表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

110/341

第91話:航空技術者は皇国の新型二輪をテストする

 皇暦2600年4月1日。

 新年度のこの日、俺は開催を延期しなかった万博の様子を見に来ていた。


 一度は見に行って見ろと周囲から訴えられたからだ。


 本当はそんなことやっている暇はないんだが、常に張り詰めた状態だと寿命を削ると言われて渋々調整休とした。


 向かうは月島。


 月島沖で開催されている万博は、この日のために整備された元埋立地。


 4号埋立地と5号埋立地をわざわざ整備し、そればかりか高規格道路、高速道路とも言える様なものすらこさえていた。


 移動するバスから見た光景はとても不思議だった。

 従来はあそこは何もないイメージしかなかったのに、遊園地のようなものが出来上がっていた。


 この万博の目玉はやはりポスターにも描かれている銅像だろう。

 この日のために共和国からわざわざ借り受けてきた銅像がある。


 それは自由と平和の象徴としてNUPに共和国から送られたもののに対し、返礼品として共和国に住むNUPの人間が送ったサイズを大幅に小さくしたレプリカ。


 激しい戦火となることが予想された共和国においては、ある事が懸案事項となっていた。


 セーヌ川にあるこの銅像が破壊される可能性である。


 実際には破壊されなかったし、この銅像に解放軍が集まったと聞いているのだが、万博の目玉の1つとして共和国が快く貸し出した。


 実は本来その場所におかれる銅像は犬だったなんて口が裂けても言えないな……


 皇国の人間にも一躍有名となった渋谷の忠犬の銅像を一時的に移設し、その場所に据え置く予定だったと聞いている。


 あの忠犬は皇后様が大変気に入っていたので、国内外に向けて宣伝したかったのだ。

 それなりに国外にも知られていたので所謂キャラクターとして採用したかったのだ。


 まあ位置は皇国記念館のすぐ近くとなったので、結局移設されてきてはいるのだが……


 それは入り口から入ってすぐ目の前にある皇国記念館のすぐ隣。


 皇国の歴史を解説する皇国記念館は入り口のすぐ目の前にある第一のパビリオンなのだが、すぐ隣にこの忠犬を紹介するためのパビリオンが用意されていた。


 子供向けにアニメ映画まで用意して。


 勝鬨橋をくぐって入り口へと入った俺の前の前には、西洋風の犬小屋のようなパビリオンがある。

 かなりの人が詰め掛けていた人気スポットのようだ。


 そのため目玉の銅像を前に一旦こちらへと向かう。

 パビリオン内に入ると丁度アニメ映画の上映時間だった。


 だから人が多かったのか。


 内容としては後に俺が見た事があるNUPで作られた短編作品のマッチ売りの少女に類似する内容で、約45分間の割と長編の作品だった。


 主人公は一切喋らぬ忠犬と新聞寄稿者。

 この1名と1匹を主軸にナレーションが時々挿入される。


 このあたりは実に皇国風だ。

 この頃、NUPのアニメ映画にナレーションが殆ど入らなかったのとは対照的。


 内容は史実をほぼそのまま脚色することなく後半まで描き、最後にややファンタジックに飼い主が迎えに来て昇天する。


 いじめられるシーンや煙たがわれるシーンは感動のためにあえて生々しく描写したのだろう。

 全体的にはNUPのアニメ映画が多分に影響している感じがした。


 救いのないシンデレラといった感じだ。


 特に後半はガラリと雰囲気がファンタジックになる。

 東亜風の序盤から西洋風に変わるが特に違和感はない。


 死去した後はその遺体に多くの人々が詰めかけ、剥製と銅像が作られるまでの過程も描かれていた。


 そして誰もがギョットとするのはエンディングテロップだろう。

 製作協力者に皇后様の名前が記されていた。


 まあ、あの方は生前に会いたがっていたというし、この企画が持ち上がった際に自ら協力を申し出たのであろう。


 周囲を見る限り涙をぬぐう外国人の姿もあることから、それなりに人気を博しているようだ。


 会場内には剥製、外には銅像。

 写真なんかも多く飾られていた。

 除幕式の旗なんかもあるな。


 パビリオンの建設は寄付を募ったとのことだが、この頃、渋谷の忠犬の人気は絶頂期。

 すぐ寄付は集まったのだろう。


 だからあんなアニメ映画も作れたのだ。

 皇国には犬にまつわるおとぎ話も多い。


 パビリオン内には"はなさか爺さん"など、犬に纏わる伝承や伝記なども展示されて紹介しているが……


 万博のパビリオンにてここまで犬一辺倒のパビリオンなど過去未来において存在するのだろうか。

 少なくとも俺は知らない。


 だが人気がある様子から成功したと言えるのだろう。

 一通り見た後は次の場所へと足を運ぶ。


 目玉の銅像の前にどうしても行かねばならぬ場所があった。


 実はこの万博のために、京芝と組んで俺が企画に関わったパビリオンがあるのだ……

 未来を知る人間だからこそ出来るパビリオンがな……


 京芝と普段組んで仕事をしていた俺は、パビリオンの構想に一枚噛むことになってしまったのだ。

 まあ意見出しをしたぐらいで大した事はしていない。


 時間が惜しいので足早に目的への場所へと向かう。


 にしても、歩いていて思うのはとにかく会場中においてブラウン管モニターが多い。

 会場案内に映像が使われ、各国の言葉を字幕で表示しながらブラウン管モニターにて表示している。


 また、会場には大量のネオン電灯もある。

 万博誘致の際にも使われたネオンも既に国産化されていた。

 まるでベガスに着いたようだ。


 なんだか20年後の未来に来たようで不思議な気分がする。

 だが万博には最新鋭の技術を展示するのがつきもの。

 ある意味で2600年の現在ではこれが当たり前ではあるのだ。


 皇国の人間は大政奉還の際に向かったパリ万博にて、世界初の水圧式によるエレベーターに乗っているし、発電機やモーター類に触れることすら出来た。


 大政奉還の時代ですらそんなものが展示されていたわけだ。


 当然皇暦2600年の現在も割とがんばっている。

 俺が京芝と組んで企画したパビリオンは家電関連のもの。


 当時電化家電を多く販売していた京芝だからこそ可能としていたパビリオンだ。


 "未来の生活"と題した京芝のパビリオンには、一軒家の中に、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、掃除機が人形と共に展示されている。


 未来の一般家庭を模した室内には既に広まりつつあった室内用冷房まで完備。


 これらは全て国産。

 といってもテレビ以外はG.Iのコピー品に近いが。


 これを見て驚くのはNUP以外の人間だろう。

 NUPはこの時点でテレビ以外を導入している家は少なからずある。


 だが現時点でこれら全てが揃う国はNUPを除くと皇国しかない。

 皇国しかないんだ、2600年現在でこれら全ての国産化に成功しているのは。


 このパビリオンには他にも俺がアイディアを出した存在が多くある。


 田舎では未だに五右衛門風呂が当たり前の中、この施設ないにはつい10年前に実用化したばかりのガス湯沸かし器の風呂も展示。


 皇国では30年は先を行く未来の家電が全て揃っている。


 ガスコンロだって東京ではもう珍しくない。


 パビリオン内では実際に全てを触って体感できるが、この中でたった1つだけとにかく出来が悪いものがある。


 洗濯機だ。


 掃除機などは大学などへの導入事例があったりするほどで、冷蔵庫も戦艦に配備されていたりする。


 クーラーもそうだ。

 それだけ一般的になりつつあるほど性能も担保されていた。

 この時点でもうフロンガスがあるからな。


 だからそれらの存在を知る者も多少なりとも存在した。

 一方で洗濯機だけはダントツで認知度が低い。

 電気洗濯機はこの頃のものは未熟すぎた。


 手で洗ったほうがマシと言われるぐらい酷かったので、殆ど売れなかったし評価も低かった。

 口コミのような広がりもなかったため知らない者も多い。


 そのため万博を紹介する新聞記事を見ると洗濯機だけ酷評され、それ以外は大変好評であったことが記述されていた。


 一般家庭でもこういう家電に溢れる時代が来るのだろうという締めくくりは

 正直うれしかったのだが……


 残念ながら三種の神器はこの時点では全てがその力を証明できなかったらしい。


 そんなこのパビリオンにはたった1つだけ、半世紀先を進んでいるものも用意した。

 テレビ電話だ。


 テレビ電話は第三帝国が五輪に先駆けて実現化して公開した。

 当然皇国も負けじと同じようなものを作っている。


 未来の生活と題したパビリオン内にて唯一超未来的な存在が電話だった。

 携帯電話は無理でもテレビ電話はもう作れる。


 この空間内ではテレビ電話を用いてパビリオン内の様々な場所とテレビ電話が楽しめるようになっていた。


 当然テレビ電話は長蛇の列。


 並んでいる者達の中には"これが未来の生活様態か!"――などと喜ぶ皇国民の姿がある。

 申し訳ないが60年ほど必要だ。


 100歳頃まで生きていただければ似たような事は出来るだろう。


 このテレビ電話だけは残念ながら実現しないと知っていて、あえてパビリオンを象徴する存在としてアイディアを出しているが、皇国では現在、テレビ会議などは本格的に検討されてはいたりする。


 国内だけで限定すれば白黒とはいえ映像と声をリアルタイムで送れるのは大きい。

 より正確な情報を確認できるようになるからな。


 だからこの場所における展示は無駄じゃない。


 ここで何かを得た者達がこの先の未来を作るのだ。

 今目の前でその瞳を輝かせている少年が何かを変えてくれるかもしれない。


 そういう意味ではこれを用意した意味はあったと思う。


 一通り会場を回った所、皇国民には概ね好評。

 こちらも大人気パビリオンで間違いなかった。


 会場を出た俺はさっそく目玉の場所へ。


 ◇


「……えっ、ちっさ!」


 そこにあったのは、思わずその一言が漏れてしまう女性の銅像である。

 それは自由の女神のレプリカ。


 この世に現在共和国政府が正式に認めた2つ存在する自由の女神の片割れ。


 セーヌ川からわざわざ航空機で運んできたものである。


 俺はもっとこう、天高くそびえ立つ太陽のごとき塔のようなものかと思っていたが、パンフレットを見ると全長12mとの記述。


 NUPにおいて本物を見た事があるだけにその一言が思わず漏れる。

 あっちはこれの8倍ぐらいあるからな。

 雰囲気はあるがやはり小さい。


 それでも多くの人が記念撮影を楽しむなどかなりの人気。

 急遽決まった展示ではあったものの、ポスターに顔が描かれるほどなので目玉ではあるのだろう。


 しかし今必要なのは共和国由来のものではエッフェル塔の方だろう。

 このままテレビ放送や軍事通信関係の通信を広げるなら絶対に必要になる。


 何やら300m級の電波塔の建造を検討中との話もあったが、実際必要なのは自由の女神ではなくあっちの方だ。


 まあでも、自由と民主主義の象徴のレプリカが今この国にあるというのは、政治的には大きな意味があるのかもしれない。


 会場の説明用のパネルには目線の先には共和国があるとされるが、強い視線を送る先には自由のために戦う者達がいる。


 再び彼女が元の場所に戻れるように我々が努力せねばならないし、この女神像がこの場所にて焼け落ちることがないようにせねばならないな。


 ◇


 翌朝。

 俺はついに例のものが完成したと聞いて浜松へと向かう。

 浜松の陸軍学校並びに研究所にあるものが集合したというのだ。


 飛行場が併設されているため、俺は航空機で向かうことに。

 汽車だと時間がかかるためだ。


 ただし乗ったのは最近移動用によく乗っていたキ47ではない。

 百式輸送機の具合が見たいため百式輸送機を呼び寄せた。


 パイロットは技研のテストパイロット。

 立川飛行場から浜松飛行場まで約1時間20分ほどを飛んでもらう。


 百式輸送機。

 山崎がこさえたそれはなんだかんだちゃんと出来ていた。


 まあ大型機製造の経験があるのでそこまで不安はなかった。


 飛行中の振動もない。

 あっては困るのだが、山崎だけに心配があった。


 しかし機内も静かなもので輸送機としてはバッチリ完成している。


 この機体はユーグにて大変高い評価を受けており、王立国家と共和国がライセンス生産を申し出ているのだが、皇国はエンジンのみ自国製造とすることで許可。


 俺としてはこんな変態な見た目の輸送機がスタンダードになってほしくないのだが、DC-3の2倍以上の積載量で、かつ飛行中に後部ハッチを開いて大量の物資を投下できるというのは、各国からしてみれば破格の性能を誇る輸送機らしい。


 本機戦後の共和国のアイディアを模倣したものに過ぎないため、幾分申し訳ない気持ちとなった……


 こうなると今後が気になる。


 共和国が自国ライセンス製をノラトラと名づけるのか、戦後ターボプロップエンジンを搭載したモデルを改めて出すのか。


 恐らく共和国へのライセンス生産は第三帝国によって一旦頓挫するが、無論それを見越して設計図は王立国家にしかまだ渡していない。


 性能が性能だけに第三帝国に渡ってもらっては困るからな。


 だから申し訳ないと思いつつも共和国との交渉はゆったりペースでやっていた。

 時が来れば彼らにはきちんと渡す。


 彼らが最初からある程度対抗できるというならいいのだが、無理であろうな……


 ◇


 時間通り浜松へと到着すると軍学校の生徒達に囲まれる。

 彼らは基本重爆のための訓練を日夜やっているのだが、訓練用機は97式重爆。


 新鋭機に触れる機会はなかった。


 密かに爆撃にも使われている百式輸送機は彼らにとっては新鋭爆撃機。

 興味が沸かないわけがなかった。


 残念だがキ47ほど爆撃機としては高性能ではない……のだが、それでも彼らにとっては全てが新鮮な様子。


 見た目は確かに新鋭ではあるからそうなのだろう。

 連日新聞でも報道される機体でもあるしな。


 俺は彼らを掻き分けるようにして目的地たる倉庫へ向かう。

 そこには4台の二輪が鎮座されていた。


 しかし俺の知っているZDB125がない。

 125cc小型二輪は4台あるのだが、ZDB125の面影がある二輪が1台もない。


 ただそれぞれなんとなくメーカーがわかってしまう。


 1台はもう1つの技研だな。

 宗一郎が新しく設立した企業だ。


 フロントサスペンションがテレスコピックになっているが、何よりも目立つのはフレーム形状がまるで違うこと。


 フレームはもう1つの技研が2610年代に得意としたプレス式。


 だがプレス式バックボーンではない。

 チャンネルフレームである。


 スイングアームを装備させるとか豪語していたが普通にリジットフレームだ。


 なるほど。


 ZDBと同じパイプフレームでは同じ強度に作れないと考え、プレス式チャンネルフレームとすることで突破したのか。


 フロントサスペンションをテレスコピックとすることで軽量化し、フレーム分の重量増加をサスペンション側で制御した様子。


 強度の問題でスイングアームは見送ったようだ。

 割と堅実で宗一郎らしい構造になっている。


 エンジンさえどうにかなっていれば性能はそれなりなのでは?


 それにしてもハンドル付近にある可動式アームはなんだろう。


 これもしかしてM1921を固定するためのアームか?


 ハンドルの本来ならばサイドミラーが位置する場所にこんなものが……


 そういえば宗一郎にだけ片手で短機関銃が撃てるようにと注文をつけていたんだった。

 さすが遠州の天才は面白いことをやる。


 もう1台は……浜松のもう1社がこさえた二輪か。

 こいつは一見するとZDB125の面影を残しているように見えなくない。


 だがフレームはやはり溶接ではない。

 このメーカーが15年後に世に送り出すコレダ号ソックリだ。


 プレス製シングルクレードル方式。


 こちらもリアはリジットだが、性能的には恐らくZDB125と同等ぐらいはあるのだろう。

 重さはもう1つの技研より絶対に軽い。


 もう1台は目白だろうな。

 後の山崎とも言えるメーカーだ。


 Z97を小型化したようなアメリカンバイクのようになっている。

 だがそれはマッドガードの影響で案外Z125に近いかもしれない。


 こいつだけ唯一の溶接式パイプフレームなのは目白ゆえか。


 さすがだ……と言いたいが、オイルが漏れてるぞ。

 後の山崎に通じるオイル漏れは目白でもそうだったとは聞いたが……


 このオイル漏れは60年後にならないと変わらないんだよなあ。


 最後の一台は山崎か……


 フレームは一部が溶接式のハイブリッドフレームとなっているようだ。

 実に山崎らしいフレームだ。


 何気にこいつだけリアサスペンションが装備されている。


 ブランジャーサスペンションだ。


 リジットフレームからスイングアーム方式に移り変わる過渡期に登場したもの。


 ようはリジットフレームの間にバネを仕込んでリアタイヤが上下に動くようにした、簡易リアサスペンションみたいなものだ。


 リジットフレームを流用出来、後部に隙間を設けてバネを仕込む。

 その間にシャフトを通してホイールを仕込むわけだ。


 記憶が間違ってなければブランジャー式は山崎が最も早く二輪に導入した。


 しかしすぐさまスイングアーム方式が主流となり即消滅。

 原因はブランジャー式が戦前の2590年代前半に生まれた古い技術だったからだ。


 スイングアームは一昨年頃からレース界で登場しはじめ、本年にアペニンがマン島TTレースに登場させるマシンが搭載して周囲を圧倒した。


 そいつは250cc四気筒で、前がテレスコピックで後ろがツインリンクサスペンション。

 まさにその後の皇国の四気筒バイクそのものといったようなデザイン。


 現段階の技術力だとこうなってしまうわけか。


 ……どうでもいいが山崎のエンジンもオイル漏れしてるぞ。


 目白だけじゃなかったか……やはり山崎か……


 まあ重要なのは性能。

 この4台どれが一番高性能なのか。


 そこが一番重要なのだ。


 ◇


「宗一郎さん。スイングアームはどうされたんです。見たところ普通のリジットフレームに見えるのですが」

「はは……そう言わんでください。これでもがんばった方です。クラッチは結局長島に作っていただきましたがね。ただエンジンは大幅に弄りましたよ。125ccは125ccですが大幅にパワーアップしてます」

「なんですって?」


 苦笑いしながらもコツコツとエンジンカバーを足で叩くもう1つの技研の二輪は、確かに他と比較して明らかにエンジン構造が違っている。


 まるでカブのごとくクランクケースが車体に対して水平に突き出ていた。


 俺はエンジンを傾けていたのかと思っていたが、よく見てみると違った。

 エンジンが違う。


 これはZDB125のライセンス生産なのか?


 もはやこれは国産第一号なのではないのか。


「随分形が変わってるようですが、どうしてクランクケースがこんな事に?」

「高回転型にするために耐久性を考慮するとこうなります。こうすると空間的余裕はなくなりますが、ギアやチェーンはピストンの振動を吸収して無理なく動きますんでね」

「どれだけ回すんですか」

「4800回転がZDB125の限界でしたけどね、こいつは最大8000まで回せます。私ががんばったのはエンジンでフレームとかは長島が考案したようなものです」


 ……確かに、もう1つの技研は長島の技術者が多く合流していて、彼はエンジンの方に力を入れたとは言うが……


 さすがこの時代にターボを車に仕込んでレースをやっていた男。


 ZDB125を高回転型に仕上げるとは。


「馬力換算だとざっと8.6とかそんなもんですかね」

「7200回転で9.7ですね。よく回りますよ」

「尻が痛くなりそうだ」

「山崎のサスペンションを導入できたら、なんとかなるやもしれませんね」


 宗一郎がどうして高回転型にしたのかはわからない。


 ただ性能は絶対に欲しいとは言っていたことが影響したのだろうか。


 まあ高回転型エンジンはもう1つの技研の十八番のようなもの。

 期待しておこう。


 他のメーカーはパイプフレームが再現できなかったので、とりあえずエンジン含めて自社技術でどうにかしただけのようだ。


 フレーム構造的には一番軽いのが目白、2番目が山崎。

 3番目が僅差で浜松のもう1社。


 一番重いのがもう1つの技研だった。


 宗一郎含めて他のメーカーの話を聞く限り、がんばったのはフレームであって3社はエンジン設計そのまま再現しただけのようだ。


 自動車エンジンを現時点で組み立てている浜松のもう1社は完成度が高いが、目白と山崎は小型単気筒エンジンにてこずった様子。


 ある程度説明を聞いた後は実際に乗って性能を確かめる事に。


 ◇


「あががががが 尻がっ!」


 基地内の滑走路でこそ100kmを軽く出したもう1つの技研のマシン、俺が勝手に脳内でドリームと名づけているこいつは、リアサスペンションがないためダートでは空転する上、リジットフレーム故に尻にガツンガツンと衝撃が来る。


 シートにサスペンションが仕込まれているがどうにもならない。

 だがスピードは圧倒的。

 加速が違う。


 クラッチその他は長島製らしいが、この辺りはお見事としかいいようがない。

 ガチャガチャ機械音はやかましいがきちんと繋がる。


 車体重量は90kg以上あるが、パワーはあるので舗装路ならウィリーできる。


 きっと宗一郎はこれでレースに出るつもりがあるのかもしれないが、これでは100点は与えられない。


 エンジンは120点。


 オーバーヒートする様子すらないのは素晴らしいが、車体が駄目だ。


 フレームは頑丈だがリアサスペンションがないと駄目だ。

 こいつは改良の余地あり。


 俺は一通り仮称ドリーム号を乗ると、すぐさま別の二輪へ。


 他のメーカーはというと、もう1つの浜松は割とZDB125に近い感触だが、秀でた特徴もない。

 ただ量産するだけならコレだろうな。


 だがもう1つの技研の仮称ドリーム号の影響でピンと来るものがない。


 仮称ドリーム号がエンジンそのままならこいつは100点だったな。

 ZDB125を再現するという意味では良く出来ている。


 これはこのメーカーに下請け生産させるという手はあるな。


 次に目白だが、目白はエンジンが不調。


 駄目だなこれは。


 アイドリングすらきちんとしていない。

 第三帝国式のエンジンは繊細な方。


 精度をカチッとさせないとこうなる。

 ハッキリ性能低下を感じる。


 ただフレームに関しては見事。

 点数をつけるなら45点。


 最後に乗った山崎も同じくエンジン不調。

 他の3台と異なり、クラッチの繋がりは素晴らしいがエンジンが駄目だ。


 乗り心地は抜群にいいのだが……


 よし、競合はやめだ。

 4メーカーの良さを合わせた二輪を作ってもらおう。


 その上で大量生産だ。

 午後には長島大臣もこられるしその際に話そう。


 ◇


「えーーー! 最終生産15万台!?」

「年3万台計算です。それぐらい必要なんです」


 目白の技術者がその数に声を張り上げる。

 だが最初からその予定だ。


 年3万台の生産はZDB125を持ち帰った際からすでに考えていた。


「ええ、陸軍に必要な数です。本日提出された二輪では話になりませんが、データを見て確信を持ちました。4メーカーが結託して1つのマシンを作り上げた上で量産すれば、皇国陸軍の機動歩兵部隊が作れるということが」

「ほうほう」


 後から訪れた長島大臣は結果だけ聞いているが、興味深く会議室内での俺の話を見守っている。

 俺は黒板に理想の二輪の形を描きつつ話をまとめていった。


「エンジンは宗一郎さんのメーカー、クラッチ製造は長島と山崎。リアサスペンションはブランジャー式サスペンションを山崎が製造。フレームは目白と山崎が溶接を導入しているようですが、生産性向上のためにプレス式にします。形状は宗一郎さんのメーカー方式を採用。耐久性のためです。燃料タンクは13Lで装備重量は94kg。こんなもんでどうでしょうね。おっと忘れていた。宗一郎さんがこさえたアーム、あれは標準装備にさせといてくださいね。それとフレーム構造は多少弄ってもいいですが、各社で相談の下、統一してください。宗一郎さん。あのエンジンは量産できるんですね?」

「そんなに難しいものではないんで年3万台は不可能じゃないですよ。人手はいるんで工員を増員して対応します。エンジンは長島の協力もあって作っているので、共同制作ですがね」

「ではそれで。新型二輪の量産は本年中に開始したいです。この計画は私が主導してやっていますが、採用名は百式機動二輪車とします。12月末までに量産に入ってください。いいですか。規格は4社で完全統一し、4社で完全に同じバイクを量産してください」


 これが一番重要なんだ。

 規格統一されてないと修理が大変で戦場ではいろいろと困る。


 だから整備等は4メーカーが製造したパーツそれぞれが使いまわせるようにする。


「既に予算は獲得しているので後は生産をがんばっていただければ。それとこの二輪の生産で手にした技術を応用し、市販車などを自由に販売していただいて構いません。では皆さん、宜しくお願いします」


 予算については西条に頼んで俺が機動二輪車計画として組んだ。

 大した額ではなかったのですんなり通ったのはありがたい。


 彼らのモチベーションを上げるために前金を支払い、機動二輪車を完成させよう。


 性能は上々のはず。

 九五式小型自動車と並んでがんばってもらおう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
ブランジャーではなくプランジャーですよね。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ