第151話:航空技術者は制止する(前編)
「聞いたかよ信濃。お前が取り寄せて国内生産をしようとした例の単車だが……陸軍に納入する分だけで30万台以上にも及ぶ増産が決定されたんだってな」
「ほう。それは初耳だ」
連山計画が始まって1週間以上が経過。
スピットファイアMk.Ⅶ用のパーツを待ちつつ日々をせわしなく過ごす俺が珍しく休憩しているとちょっかいをかけてきたのは、いつものごとく中山であった。
なぜ彼がここまで俺とコミュニケーションをとろうとするのかはよくわからないが、こういう雑談はストレス解消にもなっているので、応じられる間は積極的に応じるようにはしていた。
「最近は急がしくて新聞もろくに読んでないようだな。ほれ、その記事だ」
中山によって無造作に机の上に投げ込まれたのは1週間前ほどの新聞である。
俺がそっと視線を向けると、そこには「皇国標準型二輪車現ル」などという見出しでZDB125の皇国版たる車両の写真と共に大量生産に関する情報が記述してある記事が目に入った。
すでに2万台以上が先行量産された百式機動二輪車は、華僑を含め続々と前線に配備され続けている。
評価は想像以上。
よく走る。
大量の物を運べる。
頑丈。
三拍子揃った小型の二輪大衆車は皇国国民からも大いに歓迎され、民生利用も既に開始されていた。
この評価はある意味で当然と言えば当然であった。
基となったZDB125はシンプルかつ安価でそれなりに頑丈なチェーンドライブ駆動等、後の時代において優位性を保つ構造をふんだんに採用しつつ、とにかく重心点に拘った。
ゆえにこの規模の車両としては当時として極めて珍しい二人乗りが可能なのが売りであった。
二人乗りが可能というのは、すなわち50kg以上の重荷を積載して運ぶことが可能であるということ。
いわば大衆車としての二輪自動車の1つの完成系であるのだ。
車両を見てわかるとおり、後輪用のアクスルシャフトの直上に荷物または人が乗れるような重量配分となっている。
この配分、実はリジットフレーム全盛期の当時としては極めて珍しい。
当時の軽量バイク、もとい大型重量バイクの多くはこのような構造は避け、あえてアクスルシャフトからは離れた部分に荷物や人を乗せるようにしていた。
要因としてはアクスルシャフトやフレーム等に対してかかる重量物の負荷にフレーム等の構造物が耐えられないためだ。
そのため、NUPや王立国家を中心にこういった積載関連の積載物を懸架するための機構はフレーム剛性がより高くなりやすい運転席側へと若干寄った状態にオフセットされて設置されている。
例外はR75といった第三帝国の大型大重量二輪車ぐらいで、小型車両への採用例は他において全く確認できない。
当時の100cc~150cc前後の小型車両なんてものは大半が積載を意図しないような自転車に原動機を付けたような車両ばかりであり、正直なところ悪路走行中にフレームが破断してしまうような車両も多くあった。
つまりそのような構造を平然と採用しているZDB125はそれだけフレーム剛性が高いことを意味しているが、二人乗りを可能とする条件を突破するために、わざわざこのような構造にする必要性はない。
今の時代の工業技術的には重量増大等、不利な要素満載。
それでも剛性を高めてまでこの構造を採用した理由は、積載物を積載した際に走行中の重心位置の設定まで考え込まれていたからだ。
ホイールによって発生するジャイロ効果は当然にして回転体の中心点から発生する。
つまり走行中のバイクにとってもっとも効果を得やすいのは、ZDB125のような中心点の直上などだ。
ZDB125は開発時点で二人乗りと大重量積載物を運ぶことを考えて作られていた。
いわゆる完成された二輪大衆車である。
ゆえに、カーブ走行中などで最も安定性の高い部位に積載することを考慮していたのは、メーカーがそれだけ大衆車とは何かという哲学について真面目に取り組んでいたからに他ならない。
荷崩れや荷崩れによる転倒などを徹底的に防ぎたいという試みなどは性能としてきちんと現れていた。
そもそもがクラッチやブレーキ配置まで拘りぬいた"真の意味で完成された二輪車"だ。
当時の広告やポスターもそこがとにかく強調され、カップルや夫婦による二人乗り、そして郵便物や大工道具等を運ぶ車両であることを示すイラストが用いられていた。
決して最高速度も遅くはないが、速さよりも便利さを強く宣伝したかったのだ。
そしてこの車両は後の皇国地域において多大な影響を与え、かつて皇国と呼ばれた地域独自の大衆車を誕生させ、発展させていくことに寄与した。
百式機動二輪車は、まさにその独自に発展する直前の黎明期の姿そのものといったようなスタイリングとなっているが……
口をすっぱくして「ZDB125の長所を潰さないでほしい」――と指示していたことをきちんと守ってくれたメーカーにより、
ブランジャー式サスペンションを手に入れた進化型ZDB125というべき存在は、極めて完成度の高い大衆用二輪車として鮮烈なデビューを飾り、軍だけでなく民間も注目するような車両として未知なる需要を掘り起こしつつある。
「――俺も乗ったが結構速かったぜアレ。タイヤのグリップ力に対して後輪ブレーキが強すぎて滑るのが気になったがな……ま、馬の代わりには十分だ」
「馬の代わり……ね。中山も軍がなんで当初予定の15万に追加して30万も求めたのかはわかっているんだろう?」
「そりゃ、軍馬の生産があのザマじゃあな……」
――大量生産によって価格を低下させるために政府は企業が導入する場合において補助金も検討。果たして鉄馬は新たな産業を掘り起こして不足が指摘される馬の代わりとなるか。――
新聞記事においてもこのような形で触れられているが……
どうやら中山も軍がなぜ百式機動二輪車を大量に求めていたのか理解している様子であった。
百式機動二輪車が軍だけで30万台以上も求められる理由。
この裏に存在していたのは、軍馬の調達が芳しくない陸軍と競馬界の対立構造がある。
軍馬。
皇国においてはそれこそ軍馬という存在は1000年以上も前から重用してきた存在だ。
つい最近どころか現在に至るまで、馬という存在は決して無視できない機動力であり、二度目の大戦となった今の時代において世界各国においても、一つの国家が100万頭単位で軍馬を戦力として利用している。
扱いとしてはいわゆる使役馬に類する荷物運びなどが主であったが、山間部などの急勾配が続くような地域では発展途上の二輪車や四輪自動車で移動するのは容易ではなく、文字通り"足"が必要だったのだ。
我が陸軍においていわゆる世界各国と共通の認識な近代的な"軍馬"というようなものを重要視し始めたのは開国してから。
だが、ある時期に至るまで陸軍は皇国独自の血統を持つ馬を軍馬として採用していた。
もしくは、ラバのごとくアラブ種などと1度ないし2度だけ交配させたものを軍馬として採用していた。
馬体は決して大きくないが、それなりに大重量物を運ぶことが可能で、その気性も大人しく扱いやすい。
そんな国内馬を中心に騎兵隊なども積極的に用いていたのである。
その状況が覆ったのは、帝政時代のヤクチアとの戦いにて。
我が陸軍の馬はすべての面で敵方の騎兵隊の馬に劣っており、20万頭以上の騎兵戦力に凄まじく苦しめられたのである。
かねてより近代に入って以降、帝政時代のヤクチアは騎兵戦力を過小評価などしていなかった。
当然にして、ユーグ地方などにおいて存在した優れた馬体を持つ品種については認知していたので、自国の馬に対して品種改良を行うのも積極的かつ手を抜くような真似をしなかった。
その結果、体高150cm以上の馬……それこそ、アハルテケを筆頭とした優秀な純血馬だけでなく、改良された雑種の軍馬達やユーグ地方より仕入れた馬達によって構成された騎兵隊は極めて優秀で、皇国は軍馬ショックとも言えるような状況に陥ることとなる。
戦自体は何とか乗り切ったものの、その衝撃は凄まじく……すぐさま自国の馬の改良を行いだすようになるのだ。
しかし、ここに問題が立ちはだかる。
帝政時代のヤクチアとの戦、そして1度目の大戦の引き金となった世界不況といったものは軍縮の要因とすらなりえたが、その結果陸軍では軍内において馬を保有して管理しておくことが難しくなった。
機械と異なり事実上の消耗品。
時を隔てば機械以上に劣化し、最終的に戦に至らずとも死して消耗してしまう軍馬というのは、平時において軍の戦力として保有するには極めてコストパフォーマンスの悪い代物である。
軍犬と並んで、こういったものを限られた予算で保有するのは事実上不可能。
よって両者共に陸軍は緊急時において兵と同じく徴用し、借り受ける形で一連の戦力を確保する体制を築こうとした。
しかしここに問題が生じる。
犬の場合は愛好家もそれなりにいて平時においても他国より劣りこそするが、それなりの数を確保した上で、軍犬と定めた犬種に訓練を義務付けて訓練を突破した者に軍犬としてのお墨付きを与えて補助金など交付しつつ、いざという時にすぐさま利用できる体制を整える事ができたものの……
愛玩動物として考えた場合には軍犬とは比較にならぬほど各種コストがかかりすぎる馬というのは、機械という存在が発展途上である時代においては貴重な労働戦力以外の運用など限られ、それこそペイできる余地がない限り積極的に軍馬を育てたいと思う者など皆無だったのである。
特に皇国独自の品種は頭の賢さにおいては諸外国の馬以上といわれていたように、農耕馬等としての適性はバツグンであったし、そもそもがこうなったのも戦国の世が終わって鎖国へと突入した際に農耕以外での運用が殆どなくなって農耕用へと改良されてしまった影響が大きく……
優れた農耕馬を国外の品種と混ぜるという試みは開国後から行われていたが、例えば一度国外の馬と交配するとたちまち持ち前の頑丈さを失い、農耕馬として使いづらい馬となってしまい、こと蹄の強さにおいては世界有数の皇国系品種はその蹄の強さを失ってすぐさま生命に関わる蹄の病にかかることとなり……
使役馬を生産していた生産組合にとって国外品種との交配に利点など微塵もなく、積極性などは期待できないのであった。
皇国は米を主食とする国。
農耕馬として最も活用される水田は多くの馬の蹄にとって極めてよろしくない衛生環境であった一方、皇国の農耕馬達は数百年の間にその環境に適応して生きながらえた血統の馬達。
それを国外の乾いた地域において優秀な能力を誇る馬と安易に交配したところで、逆効果となるだけだったのである。
また、交配を行って生まれた中途半端な馬達は、当然国外から高額で調達してきた輸入馬が父または母となったため、子は能力が農耕馬としての基準を満たさない程度なのに高額となってしまうというのも毛嫌いされた。
それこそ軍が改良を命じた際、使役馬を専門として生産する牧場と組合、そして農業関係の組合は猛反対。
ついには陛下に直訴する者まで現れる始末。
結果、陸軍は使役馬に関して軍馬を生産させるのはとりあえず一旦棚上げし、もう1つの業界に着目することとなる。
それが競馬である。
開港を前後にして始まった競馬という文化は、すでにそれが成立して数十年。
市場が既にある程度成熟しつつある状況にあった。
当時の競走馬では基本はサラブレッドを中心としていたが、未だ未熟な皇国の生育技術ではサラブレッド一強ということにはなっておらず、スタンダードブレッド等が十分活躍できる余地があった。
そこで陸軍はこの競馬に着目し、早さを求める競走馬の馬体の良さもあって積極的にこの手の競走馬を軍馬として用いようとする。
だが、それが茨の道であることにすぐ気づいてしまうのであった。
確かに当時サラブレッドは一強ではなかった。
だが、やはり競馬といえばサラブレッドというように、競走馬の殆どがサラブレッド。
特に、軍に軍馬として無料で提供してもいいような馬というのは、競走馬としては話にならないとされて本来は馬刺しになってしまうような運命であったような者達であったのだが……
これら一連のサラブレッドにおいては軍馬としての適性は微塵も無かったのである。
まずサラブレッドで問題視されたのは気性の荒さ。
これは調教する上で極めて時間がかかるだけでなく、その性格そのものが調教手に負担を強いるものであった。
例えばサラブレッドにおいては荷馬として用いる場合に重要となる側対歩を皇国純血種のように自然に覚えることは無い。
この側対歩を覚えさせようと思った場合、優秀な調教師でも2年、多くの調教師では3年かかると言われる。
皇国独自の純血種が親から自然に学んでいくのとは大きく異なっていた。
彼らはプライドが強く、妙な歩き方を覚えるのも当たり前のごとく嫌う。
そして特定の者しか乗せないなどといった選り好みが強い個体も多かった。
これらはとにかく数が必要となる軍馬としてはマイナス要因以外のなにものでもない。
そして次に問題となったのが皮膚の弱さ。
競走馬として研ぎ澄まされたサラブレッドは皮膚が薄く弱い。
その結果、鞍を身に付けて走らせ続けると鞍ズレという人間で言う靴ズレのような症状が発生し、最悪は死に至る事もあった。
傷から病原菌に感染して感染症を引き起こす場合や、皮膚病を誘発してしまうのだ。
よって軍馬として要求される尋常でない長距離を人を乗せて長時間走り続ける力など無かったのである。(少なくとも皇国陸軍に提供されたサラブレッドにおいては)
そして音に敏感というサラブレッド共通の問題は、馬上から射撃することを不可能とさせた。
射撃の発砲音に驚いた馬は騎手そっちのけで興奮して逃げ惑い、落馬する騎兵が続出。
とてもではないが使い物になるようなものではなかった。
次に問題となったのは蹄の弱さ。
競走馬たるサラブレッドの多くは、蹄が病気になりやすい。
ある程度移動したら蹄の掃除をせねばならない。
この間隔が短かすぎて常に蹄を掃除しているような状況となり、鞍ズレと合わせて長距離移動が極めて難しい馬だったことが発覚する。
おまけにさらに問題視されたのが馬の食事に関する問題だ。
一般的に馬に必要な餌の量というのは、少なければ少ないほど軍は運ぶ荷物が減って運用効率が増す。
馬が消費する餌と水の量は尋常ではない。
それでも、多くの馬は体重の1.5%ほどあれば特に問題ないところだが……
サラブレッドはその馬体を健康体として維持するためには、1日においてなんと2.5%~3%もの餌を必要とするのである。
いわゆる「粗食に耐える」とは餌を選ばないだけでなく、餌の量についても表しているわけだが……
皇国の純血統たる馬達は与えられた餌が1%未満でも1時間ほど放牧させれば自分の意思でもって高い栄養源を含んだ草を選別して効率的に食事し、常に運ぶ馬用の食料を減らすことが出来たのだが……
サラブレッド達は草を選別して食べることが出来ず、そこら中の草を食べ歩いては腹を下してゲリなどを容易に起こし……基本的には餌を人間が与えてやらねばならない気苦労の耐えない馬種なのである。
しかも個体によっては食べる量が小食で1度に大量の食事ができず、皇国純血種が1日2回~3回程度の食事で良いところ5回6回も必要とするような馬が平然といて、その程度ならまだしも8回以上も必要な馬がいるような惨状がそこにあったのである。
これはサラブレッドという品種の多くの個体がレースのために他を削り落とした品種であるがゆえに、胃や腸の大きさが他の品種と比較しても極めて小さいことが影響していたが……
実は皇国純血統というのは、胃や腸の大きさが種類によっては世界最大クラスだったり、そこに、リスが口の中に木の実を溜め込むがごとく草を溜め込むことが出来る特性を持ってるなど、軍馬としては悪くない特性を持つのとは正反対に、サラブレッドは軍馬として不適格な要素満載な品種だったわけである。
この正反対の特性に陸軍は大いに悩まされたのであった。
食事量が多いというのは使役馬としては最悪の特性だ。
大飯食らいなど金がかかって仕方が無い。
働いた仕事分以上に食費がかかるような馬は、愛だけではどうにもならない負債となる。
使役馬を生育する牧場の積極性の無さはこういった費用対効果の低さも大きく影響しており、「サラブレッドの交配なぞ冗談ではない」――というような所ばかりであったという。
ちなみに二度目の大戦において戦力として徴収された各国のサラブレッドの多くは戦場で使い物にならないと盥回しにされたりしたが、この盥回しにされたがゆえに戦後まで生き残った馬がそれなりにいたという、使い物にならない特性が逆に生存戦略を構築してしまったという悲しいエピソードが存在していたりする。
無論それらの馬はその後の競馬界においてそれなりの影響を及ぼしたため、彼らは軍馬としては失格でも競走馬としての能力が低かったわけではない。
しかし軍馬と競走馬は相成れないもの。
陸軍としては一応、稀に蹄が厚くて硬くて皮膚も硬い上に体高も170cmもあるような個体を見出しては積極的に購入やら戦時下における徴収を目的とした契約を結ぶなどしたが……
基本的にはサラブレッド以外の馬を中心に軍馬として採用しようと考えるようになる。
しかしサラブレッド以外の馬といってもそう簡単な話ではない。
一度目の大戦が終わっても二度目の大戦に到るまでの間において馬は最重要戦力の1つ。
極めて優秀な血統を持つ品種は国が囲い込んで排他的な姿勢を保ち、そうそう簡単に輸出などしないのが当たり前。
例えば皇国陸軍においては純血種の完全上位互換としてホラントの"フリージアン"を見出してたいたものの、このフリージアンに関してはホラントの貴族達を中心に厳重管理していて輸出することなど滅多になく、入手など不可能に近い状態にあった。
フリージアンは体高約150cmありながら、速力もそれなりに高く体も頑丈。
何よりもユーグ系の馬において蹄が極めて強く基本的に蹄鉄を必要とせず、そして山道に強く極めて賢い。
おまけに元が野生馬であって皇国の馬達と同じく草を選別して食べる本能もあって粗食にそれなりに耐える。
この青毛しか認められない品種は馬車馬だけでなく乗馬を行う上でも極めて優れた能力を誇り、それこそ世界各国の品種の改良のために活用されたこともある優れた品種であったのだが……
陸軍が自国の馬の品種改良に乗り出した頃には極一部の者しか知らぬような幻の存在といわれていたような馬なのであった。
品種改良を行うならば数を揃えていかねばならない。
その上で頑丈で馬体も大きく、速く走れねばならない。
皇国人の体格を考えても体高は150cm以上。
使役馬としての能力も持ち、それでいて安価で大量に調達できる。
そんな馬を捜し求めていた所、目に留まったのがアラブ種である。
体高の平均は150cmと皇国陸軍が求める大きさを満たしながら、速力は平均的クォーターホースやサラブレッドに劣るが必要にして十分。
何より食事量が少なくて済む上に使役馬としても十分な能力を持ち、サラブレッドのような気性の荒さもない。
各国にて軍馬としての実績があったアラブ種は意外にも安価に大量調達出来、軍は積極的な導入を繁殖を求めることにするのだ。
……が、そこに待ったをかけたのが陸軍が繁殖や品種改良等に関して協力を要請していた競馬業界であった。
競馬業界というのは基本的に賭け事を生業として賞金を獲得して成り立つ世界。
それなりに早くて維持費も安いといわれるアラブ種といっても、基本的にはその多くがまだ発展途上のサラブレッドにすら速力にて劣る馬ばかりなのであった。
稀にサラブレッド以上の個体も生まれて来ることはあったものの……そんなのは1000頭いたら1頭程度。
サラブレッドが50頭いたら1頭は競争馬として最低限稼ぐことが出来る個体が生まれてくるのを考えたら、費用対効果としては優れているとは言えなかった。
皇国の競馬界においてはアラブ種というのは、使役場を生産する牧場がサラブレッドを求めないのと同じく競走馬に適さない品種であったのでそう簡単に認めることは出来なかったのである。
次第に高まる緊張。
双方は長い議論や衝突の果てに最終的にある答えにたどり着く。
アラブ種とサラブレッドを交配すると意外にも優秀な馬が多く生まれる。
その上で交配して誕生した馬は軍馬としての適性を得ながらも、競争馬として平時においては戦っていける力がある。
これは陸軍が競馬界の者達の協力も得つつも独自に確保した個体によって品種改良を行った結果判明した事実であった。
その結果、陸軍は軍馬としてのアラブ種を諦め、サラブレッドと交配を行った馬を軍馬として定め、そちらを中心に運用しようとするのだ。
それこそが"アングロアラブ"なのである。
戦後において多くの軍馬に関するエッセイや考察においては、あたかも陸軍はあえてアングロアラブを求めていたように記述されることが多い。
これは完全に間違いだ。
アングロアラブは軍馬として陸軍が求めた理想形ではない。
競馬界の各種組織や牧場とすり合わせて妥協した産物に過ぎない。
そうでなければ採算が取れないので陸軍の要求には応じないとした競馬界に屈してアングロアラブを求めたに過ぎない。
我が陸軍は軍犬において純血シェパードを中心としたように、純粋アラブを軍馬に据え置きたかった。
機械化歩兵が主力となっても次の戦までは出番があり、実際各国が100万頭単位で戦力として動員することも予測した上で、最低限50万頭は必要と考えてアラブ種を用意したかった。
事実二度目の戦においてはその通りの展開となり、あたかも皇国だけが機械化に出遅れて馬を多用した――などと言われるが、実際の戦場においては皇国以上に他の列強国の方が多くの馬を消耗することとなった。
しかしその一方で本来の未来において陸軍が用意した約70万頭に及ぶ軍馬のうち、アングロアラブは信じられないことに約23万頭程度に過ぎなかったのだ。
2600年までに50万頭を調達する計画を立てていた陸軍。
それに対し、競馬業界は見事に裏切ったのである。
残りの50万はサラブレッドを筆頭に、スタンダードブレッドや直前までNUPから調達できたクォーターホース、純血アラブ、シャギャ・アラブ等々、それ以外には多くが雑種でどの馬と交配したのか不明瞭な馬達ばかり。
こうした雑種馬達は業を煮やした陸軍が政府を通じて従来までは使役馬を生産していた組合にまで強制させて法改正まで行って調達したものだった。
その強引な調達法の影響をとくに受けたのが使役馬を用いる農家など。
馬の価格はどんどん上昇し、2601年においては2595年からわずか6年で従来の7倍にまで価格が膨れ上がり、さらには農耕馬としては使い物にならない気性が荒くすぐ病気になる病弱な馬ばかり。
使役馬を優先して強引すぎる品種改良を強制させるために皇国純血種は雄が全て去勢されることとなり、優秀な農耕馬の調達は不可能な状況に追い込まれた上で押し付けられたのは正しくない意味での駄馬ばかりであった。
それこそ農家においては「こんな使い物にならない馬なんて買っていられるか! ワシは牛を使うぞ」――などといって本来は食肉に供される予定の牛を各地で調達しては農耕用として採用することが相次ぎ、食肉として採用予定の牛が農耕用にまわされたことで国内では肉不足に陥ることとなってしまう。
しかし牛は寒い環境には極めて弱いので東北地方を中心に農耕用として採用できない地域に至っては、半ば泣き寝入りでサラブレッドなどと交配させられた図体がデカいだけの大飯ぐらいを借金を抱えてまで購入せざるを得ない者も続出するのであった。
東北地域外でも特定少数以上の者が牛を使うのを嫌厭したと言われる。
理由としては馬は覚えさせれば特に指示なく一人で作業をこなすほどの賢さがあり、主人に対する忠誠度も高く従順であるために農耕を行う上での負担が少ないのだが、牛は頭が悪く作業を覚えてくれる個体は稀。
基本的に人が補佐して作業を行うことを強いられるので扱いづらいのだ。
これはロバも同様であり、生来の面倒臭がり屋であるロバは単純な駄馬としての能力はあったものの、この手の細かい作業は全く覚えようとしない上に作業をすぐサボろうとする気質の持ち主。
頑固で一度拒否すると全く作業をしてくれない性格などもあり、こういった性格が原因で皇国では開国後も国内においてロバの飼育数が全く増える様子がなかった。
同様の気質を持つラバもまた国内での需要は皆無であり、それは俺がやり直す頃においてまで続いていた。
自動車産業が立ち上がってもなんだかんだ需要を失わず、万が一の可能性も鑑みてヤクチア本国から飼育を命じられた馬に対し、ロバは皇国民がとにかく嫌った結果、強制等されないほどである。
ヤクチアに赤く染められる前の皇国の陸軍もまた、重視したのは馬であってロバやラバなどではなかったため、少数存在したロバの提供の話が持ち上がっても受け取りを拒否していた背景があったのだった。
そのような流れの中、この試みに完全に反抗の意を示したのが北海道だ。
「開拓を行う上で、そんな馬を採用する余裕など無い!」
「この極寒の地で生きていけない馬などもって来るな!」
実際問題、売り物として北海道に持っていってもこれらの雑種はすぐ死んでしまうため売り物にならず、北海道民は知恵を振り絞って盛大な反対運動を行うのである。
「ここにいるのは野生の馬だ!」
その論理でもって保護されたのが、後にも生き残る道産子と呼ばれる馬達。
実際は野生の馬も混じっていたことと、殆どが放牧されていたことを利用して彼らは野生の馬を去勢する費用など無いといって状況を放置する。
その放置を政府と陸軍も黙認したことで道産子は生き残るのであった。
この道産子、当然にして東北地域からは喉から手が出るほど欲しい品種。
元々が東北から連れてこられた品種だけに地域的な相性もバツグンであった。
ゆえに開拓民のいる極寒の地に手製の筏のような小さな木造船で向かい、津軽海峡を渡って道産子を買いに行く東北の農家は後を絶たなかった。
俺がやり直す頃においても2000頭はいた道産子達は、こうして生き残った末裔なのである。
加えて、道産子が生き残った理由はもう1つあり、アラブ種と交配して生まれた道産子の雑種は馬体はきわめて優れていたが乗馬用とする上では全くもってお話にならず、それぞれのマイナス面を受け継いだ極めて能力の低い馬となってしまったことにも起因する。
道産子が早々にアラブ種などとの交配による改良が諦められたのはこのような背景があってのこと。
そしてそれらは野生に解き放たれることなく殆どが処分されるか、辛うじて野良となった馬も寒い環境に全く適用できずに死滅した。(暑い地域の馬と交配して誕生した馬が北海道の真冬に適応できるわけがない)
また、同様の性質を有していたもう1つの種類がいるが、それが木曽馬である。
こちらもアラブ種との交配をするとそれぞれの短所が目立つ格好となって微妙な馬となってしまうのだ。
木曽馬自体は最後の純血種が死去したため、純粋な血統は未来において既に消滅している。
しかし戻し交配が可能であった最大の要因はアラブ種などとの交配が最大で2回程度しか行われず、それ以上施しても改良に寄与しないことがわかって放置された雑種が多くいたからである。
そのため、戻し交配においては最後の純血種の力を借りて1回程度しか交配していない牝馬を用いての作業が行われた。
俺がやり直す直前にかつて皇国と呼ばれた地域の長野周辺あたりにいた木曽馬は、こうしてアラブ種としての遺伝子を積極的に取り除こうとしていった馬達の末裔なのである。
木曽馬に関しては個人的に思い出がある。
よく言われる皇国国産馬の体高は大きくて120cm程度というが、実際は違う。
木曽馬に関して言えば開国して陸軍が誕生し、軍馬を調達し始めて以降、純血種において度々体高が140cm以上の馬が軍馬として登録されていた。
立川の陸軍基地にも伝令用の木曽馬がいたが、こいつの体高は143cmもあった。
その上で走らせると最高速度は60kmほども出ており、間違いなく戦国の世であったならば駿馬である。
しかも木曽馬というのは横にデカい特徴を持つ極めて怪力の持ち主。
当時の体高170cmあるサラブレッドと並べてもこの駿馬は全く見劣りしない。
サラブレッドが高身長で細身なアスリートならば、背がやや低いだけで強靭な肉体をもつラガーマンといったような状態である。
そもそも木曽馬に関しては陸軍においてこのようなエピソードもある。
ある調教師が調教中に興奮して暴れだしたサラブレッドに襲われた際、体高135cmあった木曽馬が体当たりして助けたことがある。
その木曽馬は襲われた調教師に極めてよく懐いていたが、襲われる姿に我慢できずに暴れるサラブレッドに対して応戦したのだ。
体当たりを受けたサラブレッドは骨折。
最終的にそれが原因で死んでしまう。
一方の木曽馬はまるで意に介さず、全く体に問題が無かったという。
俺はその話を聞いて木曽馬と並んでいたとされる甲斐馬と甲斐の黒駒の話を思い出した。
この馬体は開国後の発展した育成環境があってこそだとは言うが、体が小さくなった原因は鎖国となってそういう馬が求められなくなったためであるという。
伝承にて登場する駿馬は140cmほどの体高があったというが、陸軍に提供された純血種の中にはそれを思い起こさせる優れた馬達も存在したのだ。
そして戦後においても140cm以上の体高を持ち、かつかなり足の速い木曽馬は誕生し続けているが、残念ながら戻し交配の影響もあって外国種の影響を受けているとの判定が下されて木曽馬としての次世代の種馬になれないのが現状である。
木曽馬の条件は最大体高140cm以下。
これは戦後の戻し交配の際に定められた数値。
しかし100頭生めば1頭以上確実に出てくる140cm以上の体高の持ち主は、開港してからしばらくの間の陸軍においても駿馬と同じ扱いで騎兵隊に重宝された名馬達に間違いなかった。
そんな純血種類たる木曽馬に対し、元々様々な品種が鎖国の頃より多少なりとも混じってしまっている道産子はある意味で純粋和種とは言えないものの……
その状態をほぼ保ったまま戦後以降半世紀以上に渡って生き残り続けるが、一方で二大巨頭と言われて道産子についで数が多い木曽馬もまた、後の時代において遺伝子検査された際に道産子程度の遺伝子変化しか生じていないことがわかっている。
ちなみに本来の未来においては現時点で約97%が雑種または国外品種。
純血種はわずか3%しかおらず、そのうち道産子を除いた全ての牡馬は去勢済なのであった。
しかし現在の状態においてはそのような状況に陥っていない。
機械化歩兵を推奨して近代化を目指した陸軍は、自動車等を積極的に利用しようと配備を進めた。
おまけにNUPからのレンドリースも可能な状態。
馬の数には俺がやり直す前の時間軸ほど困らなくなったのだ。
よって2599年に定められた牡馬の去勢に関しては昨年初頭の段階で一旦取りやめとなり、小数ながら生き残った皇国純血種は犬と同じく保存協会が立ち上がって保護活動が始まっている状況下にある。
他方、かねてからの摩擦により生じた競馬界との対立関係においても、競馬界を半ば見捨てる形で見限り、とりあえず生産されていた20万頭のアングロアラブは採用する一方で、本来の未来においても必要としていた使役馬達を使役馬のまま一定数採用するに留まった。
あの時は使役馬として育てられた馬を軍馬として用いていたからな……
すでに騎兵部隊による運用はほぼ皆無であったが、伝令用等に用いられていたのは用途としては向かない使役馬達であった。
もうとにかく数合わせればいいだろと終戦までに約70万頭もの数を揃えて戦地に送ったほどだ。
それが無くなった分の帳尻あわせとして求められたのが、当初15万台を想定して調達計画を立てた百式機動二輪車であり、これが軍馬などと比較しても遜色が無い性能があると判明したことで、新たに30万台もの追加調達……計45万台もの数を配備することとなったのだ。
馬は山間部などで絶対に必要となるが、それ以外の地域ならば二輪車でどうにかなる。
そもそも百式機動二輪車にはリアサスペンションが施されており、かなりの荒地でも持ち前の高い走破性で突破可能であった。
50万頭以上に及ぶ悲劇を鉄の馬がカバーする。
これはユダヤ人などを中心とした多くの難民によって農作物の増産が必要となる現在の皇国では曲げられない方針で間違いないが、機械化が推進されるなら結果オーライである。
本件に関して特に行動はしなかったが、まあ未来の状況を知っていればある程度は予想通りの展開となったなあというところだ。
「――それよりもよ、信濃。昨日の新聞のこの記事。ちょっと気になるぜ。全くどうにかならんもんかね」
「ん?」
「流行り病。亡国病……いやなフレーズだ。パンデミックっていうんだっけか? こういうの」
中山の言葉に嫌な予感はしていた。
間違いなく近々呼び出しを受ける。
そんな予感が――
木曽馬の体高144cmは平成時代に入ってもとある牧場にいましたが、真正面から見た姿はこんなのに体当たりされたらそこらの牛でも死にかねないほどの巨体です。
和種とブルトンを交配させて純粋和種の能力を引き出させつつ半野生化させた寒立馬(平均体高150cm)と殆ど見た目は変わりません。