第89話:航空技術者は提案する
皇暦2600年3月30日。
陸軍参謀本部に呼び出しを受ける。
正確には西条に呼び出しを受けた。
呼び出された理由はわかっている。
第三帝国の戦力が想像を遥かに超えるものであったこと。
西方電撃戦を前に事実上の戦術的敗北を喫した皇国海軍は出直しを迫られ、要の陸軍の戦略は見直しが必要不可欠となった。
空も含めた地上戦力においても相手の戦闘力が大幅に上昇しているならば、我々は負ける。
現在負けていないのは5月を前に第三帝国が動いていないに過ぎなかった。
◇
「赤城は無事プリマスに到着した。現状で皇国海軍に撃沈された艦は無い。しかし我々は完全に出鼻をくじかれた事になる」
「私の責任も大きいです。第三帝国の調査を行っておきながら……」
「上層部はそう考えてはおらん。今戦場で活躍するのは全てお前が手配したものだ。特に襲撃機の活躍が凄まじい。北部戦線が全く動かぬのはあれのおかげだ。奴らはポルッカにいた戦力すらサモエドに回したが一向に押し込める気配がない。どちらかといえば第三帝国が予想よりも遥かに高性能な航空機を保有していた理由を気にしている」
西条の落ち着いた口調の裏に特に咎めるほどの怒りは感じない。
やるべきことはやっていた。
そういう評価だというのだろう。
「北部戦線に関してはIL-2が出てくると状況は変わります。今我々が少ない戦力で持ちこたえているのはIL-2とそう変わらぬ攻撃機を真っ先に戦場に投入できたからです」
「そうだな。……それで、第三帝国はどう考える」
原因はすでにわかっている。
奴らがこちらから学んだ。
それだけだ。
「首相。600kmの航空機を作った後のことを覚えていますか」
「キ35か」
「そうです。あの後、第三帝国は多くの技師を皇国に呼び寄せるようになった。彼らとて我々に劣らぬ技術力を持ち、技術者目線で技研に出入りしている。それは彼らの刺激となっていたことでしょう。そして技研に出入りできるということはどんなに隠そうとも、キ47は隠し切れなかった。知る方法はいくらでもあったはずです。隠しても彼らを立川に自由に出入りさせる限りはいくらでも。それとは別に割と自由に閲覧できた百式司令部偵察機という存在もありました。だから彼らは王立国家の木製航空機と並んで、あることをすれば驚異的に高性能な急降下爆撃機を作れるという結論に達したのです――」
俺が西条に伝えたい事。
それは皇国と王立国家双方が与えた第三帝国への影響。
皇国はキ47と百式司令部偵察機で、王立国家はモスキートで。
それぞれ双発機のあるべき姿を示してしまった。
この日を前に海軍の知り合いから手に入れた敵機の写真は、間違いなくMe210……いやMe410ともいうべきMe210の姿がそこにあった。
Me410。
本来の未来であれば時速630km近くの速度を出す上、20mm機関砲2門と7.7mm機関砲2門を機首に装備。
その上で1t~1.2tの積載力を誇る高性能万能攻撃機。
皇暦2600年の時点で設計は完成していた機体だ。
Me210の将来性を見込んだ軍と博士は、Me410の改良にすぐさま着手した。
その結果生まれるMe410は非常に高性能。
何しろこいつは87オクタンで630km近く出る高速重攻撃機もとい重戦闘機。
これと全く同じ機体で100オクタン燃料を使えるだけで640kmは出る。
だが恐らく100オクタン燃料は使っていない。
なんとなくだが排気管あたりが汚れている様子からそう思える。
その代わりに構造は明らかに洗練されていた。
後部機銃は取り外され、7.7mm機関砲も無い。
20mm×2でシンプルにまとめられ、機体構造全体も見直されている。
Me210シリーズには実は試作されたMe310という、高高度戦闘だけを考えられた翼を与えられた660kmに到達する化け物があるのだが、それに近しい外観及び性能となっていると推測できる。
恐らく最高速度は650km台。
構造から推測するに652km/hは出る。
Me310のような与圧室はないが、胴体前方は細く引き締まった。
機関砲を取り外した分、機首を細身にできたのだ。
百式司令部偵察機や百式攻などを参考にされたに違いない。
巡航速度は600km。
爆弾倉をあえて装備して空力的な問題をクリアしようとしている。
その分、運動性は犠牲になっているはずだが、彼らの戦い方はP-38がすべき戦い方と同じ。
しかも爆撃を主軸とするなら殆ど動く必要性がない。
翼形状から本来の未来のMe410より、より高高度を飛べるよう全幅を伸ばして調整されている。
限界高度は1万1500~1700mといったところだろう。
Me410を作るための基盤はある意味で第三帝国に整っていた。
DB603は皇暦2599年には完成していて量産しようと思えばやれた。
Me210を最初からDB603に合わせた設計とし、きちんと計画を立てて量産を行えば2600年2月段階までに200機ほどは作れる。
つまり俺が最も警戒すべきはBf109でもFw190でもなかったわけだ。
新たな姿を纏うMe210こそ危険視すべきだった。
あの機体にはBf109よりさらに洗練され、手動制御も可能となった前縁スラットがある。
運動性はフラップ類で全てどうにかしようとするのは未来の戦闘機と同じ発想。
運動性を犠牲にとはいうが、時速300km~400kmの運動性が本当に低いわけじゃない。
翼形状から失速特性こそひどいものだが、2~3回の急旋回でブレイクしてやり過ごす程度なら問題にならない。
彼らがいかにも怪しい通訳を連れたエンジニアに快くBf109を見せたのは、見せたくないMe210の姿を隠すための釣り餌だったわけだ。
第三帝国が現在持ちうる技術で十分に作れる超高性能機は絶対に見せたくない。
俺がキ47を隠そうとしたのと同じ。
本来の未来においてあいつの航続距離は2300km。
恐らく航続距離は2300km~2400kmだ。
翼を燃料タンクとすればそれぐらいは余裕でいける。
デュッセルドルフからプレストまでは直線距離約850km。
こちらの位置が完全にわかっているならば間違いなく往復できる程度。
シュペーは囮。
王立国家本土へ飛来すれば対空防御やスピットファイアなどの決死の反撃を食らう可能性のあるところ、あえてドーバー海峡上に誘い出してレーダー網も潜り抜ける事に成功している。
西側お隣の連合王国のレーダー網の手配は遅れている。
何度か偵察して探ったに違いない。
「我々が完全にやられなかったのは性能的に若干劣るとはいえ、キ47があったことに他ならんな」
「いえ、全面的に劣るわけではありません。上昇力ならこちらの方が上です。彼らより上も取れます。つまり、我々は予め上空で彼らを待ち伏せできるならば状況はイーブンどころかこちらに持ち込めます。戦略構築を行うならばこちらの驚異的な上昇力と、航続距離を活かすことかと」
「現在のキ47でもどうにかできる……か。キ47以外どうにもならないと言えるが。今回の件、王立国家は相当なショックを受けたらしい」
「スピットファイアより上を飛びますからね……本島決戦の日を前に彼らはロンドンを十分に空襲できることを証明した。ですが、我々にはまだ勝機はあります。キ47の2型は2月以内におおよそ40機程度生産可能。大した改修ではありませんでしたので直接対決できうる機体はすでにあります」
「それは朗報だ」
ギアボックスを大型化させたハ43-Ⅱはすでに量産を手配済み。
基本はそれまでのハ43-Ⅱから大規模な変更はない上、既存のハ43ともそれなりに互換性があるため、5月10日までには十分な数が揃う。
キ47の4翅プロペラもすでに量産を手配済み。
キ47はすでに完成した機体を順次2型に改造中。
エンジンとプロペラをつければ2型は完成する。
SCR-274-Nの無線機器は皇国に先行量産型が60機ほど届いている。
本当は1000単位で欲しいのだが今は60で十分。
5月10日までに百式攻撃機2型はMe210を迎撃できるだけの数は揃う。
「首相。2型を中心に作戦を立案してください。1型は上空待機。1000mの差があれば降下速度でどうにかなります。634kmの壁は水平飛行時ですので降下すれば650kmは平気で超えますから」
「わかった。作戦展開に関しては我々に任せろ。それと信濃、長島大臣が群馬に来て欲しいと朝方この場所に訪れた。どうしても見せたいものがあるらしい」
なんだろうか一体。
深山の完成具合か?
現在時刻は10時。
今からなら群馬までなら昼過ぎには行ける。
とりあえず何が出来たのか見に行くとしよう。
「承知しました。では私はすぐさま群馬に行って参ります」
「深山の完成度も見ておいてくれ。2機ほど完成したらまずは第三帝国への主要工場への爆撃を考える。Me210以外にも隠し玉があると困るからな」
「はっ! ではこれで!」
結局、陸軍でもあれを深山と呼ぶのか。
俺には別物に見えるから別の名前で呼んでもよかったのだが。
クスリと笑いそうになったものの、俺は表情を留めたまま参謀本部を後にし、そのまま群馬へと向かった。
◇
午後。
大田製作所に出向いた俺の目の前に現れたのは、長島式新鋭18気筒型エンジンと完成したばかりの長島がライセンス製造したマーリンの1号機である。
「見てくれ信濃君。ようやくだ。ようやく四菱に追いついたぞ」
自信満々に誇らしげに胸を張る彼の近くには、俺が見た事があるエンジンにそっくりな18気筒の空冷星型エンジンが鎮座されている。
それは本来の未来のハ45に外観が似ているが、明らかにシリンダー径は大きく大型。
最近までずっと実証試験が行われていたとされるハ44であった。
マーリンの1号機よりよほど価値ある存在だ。
「……大臣。馬力はいくつほど出ますか」
「現状では96オクタンで1920だ。排気タービンの加圧なしで……ね。信頼性確保のために随分と時間がかかってしまったよ。燃料噴射量を増やした分燃費は思うように良くならなかったが、現状で1920は間違いなく出る。それもこれも技研が開発したポリエーテルアミンのおかげだ。これまで思うように開発が上手くいかなかったスラッジの問題が片付いた。こいつの完成に大きく寄与してくれたよ……本当に長かった……」
目を瞑ると懐かしくも悲しい光景が目の前に広がる。
皇暦2604年。
俺は技研でもそれなりに開発に関われる立場となり、2つの兵器の開発に関わった。
1つが誘導式爆弾及びミサイル。
もう1つがキ87。
疾風を越え、B-29に100%勝てる重戦闘機を作りたかった。
それなりに戦果を出せていた雷電にも負けたくなかった。
排気タービンのための素材を集めて奮闘したが、結局2300馬力以上あったパワーに耐えられず、B-29と同じく排気タービンを使い捨てる戦い方しか出来ない程度の機体となった。
それでもこいつは長島の戦闘機の集大成と言える機体だったんだ。
なんといってもキ87の特徴は、疾風まで踏襲された基本構造をより洗練化させた点にある。
主桁なんかにその特徴がよく現れている。
前進角が付けられていた主桁の見直し。
より頑強とするためにそうした一方で、逆ガル気味に翼の中央から上反角をつける。
中央の翼にそれまで長島が採用していた上反角をつけなかったのは、それだけ翼の構造を強化したかったからだ。
四式と異なり、パワーがあるためより太い主桁を採用したからこんな構造と出来た。
そこに百式襲撃機のような収納方法の主脚を搭載。
こうしたかった理由はホ5と同時に装備されたホ105こと、30mm機関砲を搭載した上でそれなりの装弾数を確保したかったため。
だが一連の無茶な構造がたたり、試験飛行の際に脚部を収納できず初飛行の際は固定脚というような状態で飛行。
結局本来の力を発揮することはなかった。
その主脚の開発に深く関与したのが他でもない俺。
ホ105の装備を絶対とする軍の要求にそんな構造を採用したがために、キ87は失敗作のようになってしまったのを今でも悔やんでいる。
でも、ああする事で翼内の容積は大幅に確保できるし、構造部材も美しく均等配置できるから絶対にそこは譲りたくなかった。
そこは当時の長島の技術者も認めていた話だった。
主脚を収納する部分の抵抗だって最小限にするよう設計できていた。
だから脚部さえ収納できれば600km以上出せたはずだった。
最後までその問題が片付かずにヤクチアと戦う事になってしまったけれども。
だが俺はあのときの失敗をバネに、あの時実現化できなかった構造を実現した。
百式襲撃機だ。
主脚は類似した構造としながらも、未来の知識を活用して問題を攻略。
試験飛行で1度も不具合を起こさなかったし、キ87で試した構造を踏襲したことで空力的にもIL-2より優れている。
……これで作れる。
何としてでも作りたかった本当の単発重戦闘機が。
「……大臣。本当に素晴らしい仕事ですよ。ところでこれは深山に搭載する予定はないのですか?」
「あると言えばあるのだが、量産化のための製造ライン構築を行うと深山の完成が来年以降にずれ込んでしまう。仮に深山を20機ばかり製造するのだとしても来年以降となるのを陸軍は許さんだろう。当面の間は四菱のエンジンで行く他ないのだよ……ハ43-Ⅱはハ43で出来上がっている製造ラインを改修すればよいが、我々は1からこさえなければならない……」
「そうですか……」
「信濃君。とりあえず3基のハ44は完成した。ついてはこれを活用した実験機か何かを作りたい。技研として何か作れないか」
なるほど。
大臣はエンジンの性能をまずは証明してから、重戦闘機を作るという考えか。
だがそれでは間に合わないんだ。
今後どういう機体が出てくるかわからない第三帝国と戦うには、Fw190を完全に打ち負かす化け物が必要。
それに皇国には今後ジェット機を作る予定すらある。
ジェット機は製造コストが馬鹿みたいに高額化する可能性が濃厚ゆえ、ハイローミックス的なことが可能な機体は欲しい。
それにジェット機は2604年に間に合うかどうかといった所。
2602年には量産化可能な重戦闘機が今まさに必要なんだ。
キ47を航続距離と上昇力以外で越えうる真の重戦闘機が……
「大臣。大変申し訳ないですが実験機の開発をする余裕はありません」
「そうなのか……」
「重戦闘機です。ユーグ地域でレシプロにて最強の単発重戦闘機を作るのです!」
「な、いきなり本命を作るのか!?」
予想だにしなかった俺の発言に一度落ち込んだ大臣は驚きを隠せなかった。
もはやおちおちと実験機など作っている時間的余裕がない。
それは皇国が勝つためであるのと同時に、レシプロ戦闘機という存在の残り寿命が短いという意味での余裕の無さでもある。
2605年以降はF8Fが死んでいったように戦闘専門はレース機になるぐらいしか道がない。
それはそれで平和的で構わないが、キ43で終わらすわけにはいかない。
二式単発戦闘機をキ87以上のものとする。
そして残り3年をローの中心的存在となってキ43と共に戦い抜く。
Yakシリーズにすら引けを取らない化け物を作る。
最初からそうする。
そうでもしなければMe410相当を作ったMe210を保有する第三帝国との戦いで優位に立てない。
あの者らはジェット機を作る。
今の世界においれ彼らは味方ではないのだ。
脅威以外のなにものでもない。
早々に軸流式ジェットエンジンにシフトした王立国家の影響が何を及ぼすかわからない。
Me262が早期に登場する可能性が高まった以上、Me262とも戦えるかもしれない機体を作る。
「状況は逼迫しています。大臣もこの間の戦闘についてはご存知のはず」
「君のキ47ががんばったとは聞いているよ。やはりアレを作れたのは皇国に風を吹き込むこととなったな」
「大臣にそうおっしゃってもらって光栄です。だからこそ作りましょう。真の重戦闘機を長島で!」
「よし! 少々怖いが君なら実現できると踏んで提案に乗ろう!」
俺との会話を聞きながらソワソワしている技術者を尻目に、俺は大臣と握手してついに重戦闘機開発を行う事に決めた。
その後、エンジンの稼動実験を見たが、国産マーリン1号機が完成した要因も長島大臣に教えてもらった。
マーリンは山崎も独自に入手してライセンス生産を試みていたが、まだ開発に足踏みしていた。
山崎が苦戦していた原因は冷却水。
ジエチルグリコールを入手できず未だに真水に拘っていたため。
一方の長島はプロピレングリコールを使ったのだ。
ジエチルグリコールが皇国で作れなかった理由は、製造方法がやや特殊で皇国が築き上げた基礎技術を応用できなかったため。
"NUPと第三帝国しかこの時代は作れない。"
そもそもがこれをWW1の頃に工業量産化させたのが第三帝国である。
同じ不凍液であるグリセリンの代替として開発され、様々な工業分野にて盛んに用いられた。
グリセリンは粘度が強すぎて不凍液としての活用は難しく、もっと粘性が低く製造コストも落とせる代替品を開発し、第三帝国が成功した形だ。
戦後その組成表が出回ると、各国で量産を目指して開発競争が行われる。
そこで頭角を現したのはNUP。
第三帝国と並んで完全独自の製造法を発見し、量産化。
これこそが両国がジエチルグリコールを大量保有する理由であり、しかもこのジエチルグリコールあってマーリンは動くように出来ていたため、NUPの力なくしてマーリンの稼動は油冷にでもしない限り不可能なはずだった。
クロルヒドリン法などの当時の塩素ガスなどを用いる製造方法は、大規模な製造施設を必要とし、高度で専門的な知識も必要。
皇国は当時塩素ガスなどの扱いが得意ではなく、その面では完全に劣っている。
しかし皇国が得意な加水分解の分野において、ジエチルグリコールの代替となる存在があった。
それこそがプロピレングリコールだ。
未来の皇国においてもクロルヒドリン法はさほど主流とはなっていない。
皇国が得意なのはハルコン法。
すなわち別の過酸化物を混ぜ込んで触媒内で酸化させる方法だ。
この手法はすでに確立されており、化学工業分野で広く活用されている。
2570年代にはこの技術が入ってきており、皇国で実用化にこぎつけている。
プロピレングリコールの材料となる酸化プロピレンは、皇暦2580年代には皇国内においても製造が行われるようになっていた。
このハルコン法によってである。
その酸化プロピレンを直接加水分解して得られるプロピレングリコールは、ジエチルグリコールより毒性が弱いにも関わらず、2600年の現在普通に皇国内で流通する物質。
しかも医療用の注射液に使われている。
一体誰だろう。
こいつを不凍液として見出した天才は。
真冬の北海道で凍らない注射液を見て使えるとでも考えた人間がいたのだろうか。
とにかく、よくも見つけてくれたと言わざるを得ない。
何しろこいつを不凍液として皇国が使い始めるのは20年後だからな。
随分な前倒しを……必死になった結果見つけた人間がいたのだろう。
プロピレングリコールが不凍液となる事は俺も知ってはいたが、液冷エンジンなど航空機分野では割とどうでもよかったので放置していた面があった。
排気タービンが手に入った現在において拘る必要性がさほど無かったからである。
扱いづらいエンジンに変わりは無いからな。
そんなの他のエンジニアに任せておけばよく、俺にとって必要なのは空冷星型とジェットエンジン双方で、マーリンなど最悪本国から取り寄せればいいと思ってたし、ジエチルグリコールもNUPから調達可能な材料なのだから、手に入れてくればいいだろうとしか考えなかった。
しかし長島の技術者の誰かは、それが不凍液の代替になることを知り、全てにおいて純製の国産1号機を作る事に成功していた。
結局、高熱化問題やショートする電線問題はジエチルグリコールが手に入らなかった事に原因があるので、代替物が手に入ればプレーンベアリングであるマーリンは作れるのだ。
それは恐らく、長島だけでなくプロピレングリコールを手に入れた山崎においても可能だろう。
我々が苦戦した原因は、倒立V型というそもそもが欠陥品であった事による潤滑問題、ジエチルグリコールが手に入らなかった事による純水の冷却水による加圧冷却問題、多用されるボールベアリングという存在の工作精度問題。
これらをクリアしていく事は、マーリンを手に入れて通常V型12気筒へ。
マーリンですら失敗した冷却方式をやめて素直にジエチルグリコールの代替を使う。
ボールベアリングなどという存在を投げ捨てる。
この3つさえ達成すればよかった。
達成したからこそ、目の前に普通に動くマーリンがあるのだ。
まあマーリンの構造はシンプルだから不可能ではないからな。
NUPはそれをさらにシンプルにしてしまったりしたのだが、それでも王立国家と同じだけの馬力を出せた。
そういうのが可能なのも元の設計が優れているからこそだ。
おかげで双方の互換性は低くなったが、そこはあまり知られていない。
純粋なマーリンをNUPのマーリン用のパーツで修理できないからな。
あの国でそういう事はよくある。
ライセンス生産していたのに互換性が無いというのは……
……待てよ。
これが作れたと言う事は、戦車用のエンジンが手に入ったのでは?
いや、しかし問題は変速機やクラッチの方だったか。
エンジンが手に入ったとてどうにも出来ない。
そのあたりは王立国家でこのエンジンを搭載した戦車も、とにかくトランスミッションとクラッチがすぐ壊れる事で有名で、技術がさらに成熟した20年後ぐらいになってようやくと言ったところだったからな。
ただ、長島がこれを作れた事は将来的において意味があるだろう。
自動車産業などに手を出すと言うならば間違いない。
俺は三式戦闘機にまるで興味はないのだが、これでまた一歩近づいた事になる。
P-51相当の三式戦闘機が作れるならそれはそれで良し……だ。