第139話:航空技術者は六角形に恐怖を覚える
「――こちらが作業場となります。現在も業務中ゆえに機械の駆動音がいささかやかましいところではありますが……ご了承いたきくださいますよう――」
「会話できる程度なので特段問題ありません。……それで、現在作られているのは壁にかけられている3つのプロペラとなりますか?」
視線を向けた先にあるのは固定ピッチ式と思われる二枚翅プロペラと三枚翅プロペラ……
そして可変ピッチ向けと思われる何枚仕様かは不明の1枚翅のプロペラ1本である。
周囲の作業員達はこちらの様子を伺う素振りも見せず黙々と作業を続けていた。
「現在……といっても今注文が入っている分です。サイズ、肉厚等はある程度自由な範囲で調節可能となっております。ゆえに週ごとに製造しているプロペラは変わってきますよ」
「それは頼もしい限りのお言葉です。ふむ……例えば壁に掲げられたプロペラの製造時間はそれぞれいかほどですか?1本製造するにあたり作業時間15分~20分程度かかるという話を伺ってはおりますが……」
「サイズにもよりますが、可変ピッチ仕様の翅1枚で15分、固定式2枚翅で20分、固定式3枚翅プロペラで約30分程度といったところです」
「従来だと3枚翅プロペラなど2週間以上かかっていたのにすさまじい作業効率ですね」
「まったくです。プロペラ自体は陸海軍どちらへも納入させていただいてますよ」
「そうですか――」
皇暦2601年5月中旬のある日のこと。
俺は浜松の皇国楽器のプロペラ製造工場に訪れていた。
訪れた理由は当然風力発電用のプロペラの製造を委託する予定だからである。
話は1週間ほど前に遡る。
モノがモノであるがゆえ技研を伴っての行動を起こすわけにはいかず、流体力学研究所名義にて予算を調達することに成功した俺は、皇国議会による立案によって発足したプロジェクトと"称して"、風力発電事業の推進計画を流体力学研究所発足後初の事業として行うこととしたのであった。
流体力学研究所は現在までに初代所長に谷先生を推薦して就任していただいてもらっているのだが、実際に流体力学研究所の名の下で開始された研究事業等はなく、ダミー企業のごとく名前だけ存在する機関となっていたのだが……
ここにきて活動を本格化させることになる。
一応、全国各地の流体力学研究者に参加について声をかけており、現在の研究において研究費など足りぬなどということがあるならば流体力学研究所にて事業計画を立ててくれれば予算を出すとは皇国議会を通して通達を出してあるのだが……
発足時に陸軍がやや関与を強めすぎた影響なのか、各地の研究者達は入所こそすれど何かするという事はなく、未だに組織としての活動実態がなかったのであった。
この原因はもしかすると何を研究すればいいのかわかりかねているのではないかと思われたので、今回の件で他にも研究事業が増えることを期待している。
基本的に流体力学研究所は軍を中心とした研究開発は行わない。
あくまでその研究成果を軍も利用する……という形としている。
今回のように事実上軍からの需要もあって求められるような存在であっても、民間での用途が基本であると位置付けられているような存在に対する研究開発にはうってつけの機関となっていた。
俺はあくまでそこの研究職員の一人として、今回の件のプロジェクトリーダーとなって軍部とは関係ない民間人研究者の立場から計画をスタートさせているのだが……
見学に訪れる際も流体力学研究所の名目にて皇国楽器に説明をつけていたにも関わらず、そのもてなし方は軍人に対するソレだったのが気になるところ。
俺は普段から四郎博士と同じく軍服は身に着けていないのだが……
これが各地の研究者達を萎縮させている可能性があるので、今後は軍部との関わりをもっと薄められるようなんらかの手を打つ必要性を痛感することとなったのであった。
――それはそれとして……
「――いい手触りですね。ここにあるものは機械だけで削った荒削りの状態ですか?」
艶はないが暖かいぬくもりのようなものを感じる見た目であったため、思わず近くに鎮座されていた1枚翅のプロペラの1つを手にとってしまった。
その風貌は明らかについ先ほど削る作業を終えたばかりという感じで、手でなぞると木屑が指にまとわりつくほどである。
「そうです。無論、ここからさらに磨き上げていきますよ」
「棘などが全くなく、一切指を切ることがないというのは素晴らしい限り」
「恐縮です」
機器の開発者自体は自分かつ自社ではないためか、見学案内を担当した職員はかしこまった態度を改めるようなことはなく、ただただその評価を受け入れているに過ぎなかった。
これが宗一郎の発明……
現在は二輪の開発と生産に精を出している者の優れたる発明品か。
俺は基本的にこの手のものは完成品ばかり見ていた影響で知らなかったが、皇国楽器が彼をエジソンと称えるだけのものがある。
未来の資料によってこの自動切除機が肉厚調整可能で、かなり細かい部分で形状を指定して切除できることは知っていた。
しかし実物は想像以上。
固定ピッチ2枚翅だけでなく固定ピッチ3枚翅までなら作業可能か。
さすがにそれ以上の枚数の翅のプロペラは可変ピッチ構造となっていて需要がないためにやっていない模様だが……3枚翅以上も可能なのだろうか。
工作機械を見る限り4枚までなら何とかなりそうだ。
これを使えれば価格はもっと落ちるし大量生産できる。
今確信を持てた。
◇
――早朝の始発にて浜松に向かった影響で夕方までに立川に戻ることが出来た俺は、技研内の倉庫の一角へと向かう。
そこには、数日前に山田式風車開発者本人に先んじて届いた風車達が仮組みの簡易的な土台に載せられて並べられていた。
並べられた状態を見て改めて思うのは……これは工業製品ではなく工芸品である……ということ。
工業品ではない。
量産など全く意図して作られていない。
並べられた風車達は全て型が異なるタイプ。
というより、決まった型などないのが現状における山田式風車である様子だ。
全て固定ピッチ式のプロペラなのは同じ。
しかしそれ以外の細かい部分はどれもこれもまるで違う。
例えば3枚翅プロペラ式だけで4種類もある。
1つは金属の地具に3枚のプロペラが装着されて固定ピッチとされているもの。
もう1つは一体成型となっているもの。
3つ目は一体成型ではあるが、プロペラを発電機と接続するシャフトと固定する方法が特殊なもの。
一般的プロペラにはその中心にシャフトと同じ径に合わせた穴が空けられているが……
このプロペラはそれ以上に大きな穴が空けられ、中にベアリングが突っ込んである。
プロペラ自体を軽量化したかったのか強度が欲しかったのかはわからないが、シャフトとはベアリングを介して接続。
整備性が向上しているのかどうかはわからないが、何かを試みようとした形跡がある。
4つ目はレシプロ航空機のごとくペラスピンナーが装着されていて、発電機側も流線型に整えられていた一見すると意欲作のように感じられるものとなっている。
プロペラを見る限り、許容できる風速もより高めにしてあるのだろうか……他とは何か違うようだ。
俺が知る限りの山田式風車はその地域ごとに合わせて微調整がされていたはずであるが……
こんなにタイプが異なるものが沢山あるというのはほぼ間違いなく、その地域に合わせた最適形状を目指してそれぞれ別個の構造を施していったからに違いない。
恐らく皇国がヤクチアの手に落ちた後あたりに風力発電事業を立ち上げようとしてそこではじめてまともな製品型というのが出来上がっていったのだ。
手作りゆえにどれもこれもタイプが異なるというのは完全に工芸品のソレだ……
素晴らしくはあるが、運用や保守を考えたらたまったものではない。
結局、保守整備が容易ではないので滅んでいった原因はここにあるのだろう。
ここは間違いなく改善せねばならない。
どの地域においても通用する高効率の構造を見出さねばならない。
ただ、全体の仕組みは共通している。
効率の極めて高い2枚翅または3枚翅のプロペラはローターシャフトを解して直流式モーター(ダイナモ)と接続、この直流モーターで発電した電気はバスまたはトラック用の蓄電池にて一旦充電された後、家電製品として安定的な電力を得られるようになった状態にて供給される。
現時点で皇国内にて最低200基が製造されて稼働中。
漁村や農村を中心に夜間の照明ならびに暖房器具向けとして目覚しい活躍を見せている。
俺がとにかく感心するのは直流式モーター(ダイナモ)を選んでいる点だ。
これが非常に大きい。
当時、多くの発明家による風力発電機は安価に入手できるからと交流式発電機……通称"オルタネーター"などを用いることが多かった。
構造が簡易かつ航空機用などに用いられていて入手性にて優れていたからである。
"単純な"発電効率の高さにおいてもオルタネーターの方が優秀であった。
しかしこのオルタネーター、発電に必要な回転数が毎分1000回転以上と非常に高回転でなければならない。
ゆえにギアまたはチェーンないしベルトなどによって回転数を調節してやらねばそのままでは使えないのだ。
このギア類などの構造が重量増加を招くだけでなく、部品点数を大幅に増加させる要因となる。
例えば未来においてスクラップなどからオルタネーターなどを調節した自作風力発電機なんかは、プロペラの真下などにオルタネーターを仕込んでやぼったい形状となっていることが多い。
この形状は現在の他の発明家らによる風力発電機とほぼ同様の構造であるわけだが、これはオルタネーターを真後ろに配置すると重心点が大きく後ろに後退して強風に耐えられなくなるからである。
重心点はプロペラ直下ないしプロペラのすぐ真後ろでなければならない。
重さがプロペラと接続するシャフトを支え、プロペラ自体を支えるのだ。
ゆえにオルタネーターを用いる風力発電機は大半がオルタネーター自身の発電効率はよくとも、風力発電機として効率の良いものとすると、コストなどを全て勘案した場合は効率の良いものではなくなる……という事が多発。
これが山田式風車だけが突出して高性能であった理由の1つである。
全ての機構がシンプルに突き詰められて優れていた。
この発想を活かし、本人を交えて更にコストパフォーマンスを突き詰めたものに仕上げる。
そして当時と同じく皇国政府によって1/2~2/3の費用を補助してもらい、皇国各地に電気を呼び込むのだ。
夏には扇風機を当たり前に使える時代。
それを実現するために多種多様なタイプからより効率なものを探っていこう――
……などと考えて行動していたこの日の自分が、所詮はありふれた才覚を持つ者でしかないと思い知らされるほど、真の天才かつ超人の考えは先を進んでいたことを思い知らされるのはこの5日後のことであった。
◇
「初めまして信濃中佐。本日はよろしくお願い致します」
「長旅ご苦労様です。海を越えての旅路で疲れているやもしませんが、本日はお付き合い頂ければ」
「いえ、特段問題はございませぬ。お気になさらぬよう。それでは改めて製品説明と今後について話し合いので、よろしければ私の風車達がある倉庫までご案内してはいただけないでしょうか」
「そ、そうですか。それでは早速向かいましょう――」
――移動開始をしてからすぐさま気づく。
まるで時間の流れが遅い。
倉庫までの数分の移動が十分にも1時間にも感じるほど緊張していた。
……一体何者なのだこの男は。
最初に技研に訪れた際、誰しもがこの山田と名乗る人物を"技術者"だとか"発明家"だとは思わなかったことだろう。
彼を見つめる周囲の目がそれを物語っていた。
入り口で出迎えた職員は陸軍の軍人でも突出して優秀な人間が山田の姓を騙って俺を呼び出したのではないかと戸惑うほどの風貌だったのである。
その体格、まるでラガーマンのそれである。
それも、俺がやり直す直前頃の一切の無駄のない筋肉を供えたラガーマンである。
太い腕、鍛え上げられた下半身はもはや平均的皇国人のソレではない。
身長も未来の皇国人よろしく、170cm近くあったのでその迫力はさらに増して感じられた。
……そんな彼の姿を見て思い出したことがあった。
北海道における伝説である。
大戦末期。
発明家として活動していた山田青年も、さすがに国より通達が出されて兵役へと就くこととなった。
その召集の際、なぜか彼は技術要員ではなく歩兵として軍籍に就くこととなったのである。
理由はただ1つ。
――"こんな超人を技術職としておくことなど陸軍として容認することが出来ない"――
悪化する戦況に対し、その類稀なる体格と運動神経は、歩兵よりかは幾分か安全地帯での活動を約束された工場勤務という技術職の立場を陸軍が許容しかねるほどであったのだった。
結果、逼迫する状況の中、本土を守るために辛い戦場へとその身を落とすことになるのである。
しかし、沖縄とならぶ激戦が展開された北海道にて彼は五体満足のまま生き残るばかりか、数々の伝説を残すことになるのであった……
何しろ彼は戦場で"九二式重機関銃を肩からブラ提げつつ射撃しながらの突撃を敢行した"――とされる人物である。
この九二式重機関銃とは航空機向けの旋回機銃などに採用されている7.7mm弾を歩兵用機関銃として使えるよう新たに開発された機関銃で、その射撃時の反動は元来は航空機に内蔵するようなものだけに普通の人間にはとてもではないが携行兵装として使えないレベルのものであったとされる。
基本的には弾丸を持ち運ぶ随伴歩兵と共に複数人で運用し、三脚を地面にたてかけて使うものだ。(ごく一部が突撃銃まがいの使い方をしていたという話は存在する)
だが彼は基本的に小銃などは一切使わずこの武器を愛用して単独運用していたとされ……
しかも対ヤクチア上陸阻止戦において、ヤクチアによるPTRSやPTRDなどの狙撃部隊に対し、たった一人で突撃していって狙撃部隊を壊滅させたという実話が残されている。
その際、敵の機関銃部隊からも掃射を受けたが"ただの1発の弾丸すらかすりもせず"、機関銃を構えるヤクチア兵にまで接近して頭上に持ち上げた後、投げ飛ばして沈黙させたという話も残っている。
本体だけで約30kgある重機関銃をまるで短機関銃のごとく軽々と扱い、柔道五段の腕前でもってヤクチア歩兵部隊をちぎっては投げ、ちぎっては投げ……
まるで華僑に残る三国志の伝説の武将そのもののような活躍ぶりであったというのだ。
無論、それだけの能力があることが召集時点で判明していたがゆえの歩兵採用だったとされる。
現時点での彼はまだ軍籍ではなく一般人……しかしこのガタイの良さで一般人とは一体?
そんな哲学的な思考を強いられるような人間が今、目の前にいて……
そして彼は戦士ではなくエンジニアなのだという。
確かにヤクチアにはPTRSやPTRDをまるでマークスマンライフルのように扱う者がいて、未来世界においてはネット上でその動画を見ることができるほどであったが……
皇国にもそんな領域にいる化け物がいて、それが本職は技術者であるというのだから恐ろしい。
事実は小説より奇なりとはよく言ったものだ。
未来においてかつて皇国と呼ばれた地の一部で流行していた転生して異世界にいく小説上の主人公達は、彼のような人物を見たらどう思うのだろう。
転生先が異世界といいつつほとんど現実世界で過去の世界で二度目の大戦下にあったとしたら……その最中戦場で彼と出会うことになったのだとしたら……
もう一度死にたくなる者も出てくるかもしれないと思えなくもなかった。
まさにスーパー北海道民である。
いや、スーパー北海道民を越えたスーパー北海道民とか……スーパー北海道民ゴッドスーパー北海道民とか……そんな領域にいる人物といっても過言ではないかもしれない。
類似する境遇にて過去に訪れた俺も……何か彼との間に大きな壁のようなものを感じてしまう。
NUPの映画の主人公で爆発する矢を放つ弓でヘリを落としていた主人公がいたが、もしその主人公がエンジニアでもあったなら――と、そんな人間が彼なのだ。
しかも彼は技術者としても傑出した人物でもあるのだった。
◇
「えっ……300Wではない?」
「こちらの3枚翅のタイプは500Wとなっております。起動風速は同じく2m。定格出力を高めて風速10mで500W発電できるよう各部を施しました」
「ではペラスピンナー型は試作タイプだったのですか?」
「新世代型を目指してつい最近作り上げたものです。高価な部品が多いがゆえに、実用化できるかは未知数ではございますが……なにぶん費用がかかるとその回収に苦労するのが風力発電でありますから」
信じられない発言であった。
俺はてっきり彼は300Wまでのものしか作っていなかったのだと思っていた。
しかし改良型として作成中の試作型はプロペラ径2mのまま、最大風速13mまで定格発電許容範囲で、風速10mで500W発電できるタイプだったのである。
13mではプロペラ効率が低下することで500Wの出力を維持するよう作られていた。
それ以上の強風となるとさすがにバッテリーとの接続を見直したり等しなければならないらしいが、風車自体は風速30m以上まで許容可能な強固な構造となっている。
つまり、より高性能かつ……正直言って20年は先に進んでいるタイプをすでに見出していたのであった。
そして、これで終わりではなく更なる上が存在したのである。
「この500Wタイプはプロペラを調節し、プロペラ径を3mへと拡大することで風速13mで1kW発電可能です」
「発電機の容量はそこまで余裕を持っている……ということですか?」
「そういうことになりますね。起動風速3mは設置場所を選ぶので1kW発電は現実的ではないやもしれませぬが…」
「いや……ううむ……いや……これはすごい」
語彙力を失うほどの感動である。
流体力学をある程度心得ている人間でありながら、プロペラを見ただけで発電能力を判断できなかったのは率直に言って恥ずかしい限り。
見ただけでは他より許容できる風速が高めなぐらいであったが、高めな理由は発電力自体を引き上げる目的があったからだったのだ。
現時点で500Wというと無線機等をいたって普通に稼動させられる出力。
1KWなんて将来の一般家庭の夏の消費電力より多い発電量ではないか。
地域によっては常時10m程度の風が吹く場所は無くもない。
山岳地帯の山小屋など、需要がありそうな場所はいくつもある。
2601年の時点ですでにこの領域にまで足を踏み込んでいたというのか。
「それともう1つ信濃中佐に是非みていただきたいものが……」
そういって渡されたのは2枚の概略設計図であった。
俺は静かに渡されたそれを付近の机の上に広げ始める。
「こいつは……」
「そちらは私の中における夢の構想の具現化です。あまりにも大規模かつ費用もかかって人員も必要となってしまいますので、現時点では実現化可能性は無しと判断しておりましたが……もし出来ることなら是非今回の開発計画の中で試してみたいのですよ」
1枚目に描かれていたのは、風レンズに類似する六角形の外枠に納められた3枚翅固定ピッチプロペラによる風車である。
外枠の六角形の中央を水平に横断する形で金属シャフトのようなものが通されており、その上に発電機内蔵のプロペラ構造体が固定されている様子であった。
この1枚目を見ただけでは外枠の必要性は全く感じないし、外枠の形状の意味が全くわからない。
だが2枚目を見れば全てが理解できる。
2枚目に描かれたのはその六角形のコアユニットが大量に集合配置された状態の図。
まるで蜂の巣の断面を見ているような六角形の集合体が巨大な正方形を成した構造体を形成している。
いわばこれは世界でも類を見ない――"集合風車"――と呼ばれる存在であった。
目の前にいる男はすでにハニカム構造という先進的構造に到達しているだけでなく、それを活用したより高効率な風力発電システムを考案していたのであった。
冗談だろ……この時点でハニカム構造を認知している人間がどれだけいるっていうんだ。
現代においてこれほどの技術者が北海道にいたというのは素直に驚きだ……こうなってくるともはや怖さすら感じる。
それで……それぞれのプロペラユニットを支えている地面に対して水平に伸びているシャフトは、どうも後の可変ピッチ機構の発想に繋がるものらしく、強い風を受けるとプロペラはシャフトが回転してプロペラが上を向くように出来ているようである。
重心の置き方で調整しているのかシャフト構造内部で調節しているのかは不明だが、シャフトは一定以上回転しないように施されている様子だ。
よってプロペラユニット本体が風のせいでグルグルと回転して適切に発電できないということはないようである。
このコアユニット集合体自体は地面に設置された台座が水平軸回転し、巨大な集合風車自体が向かってくる風の方角に合わせて360度回転して発電するように出来ていた。
図面に描かれた計算式と解説では、プロペラ面積を大型化、巨大化すれば確かに出力はそれに伴って向上してくが、一方である程度の小型ユニットの集合体かつ適切な構造であれば利用面積に対して得られる効率は二乗にも達することが触れられている。
ここでいう利用面積とは、プロペラ径が仮に直径20mならばプロペラ自体が細長かったとしても回転するのだからその面積が約314㎡であるのに対し、小型プロペラを集合させればその314㎡にて最大二乗の効率で発電できる――というもの。
無論これは全ての小型風車が同じ効率でもって最大限発電できた際における最大効率であるが、ともかく単一大型風車よりも現時点での実現可能性が高く効率の良いものであるということを図面にて説明しているようだった。
コアユニットの外枠は航空用アルミ合金を利用することで頑強なものとしつつ軽量化。
プロペラ等も金属部材を積極的に用いてその効率を高める……などといった記述が見受けられる。
1つのコアユニットにおける発電力は500W~1kW。
これを100基~200基束ねたものを1つの集合ユニットとすることで50kW~200kW発電可能とし、これを多数設置することで石炭火力発電や水力発電施設並みの風力施設を作る――というのが山田氏の抱えている構想なのだった。
……は?
俺は一体何を見せられているんだ?
今間違いなく2601年だよな。
2650年ではないんだよな。
思わず周囲を見回すが明らかにタイムワープした形跡はなかった。
まるで狐に化かされた気分である。
現時点での東京の石炭発電が7万5000kW。
北海道の一部地域は常時風速6m以上で十分ウィンドファームが可能な場所がある。
場所によっては常時風速10m以上が吹く地域もある。
例えばこの場所に200kWの集合風力発電機を375基設置して稼動させたら最大稼動時においては同数値となる。
375って数字は馬鹿げているように思うが、例えばウィンドファームとして有望な宗谷岬あたりの広さなら全長30mに満たない程度の大きさの200kW集合発電機を100基程度楽に設置可能だ。
他にも道内にはいくつもこういう風力発電に向いた場所がある。
総数が1000基以上に達すれば石炭火力発電所があるのと同等になるといって過言ではない。
ゆえに石炭火力発電並みという話はあながち間違った表現ではない。
そもそも現時点での北海道は約5万kWの雨竜がまだ完成していないから、まともな電力供給手段はない。
この雨竜の発電所と並ぶ風力発電所……いわゆるウィンドファームを本気でこさえようっていうのか!
風力発電の構想だけで30年は軽く進んでいる。
そして集合風車という構造はもはや半世紀先の次元すら超越した何かだ。
彼が俺と同じくやり直した人間でないなら……天才とはこういう超越者を表す言葉なのだろうと思い知らされる。
彼の夢は大きかった……
北海道に電気を。
北海道の地形を活かした電力発電施設を。
それを実現化するために頭の中で構想をめぐらせてはいたが、実現化しなかっただけなのか。
確かにこれを本気でやろうとすれば天文学的な予算と時間と人員が必要。
しかし、巨大なプロペラによる一般的な風力発電よりも遥かに現時点での実現可能性に富み、そして10基ばかり作れば本気で銚子の電鉄を動かす電力を供給できうる……
例えば俺の未来の知識を使って全体構造をさらに洗練させ、場合によってはA7075などの新世代の素材も活用すれば……
――そこまで考えて思考が一旦停止した。
"彼は何者なのだ"――という言葉が脳内を駆け巡ると同時に自然と言葉が出る。
「これまで……いや、ここまでの領域にまで達する技術的知識をお持ちでありながら、なぜ貴方は航空業界に入ることなく、発明家であり続けているのですか? これほどの流体力学的知識があれば航空業界に多大な影響を及ぼすことだって――」
「航空機で農民は幸せになりますか?」
「え? いや……それは場合によっては……」
「……私には航空機は富裕層の乗り物なだけで、農民や漁民に富を配分するものには見えません。例え未来においてさらに航空機が進化して、私のようなしがない農家の出の農民達にも富を分配できうる業態などが生まれたとしても……それは何十年も先のこととなりましょう。我々道民はそんなのを待っていたら飢えて死んでしまう。だからこそ……ですよ。だからこそ行動せねばならない」
その言葉の重みはすさまじかった。
彼はその大きな手の平をこちらに見せつけつつ話を続ける。
手の爪は寒冷地における長年の農作業によって茶色く変色してしまっていた。
その手の爪が彼の使命感の根源を成しているといっても過言ではなかった。
毎日のように続く地獄のような農作業の果てに、彼は自らに使命を課したのだ。
「今私たちのような開拓民に必要なのは衣食住……何よりも"暖"という存在です。仮に私が航空業界に入っても、私だけが裕福になって幸せになるだけだ。私は道民全体が東京市の……それこそ山の手に住む住民らと同じ暮らしを提供できるようにしたい。まずは近代文明において万能エネルギーと揶揄される電気。これを"ニシン景気"などによって盛り上がりを見せる道内に余すことなく配分したい。活力を失う前に生活様式をより近代的に……ロウソクの小さい火1つを極寒の中、大家族が肌を寄せ合って囲むようなことがないように……そのためには、回り道している暇なんかありません。航空機を作るよりも航空機に用いる技術を電気へと転換したいのです」
彼の一言一言は子供の頃の記憶を強烈にフラッシュバックさせた。
最近はすっかり忘れかけていた"遠い遠い"過去の記憶である。
自分がどういう人生経験を経て成人し、そして今に至るのか……忘れてはいけない記憶が蘇ってきていた。
「……私も元々は武家とはいえ、今は農業も営む家の出身。しかも南信州の山奥の生まれです。お気持ちは良くわかります。一面霜と雪に覆われた冷たい地面を裸足同然で学校まで通う経験を10年以上続けた者ならば、誰しもが貴方の言葉が深く心に突き刺ささることでしょう」
「私から見た信濃中佐は自分よりもっと大きな存在のために戦っているように見えます。貴方も私と似た者同士なのかもしれません……よろしければ、私の構想にお付き合いくださいませんか」
「集合風車……一丁首相に提案してみますか。流体力学研究所としても是非貴方を受け入れたい所です――」
仮にそれが未来に目を向けすぎた時代を先取りしすぎた行動だったとしても、意味が無いなんてことはないはずだ。
皇国にも風力発電という考えを浸透させる。
そのために奮闘する男の手伝いをするのは決して人生において無駄にならない経験。
航空機エンジニアとしてどこまでサポートできるかはわからないが……
俺が知る技術知識全てを彼に教え、彼の夢が達成できるよう突き進む!
山田氏の話についてはほぼ実話です。(ただし陸軍での活躍はいくらか誇張の可能性あり)