第150話:航空技術者は吸気を逆流させる(後編)
――4時間後。
完全にバラバラな状態となったエンジンはオイル等が抜かれたまま、一切の洗浄等なされる事なく解体され、部品単位で試験場内部の床に並べられた。
俺は1つ1つ部品を拾って状況を確認していく。
ここまでにおいて圧縮比等の調整を行った長島の発動機のスペシャリストが、圧縮比などの数値設定をミスってセッティングしたとは考えにくい。
問題はもっと根本的な構造部分にある。
不完全燃焼によって生じるノッキング。
この原因は多種に及び、1つ1つ調べ上げていくとキリがないものであるが……
主原因となっている部分にはカーボンの蓄積等で何らかの痕跡を残しているもの。
部品の1つ1つの汚れ具合からエンジン内に何が起こっているか推定する事は可能だった。
俺はまずバルブの状況を見るために手に取る。
カーボンはかなり蓄積しているな……ドロドロだ。
これは燃料噴射量が多過ぎるのか、もしくは燃焼効率が悪いのかどちらかを表している。
気になるのはバルブ表側のカーボンの蓄積が多いのに対し、バルブ裏側の蓄積はそう多くない事。
インテークマニホールド周辺もそこまで汚くない。
混合気は正常にバルブまでインマニを通して伝わってきてシリンダー内にまで入り込んできている様子。
つまりシリンダー内に問題が?
すぐさま気になったのでピストンを拾い上げて様子を見る。
するとピストンの表面のカーボン蓄積は尋常でない様子。
普段使用しているガソリンは全てPEAポリエーテルアミンを用いているのに……どう見てもおかしい。
通常ならばハ43を分解したのと同じく、僅かに黒いススが各部にへばりついている程度のはずなのだ。
明らかに不完全燃焼が起きていることがわかる。
……なるほど。
なんとなく読めてきた気がするぞ。
「――技術長。もしや燃料を相当に濃くしてますか?」
「え? ええ、熱量が尋常ではないので……薄くするとエンジンが焼けてしまいますし……」
「原因はこのバルブとピストン双方ですよ」
「というと……」
「実はですね――」
――レシプロエンジンにおいてもっとも危惧すべきはカーボンの蓄積だとされる。
無論ある程度許容されるよう設計するのが基本だが、個体差等によって設計時には想定していなかった、"ある程度の範囲を超えて悪さをし始める"ことはままある。
バルブやピストン表面にこびりついたカーボン。
これが燃焼直前において一体どういう働きをするか。
それは"混合気から油分たる燃料を吸い上げる"ことにより、シリンダー内において元来必要となる混合気よりも薄い状態とさせてしまうのだ。
その結果、シリンダー内にてエンジン冷却に必要となるガソリンの量が不足。
徐々にシリンダー内部の熱量が上昇して点火しない段階にて不完全燃焼がおきやすい状況へ。
そして限界を超えるとノッキングへと至るのだ。
彼らはオーバーヒートを防ぐために燃料を濃くしたのだろうが、オーバーヒートする前の段階にてシリンダー内にてノッキングが生じやすい環境が出来上がっていたのである。
そしてこのノッキングを誘発させるカーボンを蓄積させてしまう原因は、エンジン稼動の初動にあると思われる。
すなわち、エンジン熱量が高くない段階(暖気中)でも濃い燃料を吹き付けている結果、吸気側から供給される酸素が足りずに不完全燃焼分で生じた煤をシリンダー外に排出させることができず、炭素のまま蓄積してしまうというわけだ。
やり直す前の自動車整備の経験が生きたな。
ターボ車でよくある故障がまさに今のハ44に生じている状況とそっくりだ。
エンジン内部の様子も似ている。
同様の現象で息つきやハンチング、ノッキングに至る自動車というのは何度も見てきたし修理してきた。
熱力学的な問題とはやや異なる、もっとシンプルな問題によってハ44は自らの信頼性を落としていた。
恐らくこうなった根本的な要因は出力が高すぎる過給器だ。
ツインブロワー式という、本来の未来においてハ44に用いられなかった過給器に、さらに吸気タービンとも言うべき尋常でない圧力の混合気をブチ込む機構。
一連のシステムをエンジン側にて制御仕切れていないのだ。
かといって圧力を下げれば2400馬力は達成不能。
正真正銘本物の2400馬力がほしいからこそ、一連の構造を設計した。
いまさらB-8ツインタービンに交換したら最低150馬力は出力が落ちるだろうし、重量の増大は免れない。
エンジン側でどうにかするしかないな。
これはもう最後の手段だとこれまで採用してこなかったが……仕方ない。
最新鋭のレシプロエンジンの仕組みでもって燃焼効率そのものを向上させ、より薄い燃料でも熱量の増加を防ぎつつ、異常燃焼を抑制するしかない。
現代において再現できるかどうか……そもそも生産性に影響が出ないかどうか心配で最後の手段としてとっておいたが、やるしかないようだ。
「……解消法に心当たりが無いわけではありませんが、2日ほど時間をください。私の頭の中にある流体力学でどうにかできるやもしれません」
「おぉ」
「ただ、恐らくそれが私にとってこの発動機にしてやれる最後の改善案となると思われます。これで解決できなければ……」
「覚悟はしてます。四菱がハ43を大幅に改良した新型を開発中とのことですが、陸軍が実利をとることぐらい想定した上で今日まで挑戦してきました。陸軍がそちらを選ぶというならば……」
握り込んだ拳は、頭の中では現実を受け入れる姿勢でも心の中では現実を受け入れていないことを表していた。
俺にも責任はある。
無茶な機構を仕込んでまで2400馬力に拘ったこと。
2100馬力とかその程度ならばここまで苦労しなかった。
それでも、本来の未来におけるキ87やその後に開発した機体の経験から……俺はどうしても本物の2400馬力が欲しいんだ。
第三帝国が仮にFw190に対し、DB603をフルチューンしてメタノール噴射装置を取り付けて載せた上で挑んでこられると、生半可なエンジンでは勝負にならない。
我々は液冷エンジンの運用が確立しないからこそ、圧倒的パワーを誇る空冷エンジンがあって初めて対抗できる。
ここまできたのにR3350やセントーラスなど、国外のエンジンに頼りたくない。
皇国の戦闘機は皇国のエンジンを積むんだ。
「……私も皆さんも2400馬力は諦めたくないはず。胴体を開発していたチームだって自社発動機を待ち望んでいる。最後まで足掻いてはみますよ」
「宜しく……お願い致します」
「では」
俺は彼らからの弱々しい視線を尻目に試験場を後にし、すぐさま設計室に駆け込んで引きこもる。
連山の件や改良用の部品を長島に発注済のスピットファイアMk.Ⅶの件の前に本件は片付けておかねばならない。
これ以上、開発を遅らせるわけにはいかない。
ゆえに最優先でこの仕事にとりかかることにした。
方法はある。
必ず克服してみせる。
◇
カーボンの蓄積原因は混合気の燃料の濃さに起因するのだとしたら、解決方法は1つしかない。
「燃焼効率を上げる」――これだ。
従来においてレシプロエンジンの燃焼効率というのは、精々30%程度であった。
これは俺がやり直す頃より少し前の話である。
同時期においてロケットエンジンが燃焼効率90%以上、ジェットエンジンが60%近くであることを考えるとレシプロエンジンの燃焼効率は極めて低い。
レシプロエンジンが得意なのは出力を自由自在にある程度変更可能であること。
稼動のための最低圧力が決まっていて、燃焼効率は高いが全体の運用効率で考えるとレシプロに劣る部分も多いジェット(タービン)エンジン。
一度に得られる出力を最大限にまで高めようとした結果、燃焼効率は高いが燃焼率の高い燃料を用いるせいで長時間の駆動というのが不可能なロケットエンジン。
それらと比較すると燃料効率こそ低いレシプロエンジンは、低出力から出力制御が可能という点でもって評価されて自動車を中心に未来においても重用され続けている。
その自動車においては21世紀を迎えた頃から環境性能や燃費性能がより求められるようになり……
従来までは燃焼効率の改善よりも、エンジンそのものの発熱量を下げるためにフリクションロスを減らす等によって全体効率を高めた上で燃料を薄くして調整していたが、それもある程度までで限界に行き着いてしまった。
そこで改めて目指したのが燃焼効率の改善。
フリクションロス等を減らして上昇させられる効率は精々数%。
ここにさらに燃焼効率を高めることが出来ればエンジン全体の運用効率は飛躍的に上昇させられる。
そこで各自動車メーカーは従来までは机上の空論として片付けられていた、レシプロエンジンの燃焼効率の限界たる数値……40%台の燃焼効率を目指すようになるのだ。
方法としてすぐさま見出されたのは、シリンダー内における混合気の流れ方であった。
俺が現在開発中のジェットエンジンでも言えることだが、燃焼効率の向上とはすなわち、いかに狭い空間内にて効率的に燃料を燃焼させるかにかかっている。
燃焼活動には状況によっては時間、そうでなくとも空間的余裕が必要だが、広すぎる空間においては圧力が分散し、その結果燃焼後のガスの密度(温度)が低くなってしまい、燃焼により得られる熱エネルギーが過小となってしまう。
また、均質に燃焼が行われないならばその空間内に存在した燃料はその殆どが無駄となって廃棄ガスとして燃焼室から排出されてしまう。(もしくはカーボンやスラッジとなってシリンダー内に蓄積されてしまう)
この矛盾に対処するため、やり直す直前頃の新世代ジェットエンジンは燃焼室内にて炎の渦を作って内部空間を効率的に運用することで、燃焼効率を飛躍的に向上させて出力アップ並びにより少ない燃料でエンジンを稼動させることを見出した。("第112話:航空技術者は答えを教えない"を参照)
この考え方……実はレシプロにも類似する方法でもって導入することで燃焼効率を向上させることが可能なのだ。
レシプロエンジンで言う燃焼室とはシリンダー内のこと。
このシリンダー内にて炎の渦のようなものを作り出せば、シリンダー内の空間を効率的に運用して燃焼効率を向上させられる。
戦後の自動車業界は割と早い段階からここに気づいていたのだが……
レシプロエンジンの場合は上下に動くピストンなど、気流を攪拌してしまう要素が盛りだくさんで、そう簡単にシリンダー内部にてそのような気流の流れを作り出すことなど出来なかった。
一応、シリンダーに対して横にヘビがとぐろを巻くように流れる気流を"スワール"、縦方向に回転気流を生み出す事を"タンブル"と呼称し、それぞれ人為的な構造体などの導入でこれらの燃焼するために必要な空間を稼ぎつつ、シリンダー内にて均一に燃焼を発生させようとする挑戦は長らく自動車業界を中心になされてきた。
この中で最も気流を生み出しやすいのはタンブルであり、スワール気流をシリンダー内にて発生させるには基本的にピストン構造やシリンダー内壁の構造を調節せねばならず一段敷居が高いものであるのだが、長らくスワールこそが最も燃焼効率を高められるものだと考えられてきた。
だからメーカーは生産性の低い特殊なピストン構造のエンジンを作ったりして市販車として販売していたりしたわけである。
このスワール気流はまさに最新鋭ジェットエンジンの燃焼室の炎の渦に似た動きであったのだが……
長年の研究の果てに、俺がやり直す直前において実はピストンやシリンダー側で気流を調節するがゆえに、ピストン側にて相当分のエネルギーロスを生じさせていることが判明する。
流れ込んだ気流を自然発生しにくい方角へ向けて整えようとしていたことが原因だった。
俺が新型戦車の砲塔に用いていたマズルブレーキと考え方は同じ。
従来の砲筒内回転するエネルギーを一定方向だけに向けて噴射しても、反動を軽減する際にロスが生じていたのと同様のものがシリンダー内にて生じていたのである。
一方でそこまで特別な構造無しに作り出せるタンブル流は、ピストンが圧縮して空間を狭めた際、縦回転がゆえにピストンやシリンダー内壁にぶつかることで気流が崩壊し、燃焼効率を逆に悪化させてしまう"タンブル崩壊"と呼ばれる現象を容易に生じさせる弱点があった。
このタンブル崩壊はスワール気流のロスとは比較にならないもので、ノッキングの原因そのものになりかねない不規則な燃焼をシリンダー内にて引き起こす。
特にシリンダー内部に燃料がへばりついて該当部分において熱を奪うような現象すら発生したが、これは均一な燃焼を目指したいレシプロエンジンのシリンダー内部にて目を背けたくなるような悪影響を生じさせてしまう。
そのまま燃焼せずにカーボン等として留まるか、混合気のまま排出されるか……取り出したいエネルギーがその分取り出せなくなるわけだ。
そのため、自動車メーカーはロスを生じさせるが一定の仕事は必ず果たすスワールと、崩壊さえしなければスワールより効率がいいタンブル双方が持つジレンマに挑むこととなり……
最終的に崩壊しないタンブル流を作るのが最善策ということで、メーカーは様々な手法でもって実行に移していく。
例えば、タンブル流を一番簡単に生み出すにはインマニ側に構造物を作って一部の気流をせきとめ、気圧差を生じさせて回転する渦を作ればシリンダー内にて縦回転の気流は容易に生じる。
これは航空機の翼に似た発想ではあるが、航空機の翼と違ってあえて強烈な乱流を生むことで達成するもの。
また、インマニ側に構造物どころかインマニ内部にて空間を狭める構造として混合気をシリンダー内部に入る前の段階で圧縮してしまうことでもタンブル流はシリンダー内壁にぶつかって生じさせることもわかっている。
すなわち吸気の気流を安定的に高速化させるということだ。
こうすることでも崩壊し辛いタンブル流は生まれるのだ。
だが、吸気側の流れを阻害するという事は出力を下げてしまうのと同義。
低出力時においてはそれで問題ないが、高出力時においては吸気不足となる。
出力向上をさせる上で大きな障壁となるのだ。
このため、このせき止めるのをバルブの開閉でもって調節して出力に応じて吸気量を増大させていくといった構造を導入したりしたのが長島が自動車用の水平対抗エンジンで試みた方法だったりするわけだが……
このバルブによる調整は精密な制御が必要であり、機械式制御だとエンジンブローしてしまうぐらいに難易度が高く、高度な電子制御があって初めて達成できるものだった。
バルブだけじゃない。
インジェクターによる噴射量の細かな調整も必要なので、ECUも必要だ。
おまけにスロットルバルブとは別にタンブル流を発生させるための専用のバルブまで必要となる。
部品点数増加に対して耐久性のあるバルブを作れる保証など、現時点の工業力にてあるわけがない。
間違いなく現在の技術では再現不可能である。
ハ44に施せるのはアナログ的な仕掛け。
今からバルブその他の機構を仕込むのは、もはや時間がない。
エンジンシリンダー側を調節してスワール流を発生させるという試みも、大規模な設計変更が必要となるので実行不可能。
やるならタンブル流で、かつシリンダー等の設計変更が容易ではない部分以外で調節する以外ない。
例えばタンブル流はシリンダーポートに至るまでのバルブ内の構造をより直角に立ていく(バルブ同士の狭み角をどんどん狭めて)行けば生じやすくなるのだが……
これはシリンダーヘッドの高さを闇雲に増やし、星型エンジンにおいては最も危惧すべきエンジン径の増大を招く。
吸気ポートの配置にも困るしインマニの重量増大にも繋がってしまう。
シリンダーにおいては多くを弄れない。
航空機においてシリンダー径は小さければ小さいほど優れているからこそ、長島はハ45に拘ったぐらいだ。
一応、燃焼効率を上昇させられるならばシリンダー自体を小型化し、ショートストローク化して圧縮率を上げるという方法があり、レース用エンジンにおいてはいくらか例があって特にターボエンジン車両には傑作車両を多く排出していた。
しかしこれは、エンジンを一から全て作り直すのと同じことだ。
そんな時間も余裕も無いのだ。
となると……やるならインマニ側の調整を中心としたものだけ。
それだけで、現状打破できうる構造か……
頭を捻るしかないな。
◇
「――えっ!? ちょ、ちょっと待ってください。こんな隔壁を作ってしまったら……これでは低出力時においてインマニ内で気流が逆流してしまうじゃないですか!!」
「いいんですよそれで。逆流させることで逆にシリンダー内にて効率を大幅に上昇させる。高出力時はスロットルバルブのバルブ開放によってある程度正常な流れとなります。ただし、気流の流れに気圧差が生ずることはあっても流れは阻害されないために吸気不足に至る事もない。機械式のスロットルバルブ制御でもこれなら……シリンダー内に凄まじい縦回転の渦が発生し、混合気は高速かつ効率的に燃焼を発生させ、排気ガスとしてシリンダー外に排出させることが出来る……」
――2日後。
壁に貼り付けたブループリントを目にした発動機部門の技術者達は、俺が何をやりたいのか理解不明であるといった様子で慌てた様子を見せる。
2日かけて出した答えは、現用の技術者からすれば本当に理解不能な構造となっていたのは事実であった。
俺が流体力学系技術者としてハ44に対して最後にしてやれるであろう改善案。
それはインマニ側とシリンダーの一部に隔壁を設け、機械式であるスロットルバルブ制御のみでもって吸気の気流を調節してしまうものであった。
カーボンを蓄積させるのは暖気前の状態や低出力時だ。
ここは自動車整備の経験からターボ車を何度もバラして修理したのでよくわかってる。
この状況下において吸気側の酸素が足りていない状況で燃焼させようとするから、酸素が足りない分炭素となってバルブやシリンダーにカーボンとして張り付くのだ。
そこで、低出力時においては、インマニ下部に設けた隔壁によって混合気を圧縮。
強烈な圧力でもってシリンダー内に混合気を押し込んでタンブル崩壊を起こすことがないタンブル流を生じさせる。
一方、隔壁上部の主流路たる部分に流れ込んだ混合気は、この強烈な気流の流れとの気圧差によってシリンダー側から逆に押し返されることとなり、インマニ側で信じられないことに逆流を生じさせる。
この逆流に仕掛けがあるのだ。
逆流した混合気はシリンダー直前まで進行してからインマニ上部の内壁を伝って隔壁が仕込まれた部分にまで戻ってくる。
そして強烈に吸い込まれていく隔壁下部の混合気と合流を試みようとする。
この時、この混合気はシリンダー付近を通っているので、通常よりもかなり温度が高い状態だ。
一方でインマニを通る際に、インマニ内壁を通過している最中に"冷やされる"のである。
インマニ側は元々冷却も試みる構造部位。
水冷エンジンではここに明確に冷却水が流し込まれているが、空冷エンジンでは文字通り外の大気が冷却を担う。
つまり、この逆流した気流はシリンダー内の熱を奪い、一定程度冷却した状態で混合気との合流を試みる。
混合気の温度は圧力の上昇に伴って上がりがちだが、この気流の合流によって冷却される。
よりノッキングし辛くなる。
いわゆる本来の未来においてEGRなどと呼ばれる、排気ガスの再利用によるエンジン冷却を排気ガスの利用無しに吸気された混合気だけで達成してしまおうと、そういうことをやろうとしているわけだ。
スロットルバルブは低出力時でも従来より開いた状態とさせ、吸気量を増大させる。
増大した混合気は逆流した際に再合流することで、"従来よりもより多くの混合気を1回のサイクルにてシリンダー内"に仕込むことが出来る。
見かけの吸入量は狭い空間内を通る混合気の状況から少なく見えるが、実際はレシプロエンジンは1回のサイクルにて流入できる混合気の量が決まっているので、(その上限を目指して)より強い気流を低出力から仕込みたいところ……
低出力では吸い込む力が弱い上に吸気時の大気の流れも遅くて燃焼効率の悪化を招いていたが、従来とは比較にならない高速流入する安定的な吸気によって燃焼効率の向上が果たせることとなる。
この試みは低出力時のみ。
従来までハ44が抱えていたシリンダー内部の温度上昇は、逆流する混合気が最大限防ごうと試みるわけだ。
一方でシリンダー内に持ち込まれる混合気は、概算で従来の27.75%から大幅に燃焼効率が上昇した36%にも達する燃焼効率にてシリンダー内で燃焼を生じさせる。
計算上、燃料の噴射量を10%弱落としても従来と燃焼量は変わらず、得られるエネルギーも変わらない。
これはあくまで低出力時。
高出力時においてはこのままの大気の流れのままでは吸気不足。
ゆえに出力向上に伴いスロットルバルブの開放を行っていくと、従来通りのような混合気の流れとなっていくが、そうすると今度は狭かった下部の気流と上部の主流路の気流の速度差が生じ、これまたこの速度差によって生じた混合気の流れが強力なタンブル流を発生させる。
スロットルバルブの開度が低い場合においても、最大限開いた状態においても生じるタンブル流は、ピストンの圧縮程度で乱れるような弱さの気流ではない。
そればかりか、見えない大気によって生まれた導火線のごとき混合気のタンブル流は、均一に整った混合気であるがゆえに狭い空間内にて一気に燃焼を果たし、きっと超スローモーションカメラで見れば大気が燃焼して生じる炎の導火線が見え、それが均一な爆発を示してシリンダー内にて膨張を生じさせ、ピストンを押し出す事になる。
これまでより10%少ない燃料噴射でも、これまでと同様の熱発生量でありながら……
高速燃焼を果たした混合気はシリンダー内で熱として留まる事なく、即座にシリンダー内から排出される。
なぜなら、より温度が低く高速でシリンダー内に入り込もうとする一連の混合気によって押し出されることになるからだ。
この結果シリンダー内の温度上昇を留め、自己着火する前に多くの燃料を燃やしきることでノッキングを防止しながら、少ない燃料で2400馬力を発揮させることが出来るはず。
「――全ての計算が間違っていなければ、そうなるはずです。そうなるはずなんです」
「熱力学ではなく流体力学のみでノッキングを防ごうとするなんて……脱帽ものです」
「ともかく、すぐにシリンダー内の一部における設計変更と新たなインマニの設計をやりましょう。時間もありません。今度こそ、まともに動いてくれるはず。これ以上はもう、私ではどうにもならない領域だ」
「正直言えば、もう我々にはどうにも出来ないと諦めていた部分もあったんです。でも、貴方はいつもその状況を覆してきた。吸気の流れを逆流させて効率を上昇させるなんて……我々には……」
「進んだ技術は常に常識を覆すものです。時には大胆な方法で新たな構造物を設けずに達成できることもある。流体力学の世界はいつもそんな感じで発展していってるんですよ」
ボールに針金を巻きつけて気流の流れを整える。
流体力学の基礎はそんな所から始まっている以上、時として一般的な常識ではありえないような気流の流れで効率化を図ることが出来る。
熱力学のプロにとっては思いつかないことなんだろうが……レシプロエンジンとも向き合い続けてきた俺には見えてきたものがあった。
タンブル流は決して専用の器具を必要としない。
未来の技術知識からそう考えることに至ったことで思いついたアイディアが果たして正しいかどうかは……改修されたハ44次第だ。
参考「特許6439070」
外部の雑誌やニュース記事では殆ど解説が書いてないので特許番号書いておきます。