第112.5話:航空技術者は全てに身を委ねる
「ウィルソンCEO。随分と迷われているようですが、一言よろしいか」
イントネーションは王立国家より。
しかしその言葉遣いはハッキリしており、迷いなどはなかった。
俺が知る未来の彼女は第二言語の獲得には消極的だったはずだ。
彼女の中で何が変わったのだろう。
少なくない努力の跡が発音から文字通り聞き取れる状態にある。
もしかすると即位式とあの航空見本市が影響したのかもしれない。
あの時彼女には数人の通訳が側にいた。
うわさ程度で聞いた話ではその通訳もさすがに多言語に対応できるわけではなく、ある程度までしか通訳はできていなかったとされる。
彼女はそこに不満を抱いていたという話は俺の耳にも入ってきていた。
自らが言葉を理解せねばこれからの世を生きる者として恥である。
もしかするとそう考えたのかもしれない。
真意は彼女のみ知るが……これまでそこにただいた高貴な置物でしかなかった存在が、自らの意思でもって動く皇族へと化けた瞬間だった。
「如何いたしましたかプリンセス」
「このまま行くと"この方面"における交渉は決裂となる。きっとこの後の協議にてG.I社は新型エンジンのタービン部分等を生産する委託契約を受け、我らが皇国企業は燃焼室を量産して数を整える事になる」
「……その可能性は"低くない"でしょうね」
「それでよろしいのか。貴方方は少なくとも5年という月日を機会的にロスする。これまで築いた皇国企業との関係を考えれば大きな利益を失う事にならないか」
「たしかにおっしゃる通りではあります。ただプリンセスチカ。共同出資企業というのは対等でなければならない。G.Iは多角経営を行うグループ企業。その中でもタービン事業は経営の主軸としているものであり、その資本は小さくありません。共同出資企業となるには皇国側もただ資金を出すというだけでなく、それだけ高い技術を持つ、G.Iのタービン部門と並ぶ勢力を持っている企業でなければ」
……もし俺がウィルソンと同じ立場であったとしても同じ事を言っただろう。
G.Iという巨大企業の長として、全てを束ねるCEOとして至極真っ当な反応だ。
ウィルソンはあくまで交渉人であり商売人だが、自身の企業を安売りするような真似はしない。
何しろG.Iは自国が信用できないとあらば国にすら抗って企業としてのブランドを守ろうとする、資本主義社会の中では本当の意味でお手本にすべき企業だ。
G.Iから京芝が受けた影響は少なくない。
京芝の皇国人の幹部達は企業のブランドを守るための方法をよく理解している。
彼らは事前に俺にこの契約が一筋縄でいかないことをアドバイスしてくれていた。
それでも尚、説得せねばならないという俺に対し、ありとあらゆる部分で助力を惜しまずウィルソンが妥協してくれそうな契約内容をまとめれくれた。
それでもウィルソンとしては現状厳しいという評価なのが現実だ。
「我々は決して茅場を過少評価しているわけではありません。スクラムジェットエンジンなど、企業としては未来ある存在です。だからこそ我々が皇国でやってきた従来通りの方法で手を結びたいというわけです」
「ようは参画企業を増やしてG.Iとならべるだけの資本体系を作り出せば良いというのだな。 ――信濃ッ! 確か長島と四菱もジェットエンジンの開発を独力で行っておったな!?」
「え、ええまあ……」
「どれほどなのじゃ」
「長島は2597年の時点で23秒稼動する軸流式のジェットエンジンを作った数寄者がおりまして、彼は日頃立川に入り浸ってジェットエンジン開発に協力しておりますが、いまや長島は彼を筆頭に独自のジェットエンジンをこさえようと体系を整えております」
「四菱は?」
「Cs-1の設計データは陸軍と強く関係する航空機メーカーすべてに供与済み。開発の程は不明ですが、山崎、四菱の2社は元々船舶タービンを開発している会社ですので、長島含めて三社共に積極的姿勢を示しています。それと、常陸と四井財閥系の企業も船舶タービンを製造している影響があり、とくに常陸は最近陸軍との関係を強めた影響で設計図や技術文書を入手。ごく最近ではありますが開発をスタートさせています」
「四井は?」
「残念ながら陸軍とは四井物産としか関係がない影響で特段何も。噂程度では常陸と交流があって開発しているという話もありますが眉唾です」
「四井は長島と関係を持っているがゆえ、そちらとの可能性もあるであろうな。よしわかった」
「ウィルソンCEO……ならばこうだ。我々皇国は皇国の主要航空機メーカー全てが共同出資に参画する。我ら皇族は皇国内の財閥に大きく影響を及ぼす者。陛下の意向も伴えば融資せざるを得なくなる。陛下は隣にいる信濃達技研が是が非でも開発したい救援機、救助機のヘリコプターに大変関心があるのだ。CEOも陸軍の調査報告書を読まれたであろう。誰よりも人命を尊重する陛下は戦場での死者を1/12にする回転翼機の量産を何よりも第一としたいのだ。ともすれば勅命すら下される状況にある。それも即座に!」
千佳様。それはまことに初耳です。
思わずそう言いかけた。
頭が痛い……
つまり外堀はすでに埋められていたというわけか。
俺がいかなる方法でもっても達成するなどと陸軍上層部に啖呵を切ったその時点で、おそらくすでに皇国の頂点に君臨する者により同じ言葉は西条に伝えられていたに違いない。
「即座に……とおっしゃいましたかプリンセス」
「今の我の言葉は陛下の言葉そのものと思っていただいてかまわぬ。我は少なくとも直接その言葉を頂いておる。技研で奮闘する者を助け、なんとしてでもソレを量産する手助けをせよと。……人の命をより紡ぐ存在はこの世において最も必要とされるもの。我らがこれから作るのは兵器であって兵器ではないのだ。確かにエンジン自体はより多く人を殺めるモノにも使われるが、配分優先順位はそちらではない! 戦争という、人と国力を消耗させる愚かな行為において、唯一その痛みを和らげることが出来る存在。その存在を最優先とする。王立国家がスーパーアンビュラスと呼ぶ存在を作ろうというわけじゃ。そなたらが企業として茅場と対等ではないから共同出資は御免こうむるというのであればよかろう。我らは我らが持つ最大勢力を茅場に合流させる。背後にはG.Iにも並ぶ財閥が2つある。四大財閥のうち2つが融資するというのじゃ。これでもまだ足りぬというか?」
「いえ……それならば! それならば本国の幹部達を説得できるだけの材料になりえます」
当たり前だ。
四井と四菱が組む?
元来ならライバル関係。
互いに経営スタンスすら違う財閥2つ。
どちらも勅命に逆らえるわけがないとはいえ、その双方から融資を引き出すというのは皇国そのものがその年の国家予算を全て投入すると言っているのと変わらん。
G.Iどころじゃない。
企業の未来を無視し、自らの財閥が崩壊する可能性も厭わずにやろうと思えばトラスト法で分割されたNUPの石油企業を敵対的買収で買収しきる事も可能な資本がこれらの財閥にはある。
俺はこの財閥という状況があまりにも全体主義的で資本主義的でないということで、解体して純粋なグループ企業化させたいと考えているが……
本来ならテコでも動かないとされる財閥を唯一動かせる、実質的に皇国の頂点にいる財閥であるとされる皇族が手を伸ばせばすぐ近くにいる状況にあったんだ。
まあ俺の真情、そして俺の生き様として彼らからの助力を乞うなど死んでもごめんだったが、もはや今回の件は陸軍や皇国政府といった領域は飛び越えていたわけだ。
皇国の最大意思を持つ者達による意思決定がなされた。
だからこの場において決裂などあってはならない。
きっと陛下はその言葉を千佳様にお伝えにならなれたに違いない。
もしここでウィルソンが首を横に振ったら、おそらくウィルソンは即座に赤坂に招待される事になるだろう。
陛下が直接企業とやり取りするなどというのは皇国の立場上本当の意味で最終手段だ。
皇国は建前上資本主義国家であるし、そもそも陛下は人の上に立つ者。
人の上に立つ者が一企業と交渉などしてはならない。
本当は自身が向かいたかった可能性が高いが、その強き想いは、まだあどけなさの残る少女に託したに違いない。
「プリンセス。よろしければ参画企業やその他をまとめた詳細な書類と起案書を頂きたい。我々が回答できるのはそれをもってのことです」
「駄目だウィルソン殿。現時点で大筋合意に達しなければならん。外堀を完全に埋めた状態で初めて勅命を下すことが出来るのだ。既に決まったことでないと陛下は動けぬ。本日中に大筋合意に達すれば明日には承認を受けることになるそちらと二度目に会う際には契約の締結でなければならぬ」
「しかしですねプリンセス。今、我々は参画企業の規模も資本金もわからないのですよ。それは不可能に近――」
ウィルソンの次の言葉を待つ間も与えず、千佳様は手をパンパンと叩いて侍従を呼び寄せる。
「よいか、今からいう企業の資本金その他、目の前におるG.Iの社長が求める情報を大至急かき集めてまいれ。3時間以内。今すぐ! はよう!」
もはや激流に身を任せるしかない。
千佳様は本気だ。
是が非でもCs-1の量産と今後を左右するジェットエンジン開発について是が非でも可能なよう、日付が変わる前に全ての状況を整えるつもりだ。
さすがのウィルソンも驚きの表情を隠せない。
皇国にこんなタフネゴシエイターがいたなんて知らぬだろうな。
俺も今知ったよ。
ウィルソンもさすがに覚悟を決めたようだ。
「その……本国と連絡を取れるよう手配してもよろしいでしょうか――」
――などと冷や汗を浮かべながら長丁場になりそうな商談に望む様子だ。
彼は皇国についてよくわかっている。
今目の前にいるお姫様が一体何を始めようとしているのか理解できている様子だ。
50:50の状況に持っていくために、NUPでは絶対に不可能な領域に踏み込んでの切り札を切る。
財閥の幹部は一言でもNoに近い反応をすれば、即座に電話のベルが鳴り、その先に現状ではテレビなどでしか聞けない声でもって一言伝えられることになる。
"勅命である"――とな。
今やG.Iもある意味で皇国の企業と変わらない。
千佳様はNoなんて絶対に言わせない様子だ。
その気迫は、G.Iという巨大企業の長を途中退席すらさせないものがある。
まあG.Iという企業を丸ごとよこせだとか、G.Iを皇国の傘下におくだとかそう言ってるわけじゃない。
対等な、至極真っ当な、五対五の関係を構築する。
そのための商談なのだから。
よりG.Iが納得できる形に皇国側が動くだけなのだから。
契約内容が気に入らないという一言を言いだしっぺで発した事により、G.Iはもはや引くに引けない状況となってしまった。
俺はとりあえずどうしようか……
なぜか不思議と隣に座る人間が将来首相の座につきそうな気はしたものの、もはやその様子を見守るしかないため、仕方なく全てを他者に委ね、頭の中で新型機の設計について考える事にした――
◇
「――おい聞いたかよ信濃。あのG.Iが皇国内に共同出資会社設立だってよ。山崎の連中も寝耳に水だと反応してたぞ。これまでの立場なら絶対不可能だったろ。子会社化ならまだしも……」
「巨大な資本を持つ企業の長と言えども、小さなお姫様には敵わなかったのさ……」
「はあ?」
「大筋合意に至るまで10時間。午前10時にはじめて日付が変わる前にウィルソンを動かしたのは、この国の頂点に真の意味で君臨する者と血を分けた者。財閥の幹部連中はありのままに必要なことだけを伝えられ、YESかNOを迫られた。それで利益になるかどうかわからない融資についてYESの反応を示してこうなったというわけだ」
「よくわからんが、ジェット戦闘機を開発するメンバー全て合わさって対等ってのものなあ」
「名目上さ。燃焼室は現状茅場ででしか作れない。他の連中は名前を貸したようなもんで、お勉強のためだけに事業に参加する事になる。ただ、その勉強は彼らにとって大きな利益に繋がる最新技術についてだからな。誰も否定などしないさ」
あれから3日。
皇国においては真の意味で列強と並んだ日と言えなくもない発表があったのはつい昨日のこと。
あのG.Iが新鋭ジェットエンジンのためだけに、皇国の航空機メーカー+茅場との共同出資企業を作り、Cs-1の量産体制を整えたというニュースは即座に皇国内をかけめぐった。
皇国はテレビ、ラジオのニュースを通して"これより新世代タービンエンジンの大量生産を開始する"と宣言したのである。
街中では号外が配られるほどだったが、G.Iは本来の未来でも一応遠心式ターボジェットエンジンを西側では王立国家と並んで戦時中に大量生産する企業。
つまり企業の持つポテンシャルは決して低くない。
そんな企業と対等の立場の共同出資会社が設立されたというわけだ。
それは皇国の技術がNUPなどの列強勢と完全に並んだことを意味すると言えなくもない。
実態としては茅場とG.Iはあくまで独立性を保っており、双方共にライセンスを自由に扱えるような包括的ライセンス契約は見送られた。
ただし双方の技術を結集させた新鋭ジェットエンジンを作る。
未来で共和国の企業とG.Iがやったのと同じ体系を、2600年の現在において皇国とやろうという事になったわけである。
共同出資企業内で得られた技術は双方が自由利用できるというわけだが、G.Iが共和国の技術を完全再現できなかったように、G.Iがこれから成長させていくタービンとタービン制御の技術を、皇国のメーカーが単独で獲得ならびに再現できるようになるとは思えない。
ただ、燃焼室は皇国が得意な分野。
ロケットエンジンのノズルなどにおいて皇国はヤクチアに負けない技術を保有し続けるわけなので、この共同出資企業の息が長く続けば続くほど、凄まじいジェットエンジンが作れる可能性はある。
四菱、長島、芝浦タービンの三社が最終的には優れた技術を保有する事になる。
だからこの共同出資企業設立に意味がないわけじゃないんだ。
俺に出来ることはそう多くないが、この共同出資企業の設立はきっとNUPがより裏切れなくなる抑止力にはなる事だろう。
彼らのために出来る事は、俺が持つ流体力学を活用して何かをこの先の未来に残していく事だけだ。