第120話:航空技術者はパイロットを安全に射出させようとする
「コンプレッサー圧力確認」
「よし!」
「始動機圧力正常。機体接続確認!」
「よろし!」
「電源車からの通電チェック!」
「電圧正常。問題無し!」
「バルブ開け!」
「――コンタクトォ!!!」
何とも懐かしくも近代的な音だ。
ようやく形になってきた。
皇暦2601年2月19日。
戦車開発が順調であったため、元クルップの者達や四菱などの製造に関わるメーカーの者たちに詳細設計を任せていた俺は多少時間に余裕ができたので、立川の飛行場の一角にて特戦隊の訓練模様を視察しにきていた。
訓練内容はエンジン始動とタキシング。
整備要員が指差し確認を行いながら各種計器を目視しつつ、定められたマニュアル通りにエンジンを始動させていく。
今目の前にあるのは1/1モックアップ。
ただしただのモックアップではない。
この1/1モックアップは従来の外観すら適当な作りのものなどではなく、これより2年のうちに完成するであろう試作機と全く同じ外観をしている。
俺が知らぬ間に技研の他のものたちがこさえたものだった。
訓練前に内部を確認することができたのだが、コックピット内など、一部においては搭載が予定されている各種機器を載せている。
そればかりか、こいつはつい先日完成したばかりのネ0を搭載していた。
ネ0はターボシャフトエンジンであるCs-1をターボジェットエンジン化させた、本格的にジェット機として成立させるための最重要心臓部である。
まあ別に基本構造を大きく変更したわけではないので製造に苦慮する事はなかったため、順調に開発が進んでついに実証試験用のものと共に試作品が届いたのだ。
合計20基ばかり届いたエンジンは稼動試験に回すと同時に、新たに作成した6機の1/1モックアップに搭載させた。
結果、現時点で"世界一イカした"今にも飛べそうでありながら空を飛ぶ事など全く出来ないタービンエアーで走行する大型自動車が完成。
士気向上なども目的とした離陸・着陸シークエンスの手順確認のためなどの訓練に用いている。
このモックアップは翼の形状こそ試作機と同一だが、構造体などはまるで適当な外観だけのものであり、胴体構造も一部を模倣するだけでエンジンをとりあえず積めればいいってな簡易的な構造。
設計図を確認させてもらったところ、メタライトをふんだんに使ったでっちあげの偽物である。
金属類の使用は勿体無いので最小限に留めてあるというわけだ。
しかしコックピットの計器類やスロットルなどは本仕様のものと同一。
エンジン出力は最大15%程度までにしか上げられないよう細工を施しているものの、推力自体は発生させるのでタキシングまでなら可能である。
機銃も装備しているので射撃訓練も出来なくは無いが基本的には飾り。
重要なのは機銃よりもレーダーであり、各種ハイテク機器への順応も意図した離陸~着陸における陸上での一連のシークエンスを何度も繰り返して体に叩き込む。
タキシングするために尾翼などの一部が稼動できるように出来ているが、今のところは音だけは音速を超えてそうな感じのする単なる自動車の領域を逸脱しない「イカした何か」――である。
こういった訓練をどこかで視察している人間が見ているなら脅威に感じるのではないかとも考えてあえて堂々と訓練を行っているらしいのだが……
異様な音を奏でる謎の戦闘機に真っ先に食いついたのは国外よりも国内の新聞社などであり、写真こそ掲載していないが「新世代戦闘機立川に現る」――などと小さな記事が新聞に載るようになっていた。
もっと大々的に騒いでくれて構わないんだが、飛んでいない様子から何かを感じ取ったのか一面のみだしに乗っけるような事はしていなかった。
「隊員の士気を高揚させるにはいいおもちゃだ。そうは思わないか信濃技官」
見学に訪れていた稲垣大将は特戦隊の隊員がまじめに訓練に打ち込む姿を見て安堵の表情を浮かべるが、一方でその姿は周囲から批判されかねないギリギリのものであることを理解しているがごとく、溜息交じりであった。
まあ、見る人間によっては本来の未来の大和ホテルなどと呼ばれた存在と大きく違わないとは俺も思う。
エンジンスタートなどは実際には他のCs-1搭載兵器でも行うわけだが、すでに回転翼機が空を飛んでいたり、重駆逐戦車が地を駆け回る中、空を飛ばぬ航空機はおもちゃと形容されても仕方が無く、大の大人のおもちゃ遊びと言われても言い返しにくい。
まだ言われてはいないが、稲垣大将はそう言われかねないと危惧しているのであろう。
「ええまあ……一応、周囲から遊んでいるのではないかと疑われる前に彼らには訓練機にて空にあがってもらいます。訓練機である程度訓練を積んだ頃には本当に飛べるタイプが出来上がっているはずです」
「西条君にも言っておいたのだがね、出来れば2604年1月には間に合わせたい。三式となるか四式となるかはさておき、諸外国よりも先に実戦投入したいのだよ。しばらくの間は交戦せずに牽制するだけの役割で構わないと私は考えているのだが……偵察機としての素養もあるのだろう?」
「航続距離という点を除外すれば、キ47で出来ることの大体の仕事は可能です」
「だとすれば爆撃機などへの攻撃の敢行と偵察活動を中心として行うのが正解であろうな。君の起案書が確かなら当面の間は戦う相手がおらんよ」
「戦闘爆撃機として対地攻撃をするという手はあります。ある程度高高度から水平爆撃をするだけでも脅威度は増すものかと。当たる当たらないは問題ではありません。特に彼らはレーダーで間接的に"観る"ことが出来ますから、900km台で飛ぶ姿を見て恐怖を感じるのは間違いないはずです」
「高射砲などが全く無い地域への投入は検討しておこう。高射砲がある程度固まって配置される都市部においては万が一がありうるのでな」
確かに稲垣大将の言うとおり。
高射砲は中々に侮れない存在だ。
高く飛ばねばなんだかんだで運が無い者が命中して落とされる。
新型戦闘機は量産において特段大きな問題があるような複雑構造は準インテグラル構造の部位を除けば避けている。
よってそれなりの数を揃えて2604年に投入が現在の目標であるのだが、落とされた後に鹵獲されてしまうのは避けたいものな。
少なくともしばらくの間は……
「私は現陸軍の運用法に特段異議などありません。出来上がった機体は慎重に扱っていただければ光栄です」
「まぁ体当たりさせるような真似はさせんさ。それはそれとして……信濃技官。君に伝えねばならないことがある。訓練風景を見たかったというのもあるが、今日私が訪れたのはその報告を忙しい西条君に代わって君に伝えるためだ。例の新組織設立と、立川での大型風洞施設建造計画については統合参謀本部会議にて昨日了承された。君にとっては朗報で間違いなさそうだね?」
「えっ……顔に出ていますか?」
「雰囲気だな。何か覇気のようなものを感じるよ。今後とも君にはがんばってもらわねばならない。精進したまえよ」
「はっ!」
1分少々その場に敬礼しながら硬直し、静かに去っていく稲垣大将の姿が見えなくなるまで見送る。
心の中ではガッツポーズをとっていた。
思ったより早かった。
昨日了承された計画は俺が4日前に提出したばかりのものだ。
稲垣大将の発した新組織とは皇国内において新たに民生利用も意図した流体力学研究所を新設することである。
流体力学研究所は主として技研や航研などのメンバーに参画してもらい、ありとあらゆる分野に応用が可能な流体力学の研究を行う専門機関。
各種研究機関や研究室から様々な人材が併任する形でメーカーのエンジニアにも参加してもらい、官民両サイドで幅広い分野における流体力学の発展を目指す。
出来れば俺としては早い段階でスーパーコンピューターなどを導入した、計算機器を活用した流体力学の研究や解析が行えるよう手配したい。
航空機、船舶、鉄道、自動車。
今後の皇国を支える重工業において非常に重要な鍵を握る組織を作り上げたいわけだ。
個人的な願いとしては第三世代戦闘機はコンピューターなど、一連のフィードバックを活用して開発行いたい。
軍事としてもここでの研究が大いに活用されるようになるような、そんな組織を作りたいのである。
これは谷先生などが願っていたものであり、本来の未来においてついに実現することなく終わった俺の夢でもある。
研究所はとりあえず陸軍が周辺の土地を確保している技研の近所に併設する形で設立し、立川には新たな大型風洞施設も同時に建造する。
提出した計画書にはすでに新設される研究所においての今後の活動方針が記述されている。
超音速研究。
陸軍上層部も海軍上層部も注目しやすいよう、流体力学研究所にてまず研究する分野については超音速に関する分野であると起案書に記述していた。
そのためには風洞実験施設が不可欠であるとも書いてある。
その理由もきちんと記載してあった。
……実は技研の風洞実験施設は大したものではない。
特に本来の未来においては時速600km以上における翼や胴体の状態を判断することすら出来ないお粗末なものであり、技研が厚板構造や層流翼などに及び腰だったそもそもの原因は数字の上ででしかその特性がわからないからという、まことに笑えない状況が存在していたのだ。
実はその状況は今もさほど変わっていない。
風洞実験施設は本来の未来から大きく進化する事はなく、小型模型ならば亜音速帯の状況が判断できるが、大型の1/1モックアップとなると計算の上ででしか飛行中の状態を判断できない。
俺はこれまでキ43やキ47においては計算式と小型模型における試験データなどから一連の空力構造についてメーカーや技研の他の人間にも認めさせていたが……
さすがに新型戦闘機やロケットにおいては芝浦タービンから調達したコンプレッサー装置を用い、1/8程度の中型模型を中に配置した状況を見せて説明はしていた。
これは風洞実験施設というより風洞実験装置ともいうべきもので、時速900km近くまでの状況を再現できたが、1/1で試しているものではないので万が一の可能性はあるリスクの高い代物。
そのリスクを下げるために未来の情報を活用していたのではあるが、亜音速までなら騙し騙しどうにかなっていたものの、超音速となると話は別。
ちょっとした突起が大変なことになる超音速の世界においてはスーパーコンピューターでも無い限り計算だけでの解析は不可能であるため、まともな風洞施設が必要なのだ。
俺としては新型戦闘機は最終的にJ85相当のエンジンを乗っけて音速の1.5倍まで出したい。
実際機体構造的にはそれを可能とするように計算もしてある。
しかし音を越えた世界においては何か1つ見落とせば空中分解する可能性のある領域。
真の意味で到達させるためには超音速を再現できる風洞実験施設は絶対不可欠。
新型戦闘機を音より先の世界へ誘いざなうためにソレを用意するにあたり、便乗して新たな組織を作ってしまおうと悪知恵を働かせ……そして承認されるに至ったのである。
別に技研を信用していないわけじゃない。
そうではなく、もっと幅広い人材と共に流体力学の新たな1ページをめくりたいわけだ。
俺がこの世を去った後も諸外国に負けない研究基盤を残したい。
後に続く者達を育てる場を用意しておきたい。
そのために超音速をダシにして起案書を提出したが、即座に了承されたのは超音速という世界が皇国にとっては諸外国より近くにある存在だからであろう。
倫理などを無視すれば小型のカプセルに人を乗せてロケットエンジンにて飛ばすという事は可能。
超音速飛行をやるというのなら現時点で可能か不可能かでいえば可能と言える。
命を顧みない行為なのでやりはしないが、手を伸ばせば届くかもしれないという未知の領域を陸海軍上層部も理解しているからこそ認めたのだ。
これで超音速戦闘機の目処が立った。
近いうちに風洞施設についての全体構造も考えなければいけないな。
現時点で音速の1.7倍ぐらいまでは試せるようにしたい。
となるとかなり大規模な施設となるぞ。
やってやるさ。
◇
その日の午後。
訓練視察や朗報を受けてややハイテンションの状態のまま、俺は新型戦闘機の開発状況について確認した。
重戦闘機についてはエンジンにまだ手間取っているが、どうにかなりそうだという報告。
どうにかしてもらわねば困るのだが本年中に試作機が飛べるかどうかは未知数。
ヘタするとジェット訓練機の方が先に飛ぶ可能性が高くなってきた。
こちらは無茶な設計などしていないのでネ0が完成すれば7月以内に試作機をこさえられる。
機体構造も保守的なので残暑がまだ残る頃には飛ばせるだろう。
本命の方の開発もそれなりに順調。
インテグラル構造についても製造用の工作機械を作る目処は立っており、このペースで行けば2603年12月末に配備、2604年1月に正式運用開始の可能性が高い。
各所で遅れが生じないよう調整しつつ、本命を組み上げる。
しかし、ここにきて問題が発覚した。
順調なのは"戦闘機本体"だけだった。
「――なんですって? よく聞き取れなかったのでもう一度お願いします!」
各種開発状況を取りまとめて管理を行う総務部長よりその報告を受けた俺は耳を疑って一瞬思考停止してしまったために再度確認を取った。
割と重要なシステムの開発に失敗したという話が頭に流れてきたが、現実を直視できず頭の中が真っ白になってしまい、直前の記憶が吹き飛んでしまったのだ。
「ですから、射出座席の開発が全然上手くいかんのですよ。人間が耐えられるのと同じぐらいまでなら耐えられるであろう人形の首や背骨に該当する部分が強い衝撃を受けて折れてしまうんです。ダブルベース火薬による固体燃料ロケットによる射出機構には無理があるのでは? それと耐Gスーツの開発も滞っております。このままだと機体しか完成しません」
ああ……どうしてこう1つ片付くと1つ問題が出てくるのだろう。
全くもって皇国の技術力の無さはエンジニアという存在を飽きさせないな!
「射出座席はまだしも、耐Gスーツがないと旋回時に制約が生じてしまう。何が原因でそんな事に?」
「水漏れしてまるで失禁したようになります。皇国はこの手の水圧をかけて液漏れしない構造は不得意です。1つずつ見直していかねば2604年には機体だけあって従来の飛行服で飛ぶ事になります」
「それはよろしくない……」
こういう細かい分野は技研に任せてもどうにかなると思っていたが、未知の領域すぎて駄目なようだ。
俺は何でもかんでも手を出していたら分身がいくつあっても足りないので、耐Gスーツなどの開発は技研の他のメンバーに任せていた。
そんなに難しくないと踏んでいたからだ。
ある一定のGがかかったら水を流して体を圧迫する。
初期の耐Gスーツは亜音速の世界ゆえに十分効果を発揮したし、それならば出来ると思ったのだ。
射出座席もほぼ同様の理由で作れるだろうと思っていた。
その時点では本命の方が2605年に間に合うかどうかという状況だったから、最優先を本体側としていた。
しかし蓋をあけてみれば、今度は逆に本体だけ出来上がるなんて事になってしまった……と。
冗談じゃない。
どっちにしろ間に合わせなけりゃパイロットを不安にさせる。
仕方ない……キャパシティ的には限界に近いが、射出座席と耐Gスーツについても俺が手を出すしかないか。
射出座席については最新鋭の模範解答を知ってる。
出来ればソレを試してみたいとは思っていた。
ただ、余裕がないのでとりあえずそれなりの形になっているもので大戦を乗り切って、その後に時間的余裕が出来たら手を出そうと思っていたんだ。
より完璧なものが欲しかったから。
だがどうもそんな悠長なことはいってられないらしい。
ならばまずは射出座席からだ。
「――信濃中佐。どうされます? 国外でもなにやら開発されているようですし、そっちを導入することを検討しますか」
「まだ諦めるには早いですよ。射出座席については1つアイディアがあります。画期的かどうかはわかりませんが試してみたかったものが。ただあまりにも忙しかったし、上手くいくか不明瞭でもあったので実行に移してなかったものがあります。」
「中佐ならきっと上手くやれますよ。今までもそうやって来たではありませんか」
上からあーだこーだといわれる立場にある総務部長は俺に期待の目を向けるが、正直今の技術でどこまで再現できるかわからない。
ただ、明確な答えを知ってはいる。
射出座席として俺がやり直す直前に判明した、もっとも正しいと思われる答えを。
「期待せんでください。それでは5日後にメーカーの人間が集まるよう手配していただきますか」
「中佐が開発に加わるというならばすぐ集まるでしょう。声をかけておきます」
「ありがとうございます。では私はこれで」
「どちらに向かわれるのです?」
「当然、設計室ですよ――それでは」
クルリと180度反転。
素早く設計室へ。
やれやれ……まさか新型戦闘機の初期型に俺流の射出座席を仕込まねばならないとは……
◇
皇暦2601年2月24日。
開発を担当していた茅場の人間や、射出座席開発に関わっていた他の技研のメンバーを集めて朝から緊急会議を行う事になった。
「茅場の方々の設計図は見させてもらいましたが、これでは間違いなく脱出した際に重傷を負います。15Gの衝撃がモロに首や背骨にかかる。助かるための機構が逆に操縦手を殺しかねません」
「といっても固体ロケットでは衝撃を緩和できないですよ信濃技官。圧縮空気などでは駄目なのですか」
茅場の者達としてはすでに1年近く開発してきているため、それなりに反論を述べたいところなのだろうが……
圧縮空気だと俺の作った戦闘機は垂直尾翼が大きいので尾翼が当たって死にかねない。
だから当初より火薬でお願いしていたのだ。
火薬は海軍が開発に成功したダブルベース火薬。
つまり未来の射出座席とそう変わらぬダブルベース火薬による固体燃料ロケットを用いたものであるのだが、彼らはその高すぎる推力をもてあましていた。
そして何よりも瞬間的なGに対して人間の体が受ける衝撃の関係についてよく理解できていなかったので、人にみたてた人形が複雑骨折を起こしてタコやイカのようになってしまうような代物が出来上がったのである。
何1つ回答も無い世界で抗った結果、とりあえず茅場の射出座席はキャノピーを吹き飛ばして座席を飛ばす機構までは出来上がっていた。
その吹き飛ばす推力が高すぎるのが開発が遅々として進まない原因だ。
「ええ。様々な部分で苦慮したことが設計図などから読み取れます。基礎的な考え方は諸外国の技術文書なども読まれていてよく再現できているのだと思います。ただ、発想を少し転換してやればもっといいモノに出来たはずです。5日ほどでちょっと原案を仕上げてみました。どうです?」
射出座席。
一番最初にそいつを戦闘機に搭載してみせたのは第三帝国だ。
そしてそれは大戦中。
つまり今まさに生まれようとしている技術だ。
一応いうと現時点においてNUP、王立国家、そしてヤクチアの三国はすでに開発をはじめている。
そしてそれなりの基礎技術に関する報告書なども存在し、一部は公開されている。
だがそれらは俺から言わせれば今わかっている範囲での常識を利用したものでしかない。
俺がこれから作ろうとしているのは模範解答。
王立国家が今より60年後に辿り着いた答えを現用の技術で可能な限り再現しようとするものだ。
射出座席の最大の問題は、機体に接触しないよう上昇させる際、すさまじい衝撃がパイロットを襲う事だ。
それは射出座席本体が射出されるGであり、そして射出されてパイロットが受ける風圧による衝撃である。
例えば車でも時速140kmも出して手を出せばものすごい風圧が手にかかる。
抵抗は速度の2乗に比例するわけだが、速度が600kmとか800kmとかの世界ともなればもはや骨折や脱臼してしまうような衝撃が体にかかる。
ゆえに射出方法については長年試行錯誤が重ねられ、ヤクチアなんかは風圧を防ぐための風防を設けたものなどを開発した。
だが風圧を防げたところでGは防げない。
その衝撃によってパイロットはほぼ必ず負傷する。
未来においてはパイロット確保は民間でですら困難になるほど切迫しており、優秀なパイロットは簡単に失えない。
風圧と衝撃。
双方を完璧に押さえ込む方法。
それは実に王立国家らしい発想の逆転だった。
"真上に飛ばすからGの衝撃を受けるんだ。"
"衝撃を受けないようにするなら前方斜め上に飛ばせばいい!!!"
これが王立国家が後に辿り着く結論。
15Gを8G未満にしてしまう方法は、前方に射出するということだった。
そもそもがGというものは旋回時などに発生し、加速時はよほどのエンジンでなければ発生しないわけなのだから、現在進む方向に抗うかのように別方向へと射出するからこそ15Gもかかるわけである。
だからGを落とすなら進行方向からそう違わぬ方角へとベクトルの向きを整えてやればいい。
つまり……信じられない事に音速飛行中に音速で生身の人間を一時的に飛ばすのである。
当然そんな事をしたら従来以上に強烈な風圧がパイロットを襲う。
従来までの射出座席はそれを嫌って真上に射出していたのである。
しかし王立国家は「風圧よりGの方が負傷の原因になるんじゃい!」――という事に気づいていたので、前方斜め前に射出してGを緩和させつつ、風圧を別の機構で制御する事にした。
メーカーの言葉を借りるなら「我々は風圧を恐れてはいけなかったのだ」――ということだ。
さて、最新鋭たる射出座席の全体の仕組みはこうだ。
重要な機構としてまず1つ。
ロケットを二段式にする。
一段目は垂直に。
これはもう燃焼時間1秒未満の世界で、真上に飛び上がるだけの力しかないもの。
風防を吹き飛ばしつつ風防とほぼ同時に真上にロケット推力でもって放り投げる。
燃焼時間が完全に終わりきる前に二段目を点火。
ここから未来の最新鋭射出座席が真価を発揮し始める。
王立国家の射出座席は従来より進行方向やや斜め前に進む特性があった。
しかし最新鋭の射出座席は斜め前どころかほぼ前進する勢いで上昇していく。
音速で飛ぶ戦闘機に対し、緩やかに上昇しながらロケットを噴射。
この時、姿勢を安定させるためにドラッグシュートを展開。
ドラッグシュート展開においては1段目の燃焼終了が切欠となる機械式の機構が仕込まれており、減速専用のパラシュートを展開して姿勢を安定させ、パイロットは文字通り椅子に乗りながら空を飛ぶ。
従来の射出座席がシリアスな映画のワンシーンなら、最新鋭の射出座席は明らかにギャグコメディアニメの1シーンである。
NUPのウサギとかがそんな感じで椅子ごと空を飛んでいくシーンを何度も見たことがあるが、ほぼアレと変わらない。
逆を言えばギャグに見えるぐらい安定しているのだ。
このドラッグシュートは抵抗を増加させることで上昇を助ける効果も持っている。
減速だけではなくパラグライダーに近い原理で上昇を助けるわけだ。
ドラッグシュートは気圧計などによって機械式で制御されていて、対気速度がある程度下がると自動的に外れる。
コンピューターを使っていないというのが実に面白いが、コンピューターを使うと逆に不安があるのでそうしないのだそうだ。
信頼性も価格も機械式の方が単純で優秀という事なのだろう。
ちなみにロケット制御は半機械式でロケット出力制御はコンピューターを一部交える。
ロケットモーターは信じられない事にジャイロ制御でノズルの噴射する方向を調節している。
60年後なのにコンピューターは殆ど頼らない。
これによって、例えきりもみ落下中などの操縦不能状態であろうがいかなる状況においても重い体重の人間でも軽い体重の人間と同じようにほぼ同じように射出するよう調節しているとのことだが……
皇国では体重の上下差がさほどないので、この点においては機械式で妥協する事になるだろう。
それはさておき、ドラッグシュートである程度減速した後は自動的にパラシュートが展開されるか手動でパラシュートを展開。
その際にパイロットは椅子の拘束から解除され、慣性の法則で突き進む椅子から投げ出されるようにパラシュート降下しはじめるわけだ。
――と、ここまで説明すると誰しもが疑問に思う事だろう。
「その方式でどうやってパイロットにかかる強烈な風圧を制御しているのだ!?」――と。
それこそが王立国家の長年の研究成果だ。
ある時期よりパイロットスーツに衝撃センサーなどを仕込めるようになった未来。
そこにおいて射出座席によってパイロットがどの瞬間にどこに衝撃がかかるのかを計測できるようになった。
その結果、射出座席によって脱出したパイロットは首、肩、肘に衝撃を受けることがわかり、そして衝撃を受ける原因はGに加えて風の揺らぎによるばたつきに巻き込まれ、あるいは椅子のブランケットに頭などをぶつけ、あるいは風によって肘や肩が曲がってはいけない方向に曲がって……パイロットはそのようにして負傷していた。
ヤクチアはそうさせないために風防などを取り付けていたが、それらは重量物になる上、乱流などに巻き込まれたりするとやはり負傷してしまい、根本的な解決にはなっていなかった。
垂直に飛び上がるロケットのGなども負傷の原因として大きな要因を占めていた。
これより未来。
ジェット戦闘機の脱出機構において多くのジレンマと戦うことになる世界各国。
その中で様々な実験などの結果王立国家が辿り着いた答え。
それは"Gの衝撃を一定方向に、風圧の衝撃も一定方向に、その上で腕や足や首を全て固定してしまう"――という、割と王立国家らしい結論。
ほぼ前方に飛ばす理由は風による衝撃とGによる衝撃を体の真正面に向けさせるためだった。
従来は斜め上または上に飛ばすが故、パイロットは前方から風が、Gによって上から叩きつけるような衝撃が加わり、二つの方角からの強い衝撃が脱出時の負傷を増大させる原因となっている事を突き止めたのだ。
風もGも前方からだけだというならば、首を本来なら操縦桿があるような位置に向けて固定し、腕をネットや骨組みのような構造部材で固定。
射出時の姿勢としては、ブラックアウトして意識を失ってうなだれたように両手を広げながら椅子だけで空を飛ぶような状態。
足は元より固定されているが、Gが前方から来るために従来のような血流の流れも無いので体内の血管が負うダメージも少なくなり、血管破裂によって内臓がダメージを負う可能性も低くなる。
念のため耐Gスーツの機能はONにするが、従来と違って殆ど効果を発揮しない。
首を固定する事によって風防が吹き飛ばなかった際にパイロットが風防と接触するリスクを下げ、ほぼ前方に飛ばす事で高度が低くとも脱出が可能かつ極めて安全に脱出できる。
また前方に射出するわけだからロケットの噴煙は、やはりNUPあたりのギャグアニメのごとく尻からロケット噴射して空を飛ぶような状態であり、従来のようにロケット噴射によって足に重度の火傷を負うというリスクも大幅に緩和できる。
全てを総合的に勘案して最も安全にパイロットを射出するシステムというわけだ。
いわばこの手の射出座席の究極進化系である。
首などを固定するのはバー状の構造体とスプリング。
油圧など特殊な機構は用いていない。
所詮椅子は椅子である。
俺はこれを可能な限り再現する。
構造はメーカーが公開していたので良く知っている。
未来の製品ほど完璧なものではないだろうが、未来の製品の7割の性能を発揮すれば亜音速帯なら完璧な作動が可能なはずだ。
他国が真上に飛ばしている中、皇国はやや前方上空に向けてパイロットに飛ばす。
前に飛ばしてパイロットを救う。
「――ようは衝撃の向かう方角を変えてやるんです。二段式にして……ね。固体燃料ロケットなら二段式は難しくない。どちらも完全燃焼させるだけです」
「あの……」
「なんでしょう?」
「どうして技官はこのような普通の人には無い発想ができるんですか」
「さてね……これからの未来を頭に創造して描くとふと浮かんでくるんですよ。こうすれば衝撃はどうにかできるんじゃないか……とかね」
「はあ……」
「ともかく、これで1度作ってみていただけません? 人形が問題ないなら人を飛ばします。可能であればレシプロ戦闘機にも搭載させますよ」
「承知しました。頂いた計算書などを基に1つ作ってみます」
茅場の技術者は感心しきりの様子で俺が差し出した計算書を受け取る。
中には二段式ブースターとスプリングによって連動して可動する構造体の設計案が記述されている。
パラシュートについてもNUP製のものを用いた二段方式のものだ。
これでまともなのが出来なければ採用は見送るしかない。
どちらかといえば耐Gスーツの方が重要でこちらの優先度はやや低い。
本当は搭載してやりたいがいざとなったら諦めるしかないな……
――その後、固定燃料ロケットの推力など細かい仕様を設定して会議は終了。
茅場の人間は大至急テスト用のものを作ると約束してくれたが、全てが2604年までに間に合うか見通しがつかなくなってきた気がする。




