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第112話:航空技術者は答えを教えない

 皇暦2600年12月3日。

 今日はG.Iとの商談の日。


 俺は未だサイクリックピッチを完成させられない茅場を説得し、すでにG.Iとシコルスキー双方との共同開発への同意を取り付けていた。


 京芝は元々G.Iと同一の存在なのでその手の同意に関しては必要が無い。

 京芝で開発した技術はそのままG.Iの技術となり、G.Iの技術を京芝は自由利用できる。


 そのような包括的ライセンス契約を35年前から結んでいる。

 皇暦2565年からずっとそんな関係であり、一心同体なのである。


 茅場とは立場が大きく異なるのだ。


 その茅場は現時点では油圧関係において皇国トップクラスの技術を持つ企業でありながら、俺と共にCs-1の改良に挑んだ影響で燃焼室関係の技術においてもそれなりのものを持つ。


 茅場に求めたのは、ほぼほぼ俺が直接的に改良に携わった燃焼室の技術を差し出すことだ。


 現時点で国産型Cs-1の燃焼室の量産が可能なのは茅場だけ。

 伊達にスクラムジェットエンジンを作るような企業ではない。


 その彼らが燃焼室の代わりとして得るのは、シコルスキー氏が後の未来のヘリコプターを切り開いたサイクリックピッチ構造の技術。


 シコルスキー氏は一連の技研が保有する俺の考案したギアボックスなどの技術を得る代わりに、茅場にそれを差し出す事になっている。


 いわば全体的には三社がそれぞれプレゼント交換をするようなものだ。


 といっても手に入れた技術を活かすだけの地力がシコルスキー社単体にあるとは思えないが……


 ギア関係がどうにかなるなら、シコルスキー本人が存命中にあれほど新型機開発に苦労することはなかった。


 シコルスキー氏との協議はまだだが、ヘタするとそれを理由に首を縦に振らない可能性もある。


 ……それ以上の懸案事項もあるがな。


 京芝本社へと向かう自動車の中、窓の外を見ながらひたすら自問自答している俺がいる。


 正直言うと差し出す技術に対して得る技術を天秤にかけた場合、企業的な利益はどちらが大きいのか計算できない分野であるのだ。


 サイクリックピッチの技術は今後のヘリを左右する。

 手に入れた技術を皇国式に熟成していき、商業ヘリコプターが国際的に成功すれば莫大な富は得られるであろうが……


 それ以上にジェットエンジンにて得られる利益の方が大きい気がする。

 長期的に見れば……だ。


 ジェットエンジンにおいて燃焼室は非常に重要な存在だ。


 本来の未来においてCs-1の開発者は戦後王立国家に招集され、徹底的にそこの開発に注力したそうだが……


 彼の生み出そうとした低温低圧駆動タービンにおいては最も重要な部分であり、後の世においてユーグが低温低圧駆動タービンにて世界をリードする最大の理由は、彼こそが功労者であり、彼こそがこの未来を行くエンジンの基礎を生み出したからである。


 そこに大きく関係するのは流体力学だからこそ、俺もCs-1はどうにかできた。


 一方で重要ではあるものの、NUP系企業はこの燃焼室に関する技術に関しては持ち前のタービン関係や各種圧縮機構の技術でカバーしている部分があり……


 こと燃費改善に大きく貢献する燃焼室という存在の開発ならびに発展においてはユーグ各国よりやや出遅れている部分があった。


 NUPの低燃費エンジンというとファンやタービンの大型化と、それらの超精密三次元駆動。


 すなわちサイクリックピッチ並みのピッチ角の変更による三次元駆動によるものであり、最新鋭の航空機エンジンでは結局燃焼室分野において一歩も二歩もリードするユーグの企業と手を組んで何とかしたほどである。


 いわばG.Iに対してこの時代に燃焼室関係の技術を渡すリスクは小さくないわけだが、俺がCs-1に用いた燃焼室の技術はCs-1の独自機構に対して多少先の未来の技術を用いたに過ぎず、この独自すぎる機構もまた、彼らが完全に理解して発展できようものとは思えない。


 俺は未来を知るからこそ、こいつにとてつもない可能性を感じるが、彼らの理解の範疇においては可能性を感じないものだと言い切れる根拠がある。


 なぜならCs-1の燃焼室は現時点での常識的な燃焼室構造とはわけが違う。


 燃焼室。

 黎明期のジェットエンジンにおいては2つの方式が検討された。


 1つが今より60年は主流となる直流型燃焼室。


 もう1つが黎明期には多く見られ、後の世では主流ではないものの小型エンジンとターボシャフトエンジンに多用されるリヴァースフローと呼ばれる構造体。


 問題はここから。


 Cs-1は広義の上では反転式。

 つまりリヴァースフローと言えなくも無い。


 しかし狭義の上でのリヴァースフローでは無い。


 この構造はもっと先の先、俺が知る限り究極の到達点と言える燃焼室に繋がる。


 俺がやり直す直前に実用化にこぎつけた存在の始祖とも言えるべき存在であり、リヴァースフローの本流ではない。


 なぜそう言えるのか。


 リヴァースフロー。

 この反転式燃焼室と呼ばれる基本形は2つだけ。


 1つは圧縮機の前方に燃焼ガスを送り込む方式。

 皇暦2620年代のターボシャフトエンジンや小型ターボジェットエンジンでよく見られた。


 カン型などの燃焼室でもって圧縮機前方に高圧ガスを送り込む。

 割とシンプルで極めて信頼性の高い構造。


 エンジンレイアウトは前方にタービン、後方に圧縮機。

 燃焼室はその中間またはタービン側に陣取る形となる。


 逆流と言っても妙な動きをするわけではなく、タービンによって圧縮された冷たい空気が燃焼室に流れ込み、燃焼室は航空機の進行方向とは反対方向へ向かって汚物は消毒だーの勢いでもって前方に燃料を噴射させながら火炎放射のごとく燃焼ガスを発生させる。


 発生したガスは逃げ場を探すため圧縮機に自然と流れ込み、その高熱によってタービンで圧縮された冷気とも言える高圧の大気は燃焼室に自然に流れ込むという、とても科学的にシンプルな熱力学の基礎を利用した仕組み。


 もう一方がヘリコプターなどで多用された吸気から燃焼室にいきなり大気を送り込み、それを反転させて前方にあるタービンに向かわせると言う、ザ・ヘリコプター用エンジンとも言うべき構造。


 このタイプも前方にタービン、後方に圧縮機というレイアウトとなる。


 特にエンジンを後部に配置しがちだった西側のヘリコプターにおいては、少しでも全長を短くしたいだけでなく、重心をより前よりにしたいので後者の燃焼室構造が多用されたのだ。


 まあ俺が割と好きじゃないレイアウトになるヘリコプターに多用されてた構造だな。


 この手の構造においては遠心式タービンを用いるのが基本。


 正面で受けた風を遠心式タービンで燃焼室に送り、前者と同じく航空機の進む進行方向反対と燃料を噴射する構造によって高熱高圧ガスとなった存在は遠心式タービンにぶつかる形で後方へと流れ込む。


 仕組み上、一連のリヴァースフローと呼ばれる燃焼室の構造において発生した高圧ガスは、燃焼室内において外側から内側に向かってガスの流動が発生する。


 一旦外側に押し付けられながら流れた大気は燃料を噴射される事で内壁に押し付けられながら内側へと流れていき、今度は内側に押し付けられた状態のまま後方の圧縮機へと向かって行くわけだ。


 航空機や風の流れの進行方向に向かって時計回りに風流が動くと言い換えてもいい。


 仕組み上確かに逆流しているが、力学的にはとてもシンプルだからこそ信頼性が高く、そして効率的にはお世辞にもよろしくない。


 宗一郎の会社が後に作るHF120などはそれなりにがんばっているので、小型エンジンにおいてはやりようがあると言った程度だな。


 さて、問題のCs-1はどういう構造なのか。


 Cs-1は正面の圧縮機にて圧縮された高圧の大気を燃焼室に送り込み、燃焼室で大気を反転させつつ"後方のタービン"に向かわせるという……


 タービンと圧縮機の配置関係は直流型燃焼室をもつエンジンと同じものでありながら、反転式アニュラ型燃焼室を持つという極めて異質な全体構造となっている。


 それだけではない。


 圧縮機にて圧縮された大気は燃焼室の内側から航空機の進行方向に対し反時計回りで内壁で押し付けられつつ、燃焼室によって加速しながら奥にあるタービンへと流れ込む。


 反転式である事は間違いないが、後の世の常識的リヴァースフローの仕組みではない。


 正直言えば2620年代~2630年代の連中がこの構造を見た場合、こいつは黎明期のジェットエンジンだからこんな構造なのだと思うことだろう。


 きっとこれの開発者は苦悩の末、始祖たるエンジンを生み出す際に軸流という存在にまで頭の中で到達していたが、燃焼室は黎明期らしい中途半端な格好となったのだ――


 ――恐らく2620年代~2630年代の俺がCs-1を見てもこう考えたことだろう。


 しかし、しかしだ。

 2660年代の連中が見たらこう言う。


 "一体どうしてこんなオーパーツが存在しているのか!?"――だ。

 まさしく俺が初めてCs-1を見たときにそう感じた。


 Cs-1の開発者はかねてよりアルミ合金に拘った。


 低温、低圧駆動にしなければ貴重な資源を使う。

 それは出来ないとばかりに脳髄に眠れる溢れんばかりの創造力を駆使した。


 その結果生まれたこの構造は今より70年後になってようやく航空エンジンメーカー各社が到達する領域だ。


 正しくはCs-1においてはその領域まで到達していない。

 未完成だ。


 手を伸ばしたという点では特筆に価するがその手はまるで届いてはいない。


 70年後の連中はもっとド変態な構造にして到達してみせたが、70年後の構造を知っていて2597年の工作技術で再現してみようと考えたのではないかと思うほど、その構造は巧妙に出来ている。


 Cs-1は全長を短くしたいという、ただそのためだけに本来は直流型燃焼室にしなければならない所、あえて反転式とした。


 結果それがコンプレッサーストールを多発させる原因となり、俺は燃焼室を改良はしたものの熱効率はお世辞にもよろしくない状態となっている。


 それでも1040馬力は出せる。

 Cs-1の開発者は力学的究極点を求めてのエンジン設計はしていない。


 だが、ここから俺が生きている間に知る限り究極到達点の燃焼室に繋げる事が出来るのだ。


 そもそも燃焼室においてこのように反転したりなんだりが必要な理由は、燃焼という化学反応にはそれなりの空間が必要だからである。


 黎明期のジェットエンジンがバカみたいに長い燃焼室を持つのも、当時の技術では燃焼効率を高めるためにはそうする以外に手がなかったから。


 しかし全長が長くなるという事はそれだけエンジンが大型化する事を意味する。

 重量的にもよろしくないし長くなればなるほど燃焼室以外における効率が落ちる。


 そもそもが燃焼室という存在はせっかく圧力を高めた大気を、圧力を維持したまま後方のタービンや圧縮機に向かわせられないジレンマが常に存在しており、この部分では燃焼による膨張によってエネルギーの増幅はある一方、70年後ぐらいまではここで発生するエネルギー的ロスは計算上は無視出来ないほど大きく技術者を苦しめる存在なのだ。


 直流だろうが反転だろうがそこは変わらない。

 反転の方がよりロスが大きくなるというが直流も構造が構造ならエネルギー損失は大きい。


 いわば燃焼室の改良だけでもジェットエンジンの出力はほいほい上げられるというわけだ。


 ジェットエンジンの開発者はこの燃焼室という存在に日々苦悩しながら葛藤するわけだが、70年後に"ネクストジェネレーション"とばかりに、高らかにその基礎理論を発表したのは王立国家と共和国。


 ほぼ同時期に彼らはその時点での到達点に辿り着き、ジェットエンジンのブレイクスルーを起こす未来の燃焼室についての基礎理論を発表する。


 その基礎理論とは簡単に言えば――"燃焼室内で竜巻のごとくヘビ巻きのように回転する流動を生み出すことが出来れば、燃焼室に必要な空間を異次元な領域にまで省スペースに収める事が出来、その燃焼効率は物理学的限界点に到達できる"――というもの。


 これぞ本当の炎の渦である。

 しかも極めて精密に制御された渦だ。


 そこいらの理系出身の学生やらちょっとした技術者が常識的に考えるならば、これといった構造体もなくそんなもの生み出せるわけないだろと思うわけだが、基礎理論においてはサイクロン掃除機のような分離機のごとき構造体やら何やら一切無く、温度と気圧差と燃料噴射時点から精密制御によって整えられた整流によってそれを達成することで究極の燃焼室となりうるとされていた。


 一応、正しく気流が回転するための外壁のようなものはあるのだが、筒状の分離機的構造体ではない。


 信じられない事に燃焼室の全体構造は一般的なアニュラ型の直流型燃焼室と同じくリング状だ。


 まさしくその時点では机上の空論に過ぎないと思ったね。

 最新のコンピューター等を駆使した物理学でそれっぽい答えが出せただけ。

 その時点ではそう考える以外なかった。


 ところが出てきてしまうんだ。


 王立国家と共和国はそれぞれ基礎理論から本気でそれを実現化し、互いに2660年代後半に試験モデルを稼動させてみせる。


 それはまるで遠心式ジェットエンジンのアニュラ型燃焼室を思わせるような構造に見えなくはなかったが、それらと比較して全体構造はめちゃくちゃに小さく、それまでの常識的な燃焼室と言えるようなものではなかった。


 細い燃料パイプが伸びた先にある小さな構造体。


 一連の構造物が内部空間内にこじんまりとした形でリング状に広がるが、とてもそれで出力を得るだけに足る高圧燃焼ガスを生み出せると思えない。


 初めてその存在を見たとき、俺は目を疑った。


 カットモデルをやや遠くから見るだけで、"このエンジンに燃焼室なんて無い"。

 ハッキリそう言いきれる内部構造だった。


 全体構造を見たとき、前方のファンがあまりにも巨大だった割にそれ以外が異様なまでに細身だったせいで、ロケットエンジンとロケットの燃料タンクか何かの後部の構造物と見間違うほどだった。


 周囲をとりまくパイプがまるで再生冷却を試みようとするロケットノズルだ。

 しかしこれは燃焼室のための燃料パイプその他だという。

 冷却に使うものではない。


 まさしくそこにネクストジェネレーションというだけの存在感があった。

 2660年代のジェットエンジンにおいて起きたブレイクスルーとは、燃焼室の大幅な改良だと言える。


 ユーグの各企業から発表される高燃費エンジンの燃費効率上昇要因はこの燃焼室の改良から起こる一連の構造の見直しによるものが大きく、ファンやタービンの改良による燃費改善が限界点に達していたG.Iは、共和国と手を組んで燃焼室の改良に乗り出すほどだ。


 その結果誕生したエンジンは低温、低圧駆動となり、それまで不可能とされた炭素複合素材をエンジン部品に多用するという事が可能となるほどだ。


 そして70年後のジェットエンジンは実質的に直流方式という存在は消える。


 縦に竜巻のごとく発生する炎の渦は直流とは言えない。

 反転こそしていないが回転しており高熱高圧のガスの流れは真っ直ぐではないのだ。


 その始祖こそCs-1。


 次世代型ジェットエンジンの特許情報でも引用しているわけだが、王立国家と共和国の双方はCs-1の開発者がこの世に残した幾多もの基礎理論や基礎技術を改良し続けた末に俺が知る限りの到達点に達したに過ぎない。


 本来の未来にて戦後王立国家にて数年間、主に燃焼室ばかり研究していた男は知っていたのだ。

 現時点ですでに王立国家にいる男は知っていたのだ。


 ジェットエンジンというのはこうすればいいのだ!――と。


 それはCs-1を見るだけでもわかる。

 Cs-1は縦回転ではなく横回転ではあるが、2回転した高圧ガスが後部のタービンへと向かう。

 常識的リヴァースフローを無視した構造は、ただエンジンの全長を短くしたかっただけではない。


 回転させれば高い圧力を維持したままタービンにガスを送り込める。

 燃焼室すら圧縮機構の一部とみなしている。


 高い圧力を維持できるならば燃焼温度は低くていい。

 つまり全体的な駆動圧力はより低圧となり、燃焼温度もより低温でよくなる。


 それを新体操のリボンのごとくクルクルと縦に炎を回転させたのが70年後の到達点。


 俺が知る限りの最終到達点だ。

 G.Iがそれを理解できるとは思えない。


 なぜならG.Iはヒントを得る機会があったにも関わらず、その到達点に到達することが出来なかったからだ。


 皇暦2650年代。

 NUPの宇宙開発機構はロケットノズルの燃焼効率改善と称し、次世代型のロケットノズルの燃焼は上記のような渦を作ることではないかという研究結果を発表した。


 これはロケットエンジンの燃焼室ではなく、ロケットノズル内の燃焼ガスの流動である。

 安定的な高圧ガスの整流を生むには渦の方が良い。

 そう考えたのである。


 もしそこから、「せや! これをジェットエンジンに採用したろ!」――なーんて、王立国家的発想の転換が出来るならば、2660年代には間違いなくG.Iが世界に先駆けて一足早く発表していたはずだ。


 しかしG.Iにはそれが出来ていない。


 彼らは共和国と共同開発したエンジンにて新世代の燃焼室を採用してみせたが、単独開発のものはあそこまで高効率な燃焼室ではなかった。


 彼らなりにがんばって再現を試みようとした様子は伺えたけど、それ以上には至っていない。


 俺がG.Iに教えるのは非効率な燃焼室を俺の知識で改良したものに過ぎない。

 一方で俺が茅場を通して今後開発するのは、70年後の未来にて実現化する存在そのもの。


 横回転の渦から縦回転の渦にしようなどという発想をする前に、単純な直流型燃焼室の方が高効率だろうと現時点での常識だけで開発していくのは目に見えている。


 俺は答えを教えない。

 燃焼室はあくまで皇国だけが持つノウハウとしたい。

 共同開発において現時点でCs-1を量産するために燃焼室のデータは渡すが、それが最初で最後。


 G.Iはどこまで行ってもタービン屋。

 タービン関係においては世界一であり続けるが、ジェットエンジンはタービンだけで構成されているわけではない。


 企業的な関係で50:50を維持しようとした場合、燃焼室についてG.Iにすべてを知られたらG.Iは一人でやっていける力がある。


 資本も経営体力もある。


 しかしそうなれば茅場は……皇国は技術を吸われるだけ吸われて搾りかすにされた後に生ゴミ同然に捨てられかねない。


 それはさせない。

 俺が知るのもあくまで基礎理論。


 今から茅場共々、70年後を目指して歩もうというんだ。


 いずれ王立国家や共和国に追いつかれるか、ヘタすると現状の世界においては王立国家に先行されるかもしれないが、それでも挑もうというんだ。


 結論は知っているがそこまでの過程は知らない状態だ。

 絶対に完成する保証などない。


 とはいえ完成する前に関係を破綻されては困る。

 G.Iの強大な資本無くしての達成は難しいからこそ関係は長く続けさせる。


 これはあくまで共同開発による、今後も関係の続く共同出資会社を作ろうというもの。

 G.Iが後に手を組む共和国のメーカーと同じ立場に茅場を据え置く。


 それこそが俺の戦略である。


 ウィルソンにはあえてそれを包み隠さず話す。


 渡せる技術は限定的であるが、G.Iならびに芝浦タービンのもつタービン開発の技術と、茅場もとい技研……俺が持つ燃焼室関係の技術。


 これを融合させてジェットエンジンを作っていくのだと――


 ◇


「Mr.シナノ。これが我々がどうにかしようとして足掻いた形跡です。どうですか」


 本国でその話を伺ったウィルソンは多少の準備もあって皇国に訪れるのに期間が開いたものの、こちらの連絡から1週間少々で京芝に訪れ、こちらにG.Iがもつ現時点での技術情報を見せてきていた。


 シコルスキーは本国で何か一悶着あったらしく、こちらに向かうのは遅れるらしい。

 少なくとも交渉に乗り気でいる様子だが、恐らく陸軍が妨害しているに違いない。


 まだ足を引っ張るかNUP陸軍め……


 仕方が無いのでまずはG.Iからの交渉に臨んでいるのが現在であるというわけだ。


 今、俺の隣には千佳様がいる。

 この手の交渉においてはとりあえず隣においておかないと彼らの信頼を得られないためだ。


 もうそろそろ俺だけでも大丈夫そうな気がしなくもないが万が一を考えてなのと……

 彼女が同行することを強く求めたという理由もある。


 千佳様はいつの間にか英語を勉強なされたようで、ある程度の会話が可能な状態となっていた。

 この年頃の少年少女というのは少し見ないだけで大きく成長するものだな。


 そんなことを考えつつウィルソンから渡された資料を見ると……


 彼らは芝浦タービンを通して得たCs-1の燃焼室以外の構造を、王立国家から渡された遠心式ジェットエンジンに付属していたカン型燃焼室と組み合わせて何とか軸流式ジェットエンジンとしてモノにしようとしていた。


 技術基盤がないのにいきなり改良をしようと企んでいたらしい。

 それはカン型燃焼室とCs-1を組み合わせてどうにかしようという無謀な試みであった。


 手に入れたエンジンがjumo004だったらそれも不可能ではなかったかもだが、残念ながらこれはCs-1。


 未来人でなけりゃ手に余る代物さ……


 Cs-1は確かに一見すると直流型燃焼室と相性が良さそうなエンジンだ。

 しかし残念ながらこいつは直流型燃焼室との相性は最悪。


 カン型燃焼室の温度は高すぎる。

 燃焼室の構造を見ただけでわかるが、恐らくは――


「溶けましたね?」

「……ええ」

「Mr.ウィルソン。この構造では駄目だ。燃焼温度が1200度にも達する燃焼室から送られた高熱のガスを制御できない。きっとあなた方はタービンやシャフトをG.Iの技術を駆使した耐熱鋼等を利用したものに変更したりしたのでしょうが、それは付け焼刃的対応にしかならない」

「もっと問題は根本的な部分にあると……」

「Cs-1は低温低圧駆動型ジェットエンジン。非常に先進的かつデリケートな構造です。構造変更には知恵を使います。燃焼室の構造は本来の設計からそう逸脱できない。全体構造によって低温、低圧を達成できているからです。燃焼室を直流式にしたら全長が伸びるので必要となる圧力はより高くしなければならず、それに伴って燃焼温度も高くせねばならなくなる。そうなってくると全体構造がアルミ合金であるがゆえに保たない」

「Mr.シナノ。単刀直入に伺います。皇国の燃焼室に関する技術は恐らく現時点で世界屈指のものです。だからこそロケット兵器という存在も実現させてみせた。違いますか?」

「第三帝国や王立国家が技術を公開していないだけでその領域に達している可能性はありますが、少なくとも皇国もMr.ウィルソンのおっしゃる技術力はあると自負しております」


 ウィルソンが何を言いたいのかはわからないが、俺は現実的にありえる話として国名を出した上で素直にそれを認める。


 実際ビスマルクを落とした実績もある。


「今回の契約内容は確認させていただきました。我々はCs-1の燃焼室に関する技術を受け取る代わりに、Cs-1を皇国内で量産することを請け負う。芝浦タービンだけでなくG.Iである我々も本格的に量産活動に携わる」

「ええ。私がMr.ウィルソンに送付した契約内容その他が正しく伝わっているようで何よりです」

「その件なのですが、茅場の燃焼室に関わる部門の子会社を新たに設立していただき、我々の傘下に入る形とする事はできませんか?」


 なるほど……そうきたか。

 50:50の立場で会社を設立するという方向性の場合、G.Iは出資額が均等ではない。


 出資額が多いにも関わらず発行する株を均等に分配しなければならない。

 しかも契約内容も厳しい。


 G.Iは今後5年間の間ジェットエンジンに関しては皇国内での開発と生産活動に限定され、技術に関しては自由利用も出来ない。


 現状では利点が少ないがそれでも燃焼室の技術情報は手に入る大きなメリットはある。


 しかし彼らは諦めかけているのだ。

 燃焼室の技術情報が手に入った所で作れない――と。


 きっと相当な資金を積んで開発してまるで成果が上がらない中、子会社の1つである芝浦タービンが量産化のために相次いで工場を立ち上げたりしたのを確認して意気消沈したのだろう。


 それはすなわち燃焼室さえどうにかなれば事業が軌道に乗ることを意味しているからな。


 彼らにとっては芝浦タービンと同じ立場に茅場のジェットエンジン部門がくれば、包括的ライセンス契約によって、利益は得るが開発研究は茅場に投げっぱなしでよくなる。


 茅場の新会社が得た特許の自由利用をG.Iは行えるが、必ずしもそれが製造にまで結びつくわけではなく、子会社化によって茅場が得た利益をアライアンスとして自身の企業の総利益に計上できる以上、その方が得策だと考えた。


 この状況において茅場は子会社を通してG.Iが持つ特許すべてや技術情報を自由利用出来、ライセンス料をそれなりに払えば商行為も行えるようになる。


 特段許可を受けずに茅場はG.Iの製品群を製造して販売できるようになるのがメリットと言える。

 しかしだ。


「Mr.ウィルソン。茅場はG.Iと競合しない製造分野ばかりで、それらが主な事業となっています。燃焼室の製造は現時点では茅場の大黒柱とまで昇華されている事業ではない。競合しない製造分野を得意としている以上、G.Iの子会社となっても茅場に旨味がなく、この商談を持ち帰って茅場の陣営と話をしても茅場の経営者はこの案を一蹴する事でしょう。私は今日の日のために茅場を説得し、技研も改良に大きく関わっていて茅場が現在製造を一手に引き受ける燃焼室の技術を渡す代わりに共同出資会社を設立する商談を進める算段でいます。私の理想はあくまで双方のメーカーが持つ技術を競合させて新型のジェットエンジンを開発していく共同出資企業の存在です。現時点だとそれが厳しいということですか?」

「我々は今後も燃焼室においての開発に苦労することが予想されます。恐らくCs-1の燃焼室の技術情報を手に入れてもCs-1の単独量産は不可能であるというのが我々が持つ技術者の出した結論です」


 当然だろうな。

 そこに苦労しなけりゃロケット技術でああも出遅れるものか。


 NUPのロケット開発の黎明期こそ政府などから頼られたのに、以降大きく出遅れたのだ。

 恐らく問題点はこれだろう。


「だからこそ出資額等含めて不公平感を感じていらっしゃる……そんなところですかね」

「つきつめて言えば私は商売人であり、G.Iは資本主義の名の下、利益を追い求める存在です。茅場本体をグループの傘下に引き入れるということはありませんが、茅場が新たに設立した企業において株を取得させていただき、この新設会社において我々が議決権を得た状態を構築したいわけです」


 それは正論に聞こえるが、認めるわけにはいかない。

 駄目だ。


 それは未来において不安しかない。


「それでは新鋭ジェットエンジンの開発に繋がらない。いいですかMr.ウィルソン。私はCs-1の量産だけをやりたくてこの話を持ち込んだわけではありません。第三帝国では現在、Cs-1を越えうる軸流式ジェットエンジンが開発中であります。Cs-1にはとてつもない弱点がある」

「弱点?」

「NUPの言葉で言うなら、オーグメンターと呼ばれる機構が搭載できない。第三帝国のエンジンにはそれが搭載できる。再燃焼装置とでもいいますか、排気ノズルの付近に燃料を大量に噴射して燃焼させることで、バカみたいに燃料を食うほど燃焼効率を無視しながらも最大で通常使用時の1.5倍の出力を得ることが出来る機構です。エンジン全体が高熱となるためアルミ合金の限界である660度を容易に突破してしまいます。この機構によって得ることができる急加速などは尋常ではなく、機動性を大幅に上昇させられる分、Cs-1はどうしても劣ります」

「なんと……」

「私が欲しいのはこの装置を搭載した"完成された"ジェットエンジンです。Cs-1は将来的に各国が基礎理論が提唱された影響で開発に力を注ぐターボファンエンジンにおいて、絶大なる低燃費を得るようなものが作れる土台となりうる存在ですが、超音速を目指す上では発展性が無い。アレは亜音速帯において究極系になりうるものであっても、私が欲しいのは音の先の世界を飛び回る航空機の心臓部です」

「うわさ程度には聞いておりましたが……皇国は本気で音を超えるつもりですか」

「15年以内には超えます。15年もすれば音を超えた世界で我々は戦わねばならない。しかしタービン技術で今一歩遅れをとる我々は、音を超える戦いに出遅れる可能性がある。技研の技術者としてそれは許容できない。何としてでも技術的に食らいつかねばならない。G.Iもこの危機感は共有すべきです。第三帝国がその力を得て、ヤクチアが追随する……その状況においてプロペラ機で戦うおつもりですか」

「そのような事は……」

「出資額が均等でないというなら政府からいくらか支援をとりつける事は可能です。それでもまだ難しいと」

「うーむ……」


 チッ。

 思わず心の中で舌打ちしてしまう。


 G.IはNUPのトップ企業。

 その長は簡単には首を縦に振らんか。


 要は足りないんだ。

 茅場の企業としての強さと魅力が。


 芝浦タービンは事実上のG.Iの子会社。


 芝浦タービンとG.I+茅場という体制を考えた場合、本当にジェットエンジンの1パーツを作るだけの会社を対等な立場として迎え入れて共同出資企業を作るのはリスクもそうだがプライドとしても簡単に許せるものじゃない。


 茅場は皇国内ではそれなりの企業ではあるが、G.Iからしたら驚くほどの実績と経営基盤を持つ企業じゃない。


 1つの部品部門ならその部門を切り離してもらって子会社化。


 G.Iが議決権を得て、茅場が最低限の経営権を持つわけだから60:40みたいな感じにし、G.Iが出資しつつ企業利益は連結子会社として得る形でないと納得できないんだ。


 部品メーカーとして茅場には今後もかんばってもらう。

 そういう魂胆を隠すことなくこちらに伝えてきた。


 だがそれはいつ捨てられるかわからない状態。

 しかも増資からの敵対的買収等によって必要に応じて完全子会社化による事実上の乗っ取りも可能。


 共同出資した企業を設立して出資比率は片方に傾けつつ、発行された株は折半する状態とはワケが違う。


 新会社設立をしてG.Iの傘下となっても裏切らないような協定が必要だ。

 どうすれば。


 言葉に詰まる。

 答えが出せない。


 ただひたすら沈黙する俺がそこにいた。

 そんな俺を助けるかのように隣に座る少女が口火を切る――

信濃が劇中解説した究極の燃焼室の構造は実は現実世界においてボーイングの協力の下、スネクマとG.Eのジェットエンジンの共同開発の末に誕生する2020年代の燃焼室構造です。

737MAXに搭載されたものではない正真正銘次世代ジェットエンジンCFM LEAPの新世代型の構造です。

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