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第109話:航空技術者は駆け回る

「玉川ダムに関連した玉川河水統制計画の一時凍結?」

「しばらく前の話だな。水産資源か農産物か。両者の組合の狭間に揺れ動く中で政府が決定を下したのは結論の先送りだったわけだ」

「ふーん?」

「なんだ。お前は賛成派だったのか」

「なんとも言えない。5年前の大凶作によって計画された国家事業。田沢湖を犠牲に農地を潤わすこの計画が果たして正しいのかは疑問があった。とはいえ、農林省の試算では下流の農村地域が潤うという目算で、俺はこの数字が割りと正確だと思っていたからな」

「何かあったらまたお前にトンでもない依頼でも来るんじゃないか。俺はそれも考慮の上での凍結だと思っているが」

「冗談じゃない……」


 机に大量に広げられた新聞は半年ほどいなかった間の皇国の情勢を確認するためのもの。

 新たな開発計画の前に国内情勢を見極めようと立川に戻ってきてからまずはじめた事だ。


 なまじ1日1回は新聞が出るわけだからすぐにすべて読みきれない。

 他の仕事と合わせてのことなので余計に時間がかかる。


 その光景に何か引き寄せられるものがあったのか連日中山がちょっかいを出しにきていたが、いまやこの男ですら俺をそういう人間としてみている事に悪寒を感じる。


 そのうち湖の上を歩けとでも言われそうな勢いを感じた。

 まったくもって冗談じゃない。


 これで数十年後に再発見されるかもしれないクニマスが特に話題になる事はなさそうだが、実際問題これが正しいのだろうか。


 生物学的な、環境保護的な面で言えば正しい。

 しかし、この計画によってもたらされる仙北平野の米の増産量は尋常ではなく、国家運営の下では疑問が残る。


 おそらくこうなった要因は化学肥料の輸入調達が遠因となっているに違いない。


 皇国が現在推し進める肥料の転換は、昨年の時点で皇国内の農産物の生産量を米だけで約3割増大させた。

 俺が知る世界から3割。


 これは農林省が導入から2年で予測した数値とほぼ合致する。

 俺が知る限り、本来の未来における2599年の収穫量は食料自給率に対し86%だ。


 現在皇国にはおよそ7200万人の国民がいる。

 俺が本来いた世界において7200万人に対し、1年消費する米の量の86%しか供給できていない。


 しかし実はこの裏には農耕者達のたゆみない努力があった。

 実は皇国は20年前から稲作面積はまるで増加していない。

 そればかりか皇暦2540年から全体総数では3割しか増加していない。


 しかし皇国の人口は2540年から2.5倍に増加。


 この需要に応えるために当時は農商務省と呼ばれていた現農林省は様々な研究、改良の果てに多毛作などの収穫量増加のためのシステムを考案し、農村にこれらを広めて自給率100%を達成しようと死に物狂いで努力していた。


 おかげさまで皇国は本来いた未来でも農産物はある所には十分ある状態で、むしろそれを運ぶインフラが整っていなかった状況にあった。


 足りない14%分は備蓄や輸入で対応。

 少なくとも国民が飢えて餓死者続出というような事はない。

 この80%台を2605年まで維持していたからな。


 寸断された交通網によって届くべき場所に届かなかったわけだ。

 一般的に皇国の人間の1年間に消費する米の消費量は約145kg前後と言われる。

 これをオーバーすれば自給率100%となる計算。


 皇国において総収穫量に対して一人あたりに供給できた最大数値は170.7kg。

 稲作面積が最大となった20年前に達成できた数値だ。

 以降その数値は下がり続けていた。


 本来の未来であれば昨年供給された米の量は1人あたり124.5kgだった。

 それが大幅に増加したため、今年は一人あたり161.8kgを達成。


 総生産量から考えると驚くほどの数値の増加にはなっていない。

 皇暦2610年代初頭とほぼ変わらんからな。

 総人口が1000万人以上少ないことによる自給率100%の達成というわけだ。


 フリーズドライなどの新たな備蓄方法が考案された事により長期備蓄可能となった皇国においては、現在の数値をほどほどに維持出来れば7000万人の国民が飢える事などない。


 その余裕によって仙北平野の一時凍結が可能になったと見るべきだな。

 農林省の役人がニヤけている顔が見えるぜ。

 彼らの目標は恒久的な自給率100%の達成。


 戦時下の現在においてそれを達成した意義は大きいのかもしれない。

 少なくとも田沢湖のそれなりに豊富な水産資源は守られそうだ。


 まあ今後の人口増加には耐えられないだろうけどな。

 北海道地域などを全面的に開拓でもしない限りは……


 ちなみに皇国では結局稲作の増加はこのあたりが限界だったりするんだ。

 北海道などで満足に生育できるのは麦。

 1億人を超えても一人あたり200kgを供給できる体制が整う。


 つまり皇国は1億人を突破するなら、いずれ米食からの転換を迫られるということだ。

 ま、大半が主食以外で使われる影響で200kgあっても輸入はするわけだが……

 食事の転換をすれば皇国は2億人を許容できる。


 ちょっとした時代の変化が、大きなうねりを生みつつあるようだ。


「そんなのよりもこっちの記事の方がお前は気になるんじゃないか。 ほれっ」

「なんだって? うおっ」


 乱雑に投げられた新聞は机から落ちそうになるほどの勢いがあったものの、手で机に押さえつけるようにして受け止める。


「……全国で報告が相次ぐ謎の奇病?」

「甲斐での騒動以来、全国各地における謎の風土病に対して皇国政府に行動を促す活動が相次いでいる。富山、熊本、群馬……どちらかといえば人の被害よりも他の生物の被害ばかりだな。富山だけはどうも様子が違うようだが」

「ふん……そうか」

「ん? なんだ鈍い反応だな」

「まあな……」


 ――しまった!!!


 すっかり忘れていたッ!


 内政においてもある程度こなしていくことを考えたら、忘れてはいけない存在が地方病以外にもあった。


 本当は今すぐこの場から離れたいが、中山に気取られたくない。

 ここは企業との会議を装って平然と立川を離れ、その後で西条のもとへ向かわねば。


 ◇


「首相!」

「うぬっ! 一体どうした!」


 扉を蹴破らんばかりに力いっぱい開いたため、大きな音に驚いた西条は思わず身構えてしまう。


 航空関連企業との会議にかこつけて立川の技研から群馬は太田に向かった俺は、翌日立川に戻る前に西条のいる霞ヶ関へと足を運んだのである。


「この新聞の記事。富山と熊本の件。今すぐ対策をしてください!」

「なんだ、原因がわかるのか!」

「前者はカドミウム、後者は水銀です。両者共にこのまま放置すると甚大な被害となりうる」

「なんだと!?」


 四大公害。


 赤く染まってしまった皇国では対西側のために共産主義の下、軍拡がすぐさま再開され、冷戦下の状況にて皇国民は軍需工場などの増加による公害に苦しむ事になる。


 ヤクチアにおいて一般市民というのは消耗品そのもの。

 いや共産主義において人とはそういうものなのかもしれない。


 まるで補償もないまま、人は化学物質による中毒に苦しめられ、なんら救済を得ることもなく国家と世界を呪って息絶えていく。


 残されたのは汚染地域。

 もはや農作物もまともに育てられない汚れた土地だけが残される。


 両者共に現段階でくさびを打ち込めば被害を最小限と出来る。

 特に後者はそうだ。


 田沢湖を救うよりもよほどやらねばならない事なのだ。


「信濃。カドミウムによって奇病が発生するのか?」

「中毒症状です。鉛中毒と同じ。ユーグ各国でもカドミウムと水銀による地域住民被害が続々と報告されています。それらの報告書を取り寄せて解決根拠となりうるものとして提示し、すぐに対策を打ってください」

「実際に被害が出ていると証明するには報告書だけでは足りない。どうやって診断するんだ」

「うぐっ……それは……」


 答えに詰まる。

 現時点における原因究明は消去法によるものだ。


 それ以外に考えられないだろうという、推測から導き出された結論。

 カドミウムについての完全な検出方法は早くても17年先。


 NUPが開発に成功した原子吸光法という、理論が提唱されてから開発に15年かかった代物を用いなければならない。


 理論自体の登場が2年後。

 実用化したのがそこから15年。


 その前の2610年の段階において、一連の中毒者においては血中におけるタンパク質の濃度が極めて低い共通点があること、それらの者達は肝臓を患っている事、そこから推定できるものなのだというだけで、皇暦2618年までの段階ではそうだと言い切れる根拠は薄かった。


 しかし、それ以外に原因が無いというような事は割とすぐに見つけられる。


 事象が確認される前に似たような環境が他の地域でもあったりすれば、そこと比較して何が違うかを検証していけばいいわけだから、明らかに工場などが出来てから異常現象が続いたとなれば推定までは可能なのだ。


 しかし2600年の現在、わかっているのはカドミウムに中毒症状がある事、それらが肝臓などに大きく影響する事などだけが判明している。


 タンパク濃度が低いことを証明するなら現段階でも可能。


 しかし軍拡渦巻く皇国において優先はGDPであり、生命の保証など二の次。

 当然にして"関係性が完全に立証できたとはいえない"といわれればそれまで。


 ……いや、方法はある。

 今思い出した。


「カドミウムに関してはネズミや猫、哺乳類を使えばすぐにわかります。同じ症状が出る。NUPの医学報告書によって2579年に危険性が指摘されているはずです。ネズミを使い、被害地域の食物を食べさせてみてください。報告書が正しければ3日で同じ症状が出ます。2579年に報告された症状が出れば……」

「それなりに説得力のある証明となりうるか!」

「現時点でかの地域の農作物に含まれるカドミウムは他の地域の10倍以上の濃度。稲科の植物は少ない土壌から多くのカドミウムを吸収してしまう。これらを食した慢性的中毒の悪化こそ、これから起きる災厄なのです。富山においては約4000名が確認されますが推定では倍はいたと言われます。世間体を気にして隠すのは甲斐と同じです。土壌汚染の改善は……私が知る仮定で計算された報告書が確かならば10年で間に合う。それでも10年。鉱山で大規模な排水対策を行って事業は続けつつ何とか状況を改善すれば、資源と農作物の双方を10年後に享受できうることになります」

「長いな……」

「長いです……」


 お互い同時にため息を吐きたくなる10年という長い時間。

 その先に皇国がある保障すらない。


 しかし神通川の水産資源と周辺地域の農作物の収穫量は少なくない。


 少なくないんだ。


 だから今すぐにやる。

 やらねばならない。


「それで、水銀が原因という熊本の方は?」

「原因はアセチレン法によるアセトアルデヒド精製中に生まれる副産物です。メチル水銀と呼ばれる水銀でして、こいつに中毒性があることが初めて発見されたのはつい最近、王立国家によるものです。あの国は近代化に対して生まれる弊害にとても敏感なので……」

「解決法はどうすればいい。操業を止めさせるのか。そんな事は簡単にはできんぞ」

「約20年後に実用化される技術を使って工法にブレイクスルーを発生させます。第三帝国に現在存在する企業が12年前に提唱した基礎理論から生まれる、ワッカー酸化と呼ばれる方法です。とてもクリーンかつ安全な物質だけでアセトアルデヒドを効率的に作れます。以降、アセトアルデヒド等の精製において世界のスタンダードとなるものです。本来であれば基礎理論から発見まで27年かかった代物ですが、意外にも身近にあったヒントに気づかないだけで工法自体はシンプルかつ明瞭。偉大な発見を奪うのは心苦しいので、工法を開発しうる企業に君らの基礎理論を活用したらこういうものを見つけたんだが……とでもラブレターを送ってやってください」


 正直言うと心苦しいといっても、この工法を開発するメーカー自体には複雑な心境だ。

 あくまで技術者としてのモラルがそうするだけで、この企業に思い入れはない。


 なぜなら現状でこの企業は第三帝国の中枢的存在をなしていて、ナチ党ときわめて密接な関係を持つからだ。


 総統閣下に大量の資金を提供した真の意味での闇の結社といっていい。


 ワッカー酸化自体を発見する企業は結社を構成する企業の1つ。

 現状では第三帝国の主要化学メーカー合併して恐竜化した状態となっている。


 何しろこの企業ときたら、第三帝国における毒ガスの90%以上を生産し、爆薬の80%以上を生産し、火薬の70%以上を生産している企業。


 仮にこの企業が明日第三帝国から消えた場合、総統閣下は白旗を揚げる以外方法が無いというようなもの。


 京芝コンツェルンと呼称されはじめた京芝や財閥グループの1つである四菱が万が一突然消え去ったとしても皇国のダメージはシェア比率で2割とか3割なのだが、あっちはそんなレベルではない。


 ただ技術力だけで言えば、皇国海軍の研究者が到達した松の枝を用いた人造石油精製についてなど、その技術力は現時点で世界トップ。


 戦後この合併状態が解かれてもそれぞれの企業は世界有数の化学メーカーであり続ける。

 なぜそのようなことが認められたのか。


 それはその企業がユニヴァーサル・オイルとの合併企業で、ユニヴァーサル・オイルが50%以上出資した企業だからだ。


 第三帝国の背後になぜNUPがいるのか。


 それはユニヴァーサル・オイルという強大な存在と、第三帝国の中核を担う企業が実は1つの会社だったからだ。


 NUPというのは2600年現在においては皇国にすら出資企業があるように、資本主義の名の下、自由の名の下に自由な経済活動を行っていた。


 この企業が吹き飛ばされた場合のユニヴァーサル・オイルが被る被害額は洒落にならない。


 ただし、2605年までに成長を続ける京芝の1/3に過ぎないが。

 もっと言えばサンライズ石油の1/4。


 笑えないのは、その事をNUPが知ったのは皇国が赤く染まってからだった。


 現大統領はそれを知らぬままあの世に行けて幸運だっただろうが、実際はその後の大統領が頭を抱える金額をNUP企業は皇国に出資していた。


 全部奪われたけどな……


 NUPが積極的姿勢を打ち出しにくいのは、自由経済を目指してやってきたことで自らが手にした武器は諸刃の剣となったこと。


 どこを攻撃しても痛みを受ける。

 できれば戦争を遠ざけて利益だけ享受したい。


 それが奴らの本音であり、そして皇国が華僑の事変を乗り切ったことに警戒したのであろう、NUPは第三帝国の中枢、I.G.Fを守るために支援をしたのだろうなあ。


 現大統領としてはNUPの利益を守らねばならないと考えるだろうから、そのための助力は惜しまない。


 俺は経済的利益よりも国民が求める普遍的利益のために奴らから1つ未来の技術を頂かせてもらおう。


 こういう事は正直これっきりとしたい所だ。


 正規のライセンスを結ばないような技術の獲得は……


「――信濃。熊本の原因物質はわかったが、こちらも農作物だけか?」

「いえ、水産物の方が影響が大きいです。原因を特定するためには同じ環境を作り水銀が生まれることを証明しなければなりませんが、カドミウムほど間接的な問題ではありません。水銀が人体にそれなりに有害なのは既に世界的に知れ渡っていますから、水銀が生まれないワッカー酸化に切り替えてアセチレン法を禁止していただければ」

「それだけでいいのか?」

「……可能であれば大気汚染、水質汚染等の環境汚染を防止する法律の制定を。煤煙など大気中の物質を含めた環境汚染は10年後に深刻化します。首相は地方病の根絶を行うことで皇国民から慕われる存在。今の状況下、貴方ならば法律を制定して利益至上主義からの転換が出来ます。王立国家などユーグは徐々に行っていくわけなので、我々も追いつきませんと」

「よし……近く草案となりうるものを作って提出しろ。全国の奇病に関する詳細な報告書も作れ。対策も明記するんだ。いいか、わかる範囲でいい。言っておくが新型機開発とは同時平行だ。今のお前に皇国の力無き市民を救えるか?」

「やります……やらせてください」


 未来に生きる皇国人を少しでも増やす。

 未来に向かって明るく歩める者たちを少しでも増やす。

 可能でなくとも返事は決まっている。


 俺はただ過去に戻ってきたわけではない。

 戦乱だけを乗り切れば皇国が安泰であるということなどない。


 内部から崩壊する可能性だってある。

 そうはさせない。


 ――部屋からの去り際、西条が少し笑っているように見えた。


 期待を寄せているというよりも、俺がそういう人間であることに安心したのか、信頼しているのか、俺が次に出す一手を喜んで待ち構えている様子に間違いは無かった。


 ◇


 立川に戻った俺は1週間消費して報告書をまとめあげて提出。

 神通川におけるカドミウム中毒に関する発表は提出した当日だった。


 その日までにネズミで実験を行い、答えが出たのである。


 西条はテレビ演説にて「外交だけでなく国民の生活も保障する。国の内面とも向き合う」――と言って、一連の原因が急速に発達する重工業分野の弊害であることを主張。


 今後さらなる奇病が発生する前に皇国政府は環境汚染を防止する政策に乗り出す事になった。

 これぞ陛下のおっしゃる皇国の転換期なのかもしれない。


 困難はいくらでも目の前にある。

 熊本の工場についても水銀による重篤な水質汚染の疑いがあるということで一時操業停止。


 その上で陸軍の技術を投入して新たな工法への転換を行う事とされた。


 俺が望んだとおり、工法は基礎理論を提唱したメーカーの名をとったものになっていたが、生産はむしろ大幅に効率化するため、原因企業はそれを理由に一時的な操業の中止を認めざるを得なかった。


 とはいえ乗り出すといっても完全な解決のためには技術躍進もまた必要。

 時間はかかる。


 空が灰色になるのを防げるとは思えないが、そうさせないようにする機運を生み出すことは重要だ。


 西条には今後生まれうる公害についても予め伝えておいたが、本当にそれをどうにかできるのは皇国のいち航空エンジニアではないからな。


 俺がやるのは……そう、航空機を作ることだ。

 そのために必要な努力を重ねることだ。


 ◇


「技官! これは拷問に耐える訓練なのですか! 我々を殺す気ですか!?」


 意識を失ってうなだれたままの若き青年を抱えた、同じく若い青年が俺に対して正義は我にありとばかり訴えかける。


 彼らにとって初めての経験は理解できずとも当然であった。


「大変申し訳ないが、これからの航空機に乗るためにはこれに耐えねばならないのです。今現在でもキ47を急降下させて急上昇させようとすれば同じような状況になる。貴方がつい先日見たモックアップ、あの完成形はキ47より200km以上速い。その分かかる負荷はより強くなるわけですから」


 もしかすると冷たくあしらっているように見えるかもしれないが、俺にも正義はある。

 悪いが、制空戦闘機というものは今後誰しもが乗れる存在じゃなくなるからな。


「ッ…しかし!」

「訓練によって昨日より、より高いGに耐えられるようになってきています。まだ貴方達に失格の烙印を押した覚えは無い。最終的に完成した戦闘機に乗れば、私の方が正しかったと理解されるはずです。出来れば理解されるがために乗っていただけるだけ耐えられるようになってもらいたいですね」

「……では……がんばらさせていただきます……」


 言葉と表情からわかる。

 そりゃ乗りたいだろうさ。


 音と同じぐらい速く飛べる戦闘機と聞いたら誰しもが夢を抱く。


 本当は言い返したいのを必死でこらえた若きパイロット候補は、保健室へと仲間をかつぎながら立ち去っていった。


 皇暦2600年11月15日。

 俺が提唱した対G訓練機が完成。


 その試験稼動が2日前より行われ始めた。


 皇国では6月頃から全国へ向けてポスターを張り出した。


 どうも他国にも渡っているようだが、そこにはキ84の機首部分が描かれている。

 エアインテークの形状は違うけどな。


 小野寺中佐の話では第三帝国でキ84が話題になっているらしい。

 どうやら俺がブラ下げた罠に引っかかったようだ。


 俺は皇国を出る前、西条にあることを提案していた。

 第三帝国の要人に偽物のモックアップを見せることである。


 そのモックアップはインテークの形状が違えば、翼の形状も空力的になんら洗練されていない適当なもので、尾翼と主翼が同じ高さにあったりなど、そのまま模型を作って風洞実験すれば安定性は最悪。


 一方で風洞実験施設も公開し、その模型にタービュレイターなどを取り付けてギリギリ制御できるものをあえて公開。


 タービュレイターなどは小さすぎてよく見えないようにして敵方に偽の情報を送りつけた。


 デルタ翼をそのまま再現してもロクなものにはならない。

 あの翼には一工夫も二工夫も必要。


 映像撮影許可まで下したのは、プレッシャーは与えつつ機密は隠すためのもの。


 彼らはキ84ばかり注目していたため、もう2つの戦闘機から目が遠ざかっていた。

 1つは訓練機、もう1つは重戦闘機。


 必死で隠そうとするからキ47のような事が起こる。


 いい教訓だ。

 学ばせてもらったからには活用させてもらう。


 そのモックアップについては操縦席に人が乗れるようにしていた。

 実はコックピット部分は本物と同じ。


 大型のバブルキャノピーは複座型と単座型で共通仕様とするため。

 今目の前にいる集められた訓練兵達の士気向上を目的に活用させてもらっている。


 彼らは今後、5年先10年先のためのパイロット達。

 ドッグファイトが盛んになる中で高G旋回に耐えながら戦う者達だ。


 彼らに必要な技能はいくつもある。

 1つ、遠心力を活用した未来ではポピュラーな訓練機において、8G旋回と同じ状況で4秒以上耐えられる事。


 この訓練機はモーターを使い、片方にバラスト、片方に操縦席を模した座席を取り付け、操縦席に乗って高速回転してもらって高Gを体感するというもの。


 初期の対G訓練機というのはロケット推進による、桜花を地上のレールの上で動かして急停止させるようなものと同時に、こういった絶叫マシンの凶悪な進化系の双方が同時に存在。


 後に前者は危険すぎることで使われなくなり、この高速回転する地獄のメリーゴーランドのような何かが一般的となる。


 現在のキ47のパイロットは6G程度なら普通に耐えられる。

 優秀とされるパイロットは7Gでも数秒なら問題ない。

 しかし8G、9Gとなると別。


 ここからは人間の限界に挑む事になる。


 キ84のパイロットとなるためにはその限界に挑み、最低8Gで4秒、理想は9Gで3秒を可能とする人間でなければならないという事だ。


 無論最初はクリアできなくていい。

 訓練方法も未来情報から取り寄せているので訓練することで段々と慣れていく。


 導入した当初は3Gでも気絶していたある若者は2日で5Gまで耐えられるようになっていた。

 他方、彼らにとっては拷問にも等しいわけだ。


 当然、戦闘機の存在がないのに連日訓練をされてはたまったものではない。

 その溜まったストレスのはけ口にされているわけである。


 しかも彼らに求められる技能はそれだけではない。

 彼らには第二言語として王立国家やNUPの言語を獲得してもらう。


 すでに航空機の国際便では標準語。

 これが出来ないとユーグでの戦闘では即応性に欠けてしまう。

 無論、9Gで4秒が可能な人間が発見されたら死に物狂いで会得してもらう腹積もりである。


 しかし言語だけでもまだだめだ。


 最後に重要なのが数学的理解。

 未来の皇国における高校生レベルの数学的理解はしてもらう。


 力学的理解だ。

 ある程度理解がないと無駄な動きばかりするようになってしまう。


 当然、体だけでなく機体にも負担がかかる。

 本能だけで戦うパイロットはキ84には乗せられない。


 現時点でこれをクリアするパイロットは技研のテストパイロット勢。


 割と後の時代の資料で語られる事は少ないが、技研のテストパイロットはそこらのパイロットより数段上である。


 まず第一にほぼすべてのパイロットが第二言語を獲得。


 それが無くとも化学や科学などに広い知見を有しており、少佐から中佐に昇進した藤井中佐のような者たちばかりなのである。


 戦場には絶対に出したくない逸材たちが立川や調布には多数いたわけだ。

 そして立川においては海軍のテストパイロット達の姿もあった。


 キ84については海軍も当然興味を抱かないわけが無い。

 とはいえ海軍の運用に足る機体であるという保障も無い。


 しかし今後を見据えればジェット機はスタンダードなものとなる。


 海軍としてはスタンダード化した航空機部隊を即座に配備できるよう、そのためのパイロットを育成しておきたいわけだ。


 そんな中でも現時点でキ84に乗せる理想のパイロットはやはり藤井中佐だ。


 華僑の言語をかなりの領域まで理解するが、第三帝国の言語もある程度なら理解でき、王立国家の言葉も理解する。


 技術書を読むために必要だったというが、彼を失なわなかったのは大きい。

 藤井中佐は普段から鍛えてるだけあって8Gで5秒ほど耐えられる。


 さすがに9Gは無理だが、現時点で模範的パイロットであるのは間違いない。

 元々、キ84もといジェット戦闘機の教官として採用したかった人材ではあるが、それだけの適正がある人物だったというわけだ。


 現在、航空特戦隊は彼が部隊長。

 俺は彼と共に対G訓練などを思案し、訓練兵は日々トレーニングの毎日である。


 そんな立川であるが、現在滑走路を大幅拡張中。

 完成すれば4000m級となる予定。


 ジェット戦闘機の離着陸滑走距離は2000m級では不安があるための措置。


 オーバーラン300m×2、中央の滑走路は3400m。

 まあ割りとポピュラーなジェット機向けの滑走路である。

 これまでの立川飛行場は土の滑走路であったが、こちらを舗装に改める。


 羽田などで用いられたコンクリート舗装ではなく、修繕が容易なアスファルト舗装だ。

 そのための全国の道路の舗装事業の前倒しでもあった。

 舗装技術が確立せねばこうは出来んからな。


 ただインフラ強化してるわけじゃない。


 滑走路改築にはNUPから購入したブルドーザーも活用されているが、やはりこれはいいものだ。


 より少ない人員で素早く拡張できる。

 来年の夏までには完成する。


 実は拡張しているのは立川だけではない。

 調布もだ。


 しかも調布は3000m級滑走路×2+上記滑走路1である。

 なぜこんな大規模な拡張を計画し、実行に移したか。


 そもそもが調布飛行場の誕生の経緯を考えれば当たり前ではあるのだ。

 元々あそこは羽田の予備。


 本来ならばヤクチアによって成田に強引に作らされた国際空港と同じ存在を目指していた。

 ヤクチアは何を思ったか横田を拡張してこっちを見捨てたのだ。


 だが東京市における第二空港として、官民共用の空港として誕生した調布飛行場は、航研機などの武装を施されていない航空機にはおあつらえの環境であり、当初よりコンクリート舗装が施されている事も相まって国際空港としても使われていた。


 ただし要人など極限られた者たちしか離着陸を許されていなかったため、基本的にはみんな羽田へ向かうこととなっていたが。


 実際問題、東京会議などでも調布飛行場は開放されていない。

 俺は実は長年これに疑問を持っていた。


 北側には国鉄、南側には私鉄が高尾八王子方面へ向けて横断している中、南北を私鉄が通る状況。


 新宿まで20分、東京まで40分。

 こんなアクセス優れた場所を第二東京空港としない手はないのである。


 主に大西洋方面に向かう国際便を調布、太平洋側へと向かう国際便を羽田とすれば、皇国の航空需要を完全に満たすことが出来る。


 未来の航空機なら調布から伊丹までわずか27分。

 国内線需要を鑑みても北に向かうは羽田、西へ向かうは調布と住み分けできる。


 どちらも東京駅から1時間以内。


 未来の皇国の都市状況を考えれば、5年後10年後においては官民両用などと言いつつも基本は民に比重を据え置くことで、皇国の需要と供給を大幅に満たすことが出来よう。


 いざとなったら軍基地ともするが、首都防衛のための戦闘機は立川に配備したい。


 一連の俺の要求は陸軍も当初より考えており、西条を通しての俺の提案に対して特段批判等もなかった。


 いや、むしろ既に始まっている羽田の供給力不足解消という名目で、コンクリート舗装をアスファルトに改修し直しての大規模拡張の予算が下りたのである。


 まあ現段階なら空港拡張ってそんな金はかからんからな。

 今後イニシャルコストが大幅に上がっていくが、調布は南側に寺町、北側に空港、東西を商業地とするような状況になるのではなかろうか。


 そうさせるための新たな航空機も作らねばならない。

 西条から……陸軍から3つも提案されたものがある。


 しばらく訓練の様子を見ていた俺は、メーカーの者達が続々と集まりだしたためにその場を後にした。


 ◇


「また軍も無茶な要求をしたもんですなあ……まだロ号は完成してないんですよお?」

「全くです。ですが、開発はもう始めなければなりませんので」

「はあ……」


 俺が帰ってきて渡された仕様書は3つ。

 それもすべて回転翼機だった。


 陸軍が今欲しい3つの存在を開発しろというのだ。


 しかもこの要求仕様をまとめた起案書のうち1つにはチャーチルのサインが描かれている。

 チャーチルが皇国に開発を打診し、購入を予定しているものだ。


 皇国もその要求仕様の合理性から完成後の導入を予定している。

 そこに至った要因には王族が関係していた。


 実はロ号は皇国よりも先に王立国家の王族が乗っている。

 あるいは観覧目的で、あるいは演説目的で、その中には未来の女王の姿もあった。


 彼女は前線の兵士を鼓舞するため、上空から拡声器で兵士一人一人に語りかけるように演説を行った。


 量産が続くロ号は俺が知らぬうちにすでに2機が王族用として売り渡されたらしいのだが、そのうちの1機に乗って各地を移動しながら味方の士気が下がらぬよう勤めているらしい。


 そればかりかロ号から吊るされたゴンドラから小銃を射撃して標的に命中させたりなど、王族も最後まで戦うという意思表示も行っているようだ。


 さすが80代となってもアサルトライフルをぶっぱなす女王様だ。


 未来の世界には俺も好きなスパイ映画もあるが、あれの隠れ設定では王立国家最強のスパイは女王陛下であるなんて噂を聞いたことがある。


 本当かどうかは知らんが、やり直す前の直前に3年後のロンドン五輪にて女王陛下が007とパラシュート降下するオープニングセレモニーをやると聞いた。


 スタントマンだとは思うが……スタントマンじゃなかったら本当にそうなのかもしれない。


 やり直す前の世界でもそんな女性なのだから、やり直した後の世界でもやりそうではある。


 そんな一連の行動により見えてきたのが上記仕様であるらしい。

 起案書のメモ書きにその概略と未来の女王陛下の写真が添えられている。


 ようは王立国家が求めたのはゴンドラ方式ではない、もっと一般的なそれなりの人数が乗れる多目的、多用途ヘリコプターである。


 ロ号をベースに4人~6人ほど乗れる機体が欲しいらしい。

 航続距離は700kmほどだそうだ。


 そのためにはサイクリックピッチなどを完成させねばならんのだが、胴体構造などを先行する事は出来なくもない。


 UH-1の皇国版を作ろうという考えには賛成だ。


 ただ、現時点での見込みだと完成は早くても2603年だろうが……


 それとは別に陸軍が独自に求めた存在は2つ。

 1つはガンシップの正式版、つまり正真正銘の攻撃ヘリ。


 現状の急造状態ではない、攻撃ヘリの基本理念をある程度固めうる存在。


 これは攻略法も大したことがないから作れるだろう。

 どこまで本格的なものとするかで完成時期が変わる。


 俺が考える戦闘ヘリのスタンダードを完全に満たそうとすると2605年までに間に合わない。

 だが陸軍の要求はそこまで高くないようだ。


 問題はもう1つの方。

 皇国陸軍上層部が求めたのは……多目的・多用途な重ヘリコプターだった――

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[一言] 麦が主食とか嫌だ、米が良い。   パンも麺もたまにでいい。
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