プロローグ
皇暦2605年9月27日。
我が国の旗は赤く染まった。
列島は赤く染まった。
共産主義者に蹂躙された我が国民は洗脳され、以降民主主義などどこ吹く風とばかりに東側として生きることを強要された。
2608年には一度戦った敵と再び戦火を交えることとなり、第三国によって砲弾同然で参戦を余儀なくされる。
多額の援助を得て戦には勝ったものの、そこに独立権などなく、東の地に佇む皇国は2605年の時点で消滅したのだ。
あれから半世紀以上。
かつて戦った者たちから同情され、かつてはいがみ合った者たちと傷を舐めあい、貧困に苦しみながら余生を過ごしている。
海1つ隔てた先にはヤクチア連邦に全てを飲み込まれたかつての東亜の大国の姿がある。
我らには工業力があるからこそ、ヤパニア・ヤクチア社会主義共和国として表向きの独立が許されているが、そこに独立権などない。
かつて陸軍航空技術士として名を馳せた私は、敗戦後には奴らに強制されて戦闘機の開発を命じられ、新技術に追随できないと思われるや今度はユーグ大陸に佇む共和制国家との技術対決のため、高速鉄道の開発を命じられて晩年をすごしてきた。
羽を捥がれただけでなく、地を走るだけの存在に以降30年以上も費やしてもなお、再び翼を創造する夢をかけて今日まで過ごしてきたが、どうやら年貢の納め時だ。
齢92。
長生きなどするもんじゃない。
なにも変わらん。
私は……俺はもう生き飽きた。
民主化を掲げて活動してもなにも変わらん。
魂を抜かれた市民の心に火など宿ることなく、長年の活動の果に祖国を追われ、ユーグの大陸にて東西の統一を果たした地域の一角にまで逃げ延び、いったい何をすればいいのか。
もし世界が一巡するというなら、人生をやり直したい。
皇暦2594年のあの日に。
全てが狂いだしたあの年に。
窓の外に降りしきる雪を見つめながら、暖房器具1つ付けずに書いたのは、過去への未練と屈辱に塗れた半生への怒りと虚無だった。
それを遺書とばかりに懐にしまい込んで気づけば目を閉じる。
あの共産主義者共……、地獄で見つけ次第、我魂魄100万回生き返ろうとも恨み晴らすからな……。
…
……
…………
……………
「――ナノ――Mr.シナノ。お気づきになられましたか?」
目を覚ますと妙な場所にいた。
周囲をガラスか何かに囲まれた、酸素カプセルや癌の温熱治療器用カプセルに類似する何かの中に入れられている。
何者かがこちらに英語で話しかけていた。
「……ここは?」
「無理やり蘇生してしまい、申し訳ない」
白衣の格好から、どう見てもそれは医者か科学者。
いったい何をしようというのか。
「人体実験でもやりたいというのかね。この老年に」
「ええ。貴方には旅立っていただきたいのです」
「どこへだ。奴らと戦わせてくれるというならたとえ地獄だろうがなんだろうが行く所存だが」
「おっしゃるとおり地獄ですよ。貴方がた皇国の国民にとっては、現実世界ほど地獄であることはないでしょう。我々は4年前、ある技術を確立し、以降実験を重ねています」
「どういう実験かね?」
「脳死と引き換えに、記憶と感情……その意識の全てを過去に…………正確には多元世界に送り込むという実験です」
多元世界だと。
彼らはそれが存在していると主張するのか。
なくはない。
量子力学が発達した現在、多元宇宙説は否定しづらくなっている。
宇宙が無限大にあるように、宇宙そのものも無限大に存在するのではないか。
そんな話はかつてはオカルトと主張されたが、今や宇宙を構成する謎の85%のエネルギーの流動性が観測され、それが宇宙すら飛び越えて流動していることが判明した以上、他に宇宙があると言われても不思議ではない。
「要は君は………似たような歴史を辿った多元宇宙の……この世界でいう過去の時間軸の場所に私の記憶を送り込もうというのか」
「ええ。実は現在、地球の周囲には宇宙間をも駆け巡るダークエネルギーによる大嵐が起きています。Mr.シナノ。貴方には今から箱舟に乗ってもらい、この嵐の中を突破していただきたい」
「その先に何がある」
「皇暦2594年の皇国です。恐らくは……ですが」
「それは君たちの国民がやるべきことではないのか。あの虐殺を止めるべきでは?」
「虐殺を止めるとヤクチアによってユーグ全土が侵略されます」
「なんだと?!」
つまりは……つまりは歴史の情報を取り出すことも可能だということか。
この国、随分とオカルトな技術に最近没頭しているかと思えば……
「Mr.シナノ、時間がありません。やり直しの心構えはありますか?」
「あるに決まっている。ただ最後に1つ。どうして私が選ばれた」
「我々は、貴方の60年間に及ぶ耐え忍ぶ戦いを見てきたからこそ、手をお貸ししたい。本来ならもっと早くに声をかけるべきでしたが、同意を得られるものなのかわからず迷っていたのです。我々が何度要人を送り出しても成功しなかった歴史の改変を成し遂げていただけませんか」
「それは別世界での君自身が出生する未来を殺すことになってもか」
「虐殺を止めろとは言いません。今世界はヤクチアによる侵攻によって未曾有の危機に立たされています。彼らへの攻略の糸口を探りたい。彼らを揺さぶる何かを得たい。我々は秒速500kmで太陽系全体を覆いつくし、そこを循環するエネルギーから別世界の情報を断片的に取り寄せることができるようになり、そして観測できるようになりました。でも、我々では過去を上手く変えられないことがわかった。だから、皇国から全てを変えられる立場にあるかもしれない貴方に最大限まで賭けてみたいのです」
目頭が熱くなり、人差し指と親指で鼻をつまむがごとく涙を拭う姿に彼らの悲しみが表れている。
経済状況が改善しないユーグ周辺は、ガルフ三国などが相次いでヤクチアの手に落ちた。
奴らは移民などを活用して事実上の侵略といえる併呑という形で魔の手を伸ばし、第二の冷戦期へと突入した現在、ユーグの忌わしい王立国家の首脳陣は今更になってかつての行動を反省し、私に謝罪を述べたが……もう遅い。
謝罪を述べられた時、ざまぁ見ろというよりかは言わんこっちゃないと思った。
できれば彼らが完全に飲み込まれる姿も見てみたくなかったわけではなかったが……
それすらもどうでも良くなったのだ。
かつての同盟国はその前に私の意志を過去に送りたいようだが……よろしい。
やってやろうではないか。
皇暦2594年に戻り、私はやり直す。
皇国を独立させ、2605年を迎えてやる。
赤く染まった国旗を再び白く漂白してやる。
「頼む……眠くなる前に送ってくれ」
「Mr.シナノ。一度死去したことで貴方に対する同意書類への記述は省きます」
なるほどな。
なんとなくではあるが、一度死ななければ他国の者を送り出せなかったのやもしれぬな。
きっと書類上の手続きでは死去したばかりの人物の記憶情報を転送しただとか……そんな風に片付けるのであろう。
こちらとしてはやり直せるならばどうでもいい……
「構わん」
「……では、どうかご武運を」
その言葉を最後に意識が飛び、体が超高速で宙に浮かぶ感覚がし、暗闇の中、どこかへ……どこかへと向かっていく感覚がしばらく続いた……。