第94話:航空技術者は地方行政に手を伸ばす事を決める
皇暦2600年4月18日
再び集められた鉄道技術者らと共に装甲兵員輸送車の設計を行う。
設計上の最大の問題点はどこから人を出すか。
一般的に装甲兵員輸送車と言えば真後ろから兵員を出すのが基本。
側面からだと装甲がないので狙撃される。
しかし、ガスタービン式であるがゆえにそれなりの熱量の排熱があるこの戦車においては、そう簡単に出口を真後ろとする事ができない。
一応、低温駆動ゆえにエイブラムスほど熱量は高くなく、低温火傷程度で済む温度なのだが、それでも火傷を負うことには変わりがない。
この解決方法の1つとしては屋根を無くすという方法が考えられた。
スロープ方式にして滑り降りるのである。
現在における装甲兵員輸送車というのは屋根無しもそれなりに多い。
砲塔の無い戦車の真上にバスタブ構造の装甲を施し、その上に湯船につかるがごとく人を詰め込むのである。
その仕様では椅子すらなく立ちっぱなしで攻撃を受けたら伏せるのだ。
この場合、陸軍から求められた10人どころか20人以上運べる利点があるが、一方で付近で爆撃を食らったら20人が焼き鳥にされるリスクを負う。
おまけにIL-2のような襲撃機や攻撃機への防御力も皆無。
陸軍は当然屋根アリを求めていた。
装甲厚はそれほど求められていない。
最低限でいいという。
俺の計算では90mmあればいい。
距離1000m~1500mでT-34などの攻撃を防げればいいわけだから。
それ以上は接近しない。
火器としてはホ5による20mm旋回式機銃を装備するが、後々にNUPからバズーカを仕入れて使えるようにする。
まだバズーカの開発も始まっていないが、皇国で自作するほどの技術力には乏しい。
そのための構造をどうにかしなければならないわけだ。
四菱などの技術者も交えて協議するが、牽引能力も保たせる関係上中央ど真ん中に出入り口を配置することはしない。
排気口の真上には牽引用の装置が搭載される。
となると出口は左右か。
出口を左右に振り分けるというのはPBV302などがやった。
排気口から少しでも距離を離せば熱は問題ないことはすでにわかっている。
PBV302を参考に傾斜装甲を搭載し、牽引力も保たせて救護車としても使えるようにするか。
協議が終わった俺は早速設計室に引きこもって設計。
計算してみたところ装備重量は22t。
最高速度は56kmを見込めることが判明。
航続距離は開発中の駆逐戦車とほぼ変わらない。
全長6.35m
全幅3.12m
全高は2.70m
操縦者+車長+指揮官で3名、別途12名搭乗可能。
12名のスペースは担架を4名分ほどを収容して救護車とできる。
後ろに牽引式の通信指揮車両を牽引可能。
牽引最大重量は8t。
5000Lの液体タンクを引きずれるよう設計。
逆を言えばこのタンクをジェット燃料としてしまえば、自身の持つ航続距離は大幅に増加できるし、連携運用する他の駆逐戦車に燃料を補給できるという利点もある。
航空機ガソリンを陸送するという方法にも使える。
12人乗せて5000Lのタンクを引きずっても52kmは出せる。
50km以上出れば十分だろう。
問題はこれをどうユーグまで運ぶかだが、現在陸軍では皇暦2598年から機動艇が開発中であり、元より駆逐戦車2台までなら乗せることが可能となっている。
ゆくゆくは第百一号型輸送艦をより荒波に耐えられるようにした戦車揚陸艦を作らねばならんが、現状ではこいつで十分。
すでに蟠龍と同じ形式のものが建造中で2601年には完成予定。
本来よりも2年も前倒しなのは、重戦車を開発するという事で大急ぎで輸送艦の建造計画を立てたものの、その重戦車がまるで滞っていたことによるもの。
2599年には建造が開始されたはいいものの、それを乗せる戦車が無いという状況には陥らない様子。
だがこの船はさほど性能が良くないので海軍と連携して改良型を開発中。
その辺りはがんばってくれとしかいいようがないな。
◇
「どうか再考をお願い致します! 私を陸軍に!」
それは駆逐戦車の試験を終えて統合参謀本部へと向かう時であった。
何やら随分と腕や足が細く腹がでっぱった子供が、歩兵部隊の将校にしがみ付いて懇願している。
この将校は新鋭戦車部隊との歩兵連携のために立川を訪れていた者だ。
「なぜこの場所にまで来た! ならんと言ったろう!」
「そこをなんとか! 私には一家を支える義務があるのであります! 今の年齢で働いてそれなりのお給料が出る場所は陸軍しかありません。どうしてもお願いできませんか!」
「貴様は地主の農家の長男だ。元より採用しにくい立場にある! その上、その体力では訓練中に死にかねん。他の方法を考えろ!」
なんとしてでも離さないとばかりにしがみつく子供は、それなりの年齢に達した少年であるらしい。
だが背は低く、猫背で、顔色もよくない。
……地方病か。
将校は怪我さすわけにはいかないと、振りほどこうにも振りほどけない。
「鍛えればどうにかなるはずです! 父も母も病に倒れ、一家を支える人間は私しかおりません! 兄弟6人を支えるためには陸軍しか!」
「ならん! 別の方法を探せ! 陸軍は採用者を訓練中に殺す事などできん!」
一瞬の隙をついて少年の手を振りほどくと、将校は足早に去っていく。
俺はその姿を見て将校を追いかけて話を伺った。
「さっきの者。山梨の人間か」
「ええ。甲斐の人間です。私も同じく甲府の人間でして同郷ではあります。あの地方には採用したくとも採用できない志願者が沢山おります。私だって差別しているわけじゃない。ただ、陸軍の立場としてあまりに病弱な者は採用できません。あの子は重篤の地方病。特にひどい地域の地主の長男です。無理に採用して訓練中に死なれでもしたら問題になります。孤児を採用する事に積極的でも、あの子のような者を採用するわけには……」
「君は採用担当官だったのか?」
「そうです。今は東京に召集されましたが、しばらく前は山梨におりました。どこで調べたのか、あの子は自分の足で東京まで訪れるようになり、時折ああやって現れるのです。しかしもはや採用する立場でもなく、どうにもできません」
先ほどの少年の姿が目に焼きついていた。
顔をぐちゃぐちゃにしながら泣いていた子供。
家族を救うために陸軍に入隊したい……か。
……俺がやり直す前の世界においては、同じようなことを述べながら万歳三唱で敵艦に突撃していった者を少なからずみた。
二階級特進すれば、それなりの金額が家族へ向かうからと。
皇国はすべてが変わったわけではない……か。
「信濃技官。どうされたんです」
「いや……少し気になったのでな。情報ありがとう」
「いえ。では私はこれで」
若き将校はこちらに敬礼すると足早に去っていった。
俺は午後の会談のために参謀本部へと戻る予定だったが、それが地方行政に手を出す転機となる事はこの時点では予想だにしていなかった。
◇
統合参謀本部へと向かったのは、東亜三国による会議が行われるためだ。
俺は西条と共に会談に参加する。
今日の議題は先日西条から話を聞いた蒙古自治州などについての協定と条約の締結。
すなわち、油田地帯を三国が三分割して領有権を持つための話し合い。
といっても、すでに三国外務省による交渉によって大筋合意に至っており……新聞にもその事が掲載されていた。
皇国は三分割された領有権を集の一部の資源地帯に持つことになり、事実上の領土拡大となる。
とはいえ、一方的に皇国側が利益を享受できたわけではなく、それまで事実上の領土のようなものだった蒙古自治州を集と統一民国に明け渡し、さらなる条件も飲む事になっていた。
統合参謀本部においては陸軍と海軍がこの件についての方向性を最終決定するための会議が行われていたが、海軍にとって特段批判が出るような事はなく全会一致で承認。
陸軍もこれを承認し、首相が首脳会談へと望むことに。
皇国には久々に蒋懐石が姿を現すことになるのだった。
◇
「西条首相。空港から東京まで移動したが驚いた。随分と発展したものだ。まあ、我々も重慶を中心に随分と様変わりしているがな」
機嫌良く現れた蒋懐石は軽い足取りで着席する。
3年前まで双方が戦をしていたなど、とても思えない口ぶりであった。
「蒋主席。よくぞ来られた。統一民国の状況はどうだ」
「可も無く不可もなく。それなりにやらせていただいている。戦乱期の復興作業は終わり、今は飛躍する時だ。弾薬と銃器の量産で随分稼がせてもらっている。ユーグ……そして皇国からもな」
西条に促されるまま着席した蒋懐石は、現状の統一民国の状況をあるがままに言葉に表した。
正直言って東亜地方はそこまで大きな混乱も無い。
蒋懐石の余裕の表れは、この時期にいかにして軍事力を整えるかに必死となりつつも、それによってヤクチアが早々簡単に攻め立てられない状況を作った事で生まれたものだった。
「おっと、張総務大臣。入室していたのなら言っていただけるとうれしい。皇国へようこそ」
「……」
無言のまま会釈をした張総務大臣も用意された椅子に座る。
とても無口で有名な彼だが、集との交渉においては芯の強さを見せ、決して侮れないリーダーシップ能力を内包した人物である。
「さて、お集まりいただいた御二方には調印前の会議を行いたいわけだが……何か議題としたい事でもあるか」
「1つ貴国の外務省に伝えていなかった事がある。特に際立った条件ではないが、今回の共同声明に合わせて認めてほしい」
「どうしたのだ改まって」
最初の議題にて口を開いたのは蒋懐石である。
彼はどうやら首相レベルで伝えたい話があるようだ。
「蒙古への開戦時期への取り決めだ。蒙古地域を我々が割譲する。これは認めていただけることで今回の大筋合意に至ったのはご存知のはず。だが開戦時期は今がその時ではない」
「2602年~2603年頃であろうな。今北進すればヤクチアを酷く刺激するぞ」
「そう、だが彼奴らはすでに攻めてきている。王!」
後ろを振り向いて王兆銘を呼びつけた蒋懐石は、何枚かの写真を西条に渡す。
西条はこちらにも見えるようにして写真を見た。
……P-39か。
それとM2中戦車……
「西条首相。これがどこから運ばれてきているかわかるか。集と共同で調査したが、我々はこれらNUPの新鋭兵器の調達ルートが未だに掴めん」
「わかれば輸送中に没収した上で東亜で互いに新鋭兵器を分配できるのだがな。残念ながら我々の情報網すら潜り抜けている。恐らくはヤクチアが関与しているものとこちらは見ているが……」
西条が言う通り、お手上げなのだ。
ヤクチアを利用したルートであることは間違いない。
だが、あのNUPの大陸からこちらの目を掻い潜る方法がまるでわからない。
それがわかればP-47が手に入るかもしれないのだが。
「そもそも、皇国海とその周囲には王立国家とNUPと皇国の海軍が見張っている。NUP陸軍が一連の兵器群を独自に送り込むのは容易ではない。しかし本年3月中旬よりP-39と呼称される新型機が多数我が国の領土に飛来するようになった。すべて蒙古軍だ。今のところ皇国から購入した百式襲撃機で撃退できている。だが、敵軍基地を攻撃できぬ現状の体制を続けるのは得策ではない。あちらにパイロット候補はいくらでもいるから、こちらが消耗を強いられるだけだ。事を荒立てればヤクチアの大侵攻を招くのが故歯痒いが、彼らに重圧を与えたいのだ」
「私は蒙古を防衛ラインとする考え方に否定的な見解はない。いずれ北進もする。そこについては蒋主席と認識は共通だ。開戦判断は任せる。ただ、2602年以降だ。これから約2年の間は耐え忍ぶ戦いとなる。ユーグの戦況が好転して反転攻勢となった所が狙い目だ。蒙古ごとヤクチアを叩く」
「……御二方はどこまで進軍する予定なのだ?」
それまで無口のままだった張総務大臣はここに来てはじめて口を開いた。
しゃべる事が出来たのか……この人物は。
「どこまで……とはどういうことか集の総務大臣よ」
「蒋主席よ……極東の人口は大したことが無い……おまけに環境は我らが三国より劣る。ヤクチアが攻めてこないのは進軍するだけで消耗する魔の地帯であるからだ。大軍の侵攻を可能とする唯一の手段がシベリア鉄道。攻めるならば、ここの奪取だけで十分。シベリア鉄道を徹底的に破壊するか、ここを中心点に東亜連合軍が強奪して進軍するか。シベリア鉄道のレールの上より北の進軍は無意味だ。ヤクチアはシベリア方面からの迂回機動を行う可能性が高い。あの鉄道がすべての基点となる……開戦後すぐさま破壊するか奪取すべき目標だ」
……食えない男だ。
だが良くわかっている。
シェレンコフ大将も危険視しているがその通り。
東亜が戦う場合、ヤクチアの補給路を経つ上ではシベリア鉄道を破壊すればいい。
だが、シベリア鉄道を破壊すると進軍はきわめて難しくなる。
あのめちゃくちゃにだだっ広い地域にわずか400万人しかいない。
主戦力の殆どはモスクワから移送されてくる。
陸軍は当然シベリア鉄道の奪取とシベリア鉄道での進軍を考えている。
だからこそ、虎の子の戦車をすべて"鉄道輸送可能"としようとした。
全幅3.12mは皇国国内だけでなくシベリア鉄道も考慮した規格。
「張総務大臣は、陸上での進軍は不可能と考えているのか?」
自分が投げかけたその言葉に静かに頷く張を見た西条はすぐさまこちらに顔を向ける。
当然俺も静かに頷いてそうなのだと念を押す。
ヤクチアを落とす方法は3つ。
シベリア鉄道の線路上を鉄道を用いて進軍していくか、黒海などからウラジミールの故郷方面から叩くか。
ユーグからモスクワ方面へと北上するか。
そのうち2つが冬将軍によって大幅に制約を受け、シベリア鉄道が最もその影響を受けにくい。
だが敵は奇襲という戦法で機動戦を展開できるが、こちらはそれが出来ないという戦略上の不利が生じる。
ただ、ヤクチアも無敵の物量を持つわけではない。
あの時、皇国を攻め落とした三方位からの包囲戦は出来ない。
統一民国という存在があるからだ。
可能なのは集と樺太方面からの二方向。
しかも二方向で展開しようにも統一民国が北進すれば、彼らは要のシベリア鉄道を寸断され、補給路を完全に断たれる。
つまり奇襲の成功率も俺がやり直す前の世界よりかはよほど低いと言えた。
「御二方にお伝えしたいことが1つある。戦を行う上で忘れないでほしいことだ。戦は八割方勝利した後は交渉に持ち込むのが最上の選択。今我々が三国という立場を得ながらも最小限の被害で東亜を統治できるのは、皇国がそれを弁えていたにすぎない。欲をかいて不毛の地を戦車で進軍してはならぬ。今回結ぶ戦時協定においては北進の方向性も定めたい。シベリア鉄道から北へ向かってはならぬ。シベリア鉄道から東亜三国は西へ向かうのだ……」
「どうかな蒋主席よ?」
「元々私は極東に興味はない。統一民国は蒙古までだ。私の目が黒いうちは欲など出さない。私の後を歩む者にもそうさせる」
「我々集としてもいつでも戦う覚悟はある。皇国から受け取った襲撃機は統一民国だけでなく我々にもある。できれば北進に合わせてあれをもっと増備したい。どうにかならないか」
必死に開発したキ47も二国にすら少数売却した割には、偵察機としてでしか使ってないためか評価が高くないな。
ちょっとした発想の転換で生み出した襲撃機の方がよほど評判がいいとは。
「ハ43はどちらの国でも技術的に作れるものではないが、両国共に溶接技術はあるし計器類も作れる。機体の心臓部は我ら皇国が製造するので、機体の骨格はそちらで作れるよう手配しよう。皇国としても修理用部品などを多数調達する事になるしな。骨格部分など一部をライセンス提供しよう」
「あの機体は鶏卵のごとく毎日大量に作れる体制にはなりたい。エンジンのライセンスも最終的に譲って欲しいのだが」
「蒋主席よ。量産可能かどうかはわからんがエンジン類の製造も許可しよう。襲撃機の数がともかく必要なのは理解している。冗談抜きで総数3万機は欲しいのだ。戦車より多く必要だからな」
「ならば集や我が国の力が必要になるだろう。キ47は従来どおり購入でいいが、襲撃機は前線部隊の評判も良く、追加調達は願ったり叶ったりだ」
襲撃機は二型が開発中なのだが、メタライトは彼らには製造難易度が高い代物だろうな。
譲るとしたら一型だ。
ハ43は新鋭エンジン。
なれど、どうせ後5年で役目を果たし終える。
それを考えれば星型エンジンを譲ってもダメージは低い。
統一民国が裏切るとかなり厳しい事になるが、シェレンコフ大将や陸軍の情報部隊曰く、統一民国は反共主義で戦い抜く公算が大きく、統一民国内部にいた共産主義勢力は2600年時点で完全に一掃されたという。
我々だけで勝つ事は難しい。
特にNUPの陸軍がこの間のような事をすれば義勇軍として襲い掛かってくる。
それらを突破するためにも皇国以外が軍事力を持たねばならない。
現在、九七式戦などを中心に統一民国や集などは航空戦力を整えているが、なまじ敵が500km台で飛ぶため九七式戦などでは速力不足な上に、攻撃力も防御力も不足していた。
皇国の主力機関砲であるホ5は集や統一民国の経済特区の工業地帯でも大量生産されているが、この20mmを装備している襲撃機だからこそP-39などに対抗できているのだ。
なまじ皇国機にして唯一ヘッドオンすら可能という特長は、思考停止して敵にひたすら突撃できることを可能とし、そのシンプルさが東亜の陸軍パイロットに慕われる理由だった。
特に襲撃機のパイロットは臨時で九七式戦などに乗ると、防御鋼板がないので不安で手が震えてくるほどなのだという。
まあ九七式戦だと7mmでも抜けるからな……
12.7mmを弾く襲撃機から、7mmを食らうだけで目の前を弾丸が通り過ぎる九七に乗り換えるなど、俺だって想像しただけで悪寒に震えてくる。
俺がそのような事を考えている間も会談はその後も続く。
見ていてわかるのは、互いに笑いあうような事はないがお互いに妥協点を探れている所。
集は今回の事実上の領土割譲は不満もあるはずだったが、国家が消滅するよりかはマシと考えているのか、張総務大臣は宜しいと言って殆どの条件を飲んだ。
要求は主に皇国の新鋭兵器の調達が多く、皇国も可能な限りこれに応える。
そして――
「――よし、それではこれで条約と協定については問題ないな? 資源地帯は調印式後に三国がそれぞれ33.33%の領有権を得る。私は0.01%を巡って争うような事をするつもりはないからな」
「くだらん話だ。その部分は現在三国が現地で展開している駐留軍基地にでも当てはめればいいのだ。それで埋められるであろう」
「その方向性でいくか」
「……」
シベリア鉄道について語った際は驚くほど饒舌だったのに、張総務大臣は再び無口となっていた。
どうしても伝えたかったのはそこだったのだろう。
だが彼は決して操り人形ではないことがわかった。
最後まで集を国家として守ろうと戦った男の片鱗を見た。
今の立場だから見られる器というものがある。
目の奥にある鋼のような心は、集のトップに君臨にするに足る傑物で間違いない。
三国が合意に達すると、西条ら三人はそれぞれが手を結んで最終合意となる。
しかし三国首脳会談はそこで終わりとはならなかった。
蒋懐石のある言葉が、俺を動揺させる。
◇
「――西条首相。悪いが別件で協議したい内容がある。会談を続けたいがよろしいか。張総務大臣にも関係しそうなことだ」
「どうしたのだ」
一旦席についた蒋懐石は静かに溜息を吐く。
表情は一掃深刻なものとなった。
何かに襲われているような危機感というものが顔に表れる。
「首都南京などを中心に広く被害を及ぼしている奇病、シーチチュンというものがある。私は風の噂で皇国がこの病理への解明が特に進んでいると聞いた。出来れば是非協力を願いたい。我々にとって大変深刻な問題なのだ」
「シーチチュン?」
「首相。地方病です」
「む、珍しいな……会談中にお前が口を開くのは」
これまで無言で会談を聞き続けるだけだった俺も、ある意味で歴史上の有名人たる蒋懐石などからは張と同じような人間と思われていたかもな。
あまり過度な介入をしたくないので俺は基本西条に任せている。
西条本人は危ういとみたらすぐにこちらにサインを送ってくるが、西条自体の思想は俺にとって相反するものではないので、これまで見守るだけで十分だったのだ。
だが今回だけは別。
シーチチュンと聞いて即座に地方病とわかる人間はこの場にいない。
だからこそ言わねばならなかった。
「それなりの薬などは開発できているが根本的な解決は難しい。皇国内では一応の結論は出ている。用水路のコンクリート化などだ」
「出来れば知識を分けてもらいたい。国民は恐れている。その地域を出歩くだけで寄生虫によって一生苦しめられるのだ。集ではそのようなものはないのか?」
「そこまで問題となるほどでは……黒死病の方が恐れられておりますがね。私もその名前は聞いたことがある」
南京周辺は地獄だ。
あの場所の状態が良くなるのは半世紀以上先の事。
南京を首都として開発する上で最大の障壁であるのは間違いない。
皇国には特効薬があるのと同時に解決法もある。
だが、その解決法は……現在の皇国では見送られている。
だから未だに山梨は酷いことになっているんだ。
「よろしいですか首相」
「どうした。話してみろ」
「では……蒋主席。シーチチュンの攻略法は中間宿主を殺す事にあります。最大の方法は用水路のコンクリート化。それも被害が及ぶ全域すべてをそうする事です。水の流れを速め、宿主を徹底的に殺傷する。それ以外に方法はありません。皇国はそれがわかっていても、コストと労働力ゆえにそれが出来ないでいます。大量の労働者を動員し、大量の予算をかけ、すべての用水路の治水工事を行う。とても痛みの伴う攻略法です……」
俺の言葉は即座に翻訳され、概ね言葉の通り蒋懐石へと伝わる。
華僑の言葉は多少わかるので、ニュアンスがきちんと伝わったことだけはわかった。
「……コンクリート化か……確かに、薬は対症療法にしかならん。新たな感染者を減らす方法はそれだけなのか……」
「石灰という手もありますが、コンクリート化ほど効果的ではありません。コンクリート化が唯一無二の有用な手段です。私は専門家ではないので、これ以上詳しくは語れませんが……恐らく皇国の専門家からも同じ事を言われることでしょう」
「ふむ。西条首相は中々地方自治にも意欲的な補佐官をお持ちなようだ。随分参考となった。出来れば専門家の力をすぐにでも借りたい」
「それぐらいであれば構わない。確か皇国に集や統一民国で流行り病の調査研究を行う学者が何名かいた。彼が地方病のスペシャリストでもある。声をかけておこう」
「それはとても助かる」
態々立ち上がって礼を述べるほどなのは、自国に目を向けるようになって見えてきた惨状について、本当にどうにかしたいと思えるようなものを見たのであろうという事を現している。
皇国も華僑も50年戦う事になる。
それだけ凶悪な敵だ。
あの少年との出会いは天命だったのかもしれない……
会議が終わったら西条に伝えよう。
今だからこそを目を向ける時だ。
今、多少なりとも余裕があるからこそ目を向けてやるべき事が国内にはある。
山梨は農作物の宝庫。
特に野菜類の量は関東甲信越でもトマトなどを多く生産して提供している。
フリーズドライの生産量をも左右する問題なのだ。
あそこの問題は兵糧問題にもかかわる。
50年後の農作物の生産量を考えれば今やっておいて損はない。
決めた。
俺はあの少年は救えないが、あの少年の先を生きる者は助けられるかもしれない。
そこに何かあるかもしれない以上、国内にも目を向けよう……