第10話:航空技術者は鉄道省との関係を深めるため、狭軌最強の機関車とそのシステムを参謀総長に提案する
軽い足取りにて参謀本部へと向かった俺は総長がいる部屋へと向かう。
現在の役職は参謀総長補佐。
すでに自由出入りできる身であるので、かねてより所望していた件について嘆願しにいくのだ。
エレベーター式に駆け上っている感覚はするものの、若手は俺だけで補佐には他にも数名の者がついている。
参謀次長の秘書官で参謀総長の補佐という立場からして異質だが、年齢が若くなければこんな立場の人物が平然といるのが陸軍なのだ。
「キ35の飛行試験、見事だったぞ信濃。それで今日はどうした?」
総長の机に腰掛けながら、機嫌良く手で挨拶するほどに西条は興奮冷めやらぬ様子を見せる。
よし、ようやく俺がやりたいことが出来そうな雰囲気になってきた。
今の西条は航空機開発の予算関係の全てを握っている。
改めて願い出なければ。
「無論、予算について試案していただきたく伺った次第であります。以前より申し上げていたジェットエンジン。是非作らせていただければと」
頭を下げるのは当然。
礼から始まるのが陸軍式。
これまでのこちらの努力を西条には汲み取ってもらわねば。
「かまわん。好きにやれ。当面の間は航空機について貴様に自由にやらせる事になった。先日の会議でそう決めた。新鋭機については我々が選定をするが、それに見合ったモノをこさえてくれればいい。それが貴様の望みでもあるのだろう?」
そんな会議があったなど全く知らぬ事だが、西条が上層部を説得してくれたに違いない。
テスト飛行には国外の技術者も密かに盗み見していたと聞く。
千佳様の話では液冷エンジンで思わしい結果が出ないNUPが我々の結果を見て奮起したとのこと。
あまり奮起しないで貰いたいが……
どうせ彼らとは同じような道を歩む事になるのは同じか。
「ええ、今は航空機などに集中させていただければ。世界情勢の変化について裏で誰が糸を引いているのかは目処がつきますので、何かあれば呼んでください」
華僑の事変については基本的に俺は口出しをしない。
戦術関係についても一切口出しをしない。
西条には口外しないことを約束に、未来の情報を与えている。
陸軍はそれだけでどうにかなってしまうのだ。
おかげで陸軍の動きは極めて正確無比に集中と選択が出来ている。
特に西条が気に入っていた情報は"勝敗論"。
NUPの軍人が今より約30年後の未来に見出した別名OODAループと呼ばれる戦術論ならびに哲学だ。
観察"Observe"
情勢への適応"Orient"
意思決定"Decide"
行動"Act"
そのループ"Feedforward Feedback Loop"によって、健全な意思決定を実現するというもの。
元来はライバル組織とも言える海軍がかつて南郷体制だった際、この動きは完璧に遂行できていた。
西条はこれについて以前より理論的に証明・説明ができないものかと、密かに陸軍の研究グループを立ち上げていたほどで、ずっと腹のうちに溜め込んだものがあった。
それが開放されたのである。
日露戦争における海戦の勝利に対し、我が陸軍による203高地の失敗を上記理論に当てはめて証明を行った西条は、陸軍上層部に数学者を招いてまでこの勝敗論について以後の陸軍の作戦立案時に徹底することを勧告。
参謀本部にはここ数日、皇国大学出身の数学者が多数召集され、"戦争の数値理論化"が行われている。
先の世界大戦においてヤクチアが第三帝国の前身となる国家に12倍の戦力差に及ぶ大部隊を投入し、それでいながらも敗戦したことが気になっていた西条は、その当時指揮官として活躍し、後にその功績から大統領にまでなった男……ハンス・フォン・タンネンベルクの大勝利について特に興味を抱いており、ヤクチア攻略の鍵としていたが……
単純な包囲戦陣では説明できぬ勝利の裏にはこの勝敗論が大きく関係していたことを見出すほどだった。
基本的には皇国海軍と同じ過ちをヤクチアが引き起こしたのが敗戦の原因ではあるが、陸軍はこれまでそういった情報戦に弱く、西条がこの点に気づいたのは大きな変化だ。
西条はそれら一連の原因を理解した上で、現在の華僑事変にて何が戦況を長引かせているのか分析させている。
陸軍上層部は根性論よりも数学的な理解ができる者が非常に多いため、西条の"勝敗論"における発表には電撃が走ったらしく、このまま行くと旧来の狸の皮算用しか出来ぬ者たちは排除できそうだ。
より先進的な陸軍に生まれ変わらせることが出来るかもしれない。
そればかりか陛下にまでこの話が届いてしまった。
これは微妙に怖い。
皇族サイドが勝敗論によって今後の戦況を分析できるとなると、軍に口出ししてくる可能性がある。
それはやめてもらいたい。
どちらかといえば西条を信用する方向性で活用してもらえばいいが……
俺は少なくとも西条に懸けているのだから、部外者の介入は好ましくないと考えている。
事実、西条は次の目標をすでに掲げた上で行動を開始しているんだ。
「――それで、我らが目標は2601年の経済流通包囲網回避とハイオクタンガソリンとその精製装置の確保でよいのだな?」
「その通りです。必要であれば私も交渉に望みます」
「そうか。それで、どうした? 何か別件があるのか?」
ややもじもじした姿勢でいると西条はこちらの感情を読み取ってくれた。
国家総動員法が制定される今年、いよいよ皇国は国家総出で戦いに挑む事になる。
実はその前に海軍より先に手を結びたい相手がいる。
「実はですね……鉄道省に提案したい蒸気機関車のシステムがありまして……」
「なんだそれは」
「ええと、簡単にいうとですね……1280馬力級の最新鋭機関車D51を2000馬力級に引き上げられる上、燃費改善が可能なので……鉄道省に恩を売って関係を深めたいなと……」
「なんだと!?」
寝耳に水だろうな。
流体力学を専門とする俺は40年後に未だに蒸気機関車の明日を夢見て改良を続けた者たちが誕生させた、とあるシステムについて認知している。
こいつは熱力学と流体力学の応用だ。
GPCSとPT。
Gas Produce Combustion SystemとPorta Treatmentである。
簡単に言うとボイラー内の熱量をコントロールしてガスを発生させ、動力源の一部としてそのエネルギーを使う方法。
信じられないことに、我が国でも実験してみた蒸気機関車があるのだ。
その頃、まだ九州地方などでは元気に走っていたからな……
結果は大成功だったのだが、ディーゼルエンジンの発展によって有耶無耶にされた。
これは既存の蒸気機関車を小規模改造するだけでおよそ1.5倍~1.6倍の馬力に引き上げ、その上で燃費を低速時で3割、高速走行時では半減させてしまうシステム。
細かい事は鉄道省の技師に伝えるが、この時代の技術力でも普通に再現可能だ。
発想がなかっただけで、基礎技術は蒸気機関誕生の裏にあったものを利用する。
西条に細かい説明をしてもいいんだが……
「貴様は主要路線の全線電化や標準軌への改軌を望んでいたはずだが、そのための布石か?」
「それは目的の1つではありますが……その前にやっておきたい事でして」
「信濃。それでは狭軌の機関車で可能という事なのか?」
「元より狭軌の機関車を高速化するための技術で今より10年後に基礎技術が誕生します。そしてそのままシステムは改良されていき、今より60年後に狭軌の蒸気機関車が歴史に残した最後の足掻きといいますか、赤い悪魔と呼ばれた蒸気機関車がありまして……凄まじい熱変換効率を誇る存在が機関車史の最後を飾るがごとく誕生するのですが、その技術は現在でも再現可能なのです。当時……つまり現段階にて我が国にその発想がなかっただけで後に我が国で生き残っていた機関車でもって数十年後に実験したもので……それが現時点では最新鋭のD51なので是非試しておこうかと」
しばし目をつぶって沈黙する西条。
頭の中では恐らく、どうやってそれで鉄道省との関係を結ぶか考えているに違いない。
「何km出るのだ。貴様の計算では」
「客車を繋いでも120kmは東海道本線で出せます。貨物列車の高速化技術と引き換えに、我が軍との関係性を強めたいのですが……」
「120kmか……諸外国の特急列車並だな」
「私は電鉄の高速化技術に疎いので、蒸気機関車の高速化しかできません……なに分、流体力学しか学んでこなんだものですから。作れても車両の胴体構造やらその他だけです。ですが、こちらならば……」
「あまり機関車を高速化させると電化が遅れんか」
うぐ……鋭い指摘を。
そうだよ西条。
我が国には九州は肥後薩摩の地にて国産最強クラスの出力を得たD51である、通称"肥薩スペシャル"というものがある。
これとは別に九州の連中や東海の連中が独自に実験してみたのが前述した機関車だ。
ただ、その頃にはもう……210kmで走る高速鉄道の存在があった。
……遅すぎたんだ。
一方で肥薩スペシャルは高性能すぎて、その区間の電化計画が最終的に流れてしまった背景がある。
正直、D51の2000馬力化は可能なのだが、その後が怖いのは事実。
ディーゼルのDD51なんて目じゃない性能にできるが後にどういう影響を及ぼすかわからない。
ただ、性能の大幅な向上をさせることに関してだけは絶対の自信がある。
その場合、高速鉄道の誕生に大きな影響があるではないかという不安は強い。
かといっても俺には何も出来ない。
モーター関係の技術なんてサッパリなんだ。
制御方法はわかるが、再現できない。
俺は結局、どこまで行っても流体力学の専門家でしかない。
以上のリスクを全て考慮したとしても現用の工業技術で可能なものは可能な限り導入し、輸送関係などを円滑化させたいのだ。
貨物輸送が高速化すれば製造コストも下げられる。
この方法しかない。
西条にはありのままを伝えるか。
「閣下。正直申して可能性は高いです。ですが、電化こそ至高と持っていく方法はなくはありません。電鉄は200km以上出せます。我が国が世界に先駆けて実用化するのです」
「その話は前にも聞いた。ようは、開発者が萎縮しないようにすればいいのだな?」
「ええ。弾丸列車計画を立てている者を保護しつつ、やるだけの事はやらせてください」
「長島知久平とは知り合いだ。確かこの男、重要なキーパーソンとなる人物として貴様のレポートにも列挙されていた上、普段から貴様と同じ事を言っていたな」
「ええ」
長島知久平。
長島航空機の創業者にして、元海軍士官。
2580年代の時点で大艦巨砲主義を否定していた男。
航空機こそ未来ありとばかりに戦艦を否定したこの男こそ、現在の鉄道大臣なのだ。
そう。
彼は西条とつながりがあるだけでなく、長島とも繋がりがあり、我が陸軍は2599年になる前の段階なら鉄道省と非常に強固な関係性を結ぶことが出来る。
彼はもはや俺と同じ人間だとしか思えない。
あそこまで未来を読める男はそういない。
「閣下。長島知久平は絶対に手元においておくべき人材です。もし閣下が首相になられても、彼は手元に置いていただきたい。もし私が道半ばにて倒れたとしたら彼を頼ってください。それだけの傑物です」
「あまり不安を口にするな……本当に現実となってしてしまうぞ。いいか、貴様は必要だ。なんとしてでも皇暦2605年までは生きていてもらう」
「だとしても、長島大臣とはどうか手を取り合っていただきたい。どちらにせよ閣下は皇暦2600年頃から彼と手を結び始めるのです2年前倒しといきましょう」
「気に入らない人物ではない。奴の会社には今後とも我が軍でも頑張ってもらわねばならん。わかった……長島には今日にも連絡をとる」
ありがたい。
西条には説明していないが、俺としては彼と早急に出会いたい。
発動機部門はどうでもいいが、胴体開発を担当する部門において最も影響力を与えられる人物と手を結びたいんだ。
戦略爆撃機"富嶽"……たとえ爆撃はせずとも、B-29が飛来する未来を変えるかも知れぬジェットエンジン開発失敗の保険だ。
すでに長島の手元には置物同然の失敗作であるDC-4Eがあるのだが、こいつを本物のDC-4にするなど難しくない。
彼は大型機に拘っているが、手助けできる。
今の俺には富嶽の胴体構造だって設計出来るのだから……