第126話:航空技術者は連鎖反応する物質への対応に苦慮しつつも、自らの意思を曲げない(前編)
基礎理論の構築後、3日後には都内のメーカーを中心に集めての検討会が行われた。
集められたのは石油製品と医療器具関係のメーカーと……倉敷や京都、そして兵庫は豊岡などから呼び寄せた職人たち。
彼らは普段、被服には殆ど関与していない。
作る工芸品は鞄類である。
しかし今回のスーツを作る上できわめて重要な素材を扱う、その道のスペシャリスト。
帆布を加工する職人たちである。
帆布。
一連の地域においては海運が盛んとなった江戸時代後期より文字通りの船舶用の帆を作る際に歩留まりとなった布切れなどを活用しての非常に頑丈な鞄などを製作し、地場産業としていた。
これらは例えば蜜ロウなどのロウを塗りこむ事により、元々のきめ細やかな生地と合わさり非常に高い耐水性を発揮する。
ナイロン生地などが登場する以前……
いや、ナイロンやポリエステル生地が登場して以降もその耐久性と性能は評価され続け、一連の素材を用いた被服や鞄類は消滅する事なく、俺がやり直す時期まで生き残り続ける。
ヤクチアのVKK-6などの耐Gスーツも同じく素材は天然素材かつ、帆布に類似したきわめて頑丈なものであり、耐用年数は13年と尋常じゃない頑丈さだった。
耐Gスーツは一人のパイロットに対して一生使わせる覚悟で提供する方針だったとされるが、耐用年数に達する前に引退するか殉職してしまうケースは少なくなかったとされる。
ちなみに事実上のインナースーツとなった最新のVKK-15については、多くの部分が化学繊維とはなっているものの、耐久性はVKK-6に劣ると言われている。
これは軽量化のための犠牲だと言われるが、どちらかと言えば衛生面などを考慮してあえて短くしたと言われる。
西側諸外国のフライトスーツが4年程度であることを考えれば、財政的に苦しかった時期のヤクチアが高耐久の装備を作りたがるのは当然であるが、13年も使っていると体型的な変化もあるだろうし、なかなか1つのスーツで完結しないため、お世辞にも効率が良いとはいえなかったのだ。
「こちらがNUP、メープル、王立国家が公開している現時点での耐Gスーツに関する情報です」
「……ふむ。失敗作とされている情報に似たような構造がありますね?」
この日のために俺が取り寄せたNUPの技術情報の写真を見た者の一人は、すぐさま似たような形状の失敗作があることに気づいた。
人が集められた室内の黒板には、数多くの大判印刷された写真が掲げられそれらの写真の全てにおいてはっきりと"Negative"という赤いスタンプが押印されている。
その中の写真の1枚こそが、いわゆるコルセット型の失敗作。
ただ紐で引っ張ってどうにかしようとしているだけのプレッシャースーツと耐Gスーツを兼任させようとしたものであり、もしこいつが成功していたら未来の航空機のパイロットは恥ずかしいスーツが当たり前だったに違いない。
しかしまあ改めて写真を見ると2620年代あたりのSF漫画のロボットのような情けなくダサすぎる非実用的なスーツも多くあるな。
この古すぎるおもちゃのロボットのコスプレみたいなものを本気で試作していたというわけだから、黎明期においての挑戦というのがいかに苦難な道のりの連続かを思い知らされる。
それこそ、あの水で満たすウェーダータイプの方がまともにすら見えるぞ。
さすがに実際に実戦で試験運用されただけはある。
見た目だけならただ紐で縛るだけのコルセット型のほうがよほど実用的かつ未来的だ。
西側主流のダブダブなフライトスーツより、よほど未来的に見える。
「この書類をどうぞ。技術情報に関する書類をごらんの通り、こちらはただ紐で縛り付けているだけで、効果的に全身を縛りつけようという発想がありません。彼らはなんらかの方法で紐をよりキツい状態のまま固定することをついに思いつけなかった。今回の構造はそれに挑戦するものです」
医療器具のメーカーの人間に渡したのは、俺が今回のために各所から集めてきた技術資料と、今回俺と中山が急造した直接加圧型スーツに関する基礎理論についてまとめた資料である。
この時点で皇国は集めようと思えば耐Gスーツの情報についてそれなりに集められたのだということがよくわかるわけだが、皇国においては根性でどうにかなるだとか、そんな設備を航空機内に仕込む余裕がないとか、様々な理由によって排除されていた要素のためにこの時期に耐Gスーツへの挑戦はしていない。
しかし2601年の段階においてかなりの情報が公開されており、ブラックアウトの仕組みなども、連合軍、枢軸国双方共に一部の国が状況把握できるだけの情報が出揃っていた。
「ふむ……なるほど。とても興味深い資料ばかりです。それで……目の前にあるチャップスのようなものが実用域に達しうるものであると?」
「そうですね」
医療器具メーカーの技術者は、技研の力を借りて急造したプレッシャースーツ兼用の耐Gスーツの理論実証用の試験品を見てカウボーイなどが身に着けていたと言われる"チャップス"と表現したが、とりあえず作動理論を証明できればいいと急造したこいつは、革とゴムで簡単に作られたものであり、あれから俺が中山と共に試行錯誤して形にしたもの。
現段階において全身型に挑むのはハードルが高い事から、あえて下半身型としているため、見た目は確かにチャップスと言えなくも無いが、内部は二重構造だし肌と密着する部分は合成ゴムとなっている。
実用化する上ではこの革を帆布に置き換えて完全な"服"としたいわけである。
革を用いたのは帆布を加工する時間が勿体無かっただけだ。
「医療には詳しくねえし、原理もよくわからねえ。外国の話もサッパリだ。ともかく、俺たちは図面さえあればその通りに作るぞ。サイズの誤差はコルセットや紐靴のように紐をふんじばって調整できりゃあいいんだろう?」
先ほどから興味無さそうに部屋の奥で様子を伺っていた職人たちは、自分たちの仕事は与えられた図面や型紙に沿ったものを作るだけであり、それらについてどういう効能や効果を期待して作るかについてはどうでも良いという様子だった。
まあこの時代の職人というのはそういうものだよな……
あくまで彼らは鞄や被服などを作るだけの男たちだ。
そこに一切の疑問を持たずに粛々と作り上げる……皇国の匠とはそういう者達なのだろう。
数十年後には全く通用しなくなるが、今はまだ許されるんだろうな。
「ええ、ですが皆様の協力も必要なんです。これからより実用化するにあたって適した形を模索していってもらいたいようは合成ゴムまたはポリマー素材を肌に均一に吸着させればいいんです」
「そういうんはそっちが考案すればいいことだ。試作品の構造を帆布に置き換えるのに特段問題はねえ。ようはちょっとやそっと引っ張っても破れねえように各部を頑丈にすりゃいいってだけだろう」
「まあまあ……そう噛み付かんでも……新しい市場の開拓になるのだとしたら、とても夢のある話ではないですか」
「どうだか……そんなに大量に作るとは思えないがな」
「いえ、大量生産はします。最終的に皇国のパイロットの標準装備にすることを念頭に入れてますので、数万では足りません。まずは1万5000着ほどを作っていただきます」
「ほおう。随分いい啖呵を切ってくれるじゃねえか。気に入ったぜボウズ」
ボウズねえ……この人らは目の前にいるのが陸軍佐官だというのがわかっていないのか。
俺じゃなかったらその場で足を撃たれてたかもしれないというのに。
まあ実現のためにはそれぐらい胆力がないと困るからあえて何も言うまいが。
職人達は俺の言葉によって少しやる気が出てきたのか、先ほどより近くで状況を見守るようになった。
「コホン、で……全身をそれでくるめば高度1万5000mでも潜水帽のようなものがあれば無事でいられるわけですか」
「理論上はね。体内の窒素さえどうにかできれば、体に生じる多くの異変を取り除くことができる」
「皮膚呼吸の問題は?」
「先ほどチャップスと呼称された試作品の両脇にある2本のゴム管が重要なんですよ」
試作品に近寄り、指で示した部分には鈍い黒色のゴム管が据えられている。
試作品の外側にはヤクチアで見慣れたように外側両サイドにゴム管が配置されていた。
このゴム管は航空機エンジン用の燃料ホースを調達して取り付けたもの。
圧力を加えない状態だとくたくただが、圧力を加えると形状を保つようになり、その状態でもってスーツを締め付けようとする。
ここからが重要なのだ。
通常、西側の耐Gスーツは作動する時にしかエアが入る事はない。
しかしヤクチア方式は常にエアが充填されており、かつ循環している。
一般的に圧力を保つ場合、必ずしも風船のごとく出入口を1つにする必要はない。
入口よりも出口の方の穴を小さくしてしまえば、自ずと内圧というのは高められるというもの。
逃げ出す空気より吹き込む空気を増やす。
ただそれだけ。
逆を言えばその構造は内圧を調整できるため、予想外の負荷を緩和させる構造を導入できるので、現時点でより実用的な構造となりうるわけだが、一般的にゴム類というのは完全に孔などが無い状態においても、それなりに一定量の気体がゴムを浸透する形で外部へと逃げていく。
これは分子レベルでゴムを見ると隙間だらけであり、気体の分子がここを通り抜けられてしまうからである。
ちなみにこれは加圧した場合であり、減圧した場合はその逆に膨らもうとする性質が働く。
当然内部の気圧を外と一定にしようとするからである。
気体の分子は水など、分子同士が微妙に接合していたりする状態とは異なり、本当に小さな分子単体だけで成立しているためにこうなるわけだ。
逆を言えば、この孔を一定間隔で配置し、気体や水蒸気の分子だけを通すサイズにしつつ、水の分子は通り抜けられないようにする。
このようなことが可能であれば汗でムレる事はないのに雨を防ぐことができるというような、まるで魔法のような被服を作ることが可能。
俺がやり直す頃に注目されはじめた透湿防水素材というのはこのような仕組みだ。
内部の素材はさておき、絶対に分子レベルで孔が空いている。
ゴムは孔が小さすぎて出口が狭く、気体もそれなりにある程度の間押しとどめる事ができるが、それでも完全に押さえ込む事はできていない。
「つまり全身に張り巡らされたゴム管は……」
「加圧しているわけだからある程度気圧が高い状態で外に逃げようとして体の周囲に点在し、皮膚呼吸を助けうる……?」
「まあ実際に本当に効果があるという話はありません。正直眉唾です。ただ、気体による加圧でなくとも皮膚呼吸が高高度にて問題になった事はなく、すでに純粋な与圧服の分野にて試験データも出てはいます」
直接的に身体を加圧するプレッシャースーツに関しては、与圧服が研究されはじめた時点で注目されてはいた。
現時点においてすでに効果的であることはわかっている。
単純にヤクチアしか早期の段階で実用品を作れなかっただけに過ぎないのだ。
少なくとも真空中以外においては特段問題無いというのがヤクチアの評価。
理論上真空中でも問題ないはずだが、ヤクチアの宇宙服は西側とさして変わらず気体による加圧。
以降も宇宙服はプレッシャータイプでないのは締め付けによる加圧による窒素ガスの気泡化にはある程度の限界があるものと推測される。
あるいは常に気体を循環させる消費エネルギーですら、宇宙という、空間内に持ち込める質量が限られた状況で運用しなければならない分野においては削減したかったのかもしれない。
他方、ヤクチアは長い間、戦闘機の機体内の与圧をしていなかった事から、プレッシャースーツは高度2万m程度なら問題がないようだ。
なぜそう言えるか。
それはVKK-6をリバースエンジニアリングして作ったスーツを後の時代にNUPも使ったが、そのスーツでもって初期型であるU-2Aを運用していたからである。
このスーツを運用した理由の1つには敵地域に落ちても味方だと誤認させることを狙っていたというが、特に効果がなかったために、撃墜事件以降においてスーツはオレンジ色の一般的な気体による加圧型に改められたのは有名だ。
しかし技術情報には"初期型の方が加圧面では高性能かつ安価だった"と記述されている。
やめた理由の1つには高高度で高くなる宇宙からの放射線などを防ぐ生地を織り込んだりしておきたかったなどの理由によるものだが、ヤクチア自体は防寒性能の向上に加えて一連の身体に悪影響を与える存在を防ぐアウタースーツを新たに開発して用いており、まさに鉛筆とボールペンに近いエピソードが存在していた。
後にそのM-55などで用いられたアウタースーツが正式化して標準化する事になるのだが、単体使用をしても特に問題なかったとされる。
1つの戦闘機のスーツだけでそこまでの高さまで対応できるというのは大きい。
無駄に規格を増やす必要性が無くなる。
また、俺は知っている。
ヤクチア方式の方が実はよりブラックアウトが起きにくいということを。
俺がやり直す頃、スポーツ分野において加圧トレーニングなるものが考案されていた。
これは身体におけるある特性を活用した効果的なトレーニングであるわけだが、実はこれがGへの耐性をより高める事をヤクチアが早期に認知していたのである。
人間においては通常時において使われていない血管が存在する。
これは老化などの影響ではなく、若かろうが年老いていようが関係ない。
医学の世界においてはこの血管がなぜ存在するのかについては俺がやり直す頃においてもよくわかっておらず結論はでていなかったのだが、この使われていない血管……
なんと身体を思いっきり締め付けて加圧することで働くようになるのである。
これを医学用語にて"血管床の拡大"というが、毛細血管など普段使われていない血管は、他の日常的に使われる血管の血流が外部からの圧力によって鈍ると、まるで渋滞を回避する自動車のごとく血流が迂回して働き出すようになる。
この血流の働きはそれまで全く加圧トレーニングをしていなかった者だと痛みさえ伴うもので、その痛みは血管内に溜まった老廃物の排出しようとした際に神経を圧迫するからと言われているのだが……
この使われない血管は身体のありとあらゆる所に伸びており、加圧トレーニングを繰り返すとそのうちにこの手の血管が普段においてもある程度身体の酸素不足に陥ると自動的に作動するようになりはじめるのだ。
つまり、より多くの酸素を体の隅々まで行き渡らせる事ができるようになる。
これまでは遠くの血管から細胞を通して運ばれた酸素や栄養分が、より近くの血管から運ばれるようになるというわけだ。
普段から訓練などでプレッシャースーツを用いているヤクチアのパイロットは、知らずのうちにこの加圧トレーニングをする事になっており、スーツを用いての訓練を重ねる事で不思議と身体能力の大幅な向上を果たしているデータをヤクチアが記録していて、その記録を俺は持っている。
要因は薬物に頼らずにドーピングで得たい効果と同じ効果を自然に体が身につけるためであり、未来においては身体能力を高めるために酸素カプセルや高圧酸素の吸引をするよりも加圧トレーニングで全身の筋肉な種々の細胞に対して効率的に酸素を送り込めるようになった方が疲れ辛く、かつ瞬発力なども向上してより筋肉などを効率的に使えるようになることがわかっているが……
双方を駆使するとさらに効果的なことがわかっている反面、ヤクチアの航空機パイロットは普段から当たり前にそのような環境化での飛行を強いられており、西側のパイロットと比較してブラックアウトしにくいのも、少ない血流で多くの酸素を効率的に上半身に行き渡らせる事が可能だったからである。
ブラックアウトによる失神は体内の細胞への酸素供給が滞る事で発生するが、気絶するまで多少のタイムラグがあることがわかっている。
そのタイムラグのタイミングをズラすだけでも劇的に発生確率を減らせる事ができるわけだが、俺が90代になる頃には当たり前となっているスポーツ選手のトレーニング方法を、知らず知らずのうちに実践し、日々の訓練によって彼らはよりGに強い人間へと成長していっていたわけだ。
西側の連中より東側の連中の方がG耐性がある。
そんなことは2630年代頃からずっと言われていたが、その理由こそ、プレッシャースーツによる副次効果だったのである。
ようはヤクチアと本気で戦うことを考えた場合、同じ壇上に上がらねば不利になるということだ。
相手はただでさえ数が多いのに、こちらのG耐性が低くてはな……
血管床の拡大については現時点ではあまり知られていないが、現代医学では血管の状況は肌の色などでしかわからないため、俺がこの場で説明しても理解はされないだろう。
ただ、データとして次第に理解されるようになり、最終的にスポーツ分野に影響を及ぼすのではないかと予測はしている。
そこまで熱心に研究する者がいれば……の話だが。
「――ともかく、直接加圧型飛行服プレッシャースーツにおいては最終的には全身を目指しますが、まずは下半身でもって実用化を狙います。最新戦闘機の標準装備として実用化せねば、戦闘機の性能に人間が耐えられない」
「そのうち人間が乗れなくなる時代が来るかもしれませんね」
「そうさせないために皆様の協力が必要なんです――」
◇
――その後、検討会においては早急に"とりあえず実用に足る実験用のスーツを作る"ことが決まり、俺と中山が急造したものを参考によりきちんとしたスーツに各部を改め、2ヶ月以内に試作品を納入することが決定された。
今はまだ不完全でいい。
ともかくそれでブラックアウトをある程度防げるようになればいいんだ。
NUPの戦中のデータにおいてはブラックアウト発生確率を半減させ、8G以上に耐えられる人間を3割以上増加させ、9Gに耐えられる人間を小数ながら発見に至るだけの効果があったという。
俺はこいつをジェット戦闘機だけでなく重戦闘機でも運用する気でいる。
いや、それだけじゃない。
百式戦と百式攻などにも導入するつもりでいる。
だからどうしても急ぎたいのだ。
一歩一歩近づく。
現代戦闘機とそれを運用するという行為に。
2610年代には全身型を開発して投入できるようにせねば……