第150話:航空技術者は吸気を逆流させる(前編)
皇暦2601年6月中旬。
完成した計画書を陸軍上層部へと提出しよう出かける準備をしていたところ、突然の来訪者現る。
珍しくこちらに話しかけてきたのは俺が所属する研究課の課長であった。
「どうされたんですか。何か問題でも発生しましたか?」
「信濃、お前が今朝方技研に提出した計画書に目を通したんだが、気になることがあってな……」
気になる事とは一体なんだろう。
組織配置に問題が生じていたのか、何か上層部にとって気に障るような内容の記述でもあるのか……
見当がつかない。
ここは黙って何が問題なのか様子を窺うこととした。
「ここだ。計画書では拡張された調布基地及び調布空港のハンガーを利用して大規模な設計室を設けると書いてある」
「……現時点で民生利用がなされているハンガーを徴収することで反発が予想される……とかですか」
「いや、そうではない。そんなものは軍の力でどうとでもなることだ。私が気にかけているのはそういった諸問題に関してではない。これを見ろ」
差し出されたのは一冊の新聞であった。
日付は本年の4月10日付け。
課長は新聞を近くの机の上に広げると、社会欄にあたるページを開いた。
「なっ……」
「この話が事実ならば、貴様の計画書の通りにはならないのではないのか?」
「そんな……馬鹿な……」
見出しは「多磨霊園移設へ」
内容は調布空港の拡張と、それに伴う各所の施設の移設について触れたもの。
特に異議や疑問などが呈されることがなく、ありのままに事実が綴られた内容である。
しかしそこに添えられた完成予想図の拡張された調布空港ならびに調布基地は、明らかにこれまで俺が知っていたプランとは異なった絵図となっていた。
そもそも、当初俺が西条を通して提案し、上層部より了承を受けたはずの調布空港拡張においては多磨霊園の移設など必要なかった。
必要ないというのは正確には正しくない表現か。
計画の上では、とある理由によって必要ないように調節したというのが正しいところである。
多磨霊園には海軍大将南郷平八郎の墓がある。
これは当時国葬の下、100名以上からなる大勢の海軍将校らと共に霊柩車で移動し、埋葬式が盛大に執り行われた末に埋葬されたもので……
国葬の参列者約10万人に加え、多磨霊園付近にまでの甲州街道上に詰め掛けた民衆の数約50万人の計60万人にも及ぶ錚々たるものであった。
当時から現在までにおける南郷大将の評価というのは軍神そのもの。
文字通り「神様」である。
幼い頃の俺の記憶においては、冗談抜きで生前の時点で神道における神として崇められている立場にあった。
多くの海軍将校達にとって陛下に次ぐ地位と等価であったのは言うまでもなく、皇国民においても203高地や八甲田雪中行軍遭難事件などによって負のイメージを持つ陸軍と比較して美談が多いことから同様の扱いを受ける事は多々あった。
宮本司令らからすると神格化し、陛下と対等以上とするかのようにして崇める一部の将校らへは否定的な見解をもっていたものの、そういう者らを押さえ込むような力は無かった。
多くの者にとって彼は絶対的すぎたのである。
その結果、彼が埋葬されて以降、多磨霊園は日を追うごとに人気を増して観光スポットにすらなってきており、国内の資本家など様々な著名人が南郷と共に多摩の墓地にて眠ることを望むというような状況となっていた。
こんなもの早々簡単に移設などできるわけが無い。
そこで知恵を振り絞って考えた末に提示したプランにおいては、南北に伸びる滑走路の距離を大幅に伸ばし、南北に伸びる私鉄と国鉄路線の線路付近にまで及ぼうかという一歩手前まで拡張してしまおうというものだった。
これなら既存の施設は使いまわせるし、用地買収も楽。
唯一気がかりなのはそれこそ運用が始まると航空機は国鉄路線の線路などを飛び越えたりなどして離陸していくため、安全性に問題が生じる可能性はあったものの……
そこは鉄道路線側の調節でどうにかしようなどとは考えていた。
それ以上の拡張が必要な場合は"Z字状"の滑走路を南北に儲け、中央にターミナルを配置するしかない。
土地柄からしてそうせざるを得ない。
そう考えたのだ。
しかし一体誰がどうしてこの計画を実現化した上で進行させたのか。
俺のプランはいつの間にか完全に白紙化。
南郷平八郎の墓は生前彼が希望していた青山墓地に遺族との交渉の末に移設されることとなり、青山墓地にて新たに特設される名誉墓地に移設されることとなった。
すでに埋葬されてしまった著名人達も希望すれば青山墓地への移設が可能となっている一方、そうでない場合は新たにさらに西側へと移設される新多摩霊園ともいうべき場所へ移設されることとなる。
この結果、調布空港拡張において最大の障害は南北へ伸びる私鉄の鉄道路線のみとなったわけだが……
この私鉄路線は地下化ないし廃線とし、東京市において非常に重要な水源たる深大寺周辺と井の頭恩賜公園の西側……
国鉄中央線でいう三鷹駅以西からはじまり、西国分寺駅(南側は府中駅)までのすさまじい範囲を東西にまたがる新たな空港用地として設定、南北においては私鉄と国鉄路線までの空間全てを空港用地としてしまう計画となっていた。
しかも場合によっては国鉄武蔵野線以西すらも空港拡張範囲とする凄まじいものとなっており、すでに用地買収は80%以上を終了しているとの一文が記事の中に見られる。
国鉄南武線までの範囲までの土地は順次買収。
買収予定地域内において住宅地を新たに設けるなどは一切認めないという徹底ぶり。
これにより、滑走路は計4本設置可能となった。
空港用地の中央には東西にまたがって1つは民間用のターミナル、もう1つは陸軍用基地がそれぞれ西側と東側に設置される。
滑走路は南北に4000m級を計4本。
それぞれ中央のターミナルの直上と直下にそれぞれ2本ずつ。
これをもし仮に将来的に全て民生利用とする場合、世界屈指の超巨大空港となるのは間違いない。
東京市内の中心部から1時間未満の場所にとてつもない空港が存在することとなる。
新聞記事内にはこのように書かれていた。
「――折からの羽田飛行場整備計画については地元漁業組合等との交渉が決裂し、事実上の頓挫。調布、府中、国分寺、三鷹周辺は現時点において居住者も極めて少なく、用地として買収予定の土地はその殆どが森か田畑であり、破格の待遇でもって交渉に臨んだ結果住民からの非難も少なく、反発しているのは関東大震災にて移設してきた一部の寺社であるが、これらも全額公費負担による再移設となる見込み――」
つまりこれは、本来の未来において3年前から順次行われていったはずの羽田飛行場拡張が崩壊し、何者かがその代替案として調布空港に全力を注いだということになる。
羽田飛行場周辺は海苔の産地だったりなんだりで常に漁業民との摩擦が生じていた。
交渉においては難航する恐れは十分にあった。
しかし戦中の現在なら押し切れると、そう考えた俺の考えは甘かったのか。
いや、俺の記憶が間違っていなければ羽田飛行場は戦中に拡張したはず……
本来の未来においてはこれとは別途"東京市飛行場"という、拡張された羽田空港以上の飛行場建設も計画されていたが、ここは俺が将来発生する災害等を鑑みた上で不利とみなし、本来の未来においても計画が廃止された経緯もあって調布飛行場の拡張を行うことでカバー可能ということで陸軍内にて計画が立ち上がった際に西条に頼んで早々に廃止させていたのだが……
それもこれも羽田飛行場拡張もあってのことであって、羽田飛行場を拡張しないならばキャパシティが足りなくなる恐れがあるのだが……
本来の未来において成されるはずの羽田空港への拡張は頓挫した代わりに成されたのは、新聞記事の記者も驚く東亜はおろか世界でも空前の規模を誇る空港建設事業計画が既にスタートし、本年の8月より順次工事が開始されるという内容であった。
一体どうしてこうなった。
小金井町だけじゃない。
調布、府中、国分寺、三鷹の約半分の領域は空港になってしまったぞ。
ここまで徹底した空港建設を考えるなど、もしや未来人か何かか。
将来的に皇国の経済状況を考えた場合、世界屈指の東亜におけるハブ空港を首都の直下に用意しておきたいという考え方は未来でも知る者でもなければ思いつかない。
戦後ヤクチアに飲み込まれた皇国においてはその必要性は無いとされ、拡張された"羽田空港"と千葉の成田に新たに巨大空港が新設などされて調整された。
しかしどちらも規模が中途半端。
次第に膨らむ航空貨物や民間用途における需要に供給が追いつかない状況に。
俺がやり直す直前、今後10年、20年を考えたらもっと巨大な空港が必要だというような議論はなされてはいた。
ヤクチアの見通しは甘すぎたのだ。
あくまで戦後すぐの状況にて必要性がなかっただけであった。
けれども調布飛行場や立川、横田といった地域は周辺が住宅街となってしまい、今から強制退去の上で空港を設けるのは極めて難しいとされた。
いくら共産主義の名の下にといっても、クーデターが起きかねない行為であったためだ。
有識者の中には「もし2600年代初頭において調布基地を空前絶後の規模で拡張していればこんな事には……」――などという意見を述べていた者もいたが、まさか今の時代にその考えを持つ者がいたとは。
たしかにこの場所はアクセス面にて極めて優れている。
国鉄武蔵野線は埼玉は浦和方面、南側の私鉄は相模原など神奈川方面、中央線は西側は八王子や高尾、そしてさらに西へは最終的に甲府を通って塩尻、松本へと山梨県を通って長野県へ接続可能。
東側へは船橋、習志野を通って千葉方面へ移動することが出来る。
例えばこれはあくまで俺の妄想に過ぎないが、東京湾内に海底トンネルでも掘って鉄道でも通せば南武線から袖ヶ浦などを通って房総半島へのアクセスも用意できるだろう。
南武線自体は横須賀線と接続するので横須賀方面へのアクセスも十分。
貨物列車による物資輸送においては海軍すら恩恵を受けやすい立地。
そして相模原へと向かうことができる私鉄は新宿側から地下鉄でも通せば成田方面まで足を運ばせる事も可能かもしれない。
空港から新宿までのアクセスは概ね30分程度。
この新宿自体が鉄道におけるハブ駅となるのではないのか。
ここから山手線などを通じて東京市内様々な場所へ移動可能だ。
東京駅まで向かうにも40分程度でいいはず。
空港から向かうのに際して鉄道にてやや不自由となるのは横浜方面ぐらいか。
ここはもう鉄道を新設して調整するしかないだろう。
……地理的なアクセスも含めて考え抜かれたプランなのは間違いない。
この計画を俺は否定できない。
否定できないが、一方で企画したばかりの新型爆撃機開発はいきなり障壁にぶつかることとなった。
調布空港の大規模な改修が行われるなら既存のハンガーは取り壊しとなるのだろう。
仮にハンガーの取り壊しを後回しにしてもらうのだとしても、近いうちに移動が必要となる。
代替できる場所は他にあるとすると……長島の工場がある群馬の太田など限定される上に距離的に立川からかなり遠い。
調布飛行場の利点は立川からそう遠くない所にあった。
すぐに向かえるから対応がしやすいのだ。
それが出来ないとなると、拡張に合わせて設計室として一次利用するハンガーだけ先に新設してもらうか、立川に専用の施設を新設してもらうか……ともかく計画書の書き直しが必要だ。
先輩を呼ぶ前の段階でいきなり上層部から苦言を呈されそうな内容になっていたとは……新聞は基本的に目を通しているつもりだったのに情けない。
「――信濃。最悪はここ(立川)を使え。調布で事を成したいお前の考えは相応に理解できるが、あちらは当面の間まともに使えん可能性が高い」
「……大至急計画書を見直して再提出します……」
2597年に入って主導権に近い立場を得て以降、課長はこちらに対してなんら言葉を投げかけることは少なくなっていた。
彼からは妬みなどの負の感情を向けられているのかとばかりおもっていたが、上層部の意向を受けて邁進するこちらとはあくまで距離をとって静観しているだけで、年配者として常に俺を気にかけてくれていたようだ。
珍しくこちらに注意を投げかけてきた課長は終始誠実かつ真面目な姿勢で助言を与えてくれ、俺も課長の言うとおり最悪は立川の飛行場拡張計画に合わせて建設予定のハンガーを一時的に設計開発に用いるということを計画書内の1つの案として盛り込むこととした。
挑戦する姿勢は壁を生むのか。
己の無知ゆえのミスとはいえ、今後もこういった障害が多く生じそうな悪寒につつまれつつ、参謀本部へ向かおうとした俺はその日もまた立川に缶詰状態となって留まることとなるのだった……
そして更なる課題を別方面から突きつけられることとなる。
◇
午後、計画書の見直しと再印刷を依頼した俺は小休止中に長島の設計者達から呼び出しを受ける。
立川に訪れた長島の技術者達は発動機部門所属の者たち。
どうやらまた開発中のハ44に問題が生じたようで、疲れを浮かべた上に青ざめながら話かけてくる。
全く……次から次へと……この仕事は本当に俺を飽きさせない。
◇
「――信濃技官。今一度ご助力頂きたい。どうしても最後の詰めの調整が上手く行かないのです!」
「ハ44ですか?」
「ええ……実は――」
――そのまま彼に連れられた先はエンジンなどの実証試験を行う試験場内。
そこには台座の上に乗せられて稼動するハ44の姿があった。
各部の機構も相当に煮詰められ、量産一歩手前の試作段階。
そんな所にまで来ているように見受けられる。
しかし周囲で稼動状態を見守る技術者に笑顔が無い。
以前にも似たような状況で試験稼動を見た際には、エンジンから大量のオイルが漏れ出していた。
今、眼前にあるハ44にそのような兆候は見られない。
このオイル漏れの問題はモリブデンによって解消されたようで、エンジンは一見するとついに完成したかのように見受けられる。
出力は十分出ている様子でプロペラを回す一方、不快な振動等は発生していない。
一体何に問題が?
――などと考えていた矢先のことであった。
ボボボっと突然唸りだしたエンジンはその後にボゴゴッといったような音をたてて強烈な振動を生じさせていき……そしてそのまま緊急停止してしまう。
「――ノッキングですか!」
「圧縮比等は何度も見直したのですが、出力2400馬力を維持しようとするとこうなります。原因はわかりません。」
「2400未満では?」
「2000以上の領域からはノッキングに至るまでの時間が出力に応じて短くなっていくものと考えていただければ……現状では2000が限界なんです。後一工夫さえあれば化ける気がするのですが……」
なんてこった。
この期に及んでまだ完成しないばかりか、原因不明のノッキングで2000馬力以上に出来ないとは……
これでは所定の性能を新型重戦闘機に与えられない。
どうしてこのエンジンはここまで何度も何度も問題を生じさせて開発を立ち止らさせるんだ……
もしかして寿を18気筒化するというのは間違っていたのか?
ハ44というのはハ45以上の問題児だというのか。
本来の未来とは異なり、現段階では本来の未来にて用いることが出来なかったオクタン価100の航空機用ガソリンが使えている。
ハ45はそれが使えたならば信頼性はハ33に劣らぬものだったとされ、実際に戦後NUPに接収されたエンジンは試験稼動にてNUP謹製の100オクタンガソリンを用いることで全く故障しないエンジンに化けたという。(100/150ではさらに信頼性が向上した)
あの時の我々に足りないのはハイオクタン価のガソリンであり、エンジン評価としては小型化に注力しすぎて更なる出力向上を目指した場合は全く将来性が無いというところ以外、特段の弱点は無いというのがNUPによる評価。
皇国陸軍が現在主に航空機向けに使っている燃料は、その時に用いられたものと同等品質の100オクタン燃料なんだ。
いくらか添加剤を追加していて若干オクタン価の低下がみられるが、96未満とはなっていない。
その状況下においてハ45よりも信頼性が無いエンジンとなっている原因はなんだ。
ハ45の呪いか。
ハ45こそ正しい選択だったというのか。
いや……そんなことは無いはずだ。
俺はエンジン形状がほぼ同じである本来の未来のハ44が、きちんと稼動する姿をやり直す前にて見ている。
本来の未来におけるキ87に搭載して試験飛行している姿もこの目で見た。
記憶が確かならばハ44は間違いなく稼動していたが、出力は設計数値に届かず2000馬力少々に留まっていた程度。
その原因はあくまでオクタン価の低さに由来し、構造的には2400馬力にも耐えられるとされていた。
あるとしたら、実際のハ44というのは、ハ45が実は2000馬力に届かないエンジンであったように、2000馬力を超えて2400馬力にまで達する出力に耐えられる構造ではないということ。
つまり、「耐えるとされていた」――という話を信じ込んでハ44の開発に注力していた姿勢は完全に間違っていたということ。
現段階で引き返せるわけがないのに、そんな事実認められるわけが無い。
重戦闘機はもう胴体が出来上がりつつあって、ハ43に新型過給器を仕込んだ状態にて最低限飛べる状況にて試験を行う直前にまで来ている。
このままハ44に乗せ変えて試作機として飛ばすという所にまで来ているのに、全てをやり直す?
エンジンを生産するための工作機械なども作り、工場にラインも設けて量産秒読みの段階で?
出来るわけが無いだろう!
なぜ発動機部門の者たちが青ざめた表情のままなのか理解が出来た。
ここまで来て全否定など出来るものか!
重戦闘機は、敵の主力たるFw190シリーズの機体と戦わねばならない重要戦力なんだ。
おまけに一郎が開発を始めた烈風にだって採用予定のエンジンなのがハ44だ。
なんとしてでもこいつを完成させる以外に方法がない。
エンジン寿命が短くてもいい。
3年だ。
約3年ほど保てばいい。
それ以上は必要ない。
3年ほど酷使すると死ぬ程度の品質でもいいが、2400馬力は出してもらわないと困るんだ。
何か原因があるはずだ。
熱力学は得意ではないが、流体力学で解決できる範囲の問題がエンジン内部生じているなら解決できる。
やるしかない。
「エンジンをバラしてください! 今すぐ。夕方までにッ! 内部の状況を確認して、何が起こっているか突き止めます」
「はっ、はい!」
珍しく感情を乗せて強い口調で命令を出したことで一瞬発動機部門の技術者はたじろぐ様子を見せたが、すぐさま行動に移してエンジンを解体させはじめた。
シリンダーか、バルブか、それともインマニか。
絶対に突き止めてやる。