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第132話:航空技術者は交渉人から方針を伝えられる

 参謀本部へと千佳様と共に戻った俺はなぜか向井より呼び出しを受けて急遽赤坂の料亭に招待される。


 話したいことがあるとのことだった。


 向井が何を聞きたいのか何を話したいのか何をこちらに要求したいのかわからなかったものの、一人赤坂へと向かうこととなった。


 ◇


「やあやあ、信濃くん。ささっ、どうぞこちらへ」


 すでに到着していた向井は昼間ウィルソンと話した時と変わらぬスーツ姿。

 光沢のあるカーキ色でまとめられたスーツは実に高級感のあるもので、皇国内で仕立てられた様子ではなかった。


 上着は丁寧にハンガーを用いて壁にかけられている。


 向井はネクタイを締めたまま、大きな皮製のボストンバッグを傍にテーブルの傍らで楽な体勢にて腰をすえていた。


「事情説明はまず君を通してからにしてくれと首相から言われたのでね……なかなか出来る若者じゃあないか。ほら、さっそく届いたあちら側の要求項目だ。目を通すといい目玉が飛び出ないよう気をつけたまえよ」


 バッグの中からレザーファイルで包まれた書類を取り出した向井は、対面する形で腰を下ろした俺に対しそれを差し出してくる。


 まず目に入ったサインは連名だった。


「NUP企業連合体代表……中央情報局……国務省?……G.Iが要求したわけではないんですか?」

「G.Iを呼び出したのは君達であったようだが、私が皇国政府の事情を予め説明していたことでより大規模で現実的なメンバーがバックについたのだよ。あの時点で別口で交渉は始まっていた。Mr.ウィルソンとの協議はまた別件であったわけだ。本当にとんでもない面子だろう?……ホワイトハウスを動かすなら大統領に嘆願したって無駄だ。民主主義国家を動かすのはいつだって民衆だが……民衆を利用して事を起こすに足る者達ではあるように思う。そこの要求項目を見たまえ」


 ペラペラと上質な紙をめくると手から体温が抜けるような感覚が襲う。

 そこには彼らが四井に対し、まるで一国の政府に向けて要求を突きつけるような内容が記述されている。


 行動を起こす上で最低限満たさねばならない条件としては、このような請求が盛り込まれていた。


 ・四井と関係各社が保有する南集鉄道の株、全7万2800株全てを譲渡

 ・今後皇国並びに東亜二国がシベリア地域を占領し、自治州などとした場合において四井が鉄道事業に参画しないことを確約する同意書への署名

 ・集における電力事業のNUP企業への移譲

 ・集における四井が持つ炭鉱事業の移譲

 ・四井が直接運営する大連港の施設並びに運営権の移譲

 ・その他etc……


 なんとも怖気が走る内容である。


 これらの殆どは王立国家とNUPが皇国への開戦を決めようかとしていた際、皇国政府に突きつけていた内容の一部とほぼほぼ合致する。   


 ただ、あの時は四井含め四菱やその他企業のものだけでなく皇国政府すら直接出資していた各事業部門の譲渡だっただけに内容としてはやや軽くなってはいるものの……


 とても即了承となるような内容ではなかった。

 例えば南集鉄道においては四井こそが筆頭大株主であり、総裁任命権などを握っていた。


 これは元々この鉄道路線が旅客よりも貨物を目的としたものであり、旅順、大連などで貿易を行っている四井にとって鉄道というのは重要な物資輸送手段だったからである。


 こと旅順・大連線においては皇国郵船と共に事業委託という形で一時期は直接運営していたほどの力の入れようであり、それがゆえに四井は筆頭大株主となって鉄道総裁の任命権を得るに至っていたのだ。


 いわば出資者の中でもっとも出資していた企業こそ四井物産で、同じく集周辺にて重工業事業を展開していた四菱の400株程度と桁が2つほど違っているほどであった。


 ちなみに四井物産自体は6万株を保有。

 2800株が四井財閥系企業。


 その他、四井財閥が関係する各銀行を合わせて1万ほどで、簡単に動かせるのは実際には6万2800株だったはずだ。


 残りの1万株はそれなりに説得をして手放してもらうか四井が改めて買い上げるしかない。


 集を独立化させる際の資料を西条から見せられた時にそう記述されていたことを記憶している。


 実は南集鉄道は現在、皇国政府が握っていた株などは全て集が手にしているのだ。

 何万株だったか忘れたが割合ベースでは全体総数の1/3だった。


 集は独立的立場を担保される際、これを円一括支払いにて皇国政府に支払うことで己のものとしたわけだが、常識的に考えてそのような資金を集が持っているはずがない。


 その資金の出所こそが四井だった。


 四井は華僑を含めたあの周辺地域全土で借款による大規模な事業展開をかねてより行っていたが、皇国企業勢が2/3の株を今後も保有する形態を維持し、かつ運営権に直接口出しできる立場を担保するために鉄道総裁の任命権などを今後も認めさせることで一括による借款を行ったのである。


 その中には1/3を持つことで許されている拒否権の行使特約なども含まれていた。

 本来であれば四井が単独で持つのは1割少々。

 1/3を保有することで手にする拒否権などには及ばない。


 しかし四井は最悪は皇国企業が持つ2/3を買収して2/3の株を持つことも可能な立場を利用し、かねてより皇国政府に要求を突きつけて事実上の南集鉄道の鉄道事業の舵取りを行っていたりしていた。(あくまで鉄道事業のみではあったが)


 その立場を集が国営鉄道に近い立場としても継続させようとしたわけである。


 このような事は四井では日常茶飯事だ。

 なんたって四井物産が華僑全土で行っている借款金の総額は皇国の1年における国家予算の4倍。


 ようは4年分の国家予算を使って大規模事業を展開していたわけである。

 こいつは現時点での話でしかなく、この額はどんどん増えているほどだ。


 本来の未来においては華僑との戦などによってこれらは共産党軍などに奪われていき、投資した分の回収など一切できずに泣き寝入りするしかなかった。


 だが立場上、両国が資本主義国家として独立したことで四井は事業規模を拡大。

 皇国至上最大の資本金を誇る企業はもはや1つの国とも言えた何かとなっている。


 しかし一見するとこういった借款による事業は一体四井にとって何の利があるのかと思う事だろう。


 一括で借款して事業を立てて固定金利にて返済をさせていく。


 これでは経済開発によるインフレによって貸借金の金額は実質的にどんどん落ちてその事業を成立させた国だけが儲かる仕組みではないかと。


 そこが四井の賢い所なのである。

 四井は当然この手の事業において実際に建築などの作業に入る企業は入札制として選抜するが、当然入札に参加できるのは皇国資本企業だけ。


 もっと言えば四井の息がかかった企業だけだ。


 本来開発事業というのは博打。

 失敗すれば大規模な不良債権を抱える。

 しかし世の中にはインフラなどの極めて不良債権化しにくい事業がいくつもある。


 こういう事業においては国や地域が金を出すわけだが、国や地域が金を出さないなら企業が先手を打って開発事業を行って別口……例えば商業施設など別方向から投資した分の金額を回収せねばならない。


 皇国においては関西地方の鉄道会社が良くやっていた手である。


 鉄道というインフラに投資した分を回収するために同時に都市開発も行った……これである。


 が、借款によって生まれた事業は最初に投資した金額自体はインフレで価値が変わったとしてもほぼ必ず返済される。


 つまり無料同然でこういった開発が出来るので企業の負担はより少なくなるというわけだ。


 当然発電施設や電力事業などは自分達も使うわけだし、しかも借款でこさえた施設の運営は結局は四井が行うので必ず利益が出る。


 国は欲しかったインフラが整い、四井は金脈となる施設を手に入れていくわけだ……


 例えば南集鉄道においてはその駅運営の殆どが四井によるもの。


 路線が集の手に渡っても駅と駅周辺において生まれた利益は全て四井に還元される。

 例えインフレが起こって最初に投資した金額よりもその金額の価値が下がったとしても、現時点での貨幣価値で必ず利益が生まれる施設を限りなく低い負担でこさえていくわけだ。


 これが四井の国外投資戦略であり、蒋懐石らは完全にその波に乗っていたのであった。


 彼らから言わせれば国内企業が成長すればいずれは完全に己のものにできうるし、事業展開においては絶対に現地住民の雇用が発生するのでなんだかんだノウハウなども手に入るし、最終手段として国が買収するという選択肢もあるので植民地とはわけが違うのだから歓迎するのである。


 彼らからすれば数十年単位で金を借りつつ少しずつ返済していけばいいわけだ。

 平均的社会人がローンで自宅を購入するようなもの。

 この時インフレが起これば借りた金額よりも低い金額を返すのと同義。


 例えば当時2万円で家を買ったとしても10年後に2万円で買えるものが350ccオートバイ程度の価格となっているなら、その人間が支払う総支払額は大幅に低くなったと言い換える事ができる。


 この時30年ローンを仮に組んでいたとしても、この人間は10年以内に家を己のものとすることになるだろう。


 経済が発展途上の国においては正常な経済活動によって絶対にインフレが発生するのだからwin-winな関係を築くためにこのような事業を展開して安価に現地で金のなる木を作っていくことが可能なのだ。


 ちなみに一連の活動は四井の思想に基づくものであり、皇国政府とは必ずしも歩調が一致しない。

 皇国が四井に説得されて各種事業を事後承認して皇国政府も同時出資するといったことは黎明期の集においてはよく発生していた。


 この頃の四井はまだ成長段階だったのでそこまで無理できなかったりしていたからだ。

 ただ現在の四井物産はG.Iより保有総資産が上な立場。


 例の共同出資企業においては四井や四菱などが保証人となることでこれを実現していたが、そもそもが四井物産単独で保証人として参画することも余裕だった。


 リスクヘッジでそれを避けるのはこの手の財閥がよくやることで、ライバル同士が大きな事業でなぜか出資者として名を連ねるというのは皇国では割とよくあることではあった……が…


 もはや今回の話はそのライバル達ですら引いてしまうような内容だ。


「7万2800株……当然無償譲渡ではないんですよね?」

「現段階での貨幣価値換算で$ベースでの売買契約ではあるが、まあこのインフレ状況では数年以内に二束三文となってしまう額さ。すぐに他の事業に投資しなければ大変なことになる。ただ重要なのは……」

「南集鉄道において事実上主導権を握れなくなる……ということですね」

「そう。不行使特約などは全て株式を紐付けられた契約。聞く限りではすでに皇国の他の銀行や企業にも買収話を持ちかけているらしい。彼らは間違いなく全体の2割にあたる株を取得して1/3の条件を満たし、本格的に南集鉄道の事業運営に乗り出す気だ」

「今は亡き鉄道王の怨念のようなものを感じます」


 譲渡先は俺が一度会ったことがあるハリマン氏の父がかつて経営していたUP鉄道である。


 NUP最大規模にしてG.Iとも浅からず関係がある上、あの石油王ロックフェラーの弟が最大出資者の一人だったりするバケモノ企業だ。


 ロックフェラーの弟はすでに死去しているが、彼が創業したニューヨークのとある銀行こそがUP鉄道の資金母体かつ最大株主。


 そもそもこの銀行自体がロックフェラー関係の石油企業との繋がりもあり、石油王の立場を確固とした金融企業でもある。


 今回の買収においてはこの銀行を通して売買契約が結ばれることとなっているわけだが、仮に敵対的買収に至った場合において万に一つも勝ち目のないNUP最大にして最強規模の企業が背後にいるということである。


 ただしロックフェラー本人は南集鉄道の買収を妨害したりしたように、弟とは必ずしも思考や国外事業における経営戦略などが一致してなかったようで、現在においてもロックフェラー財団などが直接関与している様子は見られない。


 ロックフェラー関係企業は名を連ねるが、この辺はもはや俺ではよくわからぬ領域だな。


 そもそもなんで弟がまだ存命中の時にその活動を妨害したのか……俺がこの時代に戻ってきてすぐ亡くなったがゆえに彼に聞くことはできないが、あの頃の周辺状況について聞いてみたい。


 現在皇国並びに四井がおかれた状況を鑑みればなおさらのことだ……


「彼らの狙いは40年前のやり直しであることは明らかだ。ヤクチア亡き後にシベリアと大連を繋げて世界一の鉄道輸送路を構築したいのだ。旅順には目もくれず大連としたのも彼らは別口で大連港を整備しているからに他ならない」


 気づくと向井は愛用のパイプに火を付けて物悲しい煙を天井に向けて何度も吹いていた。

 納得がいかない提案であろうことは容易に理解できる。


 NUPの戦略方針は一切変わっていない。


 皇国政府に突きつけた条件を皇国政府に代わる形で、ありとあらゆる資本を自助努力にて手に入れていった四井に突きつけたのだ。


 皇国の代わりに人柱になれと、そういうことである。


 きっと彼らは千佳様が交渉人を向井とした時点で「待ってました」――と気分が高揚したに違いない。

 事実上、彼だけが今回の要求に対して飲むか飲まないかを選択することが出来る。

 受け取ったボールを投げ返すことが出来る。


 皇国の輸出入における貿易額の1/12をたった一人の身で契約を結んで成立させている男だからこそ、それが可能なのである。


 それだけの力はある。

 この男は陸軍からも極めて信頼されていた。

 何を要求しても手に入れてくる男だったからだ。


 Cs-1を手に入れてきたのも彼の息がかかったロンドン支店などを通してであった。

 カタパルトに必要なブラダなども当たり前のように調達してきた。

 マーリンすら調達してきた。


 本来の未来においてはDB601なども調達してきただけでなく、ブルドーザーなども調達してきていた。


 未来の世界においては俺が好きな漫画がある。

 皇国から亡命した漫画作家がNUPで展開していたコミックシリーズだ。

 内容は作者と似た境遇にて亡命した皇国のパイロットがとある地域で傭兵をやるというもの。


 そこに出てくる商人のイメージがなぜか彼と被るのだ。

 劇中この商人はエンタープライズ級航空母艦すら調達してくるのだが……

 もし彼もまた元皇国の人間だったら向井だとしか思えない。


 彼は本来の未来において陸軍が手にしようとした石油精製装置のライセンス契約すら成立させ、後一歩でそれを成し遂げてすらいた。


 後の時代においてどこかの地において武器商人をやっていたらエンタープライズ級ぐらい用意できたのではないかとすら思える。


 そんな男に対してNUPは何の敬意も評することも無く――「どうせお前らごときじゃヤクチアに勝てるほどの力なんてないやろ? な? 俺らの言う事よう聞くんやで」――とばかりに、彼らがやりたいことを突きつけてきたのだ。


 当然、その権益が手に入ればNUPはヤクチアに本腰を入れて圧力をかけるだけの大義名分と利権を得る。


 大統領がウラジミールをリスペクトしようが関係ない。


 民衆が……資本主義をベースとした民主主義における資本をもった強者が……強烈にのし掛かってくる状況に抗う術など早々無い。


 海運よりも安定した鉄道輸送。

 彼らはすでにユーグからレールを敷いて東亜が太平洋の東側にて大規模な勢力を築こうとも自らの安全圏を確保できるよう設計図を描いていたのだった。


「ようは我々が東亜周辺の大陸における資本主義的な牙城を築かせることを妨害せずに協力しろと、さすれば国すら動かしてみせようと…………これではまるで敗戦国に突きつける戦後の賠償請求ではないですか」

「全くだ。どう考えてもこれは外交だと思うのだ。私のような経営者が行う商業とは別の領域の……」


 やや自嘲気味の表情を浮かべる向井であったが、その姿に対して"いや、お前がやってる借款行為も民間企業がやることではないぞ"――などとツッコムことは出来なかった。


 陸軍の軍人としても一皇国民としても彼を嘲笑うなど不可能である。


「それで……どうされるんです?」

「ある程度妥協できぬ部分は交渉するとして、概ね条件を飲もうと思う。こんな手紙をよこされてしまっては……私も覚悟を決めたよ」


 ボストンバッグより新たに取り出されたのは手紙であった。


 とても高級感ある皮に包まれた封筒の中に達筆な字にて文字が綴られている数枚の紙が封入されている。


 その皮の封筒には金箔にて菊の紋様が施されていた。


 内容は四井がここまでの事業を展開させて成功を収めているのは偏に皇国政府の長たる首相のおかげであり、彼が事変を早期に納めたことに起因する。


 皇国の民が北部戦線にて重大な後遺症を患いかねない禁止兵器を用いられている状況を是正するため、どうか首相を手助けしてやってはくれないだろうか。


 それが例え金銭的には大きな損失となっても、国全体としてみた場合は民という最も大切なものを守ることに繋がるのだから、君の力で一肌脱いでどうにか調整を付けてもらえないだろうか。


 そんなことが切々と記されている。

 陛下のお言葉であった。


 恐らくではあるがこれは二度目のお願いではないかと思う。


 陛下はより多くの兵を助けることが出来る兵器ヘリコプターの存在を知ってG.Iとの協同出資企業設立のために動いた。


 その際にも各財閥の重役には勅命に近い指示を出していたとされる。

 あくまで千佳様などを通してであって直接ではなかったとされるが、皇族にはその意志を伝えられていたはずだ。


 今回は直接でもってお願いしたのだろう。

 手紙の最後に署名がされている。


 あくまで命令ではなくお願いではあるが、皇国民がこれを見て逆らおうなどできようはずもない。

 事実上の勅命である。


「これで集における事業展開は大きく後退した……私の理想がまた遠のいたよ」

「南集鉄道は鉄道事業だけではない総合商社みたいになりかけていましたからね。そこから手を引くのは厳しい」

「信濃君。私が東亜において何をやりたいか……君は存じているかね?」

「にわかに語られ始めた大東亜共栄圏について、それなりの考えをお持ちであるということは」

「そうか……まあ詳しくは語っていないものな」


 向井はやや残念そうな表情を浮かべる。

 政治には大きく関わっていないものの、俺が首相補佐の立場においてよく知らぬということで期待感を損なったのであろう。


 噂話程度に何かしらないか――と。

 申し訳ないことをしたとは思う。


「国家が支配する時代はもうすぐ終わる。もう20年もすれば国は国に対して強制力を保つことは出来なくなる。しかし資本主義においては資本を持つ者こそが主導権を握る。つまりその国において絶大なる資本を握るのが第三国だとしたら……」

「資本による支配を行いたいと?」

「"制御"だな。統制を行うわけではない。結局我々は法の下で活動を許された者達だからな。その国において巨大な資金源となることが出来れば、国の不用意な火遊びなどを防ぐことが出来るというわけだ。いわば戦争をするのも戦争を防ぐのも、資本を握る者がある程度制御できる。例えば国が戦いたがっている相手国においてその国の企業が大きく自国にて展開していれば、当然その国を攻撃することで莫大な経済的損失を被ることになりかねない。いわばそれは刀剣が鞘に固着したように抜刀することが難しく重くなることを意味する。銃の引き金が重くて、とてもではないが引けない状況と言い換えてもいい。私は統一民国においてこれを達成し、東亜全体において互いに互いが戦えぬ関係を構築したいのだ」


 向井が四井でもってやりたいこと。

 それはNUPが皇国で画策しようとして失敗したことの実現化であった。


 皇国において大規模に投資していたNUP企業。


 彼らは皇国の経済発展によって皇国の企業が栄えた結果、皇国側もまたNUPの資産を握り、互いが互いの国において資本を握り合う……ようは人で言い換えれば対面にいる人間のポケットの財布を互いに握り合う状況を構築することで戦争を回避できるのではないかと考えていた。


 これを"M資金"などと呼称し、2601年までに実行に移そうとしていた。

 しかし構築には失敗。


 NUP……ことホワイトハウスは皇国にどれだけNUPの資産があるのかを知らず、または知らないフリをし、さらに皇国が国ぐるみでそれを強奪していたと嘯いていた。


 実際はそんなことしていなかったのだが、NUPの政府サイドは昔から戦って手に入る利益がデカいと考えると平然とそういう嘘を事実として自己暗示をかけるきらいがある。


 企業がどんなに抵抗したって利益が上回ればそれを大義名分化して世界各国で紛争や戦争の火種を作っては混乱を生じさせて、その国を一旦貧しくさせた後、再び投資できるよう更地にしてから全てをやり直せるように地盤を整えようとする。


 どこでも好き放題やっている無差別空爆なんかその最たる例である。


 今回の契約はいわば、"ヤクチアと戦った方が、ヤクチアが負けたほうが利益が上回る"――ということを理解させんがためのものなのだろう。


 これだけで参戦する理由とはならないが、ヤクチアに強烈な圧力をかけるだけの理由は手に入る構図だ。


 一方で向井は純粋に戦争回避のためにそれを成し遂げようとしている様子であった。


 企業人にとっては経営活動と経済発展レースこそが勝負の場。

 資本主義に生きる者はその資本主義の世界の中で血を流さずに戦えと、戦場を企業の経済活動の場に移したいわけなのであろう。


 そのために破格の条件にて借款を行って国を豊かにさせているわけだ。

 その行動自体が国に一歩引いて冷静な行動を促す流れを生むとも信じていそうである。


「言わんとしていることは大変理解できます。海外資本企業は抑止力になるのは間違いない。国家が企業という存在をきちんと認めるだけの器量も必要ではありますが」

「はははは。確かにな。ヤクチアのように平気で強奪するようでは成り立たない。だからこそ私はヤクチアという国家を滅ぼしてもらいたいと思っている。いや、世界の巨大企業の重役の多くがそう思っていることだろう」

「しかしこれを認めるとすると経営すら傾きかねないのでは? 大丈夫なのですか?」

「なあに。新しい事業展開でもって調整していく所存だよ。手に入れた金で皇国内で事業を展開しようと思ってね……最近ようやく手を出し始めた分野がある。ここらで一気に拡大しようとね」


 向井の表情には余裕こそないが、すでに感情を切り替えて前向きとなろうとする意思を感じられた。

 皇国で最も力のある経営者がこの程度で歩みを止めるわけがなかった。


 しかしどの分野なのかわからない。


 彼が一体どこに手を出していくのか……国内事業においては一部貨物路線を除いて鉄道事業などにあまり興味を示していない四井物産ではあるのだが。


「一体どの分野の事業なんです?」

「石油だよ。今皇国内の石油企業全てを買収して1つの会社にしてしまおうかと画策中でね。こうすることで、皇国ではNUPと王立国家、そして皇国企業の3つがしのぎを削る立場となりえる。国内石油企業はこのまま行くとロイヤルクラウンあたりに完全に飲み込まれてしまいそうだ。皇国も国外にも手を伸ばして石油メジャーが生まれてもいい頃合だ。私がそれを手助けしようと思う。交渉にはその話も織り込むつもりだよ」

「ふむ……大変興味深い話です」

「鉄道事業は金脈。百年単位で見て数百年先を見ても利益が出せる存在だ。一方で石油事業は百年単位で見て百年程度の間において栄える事業に思う。その間に利益を出せば……ともすれば南集鉄道を取り戻せるだけの利益を出せるかもしれない。今は一旦引いて、その上でロックフェラー系企業のノウハウをもらうとか、掘権交渉に我々も関与できるようにするとかいろいろ道筋を探ってみようと思う」

「……なんというか、私からは良い結果となりますようにと祈ることしかできません」

「いや、君にもやってもらうことがある。首相に話を伝えるのとは別件だ」


 なんだろう一体。

 俺は交渉ごとには向いていないはずだが。


「今回の契約においてはG.Iに核燃料精製の技術ライセンスを結ぶというのも条件に入っている。その書類の中には書いていないが、先ほどMr.ウィルソンより連絡があった」


 ……なんてこった。


 当たり前だが当然要求してくるよな。

 遠心分離によるウラン精製技術ぐらい。


 G.Iもまた大きな枠組みに入っている巨大企業だものな。

 だが与えるだけなんて納得できないぞ。


 これが成功してしまったら、あっちは原爆を何発作れるかわからないのだから。

 遠心分離が失敗したからあの程度で済んだのだから。


「一応伺いますが、彼らは何かを差し出してくれるんですか」

「無論だ。私にはよくわからんが最新鋭のB-8タービンや、対空用射撃システムなどを無償提供してくれるらしい」


 B-8タービン……だと。

 たしかB-29に使われたB-10タービンの試作品で、ツイン排気式のタービンだったはず。


 素材を通常素材としていた割に構造設計でがんばってそれなりに軽量化はしたものの、B-29には重いんで試作で終わった奴だ。


 B-29に使われたB-10タービンは軽量化のためにマグネシウムを使っていてマグネシウムが引き起こす発火に悩まされた。


 B-8にはその要素が無い反面重い。


 マグネシウムタイプはB-7やB-9で実用化しようとし、そちらはシングルタービンだったがB-7失敗作でB-9が7の失敗を基に1から設計しなおして構築したタイプ。


 これがそれなりの性能であったのでB-10がB-8で手に入れたノウハウを利用してB-9と同じくマグネシウムとした二段二速型のツイン排気タービン。


 活用方法は……あるかもしれないが、吸気タービンが成功したらパワーはこっちの方が上回る気がする。


 性能次第といったところか。


 一方で射撃システムはB-29のアレだろう。

 2601年には試作品が出来上がっていたという。


 あんなの京芝でもどうせ生産するんだから皇国で手に入らない代物じゃないんだがな。

 近接信管もそうだが京芝が作れる分野のライセンスを無償化しても殆ど意味が無い。


 京芝が支払うライセンス料が低くなって製品価格が落ちるぐらいしか利点が無い。


 もっと他に提供できるはず……何か考えておくか。


「向井さん。G.I側が提供するモノに関しては改めて陸軍側こちらから別途要求したく存じます。遠心分離機については何が欲しいと先方がおっしゃっているのですか?」

「技術書関係……その他全て。陸軍が秘密特許を獲得しているならその秘密特許情報もよこせとの仰せだ。もし仮に今後出願するとしてもその出願資料を秘密裏に提供してほしいとのこと」

「現物は不要だと?」

「設計図だけでいいらしい。現物は無いと思っているのかもしれんね」


 そりゃあ多少なりともエンジンだなんだといって技研などに出入りできるG.Iの社員らは、それらしきものが全くもって見つかっていないことぐらいすでに感づいているか。


 これから作ろうとしているか実証用の小型のものがある程度と考えているんだろうな。


「まあ全部といっても実際に全部出す必要性はない。例えば特許に関してだってやりようはあるはずだろう? 国外ではよくやる手だが、特許に例えば約100度での動作が理想と書いても、実際には95度とかが理想値だったりするのは当たり前だものな。約100度は未満も含む……特許とはそういう世界なのだから、相手に与えるのはそういうもので構わないぞ」

「それを私に要求するという事は向井さんは私がそれを作れる……または作っている人間だとお思いだということですか?」

「ただのカンだよ。無論研究者達の研修施設自体は事前に確認していた。だが、彼らが燃料を作れるだけの領域まで至っているとは思えない。君の方が明らかに詳しく感じる。交渉の場において、さもそれが当たり前の手法だと自信をもっていたからね。私はそうやって空気を読んでこれまで成功してきた」


 はあ……

 心の中で大きな溜息が出た。


 これだから戦前のバケモノ達とは一緒にいたくない。


 ちょっとした空気の変化と言動だけで彼は正しい答えを見つけていた。


 それは頂点に立つようなソムリエが味覚や嗅覚を失っていても色と周囲の様子だけで銘柄を言い当てることができるのと同じ。


 嗅覚を失っても周囲の香りの感じ方の表情だけで銘柄がわかるような者が本場の超一流の中にはいるのだという。


 彼はあくまで契約を取り付ける側だけの人間。


 しかし長島の技術者を適切に王立国家や第三帝国に派遣して完璧なライセンス生産をいくつも成功させていたりと、そういう第六感のようなものは特に優れていた様子だったが……


 どうやら彼は手札をそのままに4枚目のカードを引いてフォーカードを作る様子だ。

 情報だけでなく技術も出してG.Iを揺さぶる。


 相手側はスリーカードすら作れなかったが、それはG.Iとの間柄においてでの話。

 きっともっと大きな枠組みではそれを交渉材料にして、自身を上回る資本金を持つ企業達と張り合うつもりなのだろう。


 公館なけれど物産あり。


 もはや企業がすべきではない外交的な交渉の領域に踏み込むのは、大昔から外交官が"外務省以上の組織"――と尊敬の眼差しを向けていた四井だった。


「――そうですか……わかりました。やるだけはやりましょう」

「首相には朗報を期待しといてくれと伝えてくれ。今週中には大筋合意に持っていく。きっとチャーチルにも恩を作ることになるだろう」


 ……俺は今深く理解した。


 この男は大蔵大臣になるべき器ではない。

 大蔵大臣の器はこの男にとって小さすぎる。


 大蔵大臣なんかにしている人材ではない。

 もっとおぞましい何か……何かなのだ。


 皇国政府は暗にそれを理解していたからこそ打診しなかったのであろう。

 是清以上の交渉人が皇国にはいたのだ……

現実世界の三井物産はイラン・イラク戦争が無ければ……石油事業への投資は厳しいと改めて思い知らされる。

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