第134話:航空技術者は翼を折り曲げる(中編)
――会議はその後も続いたが、議題がさほど俺と係わり合いがない分野へと移行したたために俺は一先ず立川へと戻る。
こちらも足踏みしているわけにはいかない。
スピットファイアの改良案についてフッカー卿らに提案し、具体的な改良機を作り始めねばならないのだ。
今の俺にはそれなりに焦りもある。
本来の未来であればそろそろFw190が産声をあげた頃合。
このFw190が本来の未来より性能が高くなっている可能性が高い気がしてならない。
あっちはP-39を通して排気タービンなどの技術を得ているはずだ。
俺が思うにFw190は排気タービン持ちなのではないかと推測する。
最高速度もかなり速い気がする。
それに対抗するにあたり、百式戦闘機では正直厳しい。
こいつにホ5の20mm機関銃を搭載したって一撃離脱に徹されると振り回されて苦戦するのは必至。
攻撃の一撃目を回避できれば加速に難がある空冷エンジンタイプのFw190Aに類似した機体ならば倒せるかもしれないが……
万が一DB603を最初から搭載していた場合は、その後の加速でも負けてしまうので非常に厳しい戦いとなる。
今の所、初期量産型はDB603を搭載した機体ではないという情報が入ってきているが……全方位で勝てる主力戦闘機としたいならばDB603あたりを積んで立ち向かう選択肢をタンク博士なら絶対に選ぶ。
彼はそういう性格だ。
近いうちにFw190Cに類似した機体が出てくるはずだ。
そしてそいつは700kmオーバーの機体に仕上がっているはず。
Fw190Cの中でも排気タービンを装備していて、高度1万3000mまで昇れたタイプ……
あれの完成形をどこかで絶対に出してくる。
第三帝国は現状、大半の地域において制空権を完全に奪われている。
DB605を悠長に待っていられるような状況ではない。
……もしかすると手当たり次第様々なエンジンを積んだタイプを繰り出して対抗してくるやもしれない。
真正面からその戦闘機に対抗できる皇国の戦闘機はまだ開発途上の重戦闘機だけ。
重戦闘機はまともに戦場に送り出すまでまだ1年はかかる。
だとすると皇国の戦闘機での対抗は不可能だ。
だからこそ、まともに対抗できる戦闘機としてスピットファイアに期待しているのだ。
早期に強化型のスピットファイアを繰り出してFw190Cクラスの化け物に対応できれば戦局が大きく傾くことはない。
ゆえに今回、俺は技研内にとある機体を改めて取り寄せた。
出来立てほやほやのスピットファイアMk.Ⅴである。
フッカー卿らは技研の突然の要求に首を捻って不思議がっていたが、当然にして理由があった。
スピットファイアMk.Ⅴ。
はっきり言って間に合わせの機体で、実はMk.Ⅰから大幅な進化はしていない機体である。
Mk.Ⅰからの変更点はエンジン以外は主翼の一部が帆布だった状態から全金属製へと変わったのみ。
しかしこの機体こそが全スピットファイアの中で最も生産されたタイプであり、スピットファイアの主力となった機体である。
正直言って他が酷すぎた影響で評価されて大量生産に至った急造機体である一方で、急造機体ほど優秀であるというスピットファイア伝説の始まりの鐘を打ち鳴らす名機であった。
同時期のスピットファイアについては、Bf109に上手いこと対抗したMk.Ⅰをパワーアップさせようとして大してパワーアップに成功できず、期待ハズレと言われて少数生産で終わった"Mk.Ⅱ"。
一段一速から一段二速のスーパーチャージャーに変更したマーリン20を搭載しつつも、スーパーチャージャーを妙な機構としたために、エンジンの信頼性が絶望的に低くなり採用されなかった"Mk.Ⅲ"……
そして今現在において試作中であるが、エンジンがまだ試作段階で完成には程遠いグリフォン搭載型Mk.Ⅳなどがあるが…Mk.Ⅳがまともに飛ぶのは来年以降となるだろう。
この未来に変化はないと思われる。
本来の次元より変わった状況と言えば、アペニンが技術者を派遣して開発に参画していることぐらいか。
彼らはここでグリフォンエンジンに関するノウハウとグリフォンエンジン搭載型高速戦闘機のノウハウを得たい様子であるようだ。
この機体はじっくり開発が続けられた結果、対Fw190を目指したMk.XIIとなって日の目を見ることになるが……開発が中断されなかったとしても、それは来年以降の話となろう。
それ以外においてはMk.Ⅴを除くとMk.Ⅵが存在するが、こいつは高高度飛行用を目指していたのに一段一速のマーリンを搭載していた失敗作。
機体自体の性能はまるでパワー不足で話にならず、高度1万mを少し超えたあたりで息をついてヘロヘロとなってしまう上、ありとあらゆる部分において構造に稚拙な部分が見受けられた。
フッカー卿が皇国に持ち込んだMk.Ⅶの原型はこのⅥをベースに最新鋭の二段二速マーリンを搭載した機体で、こいつでもって第三帝国の最新鋭戦闘機に対抗しようと彼らは考えている。
つまりMk.XIIの代わりになることも考えて、当初より皇国の技術による改良案というのを求めていた。
しかし俺はこのMk.Ⅶでは間に合わないと考えている。
なぜならこのMk.Ⅶ……胴体構造が大幅に変更されているのだ。
その理由は与圧室にある。
与圧室……名前だけ聞けば非常に先進的で極めて高性能な戦闘機が装備する存在であると思いたくなる……
だがこの与圧室、スピットファイアにおいては半密閉式与圧室と呼ばれる機構のもので、完全密閉はされていない代物だった。
未来の戦闘機の与圧室に通じる存在ではあるが、高高度飛行をする上では不完全なものだったのだ。
与圧されても高度7000m相当程度の気圧にしかならないのである。
しかし王立国家にとってはそれで十分だったのだ。
なぜなら、こいつは単体で使用することを考慮したものではないからだ。
酸素マスクと併用して使ってはじめて効果を発揮するものだったのである。
……実は王立国家……まともな酸素マスクと酸素タンクを作れなかったのである。
案外簡単に思えるかもしれない酸素タンクと酸素マスク。
意外なことに、これはきちんとした構造でなければ高高度において加圧状態の酸素をパイロットに送り込めないのだ。
例えば登山をする者なら知っているだろうが、標高が高い場所においては持ち込んだお菓子の袋が膨らんでパンパンになることを何度か経験していることだろう。
これは気圧差によってお菓子の袋内部の大気が外の気圧に合わせようと逃げようとするからである。
だが考えてみてほしい。
この時、このお菓子の袋内の大気はどうなっているかを。
膨らんでいるということは当然、地上よりもこの中身の大気は気圧が低くなっている状態……つまり酸素が薄い状態にある。
高高度飛行をする場合では、例え酸素タンク自体の構造がきちんとしていても酸素を送り込むマスクやチューブなどの一連の構造がきちんとしていなければ……
例えばチューブ構造がただのゴムでしかないならばチューブが膨らんでしまい、求めた圧力の酸素を装着者に送り込めない。
王立国家はなんとここに苦戦していたのだった。
半密閉式与圧室は、これへの対応のために考案された苦肉の策だったのである。
考え方はこうだ。
――気圧が外と同じ状況で酸素マスクが適切な酸素をパイロットに送れないなら、機内の気圧を上げることが出来れば酸素マスクの性能を保てるんじゃね?――
実に紅茶を飲んでいないと思いつかない解決法である。
気圧に関しては機体から逃げる大気の量よりも機体から送り込まれる大気の量が多ければ、当然にして機体内の気圧状況は外よりも高くすることが出来る。
スピットファイアはルーツ式と呼ばれるエンジン動力の一部を利用して稼動するエアコンプレッサーによって機内に大量の大気を送り込んで機体内の気圧を高度1万2000m程度でも5000m~7000m程度にすることで、酸素マスクの性能不足を補おうとしたのだった。
一連の構造導入にあたってはそれまでのスピットファイアに存在した乗降用サイドドアなどをオミットしたりし、全体的に密閉率を高めるためにありとあらゆる部分に手を加えている。
結果胴体全体がほぼ別物となって量産に手間取り、結局胴体構造が複雑になりすぎて少数量産で終わった機体だった。
最終的に彼らは胴体部分に関して一番最初の状態が最も安定して高性能であり、殆ど手を加えず涙滴型キャノピーを導入した程度で収めた状態に留めるようになる。
実はスピットファイアもまた、本来の未来の零並に拡張性が低い機体だったわけだ。
一方で……一番最初に設計された設計こそが極めて秀逸かつ優秀であり、構造変更の余地がない部分をあえて残して上手いこと改良することで、その性能を戦前設計ながら戦中最強クラスのレシプロ戦闘機にまで仕上げられるだけのポテンシャルも同時に存在した。
つまり急造機体ほど活躍するのは、あえてあれこれと手を入れないことで逆に不具合などを発生させることなく順当にパワーアップしてしまう、最初の段階の設計の素晴らしさを自らの性能でもって体現しているというわけである。
現段階においては残念ながらそういう機体であるということを知らない彼らは、皇国の力ならMk.Ⅶをより完璧な状態とし、早期に戦線に投入できると考えていたが……
正直言ってこれでは全然間に合わないし、皇国の力の借り方を間違っていると言わざるを得ない。
なぜなら、皇国は酸素マスクにおいては所定の性能を満たしたものを保有しており、高度1万2000mを現段階にてごく普通に飛べるからである。
わざわざ半密閉式与圧式なんてものをこさえる必要性がどこにもないのだ。
我々は2597年の時点で普通にそれを可能としていた。
戦後、戦中用いられた酸素マスクの信頼性不足が後の時代を生き残った皇国のパイロットから指摘されることがあるが……
それは物資不足によって工作精度が落ちたからであり、皇国のパイロットは1万2000mまで酸素マスクだけで飛べた。
ルーツ式エアコンプレッサーとヒーターの組み合わせによる空調システム自体は悪くないので捨てないとしても、密閉式胴体構造とする理由は無い。
ゆえに胴体構造がMk.Ⅰより全く変わっていないMk.Ⅴのが都合がいいわけである。
それこそ、どの部分を弄っていいのか知っていて、どの部分に手を出しては駄目なのか未来の知識によって熟知している俺にとっては、現段階においてMk.ⅠかⅤ以外をベース機体に選ぶ理由などなかった。
王立国家側が用意した、重くなる上に構造が複雑化する現在のMk.Ⅶの原型試作機をそのまま土台として採用した上でMk.Ⅶにする気など、さらさら無い。
俺が考える完全なるスピットファイアMk.Ⅶとは……胴体をMk.Ⅴ、翼をラジエーターなどを大型化させた構造としたMk.Ⅶのものを活用したものである。
だから技研の者達にも翼の図面だけこさえてもらっていたわけだ。
当初より胴体を流用する気などなかったのである。
王立国家側の人間はそれを知らないが、技研のメンバーはどうも薄々気づいていたらしい。
俺がMk.Ⅴを取り寄せてから数日もしないうちにMk.Ⅴの胴体構造に関する図面を書き起こして提供してくれた。
これを基に現時点で非常に強力な戦闘機に仕上げて見せようじゃないか。
◇
――設計室に引きこもった俺は書き出された図面を見て、未来のスピットファイアに関する情報と刷り合わせてどの部分を改良するか草案を練り始める。
とにかく重要なのは"早期に量産に移行できる"という一点に尽きる。
Mk.Ⅶには排気タービン装備タイプのFw190Cとまともに戦える機体であるだけでなく、今年の秋には量産して投入できる状態でなければ……Fw190が出てきて第三帝国に制空権を奪われかねない。
ゆえに大幅に弄れる部分はそう多くない。
スピットファイアにおいて簡単に構造変更ができる部分は、翼端、垂直尾翼のある胴体後端、コックピットより先のエンジンなどが納まる胴体前端……これだけだ。
スピットファイアの胴体構造は実は一体型。
簡単に構造変更できる余地がないのだ。
今後の改良の上ではこのコアとも呼べる部分をどうするかで技術者達は苦労する事になる。
実は翼の改造などの方がよほど簡単な仕様となっていたのだった。
まあ現在の製造ラインから考えると主翼も大幅に弄れないのだが……
ともかく……たったこれだけの組み合わせでスピットファイアの性能を大幅に向上させねばならない。
こいつはたまったもんじゃないな。
まるで未来のゲーム世界における"縛りプレイ"というやつだ。
皇国民は数多あるコンピューターゲームなどに興じられるほどの余裕など与えられなかったが、FPSゲームなど明らかに戦争や戦闘を意識したゲームだけは(ヤクチア製のものだが)例外として遊ぶことを許されていた。
そこにおいてあえて条件を縛るプレイングとすることと似ている。
主翼やらなにやら全部手を入れたくなるが、残念ながら不可能である。
主翼表面に突起物などを付けるだのなんだの構造部材に干渉しない程度に留めるというならば、ある程度いろいろ出来ることは出来るが……なんて厳しいんだ。
俺がスピットファイアにおいてやりたいことはまず1つ、飛行安定性を向上させたい。
速度が向上するに従い、スピットファイアは高速領域にて機首の反応が敏感となって失速しやすくデリケートかつピーキーな飛行特性となってしまった。
とにかくこいつをどうにかしなければならないと感じる。
計算上、Mk.Ⅶの最高速度は730km以上出る。
その状態で不安定な飛行特性では、一部のエースパイロットにしか運用できない機体に成り下がってしまう。
それでFw190Cクラスが出てきた場合に対抗できるとは思えない。
あっちは巨大なラジエーターの影響で逆に飛行特性が改善されて極めて操縦性に優れた名機。
あれに対抗するには相応に安定した飛行能力を有する必要性がある。
そのため、まず胴体構造においては当然にしていつものごとく垂直尾翼を前側に配置し、水平尾翼を後ろに配置する構造へと改める。
50本のボルトにて接続された垂直尾翼や水平尾翼などがある胴体後端部分のユニットを丸ごと別物に交換してしまうのだ。
この部分はユニット化されているので簡単に改造可能なのである。
そのおかげで同じ機種でも尾翼形状が異なるなんてスピットファイアにはよくあった。
これはユニット化されているエンジン部分においても同様の現象が発生し、Mk.Ⅸなんてエンジンカウルのパターンがいくつあるかわからない。
確か4パターンぐらいあったと記憶している。
本来の未来におけるMk.Ⅶですら尾翼形状が垂直尾翼と水平尾翼のパターンが2パターンあるせいで4パターンものバリエーションがあった。
おかげで未来における模型作りにいそしむ者達ほど、このバリエーションの多さに極めて苦労させられるというほどだ。
俺も見ただけでは見分けがつかない機種がいくつかある。
俗に言うレア機という奴で、スピットファイアはこの細かいバリエーションを含めたら実際には冗談抜きで100種類ぐらいあるらしい……アンテナ構造やら何やら様々な部分で違いが異なる個性豊かな機体群が存在するわけだ。
ただ重要なのは、コアとなっている部分の設計は殆ど変わらずに各バリエーションが存在している事。
後期型に至るまでに大規模な構造変更も多少はあったが、その構造変更も中身を見てみると案外最初の設計を踏襲していたりする。
ここはそう簡単に変更してはいけないわけだ。
俺もファストバック型を改めるということは開発期間短縮のためにあえてしない。
弄った日にはどう転ぶかわからない。
正直不安要素しかない。
そういうのは出来上がった機体が活躍している間に次の改良案として涙滴型キャノピー搭載としたものを開発すればいいだけだ。
……で、胴体コア部分を弄らずとも、こうするだけでも垂直尾翼の効果が増大し、ラダー操作が不安定になる不安は解消される。
しかし、これでは高速域おいて昇降舵を操作すると急激に機首が上がって一気に失速したり、その後その状態を修正しようとすると逆に一気に機首が下がってフゴイド運動に近い動きを示すことへの対応とはならない。
これだけでは、計算上フゴイド運動どころか急降下しながらラダー操作するとダッチロールなどを起こしかねず、高速領域の性能は全く改善されない……水平尾翼の性能が足りていないためだ。
よって水平尾翼にも手を加える必要性がある。
このような現象を生む原因はわかっている。
翼から剥離して乱流となった大気の流れが昇降舵の能力を大きく低下させているのだ。
もう1つの要因としてエンジン排気が直接尾翼にぶつかっているというのもあるが、Mk.Ⅶとなる予定の機体はタービンにて排気エネルギーを回収する関係上、Fw190Cのようなやや長い排気管によって一旦外に露出した状態からコックピット付近より翼内に納まってタービンへと向かう構造となるので、排気ガスの影響は受けなくなる。
それでも主翼から受ける影響は速度向上によってむしろ一気に増大するので、排気管を装備する前より乱流は酷くなっている状況になるのだった。
これが尾翼によろしくない影響を与えている。
主翼自体は高速領域でもそれなりにがんばってはいるが、やはり戦前設計ゆえに高速となると気流剥離は激しい。
その影響を機体を上下に動かすための水平尾翼がモロに受けている格好だ。
ゆえに水平尾翼においては大きな構造変更が必要となる。
さて……どうするか……