第12話:航空技術者は鉄道技師からの提案によってD51をC61にしつつも新基軸のシステムを導入する
鉄道院浜松工場に招かれたのは翌日のこと。
俺と長島知久平。
そして、長島飛行機の発動機部門の技師らはD51の新たな可能性を証明するため、鉄道院浜松工場に集合した。
この時俺には若干不安があった。
本来なら重用されて勢いづくはずのハ25を否定されたことで彼らは憤っており、非協力的な可能性が高かったためだ。
しかし長島の技師は創業者である長島知久平によって説得されたのか、現在では俺を主軸としている技研の各種力学的理解が彼ら以上に優れたものであるであることを理解したのか……
そのような不遜な態度をとることはなかった。
浜松工場に集められたのは鉄道省の腕利きの技師たち。
しかしそこに嶋秀雄の姿は無かった。
正直言えば、D51はそこまでの傑作機関車ではない。
大量生産された頑丈な蒸気機関車に過ぎない。
そもそもが嶋は大形機は得意としていないばかりか、電車の製造設計に秀でた男。
後に新幹線開発に大きく関わる男だが、D51のロールアウトには菊川泉一郎の方が大きく関わった。
何とか誕生させたD51だが、当然にして嶋がこさえた設計そのままでは問題だらけ。
そこで菊川の手によって大幅に改良され、その先行試作機となったのがD51 86なのだ。
こいつには菊川の手によって先進的な構造がふんだんに導入されたわけだが、これこそGPCSやPTなどのさらに先進的な構造に改造するに向いている。
あの時、俺たち老骨の技術者が手を入れたD51 86は
同じく30年以上走ってきて老骨に鞭を打つ状態ではあったが……
それでも2000馬力級に近づいて最後の悪あがきというものを見せた。
今目の前にあるのは、わずか3ヶ月前にロールアウトしたばかりの新品状態のD51 86。
こいつにさらなる小規模改造を施し、後に続く標準型とするのが今の目標だ。
現場には菊川の姿があったが、彼もまた新幹線計画に大きく関与した人物。
だが彼は電車と蒸気機関車双方の技術理解がある傑物であり、正直嶋よりも総合的な能力に秀でている。
後に開発される高速鉄道の先駆けたる151系電車の設計にも参加した人物なのだ。
ただ、その菊川本人も高速鉄道の実用化に成功した要因については、俺たち航空関連の技術者が鉄道総合技術研究所に加入したからだと後に述懐している。
戦後、航空機製造を奪われた多くの技研出身者は、陸軍海軍問わずに鉄道総合研究所に強制的に入所させられた。
鉄道省ではここではじめて各種理論について理解することとなり、ようやく高速鉄道についての技術的理解を得るに至る。
そしてそれはC62やC61といった戦後に登場した蒸気機関車の性能向上に寄与するばかりか、最終的に新幹線を生むことになる。
ようは7年前倒しの航空技術者の参入というわけだが、ここで菊川はとんでもないことをこちらに提案してきたのであった。
「信濃技師。あの設計図はお見事としか言いようがない。長島大臣よりすでに許可を頂いてD51 86をもってきたが、実は君の提案に加えてさらに追加の改修を施し、こいつを2C2の構造に改めたい。そうしなければ120kmの走行にレールが耐えられん。ただ最高速を引き上げるだけでは駄目だろう?」
菊川が提案してきたのは、なんとD51のC61化改造であった。
恐らくこれによってC59の存在が消滅してしまう事になるだろうな。
C61。
D51の構造的問題を改善しつつ、史上初めて国産機関車にて自動給炭機を採用した車両。
特に国産大型機関車の中では最も熱効率が良く、そして走る路線を選ばない非常に万能な特性も持つ。
D51を改造して作られたといわれるこれは、ボイラー以外ほとんどが新造された事実上別の蒸気機関車である。
つまり嶋がこさえたボイラーなどの一連のシステム以外を全否定したD51の真の姿と言えなくもない存在である。
軸重が14t台のため、特甲線での運用も可能。
つまり菊川は、こちらの提案を聞いてD51が大幅パワーアップするなら標準型機関車として大幅な性能の向上を果たすC61こそ皇国にふさわしい存在だと言いたいわけか。
さすが新幹線を生む鉄道技師の一人であり、後の国鉄の長となる男……世間の評価そのままの人物だったか。
このアイディアを菊川は戦前の時点で完成させていたことは彼の自著を読んで知っていたのだが……
D51 86にGPCSを導入しようとした際にはC61化改造も俺達は考えてはいたし、C61にGPCSを導入しようとも考えた。
ただ、その頃すでに保線関係の技術は大幅に向上しており、軸重関係の問題についてはより重い電気機関車が走るようになっているほどで、すでに解決されていた問題だったのだ。
だからそこまでの問題ではないだろうと踏んで今回の設計図も作ったのだが……
恐らく一連の詳細設計図を見た菊川はこれぞ機会とばかりに完成したばかりのD51をC61にしてしまおうと思ったのだろう。
D51は傑作機関車ではなく大量生産されただけに過ぎず、C62やC61のような2C2の蒸気機関車こそ傑作と称していた菊川によるアイディアによって、鉄道省の本気が垣間見えてきた。
嶋がいない理由もハッキリした。
あの男が2C2の機関車に改造されたD51など認めるはずがない。
C62を2C2にするのだって、C61などからの実績から渋々導入したに過ぎない。
設計図を見る限りD51の原型がほぼなくなる。
そんなの許容できうるはずがないだろうことは容易に想像がつくわけだが、ボイラー周りに小規模改造を施して2000馬力としようと考えた俺に対し、菊川はD51で気に入らない部分全てを1から作り直してしまおうと考えたようだ。
最小限の改造で2000馬力を出すよりも、D51を次世代型の万能機関車にしてしまおうというのが菊川の狙い。
GPCSは確かに2C2の方が向いている。
この菊川という男、さすが151系電車を設計するだけあって相当な人物だ。
菊川の提案を受けた周囲は静まり返っている。
予算関係について主導権を握る長島は特に不満を表明せず、発動機部門の者たちは熱力学などにしか詳しくないので2C2の利点などまるでわからない様子で押し黙っている。
それぞれと顔を合わせた俺は頷いて言葉の無い了解を得た上で菊川に顔を向ける。
この場にて否定する者など誰もいなかった。
「菊川技師。我々は構いません。GPCSと呼称したこの一連のシステムは全ての蒸気機関車に使えるアイディアです。その基盤となる蒸気機関車をD51を大規模改造して作りたいというならばそれはそれで……」
「どれほど石炭や水の消費量が少なくなるのかについてはよくわからんね。半減という話は魔法のようにも思える。ただ、熱力学的な理論についてはわからんでもない。たしかにこの構造なら間違いなく機関車の性能は大幅に向上することだろう。その発想は我々にはなかった。陸軍の技研の技術力には恐れ入る」
「いえ……」
「信濃君。予算はすでに取り付けた。鉄道省の者たちも前向きだ。このD51 86については任せる。しばらくの間、技研と浜松を行き来することになるが大丈夫か?」
「問題ありません。設計関係には長島の発動機部門も手伝っていただけるのですね?」
「無論だ。こういう仕事から新たな発見が生まれるやもしれんからな。試験機は本年度中に完成するだろうが、秋までには120kmの試験走行を行いたい。皇国の鉄道史に偉業として歴史に刻むことになるだろう!」
「おぉぉ!」
100km超の高速走行は長島知久平の夢。
右腕を振り上げた技師たちの意気込みと士気は高く、彼が密かに暖めているであろう弾丸列車計画の雛形ともいえる存在となってしまったD51は、C61のようになりつつも……
40年前倒しで120kmを目指すことになった。