第152話:航空技術者は自国の底力に武者震いする
皇暦2601年6月末。
7月に入るのを前にして、俺はウィルソンCEOとの会談を望む前に向井氏に会うこととなった。
あちらから呼び出しを受けたが、丁度良い機会である。
彼の助力も得ながらウィルソンを説得。
G.Iぐらいしか出入りできないシアトルの秘密工場への道筋を切り開きたい。
だが俺はそこで集の鉄道事業その他に関し、どうしてNUP側が四井物産に対してつきつけた条件を緩和したのか真実を知ることとなってしまったのだった――
◇
「――いやー、まいったまいった。今回ほど難儀な交渉というものは無い。より良い条件を引き出すためにあること無いこと沢山語ってしまったよ――」
――などと陽気に語っているのは、皇国において現時点で間違いなく最高峰の交渉能力を持つネゴシエーターである。
個室の喫茶店に呼び出されたので向かってみれば、ずいぶんと余裕のある様子から交渉自体は上手く進んでいるらしいことが認識できる。
ただ、その理由に関しては開いた口が塞がらないようなものであるのは間違いなかった。
二人で店に入って早々渡されたリストには、現時点での各種状況の推移をまとめた"通常であれば持ち出し厳禁"な非常に重要な情報ばかりが綴られている。
内容自体に変化は無い。
NUPが集の鉄道の株を1/3獲得するといった部分に特段の変更は無い。
彼らがそこまで譲歩できるだけのモノが、この裏に存在していたのだ。
「例の遠心分離器と、核物質に関する新情報。この2つだけでは先方は足りないと言うんだ。だから私も技術書を読み漁ったり、科学者らから説明を受けていくつかの"提案"をしてしまった」
「何を話されたんです?」
「核物質……ウランといったかね。あれには石炭や石油とは比較にならない無限大のエネルギーを抽出できうる可能性がある。我が国においてはそのエネルギーを取り出して用いる技術の基礎を見出して既に応用法を模索しはじめ、一定程度の成功を収めている……と。その技術の提供について」
「例えばどのようなことを具体例として示されたのですか」
自動車や戦車、そして鉄道の動力として使える……
などと言われているのであれば、交渉が再び暗礁に乗り上げるのは言うまでも無い。
仮に人体を保護することを一切考えないシステムとしても、その制御機器はあまりにも巨大かつ大重量。
例示を示してもすぐさまそれが技術者による妄想の産物だと見抜かれ、価値無いものとして片づけられることだろう。
模索自体は確かに本来の未来の世界においてもやった事。
だが、その頃には既に放射性物質の危険性は十分に認知され、仮に問題が起きても最悪は海に沈めてしまえばどうにかなるとされた、規模の極めて大きい軍艦と潜水艦にしか動力源として見出す事は出来ていない。
それでもその双方は、従来の概念を大きく凌駕する長大な航続力を有する艦となったのは事実。
最後まで検討され続けた鉄道に関しては王立国家などを含めて何度も検討が重ねられたが、"該当方式にて発電所をおったてて電化して用いた方が安全だろう"――などという、ある種逆転的な発想の方がより安全かつ高効率であることが認められて各国に原発が建設される契機ともなっている。
事故という要素が必ず存在する以上、核動力は地上ならびに空中で用いることは容易ではない。
文字通り爆弾を運んでいるようなものだ。
果たして向井氏は何を示したのか。
「皇国の物理学者曰く、現時点において連続して発生し続ける連鎖核反応の制御は極めて難しいとのことだった。仮に制御が可能となっても間違いなく一連の機構は大型化するとのこと。だから私は、それが石炭発電や水力発電に代わる新たな発電手法として皇国ですでに一定の成果を出している――などと、言い切ってしまった。今後小型化に成功すれば鉄道用としての運用も視野に入れているとね。……随分なことを言ったものだ。現物などどこにもないのに、あたかもそれが存在していて、すでに皇国の電力事情を解消しようと計画が動いているかのように見せかけてしまった」
「向井さん。その場においてG.Iの誰かしらの人間はいらっしゃいましたか?」
「いたさ。彼らはやはり持っていたかといったような様子でこちらを見ていた。金脈は皇国にあり、その金脈は条件の大幅な譲歩に値する。彼らは現時点にて核燃料の製造方法を知り、精製機器の製造開発にすでに着手しているが、具体的な核燃料の運用法について皇国が何をしたいのか知らぬ様子だった」
「つまり、彼らは現時点において兵器化について疑いの目を持っていない?」
「陸軍から何も聞かされていない以上、私が知っている事は交渉材料として渡された核燃料関係の情報だけ。私はそこを切り取って話を膨らませたに過ぎない。実在しないかもしれない話をでっち上げたというわけだ」
……とある著名な交渉人はこう言った。
"交渉術とは嘘3割事実7割で構成される話を持ち掛けることで、極めて円滑に相手側を丸め込む術をいう"
恐らく、俺以外の人間が本件の話を聞いたならば嘘の割合は7割どころではなく8割以上。
ただの詐欺にしかならぬ与太話である。
しかし、俺に対しては間違いなく3:7の比重を満たした話となるだろう。
今存在しないのは実物としての原子炉であり、原子炉の構造そのものは俺の中にあるわけだから……遠心分離機共々やりようはある。
やはり目の前にいる人物は恐ろしい。
専門家でもないのに少ない情報からその存在を割り出し、専門家も参加しているであろう交渉の場において真実性があると見せかけるような話を持ち掛ける。
いわゆる理系を最も有効活用できる経営者のタイプだ。
概算でものごとを予測し、未来の状況を想定できる。
文学しか学んでこないような人間にも一定数このような力を持つ者はいるが、このようなタイプは技術屋を牽引できうる企業にとって必要不可欠な貴重な人材。
交渉能力以外にそういう力もあるからこそ、彼はこれまで四井を引っ張ってこれたのだろう。
四井急成長の理由の1つが垣間見えた気がする。
そしてきっと向井氏は弁護士としても一流になりえた人材なのだろう。
良い意味でも悪い意味でもそういった職が似合う人物だ。
間違いない。
自国や自社の技術がついて来れるならば、世を席巻しうる商品を送り出せる力を持つ経営者なのだろう。
つまりG.Iは本来は自分たちの力で切り開いていった存在を第三者の手を用いて一定の領域まで加速化させたいわけだ。
4月の段階でのウィルソンの様子からしても、彼が最も求めていたのは原子炉そのものであり、燃料精製技術は二の次といったきらいがあった。
きっと彼らは莫大な利権を生みうる原子炉について向井氏を揺さぶって皇国内部の状況を探ろうとしたのだろう。
その流れに乗っかってあること無いこと喋った結果、原子炉の技術を明け渡すことで大幅な譲歩案を引き出した。
そんな所か。
将来を換算した利益の金額的には相手側の方が上回ってる可能性は十分にあるものの……
彼らは1つ重大なミスを犯したと言える。
世界の殆どの原発に使われる技術は元々彼らが生み出したもの。
皇国からそれを求めたところで、彼らが得をする部分は開発費が削減された程度。
あのヤクチアですら彼らから技術を盗んで何とかしたようなものであって、それだけウィルソンが核エネルギーにかける情熱はすさまじいものであったことがよくわかる。
最もスタンダードかつ利用されている手法……軽水炉に関しての構造と仕組みについては理解している。
残念ながら原子力発電も流体力学が大きく関与する領域。
流体力学を学んできた者ならば避けては通れない。
現時点で彼らが知らぬ技術のうち、原子炉に必要な技術は2つ。
1つは六フッ化ウランを焼成した上で二酸化ウランとした核燃料ペレットの製造方法と、軽水炉そのものの構造。
メガワット級を作ろうっていうんじゃなく実験的な代物でいいならば……そんなに構造は大きくならない。
それこそ、戦艦にだって載せられうる。
あくまで基礎の基礎という形で実験炉のようなもののデータを渡すだけでも許されるならば……後々に尾を引くような損害とはならないのかもしれない。
元々、俺は皇国で原子炉の技術開発なんて積極的にやってほしくない立場。
だがライセンス料を徴収されるというのもある意味で腑に落ちない部分があった。
原子炉と原子力発電所は、可能ならばその存在を国内において0としたいが、それそのものが抑止力の一端を担うがゆえに、今後の情勢を考えれば避けては通れぬ道。
陛下にもその話はした。
平和利用という名の欺瞞と偽善に満ちた利用をしなければ、国を守れない……とは。
千佳様を通じて俺にその件について意見を述べたのは一言「本当に問題が生ずるならば止める」――とだけ。
陛下はきっと俺が暴走して全国各地に原子力発電所を建設し始めて軍艦の動力をすべて原子炉に置き換えるような真似はしないと踏んでいらっしゃるのだ。
駄目だとは一言も言っていない。
事実、核兵器開発についても静止するそぶりは見せていない。
現時点では「実際にそのような兵器が存在したのだとしたら、使用の際の最終決定権はこちらにある」――とだけ西条に伝えている。
西条はこれとは別に現時点においてその命令を出す気も微塵もないとの話を受け取っているが、それはあくまで現時点の情勢にて不要というだけ。
変わる余地は残してはいた。
例えばの話、装置の規模を拡大すれば立派なメガワット級になりうる原子炉の小型版の情報をG.IらNUPの勢力に渡すとして、ライセンス料においてこちらは今後、あちらにて改良された存在をも無償利用する権利を有するといった契約が結べるなら……皇国が大幅に不利となる事は無い。
そしてさらに、世界初の原子炉や発電所もNUPで建設。
これならば皇国と皇国国民の内側にある妙なプライドに擽られてその存在を破棄出来ないといったような事も無くなる。
一度技術的開祖となってしまったようなものを中々捨てられないお国柄というのは、300年先を考えると足を引っ張る。
その頃まで核技術が抑止力足りえる保証は無い。
ゆえに、それがたとえ本来の未来よりも加速化させてしまう行為とあっても、先にあちらに渡して実行に移させてしまうのは愚策とは言えない……か。
「向井さん。私も大してよくは知らぬ立場ではあるのですが……発電等に関する基礎技術の確立はすでに終っているという話を聞いたことがあります」
「ほう!」
「必要であるならば首相に伺ってみるのが良いかと。渡せる技術なら渡してくれるはずです。自分からも進言してみましょう……その代わり、1つお願いを聞いてはいただけませんか?」
「私が何か力になれる分野であればいいのだが……話してみたまえ」
これまでの関係からか、向井氏はやや戸惑う姿を見せながらもこちらの話に耳を傾けようとする。
今はもう、彼ぐらいしか頼れる者はいない。
なので、俺はありのままを話すことにした――
◇
「ふむ。現用の我が国の保有する主力爆撃機の2倍の速度が出せる新型爆撃機か……」
一通り話を聞き終わった向井氏は一息入れるためなのか、自らが注文して出されてきたコーヒーを啜る。
新型爆撃機の性能に特に驚く様子などは見せなかった。
900km台で飛行可能とされる航空機の話は、陸軍が新兵募集のポスターなどの宣伝文句として用いているので、大型機も開発中というのは彼にとって想定の範囲内の出来事なのだろう。
ただ、深山については知らなかったようで、彼は我が国が保有する爆撃機の最高速度は400km少々の九七式重爆撃機が最速だと思い込んでいた。
案外、機密というのは守られているようだ。
もしくは、深山は海軍主導の計画だから彼が知る術が無いのかもしれない。
「この件については口外はしないで下さい。ともかく、その性能を発揮するためには……」
「金属外皮の表面処理技術が必要ということだね。確かに、私も常日頃陸軍や海軍に納入される航空機の表面は汚いとは思っていた。外皮を太陽光が反射した際に、光の筋のようなものが表面に生じない。いわばこれが速度を妨げる原因となっていると」
「ええ。設計的には余裕をもった状態とはしていますが、現用の技術力では所定の性能を達成できません。必要なんです!」
「ウィルソン氏に次会うのは来週か。その席の場には私も同行しよう。いくつかカードを揃えればどうにかなるかもしれない」
「お願いします」
――頼んではみたものの、上手くいくかどうかは未知数。
向井氏は努力の姿勢は示したが、任せて欲しいといったような自信を垣間見せる事はなかった。
それだけガードが硬いことは、各所から機器を調達してきた交渉人だけに熟知しているのだ。
だとしても、やらねばならないため押し通してもらいたいが……
そこはウィルソンとの交渉直前において改めて念を押しておこう。
◇
向井氏との一件の2日後。
技研の俺のいる設計室にとても珍しい客が現れた。
横川電気の技術者である。
どうやら開発中の戦車砲について"ある提案"を行いたいらしく、設計主任たる俺への面会を希望していたとの事だが、会社から考えると戦車砲そのものではなく戦車砲に付随する何かと思われ、興味深いのでとりあえず話を聞いてみることとした。
彼らは元々、陸軍からの依頼で高射砲の算定具及び照準具などを開発、製造しているメーカー。
一連の照準具や算定具は常陸も製造に携わっているが、開発の主導権を握っていたのは他でもない横川電気である。
すなわち、俺が12cm砲に並ならぬ拘りを見せた理由たる、あの照準補正システムを考案したメーカーであるのだ。
この照準具に関しては現在、本来の未来に存在した二式二型算定具よりも、より改良された四式算定具に近いものへと発展しつつあるものが量産される予定となっている。
これは開発において本来の未来における二式算定具よりも長く余裕のある開発期間が設けられたためであり、具体的に何が改良されたのかというと……
従来までの測定に関しては「弾道計算(風向きや気圧から算出)」「未来位置予測」「照準算定(現在の自らの車体や砲の状況を算出)」の3つを6個の計算筒と1つの三次元カムを組み合わせた1つのアナログ計算機で行っていたが、これら3つの計算を3つのアナログ計算機にて分離計算することで、より正確な数値を導きだして照準補正が出来るよう改良するというもの。
従来ではスイッチやダイヤルを組み合わせてそれぞれの数値を導き出していたため、計器類やスイッチ、ダイヤル類の数が多く戦車用としては不向きであった。
しかし、それらが全自動算出へと発展するために、表示される計器類が減り、入力操作も風向きその他一部に留まり、よりすばやい照準補正が可能となるのだ。
本来の未来における四式算定具はこれに光学式の測距儀と組み合わせることで、その性能を担保していたのだが……
光学式とするまでの改良は間に合わないため、二式算定具と同じく電磁式としてレーダー情報でもって算出するようにしているのが、現在の戦車砲に搭載予定の算定具である。
仮に2603年に採用されるならば、これを"三式算定具"並びに"三式照準具"などと呼称することとなるのだろう。
この算定具の最も恐ろしい所は、誘導無線によってその情報を車体単位で共有できる事にある。
つまり、ある車体が敵を完璧に捕捉することに成功した場合、もう1台の車体がその目標を追跡する事が可能なのだ。
それも計算機は計4台搭載するので、述べ4台分の敵情報を管理する事が出来る。
例えば、指揮官車両が敵指揮官車両を捕捉し、その情報を他の小隊または中隊と共有した場合、それらの部隊では指揮官車両が共有する情報とは別に、自分が目標として定めたい敵を捕捉して照準修正を行うことが出来、それでも尚、別途2つの敵情報を自らの車両で管理することが出来るというわけだ。
本来の未来においての高射砲は台数がもっと多く、8台だとか16台もの計算具等が接続されていたとの事だが、製造コストや整備性等を考慮した結果4台となった。
個人的には後2台ほどあってもいいとは思うし、スペースも用意しているので今後の改良次第では増やすこともありうるが……現状では生産数の限界もあって4台となっている。
一連のシステムは本来の未来においては、高射砲用として開発されたものであったのだが……
高射砲を無人操作による遠隔操作せんがため、1つの指揮車両に指揮用配電盤を設けて統括制御し、敵の集団を追跡して照準を向けるという……
いわゆる、SAGE(半自動式防空管制組織)に類似するような事が可能だったのである。
事実、三式12cm高射砲は、遠くの指揮車両または地下の指揮施設から遠隔操作されて運用がなされていた。
統括制御とデータリンクに関しては、二式二型算定具時代から可能だったのだ。
この間は有線接続ではなく、無線接続。
つまり、多数の高射砲が少ない指令施設により遠隔操作されて操作され、そしてB-29を落としていたのだ。
元々高射砲のシステムだからこそ、そのような仕様なのだ。
特定の目標に対してそれぞれの高射砲が追尾できるほうが命中率は上がって当然。
高性能な高射砲は何も弾幕を展開していたわけではない。
きちんと「狙って」いたのである。
当たらない高射砲など、海軍や一部の作家が作り出した創作話に過ぎない。
実際には狙い撃って、相当数のB-29を落としていたのだ。
それを戦車用として落とし込んだものが開発中のシステムだ。
なぜ周囲の反対の声も押しのけてまで二式算定具に拘っているのかと言えば、やろうと思えば敷き詰めた新型戦車を、1台の指揮車両が統括制御する事も可能という、この時代において一歩も二歩も進んだ戦術データ・リンクが可能な点にある。
C4Iほどは優れていないが、簡易戦術データ・リンクとしての能力は現時点で最高峰と言って過言ではない。
類似したシステムを搭載しようと画策した第三帝国は失敗したが、我が国はそれをやろうというのだ。
しかも、高射砲としては本来の未来において成功し、現時点でも試作品が十分な働きを示しているこのシステムは、数少ない皇国が他国の追随を許さない得意分野の1つ。
これはきっと例の四式算定具たる光学式へと一部の構造を改めたいという提案なのだろう。
そう思って待ち構えていた俺は、自国の持つポテンシャルがそんな程度ではないことを思い知らされる事になるのだった――
◇
「――常時追従方式!?」
「ええ、そうです。出来れば早い段階で予算と人員を確保していただけませんか。私共としても、どうしても挑戦したい試みなのです。それがあれば……あの戦車砲はもっと命中率を高めて敵からの被害を減らすことが出来る」
「ちょ、ちょっと待って下さい。常時追従式とは何なのですか。何が何を追従するんです」
「照準ですよ信濃中佐。照準が、敵を、自動的に、常に追従する……一連の機構の導入です」
それはつまり……自動照準システムじゃないか!
バカな。
何を言ってるんだ。
そんなの20年後の主力戦車にも搭載されていないようなシステムではないのか。
確かに、自動照準補正は我が皇国の地域で誕生し、最も早く戦車に搭載させる事に成功した。
そしてそのシステムの開発に横川が関わっているという話も聞いている。
だが、その雛形たるシステムが現時点で我が国にあったと?
あったというか、発想としてあるというのか!?
いやまて……確かに、本来の未来にて存在していた自動照準システム自体もアナログ計算機によるものだったから、原典たる機構が既に生まれていてもおかしくは無い。
記憶が間違っていなければ、技術自体は枯れた技術の集合体であったと聞く。
すなわち、枯れる前の新鋭技術が現時点だというのか。
いや、待て……何か"常時追従"という単語が引っかかる。
そういえば確か……四式算定具の改良型。
一連の算定具と照準具の最終形態として五式算定具と照準具というものが陸軍にあった。
この改良の中に「常時追従方式」という単語があったはず。
しかしその詳細は全くわからず、一体なんなのか不明。
試作品が出来上がった段階で終戦に至り、そのまま設計図ごと焼却されたと聞く。
つまりその……本来の未来において誕生しなかったが、正式名称すら名づけられていた"五式算定具"こそ、皇国式全自動照準システムの原典だったというのか。
「――中佐。よろしいですか。現在開発と設計がほぼ終了し、このまま行くと三式算定具として採用されることが濃厚である新型算定具は、弾道予測や敵の未来位置の予測、そして自らの砲の向きや角度、さらには車体状況をも計算できる力があります」
「ええ。そうですね」
「ですが、砲の照準修正は手動で行わなければならない。状況としては遠隔地から届けられた敵の座標情報または車体に装備された照準用電探で敵を捕捉。その上で内蔵の計算機を通して見出した数値にて照準を修正。これによって従来とは比較にならない命中率を叩き出すことが可能……とはされています」
「言わんとしたい事はなんとなく察せます。照準修正を試みているのは結局は人なのだから、何らかの人間的な抜けが生じて適切に照準を合わせられていないケースなどがある可能性はありますね」
「そうです。特に対象が移動しているならば、常に照準は変更していかなくてはならないが……その細かい修正を人の動きでやるというのは相当に訓練を積んだ者でなければ困難。ならばその部分をある程度自動で行うことができれば……」
……測敵と測距に関しては本来の未来における第三帝国の大戦終盤の戦車達が光学式照準等を採用することで大戦中盤より飛躍的にその命中精度を上げた。
従来は目視に頼りきっていたが、距離がより正確に捕捉可能なのでそれだけでも格段に命中率が上がるものなのだ。
目で見た距離が正しいなどあるわけがない。
風向きなどの確認も合わせて「初弾は様子見」といったことが当たり前であった戦場では、ごく一部の突出した砲手が初弾から命中をさせていくことを可能としていた。
いわば第三帝国はこの初弾という存在に着目し、先制攻撃で命中率を高めれば戦闘力が向上するのではと考え、実行に移したというわけである。
けれども、これはあくまで敵との相対距離を見出すだけであり、敵の未来位置の予測やその他まで可能とはしていなかった。
出来たのは弾道予測程度まで。
だから、終盤になって未熟な戦車兵が増加すればするほど、その性能をもてあましてせっかくの高性能車両がまるで活躍せずに破壊されていくようになる。
しかし、もし横川電気の技術者達が思い描くシステムが本当に実現するならば……この不安は解消され――
「――平均的な腕前の砲手が、一流に化けるかもしれない。そんなところですかね」
「そうです。砲は自らが今どの位置かわかっているのだから、砲の回転機構等と連動して照準を人の手に頼る事なく合わせられるようにする……これは概算ですが、完成すれば停車後約5秒程度で極めて正確な第一弾射撃が可能になります。命中率は静止目標なら8割を超えてくれるのではないかと……その一連の機構の開発資金と人材確保のための補助を行っていただけませんか」
「例えば"最大限"の人員と予算を割けたとして……どれほどで完成の見込みですか?
「砲自体の若干の改良も必要となりますが、2604年頃までには間に合わせられる可能性があります。是非ご検討を」
「いえ、すぐに始めてください。我が軍の戦車には絶対に必要だ。間違いなくそう言える機構です。それが不可能であってもやる価値があるものです。責任者として私が上を"絶対"に説得してみせますので、すぐにも開発の開始を」
「えっ。あ、はい。了解です。では本日中には開発体制を整えて設計を始めてみます」
「期待してますよ。予算は近いうちに確実に手配致します。何かあったら連絡を下さい――」
こちらの余りにも早い即答に一瞬戸惑いを見せた横川電気の技術者ではあったが、架空の話をでっち上げたわけではないので、自信たっぷりの表情でこちらの意思に応えようとする。
わかってるさ。
これは水からガソリンを作るといったような魔法の類の話じゃない。
あったんだ。
俺は知ってる。
自動照準が出来る戦車は確かにあって、それがかつて皇国と呼ばれた地域で製造され、そして世界に先駆けてそいつが搭載されたことを知っている。
ヤクチアなどから適切に技術がわたってこなかった影響で、第三世代戦車と比較すると随分と遅れていた車体ではあったが……
決して手を抜けない相手として、総合性能をもって西側諸国から警戒されていた主力戦車が、俺の頭の中に刻まれている。
そうか……あいつが持っていた力は……未来を切り開こうと奮闘していた頃に生み出されたものだったのか……
本来の未来ではその原典たる存在は間に合わなかったが、今度は違うかもしれない。
手に入れれば、間違いなくこれから生まれる戦車は、20年は確実に敵無しの状態になれるだけのポテンシャルを得ることが出来る。
後は此度の戦では間違いなく間に合わないであろう複合装甲や油圧サスペンションなどを開発し、その後の戦車開発につなげる。
それが出来れば今後100年程度は戦車分野においては常に一歩リードした状態を守りきることが出来るかもしれない。
よし決めた。
上層部から求められていた、新型戦車の軍隊符号は「MBT-03」としよう。
主任たる俺が決めていいとの事だったが、ずっと悩んでいた。
諸外国を攪乱するためにSTKは用いるなと言われていたが、元よりSTKなんて名づけようとは思っていなかった。
しかし巡航かつ重戦車みたいな形で「CHT」などと名づけるのはどうも違う気がしていた。
これまでにおいて国外の技術者に対して新型車両について説明する際には何度も"MBT"を連呼していたが、これは皇国の主力たる戦車という意味合い程度にしか考えていなかった上で用いていたのだが……
だが、本技術が導入されることを考えれば、新型は紛れも無いMBTだ。
これがMBTじゃなかったら、MBTとは一体何なのだという事になる。
型式番号「MBT-03」
そして軍隊符号「MBT-03」
あえて諸外国が採用しないものを採用することで、MBTのあり方そのものを決めてしまう。
名誉ある名前を貰いたい。
そうしよう。
――横川電気の技術者が帰った後も、俺は武者震いが止まらなかった。
自分が知らない所で、自国に将来を通じて誇れる革新的な新鋭技術がある。
そう考えると、興奮を抑えることができなかったのだ。
決して我が国は後進国ではない。
列強に名を連ねる国ではあるのだ。
航空機関係で最近は少し自信を失いかけていたような所があったが……
また明日から足を進んでいく勇気を貰った。
確かにそれは兵器の1つの機構でしかない。
しかしその機構が戦闘力を大きく左右する革新的技術。
そういうものの積み重ねが性能を決める。
俺がやっている事だって、大きくは変わらない。
小さな積み重ねで新型機達の性能を高めてやれるんだ。
後に四式算定具並びに照準具、照準修正機構などとされる自動照準機構が搭載された主力戦車は「三式主力戦車(戦中・中期型)」として歴史に刻まれ、恐れられる事となる。
もはやそれは第一世代MBTとして分類する事など不可能であった。
恐らく、どこかの異世界に存在する戦後29年を経て正式採用された戦車はこう述べる事であろう「ああ、後は油圧サスペンションと対NBC兵装だ」――と。
なお、信濃忠清が軍隊符号と型式番号を同じものとしてしまったことにより、ちょっとした混乱から本機の愛称が決まることとなるが……この時の彼はまだそのことを知らない。