番外編15:とある軍事ジャーナリストの追憶(前編)
長いので分けます
毎年この月になると事務所内はせわしなくなる。
今年も読者が待ち望む日が近づいてきた。
創刊から早75年。
大戦が終結したとされる年に創刊したミリタリー系雑誌を扱う我が出版社では、1年に1度1つの兵器について非常に詳しく取り上げて考察する増刊号を別途出している。
その月においては雑誌1冊丸々1つの兵器だけを300ページ以上取りあげるものが同時に出るわけだ。
私達……もとい我々の先輩から続くこの雑誌は、かねてから大変入念に当時の情報を洗い出して解説していると評判だった。
中でも最も人気なのが1つの兵器について徹底的に取り扱う増刊号で、この増刊号だけで半年分の出版費用に相当するほどの収益を稼ぎ出している。
今年の題材は……皇国の戦闘機だ。
しかも今回の力の入れようは半端ではない。
毎月刊行される通常版においても皇国を中心に取り扱いながら、増刊号にて皇国のある戦闘機を取り上げる皇国づくしの内容となっている。
どうしてこうなったかというと、つい最近になって皇国が新たな次世代戦闘機を発表したためだ。
長らく非常に優秀な第4世代戦闘機を主力としてきた皇国は、我々もよく知る皇国の航空技術者の亡き後、ついに最新鋭の戦闘機開発に乗り出した。
第4世代戦闘機というあり方を示した戦闘機の後継機。
皇国はこれを第5世代と称して開発を行っている。
当然にしてこのような状況の中、多くの読者が我々が紐解く最新鋭戦闘機についての解説を待ち望んでいた。
我々が取り扱わぬわけがない。
商売の話を抜きにしても必然だった。
だがこの最新戦闘機について理解を深めるためにはある戦闘機について知る必要性がある。
それほどに技術面での遺伝的継承が強いものだからである。
だからこそ、開発開始発表後からこの件については沈黙を続け、これまで一切取り扱わなかった。
あえて増刊号が展開される月まで塩漬けにしておいたのだ。
無論、それは我々が改めて皇国の戦闘機について調べなおしたいという意図もあった。
いい加減な情報を用いて速報で発表したのでは我々の理念に傷を付ける。
我々雑誌記者も改めて深く掘り下げる機会を得ると同時に、読者に向けてその成果を伝え、読者もより理解を深めるよう努める。
そうするために待ったのである。
いわばこれから発刊する号は、読者も……そして我々も待ち望んだ極めて期待度の高いものなのだ。
そんな増刊号が取り扱う皇国の戦闘機は「四式主力戦闘機」。
皇国が戦中に投入することに成功した実用型ジェット戦闘機であり、そして進化するジェット戦闘機と敵方から恐れられた存在。
私は増刊号において本機と本機から続く系譜についての概略を説明する記事を作成する役目を与えられた。
この戦闘機に関してはNUP人である私としては思い当たる部分もいくつかある所もあるのだが……改めて本項を書かせてもらえることを誇りに思う。
そのために私は今日の今日までに集められる資料を世界中から集めてきたのである。
昨日の段階で私の前号の記事は最終原稿が終わった。
今日からは……まるで夢のような期間の始まりだ。
◇
「ジョージ。倉庫は片付いてるか?」
「ええもちろん。グレンさんの集めた資料もすでにそこに運んでおきましたよ」
「助かるよ。何しろ量が量だ。私の机の上で情報整理できるものではない」
「編集長も増刊号はかなり期待をされているようです。刺激的な記事をお待ちしておりますよ」
出版社に入って間もない若者の手を煩わせてしまったが、彼は特に不平や不満の感情を抱いている様子は無かった。
増刊号については彼にも仕事が回ってきている。
感情が高ぶっているのだろう。
雑用に負の感情は生まれない様子だ。
今回の仕事をやるにあたり、私は自分専用の仕事場として小さな倉庫を拝借した。
元々は掃除用具や粗大ゴミなどが詰め込まれた倉庫だが、今は大きな机と大量の紙資料で埋まっているはずだ。
集め始めた資料が多過ぎて自分の仕事机では捌けなくなったのである。
増刊号を発刊するにあたり、資料提供を読者からも求めていたりはしたのだが……
周囲の期待は資料の数という形で跳ね返ってきたのであった。
私はロッカーの中にかばんを詰め込むと、一息入れた後で新たな仕事場へと向かうことにした。
肩に力が入り過ぎていたのでいったん自分を落ち着かせようと思ったのである。
相手はさまざまな意味で難敵。
私に割り当てられたページ数は決まっている。
書きたい事はいくらでもあるが、集めた資料から内容を凝縮して語りつくさねばならない。
容易なことではないが、肩に力が入ると途中で息切れしてしまう。
スタートダッシュで躓くわけにはいかないのだ――
◇
集めた資料を眺めながら改めて四式主力戦闘機について考える。
四式主力戦闘機。
この戦闘機については現代を生きる者と当時を生きていた者では大きく評価が異なるであろう。
この戦闘機は信じられない事にまだプロペラ機が渦巻く戦場に投入され、そして活躍したのだ。
今を生きる者にとってこの外観は特段違和感も何も生じないが……
あの当時を生きていた者の中で50を過ぎた程度の者には強烈なインパクトがあった事であろう。
考えてもみて欲しい。
半世紀前はライト兄弟がまだ飛んでいないのだ。
飛行船という存在が広く世界にて認識され、空を優雅に浮かぶような時代が到来してきた頃より生きてきた者達が、わずか半世紀後においてこんなものを突然見せられたらどうなる?
それこそ私達現代を生きるような者達がいきなりSF映画に出てくる宇宙船を見せられたようなものだ。
この戦闘機の見た目は現代でも通用する。
最新戦闘機と一緒に横並びとなってもさして違和感はない。
それだけの技術が詰め込まれたにも関わらず、こいつは戦中に出てきたのだ。
当然にして、以降のジェット戦闘機に対して絶大なる影響を及ぼしたのは言うまでも無い。
しかし影響を及ぼし始めたのは第二世代戦闘機となってから。
第一世代……黎明期から第一世代ジェット戦闘機の頃あたりは、まだこの戦闘機の合理性と完成度の高さに気づかない者も多くいた。
本機のデザインが皇国の優れたる流体力学系技術を結集し、その上で成り立った合理性の特異点とも言うべき地点に到達して生まれた形状であった事に気づいたのは……
この機体がエンジンを換装しただけで超音速の領域に足を踏み入れ、そして第三国から投入される最新戦闘機達を全くもって寄せ付けなかった驚異的な性能を見せつけてからである。
答えはそこにあった。
それが答えであると疑ったことで諸外国は出遅れたのである。
本機は後に各国でライセンス生産及びノックダウン生産が認められる事になるが……
そういった形で技術を得た諸外国の戦闘機は、本機からその血を分けてもらったことで本機の遺伝子を継承し、そしてそれは続く後継機達に発現していくのである。
さて、この機体の外観について改めてみてみよう。
機首の形状はもはや現代戦闘機のソレだ。
同時期のジェット戦闘機たるミーティアなどと比較してもありえないほどに洗練されている。
フッケバイン、Mig-15などの第一世代戦闘機達と比較しても明らかに一線を画している。
この機首形状は後の時代を見るとEF2000などを見ても明らかに遺伝していることなどから、ユーグの戦闘機達は殆どがその遺伝子を受け継いでいると言って過言ではない。
特にEF2000なんかはカナード翼を外せば本機の機首にソックリだ。
インテークを機首下に配置する構図なんかも本機からアイディアを拝借したのではないかと思えなくも無い。
ただ、むしろEF2000はなぜインテークを下部に配置したのか不思議だ。
というのも、四式主力戦闘機は別段インテークを下部に配置する必要性は無かったにも関わらず、戦術的な理由から配置したからである。
インテークを下に配置すると着陸脚の配置に困る。
インテーク手前だとタイヤが跳ねたゴミなどが影響しかねない。
そもそもが何らかの原因で着陸時にランディングギアが破損した際にインテーク内部に破損したパーツが入り込んだりするリスクを孕む。
インテークを下部に配置する際にはこういった点からインテーク側にランディングギアを配置したりするわけだが……
インテークの位置を適切化すれば一般的な操縦席真下付近とすることも不可能ではない。
ただ、そうするとどうしても着陸脚が長くなって機首のスペースが犠牲になる。
特に当時の技術ではランディングギアはとにかく短くしたかったわけだから……機首両サイドでもよかったはず。
Mr.信濃の話では、下部に配置すれば当然ホコリやゴミといった点が気になるし、配置次第では機首上げにもつながる行為だと解説していた。
それにも関わらず四式主力戦闘機がインテークを下部に配置したのは、ダイバータレス式エアインテークの機密保持を徹底したかったためである。
墜落した際、このインテーク部分の技術は絶対に盗まれて欲しくなかったらしい。
それこそ、エンジンよりも重要な要素だったというのだ。
この話は最初にMr.信濃がとある有名な皇国の軍事系雑誌にて寄稿したエッセイにて触れられているが、当時はその意味がそこまでよく理解されていなかった。
その原因が我々NUPにある。
NUPではかねてよりインテークの技術についてやや軽視していた節が見られたが、ちんけなプライドの影響でユーグのようにダイバータレス式のインテーク技術についてすぐさま入手したりなどしなかった。
自力解決したF-4など今にして思えば滑稽にもほどがあるのだが、Mig-25の亡命事件の際に入手したダイバータ式エアインテークが高性能であるとわかると、そいつを中心に採用するようになる。
それこそ、ごく最近まで東側諸国と同じくダイバータに拘っていたほどである。
しかし実際にはダイバータレスにするだけで3割も重量が改善できる上に機体自体の大型化を抑制できるというのだ。
Mr.信濃が隠したいのは当然だった。
設計的不利を抱えてでもこれが第三国に流れて欲しくなかったのである。
もしかするとEF2000にもそういったものがあるのかもしれないが……
ともかく四式主力戦闘機においてはその理由がハッキリとしているということだけは言える。
そもそもが超音速飛行できた理由そのものがこのエアインテークによるものだったのだ。
かなりの代物であったことがよくわかる。
にも関わらず私よりも10歳ほど上の者達がダイバータレス式を未だに認めたがらないのは、NUPお得意のプロパガンダのせい。
NUPというのは大したことがない技術をプライドのために大した技術だと世界に認めさせようとして認めさせかける力がある。
これは兵器や最新技術に対して言えばマイナス面でしかない。
こんな自己満足に振り回された人々はダイバータ方式が優れていると信じて疑わなかったが、ダイバータ方式の利点はM2.5以上の世界だけだったという。
そもそもが高速巡航だけを考えていたMig-25に採用された技術なのだから当然。
あっち側はそれを知っていてMig-25に採用したのだ。
知らずにF-15に採用した我々とは違う。
しかしあっち側はあえて自身の技術の評価を隠すためにNUPの姿勢を黙認した。
宇宙関連技術といい、我々はそうやっていつも裸の王様になる。
複合装甲に出遅れて劣化ウランに手を出したりとか……
刊行している雑誌記事のお笑い自嘲ネタになるような行為はもう少し控えて欲しいものだ。
それはさておき、四式主力戦闘機はこういった戦術・戦略面においても優れた設計を有していたのは事実。
本機……そしてその後の皇国の戦闘機が有する三位一体化構造なんかもそうである。
優れた整備性を有するこの構造とは何なのかというと……なんと戦闘機を3つのブロックで構成し、簡単に分解できるようになっているのだ。
機首及び機体前方、翼、機体後部。
この3つのブロックで構成されているというのは特筆に値する。
数本のボルトを外すだけで四式主力戦闘機は簡単に分解が可能だが、文字通り戦場で被弾したらニコイチ、サンコイチなどとすることも可能で、破損部分を即修理できる。
そればかりかエンジン自体も翼側から簡単に外れるようになっていて、エンジン換装すら容易。
整備時には飛行時間を設定し、飛行時間を過ぎた機体からエンジンを順次取り外して交換。
エンジンはエンジンで別途整備していた。
我が国でも類似する構造を独自に見出してA-4で採用したりしたのだが……
その構造を徹底してその後の戦闘機にも採用するに至ってないのは、皇国との大きな違いであろう。
原因は皇国に対する自負心による影響が多分にあるように見受けられる。
他人から真似事をしていると言われるのが大嫌いな民族性ゆえだろうか。
ちなみに利点の多いこの構造には四式主力戦闘機に纏わるこんなエピソードもある。
これは戦場でも実際に確認された実話である。
ある第三帝国空域内の戦場において、早朝に戦闘機による空襲があった。
その時の四式主力戦闘機は初期型。
水平飛行時の最高速度も900km少々。
しかしその日の午後、全く同じ機体番号で全く同じカラーリングの機体が再び空襲に現れた際には、1100kmを越す速度を出していた。
これはわずか3時間~4時間前後でエンジン換装して整備しなおして再出撃させたという恐ろしい事実であると共に、本機の整備性の高さと冗長性・拡張性の高さを表している。
その際の戦闘は軽いものであったとされ、皇国側は特に敵機を撃墜するまでもなく、ある程度剣を交えるように戦うとすぐさま撤退していったというのだが……
パイロットは慣熟飛行がてら空襲に訪れたというわけだ。
この当時四式主力戦闘機はフッケバインに苦しめられていたのだが、エンジン換装したことによって開いていた性能差は埋まった。
エンジン換装自体は戦時的な応急措置であったらしく、後の改修ではまた別のエンジンとなり、本機のエンジン換装型には特段特別なナンバーなど割り振られていない。
改良型ですらなく、エンジン換装型などと言われる程度で、甲とか丙とか乙ですらない。
その少数投入された対フッケバイン用空戦仕様となっている機体に進化するまで、わずか数時間ほどあれば良いのである。
こんなのと戦わねばならなかったなんて本当に同情するね。
私は戦いたくない。
当時のNUP陸軍航空軍も同じ事を考えていたのであろう。
上層部は四式主力戦闘機の性能をかなり気にかけていた。
もしかすると裏切ってヤクチアと共に戦う可能性もあった我が国は、恐らくこの手の最新鋭兵器にものおじして有利な側についたに違いない。
年々公開される政府の機密文書の節々からそう感じられる内容の記述が見られるのだ。
なんたって数が数。
本機は戦中において2000機以上も製造されて投入されたのだ。
本当にその名の通り主力だ。
戦中に投入できたフッケバインはわずか300機程度だったことを考えると恐ろしい戦力差だ。
それらの稼働率を8割近くまで維持できたのも、この機体の設計の秀逸さゆえであろう。
例えば主翼を見てみよう。
主翼の構造において注目すべきは極めて簡便な構造部材の形状だ。
Mr.信濃は高翼配置が大好きで基本的にジェット機は高翼配置でしか設計しないが、本機はエンジンを主翼の主桁から吊り下げる構図となっている。
胴体が支えているのではない。
翼がエンジンを支えているのだ。
こうやって翼からあえてエンジンを外側に排除することで、構造部材はよりシンプルかつ合理的な形状と出来る。
大きさこそ違うが、同じような整った形状の構造部材が並ぶ翼は大量生産に向いていたし、組み立て作業も楽だったという。
Mr.信濃は基本的に不要なものをメインフレーム外に配置することが多い。
本機はあえて翼を高翼配置とし、エンジンを吊り下げることで優れた重心配置とすることが出来た上で、製造時における複雑な工作を不要なものとした。
骨組みだけ見ると、まるで生物のごとく有機的な印象すら受けるほど整った構造部材は、軽量化にも貢献しているとされる。
そしてこの翼は初期型から大半の部分においてインテグラル構造を採用。
削りだしとすることで外皮となる外板をより大きな1枚板と出来、軽量化と剛性を両立させた。
その分リベットが減っているからだ。
といっても、しばらくの間は工作精度の影響でインテグラル構造は不利に働いたらしい。
我が国などが採用した多主桁構造の方がより軽量化できたとされる。
Mr.信濃がインテグラル構造を採用したのは、皇国が1つの技術に拘るせいで限界がある構造を採用すると将来において不安があるから……
とのことだが、彼のおかげで皇国は別の意味で突き進み過ぎて大変な事になっている。
この間発表されたばかりの最新鋭戦闘機は炭素複合素材によるファスナーレス結合構造。
リベットやらボルトすら全く必要ないような構造となっているのだ。
皇国のインテグラル構造は、もはや進化しすぎて意味不明な領域にまで手が届いている。
このファスナーレス式フルインテグラル構造に対し、皇国の技術者はこう言っていた。
「プラモデルってありますよね。技術を突き詰めると有人戦闘機もほぼ同じ構造となります」――と。
この技術者は皇国の技術がふんだんに導入された最新式の組み立て式プラモデルをプレゼンの場にて見せつつ、技術的には似たようなものだと言い切っていた。
ここに一切のジョークが混じっていないのだから笑えない。
Mr.信濃はこうなることを知っていたのか、それとも将来が見えていたのか……
なんにせよ、彼の試みは自身の亡き後にしっかり受け継がれて進化していることがわかった。
リベットを減らしたいと努力することはMr.信濃が大戦中から心がけていた事であるが、きっと今の時代に生きていたら喜んでいた事だろう。
そんな将来に繋がる主翼だが、まるで当然のごとくスーパークリティカル翼となっている。
皇国……もといMr.信濃が大好きな翼下部が逆キャンバー形状となっているタイプだ。
どうして彼がここまで逆キャンバーに拘るのかは不明だが、皇国の航空機でスーパークリティカルタイプと言えばこれ。
別段逆キャンバーだけがスーパークリティカル翼ではないが、ともかく優れた翼なのは言うまでもない。
この翼断面形状については事情を知った当時のNUPの技術者が大層驚いたとのことだが……
冷静に考えてみればその前身である層流翼についてはMr.信濃の師である谷博士が見出していたので、
皇国が大戦中に翼断面形状に注目して層流翼を進化させるというのは今にしてみれば不思議ではない。
大戦後期に登場する皇国の航空機は皆こういう翼を持つ。
これは今日では当たり前のことだが、中々理解が進まなかった技術。
なにしろ出た当時、この戦闘機は"まともに飛べない"――と言われたのだ。
どうして普通に飛んでいるのかわからない――と、冗談抜きでそういわれた。
本機の翼についてはデルタ翼開発に重要な貢献を果たした2名の技術者が大きく影響していることは、Mr.信濃も説明している。
一人は共和国の、もう1人は第三帝国のブーゼマン博士……双方ともユーグを代表する航空技術者としては偉大な方だ。
彼ら両名共に、デルタ翼に関しては基本的に"無尾翼とする"というのが当たり前であると考えていた。
翼後方で発生する乱流が尋常ではなく、尾翼など配置できない。
やるならT字翼だが戦闘機に対して施すのは不安が生じる。
ゆえに、カナードが見出される前の段階においても無尾翼とするのが当たり前……というのが当時の多くの技術者達の認識であった。
にも関わらず皇国は未来において標準的ともなる尾翼付デルタ翼とした。
恐らくこれも無尾翼とすると将来において……ということなのだろうが、両名のまだ発展途上で不完全なデルタ翼のデータを得て、スーパークリティカル翼と組み合わせることで実現させたMr.信濃は本当に恐ろしい技術者であると同時に、やはり皇国人なのだなと思う。
皇国に基礎技術が渡ると緑茶漬けにされて進化する――などとネット界隈などで揶揄されるが、尾翼付デルタ翼は間違いなくそういった皇国面に代表される発明だ。
おかげであまりにも緑茶の臭いが強過ぎたのか、後退翼こそ早期に見出したユーグはスーパークリティカル翼含めて技術理解にてやや出遅れた。
デルタ翼において絶大な影響を及ぼした両名の影響力が強過ぎたのであろう。
我々は戦後亡命してきた"リピッシュ博士らの話を話半分に聞いていた"部分もあってさほど出遅れなかったが、それでもここまで洗練されたものを大戦中に出すことは出来ていない。
主翼前縁のねじり下げ構造と相まって皇国の機体は高速域でも非常に安定した飛行が可能だったというが、最初からこういうことが出来たというのは恐ろしい。
それもこれもエンジン出力に不安があったためとされる。
おかげさまでエンジンパワーに余裕が出てきたら余裕の音速越えだ。
こっちは音速を超えるのに相当苦労したというのに……
そしてこの主翼にはもう1つ欠かせない要素がある。
LERXである。
この前縁形状については、とにかく何らかの絶大な効果があることはわかっていた。
大戦後に始まったジェット機開発競争においてどの戦闘機も四式主力戦闘機より運動性で劣っていたからだ。
スーパークリティカル翼だけではない。
それ以外の要素があった。
それがこいつである。
四式主力戦闘機を見るとまるでダブルデルタ翼といえなくも無いが、大きな後退角がついた小さな翼が、主翼の手前に取り付けられてある。
こいつが翼表面に対してより強く大気を押し付けることで運動性を向上させることが出来ることにNUPが気づいたのは……大戦が終わってから10年ほど経過してからである。
何となしにそれっぽい形を試してみたら大成功。
NUPはそれまで、あの形状は揚力確保のために翼面積を増大させたかったからと勘違いしていて特段試してみようとは思わなかったのだが……全く別の効果を狙っていたのである。
もっと早く気づけ。
もはや世界の全ての戦闘機はこれを搭載していて久しいが……
大戦中にここまで到達していたのである。
まことに恐ろしい話である。
ともかく、LERX、スーパークリティカル翼、ショックコーンが付いた機首。
こういった構造によって四式主力戦闘機は超未来的な容姿を獲得するに至るわけだ。
そもそもが最初に出た時点でパラボラアンテナ式レーダーまで装備している完全な全天候型戦闘機だ。
完成度の高さが違う。
タンク博士は第二世代のなり損ないだと四式主力戦闘機を表現するが、全くもって正しい。
エンジン技術が未熟で……というか黎明期だからどうしようも出来なかった第二世代戦闘機のなり損ないたる第一世代戦闘機。
それが四式主力戦闘機なのだろう。
ただ現代戦闘機というには、いささか時代遅れに感じる構造部分も無くはない。
例えば機体後部などがそれだ。
徹底的にやるなら垂直尾翼は双尾翼の方がいい。
Mr.信濃ならそこに気づいていたはず。
しかし四式主力戦闘機に限って言えば残念ながら垂直尾翼は1つ。
一般的な尾翼から逸脱しない。
後退角こそ付いているし、そこいらのレシプロ機と比較したら十分先進的な構造ではあるが……
併せてのMig-19などにも類似するエンジン噴射口などの形状も時代感を匂わせる。
この辺りは皇国の工作技術の問題だったのか、それともMr.信濃の当時の限界だったのか……
今回手に入れた資料で調べたい点ではある。
まあ後に本機が大規模改良された改良型となった際に一般的な形状に改まった上に全誘導式の尾翼になったところから、当時は技術的制約によって出来なかったのだと私は考えているのだが。
なんたって尾翼自体の配置は適切だ。
主翼より下。
垂直尾翼がシナノ式などと言われる、尾翼より前方にオフセットされた状態なのも今日の戦闘機に受け継がれた要素。
高翼配置とデルタ翼のおかげで、離陸重量に余裕があり結構大きな爆弾などを抱えて飛べるというのも、今日の攻撃機に与えた影響は少なくない。
そもそもが本機は制空戦闘機ではない。
最初からマルチロールファイターだ。
Mr.信濃は本機をキ47と同じことが全てできると豪語していたが、実際に出来るのである。
というか、皇国に制空戦闘機というジャンルは無い。
皇国でいう主力戦闘機とは、世界各国でいうマルチロールファイターである。
純然たる制空戦闘機を当時の陸軍……後の空軍は保有していない。
制空戦闘できる攻撃機しかないと言われるほどだ。
これも恐らく島国ゆえの影響なのだろうが、複数の戦闘機を開発し辛い皇国における環境ゆえなのだろう。
大量に量産して調達価格を下げたいという意図もあるのかもしれないが……最初のジェット戦闘機の時点でそういうことを考えていたのである。
ちなみにNUPがまともなジェット戦闘機を保有したのは大戦終結から4年後。
大戦終結時点で皇国陸軍航空部隊は四式主力戦闘機を2200機以上保有。
もし仮に喧嘩を吹っかけてたら4年以内にどうにかできないと勝てる要素が無い。
こちらの陸軍航空軍の主力はP-51。
P-51のパイロットで人類初の音速を超えた男は後に四式主力戦闘機に乗ってこう述べたという。
「私達が誇れることはX-1の方が先に音速に到達したということだけだ。そのX-1で戦えと言われたら私は亡命する――」
……彼は間違いなく我が国のエース。
しかし戦中仕様の初期型ですら飛行時においてまるで振動も無く、凄まじい機動が可能なため、戦中にて愛機としたP-51とのキルレシオに大きな差があると感じたのである。
「エンジン換装型との会敵など……もはや罰ゲームも甚だしい」
我々がかつて別件でインタビューを行った際、彼は四式主力戦闘機についてこの様なコメントを残している。
被撃墜もあった事から、必ずしも無敵ではなかったが……
レシプロ戦闘機しか持たぬ国とは大きな戦力ギャップが生じていた事は確かだ。