Episode01/記憶を亡くした少女
(D3.)
「ちょっとちょっと! どうしてこーんな寒い中、こーんな寂れた場所で眠ってんの? 風邪引くよ? いや引いてるかもよ?」
少女は暗闇のなか、頭上から女性の声が聞こえてきたことによりまぶたを開いた。
ーーあれ……ここ、どこ?
目の前には、緑髪の綺麗な女の子。雪こそ降っていないが、辺りには白い雪が積もっており、さまざまな遊具があることから、ここが公園だと少女は把握できた。
「おっ、起きた起きたっ。どったの? いったいなにがあったん?」
「ええっと……あれ、なんでだろう?」
『ありゃりゃ』と言いながら、目の前の少女は大袈裟に転けそうになる。
「私、瑠奈っていうんだ。たまたま歩いていたら君を見かけてさ? こーんな寒いのに、いったい全体どうしてこんな公園のベンチなんかで野宿しているのかな~と思って気になったの」
一方的にいろいろなことを話してくる少女ーー瑠奈をぼーっと眺めながら、少女は自身になにがあったのかを本当に思い出せないでいた。
「君の名前はなんじゃらほい」
「えっと……あ……れ……あれ!?」
ーーど、どうして? 自分が誰なのかすらわからない!
少女は焦りながら右往左往しはじめる。
「もしかしてー、記憶喪失みたいな感じ?」
「あっ! ーーきっとソレですっ!」
少女は大きな声を上げた。
しかし、たとえ記憶を失っているのだと判明しても、問題はなにひとつ解決していない。
その子に着いていくことにしよう。
「……え?」
ーーな、なんなんだろう……? というより、わたしの思考?
ーーどうしてわたし、今そう思ったの? そんなこと、まったく考えていなかったのに……。
「まあ、とりあえずうちに来る? ここにいるより断然暖かいし、軽食くらいなら出せるよん」
「ええっと……じゃあ、お願いします……」
少女は、ひとまず瑠奈のお言葉に甘えることにした。
ーーなんにも思い出せない。わたしはいったい、どこの誰なの?
震えるからだを擦りながら、少女は瑠奈の隣に立った。
「なんだかぼろぼろだね。ところどころ黒いし。何があったんだろうね? 思い出せたら教えてねん」
そう言い、瑠奈は少女の手を握ると歩き始めた。
公園から出て、民家が立ち並ぶ道をのんびりと歩み進んでいく。
少女は、歩いてすぐに気になる物が視界に入った。
ーーな、なんだろう?
ーーこの家や道、不安定というのか、なんというんだろ……?
立ち並ぶ民家は、どれもこれも同じ大きさをしているだけではなく同じ形をしており、色はほとんど黒色・屋根の端まで黒く汚れているのを、稀に見かけた少女はそう感じた。
さらにいえば、歩く最中から、道の幅が微妙に狭まったり広がったりしているのである。
ーーなんだか不安定というより、空間が歪んでいるような……?
そんな錯覚を少女は抱いた。
「ありゃりゃー、なーんか、喧嘩しているひとたちがいるね?」
しばらく歩いて道を曲がると、なにやら二人の人間が対峙するように立っていた。
片方は、真面目な好青年に見えるーーが、物凄い形相で目前の人間を睨みなにかを言い寄っている。
もう一人は、全身に包帯を巻き、顔すらほとんど見えていない謎の包帯ぐるぐる男。
「あっ」
瑠奈が思わず叫んだ。
なぜなら、好青年風の男が包帯男を突き飛ばしたかと思うと、そのままアスファルトに叩きつけたからだ。
それだけでは終わらない。男はナイフを取り出すと、包帯男に刺しかかった。
「だーめっ!」
だが、そのナイフは好青年風の男の手元から、どこからか現れた激しい風により弾き飛ばされた。
ーー瑠奈さんが発声したと同時に……?
少女は隣を見ると、そこには、腕を前に構えた瑠奈の姿があった。
「なんだか知らないけど、殺人はダメでしょ殺人は。常識的に考えよ?」
瑠奈は男に近寄りながら言い聞かせる。
「コイツがイルせいでユメはカナワナイんだぞ?」
好青年男子は、見た目にそぐわない言葉を吐き出した。
「は……はい?」
「え、ええっと……?」
瑠奈も少女も意味が理解できずに首を傾げた。
「ユメも、セカイも、ミンナオワリダ」
ーーあれ、なんだろう?
ーーゆめって言葉だけ、なんだか懐かしい気持ちになれる……。
男は言い残すとそれ以上はなにもせず、包帯男を睨みながらも立ち去っていった。
「あ、あの、大丈夫ですか?」
少女は包帯男に手を差し伸べる。
「あ、ありがとう……。い、いきなり襲われて」
どちらかというと包帯男のほうが襲う立場にしか見えないのだが、瑠奈たちはなにも言わなかった。
「な、なにか……お礼がしたいですね……」
包帯男はそう言いながら、なにか思案をする。
「ねぇさーーってかさてかさ? 名前がなくちゃ呼びにくいから、なにか適当でいいから名前決めてよ?」
瑠奈は少女に顔を向けると、名前がないと呼びにくいと申し立てた。
「あ……俺……は、エゴ……って言います……」
「いやいやあんたにゃ聞いてないっつーの。ってか、なんやねんその名前」
瑠奈は包帯男ーーエゴに突っ込みを入れた。
そんな会話をしている瑠奈とエゴを見ながら、少女はなにか仮の名前にできるものはないかと考える。
ーーい、いきなりそんなこと言われても……んっ……あっ!
「な、なら、ユメでお願いします!」
「夢? なんなん、なりたい職業や目指したい将来の夢のこと? それとーー」
「あらあら、エゴちゃん、どうしたのー? こんなかわいらしいお嬢さん二人も連れてっ。おーっほっほっほっ!」
瑠奈が言い切るまえに、見知らぬ太ったおばさんが大きな声で話しかけてきた。
「えっと……た……助けて……もらって……」
どうやらエゴの知人らしい。
エゴはおばさんに説明した。
「そうなのそうなのー、ありがとねーお二人ともー。まあまあなにかお礼をしたいわねー。ああっ! 君たち、ご馳走するから私たちのお家に来なさいな来なさいなっ!」
おばさんは嬉しそうに笑う。
「えっと、でも、瑠奈さんが助けただけでして」
ユメはチラリと瑠奈を見る。
「あ~なら、そのひとのお世話になんなよ。うちに来るのはまた今度でいいからさ」
瑠奈はそう言うと、おばさんに顔を向けた。
「ねぇねぇ、この子、ユメちゃんていう名前以外の記憶すべて失っててさ、自宅もわからないらしいんだ~。思い出すまで泊めてあげてくれないかな?」
瑠奈はそんなことを言い出した。
ーーいつの間にか、ユメ、が本名みたいになってるんだけど……。
「おーっほっほっほっ。そんなことでいいなら喜んで! 大歓迎よ~ユメちゃん?」
「あ、ありがとうございます。ええっと……」
ユメは、『おばさん』だとさすがに失礼ではないかと考え言葉につまってしまう。
「あーらあらあら、私のことはマザーと呼んでちょうだい。正式にはグレートマザーなのだけれど、それだと長いでしょう? おーほっほっほっ!」
「な、なにここ、変な名前のひとしかいないじゃん……」
瑠奈がジト目でマザーを見ながら呟く。
たしかに変な名前だな、とユメも感じた。
「さあさあ、早く我が家に来なさいな。暖かい食事と温かいお風呂、ふっかふかのベッドが待っているわよ~?」
なにがそんなに嬉しいのか、マザーは高笑いをする。
「ほら、エゴちゃんも痛かったでしょう? 早くお家に帰ってーーまあまあ擦り傷が出来ているじゃないの! 大変だわっ、泣かないで頑張れたの? よしよし偉いわね~」
ーーな、なんだろう……この違和感。
包帯のせいで体つきや顔はわからないが、背丈や声色から推測するかぎり、エゴはおそらく二十歳を越えているだろう。そんな大人に対して、この異常なほどの甘やかし。
ユメが違和を感じるのも無理はなかった。
「そんじゃユメちゃん、まったね~っ!」
いつの間にか道の奥先に行っていた瑠奈が、ユメに向かって勢いよく手を振ってくる。
ーー……えっ?
直後、ユメの目に不可思議な現象が映った。
瑠奈が、まるで真横の空間の中に飲み込まれるように消えてしまったのだ。
ぽかんと口を半開きにして唖然としながら、ユメはそれをしばらく見つめるのであった。
(R3.)
先週買ったばかりなのに、結弦は既に覚醒剤を使い果たしてしまっていた。
ひとり部屋の中、重いからだを布団に預けている結弦は、暗い思考ばかり頭に浮かべてしまう。
「……ダルい……ちくしょう」
覚醒剤が切れてからというものの、なにもやる気が起きず無気力になり、それどころか、絶望しかない未来や、地獄のような先の人生ばかり考えてしまっていた。
そんな結弦は、自然と目から涙がぼろぼろと溢れ落ちていっていた。
ーーこんな物……あのときやらなきゃ、違う未来もあったのかもしれねぇな……。
覚醒剤を悪どい先輩から勧められた日を思い出す。
『みんなヤってるって! 俺たち見てみろって! 普通だろ? ああいう薬物教育は、でたらめの嘘っぱちなんだよ。平気平気!』
そう言う先輩からの誘いを、『いや、でも俺、薬物とか興味ないっす』と断りつづけていた。
しかし、毎日毎日誘われつづけたのと、たしかに先輩の言うととおり“覚醒剤を使っても発狂する乱用者が身近にいない”、いなかったせいで、ついに結弦は手を出してしまう。
ーーあの頃に、戻れたらな。
使ってみた結果、結弦は『なーんだ、たしかに良いかもしんねーけど、思っていたのと全然違って安全じゃんか!』なんだと勘違いをしてしまった。
そして、最初は一ヶ月に2、3回の使用だったのが、次第に週に一度に変わっていき、果ては毎日打つようになってしまったのであった。
たまたま金欠で買えなかったとき、結弦は始めて覚醒剤の怖さに気づいた。
連用していたせいで常にハイだった結弦は、薬効が切れた途端に気分が地の底まで沈みこみ、憂鬱状態を味わうハメになってしまった。それだけではない。恐ろしいほどに強烈な薬物への渇望が現れ、バイトの給料日まで毎日毎日覚醒剤の夢を見て、やりたくてやりたくて仕方がなくなってしまったのだ。
その副産物として、結弦は強い倦怠感でバイトを休みまくり、挙げ句の果てにはやめてしまった。
そうした経験を味わったせいで、結弦は覚醒剤が切れた状態が怖くて怖くて仕方ないのである。
「……さすがに、次やったらバレるか? いやでも、我慢ならねー」
結弦は布団から飛び出すと、ゆっくりと歩きながら一階へと降りた。
ーーちょうど母さんはトイレに入ってる!
タイミングを見計らい、結弦は両親の寝室へと侵入する。
そうして枕元にある母親の鞄から財布を取りだすと、中から二万円ほど盗み取った。
「ごめん、母さん」
母に声が届かないのを知りながら、結弦は小さな声で謝罪を口にした。
☆☆☆☆☆
一時間後、先日のように息を切らしながら結弦は自宅に帰ってきた。
「ちょ、ちょっと……いい、結弦……?」
母が結弦に声をかけた。
またもや、なにかを言いたそうな表情を浮かべている。
それなのになにも言わない態度に、結弦はなぜだか無性に腹が立った。
「んだよっ!?」
怒鳴るように、いったい何のようだと結弦は聞き返した。
「あ、あのね? さ、最近、お財布からお金がね、なくなってる……気がするのよ。ゆ、結弦は、なにか知らないかなーって、思って……」
「し、知らねーよ! お、俺を疑ってんのか!?」
焦った結弦は、つい怒声を上げてしまう。
「な、ならいいわ……う、うん。そうね、気のせいね。うん、気のせい……気のせい……」
そう言うが、目を見るに明らかに納得はしていない。
呪文のようにーーまるで、自分自身に言い聞かせるかのように、母は「気のせい気のせい」と繰り返し唱えながらリビングへと舞い戻った。
結弦は冷や汗を滴ながら自室に入る。
すると、途端に崩れ、膝を地面に着けて泣き出した。
「あぁああっ……ごめんなさっ……ごめんなさいっ……母さん……」
大量の涙を流しながら、結弦はしばらく嗚咽するのであった。