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航空エンジニアのやり直し ~航空技術者は二度目に引き起こされた大戦から祖国を守り抜く~  作者: 御代出 実葉


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―皇国戦記260X―:3話:第三帝国の黒い鴉その1

続きます

 私もずいぶん年を重ねた影響なのか、ここ最近は仕事中によく白昼夢を見ることが多くなった。

 発展する力学に己の技術理解が追いつかぬことを自覚するようになってからだろうか。


 過去の栄光を思い出すかのように、仕事が煮詰まると当時の技術理解が遅れていた己を思い出す。

 恐らく短い間だが眠ってしまっているのであろう。


 その時にはいつも同じあの頃の夢を見てしまう……

 40年前のあの時のことを――


 ◇


「――タンク博士! いらっしゃいますか!」

「見ればわかるだろう。作業中だ。有益な情報が無いならばこちらへは来ていただけるなと軍には何度も申し上げていたはず――」


 私が今見せる言動は若き士官に対し冷たい態度のようにみえるが、当時はそれどころではなかったのだ。


 皇国では2600年と言われた記念の年。

 その時点での我が方はまだ事を優位に進めていたと勘違いしていた。


 しかし相次いで投入される皇国の新兵器に冷静さを取り戻すと同時に生まれた不安が混乱をもたらす。

 不安の種は大きく分けて3つ。


 1つは8.8cm砲を装備する自走砲。

 突如として現れたその戦車は、誰しもがありえないと口を揃える代物である。


 まだ試験車両であるらしく皇国はこれを突撃砲として正式採用したい構えであるようだが、わずか20t程度の戦車すら作れなかった国が、我々とまともに戦えうる突撃砲を用意したというのだから、今後の主力となる重戦車の設計思想などに大きく影響を及ぼしたのは言うまでもない。


 もう1つが、我々が先行して出して世界に見せ付けたヘリコプター。


 あちらの方が明らかに完成度が高く、我が社はフォッケ博士だけでなく私まで総統閣下に呼び出されて彼の執務室にて叱責を受けた。


 その叱責たるや後一歩で「収容所」という単語がでかかったほどである。


 ただし、我々には「そうなりたくなければ――」という言葉と共に新たな指令が下されることとなったのだ。


 フォッケ博士は元々固定機よりも回転翼機に興味を持ち始めていたが、改めて対抗できるヘリコプターの開発を命じられることに。


 試験的にしか使えないような代物を祭典の場で技術を誇示するがごとく見せ付けたところ、その性能を大きく凌駕する実用量産型で対抗されたことに閣下はプライドを大きく傷つけられたらしい。


 お前が蒔いた種なのだからお前が刈り取れといわんばかりであった。


 その叱責の一方で我々に対して相応の期待感も抱いてはいた様子ではあったのだが……

 私にも新たな命令が下され、その日から多忙の日々を送ることになる。


 それが3つ目の不安材料に縁由したものであることは疑いようがなかった。


 そう、戦闘機だ。


 Me109……皇国がBf109と呼ぶ主力戦闘機は、当初より活躍の場が殆ど得られないほどの性能格差が生じていた。


 NUPの当時の雑誌においてですらエアファイターギャップなどと語られていたほどである。


 この要因は、Me109に対抗してくる王立国家のスピットファイアが機動性と運動性、最高速度に関してバランスの取れた機体であっただけでなく、製造や保守管理の面でも優れた航空兵器であったからなのと……それ以上に活躍の場を奪った皇国の機体によるものである。


 キ47と呼ばれる双発戦闘機と、キ43と呼ばれる単発戦闘機のせいだ。


 我々が軍より与えられた事前情報においては、キ43は恐らく97式主力戦闘機と呼ばれた存在とそう大差のない戦闘機ではないかとにわかに囁かれていた程度の代物。


 皇国がソレを軽戦闘機と呼称していたので、本当に危険なのはキ47であると……そう推測していたのだった。


 ところが実際にはキ43が全方向でMe109を上回る戦闘機であったことで、Bf109の評価は乏しいものとなり……ついに改良計画が凍結されてしまったのだった。


 Me109は拡張性があまりにも無さすぎたのだ。

 シュミット博士は閣下からの信頼を大きく損なう機体を主力として投入させてしまったのは言うまでも無い。


 空軍参謀は諜報部が持ち込んだ情報に激怒したと聞いている。


 ――「あれのどこが軽戦闘機だ! 普通に高速重戦闘機だ!」――と。


 キ43はキ47の20mm機関砲4門よりか攻撃能力は下がるものの、最高速度は水平飛行で600kmを越えており、スピットファイアより速かった。


 これは排気タービンを装備していない初期型のモデルでもそうで、高度が高くなるとエンジン特性の影響でスピットファイアの方が上回っていたといわれるが……


 後に排気タービンを装備し始めるとスピットファイアよりもどの高度帯においても速かったので、とにかく我が軍のパイロットは警戒していた。


 プロペラ音が静かなので音で聞き分けることができたが、音が聞こえたらMe109のパイロットは生きた心地がしなかったと聞いている。


 結局、Me109は早々に開発停止。


 キ43である百式戦闘機に対抗するために、信じられないことにNUPから極秘裏に入手した戦闘機を投入することになってしまった。


 奇怪なエンジン配置のアイツである……正直私にとってそれは受け入れがたいものだ。

 技術者としてそれは完全敗北を意味していた。


 実質的に味方ではない国から極秘裏にわたってきたもので対抗するなど……


 ……今にして思うと諜報部や軍上層部は油断していたなといわざるを得ない。


 それに関して一言申せと軍情報部から求められればこう応じよう。

 こちらがしくじった最大の理由は空冷型エンジンを甘く見ていたことだ――と。


 もっと多くの情報を集めてエンジニアである私達に提供してくれれば、百式戦闘機の性能は早い段階から高性能だったと解明して警戒し、準備できたはずだったのだ。


 大体が皇国は5年以上前から航空機関連の技術が急成長していたことを軍部は見過ごしていた。

 メーカー直属である我々は断片的な情報からしか判断できないが、皇国の航空技術研究所に出向した者はその成長を警戒していたものも少なくはなかった……


 例えば97司偵と呼ばれた高高度飛行可能な偵察機……今思えばあれを出せた時点で百式戦闘機は十分製造可能だったといわざるを得ない。


 百式戦闘機と開発したメーカーは異なるが、各メーカーの技術格差はそう大きくなかったと思われるがゆえに今ならば断言できる。


 四菱自体ですら足踏みすることなく、97司偵の直接の後継機たる百式司令部偵察機と、それを汎用攻撃機に仕上げてみせたかのようなキ47を投入してみせた。


 百式戦闘機はそこから見ると劣るが、あの発展スピードから逆算すれば長島で作れないはずが無い航空機だった。


 皇国は世界で始めて空冷エンジンで600km/hでの高速飛行を達成した国。

 わずか数年で非武装の航空機において200km/hもの速度向上を果たしていたのだ。


 あの試験機のエンジンカウルや胴体構造はそれまでの皇国の航空機から著しい進化を遂げていたにも関わらず、警戒しなかったのは大きな失態である。


 彼らは速度試験用の航空機と実際の戦闘機は大きく性能的な乖離があるはずだと思っていたようだが……もっといろいろ細かく調べてくれていれば……などと思わざるを得ない。


 それは責任転嫁のように感じなくも無いが、出向したエンジニアも警笛を鳴らさずじまいだったことを考えると私達にも相応の責任はあるかもしれない。


 私は当時まだ社内での立場が弱く同行できなかったとはいえ、その責任を感じないわけではなかった。


 速度の壁はエンジン出力に左右される話なので、エンジン出力さえどうにかなればある程度乗り越えていけるもの。


 試験飛行の機体は1400馬力前後だったというが、多少重く構造が力学的に不利となる戦闘機であっても、あと400馬力ほどあればいいのだ。


 もはや後悔しても遅い話ではあるのだが……あの時エンジン開発の状況について探りを入れておくべきだった……ハ43について無警戒すぎたのである。


 諜報部はキ43の搭載するエンジンは14気筒で速度試験機と同じものだと言っていたが、実際に現れたのは18気筒で極めて高出力なエンジンを装備。


 2000馬力近くに達するエンジンさえあれば高度次第とはいえ600kmは容易い。

 キ43百式戦闘機は攻撃力を少々犠牲にすることで高い性能を得ていた。


 割り切った設計だが、機体内部には防御鋼板もあるらしく極めて撃たれ強い。

 7mm程度の機銃では話にならない。


 Me109が勝っている要素は20mmを装備していた……それだけ。

 皇国が20mmをキ43に装備させない理由は恐らくそれが不要なぐらいBf109は撃たれ弱いからであろう。


 打たれ弱いといえばNUPの機体もそうであったから、弾数をより多く機内に搭載できる12.7mmで十分としていたようだ。


 戦闘機は対戦闘機戦にのみ使う。

 割り切っているからこそ強い。


 Me109も割り切ってはいたはずなのだが……エンジン出力で大きく負けていた。

 だが挽回の余地がないわけではない。


 あの時我々はNUPからもたらされた技術により排気タービンの技術を得ていた。

 それも空冷型にも液冷型にも使えるものである。

 また、横流しに近い形で二段二速のスーパーチャージャーに関する基礎技術も得た。


 ゆえに閣下は「Fw190こそ真の主力たる戦闘機である」といって、私に国家の威信をかけた航空機開発を命じてくれたのである。


 それゆえに私はそう暇な人間などではなかった。

 実はその時、開発を命じられたもう1つの主力戦闘機の開発についても全てを任されていたのだった。


 全てはつい1年半ほど前。

 我が方を大きく揺さぶる情報が舞い込んできたところからはじまる。


 皇国が新鋭エンジンによる異次元の性能を得た戦闘機の開発を始めたという情報が我が国に入ってきたのだった。


 この時、なぜか皇国はわざわざそれを宣伝していたのだが……当初こそそれはブラフだと思われていた。


 しかし違ったのである。

 開発開始を宣言してから半年ほど。


 ゲーリング元帥によってその事実が明らかになると、我が国はその状況を見て焦りをみせはじめるようになるのだ。


 ただでさえ埋まらないギャップがさらに広がりを見せる……そんなことなど技術立国たる我々のプライドが許されるはずがなかった。


 だが状況は変わらず、それから1年ほど。


 皇国では2601年となったこの年。


 ついに皇国にはタキシングが可能となり、200km前後で飛行場を徘徊可能な実物大試験用モックアップが完成したことが諜報部の調査によって判明した。


 まあ判明したというよりかは……新聞で宣伝されていたのだが。


 そのようなことがあった結果、私は第三帝国の空に関する命運を左右する戦闘機の開発を2つも任されることになったのである。


 だからこそ、皇国のジェット戦闘機についてはとにかく情報がほしかった。


 もはや総合性能では絶対に劣ると判断した私は、何か弱点がないのかを探ってそこを的確に突くという、とても尖った性能の戦闘機を作って対抗しようと考えたのである。


 そこで軍にはとにかく先方の戦闘機の情報がほしいと強く要求していたわけだが、今、私の目の前にいる若き士官はメッセンジャーでこの皇国のジェット戦闘機に関連する情報をかきあつめて専門で持ち込んでくる男であったのだった。


 しかしながら彼は普段からどうでもいい情報ばかり持ってくるので、Fw190開発に忙しい私にとっては邪魔者以外のなんでもない。


 ゆえに私は大半の場合で門前払いしていた。

 だが彼はいつも私に対して「今日こそは」とばかりに挑戦状を叩きつけるがごとく向かってくる。


 うっとおしいことこの上ないのでその度に注意を促していたのだが、今日は雰囲気が少々ことなっていた。


「この写真を見てください。ついに機体の姿を捉えましたよ。博士がほしがっていた三面図と同じような構図になるよう、5枚の写真を撮影してきたんです」


 まるで自分がその場にカメラを持ち込んだかのような物言いだが、当然撮影者は別の人間。

 ただ彼は上の者にそれを手渡されて持ってきただけの郵便屋程度の立場に過ぎない。


 しかしそれを己が大業を成したがごとく誇るのは若者にはよくあること。

 批判も嘲笑すらも起こす気はなかった。


 そうさせたのも、写真が"それなりのモノ"である予感がしたが故ではある。


「なるほど……それは有益な情報だ。私が時間を割くだけの理由たりえる」

「そうでしょう。そうでしょう!」


 青臭い士官は何の常識もないのか、わざわざドローイングデスクの設計図の上に写真を重ねる。

 はっきり言えば屈辱以上のなんにでもない行為だが、今は許そう。


 我が方が入手した写真は真横と真後ろ、そしてやや斜め上側から撮影されたものと、斜め正面側、完全な正面を捉えたものの5枚。


 エンジンから出ている風流は周辺の草を大きく揺らしていることがわかり、間違いなくそれがジェットエンジンかつ高出力のものであることが予測できる。


 モックアップとはいうが、状況からして胴体が飛べないだけでエンジンはすでに完成している様子なのは間違いない。


 胴体をこれまでの航空史を塗り替えんばかりに洗練させたものとさせたいがゆえにまだ飛んでいない……そう見受けられる意匠である。


 それらがはっきりとわかるほど高精度に撮影できていたので、彼がこのような態度をとることが十分に理解できた。


 締め出しを食らっている皇国内においても……我が軍の諜報部ならばやればできるものなのだな。


 噂ではエンジン推力は片側850kg以上。

 双発ゆえに1700kgの推力で飛ぶことがわかっている。


 設計が設計ならば間違いなく皇国が豪語するように900km出る。

 私の中の流体力学的理解でも900kmに近づいた速度を出す胴体構造は容易に浮かび上がってくるほどだ。


 少なくても当時の私の持つ力学的知識に基づいたとしても、そのエンジンを渡されたならば870kmで飛行する高速戦闘機を比較的容易に作れたのは言うまでもない。


 しかもこのエンジン、すでにヘリコプターなどに使われていて日々改良されているという、実用型のジェットエンジンを戦闘機用に構造改変したものであるとのこと。


 噂では連続1000時間は余裕なほど酷使に耐える実用型のエンジン……その構造改変型……

 間違いなく正真正銘の実用型主力戦闘機に違いない。


 しかし、しかしである。

 私にはどうしても納得がいかない構造がこの戦闘機には当初から存在していたのだ。

 それがゆえに当時は癇癪のようなものを起こしてしまう。


「今一度伺おう。この写真は一切の加工などされていないのだな?」

「なんです? 我々を疑うのですか! 総統に誓って加工などしておりません!」

「……ッ」

「一体どうされたんですか」


 若き士官はまるでこちらが発狂してしまったのかとばかりに気遣わしげな表情で覗き込んでくる。


 しかし私はどうしてもこの機体の後部が納得できなかったのだ。

 ……少なくとも当時は。


「ありえないんだ。現状の理解では。この機体構造は!」

「飛べぬと申されるのですか」

「飛ぶことは飛ぶはずだ……問題は飛んだ後だ。高速領域に対応できると思えない」

「どの部分がです」

「水平尾翼だ。なぜ主翼と対等に近い高さにある。そればかりか主翼よりも低い位置にすらある!」


 今だからこそ、この機体の構造は理解できる。

 だが、当時にしてはその構造はあまりにも斬新すぎた。


 当時の航空機における水平尾翼の常識。

 それは主翼の上にオフセットするのが当たり前であった。


 黎明期の航空機においては主翼が複葉だった影響でそこまで気にされておらず、大体が上か下の翼の間に配置しておけば風の影響を受けずいいのではないかと言われ、実際に大半の複葉機がそうしていた。


 後々に研究が進むと高翼に該当する部分は水平尾翼に対しては殆ど影響を及ぼさないことがわかり、水平尾翼の高さというのは低翼が水平尾翼に与える影響度合いによって調整することとなった。


 その結果、従来の翼形状においては翼の中央主桁付近から発生する乱流の渦が主翼よりも低い位置に対しても影響を及ぼすことが判明し、以降の航空機の大半が主翼の上側に尾翼を配置することが当たり前となった。


 そのほうがより小型化軽量化できたという側面も大きい。


 だがこの配置にはもう1つの理由もあった。

 それが機首下げ(タック・アンダー)である。


 王立語でタック・アンダーと呼ばれる現象は、当時の航空機にとっては致命的な弱点となりえた。


 タック・アンダーとは、一定の高速域に航空機が達すると主翼表面にて徐々に衝撃波が強くなって気流の表面剥離が発生し、主にそれが主翼と水平尾翼に影響して重心位置が変わってしまい、水平飛行中に機首が次第に下がっていき、さらにそれを補正しようとエレベーター(昇降舵)を操作すると主翼の上を流れる空気が主翼に叩きつけられることで気流の流れが適正化して一気に機首上げに繋がるといった現象の総称を言う。


 このような安定性を損なう一定速度領域以上における機首下げをタック・アンダーとは言うが、操縦に対して突然の機首上げに繋がる縦方向に対する負の要素を与える行為は、極めてピーキーかつ危険な特性を航空機に与えるうるものなわけであり、電子制御などない時代においては危険以外のなにものでもない。


 例えば名機と名高いスピットファイアは翼表面を流れる気流が乱れがちな影響ゆえに、高速領域におけるエレベーターの操作には慎重を要したとされる。


 水平飛行時のタック・アンダーこそ発生していなかったが、一度機首を下げた後に少しでも操縦桿を手前に持ってくると一気に機首が上がったりフゴイド運動に類似した不安定な挙動を見せるからである。


 慣れの問題でどうにかできたとされるが、速度が向上した中期型ほどその事象が顕著に発生した。


 後期型となると一気に構造が変わってしまったので別物と言えるほど安定飛行するようになったのだが……大きく機体後部の設計変更が必要なほど悪影響を与えていたとされる。


 エンジニアは当然作り上げる航空機においてはこういった飛行時の不安定さを生むような構造とすることは設計上避けて通るもので、こと尾翼や胴体後部を設計する際には特にタック・アンダーに関して慎重な設計が求められたものである。


 ちなみに私がこの当時Fw190を作っていた頃までの間において水平尾翼を主翼より下に配置していたのは、一部の高翼配置な航空機を除けば、アペニンを中心としたレース機……すなわち水上機ぐらいしかなかった。


 単葉機の主流たる中翼配置と低翼配置では皆無で、一時期においてアペニンがこれを採用していた最大の理由はシュナイダーカップが低空高速飛行によるレースであるため、機首下げ気味に調節したほうが有利であったことによる。


 水平尾翼はそれそのものが抵抗物となるため、上に配置すれば主翼での調整次第ではあるが基本機首上げ気味となり、下に配置すればよほどの事が無い限りは機首下げ気味となる。


 ゆえに下に配置した場合は主翼の取り付け角を増やして調節したりなどせねばならないが、そうするとより気流剥離がしやすくなるばかりか、タック・アンダーはより低い速度で発生することとなる。


 とはいえ、タック・アンダーが大きく影響するのは基本は迎角をとった際。

 水平飛行時においては単なる機首下げとなるだけであり、トリムタブなどを駆使すると案外どうにかなるもの。


 常に極低空の一定高度を飛行し、大きな旋回をしないならば若干の機首下げ気味の方が速度は維持しやすい。


 特に海上を低空で飛行する場合は太陽熱によって発生した上昇気流と地面効果によって、Fw190開発前後の時代の常識的な流体力学的理解を利用した一般的な翼配置や形状とすると非常に強い機首上げ特性となってしまってまともに水平飛行できなくなるため、あえて機首下げ気味に調節して飛行安定性を得ようとしていたと思われる。


 つまり高い揚力が発生する高度まで自然に高度を落とす翼の方がレースでは優位だということ。


 ……思われるというのもそうした要因が他にも考えられるからだ。


 シュナイダーカップレースは最大高度500m程度の戦い。


 これは当時のエンジンの特性から吸気能力を最大限に活かした方が出力が上がることから、高高度飛行が不得意だったことも影響している。


 冷却性能の確保を考えても高度は高すぎない程度の方が楽。


 その状況においてはまるでジェットエンジン機のごとく低空飛行の方がスピードが出せた。

 飛ぶための翼もあえて高度を捨てた形状とし、水平尾翼すら乱流の抵抗を受けるとスピードが下がることも考慮して、乱流がぶつかって障害物となりうる水平尾翼を下に配置したのだ。


 この結果は一時的には成功したものの、次第に主翼表面の気流を調整できるようになってきたことで水平尾翼の位置は主翼より上に配置されていくようになる。


 シュナイダーカップ後期の機体群を見れば明らかであろう。


 特に速度領域が500kmを越えてきたあたりになるとタック・アンダーの症状は大きくなるため、よりピーキーすぎる飛行特性となることから、抵抗増加に目をつぶってそれを打ち消せる水平尾翼構造が導入されるようになっていったのである。


 そして陸上機においては一部高翼配置の航空機を除いて水平尾翼は主翼の上に配置するのが当たり前。


 だが、航空機の応答性や運動性に目を向ければ主翼の乱流を一切受けないかもしれない水平尾翼配置というのは常に求められており、位置的には主翼の下側というのは当時からにわかに理想形態の1つではないかと言われてはいなくもなかった。


 それこそ卓越した流体力学理解のあった者は早期から机上の空論のようなもので理想の配置具合を理解して実際に挑戦してみる者もいなくはなかった。


 例えばNUPのF4Fの試作型なんかは当初様々な利点を鑑みて主翼より少しばかり下の位置あたりに尾翼を配置していた。


 試作型のF4Fは主翼全体の構造だけでなくフラップやエルロンの設計にもかなり気を使ったことで、何とかそれなりの性能を証明することすらできたといわれる。


 しかしである。

 高高度飛行試験である程度いい数値を出した一方、低空飛行と離着陸……こと海上においては墜落しかねないほどの不安定状態となることが判明。


 後に正式機では水平尾翼の位置を大幅に上側にオフセットすることとなった。

 水平尾翼の位置が妙な所にあるのは元々そこに配置する予定がなかったからということだ。


 我が国では当然こうなることを予想済みで回避していたが、あっちの国はそれを平然とやらかしたのである。


 これによってかなりの機首上げ特性となったものの全体の飛行安定性は改善……したかに見えたが、今度は空母着艦時において発生するダウンウォッシュによって急激に機首が上がって失速するようなこととなってしまい、着艦時における機体制御に飛行制限を設けて運用しなければならなくなったとされる。


 つまり着艦が極めて難しい機体となったわけである。艦上戦闘機なのにである。

 今後生まれる未亡人製造機を見ても、あの国はそういう機体が大好きであるといわざるを得ない。


 一体どれだけのパイロットが犠牲になったのか……


 それはともかかく、この話は机上の空論を実現化させるのがいかに難しいかというような貴重なエピソードであるわけだが……


 実はF4Fが水平尾翼を主翼より下に配置したのはどちらかといえば胴体後部の小型化が主であり、運動性向上というよりも従来より小さな尾翼で済む分、小型軽量化によって得られる速度向上を目指していたとされる。


 それと比較すると……皇国のジェット戦闘機は速度向上よりも飛行安定性や運動性を狙ってあえてそうしたかのような形状となっていた。


 あの頃より技術理解が進んだ今ならわかる。


 皇国のエンジニアは900km領域において大きな迎角をとると水平尾翼に与える影響は尋常ではないので、絶対に上側に配置したくなかった――と。


 とくに急旋回でも失速しないようにしなければレシプロ機と戦うのは難しいので、水平尾翼が飛行中にその効力を失うようなことは絶対にさせたくなかったのだと。


 それだけではなく、そもそもが水平尾翼自体が抵抗物となり、上側に配置すると絶対に機首上げ気味となる特性をも酷く嫌っていたということを。


 加速性能が高いジェット機だと機首上げが強いと照準を合わせ辛い。

 射撃時に絶対機首は上がり気味になるから狙いを外しかねない。

 それらを加味してより安定した操縦特性を求めたというわけだ。


 だが、あの当時そこまでをわかっていたとしても、それを実現化させて試そうというのはNUPと同じく博打。


 それもF4Fよりも酷い大博打である。

 なぜならば――


「いいか若いの。共和国を占領して手に入れた三角翼のデータと、我が国にて三角翼に熱心なエンジニアが提示した基礎技術の共通点。そしてそれらを基に彼らが描く戦闘機の姿はどうなっていると思う?」

「存じ上げません……」

「尾翼が無いんだ。エレベーターなどの装置は機体前方に配置するか、エレボンなどといってエレベーターとエルロンが同一化した装置を取り付けた翼とするか……どちらにせよ無尾翼機となる。それだけ三角翼というのは、翼後部で発生する乱流と衝撃波がすさまじい。よって尾翼自体が取り付けられないというのが現時点での理解だ。にも関わらず皇国の戦闘機は尾翼を装備しているばかりか……一番影響を受けるとされる主翼よりわずかに下の位置に水平尾翼を配置してきた。全くもってふざけているとしか思えない!」


 私がエンジニアとして斜陽となり、老いを感じる今日この頃。

 今日において主翼の下に水平尾翼を配置するなど戦闘機では当たり前だ。


 最新戦闘機は皆そうする。

 特にCCV設計においてはその配置は必要不可欠。


 私も日々戦闘機の開発に携わる中で尾翼設計を頼まれればそうすることだろう。

 しかし当時においてこれをやる……やりきるというのは不可能に感じられた。


 そもそも下に配置すると言う発想があるエンジニアすら、極一部だったはずだ。

 試そうと思ってやってみて失敗したNUPにおいても暫くの間はそんな機体は出てこない。


 約20年。

 それこそが当たり前のように真っ先に導入された設計に他国が追いつくまでにかかった時間だ。

 それぐらい先を読んだ斬新すぎる設計にあの時の私の理解が追いつくはずもなかった。


「例えば我が国においては流体力学の理解において世界一の自負がある。その我々が不可能と断じている領域に踏み込んでいるのだ。この機体は」

「NUPも優れた航空力学的理解があるようですが、彼らでも下には配置しないと?」

「やって失敗したことがすでにわかっている。500km台の航空機ですらそうだ。あっちは900km台だというのだぞ!」


 この後に登場するジェットエンジン装備の機体も大半が主翼の真上に水平尾翼を配置していた。

 900km台となると発生する乱流の渦はm単位の高さ。

 これが水平尾翼に大きな悪影響を与える。


 しかし例えば余裕をもった配置とするために尾翼をT字翼とした場合、今度は機体を45度程度横に傾けたりして迎角を取ったりした場合は、その飛行を安定化させようとする水平尾翼が悪さをして極めて飛行安定性を悪くする。


 一定速度でロールしつつラダー操作なんかした日にはスピンしてコントロール不能になるかもしれない。


 だから、一般的な尾翼構造である程度常識の範囲内の尾翼配置が理想的であることなど、わからないわけではない。


 ただ、その場所があまりにも"異常"すぎた。

 この時点での私の思う疑問はただ1つ。


 機動性や運動性はあったとしても、まともに水平飛行するのか?――という事。


 私が本当にほしかったのは、それを可能とする主翼構造だったのだ――

本小説におけるスピットファイアは信濃くんが改良するので中期型以降改善する特性ですが、本物のスピットファイアは後期型ほどピーキーになって苦しめられました。

後期では2回も機体後部の設計が大規模に見直されています。

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