第136話:航空技術者は錆びないモノを受け取る
桜が散り、初夏の兆しの見え始めた5月初旬。
技研にて日々の業務をこなしていた俺は西条の呼び出しを受ける。
珍しく理由は告げられなかったが、なにやら渡したいものがあるらしい。
よくわからない。
彼は他者に向けてあまり贈り物をする性質の人間ではない。
人は心で繋がるもの。
金や物で釣るものではないと日々語っていた。
どちらかと言えば馳走を振舞うだとか、花見に招待するとか、物より優美な時間を共有しようとするタイプであったはず。
一体なんだろうか。
わざわざ呼びつけるということは相当な品なはず。
適当な品ならば技研にちょっとした文など付けて送ってくればよいだけだ。
手渡しでならねばならぬモノの様子だ。
特段心当たりはなかったものの、参謀本部へと向かうこととした。
◇
「――良く来たな。待ちわびていたぞ」
「首相らしくもありません。渡したいものとは一体どういう風の吹き回しですか」
「いや、建前と形式上の都合よ。私から手渡しでもしない限りは渡しにくい品物であったのでな」
「一体なんです? もしや陛下からですか」
「違う。……こちらだ」
机の陰より取り出したるは1m40cmは軽くあるかと思われる長い桐箱である。
まるで思い当たるものがない。
長さから言えば小銃か何かと予測するが、この時代に小銃を桐の箱に入れることなどないはず。
中身が何なのかはまるで予想がつかなかった。
「時に信濃……お前は以前、関の刃物工業組合に個人的に携帯刀を注文していたな」
「ええまあ。200円か300円ほど送金して、例のジェット戦闘機乗組員用のポケットナイフを複数所望してはおりましたが……」
「その関の名工からお前にと預かったものだ。実用的な携帯刀の大量生産は彼を中心とした関の刀工達の悲願であったのだという。例の携帯刀……技研から調達されたわけではないが……お前の名義にて調達がなされていた。どうしても御礼にと刀工自ら組合に掛け合って渡そうとしたらしいのだが……いかんせん、品が品でな。私を通してということになったのだ」
「ま、まさか!」
丁寧に両手で携えられた桐の箱を受け取ると、すぐさま結ばれた紐を解いて中身を確認する。
「うっ……これは確かに……首相や名だたる将官といった方々から受け取る形でもなければ、私程度の立場では到底受け取れぬもの……」
目に入った瞬間に身震いするほどの圧力であった。
黒柄の青貝散塗鞘九八式軍刀拵……稲垣大将クラスの人間ですら求めても手に入らぬ領域の刀である。
それは明らかに携帯していれば身の程を弁えていないと批判を受けかねない代物であった。
静かに少しばかり抜剣してみた段階で全てを悟る。
「兼永ですか……」
「そうだ。巷で大流行の関随一の名工……兼永の一品だ。組合から受け取った際に検品を行った者は刻まれた銘に血の気が引いたという。私は見てはいないが、大作と刻まれているそうだ」
チラリと見える白金のごとき光沢ある金属色は、これが耐錆鋼刀であることを表している。
しかしこれはただの耐錆鋼刀……いわゆるステンレス刀ではない。
この時代において現代の正宗と呼ばれる、富士宮兼永作刀の名剣である。
耐錆鋼刀。
誰かに説明するならば、まずは軍刀について語らねばならない。
我が陸軍並びに海軍において軍刀とは単なる飾りではなかった。
なんだかんだ言って本気で敵対する者と戦うために刀工に誂えてもらう実戦刀剣だった。
銃の弾丸が尽きた際など、小銃や機関銃が登場してもインファイトが行われるケースがあることを知っている軍部では、必要に駆られて皇国を象徴する刀剣により実戦向けの改良を施そうとしたのである。
それが皇国の軍刀シリーズだ。
皇帝が存在していた王朝時代の華僑の軍勢と戦っていた時代の陸軍においては、鎖国状態の頃に用いられていた刀も平然と使われた。
それこそ新政府軍と幕府軍が使っていたような新々刀だけでなく、いわゆる新刀などと揶揄されるような粗悪な刀も使われたのである。
しかしこれらはハッキリ言って使い物にならないような性能だ。
とにかく折れる、すぐ切れ味が落ちる、量産しようにも大量生産に向かない製法である……など。
皇国の魂を象徴する武器でありながら、その性能は実戦向けとはかけ離れていた。
その結果、軍はより実戦に有用で量産に向く刀を作ろうとするのは必然であった。
注目したのは当然にして古刀である。
鎖国状態から脱する直前の時代、各地にて内戦に近い侍と侍の戦いが繰り広げられた際に重用された古刀と称される刀剣達は……やはりかねてよりの伝承通りの性能を有していた。
簡単には折れず、簡単には曲がらず、簡単には切れ味を失わない。
その要因は皇国で出土する鉄の質の悪さに起因していたことは伝承によって伝えられていた。
元々皇国を代表する古刀と呼ばれる存在は、その大半が国外から持ち込まれた鉄によるもの。
それらを適切に精練した上で刀とすれば、心鉄すら不要でありながら優れた性能を誇る刀剣となる。
心鉄とは言わば大量生産を行う上で必要であっただけでなく、皇国で採取できる鉄の含有成分がこれより30年後ぐらいの製鉄技術ともならないとどうにか出来ないほど、粗悪で脆く固いものだったがゆえに必要となっただけなのである。
国外から鉄を調達していた際には、炉の温度を高めるために台風の暴風すら利用して選りすぐりの鋼を精練しては、優れた刀剣を生み出していったが……
侍によって戦の時代が訪れ、取り合えず数を優先しなければならなくなると、輸入量は限られていたので当然国内の鉄も用いなければならず、選りすぐりの刀を作ることが次第に困難となっていったのだ。
だが、世は大航海時代を終えて航空機すら登場しはじめる頃ともなると情勢は再び変わる。
古刀の素材よりもさらに優れた鉄をユーグなどから船で大量輸入してくることすら可能となったのである。
ゆえに軍は全国各地の刃物組合に開発を依頼し、様々な現代刀剣を生み出そうと日々研究を重ねるのである。
一連の刀を軍は"新皇国刀"と呼んだが……とある刀工が登場するまで、その名は広まることはなかった……
その最中に誕生したのが、かの有名な「集鉄刀」や「群水刀」といった品々であり、これらは古刀と遜色がない性能でありながら心鉄あり、心鉄無しの双方が存在し、かつそれなりの数を生産できるような体制を整えることが出来た。
特に心鉄無しのタイプの方が生産面では優れているとされ、主として量産されるようになる。
その裏では鋼の精練に電気炉製鋼法などを用いており……
より現代的な非常に性能の高い鋼を精製することで、従来存在した折り返し鍛錬などの一切を排除して純粋に優れた単一の鋼のみを打ち延ばして心鉄無しの無垢の刀剣として鍛え、従来までの常識とされた製法を丸々すっ飛ばすことで短い工程と期間での作刀を可能としていた。
当然にしてこのように従来の伝統製法を無視した刀は皇国でいう"刀ニアラズ!"と激怒する刀工らも多くいたが……
群水刀などを世に誕生させた者達から言わせれば「手段と目的を完全に履き違えた老害達の戯言」――と切り捨てていたし、軍はこれを刀として認めて正式採用するに至っている。
「軍刀」とは即ち、こういう従来にない真新しい製法によって生まれた刀を一部の者が新皇国刀とは認めずに蔑むがごとく呼び始めた蔑称であったりもしたのだが……
その性能の高さはやはり認めるべき所もあり、次第に敬称の1つとして認知されていくに至って現在に及んでいる。
ただし、一連の軍刀には最大の弱点があった。
それは「錆びる」ということである。
炭素鋼を用いる以上、避けては通れぬ道だった。
統一民国となる前の王朝時代の華僑と戦っていた頃においては戦場も皇国よりは湿度の低い陸地ばかりで、さらに刀の扱いにも手馴れた歩兵も多く、手入れもきちんとなされていた。
しかし1度目の大戦の頃ともなると湿度の高い小島であったりなど、鉄製品に対してより過酷な環境が戦場となることが多くなり、次第にその弱点が露になって無視できない問題となってきた。
特に時代も進んで刀の扱いにも手馴れぬ者達ばかりとなってきたことで、その問題はより顕著となった。
せっかくの最後の切り札が錆びて鞘から抜けなかったことで戦場で死に至ったなど、笑い話にもならない。
一連の軍刀はこの弱点が顕著となってきた頃から、第二世代とも言うべき存在となるべく研究がなされはじめるようになる。
それこそが耐錆鋼刀……いわゆるステンレス刀である。
2570年頃より王立国家などの技術博覧会などで大々的に宣伝されるようになったステンレス。
無論、軍も当初よりこの存在に着目していないわけではなかった。
だが、試しに刃物組合に依頼して作刀をしてみようとしたところ、ステンレス鋼は従来までの鋼とまるで性質が異なっており、単純に熱して伸ばして作るといった工程に向かない金属であることが判明。
刀剣とするための技法を確立するのに大変な苦労を要することがわかり、時間をかけて研究を重ねる体制を整えることにしたのだった。
そもそも当時の王立国家などで主流だったオーステイト系ステンレスは凄まじいスプリングバックが発生する代物。
叩いて伸ばそうにもバネのように元の形状に中途半端に戻ろうとする性質が全くもって刀剣製作に向いていないのだ。
それこそ当時の職人から言わせれば「まっすぐな形状に整えることすら」難しい代物であった。
なにしろ2601年現在の一般的な工業分野ですら、ステンレスのプレス加工はこのスプリングバックを見越して過剰にプレスをかけながらスプリングバックで戻った状態で適切な形状とするよう計算してプレス形成を施すような代物。
一度計算をミスれば不良品になるような博打に近い製造方法ででしか成型が出来なかったほどだ。
そんなのを金槌でガンガン叩いて形状を整えようなど無謀にもほどがある。
俺がステンレスをそうそう採用できない最大の理由はこれだ。
皇国はジェットエンジンにおいてステンレスを採用して大変苦労したというが、タービンブレード1つ作るのに苦悩するような部材だった。
まだ加工法が確立していてどうにかなるアルミ合金の方が流体力学でもって対応していけるからこそ、Cs-1に運命を託して戦っているわけだ。
遠心分離機においてもステンレスを用いたくないのも同様の理由からである。
今の時代においてはステンレスは避けて通るもの。
それがエンジニアの中では半ば常識化している。
だが、ステンレス以外に錆びない刀剣を作るに適した素材が他にないのも事実。
軍刀を作刀する現代的な刀工達は、日々研究を重ねてステンレス刀の実用化を目指すこととなる。
その中で最も先頭に立った者こそが、他ならぬ兼永であった。
岐阜は関の刀工。
中でも正宗に勝るとも劣らないと言われる、俺が知る限り最大大業物級を作刀できる最後の刀工こそが彼である。
本来の未来においてヤクチアは皇国を根底から折るつもりであったので、刀の製造など当然にして禁止にされた結果……
皇国には刃物を作る刀工こそ残ったものの刀というものは存在そのものが抹消され一部の美術品がかろうじて残ったに過ぎない。
ゆえに間違いなく最大大業物級を生み出せる刀工など、後の時代に生まれてくることなどないはずだ。
あの共産主義者達に刀のなんたるかなんて理解できない。
俺がやり直す頃においてはNUPの漫画キャラクターが不思議とメインウェポンとしていることがあったが……自国の武器なのにNUP発祥の武器と勘違いする若者が多くいた。
ヤクチアの宣伝のせいだ。
ヌンチャクだって華僑の武器じゃない。
我が国の立派な武器なのに……そういうのは全部他国のものと洗脳されていた。
刀の終焉は二度目の戦に負けたことが全てだろう。
未来の記憶を持つ今ならそう言い切れる。
だが俺が思うに、仮にNUPからの無条件降伏を飲んでNUPの主導によって戦後の皇国が立て直されたとしても、刀が美術品以上の存在となることはなかったと考えている。
なぜならば現代の刀工にも少なからず美術品以上の価値を否定する者が存在するからだ。
彼らの活動をNUPが支持することは間違いない。
武器、兵器など全てを取り上げて国全体を農耕地としたいと考えていたらしいからな。
酷い封建社会を作る腹積もりだったのは知っている。
実用性を求めた優れた刀を生み出そうとする現代の動きは、恐らくNUPだろうがヤクチアだろうが叩き潰されていたことだろう。
そしてNUP主導ならばその影響が薄まった頃に再評価されていくのだろう……まあ、その頃には俺はもうこの世にはいないし、そもそもが仮説の話だ。
そうさせないがために戻ってきたようなものなのだから、努力するだけだ……
なんだか刀からやや逸れていったような気がするが……
ともかく、現代においてはむしろ刀というのは実戦刀剣として再び進化の道を辿っているといえる。
今がまさに刀剣と刀工が幕末以来、再び輝きを見せる時代。
ゆえに刀工達は現代の新技術を活用して自らが生み出した新たな刀剣の姿を良に広めようとしていた。
兼永もまた、そういった活動には積極的であった。
……そしてこれは最近になって知ったことなのだが……俺がサバイバルナイフの原型として見出した小刀は兼永作だったりする。
つい最近、品評会の記事を書いていた雑誌を見てその事実を知った。
兼永が作っていたのは一般的な太刀に類似するかのような軍刀ばかりではなかったのである。
彼はこういった実用性一辺倒な小刀の方が今後の主流となると考え、一連の存在をポケットナイフと呼称して販売しつつ、品評会や展示会などにも度々持ち込んでは披露していた。
そのうちの1つが試供品として技研に提供されていたのであるが……銘が同じであった事に今更気づいたのである。
この試供品こそがサバイバルナイフ製造を依頼するキッカケとなった品なのだが……
今にして思えば銘を確認すべきだったと恥ずかしくなる……
試供品はステンレスではなかったために兼永と結びつかなかったのはまことに失態である。
そういった、各所に提供したり披露していた中に存在したのが各種合金によるナイフ達であり、その中には彼が独自の冶金技術によって生み出したステンレス鋼の材質のものもあったのである。(正式採用されたサバイバルナイフも合金製である)
後に関の品評会にてこれらが評判を呼ぶと、彼は陸軍と共に更なる研究に励むこととなるのだ。
すでにこの時、公開はしていないがステンレス刀自体の作刀にも成功していたようであり、陸軍の金属系の工学博士である川中義弘中将が偶然その品評会を目撃し、作られたまだ未成熟な段階であるステンレス刀の実物を見せられたことが切欠となって声をかけたのである。
2593年のことであった。
以降3年にも及ぶ苦労の末、2596年についにその刀は完成する。
3年間ほぼ不眠不休にて編み出した独自製法によって生まれた刀……それが俗に言う兼永の耐錆鋼刀である。
登場するやいなや将官らを中心に大流行し、各種新聞や雑誌においては「巷で大流行の兼永の刀」と呼ばれるソレは……
秀逸な成分配合による非常に優秀な性能を誇るステンレス鋼を素材としており、秘密の製法によって信じられないことにステンレス刀でありながら刃紋を纏っているのである。
兼永以外においてこの特徴を有したステンレス刀は存在しない。
ゆえに刀にはそこまで精通していない俺ですら、今手元にある刀の刃を見た瞬間に兼永と判断できるほどだ。
加工法の難しさから、直刃以外不可能というのが兼永のステンレス刀が登場するまでの常識であった。
ところが兼永は成分の異なるステンレスを重ね合わせたのではなく、焼入れなどの一連の作業においてステンレスの成分を表面と刃でやや異なる状態のもとして纏わせることに成功していた。
ゆえに刃紋は乱れており、均一の波打ち方をしてはいない。
それでもその姿が美しいと言えるほどに光沢のある白金色をしていたのだった。
ヘタに焼き入れすれば茶色くにごった色となるステンレスに対し、そうさせない技術には感嘆するばかりである。
つまりこの刀にもやはり心鉄はない。
というより、数少ない兼永の書き残した記録において"ステンレス刀に心鉄はステンレスの性質から不可能である"――なる言葉を残しており、実用性もあってこのように刃紋を施している一方、心鉄に対する拘りのようなものはこの頃の多くの軍刀製作者同様、やはり彼にもなかったのであった。
当時の新聞においては"古刀や軍刀の価値は切れ味ばかりと言われるが、兼永のステンレス刀は実用性だけでなく美術品としての価値も大変高いものと見受けられる"――と書かれている通り、その美しさは群を抜く。
見た者を魅了し、以降ステンレス刀及び軍刀は皇国で大いに受け入れられると同時に、将校らが我先にと兼永に注文して刀が届くのを心待ちにする日々を送ることになるのだった。
丁度この頃より、軍が呼称していた"新皇国刀"という名称が各所にて広まり始める。
言わば兼永こそがこの名を不動のものとし、その道を切り開いた偉大な刀工なのである。
それをまさかのステンレス鋼でもって達成したのであった。
その評判たるや、求められるがままに元幕府の将軍家の子息や皇太子殿下にステンレス刀を献上することになるほどで、ただ美しいだけでなく切れ味も抜群なのであった。
記録に残されている限り、彼が認めた業物には大作と銘が打たれるのであるが……
その大作の1つは5つ胴と対等な状態の、鹿や豚を五段以上重ねたものを容易に切断させてみせたという逸話が残されているほどだ。
他にも台座に据えて12.7mm機関銃にて射撃を試みた所、その弾丸を一刀両断に処したとも言われる。
ステンレス刀はバネのようにしなって折れにくいが切れ味が鈍く、武器として有用ではない……それが後世の常識とされているが……
そんなのはそこいらの刀工が周囲からの需要に応じてとりあえず形にしてみせただけのステンレス刀に過ぎない。
現代の正宗と呼ばれる男の作りしその刀は、ステンレスでありながら正宗や虎徹といった並み居る業物達と並ぶ切れ味を誇っていた。
そして何よりも、それらと比較して極めて錆に強く、非常に折損しにくいバネのごとき特性を誇っていた。
ステンレス鋼の特長である、極低温環境でも金属の性質が落ちにくいという利点を持ち、ヤクチアのような-40度に近い環境でもその性能を低下させなかったといわれる。
NUPの海軍との調印式に宮本司令が杖代わりとしていたものもソレであるが……残念ながらあちらは大作ではなかったはず。
ちなみにどうでもいいが西条の愛刀は家州清光作のいわゆる新刀であり、西条はなぜかこの刀に非常に拘っていたのだが……実はそれにちなむどうでもいいエピソードもある微妙な刀である。
実は西条、禿げていない。
禿頭なのではなく剃っている。
剃るに至った理由は自身の愛刀である家州清光に起因する。
今より十数年前、とある料亭にて東山満と会談をしていた西条は東山より「――かような新刀では桜の木すらも斬れぬ」――とからかわれ……
新撰組のかの有名な男の愛刀と同じものが、そのようなナマクラなどと嘲笑されるがごとき刀などでは決してないと激怒した西条は「――この御刀にて桜の木を一刀両断に処して証明してみせよう」――と……
負けたら頭を全て剃るという条件の下、店主に断った上で枯れかけた桜の木を両断しようとしたのである。
しかし残念ながらやはり新刀……性能は大したことなく、桜の木の枝を落とした段階で見事に折れる。
その日以降、彼は「武士に二言はない」――とばかりに頭を丸刈りにするどころか剃りきってしまい、トレードマークのような頭部となるのだった。(複数所有していたので以降も家州清光を愛刀としていた)
奇しくもその年は兼永が前述した新時代を切り開く合金ナイフを品評会に出した年であり、兼永初の未成熟なステンレス刀が生まれた年である。
兼永自体はステンレス刀を繰り出す前の段階から、関でも一位二位を争う名工の一人とされていたが……
これがもし兼永の作であったならば今頃目の前にいる男は時代に合わせたそれなりの髪型であったのだろうか……
なんにせよ、皇国首相の愛刀を遥かに凌駕する身の丈に合わない軍刀を送られてしまったのだった……
「……珍しくニヤケ顔をしているな。やはりお前でも兼永はうれしいのか」
「え、ええ……まあとても……」
まずい、目の前にいる男の頭部にまつわる話をなぜか思い出して顔が緩んだなどと悟られたくない……感づかれないように気を引き締めねば……
「しかしよろしいのですか……私のような者が受け取ってしまって。これほどの品ともなると日常的に携帯できないですよ」
現時点において兼永の刀は冗談抜きで何年先までも先約がいるといったような状態である。
しかも残念ながら兼永自体はあと2年で亡くなってしまう。
本来の未来においては関にて高級小型ナイフ店を営み、それが軌道に乗るか乗らないかといった道半ばの状況であった。
やり直した現在においては恐らくその高級小型ナイフ店が軌道に乗って、その御礼にと渡してきたものと推測されるが……だとしても2603年以降も存命である保証はない。
この機会を逃すと二度と手に入らない刀である。
正直言って軍刀を腰に据える趣味は俺にはないのだが……兼永となると別。
実物は俺のような刀と縁が浅い者すら魅了する存在だった。
極少数、国外に渡った存在を共和国の博物館で目にした程度だったが……可能ならば欲しいとは思っていた。
ゆえに陸軍や西条に献上したくは無かった。
西条は折れても尚、家州清光に拘っていたが……他の将校らが話を聞きつけたら譲れと圧力をかけてきて半ば強奪される状態にて譲り渡すことになるだろう。
西条はそれを避ける意味合いも込めて組合から一度受け取って俺に譲渡した形にしてそれを防ごうとしてくれているに違いない。
「そうだな……とあえずその鞘だけは変えた方がよかろう。将官向けの特注品ゆえに目立つ。しかし内地での軍務において刀を抜刀する機会は無い。他の軍刀と同じ拵えであるならば気づかれぬだろう。それで良いのではないか。良い技術者は良い工業製品をも手元に置いておくべきだ。そうは思わないか?」
「……有難く頂戴させて頂きます。やはり私も武家の出身ゆえに刀には惹かれてしまう人間ですので……」
「その刀に見合うよう、今後も精進しろ。わかったな?」
「ハッ!」
俺は西条の言葉に甘え、素直に兼永が業物と見極めて「関住奈良太郎富士宮兼永以耐錆鋼作之大作」を受け取ることした。
表向きは九八式軍刀であるため、黒柄九八式軍刀拵とだけ説明して誤魔化すようになるものの、紛れも無い大業物を一端の佐官が携帯するようになるのだった。
◇
立川の自宅に戻った俺は大急ぎで受け取った刀の鞘を調達することとした。
その際に改めて銘を確認し、間違いなくそれが大作と名づけられていることを確認する。
桐の箱の裏に刻まれた刃渡り二尺二寸五分。
この長さ……紛れも無い太刀である。
打刀などと言われるようなものと比較して随分な長さである。
兼永はかねてより、皇国人の平均身長が幕府が支配した頃より伸びていることを実感していた。
ゆえに従来の一尺九寸未満といった長さの新刀では短いと判断し、その長さを二尺一寸五分以上とした。
彼が遺した多くの刀は二尺二寸以上。
この刀もその例に漏れない。
銘を見てわかるのは……未来の皇国のサバイバルナイフと通じる構造が見受けられることである。
こと兼永のステンレス刀は、非常に肉厚かつ長い茎であることが特長。
それこそ晩年であればあるほど長い。
2596年当初のステンレス刀はそれほどではなかったが、大作と名づけられた多くの刀がフルタング構造かと言いたくなるほど非常に長く重い茎を有している。
この構造の理由が実は定かではない。
当人はその説明などを特に書き残すことなどしなかった。
一般的に茎の長さはある程度までにしておかないと、テコの原理で攻撃する刀の特性上、重心が持ち手である柄に偏って刀身の重さを活かした攻撃ができないとされる。
ゆえに茎はある程度の長さかつ刃厚とし、重心点は切っ先に向けて調節するのが当たり前。
にも関わらず、優れた刀剣と言われた兼永の刀は重心が柄に大きく寄っているのだ。
ステンレスの特性を考えるなら……より折れにくく、より粘り強い特性を刀に与えんがためにそうした可能性はある。
茎が短いと刃が大きくしなった状態を手で受け止めきれないのかもしれない。
柄が重い方が踏ん張れる感じはするが……
なんにせよ、ステンレス鋼向けに進化した刀であると言えよう。
この結果、この刀は文字通り己の力のみで叩き斬らねばその切れ味を活かすことは出来ない。
刀としては斬るのにより技術が必要となる玄人向けのものとなっている。
それでも果し合いにおいて新刀を連続で6本7本叩き折ってしまったと言われるぐらいなので……
もはや新刀程度では勝負にならない現時点での究極系とも言える刀であるのは言うまでも無い。
この構造……俺がやり直す頃のステンレス製のバトルナイフに通じるな。
そしてサバイバルナイフにも通じる。
両者共に耐久性と日常使いにおいての実用性を極めようとして、極めて厚く長い茎を有しているが……
この時点ですでにその領域に足を踏み込んでいる刀がこの世に存在するわけだ。
出来ればその製法を知りたい。
将来のステンレス系刃物は粉の状態で型に詰め込まれて成型しつつ焼成して作り上げる粉末冶金と呼ばれる製法が主流だ。
型に詰め込んで圧力をかけることで均質圧延鋼板と同様の原理でもって再結晶化を促すことで従来とは比較にならない硬度と靱性を両立させることが出来る上……
粉状の部材を練り合わせることで刃体全体の分子の格子構造を一定化することが出来、その構造を極めて安定的として頑強にできるという戦車の装甲などにも通じる技術でもって作る。
俺が思うに兼永も似たような製法としている気がする。
普通の作り方ではない。
これは航空機の構造部材の軽量化にも繋がる技術。
彼を通して教えてもらえないだろうか……亡くなる前に声をかけてみよう。
――しばらく刀に見とれた俺は、その後すぐさま技研の刀剣類に詳しい職員に掛け合い、二尺二寸にも対応した汎用の九八式軍刀の金属鞘を譲ってもらった。
しばしの間こちらを借りつつ、きちんとした黒柄の九八式軍刀の木鞘を拵えてもらう。
その日から常に手元に刀を据えたエンジニアの姿がそこにあったのだった。
◇
――そして数日のうちに違和感に気づいたことがある。
――求めていたサバイバルナイフの方はどうしたぁ!?――
本当に必要なのはそっちの方なのであった――