第137話:航空技術者は困惑する
皇暦2601年5月中旬。
俺は珍しく千佳様からの招待を受け、赤坂の料亭へと向かうこととなった。
理由は不明。
彼女はここ最近NUPとの交渉においてマスコット同然の立場ではあるが、肩書きがゆえに交渉の場に参加せざるを得ず、割と多忙な日々を送っていたはず。
その憂さ晴らしではないのなら、相手側が突きつけてきた要求についての相談なのかもしれない。
――などと、そんな俺の予想を大きく外れる出来事が起きてしまうのであった。
◇
「――統一民国に……今一度皇帝を即位させたい意向を陛下がお持ち……!?」
「うむ……この話はまだ西条にすらされておらぬものじゃ。皇国議会になど簡単に通せる話であるものか。我も陛下のお言葉の意味がよくわからぬ……だからこそ、そなたに一度伺ってみようと思うてな」
「そう言われましても……ですね……」
想像もつかない話である。
千佳様曰く、突然切り出した話ではないとのことであるが……
ここのところの華僑の情勢を海を隔てた遠くより眺めていた陛下は、本年の春を迎えた頃より周囲の者達にその件について口にされる回数が増えたとのこと。
このままいくと御前会議の議題になるのは明白。
その前の段階において対応策を練らねばならないという所まできているわけである。
「一体誰を皇帝に据え置くおつもりなのですか」
「当然にして、"1度即位した経験"を持つ者じゃ。名を言わずともわかるであろう?」
「それでは集の……」
「あくまで候補の一人として名を挙げておるだけのようではあるが……誰でも良いとのお考え。重要なのは基盤であり、象徴的君主を目指した立憲君主制政治……これを統一民国に導入したい強い意欲をお持ちであるということじゃが、正直言って、現段階で皇国政府の立場からそれを成し遂げるのは不可能であろう。"あの時結んだ"講和条約の条件の1つにしておくことすら、内政干渉も甚だしいと実現出来ないほどの机上の空論であることは間違いない。講和条約の際には検討もされなかった話ではあるが……仮にあったとしたならばそうなろう」
「そもそもが、それは一度失敗していることです。改めて行わねばならない理由がわからぬ限り、私の考えを述べるのも難しい」
明確な回答をその場で即座に出さないことが、これほどの正論に感じるのも珍しい。
――元々、皇国は皇帝政治に関してはそこまで強く批判的な立場ではない。
ゆえに華僑で再び皇帝が生まれたとしても、当初の間は静観していたほどだった。
皇国がとにかく嫌っていたのは華僑における混乱。
これを治めることができるのであれば、皇帝という肩書きを持つ人間が統治することとなっても特段それに対し圧力を加えたりなどすることはない。
あの時、即座に退位せざるをえなくなるよう皇国が圧力をかけたのは、即位という行為が逆に混乱を助長させたため。
そしてその混乱を助長する原因となったのは、最後の王朝に対する反思想を持つ若者が増えたことと……
何よりも君主制国家という存在が、もはや古の存在であるという認識を持つ権力者も非常に多かったことによる。
陛下が改めて立憲君主制に近いなにかを統一民国に導入したい理由はなんとなくだが想像がつく。
一党独裁による政治でもって統一民国を統治する現体制では20年保てば良い方だという考えを持つ者は皇国だけでなくあちら側にもいる。
いずれは二大政党とは言わずとも他の政党も立ち上がって野党勢力が生まれ、ある程度は民主主義的に制御された政治が行われるようにならねば……
単なる独裁国家に墜ちて内部から崩壊してしまうは必然。
現在においてあちらの混乱が収束した状況であるのは、"まずは経済成長と国の発展"――という考えがまかり通るほど、貧しい国にインセンティブを与えられる内政を国民党が行えているからに過ぎない。
民衆は米とパンを筆頭とする豊かな生活が欲しかったのであり、そこに関して目を背けない姿勢は辛うじてあの国を安定させるだけの潮流を生んでいた。
本来ならその潮流の流れを変えかねない巨大勢力をなんだかんだ押さえ込むことに成功しているからだ。
あの国は一枚岩ではないのである。
例えば華僑にも財閥はいくつもあるが、中でも代表的な拙江財閥は上海を中心としたグループ。
この財閥自体は現在こそ未だに強い影響力を保つ資本を保有するものの……
本来の未来においては次第に影響力が弱まっていき、最終的には共産党の支配下に置かれてその財を全て没収される。
しかし、この財閥が上海での活動を通して遺したミームはその後も地元に根強く残り続け……
多くの上海系の派閥の共産党員を生んだ。
それこそ、本来の未来においても首都北京に対して常に影響力を保ち続け、一度国を揺るがす歴史的大事件が華僑内に発生した場合、ともすれば華僑は南北に分断される――などと本気で言われることがあるほどだ。
組織がいなくなったとしてもシステムが優秀なら次の世代がミームを受け継いで時代に合わせた新たな組織を生み出す。
王朝時代の華僑は始皇帝から始まった伝統により、例え赤の軍団に飲み込まれてもその自尊心と精神は受け継いでゆくのだ。
それはまさに諸刃の剣ともいえたもの。
ゆえにそれを理解していた蒋懐石は、当初こそ、この財閥を後ろ盾に行動していたものの……
その弱体化を狙おうと画策するのである。
これは本来の未来においても現在の未来においても変わらぬことで、どうやら不動の行動指針となっているようだ。
現在の蒋懐石が四井と手を組んで南京から北京までの北部を開発しようとする最大の理由は、拙江財閥の影響力をある程度抑制しておかないと最終的に統一民国は上海の単一財閥にのっとられる形で崩壊すると考えているのではないかという節が見られる。
それと同時に、自らがそれだけの力を持つことで不動の地位を得て、現代における天下統一を成し遂げてその勢いを今後数千年に渡って維持し続けられるとも考えているのではなかろうか。
南京から重慶までに南北の分断線を引き、南部よりも北部を中心に都市開発に勤しむのも、上海の影響力が強まれば強まるほど南部からの圧力が強まって政治が立ち行かなくなるからというのが一部有識者や俺のもつ考えである。
蒋懐石は北部に拙江財閥と並ぶ財閥を作り上げ、さらに四井との関係も結ぶことで対抗勢力としたいのだろう。
本来の未来においてはこれは東亜地域の財閥ではなく、ユーグやNUP企業と共に成し遂げようとしたのだが……
向井による、"適正レート"を省みない破格の借款の方が魅力的であるのと……
これまで華僑が受けた屈辱を皇国とユーグ・NUPと対比した場合、皇国の方がまだ信頼できると思ったからなのかもしれない。
まあ、最悪は四井からのほうが民国における国内財産を没収しても正当化が行いやすく、かつ恨まれにくいという戦術的視点によるものなのかもしれないが……
ともかく、ユーグやNUPによる"華僑に対する適正レート"による低賃金で使い潰されつつ経済開発を行うのとは異なり、"皇国とほぼ対等"に近い四井式適正レートは……
地元において多くの成金を生みつつも、次の時代を担う新たな企業群が芽生える契機となっているのは間違いなかった。
その一方で富と権力が蒋懐石を中心としたいわゆる"四大家族"……
最近ではNUPとの内通によって皇国から目をつけられて表側から姿を消しつつある1名を除外した"三大家族"と呼ばれたりする者達に集中しはじめており……
その結果、拙江財閥や南部の軍閥出身の者達との摩擦が生じ始めていることは、皇国の経済系の雑誌にも取り上げられるほどだった。
せっかく皇国が譲歩して成し遂げた安定を再び崩されるようでは、こちらが何のために譲歩したのかわからなくなる。
大幅に弱体化してすでに虫の息であると言われつつも、未だに完全に駆逐できない共産党が再び息を吹き返しかねない。
今の所、真の意味で東亜で安定しているのは集、そしてティベといった統一民国が現体制となったことで副次的に恩恵を受けている国々のみ。
これは統一民国が再び内部崩壊して三国志の頃のような時代へと戻ると簡単に崩れかねないほど、ある意味では脆い部分があった。
それを皇帝の即位でもって完全に安定軌道に乗せられると陛下はお思いであるのか……
「――信濃。何やら頭の中で複雑に物事をめぐらせておるようであるが……そなたが考えるよりも陛下の考えはシンプルなものであるぞ」
「……と、いいますと?」
「最近、相次いで南京などに建てられた蒋の石造や銅像が気に入らぬのだ。政治家を権威の象徴の1つとして銅像を建てるのは構わないが、それは1つか2つで良いはず。各地にいくつも建てて権力を誇示するようになれば……やがて神格化が全体主義を生み、ありとあらゆる悪政がまかり通ることになりかねない。最悪は共産主義へと変貌するやもしれぬ。例えそれが象徴的な立場に過ぎぬとあっても、人より上に立つ者がいて監視をすべき……それが陛下のお考えじゃ」
「上に立つ者を見張る者としての皇帝……というわけですか」
「政治的権力の一切は無くとも、2000年以上の歴史を持つ皇帝という文化的象徴を失わせるべきではないと考えておるようだ」
千佳様にとってその考えはさほど関心のある事ではなさそうであった。
言葉の後に自らの意見を述べることなく、目の前に出された食事を丁寧に口に運ぶ様子がそれを物語っている。
彼女にとっての象徴とはどういうものなのかはわからないが……
その様子から"真の王とは民衆の求めに応じてごく自然に生まれるもの。外的要因でもって誕生し、それがましてやなんら権力も持たぬ象徴に過ぎないとは果たしてそれは王なのか"――などと考えているように見受けられた。
「それで、その候補の一人が現在の集の皇帝ですか」
「うむ。最近は随分と表情が柔らかくなってきたと噂のな」
本来の未来においてラストエンペラーなどと呼ばれた彼は、これまでにおいて多くの国の歴史の教科書にも載るほど波乱の人生を歩んできた。
その集の皇帝が最近穏やかな表情となってきたのも、偶然とはいえ自らの下へ権力が転がり込んできたことによる。
齢2歳にして華僑の皇帝となった男は時代に振り回された挙句の果てに集の皇帝となり、本来の未来においてはそれも長くは続かず最終的に単なる市民の一人となって華僑の地にて没することとなるのだが……
現在においても政治に大きく関われる立場ではないのは変わらぬものの、皇国の影響を大きく受けることのない完全な意味での皇帝の地位を磐石なものとしつつある。
関東軍の影響は0に等しくなったわけではないが、それでも彼にとっては十二分に満足の行くものなのだろう。
それまで行っていた神社への祈祷から祖先崇拝へと切り替え、身なりを民族衣装へと整えなおすなど、先祖がえりを果たすがごとくこれまで強要されてきた行事や公務を一気に切り替えていた。
その姿などからは統一民国の一部の権力者からも「おいやめろ。まるで集こそが華僑の中心であるようではないか」――などと苦言を呈されることもあったものの……蒋懐石らはこれを黙殺していた。
聞くところによると最近では、従来まで不能だった状態が精神の安定によって治まってきたのか……
新たな側室を迎えたい意向があるらしい。
彼が不能者だった原因は、どうもこれまでの人生と関東軍による恐怖が主なものだったようだ。
実は彼は意外にもかつては関東軍に所属経験のある西条のことは信頼していて、西条の話にはよく耳を傾けたりなどしてくれるのだが……
集が完全に独立するにあたり、西条より「――関東軍は信頼せずとも私と皇国の市民、そして陛下に関しては終生敵となることなどないのだと理解してほしい」――なる言葉に涙を拭う動作を見せたという。
それ以降である。
女中の中から貴人と呼ばれる人間が増えてきたという話がにわかに皇国内の一部において語られるようになったのは。
この貴人とはいわば皇帝と関係を持った者との暗喩であり、正式な側室でなくとも関係をもった女中などに対して付与される肩書きのようなもの。
まずは女中という立場として迎えられた若き女性は、関係を持つことで貴人と呼ばれるようになり……通常の女中よりは破格の待遇で出迎えられるようになる。
これは千佳様を通して皇国の皇族から伺った話なので確かではないが、あちらでは世継ぎとなる子の誕生が熱望されており、新たな側室を迎えるために周辺ではその母親となるための候補を探すのに奔走しているらしい。
なぜこのような行為に励んでいるかについては想像がつく。
このまま行くと、いつかは誕生するであろう彼の実弟の子が後継者となる可能性が極めて高いが、それは皇国人とのハーフとなるからだ。
皇国の影響力を無としたい彼にとってそれは許容しがたいものだった。
実弟は人格者として優れた評判をもつ男。
兄である現皇帝ですら"自分に万が一の際には王位を譲るにも値する者"――と認める一方で、彼の妻が皇国人であることを大変憂慮していた。
それこそ必死で妨害活動を行うほどだ。
彼にとってそれは集を乗っ取られることであり、実弟そのものが次期皇帝となることは許せても彼と妻の子が次代の皇帝となることは絶対に許したくなかった。
その意思は皇国の影響力が大きく削がれた現状においても尚、固く……
だからこそ自らの子に後を継がせようと考えているのではないだろうか。
思うに皇帝特権にて新たに側室を実弟に迎えさせるという方法もあるとは思うのだが、まずは自分の力でできることをやりたいのだろう。
何よりも自らの自尊心がそれを許さないのであろうな。
「――我は現皇帝よりも弟の方が資格ある者と思うのじゃが……あの男は今や義理とはいえ、我らの親戚にもあたる者となってしまったのがなあ……今にして思えば完全に失策であろう。何よりも政略結婚にも関わらず弟が伴侶を深く愛するがゆえに今更離婚もさせられぬし……な」
「前王朝の血縁に拘るなら間違いなく集の皇帝が候補となるのは間違いありません。ただ、これまでの歴史を顧みるならば血縁に拘る必要性もないのでは」
「我もそう思う。現皇帝は旧幕府の将軍家とそう変わらぬ立場。例えば皇国においてなんらかの理由で皇族の血が完全に絶えてしまったとしよう。その際に元将軍家の者たちを新たな皇族として出迎えて権威を与えるようなものなのだぞ。理由は一度幕府でもって皇国を支配していたから……そんなもので良いのか?」
「皇国は血縁を重視しておりましたがゆえ、同列に語ることは出来ないものかと……」
「むむむ……確かにそうかもしれぬが、やらんとする事は変わらぬはず。陛下は本気でそれを達成せんがため、来月行われる東亜三国首脳会議に合わせて皇国を訪れる蒋を説得するつもりじゃ。皇国議会に先駆けて、まずは蒋懐石の腹積もりを確認するというのだぞ」
彼女の突然の言葉に満腹感が襲い掛かってくる。
食事する気分ではなくなってきた。
彼女の言葉が陛下の本気度をそのまま現している。
議会を通す前の段階で蒋懐石相手に話を持ちかけるというのか。
もはや誰も押さえ込めない状況ではないか。
皇国民は誰一人として否定の言葉を述べられないぞ。
「その表情……ようやく、なぜ我が今日そなたをここに呼び出したか理解できたようであるな。もはやそなたの未来情報を活用した助言でもない限りどうにもならん。皇国議会へは事後報告的に認めさせるつもりというわけじゃ」
陛下がそのような行動に出ることは滅多に無い。
皆無と言っていい。
勝手な行動が皇国に対しどれほどのリスクを生むか自ら弁えているからこそ、そのような行動をなさるつもりはないわけである。
裏を返せば、皇国議会を振り切って動く意志が強いというのは制御不能を意味しているが……
一方で俺の考えでは、あえて皇国議会と切り離された状態で動くからこそ、皇国へのリスクを最小限に留められるのではないかと考えておられるようにも見受けられる。
あくまでこれは個人的な意見である……としたほうが後々を考えた場合に混乱は少ないのかもしれない。
それらを全て勘案するに――
「――残念ながら未来を知る私でもその行動を否定することも肯定することも難しいですね。私の知る未来において陛下はそのように動かれようとはしませんでしたし、関連するような資料1つ未来において残っていない……今を生きる陛下のお気持ちを千佳様含めた皇族の皆様が理解しかねる中、ありふれた市民かつ一兵卒の技術者風情が判断しようなど、おこがましいにも程があります」
「説得した際に生じる影響などは想像もつかぬか?」
「さほど大きな影響などないのではないですか。今の所、陛下のお言葉に蒋懐石が具体的行動を起こす可能性は低いでしょう?」
「陛下は彼も集の皇帝も究極的には前王朝の現代的復活を願っているはずであると、何やら確信めいたものを持っておられるようなのじゃ」
「それは事実です。ただ、目指す立場と道筋が異なる。現代的な現実的な資本主義的独裁国家を目指す男と、単純に古来に存在した前王朝を復活して皇帝として返り咲きたい男。二人の思想が一致する事はないでしょう……なによりも――」
現皇帝は蒋懐石とは決して相成れない理由がある。
東陵における大量盗難事件だ。
これは本人が主導的立場であったものではないため、ある意味で彼を批難するのは言いがかりに近いものではあるのだが……
当時その盗難を主導した男は立場上は蒋懐石の部下であり、彼はその事件について部下を断罪すべき立場であるのは間違いなかった。
皇国式の神社への祈祷から霊堂への祖先崇拝へと切り替えた現皇帝は、周囲にも聞こえる声でもってこの事件への復讐を1日に3回も先祖へ向けて謝罪を交えながら誓っていると言われる。
どれほどの恨みがあるのかわかったものではない。
その事件の首謀者は未だに健在。
この点において何らかの措置を行えねば現皇帝は本心ではなりたくとも統一民国の皇帝として三度即位することはないだろう。
東陵は実際問題、本当に文化的価値があり世界遺産といっても過言ではない周囲を非常に美しい彫刻で囲まれた墓所。
華僑が共産党の手に落ちなければいずれ西側から世界遺産と認められるのは間違いないほど。
それを荒らした上に一部を徹底的に破壊したなど、個人的にも許したくない。
その場所を見学した立場としてもそう思える。
墓室へと至る階段の中央に配置された石の彫刻……
一般的に「丹陛石」と呼ばれるそれは、皇帝の地位のある御所にのみ接地を許された建造物なのであるが……
龍または龍と鳳凰を同時にあしらった彫刻床は、本来ならば皇帝のみが土足で踏み入れることを許されている領域とされている。
宮殿において存在する丹陛石は冠婚葬祭などの際に龍の上に皇帝が座して花嫁を出迎えたりする場だ。
龍と鳳凰が同時にあしらわえている場合、多くの丹陛石が下に龍、真上に鳳凰という配置とするのだが、皇帝は龍の頭上あたりの位置に座り、自らの背後には鳳凰が来る構図となる。
これは天の子である自らは天を舞う龍より上の立場にあるが、天上より降臨する鳳凰よりは下の立場であることを示したものらしい。
自らは天上に最も近い立場にいることを誇示するものである。
この皇帝ゆかりの御所に必ずある丹陛石の中でも、東陵の荒らされた墓室へと通じる階段にあるものは最も美しい彫刻が彫られているといわれ、美術には疎い素人の俺ですら、いくつも見た中で最上の丹陛石と言われる理由が理解できるほどに大変秀逸な造りのものなのである。
奴らは墓より盗難を行う際、ここが一番凹凸が少ないからとこの真上に馬車を走らせ、あろう事か首謀者は龍の上に座して皇帝を侮辱したというのだからたまったものではない。
実際、馬車が通った跡がごく一部とはいえ残っているほどだ。
あれを見たならば、もし俺が同じ立場であったとしても1日に3回復讐を誓うことだろう。
皇国で言えば彼らがやったことは伊勢神宮の正宮の壁を爆破し、内部に土足で入り込んで居座るようなもの。
このことが彼と皇国の縁を生み出すキッカケともなったのだが……
その件について陛下も知らぬわけがない。
説得するにあたって蒋懐石が前向きな反応を示したとしても、この事件だけはどうにかせねばならぬだろう。
そしてこの事件を理由にこじれている両者の関係を果たして陛下の仲裁でどうにかできるのかは……未知数だ。
俺は陛下について多くを知らなすぎる。
いや、多くの皇国民もそうだろう。
皇国の……東亜のエンペラーの一人としての自負があるからこそ見えてくる何かが、陛下の行動原理となっているのは間違いないのだが……あくまで見守るしかない。
「――私が言えるのは、首相の耳には入れておいた上で外交問題には発展させないよう調節することです。それが統一民国が再び混迷した状況に陥らない方法であるというならば、全力でバックアップすべきですが」
「信濃でもわからぬようではどうにもならぬのう。これもそなたの知る未来より歴史が変わったがゆえなのか……」
もしかすると、俺が皇国の未来を陛下へ語った際に東亜の未来についても語ったことが影響したのかもしれない。
共産党の一党独裁。
その話を耳にした陛下ならば、今後本来の未来と同じような混沌とした状況に陥ることを危惧されたのかもしれない。
そうであれば俺が元凶なのだが、何年も先においてその行動が時代を変えた……
つまり俺が時代を変えるきっかけとなってしまったなんてことになるのは嫌だな。
今後はもっと発言において気をつけよう。
特に未来の話をしなければならない場合においては――