Episode05/存在理由(レーゾンデートル)
(Spiritual world 9.)
結愛は一瞬からだを震わせたかと思うと、しばらく動きを停止させた。
「ゆ、結愛ちゃん?」
「ぜんぶ……思い出した……」
結愛は立ち上がると、大草原の中央にある扉へ向かって歩き始める。
「行く気かの?」
「ええ……ここは瑠奈側の夢セカイでしょ? わたしは、結弦のセカイに行ってやらなきゃいけないことがある」
老賢者に問われ、結愛はそう返した。
「それは、自我を殺しにいくのか? それとも……」
「そんなの、決まっているじゃないーー」
結愛はドアノブを掴むと、そのまま力強く開いた。
「ーー結弦を助けるため!」
結愛がドアをくぐると、瑠奈の領域から結愛は消え去った。
(Reality world 10.)
「ねぇ、結弦……一緒にさ、薬物依存症を担当してくれる病院に行かない……?」
裕貴は部屋で横になっている結弦に、唐突に声をかけた。
「いきなりなにを言い出すんだよ……つーか呼んでもねーのに勝手に来るなよな……」
覚醒剤が切れて数日経ったとある日、何の約束もしていないのにも関わらず、結弦の下に裕貴が訪ねてきたのであった。
なにかと思えば、開口一番に「薬物をやめないか」と。結弦は暗い気分に負けないように耐えながら、しかし、今回ばかりは裕貴の言葉を否定しきれないでいた。
「一人じゃ心細いからさ……。でも、同じ薬物に依存していて、同じく悩んでいる仲間がいれば、励ましあって頑張れると思うんだよ。……瑠奈も、薬物やめろって煩いしね」
「まーだタルパがどうだかとか言ってんのかよ……。だいたい、俺はもぅ無理だ。覚醒剤なしの人生を送るくらいなら死んだほうがマシなレベルだ」
結弦はここ最近、楽な自殺方法はないかと、パソコンの画面を虚ろの瞳で見ながらいろいろと検索していた。
どうやら密閉空間で練炭を炊きつつ睡眠薬を過剰摂取するのが一番楽らしいと知った結弦は、今度練炭でも買いに行くかと考えていたのである。
「まあ……」
ーー死ぬ前に、一度だけなら行ってみるか。
結弦は、なぜだか頻繁にとある夢を見るようになっていた。
結愛が、悲しそうな瞳で結弦を見てくるだけの、胸がざわつくような夢をーー。
((Yuzuru of) Dream world 10.)
結愛は足早で歩きながら、居候させてもらっていた太母の住むマンションに向かう。
ーー結弦の心境に、なにか変化があったのかな?
瑠奈の領域に行く前と帰ってきた後で比べ、闇に染まる建造物が減っているのを見ながら結愛はそう予想した。
しかし、それとは別に、一部のコンクリート塀が粘土のようにぐねぐねと歪んでいたり、所々アスファルトに穴が空いており、そこから深淵が露呈しているのを慮るに、どうやら精神のほうは悪化しているようだとも予測ができた。
ーー結弦、諦めないで!
この世界は、結弦の精神世界の中で『夢』と呼ばれている領域。
夢といっても、浅い部分にある層から深い層にある領域まで、様々な領分がある。
結弦の普段見る夢の内容は、浅い部分から深い部分のあいだの何処かを、肉体から離れて夢の体ーー光体でさ迷っている時に映る景観や出来事である。
浅い部分は有意識に近く、深い部分は無意識に近い。
そして、瑠奈がいたのは無意識領域のさらに下、集合的無意識の浅い部分にある、結弦と親いひとと精神領域が混ざる場所であった。
結愛は、その瑠奈のいる他者寄りの領域から、元いた夢の中心領域に返還してきたのだ。
マンションの階段を登り、一つだけある白い扉を勢いよく開けた。
「あらあらあらあら。おかえりなさい、ユメちゃん」
「……おかえり」
太母と自我は、つい先日までのように結愛を迎い入れた。
「……ただいま、太母。自我を連れ出しに来たわ」
結愛がそう言うと、太母は途端に表情を歪める。
「あら残念。記憶がないままだったらずっとうちに居てくれても良かったのに……思い出してしまったのなら、ここから放り出さなければならなくなったわ、おほほ」
太母はふくよかな腹を撫でながら、自我の前に立ち塞がった。
「マザーの愛はたしかに心に優しいし、記憶を取り戻したわたしでも、あなたの包容力の暖かさには挫けて負けそうになるわ。でもねーー」
結愛は、自分の髪を手で払う。
「母の愛は、時に全てを飲み込み情という名の束縛になるの。それで縛っていてはダメになる。あなたはやり過ぎよ」
二人は対峙しながら静止する。
「自我、あなたは結弦の意識でもあるけど、欲望に忠実だったり、他人に流されつづけたり……自我なら少しは自我を持ちなさい」
結愛は自我に言葉を投げ掛ける。
「さあ、こっちに来て」
「……」
結愛に手を差し出されるが、自我は俯いたままなにも喋らない。
「無理やり影のとこまで引き摺っていくしかないようね?」
「おっほっほ、させると思う?」
太母は、今の精神世界で影並の力を持っている。
結愛はそれを理解できているからこそ、中々動けないでいた。
ーー仕方ない。少し力を貸してあげるから頑張ってね?ーー
ーーえ? い……今なにか……?
しばらく睨みあったあと……突然、窓ガラスが激しく割れて吹き飛んだ。
バラバラに弾け散らばるガラス片の中、なにかが押し入ってきた。
「へーい、瑠奈ちゃん、一丁お待ちっ!」
「瑠奈!?」
そこには、からだにガラス片を纏いながらも素早く動く瑠奈がいた。
「あ、あなた、いったいなにをするのかしら?」
そう告げる太母に、瑠奈は手を向ける。すると、手のひらから強烈に吹き荒れる暴風が放たれる。
それが太母に当たると、そのまま部屋の隅まで吹き飛ばされていった。
「ほらほら結愛ちゃん、早く早く!」
「あ……え、ええ、そうするわっ!」
結愛は自我の片手首を強く握ると、まさしく引き摺るように玄関から飛び出した。
「ちょ……ちょっと……待って……どこに……連れていく……つもりなの?」
自我は不安な声色で結愛に尋ねた。
「あなたが向き合わなければならない相手ところ!」
マンションから二人が飛び出すと、そこには窓から逃げてきたらしき瑠奈も待っていた。
「で、結愛ちゃんはこいつ連れ出してなにがしたいの?」
「あいつの……影のとこへ連れていくの!」
結愛の言葉が発すると同時に、先ほどまで壁だった場所に唐突に道が現れ、そこから影が近寄ってきた。
「ナイスタイミングよ、影」
「まだヤルつもりか?」
影は対話などするつもりがないらしく、ポキポキと指を鳴らしながら近づいてくる。
「ええ、そうよ。さ、自我。あなた、闇に埋もれたままが嫌なら、光を目指すなら、シャドウを受け入れなさい!」
「い、いやだ、恐いよ……」
ぶつぶつ言いながら、自我は肩を震わせる。
「ソイツにナニをイッテもムダだ、ソンザイをツブスか、コノヨからケスしかナイ」
影はゆっくりと自我に歩み寄る。
その時ーー。
「なぁっ!?」
身を潜めていた闇が、辺りの歪みから次へ次へと這い出てきた。
闇はーー覚醒剤で精神を崩壊しようとする物質世界の産み出した大敵。正式に使用されなければ全てを漆黒へと包む深淵。
闇で世界の容姿をすべて塗りつぶそうと企む、意識のない化け物。
「チッ!」
シャドウは舌打ちすると、一気に闇に切りかかった。
瑠奈も協力してくれてはいるが、倒しても倒しても一向にに止まらない。
濁流は四人に迫り来る。
「ちょっとちょっと、私ここで負けたら帰れないじゃん!」
「倒しきれば、なんとかなるはずだから……!」
「う、ううう」
「ヤッカイなヤツラだな」
四人は慌てふためく。
だが、濁流は止まらない。
飲み込まれそうになるまで、闇は迫ってくるーー。