第128話:航空技術者はアインシュタインに喧嘩を売る(後編)
交流会ならびに会議が終わって間もなく、各エンジニアは設計室に篭ってMk.VIIの草案を練り始める。
といっても、皇国側が提案する基本設計は俺がやる事にすでに決まっていて、他の者達はあくまで補助。
俺は技研の他の技術者達にスピットファイアの翼部分の設計図についての分解図などを作ってもらい、どうやったら過給システムを搭載できるか考える事にした。
あっち側も草案は作る様子であり、製造する上での技術的制約などもあるのでお互いにすり合わせようという話でまとまっている。
そこで俺はすぐに壁にブチ当たる。
「中山……さっきからどう計算しても上手くいかないんだがこれを見てくれ……」
「あ、あ~~……やはりか。俺も図面を見てなんとなく思っていたが、スピットファイアの翼にまるで余裕がねーー。ラジエータースペースの確保とタービンのエアインテークの両立は出来ないだろうとは思ってた」
あの中山ですら理解できるほどに、スピットファイアには翼内に余裕が殆どない。
スピットファイアにはエンジン直下にエアインテークがある。
これは冷却用の外気の吸入口の1つ。
そしてそれとは別に翼内にラジエーターが2つ設置。
初期のタイプは片方が大型で片方は小型。
後期になると両方大型化する。
最終的にグリフォンを搭載したものはさらに大型のものを両翼に配置。
グリフォンを搭載したタイプはそのあまりの重さに翼にかなりの負担がかかっていた。
過給器の構造上、スピットファイアにエアインテークを搭載する場合、ラジエーターのスペースを活用するしかない。
いかな吸気タービンは単純にスーパーチャージャーでブースト圧をかけるより熱量が下がるとはいえ、過給器を冷却するためのラジエーターが必要。
なぜなら液冷エンジンは液冷によって初めて冷却が可能なよう突き詰めた作りをしているからだ。
その分、エンジン周辺のフィンなどをそぎ落として軽量化している。
エンジン用のラジエーターを小型化しても、過給器用のラジエーターを配置するスペースが無いのだ。
現在において皇国で開発中の重戦闘機の場合は2パターンの試案がなされている。
1つは胴体内にB-24でも使われているNUP製の水冷式のラジエーターをブチ込み、強制空冷ファンからの風と合わせて冷却するようにするタイプ。
もう1つは胴体外にパイプを露出させて直接的空冷とするタイプ。
前者は重心位置がいいために運動性は向上する反面、整備性は落ちるし皇国では生産できないしと割とリスクだらけな反面、陸軍上層部はハ44の熱量制御に懐疑的で空水冷方式となる前者を推している状態にある。
しかしながら完全空冷と出来ないわけじゃない。
ハ44次第である。
こういう設計が出来るのも空冷ゆえであり、インテークが作りやすかった事による。
また、最初からそれに合わせた真新しい設計でもあるがゆえに余裕もある。
だがスピットファイアは液冷だし、戦前設計。
しかも邪魔なラジエーターは翼にまでどかす事でエンジン周りを美しいフォルムとした。
今更エンジンカウルを一回り大きくしてエアインテークを設けられない。
防塵フィルターを装備したMk.Vは最高速が30km近く低下。
下部に設けるだけでそんな事になるのに左右までそうしたらどうなるかは計算するまでもない。
俺はマーリンとなっているという話のG.55を見ていないが、おそらくG.55も現状のスピットファイアと同じようになっているのだろう。
もしくはエンジン下部に平たい巨大なラジエーターを露出させているかもしれない。
アペニンの方がラジエーター関係における創意工夫能力がある。
未だ開発中とのことだが上手くやっているのだとは思う。
その上で俺はG.55からはマーリンを捨てようと思っているけどな。
まだ状況を見ていないので確定的とはいえないが、G.55には空冷式にしたG.57という機体がある。
こいつは1200馬力しかないエンジンでもって攻撃機としたものだが、シリンダー径がハ44とほぼ同じなので、G.57形式にして皇国の重戦闘機と構造を共通化を図ったほうがよほど早くに飛ばせると考えている。
そういう風にやりやすい理由としてG.55は主桁が皇国と同じくIビーム式など、保守的かつ堅実な設計であるためだ。
改良しやすさの度合いはスピットファイアとは段違い。
例えば魚雷を使用可能としたG.55Sは通常のG.55がP-51風のラジエーターだったのに対してスピットファイア風となっているが、こういうちょっとした改良ぐらい大した事なかったのが強みだった。
一連の改良を行えば皇国の新型重戦闘機と比較して航続距離は少ないが高速戦闘機として十分な性能を得られる。
彼らは自国でのDB601とDB605のライセンス生産に手間取った影響から液冷エンジンのノウハウはあるが技術力では一歩劣るという認識が俺にはある。
むしろ空冷エンジンにおいてそこそこのモノを作れていながら、戦闘機においては歴史的な意味合いもあるのか液冷に拘ってしまったのが仇となっている様子。
ならば潔くあきらめて貰いハ44を搭載した上で戦ってもらう。
拘るなら構わないしG.55のが改良は楽だが、持て余す未来が見えている。
アペニンにもがんばってもらわねばならないから妥協してもらわねば……
それはそれとして……どうするこれは……
「昨日の今日で答えが出るはずが無いだろ。今までだって即日で答えを出せたわけじゃない。ちょっと休憩しようぜ。客人をもてなすために紅茶など一式が飲めるようになってるらしい。国産らしいんだが興味がある。お前もどうだよ」
「……そうだな。行き詰った時は頭を休ませるのも手だ。急がば回れ……だな」
机の椅子に寄りかかったまま計算式などを記述した図面とにらめっこを続ける俺に対し、中山は休憩を提案してくる。
俺も奴の話に少しだけ国産の紅茶とやらに興味が沸いた。
そんなものが皇国にもあったのだな。
緑茶しかないとばかり思っていた。
◇
「げっ、6種類もある。全部別の地域で作ってんのかよ。自分の国が王立国家の人間をまともにもてなせるような紅茶を6箇所以上で作ってた事に驚きだ。ていうかこのティーセットはどこから調達したんだ」
「有田焼か……所長あたりの私物かな」
「俺達も自由に飲んでいいって上の人間も言ってたし、せっかくだから使わせてもらおうぜ」
技研の食堂に入るとすぐ目に入ったのは洋風にあつらえられたテーブルと、その上に置かれた洋風の食器類。
王立国家のトップエンジニアがしばらく滞在するということで、彼らをもてなすためにあちら側の文化を皇国風でもてなそうと努力している様子が伺える。
技研は普段よりそれなりに国外の人間が訪れては見学にくるが、彼らに特別なもてなしなどはしていない。
それこそスピットファイアを作ったメーカーの連中も600kmを達成した後からちょくちょく訪れたりするようになっていたが、フォークやスプーンは出しても洋風料理などでもてなす気など微塵もなかった。
一応、軍の研究所ゆえに特別扱いはしないというのがどこの国でも当たり前だった当時の世相を反映したものだと思われる。
しかし今回は第一級のエンジニアチームが集まるということで特別な計らいがなされたのであろう。
食堂には特別席のようなものが設けられ、いつでも紅茶などが嗜めるように準備されていた。
アフタヌーンティーにはまだ早いが、スコーンなどもきちんと用意されている。
食器類は有田焼など皇国産のものだが、開港後の時代の頃から輸出されはじめた洋風を意識したものとなっていた。
俺と中山は早速紅茶の茶葉を陶器のティーポットに入れて紅茶を入れ始める。
周囲にポットなどがなく、お湯が無いので食堂の職員に提供を申し出ると、なぜかヤカンで提供された。
「――なぜ最後までベストを尽くさないのか……」
異質すぎる見た目に思わずそんな言葉が漏れてしまう。
皇国ではよくある光景と言えなくも無い。
こういう時、最後までベストを尽くさないというのは。
「ケトルポットと形状が似てるからいいだろうと思ったに違いねぇ。横浜にでも買出しに出て洋品店に行けばそうさしたる金額を消費せず手に入るだろうに」
「テーマが皇国産でティーセットを再現するというならヤカンの方が正しいのかもな」
「そこは南部鉄器だろ。アレはあっちにも輸出されて使われてる。俺の家に洋風にあつらえたモンがあるから後で持ってこよう」
「おっ、割と本格的な匂いだ。本当に紅茶か」
「信濃よー……これで緑茶だったら外交問題になるだろ……」
中山の言うとおりであるが、茶葉の段階ではそれが緑茶なのか紅茶なのかわかるほど、匂いは強くなかった。
お湯を注いではじめてそれが紅茶であると認識させられる。
茶葉は中山が選んでいたが、まず選んだのは静岡のものであった。
英語の説明書きが茶葉の入った缶に貼り付けてあったが、皇国で初めて紅茶を生産したのは静岡らしい。
京都などではなく、静岡こそが、幕府と呼ばれた存在が崩壊した後に紅茶を生産した地域なのであった。
まあ茶なのだから当然にして緑茶の生産地でしか基本的には紅茶も作れないとは思うが、俺は緑茶の生産地は緑茶しか作っていないと勝手に思っていたので、紅茶もそれなりの量を生産して輸出していると書かれている事に素直に衝撃を受けた。
記憶を受け継いだ今は90年以上生きてきた立場にある。
それでもって皇国に未だ知らぬ事があったことに素直に驚きつつ、世にはまだ知らぬ事があると理解できてなんだか航空力学を学び始めた頃の初心に立ち戻れそうだ。
「うーむ。アッサムの紅茶に味が似ている気がする」
「アッサム種を導入して皇国で改良した品種と缶に書いてあったぞ」
「信濃、そりゃ本当か。なら俺の舌のするどさも案外バカにできんな。はっはっはっ」
中山はどうやら缶に書かれた詳細情報を見る気もないようだが、確かにそこにはアッサム種を輸入してきて皇国にて改良したと書かれている。
いわば皇国で育てたアッサム種こそ静岡紅茶というわけだ。
香りはそこそこ。
酸味や苦味はなくとても飲みやすい。
砂糖など入れずとも少しばかり甘みのようなものを感じるほど飲みやすい。
紅茶生産に決して手を抜いていない様子が伺える。
今の俺の立場上、紅茶などは千佳様との会食などでよく出されるが、それこそ本家アッサムに負けないだろうと思われる。
その時だった。
中山のある一言が、俺の脳髄に電撃を走らせる。
「にしても難問だな。あそこまでスペースがないんじゃあ……スピットファイアがあそこまでギリギリの設計だったとは。お前の設計手法以上じゃないか。もはや物理法則を超越して冷却でも出来るようにしなきゃ構成部品は収まらんだろ」
「物理法則……」
反射的に漏れた独り言を覆い隠すがごとくカップでもって茶を体内に注いだ瞬間、頭の片隅に何かボンヤリと浮かんできたものがあった。
それは遠い未来の技術。
70年以上先の、遠い時間の果てにて、やり直す直前に知りえた技術。
既存の物理法則を無視せんばかりに計算の果てに導き出した結果を実証した皇国の技術。
そこから自分が"何かに使えないかな"――などと考えていた最新鋭の技術。
あの時にはすでに時代はジェット戦闘機が主流。
そのシステムはもはや何の意味があるのかわからないものではあった。
自動車への応用。
精密機器への応用。
そういった方向性ぐらいしかない。
そう言われた存在……
「相転移……回転機構……二次冷却……これだ」
「は? いきなりどうしたよ。紅茶飲んで頭おかしくなったか。あっちのエンジニアはティータイムに何かひらめくっていうがお前もか!」
「別に紅茶のせいじゃない! お前の一言のせいだ! 机上の空論でしかないやつが頭の中にあったが、もし世の中の物理現象が正しくないなら、トンでもない冷却装置を作れるかもしれないって話だ」
「なんだそりゃあ。アインシュタインやニュートンに喧嘩売る気かよお前は」
「ニュートンじゃない。売るのはアインシュタインだ」
「いくらラブレター送っても皇国に反応が来ないからって、敵視しなくとも……」
確かにアインシュタインが皇国のロケットに反応を示さないのは事実だが……
「そうじゃない。アインシュタインの理論が完全に正しくない可能性が高いってことだ。神はサイコロを振るかどうかは知らないが、少なくともサイコロを振ったと推定することで新たな物理法則の世界が開ける可能性がある。油圧シリンダーの研究報告に興味深いものがあったんだ。俺も不思議な現象は確認してた。そいつを応用したものを試してみる。それが正しければ……アインシュタインは自らの過ちを1つ認めなければならなくなる」
「何を言いたいんだ」
「量子力学だよ。俺は以前から存在すると思っていた。俺の流体力学には未完成の理論も当てはめて計算している。俺の流体力学でもってアインシュタインに喧嘩を売れるかもしれないってな話だ」
「たかがスピットファイアの改良のためになんで大それた事になるんだ……ってことは……ようは超すげえどすばいなアイディアがあると?」
「そういうことだ。悪いが先に戻るぞ」
「……どうせお前の超理論なんかについていけるわけがない……好きにしろ」
俺は今まさにスコーンを口に運ぼうとしていた中山を放置し、急いで設計室に戻る。
設計的に収まらないなら方法はそう多くない。
諦めるか、全く別方向のアプローチをするか。
例えばラジエーターの効果を高めるためにラジエーターのインテーク形状を調節したりすることは考えた。
だがそれだけじゃ足りない。
ラジエーター容量を抑えつつ、冷却効果を増大させる。
そうしなければならない。
もしその方法があるとしたら強力な二次冷却装置を作り、ラジエーターに及ぶ風流を予め強烈にオーバークールさせる勢いで冷却するぐらいしかない。
しかし現代におけるエアコンの技術を応用して未来技術を再現したとて無駄が増えるだけ。
未来の技術を活用して磁気冷却を試そうったって精密制御するためのトランジスタなどが無いからだ。
求められるは機械式で、極めてシンプルに、これまでにない強力無比な冷却方法……
そんなものが存在するのかといえばある。
あるのだ。
未来に判明した皇国の技術を使う事で何とかできるかもしれない。
そうとわかれば足が軽くなり、気づくと凄まじい勢いで廊下を走り抜けている自分がいた。
もしそれを実現化した場合、アインシュタインは新たな困難にブチ当たる事になる。
それ自体にもワクワクしているのだろう。
これまで以上に体が軽くなる思いで設計室に戻り、計算をし始める己がそこにいた。
◇
「なんだこりゃあ……計算式も意味わかんねえ。一体なんだこれは。意味不明すぎるぞ。なんで油圧シリンダーと回転機構を併用して冷却装置が作れるんだよ。お前ついに魔法に目覚めたか?ただ油圧をかけただけで何で冷える。あるわけねー。紅茶の飲みすぎだ」
「こいつはな……名づけて"相転移式磁気冷却"だ」
自分でもあまりにSFチックな名称に恥ずかしくなるのだが、実際に現実に確認される現象を並べたらこういう名前になる。
しかし中山は狂人を見るかのような表情でこちらを見つめていた。
「お前、大丈夫か?」
「まあいいからこの技術文書を見ろって。以前から俺も気にかけていたものだ」
「反磁性体と冷却? 磁気冷却の可能性?」
「そう。そこに圧力と磁性の関係性についての話もあるだろ。油圧シリンダー内で流体に起こる状態変化については油圧システムやカタパルト開発時に確認できていた。圧力をかけても温度変化の少ない流体や逆に激しい流体があったんだ。恐らくこれが関係してる」
「へえーー」
断熱消磁冷凍。
わずかまだ8年前に見出されたばかりの新鋭冷凍技術。
こいつの発見は26年前のアインシュタイン達の実験にさかのぼる。
時は皇暦2575年。
アインシュタインは今の世において不変とされつつある偉大な発表を行う。
それこそが一般相対性理論だ。
時間の流れには歪みすらある。
今の時代まだその発見には至っていないが、アインシュタインはこのように今後の未来を見据えた様々な予測が立てられる理論を提唱。
この理論が一躍世の物理学を大きく前進させた。
しかしその裏で彼はもう1つ偉大な発見をしていた。
それこそがアインシュタイン・ド・ハース理論ならびに効果である。
これはローレンツ力を発見したローレンツ博士の長女の夫で義理の息子であるド・ハースと行った実験にて発見されたもので、当時アインシュタインが気にかけていた磁性の解明を互いに行った結果、ある法則性を見出すにいたり、その法則性を当時の古い物理法則で証明したというもの。
この法則性というのは未来の世界の量子力学でいう"スピン"である。
アインシュタインは磁性体がどうして磁性を持つに至っているのかについて解明しようとした結果、実験結果からスピンという存在を現実に発見するに至るのだ。
スピンというのは一般的に原子核や電子において発生している効果として未来では認知されているが、実は当時アインシュタインはこれを証明する際に非常に古い物理学で証明しようとした。
実はこのスピンの解明を続ければ量子力学の発見に至るのだが、彼の手記を見る限りあえてそれを避けていた様子が伺える。
なぜならそれはアインシュタイン・ド・ハース理論を三次元的モデルに作り起こしてみるとわかりやすい。
当時の古い理論から三次元的に示した物質の原子と電子の関係においては、原子を中心に電子が周囲を回転していた。
この原子核を太陽、電子を地球に置き換えてみよう。
今まさに太陽の周囲を公転する地球がある。
公転は太陽の赤道上を水平に公転。
地球は北極をN、南極をSの磁性を持っているとする。
地球は地軸が垂直で北極と南極は太陽の赤道に対して常にその位置が一定としよう。
例えば太陽が少し上にズレても公転位置が変わらない場合、南極は永久に夜のままである。
アインシュタインの実験によってわかったスピンの性質というのは、この状況において外的要因、つまり別方向のベクトルからの磁性を与えた際、地球の地軸が傾くモーメントの発生と、地球は自転しているんだ的なものを発見した。
つまり磁性とは電子においてモーメントが発生することで発生しており、外的要因、実験で言えば磁石だが例えば木星などの磁場が強めの星を地球に近づけ、木星も地軸の頂点が磁性Nであった場合、木星の南極に相当する部分を上手いこと近づけて地球の地軸を傾けることが出来る。
磁性とは言わばこのモーメントによる傾きによって制御されているのだ……と解釈した。
俺の認識が正しいかどうかはわからないが、ド・ハース効果とはそういうものだ。
ちなみにアインシュタイン達が実験から提唱した理論をそのまま地球と太陽に当てはめると、太陽は円柱であり長い棒で、地球は複数ある。
そして地球は常に一定の回転をしており、同じ軸線上に複数配置されている。
例えば地球人が南極に向かって真上を見上げるともう1つの地球だけが見え、北極に向かうと同じようにもう1つの地球の南極が見える。
お互いの地球人はこの光景を見て"きっと地球は他に2つあって私たちを合わせてこの世に3つあるんだ"――などと思う事だろう。
実際は"全ての地球人"がロケットなどで観測しない限り永久にそう考えるわけだが、アインシュタインの実験においてはもっと大量の地球が並んでいる事になる。
しかし絶対に公転位置がズレないので地球人はそれを知ることが出来ない――と、こうだ。
しかも、外的要因で地軸を傾けると全ての地球の地軸が一定方向に同じだけ傾く。
磁性Sの木星が近づいてきたらある日突然地軸が傾いて赤道や北極や南極の位置が変わるが、新たな北極や南極から見たもう1つの地球は全く同じ状態で地軸を傾けている。
そのため、この世界は鏡の世界かなにかなのかと勘違いする事になる。
少なくともアインシュタインの考えた理論を置き換えた世界の太陽系はそうなる。
だがこれが大きな罠だった。
俺が知る未来においてのスピンは推定的ではあるが、外的要因によってその力を強める事になっている。
また、そもそも地球は同じ軸線上に並んでいない。
そもそも太陽は円柱じゃない。
雲状で、よくわからないボヤけた状態だ。
もし上記のように複数の地球の存在があったら、地球人はこう言う事になる。
"大変だ! 太陽系には地球しかない! 全部地球が回ってる!"
"しかもなんでかみんな地軸がバラバラだ! おまけに公転軸すらバラバラだ!"
"うわっ地球の中には自由に動き回って太陽系から離脱したりする奴までいやがる!"
"わけわかんねえけど観測したらある地球は俺たちのいる地球を鏡で反射させたようだ。俺達がロケットを発射すると正反対の方向の全く同じ位置から同じ時間で発射してきやがる。"
"そいつらの様子を見たら光速を越えた通信すら出来そうな気がしてきた"
"宇宙怖い!"
これこそが量子力学である。
当時アインシュタインはまだ未完成の量子力学でスピンを証明できることを知っていた。
しかしこれを二次元的、三次元的に証明すると……
地球は光速を越えた速度で自転しはじめてしまう。
世において光速を越える物質など無い。
自然法則は絶対であり、推定を利用した確率論など絶対に認めたくない。
そう考えている男においてこのような証明の仕方などできるはずがなかった。
しかし時代を経るごとに量子力学はその存在が肯定化。
稚拙だった量子力学も、俺が知る未来においてはスピンは原子や電子が自転しているのではなく、さも自転しているがごとき運動エネルギーの発生をまるで回転運動でも起こってるのように置き換えて証明しているだけに過ぎないと定義されて物理法則の一部として認知されて活用される。
実際に原子や電子が自転しているということを証明できたわけでもなければ観測された事もない。
わかっている事は電子スピンが磁性を決定するが、その磁性を決定する電子スピンの方角、つまり地球で言う地軸はバラバラ。
それがバラバラだけどある程度方向が整っていれば磁力に反応して磁石などにくっつき、バラバラの状態のままスピンが強まっていくと磁力に反応は示す一方で磁石にくっつかない常磁性状態となる。
キュリー温度というのは温度に対してその物質がスピンの状態によって方角が定まらなくなって常磁性になる温度を示したものであり、いわば常磁性体と呼ばれるものはすでに常温でキュリー温度に達しているとも言い換える事が出来る。
実際には冷やすことで磁石にくっつく金属は稀であるが、実在する。
このようにアインシュタインの発見には大きな罠こそあったものの、彼の発見がある冷凍技術の発見に大きく貢献することとなる。
それこそが断熱消磁なのだ。
断熱消磁とは、電子や原子核がスピンという形で運動エネルギーを持っているならば、その運動エネルギーを制御することで冷却が可能なのではないかという理論を応用したもの。
物質は周囲の温度に自らの温度を合わせようとする。
物理法則においては互いの変化を常に打ち消しあう力が働くために当然そうなる。
なんらかの外的要因、内的要因なくして温度を一定以上と出来ない。
この熱力学的法則性から、非常に強力な磁場を磁性体に当てることで、ある物質においてはスピンやモーメント(この当時ではまだモーメントであるが、実際には量子力学における角運動)の変動によりその物質のもつエントロピーが低下し、物体自体の運動エネルギーが減って周囲より温度が大きく減り、周囲の温度に合わせて調節しようとする吸熱という現象が発生することが予測された。
気化熱に近いものを金属製の物質が発生させるということだ。
これこそが断熱消磁であり、実際に実験機を作ることで証明できたのだ。
以降、断熱消磁は常温では気体の物質を液体化させるなど、元来では不可能であった物質の冷却のために応用される。
俺が見出したのはこの断熱消磁に近い理論である。
皇暦2598年時点において、物質の吸熱についてはすでに一般的に認知されていた。
しかし、俺がこれから試す理論は70年も先に発見された吸熱方法だ。
なぜならこれが吸熱される理由を証明するには、量子力学が不可欠となるからである。
構成自体は割と単純だ。
吸熱する物質は窒化マンガン・ガリウム。
なんと現在においてごく普通に手に入るありふれた物質である。
この窒化マンガン・ガリウムは、気温17度付近という常温において一時相転移を起こす面白い特性がある。
問題はその相転移の時のエントロピーの変化だ。
反磁性というある程度整った方角にスピン軸を持つ電子を内包した窒化マンガン・ガリウムは、17度を越えた瞬間に電子のスピンが強烈化。
スピンの方角がバラバラになって強烈な運動エネルギーが発生する。
この際、周囲の電子は互いに影響し合う影響により連続的かつ不可思議なエントロピーを瞬間的に何度も起こす結果、物質はそのエントロピー変化を支えるためのエネルギーを必要とするので、周囲のエネルギー、すなわち熱エネルギーを奪って補填しようとするのだ。
そして恐ろしいのはここからだ。
物質というのは基本的に格子構造を持つとされる。
この格子構造には様々な形状があるが、実はこの格子が電子の方角の方向性に大きく影響し、磁性を持つのか反磁性を持つのか常磁性を持つのかを決定付けることがわかっている。
未来の話だがな。
反磁性と呼ばれる、磁石のどの極性を向けても反発する物質の場合、その格子は三角形であるとされる。
磁性の方角を決定するための電子の互いの影響が三角形だと、常に反発する方角に磁性が向くというわけだ。
この物質の分子構造は圧力によりその格子構造の枠組みが広がったり縮まったりする。
そしてその枠組みが広がったり縮まったりすると磁性を発生させる要因である電子の互いの影響度合いが変化し、物質のもつ磁性の特性が変化する。
圧力をかけた場合、格子構造は縮まる。
窒化マンガン・ガリウムの場合、この時に互いに影響を与えて磁性を決定する電子のスピンが強まり、温度を上げたのと同じ状況となる。
そして圧力を加えているがゆえに互いの電子同士が及ぼす影響度合いが強まる結果、エントロピーの変化に必要とするエネルギーが大幅に増大。
1気圧における相転移とは比べ物にならないほどの吸熱現象が発生。
それも割と簡単かつ、そこまででないちょっとした圧力でそうなる。
この吸熱効果は1000気圧で窒化マンガン・ガリウム1kgあたり6kJの吸熱。
これがどれほどヤバいか。
一般的なこの時代の液冷ラジエーターの冷却能力は18kgで約4KJ。
つまり1Kgあたり0.2kJしかない。
当然上記の吸熱と放熱は完全に1kgで6kJとはならない。
なぜならシステム構造が1kgなわけないからだ。
だが圧力を加えるシリンダーと回転構造を上手く出来たとしても冷媒1kgに対して10kgにはなるまい。
凄まじい冷却効果が期待できる。
そしてもしこれを成功させた場合、アインシュタインは認めなければならなくなる。
この現象を既存のアインシュタイン・ド・ハース理論では証明できないと。
エントロピーの変化はすでに熱力学などで計算方式があるが、そのあまりの吸熱の高さの背景には量子力学的電子スピンが関係している。
均一の方向を向かない電子スピンがフラストレーションと呼ばれる不均衡かつ不安定な磁性の変化を発生させる結果の吸熱であるが、アインシュタイン・ド・ハース理論においては電子のスピンの方角は常に一定だから、その証明ができないんだ。
あれにおいては磁性の外的要因によってトルクが発生する事になっているが、そんな均一な動きでは吸熱可能な数値はもっと低くなる。
この吸熱は均一ではない運動エネルギーが発生することで始めて証明できるため、電子スピンが均一ではないと認めない限りド壷にハマる。
妙な定理や計算式を考えてもどうにもならんはずだ。
だから俺はこいつが出来上がったらアインシュタインにその話を試料を渡しつつ喧嘩を吹っかけてみようと思う。
「――という事なんだが、どうだ」
未来については多くを語れないので極力伏せた上で語ったが、中山が理解できている様子は無い。
常識を否定するので当然だろうとは言える。
ところが奴は俺にとんでもない言いがかりをして自己理解を深めようとしたのだった。
「……よくわからねー。ともかく紅茶が危険な液体で王立国家はそうやって発展してきたことだけはわかった」
「違うと言ってるだろ!!!」
もしかすると理論説明がガバガバかもしれないけど、極めて低い圧力による非常に高い吸熱効果を持つ物質の発見は2014年に現実世界の日本が発表したものです。
理論の話は後ほど訂正するかもしれません。
もっと前から日本においては強烈な圧力を加えて多少の吸熱が発生する事だけはわかっていましたが、まともに活用しうるものの発見は初めてでした。