第126話:航空技術者は連鎖反応する物質への対応に苦慮しつつも、自らの意思を曲げない(後編)
耐Gスーツの検討会が行われ、新たな方向性でのアプローチが決まった数日後。
俺は西条に緊急招集を受けた。
5日後に行われる首脳会談に先駆けて、王立国家が持ち込んだ技術について俺への意見を伺いたいのだという。
俺は事前にスピットファイアとG.55の問題に関しては首脳会談後に持ち込めばいいと話していた。
例えば両国が自国のジェット機を持ち出して皇国のジェット戦闘機の供与を求める展開があったとしても、その裁量については西条らに任せることにしていた。
そのため、一連の話が持ち込まれても陸軍サイドで検討するように先月での三者会合にて予め話をつけており、それ以外においてよほどの事がない限り呼び出さないでくれと言ってあった。
各々の状況がまとまってある程度手が空いてきたとはいえ、まだ忙しい事に変わりない。
最新戦闘機二種と重攻撃機においての各部の細かい仕様については何度も試行錯誤が重ねられており、メーカーと検討しながら形づくっている最中なのでなるべく技研から離れたくなかったのだ。
戦車は元クルップの者達と重駆逐戦車の開発を任されているメーカーの者達だけでも何とかならなくもないのだが、戦闘機はよりデリケートなのでそうも言ってられなかった。
呼び出された理由についてはなんとなく察しがつく。
この時期において俺を呼び出して意見を伺いたい存在なんて早々あるわけがない。
いよいよ未来を考える上で避けては通れぬ話をしなければならない時がきた。
そうに違いない。
午前中にメーカーの者達と話をつけた俺は急いで参謀本部へと向かった。
◇
「おおっ来たか信濃。待ちわびていたぞ」
相変わらず豪華絢爛な個室に入ると西条は会合や会議などに使う机に据えられた椅子に腰掛けていた。
「どうされたんです」
「早急にお前の考えを聞きたい。これを見てくれ」
俺の目の前にはテーブルに広げられた大量の資料が並べられている。
すぐに本題へと入りたいがためにそうした……あるいはそうさせたのであろう。
手にとって見た瞬間に思わず乾いた笑みを浮かべそうになった。
それは俺の予想が当たったという意味での自然な反射行動であり、呼び出した要因そのものに対する想いは笑うなどという行為とは真逆の感情を有している。
……やはりな。
「これがお前が4年前の段階で説明していた例の"新型爆弾"に纏わる詳細情報か」
「核兵器です」
「……例の……広島と長崎を吹き飛ばしたという……」
「ええ。少なくとも私が現代へと出戻りするまでの間、皇国が……皇国だけが唯一の被爆国です」
「むう……私はかねてよりその話を聞いていたから、半年前に開発依頼を受けた際には、その危険性から兵器転用を目指さぬ上で核物質の効能をより探る方向性での研究とし、核兵器開発を留まらせていたのだが……王立国家は我々と協力してどうしても実現したいようなのだ」
手に取った資料に目を通すだけで西条に置かれた今の状況が理解できる。
王立国家はガンバレル式核爆弾の基礎情報を皇国に渡した。
この時点で最重要機密に値する情報だ。
おそらくNUPにはまだ伝えていない。
本来の未来でももう少し後ででしか伝えていないNUPが知るのは本年の10月。
それよりも半年以上も前に皇国にガンバレル式の情報を知らせたか……
皇国と王立国家による共同開発ならばこれを実現できると言わんばかりに。
西条はこれをこれから陸軍上層部に見せて話し合わねばならない。
当然、陸軍は決戦兵器として開発を行うよう支持するだろう。
そしてロケット兵器に搭載することを念頭に入れるだろう。
そのガンバレル式の核爆弾が本来の未来において"リトルボーイ"と名づけられ、一撃の下に広島を一瞬で更地にしたことも知らずに……
そのまま開発を進めれば今度は我々が加害者になる。
「正直言って、この情報は私の手に余る。――"わずか20kgのウラン235だけで一つの地域を破壊できうる"――……その記述だけで血の気が引いた。お前の言っていた話の真実性がさらに高まる記述だ。直視していられない」
「……現段階において彼らはその危険性を知りませんからね。単純にそこいらの金属とは別格と言えるほどに比重の重い物質が連鎖的に自然に破裂するので、通常より"少しだけ強力な爆弾が作れる"――といった認識しかない」
「結局、我々も核兵器という……非常に危険な存在を生み出した大いなる枠組みの1つであるという事か……」
「そうです。その結果、なぜか我々だけが攻撃を受ける事になる。私が納得できないのは、あの後一度たりとも全ての国が使う事がなかったことです。あくまで私見ではありますが、NUPも被爆国になっておくべきだった。NUPにはそれが正義の剣でないことを知るべきだと思っています」
「どうにかしてこいつを誕生させないようにする方法はないのか」
「無理です。遅かれ早かれ人類は気づきます。どの国家がそれを実現化するかはさておき、いつか誰かが誕生させてしまうことでしょう。そしてそのキッカケの1つを作ったのが我々です――」
核物質による連鎖反応。
これらについては少なくとも2599年の時点で皇国を含めた主要列強国は気づきかけていた。
同年1月13日に公開された有名な核分裂に関する論文が出る前後において、その情報はあまりにも危険かつ国家の興味を惹くものであったので、諸外国が可能性を探り始める契機となり、当時の物理学による計算の果てに見出されたのだ。
それらに付随して核物質を兵器化するという可能性をさらに探り始めたので、核兵器の始まりはこの年であるというのが後の時代の歴史研究者の主な主張だ。
歴史的な年表を整理する限り、王立国家が核の連鎖反応を直接攻撃に利用した兵器を先に考えていた。
しかし、核爆弾という存在を公に肯定した論文を一番最初に公のものとしたのは他でもない皇国なのだ。
その時点でNUPや第三帝国、王立国家などではにわかに"可能性"程度に留める程度の認識でしかなく、実現するかどうかはまだ不透明な状態であった。
理論としての核爆弾は2599年6月の王立国家におけるユダヤ人系の研究者によるレポートが初出だが、当時まだその情報は最重要機密であり、王立国家はその情報を隠していた。
皇国において核物質関係は機密でもなんでもなかったので公開してしまったわけだが、他国に先んじて明確に肯定しうる論文と実験結果を王立国家の有名な科学雑誌に寄稿してしまったのである。
当然、王立国家やNUPがこれに危機感を抱かぬはずがない。
皇国が実験により見出した中性子とそれにまつわる連鎖反応についてこれを利用した爆弾の可能性についての論文は、二度目の大戦において世界各国にて"作れば勝てる"という想いを抱かせ、各国は大なり小なり開発に邁進する事になる。
ちなみに、皇国がこの可能性を提起した際、王立国家のごく少数の軍幹部らは怒り心頭だったと聞く。
王立国家内では第三帝国が時を同じくして開発を行っているのではないかという疑念を抱いていた。
そんな中で皇国がソレを公開したことで、もし現時点にて一連の情報を知らぬというならばほぼ確実にその開発に力を注ぎ込むことが確定的になったわけであるし、その逆に皇国と同盟を組んでいる第三帝国が既にかなりの領域にまでその理解が達しており、皇国に情報提供したことで皇国が情報を公開するに至っているのだ――という、2つの考えとそれに伴う恐怖が生まれたからである。
答えとしては前者でも後者でもなく、皇国は自力でソレの領域に達し、第三帝国は裏で既にかなりの領域にまで到達していたのが真実。
だが、どちらにせよ本来の未来においては敵対しつつある列強二国がソレを手にする可能性があったのだから、公開された論文を見た事情を知る者達は寿命を削ったであろうことが容易に推測できる。
王立国家は本来の未来において最終的にマンハッタン計画に加担し、皇国の広島と長崎が吹き飛ばされる爆弾を誕生させる助力を行ったわけだが、やり直した今の歴史においてはNUPよりも皇国の方が信頼に厚く、第三帝国からもたらされたのだとしても自力で到達したのだとしても、皇国がその領域に達しているのだからと共同開発を提案してくるのは当然のことだろう。
昨日まで不安の種の1つであった国が今は同盟国なのだから。
本国が周囲を海に囲まれたちょっとした大きさの島でしかない王立国家は、海を隔てた1000km程度先に第三帝国があり、それこそ第三帝国が本気を出せば吹き飛ばされかねない恐怖は間違いなくある。
現段階で高度1万5000m以上まで飛行できる爆撃機さえあればいい。
俺には今不安がある。
本来ならすでに現れているはずのJu-86の高高度偵察機がいまだに姿を現していない。
おそらく現状だとキ47で迎撃可能だから作っていないだけだ。
だが高高度飛行に関して第三帝国が諦めるわけがない。
高高度飛行を目指したP型の開発などを通して最終的にあいつらはJu-86 R-3という、高度1万6400mの空域に到達する爆撃機を試作した。
旧型機を少し弄った程度でそんなことが可能な実力がある。
搭載する爆弾だけが手元になく、それを投射できるような機体を作る事は可能なのだ。
そもそも核兵器など完成せずともそんな高高度飛行可能な爆撃機を作られると、せっかく必死で防衛している連合王国を奪還されかねない。
それはなんとしてでも防ぎたいわけだが、それ以上もあることを予想した上で覚悟もしている。
「信濃。どうする。この話をつっぱねる理由を考えるのは容易ではないぞ」
「確かに、上層部の者達がこの話を聞いたら莫大な金額の開発資金を投入しようとするでしょう。ただ、開発難度は尋常ではなく高い。NUPの協力がなければ2605年までに作れる可能性は低いと言えます」
「しかし開発を行うというのであればいつか完成することだろう。その時において使わぬ選択肢を選ぶ事が出来るのは、その時点でどこかが先んじて使っている場合においてのみ存在すると考える。違うか?」
その通りだ。
俺がいくらその危険性を説明した所で、現時点で核兵器や放射性物質の危険性を理解する者など殆どいないのだから理解されない。
誰かが使う事ででしか歯止めとなる壁は生まれない。
いや……あるいは……その恐怖の一端を知ることが出来ればまた違うだろうか……
「……私にはそんな勇気などありませんが……しかし例えば臨界状態の事故のようなものを起こし、皇国またはいずれかの国民の少なくない数の人間が放射線障害を負えばまた状況も変わるやもしれません。結局は各国が使わぬ理由はそこに帰結するところがありますので」
「私はそれすらも防ぎたいと考えている。だが一方で7000万人の国民を守らんがため、核抑止という存在を否定できないでいる。これは軍人としてではなく、政治家の立場としての意見だ」
「核兵器を直接保有するという考えについて私は否定的です。なぜなら――」
核抑止。
確かに効果はある一方で、これほど金がかかる存在はない。
これより30年後ぐらいの間は、軍を削減しても核兵器さえあればよほどの事がない限り他国が攻め入る事はないので、国家を保全するための最高かつもっともコストパフォーマンスに優れた抑止力の手段と考えられた。
しかし俺がやり直す頃になると状況が変わってくる。
結局、ソレを手にした瞬間から大きな負債を抱え込む事になる。
相手より先手を打つだけの力を保つ。
相手より多くの力を持つ。
減らせないジレンマ。
爆弾を支える攻撃兵器ミサイルの開発に大量の資金を投入せねばならないという呪い。
それが西側を苦しめ、資本主義が故に自国の経済を圧迫し続けて結果的に油断を生んだ。
共産主義の名の下に労働者に十分な対価を渡す必要性のないヤクチアなどは、常に強い力を保有し続け、各国を揺さぶり続ける事になる一方で、NUPなどは新兵器の開発に資金を投入することが次第に難しくなり、結果ヤクチアに既存の兵器では迎撃不可能な新型核兵器の開発を許す。
もはやその正体の詳細すら知らぬ迎撃不能な核兵器を盾及び矛としたヤクチアは、少しずつ少しずつ忍び寄ることで対抗不可能な国家を飲み込んでいった。
西側が定めた核拡散防止条約によって核兵器を捨てた国家などはすぐさま蹂躙された一方で、核を保有する国家に対しては慎重な姿勢を示していたが、地図の色を塗り替え続けていった果てに、彼らが迎撃不能な新型を用いて一気にカタを付けるのだということは確定的で……
西側が対抗するにはそれらを迎撃しうる新兵器が必要だったものの、これまでの負担などが強くのしかかり続けた結果、新兵器の開発は滞ってしまい、正直なところお手上げに近い状態にあった。
他方、その状況の中で上手く立ち回っていたのが華僑であった。
表向きに核兵器を保有していると主張していた華僑だったが、実は保有していなかったのだ。
正確には準保有状態といっていい。
彼らはその負担が尋常ではないことを理解していたため、いつでも兵器化して運用できるようにはしていた一方で、普段からサイロなどを稼動させていつでも撃てる状況にはしていなかった。
ある時期を境に華僑は1週間に1発以上のロケットを打ち上げて、平和利用と称して宇宙ステーションなどを独自にこさえたりするようになるが、このような体制を維持していれば十分だと認識していた。
ようは敵はヤクチアばかり目を向けているので、表向きヤクチアと共同歩調をとる姿勢であるだけなら、いざとなったらヤクチアに反旗を翻せばいいだけで先制攻撃にて華僑に弾道ミサイルなどが落ちることはない。
そう考えていたので、共産党による一党独裁体制であった華僑の一連の地域は、3日あれば弾頭を作って即座に撃てるようにできる体制としつつも、普段は核ミサイルなどといった状態で保有しない体制としていた。
その方が圧倒的に金がかからないからだ。
必要に応じて保有状態を維持する体制にも出来るが、普段はあえて保有という段階にまでは至らない程度で抑えておくことで、経済的負担を最小限としていたのである。
打ち上げるためのミサイルはロケットとして普段は運用。
民生利用を主とすることで打ち上げ費用をなんらかの形で回収できる。
核兵器の材料となるプルトニウムやウランは原子力発電のために活用できるし、普段からウラン濃縮を行い続ける動機ともなる。
こっちの方が無駄がない。
俺がそれを知ったのは、ユーグでの政治運動中に共産党のある党員と出会い、華僑に招待されて会合を行った時の事。
彼らは俺に「少しやり方を変えるだけで皇国はもっと幸福指数の高い国になれたのだ」――と、俺を皮肉るようにして真実を教えてくれた。
華僑は決して裕福な国ではなかったが、それでも皇国よりマシだとは言えた。
だからといって共産主義なんかに染まる気はなかった。
その会合がその道への誘いだったことはよく理解しているが、最後までそれを良しとはしないまま彼らとは別れた。
彼らは会合の最後をこう締めくくったことを今でもよく覚えている――
~~~~~~~~~~~~~~~~~
「信濃先生。我々はかつて皇国と呼ばれた国家を反面教師としている。今の状況を見れば、これが最善の策だと言う他ありません。奴隷のような生き方を強制され、国という存在すら奪われるなどもってのほか。絶対に勝てない相手に対峙する意味などありません。例え思想的に完全には相成れない者であっても、表向きは二人三脚で歩む姿勢を見せるだけで国家としての立場を保障してくれるのです。皇国も道化を演じ続ければ良かったのですよ……私達を見てください。我々はヤクチアによる核の傘の下にいて"核を保有している"という偽の宣言を行い続けるだけで、こうも安全な立場を確固とした状態を保ち続けているではありませんか。それだけで三度目の大戦を乗り切れると信じています。どうせNUPや王立国家など我々を攻撃できまい。なぜなら我々はヤクチアほど彼らを刺激していないからですよ。彼らがヤクチアを倒す奇跡を起こした時にはあっさり掌を返せばいいし、彼らがヤクチアに飲まれるなら現状を維持すればいい。少なくともヤクチアは我々が敵ではない事実上の同盟国という立場があるだけに今後も攻めてくる事はないでしょう。それもこれも、本来においては近い思想を持つ皇国が教えてくれたことです。我々は戦うべきではなかった。あの時、共闘という道を選んでいた方が……民衆はもっと幸福感を得られたかもしれません。まあお互いにそれを実現するかどうかは難しいでしょうがね。いずれにせよ、数十年前まで皇国と呼ばれた地域はこのままだと我々やヤクチアの盾として滅んでしまいます。もう諦めたほうがいい。どうですか。同じ東亜人として私達と歩むというのは。もう一度考えてみてください」
それは長い演説のような語りかけだった。
1分が1時間にも感じるような、むせ返るような空気だった。
だが俺はどうしてもそれを認めたくなかった。
なぜならば――
「皇国人は、何度生まれ変わろうともいつか皇国を取り戻します。我々はその魂魄を絶対のものとして、例えそれが何億回にも及ぶ永遠に近い地獄の中での挑戦だったとしても成し遂げてみせる……そういう民族です」
「そのような世界があればいいですが、非論理的すぎます。平均寿命から考えて残りの10年をどう有効に使うか、改めて考えてください」
~~~~~~~~~~~~~~~~~
あの時、俺の年齢はすでに70に達していた。
まだあの頃は諦めてなかった。
諦めかけたのは90を過ぎてからだ。
それでもあの言葉に嘘は無かった。
その宣言どおり、今俺は違う未来を作ろうというのだ。
だが、その違う未来を作る上で皇国が核兵器を作りだすのはまだしも、それを実戦で使う国になってはいけない。
「首相。我々が先に使えば間違いなくそれはヤクチアに使わせる大義名分となります。奴らは1発で首都圏全域を吹き飛ばせる核兵器をいつの日か完成させてしまう。おまけに正体不明の迎撃不能な長距離攻撃可能なミサイルも開発する。彼らは開発に成功した瞬間、我々を攻撃してヤクチアを取り戻そうとするでしょう」
「そのために使わずに戦えというのか」
「準保有状態を否定する気はありません。いつでも作れるが普段は保有しない。それがベストであり、オンリーワンの選択に思います。東亜三国はその体制を維持すべきです。その方が半世紀後の東亜の経済状況が変わってきます。NUP以外は先にそれを使った者が後々において負けると言っていい。いや、100年200年先を見たらNUPですら怪しい。今後を考えれば本来の未来においてNUPは攻撃されても文句を言えない状況となっていた。それを覆すための大量の核兵器保有だって時代が進めば意味を成すかどうか……」
「どうすればその状況に持っていけるのだ」
ギリギリと力をこめて握り締められた西条の拳が、本当はそうでありたい、そうでなければならないと理解しつつも、政治家としてそう誘導することが容易でないことを表している。
「知るしかありません。その危険性を。中性子を大量に浴びるだけで人間はその時点で死を迎えるのだと。大量の中性子を人体が浴びたらどうなるかご存知ですか」
「わからん。それで人が死に至るという事はお前から聞いたが」
「細胞内に存在する人体の設計図が失われ、細胞分裂が止まります。皮膚が形成されなくなり、大量の体液が体全体から漏れ出すようになる。激痛にあえぎながらも心臓などは動くので残された生きようとする体内の各種器官に苦しめられる事になる。それはどんな拷問にも勝ります」
「焼夷弾を食らったような感じか?」
「いえ、全身火傷なんて生ぬるいものではありません。全身の細胞が新陳代謝を果たさなくなり徐々に死に向かって突き進んでゆく。半世紀後の医療技術ですら90日間程度しか生きられない。実際には人間としての生命活動は浴びた時点で強制停止させられ、生きた屍として意識を完全に喪失するまで苦しみ続ける事になる」
「むごいな……広島と長崎の皇国民の一部は……」
「近い状況に陥りました。武器として保有することがあっても絶対に我々は使ってはいけません。動物実験でも何でもいい。試してみればいいんです。核爆弾はそれに近い重い放射線障害を広範囲で与えつつ、広範囲を焼き尽くす悪魔の兵器です」
俺の言葉に西条は目をつむってしばし沈黙する。
必死で頭の中で考えをめぐらせているのだろう。
俺としてはなんとしてでもある程度の所で踏みとどまってほしい。
新型爆弾が落とされてからしばらく経った後、俺は広島の地を見ている。
技研の技術者として何か得るものがあるかもしれないという上からのお達しによって向かう事になった。
おそらくは敵愾心を強めるための詭弁であったが、向かった先の状況に言葉を失った。
あの惨状を見た人間としては加害者にも被害者にもなりたくないというのが本音だ。
未来永劫、皇国が被害を受ける事が無い状況にするのが俺の使命であると言える。
「……共同開発を否定するのは難しいだろう。開発はせねばならん。ようは……その危険性を十分認識しうるよう、兵器として形にする前の段階で手を打てばよいのだな?」
「そうです。陛下も核兵器がもたらす後遺症を知らぬ状況なら落とすことを認めてしまう。準保有状態まで否定していただきたくはないですが、陛下が絶対に使うなと言うだけの危険性を認識して皇国と王立国家の国民が理解し、その上で今度の大戦で全ての国が使わない。それが理想です」
「難しい注文だ」
「中性子の危険性を実験でまずは証明していくしかないでしょうが、動物実験程度で理解してくれるかどうか……」
「稲垣大将や長島大臣らにも個人的に相談してみよう。非人道的すぎる兵器を皇国が扱うかどうかについて冷静な判断を行えうる者達だからな」
「そうですね」
長島大臣か……
彼が富嶽を作ろうとした理由の1つが核兵器の輸送だった可能性があるのだが大丈夫だろうか。
長島大臣が富嶽を作ろうとしたのは「世界最終戦争論」という、昨年の段階で世界各国に少なくない影響を与えたとある皇国陸軍軍人が描いた書物の中に、航空機と大量破壊兵器による攻撃が戦争を終結する手段であると書かれていた事に起因する。
その書物において説明された最終戦争とは今回の大戦ではなくその次の大戦を指しており、今回の大戦において皇国は思想が似通う東亜で連盟を構築することが出来れば大戦を乗り切ることが可能で、最終的にウラジミールが死ぬとヤクチアが崩壊し、東亜連盟はNUPと世界の覇者を賭けて戦うことになり、その戦いに勝つための手段こそが大量破壊兵器であるという結論を導いていたもの。
当時としては本当によく考えられていた。
世界最終戦争論の唯一の失態は長島大臣が後に述懐するように、2度目の大戦の段階で大量破壊兵器と長距離飛行可能な航空機が出てきてしまった事だ。
だが、両者が2度目の大戦内に出てくることを理解していた長島大臣は、それが原子爆弾だとは考えていなかったが、皇国はそれに類する大量破壊兵器を作れるだろうと考え、それを運ぶための手段として富嶽を作ろうとしたのだ。
本来の未来と同じく世界最終戦争論は今の世界にもすでに書物として世に流布されている。
内容は一部の記述が変更された程度でおおまかな部分は変わらない。
現状、世界最終戦争論で描かれた状況の殆どを皇国は達成しているのだ。
今の世界において世界最終戦争論は"このまま行くと東亜三国はNUPと最終的に戦うことになる"――と記述されている。
それは違うなと言いたいがそれはさておき、世界最終戦争論を見た彼なら、原爆が戦争を早期に終結させるために必要な正義の鉄槌だったと言うのではないだろうか。
それとは異なる感想を述べるなら……
彼は"俺と同じ人間かもしれない"彼が俺と同じくやり直した人間なのかどうかを見定める機会かもしれない。
「――首相。長島大臣に関しては以前も少々お話した通り、私と同属の可能性もあります。慎重に伺ってみてください。例えば彼が私と同じ考えなら……」
「未来人の可能性があるか。世界最終戦争論は私も目を通したが、現段階であれに影響を受けて核を使うべきではないと主張するのは難しいのは間違いない。これがリトマス試験紙となるかもな――」
◇
その後、俺は西条に少しばかり技研の状況について現状報告を行った後で部屋を後にした。
どう転ぶかはわからないが、いざとなったら行動を抑止するために陛下を頼る事になるだろう。
皇国の危険な行動に歯止めをかけられるのはあの方しかおられない。
信濃は極超音速兵器の詳細を知りません。