに浮き足立っており、これまで製品を製造し続けたノウハウを生かして独自の道を切り開いているのが2601年の現状である。
送電・変電施設や火力発電等、S・S社の製品はすでに皇国内で溢れていたのだが、これらの保守整備その他の収益だけでは会社の規模が大きいゆえに成り立たないのだ。
本来の未来においてもヤクチアと戦い始めた第三帝国によって人とモノと技術情報の流通が滞って自らの足でもって歩み始めるようになっていくのだが、それがやや早まった状況にあった。
それでもS・Sの後ろ盾がなくなった影響は計り知れず、本来の未来においては京芝に逆転されてしまうこととなるのだが……
ウィルソンCEOは背後関係を知らないはずがないにも関わらず、彼らに仕事を与えるというのか。
……それだけ実力を認めているというのか。
「――失礼。冨士電機はS・S社の息がかかっている企業では?」
すかさず向井氏がウィルソンの真意を確かめようとする。
S・S社との関係性については彼もよく存じているはずだ。
なんたって変電設備の輸送事業などを委託されていたのは他でもない四井物産なのだから。
彼はこういった細かい契約を取って四井物産を成長させていったのだ。
互いの企業の内情すらよく存じているはず。
「現状では技術情報の交換は望めません。しかし技術力はある。実は私個人としては原子力を用いた発電技術の開発に彼らの力は間違いなく必要だと思っているんです。京芝、常陸、冨士電気。この三社は是非本件開発事業に参画していただきたいと考えております」
「四菱は除外したいと」
「四菱は財閥企業です。いわば私達G.Iの真のライバルといっていい。正当に評価しているからこそ、彼らにささやかな贈り物すらしたいとは思わない。共に歩みたいというような企業ではありません。彼らは常に同じ競技トラックの上を競争し続ける関係です。一方で冨士電気は振り返ってみればエジソン博士との関係性で密接とはいえないまでも縁がないわけではないですから」
「Mr.ウィルソン。例えばその三社のみ認めるという案を呑むといった場合、生産規模がこちらの望む状況より小さいため、G.I自体が皇国内またはNUP内で新たに工場を設けて大量生産し、"皇国内で取引される調達価格と同額で流通させる”――なんてこともしていただけたりするのですかな?」
「どれほどの数を求められているかを示していただければ対応致しますよMr.ナオイ。ただ、輸送費等を考えたら皇国側が多額の出資金を募って工場を拡張させた方が早いとは思いますがね」
「その案ももちろん捨てない上での話です。手札は多い方が交渉というのは上手く行きますのでね」
どれほどのPCCシステムが必要かか……
西条は例の戦車を4000台本気で調達して戦場に送り込む気でいる。
4000台目指して3000台少々となっても仕方ないといったような姿勢であり、4000台を絶対目標として掲げてはいた。
現在のPCCシステムの月の生産数は多いときで45といったところ。
これは完璧に動作し、故障等一切無いものが45基という数字である。
後4年以内に故障や修理等による喪失分も考慮して6000ぐらいは調達せねばならない。
NUP本国でのG.Iの生産力は70少々。
6000以上を目標とするなら最低限+200は欲しい。
それこそ価格を落とすなら皇国国内だけで+200だ。
常陸と冨士電気と京芝の生産力増強で+200集まれば……なんとかなるか?
「数は軍の需要で6000以上。鉄道関連も併せれば1万近くは見込めます」
「Wow。凄い数だ。Mr.シナノ、皇国は自国の電車をすべてPCCカーへと変更するおつもりですか?」
「NUPがそうなりかけているように、皇国も目指すつもりです。現時点で貴社が開発されたバーニア制御に勝てる制御機器は存在しませんからね」
「1万という数字は頭の中に入れておきましょう。現在の戦況から推察するに、この数は3年ほどで取り揃えたいといったところでしょうか」
「1年内で1500以上、2年以内に軍だけで3000。3年以内に6000といったところでしょうかね。私も正しい数字だとは言えませんが、大体これぐらいは」
「京芝からもそのような話を伺っています。足りないという場合は応相談ということに致しましょう。それで、もう一つのお願いというのは……PCCシステムの件から察するにエンジンの方でしょうかね」
さすがにウィルソンCEOクラスの人間だとある程度お互いにどういうものを求めてどういうものを提供できるのかといったことは迅速に話をまとめていける。
彼はPCCの話から当然のごとくもう一つの皇国が必要と感じている"モノ"を読み取り、言い当てて見せた。
「ええ。開発中の新型も含めて今以上の大量生産体制としたいわけです。それも、従来まで求めてきた皇国国内での生産に限定しません。いかんせん需要が増えましたので」
「きっとPCCシステムと比較して桁が変わってくるんでしょうな。あれは魔法のエンジンですよ。空を飛ぶことも陸を高速で駆け巡ることもできる。1万や2万という話ではないのでしょう?」
「現状の生産体制だと必要数の6割に留まります。4割分は最低限。今後の需要はさらに増大することも考え、生産数倍増も視野に入れていただきたい」
「やろうと思えば生産数3倍以上というのは可能です。我が国にはそれだけのマンパワーがある。軍からの条件はその2つだけなのですか?」
「ええ。そこは絶対条件です。例の航空機工場の技術情報も合わせて」
「そうですか……航空機の件さえなければ即座にさらなる具体的な話へと繋げたかったのですが……例の件を今日の今の時点で確約することは難しいですね」
それでもやってもらわねば困るというのがこちら側の考えだ。
百も承知だからこそ、G.Iが今求めてやまない金塊を見せつけたのだ。
本当ならば発電など後回しにして、今は燃料精製の確立と爆弾の開発だけでいい。
その爆弾の開発だって、危険を承知で作るなら自らが別の世界にて多大なる被害を受けた代物程度ならばそこまで苦労せずに作る事はできる。
ゆえにNUPにまかせっきりでもいい。
こちらは見たくもなければ、触れたくもない上に、起爆実験すらしたくない。
現状では俺だけが生き証人だ。
広島の惨状を見た人間が使いたいなど思うものか。
原子力関連については平和を得るための現実に突き動かされたがゆえの行動に過ぎないんだ。
無くてもどうにかなるなら真っ先に捨てたい。
だが綺麗事でどうにかなるほど甘くない事ぐらい知っている。
だから皇国は密かにそれまでは凍結状態であった研究もスタートさせた。
そして研究を行う委員会には、陸軍の別途の秘密組織経由という形でそいつが毒ガスとは比じゃない非常に危険な存在であることを伝える技術情報を流している。
皇国の研究は今のところ"相手側が使う可能性がある以上、その危険性を正確に理解する"――ということを大義名分として開発。
核燃料製造に関しては"二次利用を中心とした研究"――という目標を掲げており、戦力としての兵器化は最終手段として考えている。
研究チームの理念として明文化されているほどだ。
正確な情報を得るというのは重要だ。
危険性を理解せずに開発の波に飲まれれば正気を失って攻撃指示を出しかねない。
それがどれだけ想像の遥か上を超えていく破壊力と痛みを人類に与えるのか、知り尽くした上で相手側が使うかもしれない一種の被害妄想を抱きながら対応していく。
一方で、やろうと思えばやれるということを証明するための力は必要。
開発が始まったばかりの連山がその回答のひとつだ。
だからどうしても必要なんだ。
「……例えばの話ですがね。原子力関係の事業について我々が一切合切資金調達含めて責任を持ち、開発費も我々が出すという形にして……その上で航空機はまた別件という形で処理することなどはできないのですか?」
「残念ながらそれには応じられませんな。Mr.ウィルソン。我々の本命こそが外板整形技術ですから。」
「うーむ。そうですか。この設計図には各種機構や部品の素材についてまで入念に吟味されて書き込まれていますが、本当にそれが正しいかなどは様々な試験を通して証明していかねばならない。特に水素爆発とそれに伴う大量の汚染物質をばら撒くかもしれない緊急排気などは、その可能性を徹底的にゼロに近づけなければならないので……開発には10年単位の月日を要するでしょう。企業からの協力は得つつも、開発資金等の一切を我々が受け持つとしても……まだ足りないですかね。無論、軍が要求する2つに関してもすべての責任を我々が持ちます」
「Mr.ウィルソン。貴方はこうおっしゃりたいのでしょう。航空機は完全に別企業で集の鉄道関係の問題とも切り離されていてなかなか彼らを巻き込む事が出来ない――と。ゆえに、自分たちがどうにかできる範囲で納めたいと」
「無論、最大限の努力はします。しかし、この手の問題は確約が出来るようなものではない。おまけに、確約に近い契約をしたとしても、こちらからは履行したと思える状況にも関わらず、そちらは"いくらでも難癖"を付けて契約を反故に出来てしまうようなお話だ」
ウィルソンの言いたい事はわかる。
あまりに天秤の上にある錘の重量が極大であるがゆえ、状況次第で掌をひるがえす可能性を危惧しているのだ。
渡したくないと軍が感情を入れ替えてしまう可能性は無くもない。
ただ、それは俺と西条の関係性と存在を排除出来ない限り存在しないのだが……彼はそんなこと知らぬので、きわめて常識的な反応であると言える。
「――例えば相手側が通訳等を入らせないようにした一方で正確な情報を伝えた……なんて抜け道を試みて、いざ再現しようとおもったら再現しきれなかった……なんて事になったら相手側は"我々は正確な情報を伝えた"――と言い、そちらは正確な情報は提供してもらえなかったと言うことが出来る。いわば言語の壁を利用した債務不履行が生じることになる。手綱をこちらが握っていない以上、それを制御できないのですよ」
「Mr.ウィルソン。それはないです。私がその現場にいれば相手側が今日のような設計図さえ渡してくれれば、後は彼らが使うものと同じ溶剤等が手に入ればどうにかなる。我々も一応は、彼らがなんらかの溶剤を用いていることぐらいは知っている。私はその正体を知りたいだけ……たったそれだけなんですよ」
「さすが新型エンジンの開発主任でもおられるMr.シナノは心強いお言葉をいただけますね。あなたが我が社や我が社の息がかかった企業のエンジニアでいない事がとてつもない損失に感じられます。ですがそれであっても、彼らがすべてを正しく曝け出すかどうかわからない以上、現状のままだとこの商談は話がループして終わる事はないでしょう」
「Mr.ウィルソン。じゃあ例えば例の野球関係に絡めた話をこちらが上手くとりまとめた場合、貴方はその場を用意できると言えますか?」
「信濃君!?」
それは間違いなく普段の俺らしからぬ発言だった。
ある種の挑発のようなものを受けて少し感情が高ぶったのかもしれない。
もしくはこういう時に結果を求めてピシャリと言い切る千佳様に影響を受けたか。
ともかく、その時の俺には答えがほしかったのだ。
「仮定の話ですよ向井さん。右往左往して1月、半年、1年としている間に戦局は変わってしまう。新型機……我々も海軍側が名づけた連山という呼称を用いていますが、この機体は後4年以内に完成して戦場まで飛び立たせなければならない。ここで迷っている暇はないんです」
「陛下が来てくださるとなれば……逆らうことは難しいのは間違いないです」
難しいでは駄目だ。
だが、言葉の表現として"難しい"としたのは、自分の会社じゃないからであろう。
いかにこちらが無茶をお願いしているかを表していると言える。
それでも尚、やり遂げねばならぬことなのだ。
「先に動くべきは我々ですか、貴方方ですか。私としては少なくとも現時点で脈があるのかどうかはわからないと、動きようがない」
「いや、先に動くのはG.Iだよ信濃くん。そうですよねMr.ウィルソン。皇族が動くとあったら止まることなどできませんよ?」
「ビル社長の会社も共和党系の議員と太いパイプがありますので……彼らを通して圧力をかけることは可能です。つまり、まずは脈があるかどうか……もし陛下がおこしになられる場合はどうなのかどうかを探って欲しいということですか?」
「そういうことです。陛下は私達陸軍からお願いすることもできない立場におられますが、陛下自身が陸軍からの情報を受け取って自らのご意思にて向かわれる可能性は0ではありません。工場見学と技術情報の提供よりもよっぽど確率論の話にはなりますが……我々は新型機の開発に伴う高い障壁への対応をしなければならない旨のご報告を陛下に行うことまでなら出来る。あとはすべての情報を総合的に勘案された陛下がお決めになられること。我々陸軍は天運に身を任せることにはなりますが――」
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――陛下は道化ではない。
ゆえに王族が絡むような話でもなければお願い事などできない。
即位の件とはわけが違うんだ。
だが、このようなことは可能だ。
報告するだけならば可能だ。
聞くだけならば聞いていただける。
その前の段階であちら側がどう出るかもわからない中で妙な動きなど出来ない。
こちらの個人として、組織としての人間性が疑われかねない行動は出来ないのだ。
正直言って相当踏み込んだ発言をしたことに強いストレスを感じたのか、俺は強い頭痛を感じ始めていた。
もしかすると脳が活性化しすぎて酸欠にでもなったのかもしれない。
高山病のような症状を感じた。
その後の交渉はほとんど向井氏がやってくれたものの……結局、ほぼこちらが折れる形で契約を結ぶこととなった。
仮の形で契約書が交わされたということだ。
立川までの帰り道、今もため息が止まらないのは……踏み込んだ発言に対する罪悪感や後悔、そして契約や商談というものの難しさをこの身で痛感したためであろう。
それでも明日は来る。
明日はいよいよあいつの初飛行が行われる。
ついに完成した研三の初飛行。
ついに挑む700km越え。
すでに着手している陸軍の新型機達はこの領域を超えていくが、未だに水平飛行速度700kmを超える航空機は皇国内に存在しない。
さらに言えば、こいつのエンジンはCs-1であるがため、皇国史上初の固定翼のジェット機でもある。
軍は開発中の訓練機や四式主力戦闘機をジェット機としたいがためにタービンエンジン機だとか言っているが、こちらもヘリコプターと同じく間違いなくジェット機なのだ。
本機の飛行データはきわめて重要なターボプロップ機(タービンエンジン駆動プロペラ機)に関するノウハウを提供してくれるのである。
俺が原案を作って谷先生が大幅に改良を施した機体の最大速度は当初設計では730km前後を予定していたが、現在ではどこまで出せるかは不明。
その仕様から確実に最高速度は上がっていると思われる。
速度試験については非常に楽しみにしているものなのだ。
今回はあくまで速度計測ではなく飛行特性等の理解のための飛行テストだが……
新しい時代、本来の未来において達成できなかった領域へと挑む転換点ともなる日なんだ。
こんなところで落ち込んではいられない。
700kmの次は900km。
まだエンジニアの仕事は終わらない。