第13話:航空技術者は長島知久平を説得し、護を開発中止させてハ44を作らせようとする
帰りの汽車では浜松工場に残った長島の発動機部門の者たちがいなくなったため、長島知久平と二人きりとなった。
彼が口にしたのはハ25に対する思いである。
「信濃君。金星はそんなに優秀か? 海軍は燃費の問題で栄を推しているのだがね」
しばらく夜景を楽しんでいた長島は突如として話を切り出した。
不満があるというよりかは単純な問いかけのようだ。
彼は航空機関係については慎重かつ鋭い視野を持つ男。
栄を否定したがる陸軍……
つまり俺に対して何かきちんとした理由があるという事は、キ35などが出した結果などからなんとなく理解があるようだ。
俺は長島を否定しないよう、彼の神経を逆なでしないよう努めながら返答する。
「長島の技術力がないわけではありません。問題はもっと抜本的な部分にあるんです。西条閣下は重戦闘機を諦めていない。D51を2000馬力級にするように、我々技研は金星……いえ、新型のハ43を2000馬力級にしようとしている。栄でもできなくはないですが、構造的余裕がなさすぎる」
「ふむ。確かに現状でパワーは劣っているようだな」
「なによりも重戦闘機を諦めていないのは長島であるはずです。何度も何度も我が軍に重戦闘機について提案をしてきている…………恐縮ながら、栄はそれと矛盾する発動機だとは思いませんか」
「栄の18気筒化では駄目なのか」
駄目ではない。
信頼性がまるでないだけだ。
そしてこのままだと間に合わない。
「開発が難航しているのはご存知だと思います。ハ43は実証用の試験機が完成しており試製機が完成間近です。単純18気筒化しただけで1600馬力。ここから改良するだけで1800馬力はいけそうだ。護と同レベルの出力を発揮できる。護よりも小型で軽量なのにも関わらず……です」
「ハ43については開発中の深山に採用しようと考えてはいるが、海軍は四菱のエンジンより我々のエンジンの方が優秀だと思っているんだ。とはいえ、私も正直金星の方が一段上に思う……どうすれば金星や新型エンジンと並ぶものを我が社が作れると思う?」
「そっち方向については正直難しいです。ただ、長島大臣が作りたい大型機向けのエンジンとしては1つ提案ができます」
そう、1つある。
なんだかんだ完成してそれなりの可能性を示す18気筒エンジンがもう1つあるんだ。
本来の未来におけるハ43に並ぶエンジンがある。
口では言えないが……長島は結局、あのエンジンを発展させることでしか優秀なエンジンとできないんだ。
「なにかね?」
「ハ34……長島飛行機が寿として開発したエンジンを改良したものがありますね。あれを18気筒化させてみてください」
「なるほど……金星とほぼシリンダー径の変わらぬ寿をベースとしたハ34を……そうか……その手が」
後にハ44と呼ばれるそれは、排気タービンの完成度こそ低く、23機しか製造が間に合わなかったが、末期の皇国にて離昇出力2350馬力に到達した化け物。
あの物資の限られ、工業製品の品質低下に悩まされた末期に誕生したにも関わらず、そのエンジンはハ43と並んで未来を示した。
そいつが搭載されたキ87と呼ばれる、俺が皇暦2604年あたりまでに作りたい四式戦を超える存在がある。
本来のハ43が完成したとて、馬力は2100~2200。
ハ44は品質が品質なら2400オーバーの化け物。
このエンジンこそ、俺が長島に量産化してもらいたいエンジンなのだ。
長島の可能性の先にある、長島だけが作れる最強のエンジンなのだ。
ハ45なんていらない。
ハ44だ。
ハ44を搭載したキ87をも超える万能戦闘機をジェット戦闘機に先駆けて作りたいのだ。
無論それは理想であって、現実と向き合うなら本来のハ43の開発を成功させて重戦闘機に挑むべきということぐらい理解できている。
だが、あの馬力には魔力を感じてしまう。
ハ44を搭載したとて、それはジェット戦闘機の保険にしかならないかもしれないが……大戦後期に登場しておくべき戦闘機ではある。
だからこそ……選択と集中を長島知久平に要求する。
あの失敗作をまずは諦めさせる。
「護は失敗です。早急に開発を中止し、こちらの計画を立ててください。西条閣下にも私から進言いたしますので」
「栄の18気筒版は中止しなくていいのか?」
彼としてもこの判断は疑問だったらしく、手でジェスチャーを示すほどだった。
本当は中止してもらいたいが、ハ45を中止すると意気消沈するだろうからあえてそちらは黙認する。
ハ44の開発に大きく貢献する存在でもあるので、ハ45を開発中止させると逆にどうなるかわからんしな。
護はどうせ開発中止になるから速い段階で芽を摘んでおく。
「化けるやもしれませんのでそちらは大丈夫。ただ、シリンダー長は160mm未満が理想です。技研内でもすでに熱力学的な答えは出ています。170mm以上のシリンダー長のエンジンがまるで失敗作である原因は熱力学的な問題があるからです。寿とハ5、そして爆撃機用として開発中のハ34の方がよほど完成度が高く将来性がある。そちらの18気筒版を作ってもらいたいのです」
「うーむ……私はあまりエンジンに拘りはなかったのだが、提案してみよう」
後に西条によってハ44と名づけられる18気筒エンジンの開発が決まったのは、この会話がきっかけであった。
当初より3年も前倒しになったが、寿こそ長島の傑作エンジン。
寿。
王立国家のジュピターと呼ばれるエンジンを大幅に改良した長島の傑作にして、その後に開発する全てのエンジンの基盤となった存在。
こいつのすさまじい将来性から14気筒化を進言したのは他ならぬ陸軍。
これをハ5として採用したのが1年前。
本来の未来にて後に誕生する二式はこのハ5の改良型であるハ41が採用されて搭載し、600kmを超えた。
つまりこの時点で金星とならぶエンジンではあったわけだ。
ならなぜハ5を俺は試験機に採用しなかったかというと、ハ41共々信頼性が低かったから。
長島は単純14気筒化ではパワーウェイトレシオに優れないとハ41をこさえたが、これには新機軸の技術を盛り込みすぎてパワーと引き換えに信頼性が大幅に低下していた。
同じく改良型のハ34はハ5の欠点を取り除いて整備性などを向上させたもので、こちらの方が圧倒的に優秀だったのだ。
………ハ5もまた信頼性が低かったのだ。
このあたりは誉と呼ばれるハ45でもやらかしたことだが、長島はエンジン開発において無茶な設計をしすぎるきらいがある。
優秀な将来性を確保した傑作エンジンをそうやって潰してきたわけだが、ハ5の信頼性に不満を抱いて改良させたハ34は高性能であり、爆撃機に採用されたのだ。
そのハ34は現時点でまだ完成していないが、将来性を見据えて陸軍は「こいつを18気筒化しろ。ハ44として採用する」――といって、ハ34をベースにハ44を作るわけである。
この未来は変わらず、あくまで前倒しにさせただけに過ぎない。
ハ44こそ、俺が長島に造ってほしい18気筒エンジン。
いまのうちに提案できてよかった。
西条にも作らせるよう促し、ハ44もハ43共々早急に実用化に漕ぎ着けたい。
そういう意味では、地獄の日々でD51にもう一度輝きを取り戻してもらいたいと奮闘したあの時間は無駄ではなかったと言える。
全ての行動に無駄などないというならば、あの挑戦は無駄ではなかった。
◇
翌日。
すぐさま西条に連絡をとったことによってハ44の開発が正式に決定され長島に通達された。
長島も快くこれを受け入れた上で、護の開発中止を決める。
それを聞いた四菱も火星の開発中止を決定した。
これは大きな未来の変化だ。
選択と集中がより鮮明となり、170mm未満のシリンダー長を誇るエンジンだけ生き残ることになった。
火星と護は失敗作ながら、明日を夢見て技師たちが改良を施そうと努力してしまった代物。
早期に護と火星が開発中止となったことで、ハ43とハ44、そしてハ45に各メーカーは注力することになる。
四菱においては瑞星についても生産は継続しつつ改良などの開発を中止したとの事だが……
金星ことハ33と新たなハ43と本来のハ43だけに今は注力してくれるようだ。
瑞星について四菱は最終的に大戦初期に同様の判断を下すので、それが前倒しになったという事になる。
2000馬力級については現用の状態で十分だ。
3000馬力級を作ろうというなら、それぞれ14気筒並列シリンダーエンジンを前後に2つ繋げた28気筒にでもすればよく、NUPも最終的にその結論に達している。
四菱には22気筒のハ50という未知数の存在もあるが、シリンダー長が170mm以上でありなんともいえない。
一方の長島にはハ51というハ45を22気筒にした完全な失敗作があるが、これもなまじハ45が基礎設計であるだけに出力限界が見えていて、ハ44とさしてパワーが変わらないのに、ハ44のような信頼性が皆無で試験段階で実用化の目処が立たなかった代物。
3000馬力達成はNUPが示したように、強制空冷ファンを導入して14気筒並列シリンダーのエンジンを2つ繋げた28気筒の方がいい。
つまりハ33とハ34を前後に2つくっつけてしまえば良いということ。
ただ3000馬力級にもなるともはやジェットエンジンでよくなる。
そうなる前にジェットエンジンは開発しておきたい所だ。
ところで、海軍に知り合いがいる者の話を参謀本部にて聞く限り海軍は陸軍の進言によるメーカーの決定に驚きを隠せないようだが……
エンジンについてはよくわかっていないのでハ43に期待しはじめたと聞いている。
あっちがメーカーに対して強気になれるのは空力関係のみ。
あーだこーだ言って最終的にはメーカーに否定される。
笑えないのは陸軍の技研の方が総合力では上回っていた点だ。
未来が変わった現時点という話ではなく、本来の未来でもそうなのだ。
だからこそ空力のためだけにハ25やハ45なんかに拘ったりして泣きを見る。
俺がそれを改めて否定する。
いよいよだ。
一式と双発機に本格的に手を出す時がきたぞ。