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日扇山の中ほどには寂れたドライブインがあり、その名も瀬尾井峠ドライブインである。

そもそも昨今ではドライブインという言葉自体が死語に近く、本来の「長時間の運転を続けるドライバー向けの休憩場所」というその役割はコンビニにとって替わられた感があるものだが。

さすがにこんな場所ではコンビニの経営も立ち行かないのか、そもそもコンビニを作ろうとさえ思わないのか。

そうそう客が来るともおもえないのだが、しぶとく生き残ってようで。

先日この話を書くためにインターネットで検索してみたところ、おおよそ自販機コーナーと化してはいるようだがその存在を確認することができた。

ここには瀬尾井峠の、そのいわれを記したちょっとした石碑と、小さな展望台がある。

アベックが夜景をバックに二人の記念日を祝して記念撮影するようなデートスポットなどとは程遠い、実に簡素な、おざなりに二本の

ポールにチェーンが渡してあるだけの展望台である。

というか、このあたりは民家もまばらで、見下ろせるような夜景などありはしない。

むしろ、あまりに暗すぎて心霊スポットとして扱われていないか心配である。

あるいは、二人のドライブを楽しんできたアベックが二人の記念日を祝して暗闇をバックに、バックで記念バックを行うスポットに、いや、失敬。

とにかく、石碑や展望台があればそれがなんであれ、写真など撮りたくなるのが人の性らしく、以外にもインターネットには多くの画像がそう古くない日付で載せられており、今でもそれなりに多くの人が訪れていることがわかる。

おかげさまでこちらは話が書きやすい。便利な世の中になったものだ、IT革命万才。


さて。僕がここを訪れたのはやはり学生の時分。大学のサークルの遠征で金沢へ向かう道中のこと。

例によって僕のポンコツハイエースは荷物を満載し、爆音でカーステレオを鳴らしつつ平均時速80キロで爆走していた。

前夜のうちに南信の我が家を出て、長野県内を縦断。長野市に住む友人宅で一泊し、夜明けとともに出発。

R135をひたすら飛ばし、そのまま新潟を抜け、金沢に着いたらその日の夕方からさっそくリーグ戦第一試合に臨むという超強行日程ではあったのだが。

既に試合スイッチが入っていたのと、小旅行のテンションの高さで気分は上々、ポンコツハイエース君もいつになく快調。

カーステレオも本日は調子よく、ちゃんと両側のスピーカーから音が出ているので、さっきから強烈なドラムラインが助手席に座る後輩の小関ちゃんをリズミカルに吹き飛ばしている。

小関ちゃん、いつもすまないねえ。

同じ学部の後輩とは言え、気のきいたトークも出来ない、なにかと気難しいことで有名な部長との長時間ドライブは、若者には辛かろう。

今日は若者でも楽しめるようにいつもの洋楽ではなくJ―ポップにしたから許してくれ。

そんな優しい気持ちになれたのも、冬の朝の爽やかさと、朝陽の眩しさゆえか。

今日はちゃんを血圧上がってるし、出掛けに缶コーヒーも入れたしな。

ガソリンの続く限り、飛ばすぜ。


なんと、この日の朝。この時点まで、長野市街を出てから僕は1度もブレーキを踏んでいなかった。

長野県には走行速度は制限速度の2倍まで出して良いと言うローカルルールがあり、僕なども若さの特権に任せてそのルールに従い生活していたのだが。

なにぶん、ポンコツのハイエースでは時速80キロがせいぜいであり、それ以上飛ばすと、車体が悲鳴をあげ激しくノッキングする。

パワーはあるものの車体は重く、さらに詰め込めるだけ荷物を詰め込んで走っているものだから。

自然、仲間たちの車列からは引き離され、ひとり追い掛けていく形となるが、気を使って走りたくないこちらとしては逆に好都合。

いや待て。では、彼奴らはいったい何キロ出しているのか。

なんにしろ、皆、基本的に「道路に人は歩いていない 」と言う前提でのアクセルオンリー走行。

早朝ゆえの交通量の少なさもあり、早朝好調、絶好調。気分爽快、そーかい。

朝陽を目指してアクセル全開、全開、全開…は、いいのだが。

そう。「それに気づいた」のは、先ほどからアクセルばかり踏んでいるからだ。

何かが、おかしい。

そう。これだけアクセルばかり踏んでいれば、いかにポンコツハイエース君とはいえ、もう少しスピードが出そうなものだ。

むしろ、まるでスピードが乗らない。

いや、むしろ、先ほどから、このまっすぐ続くだらだら坂に入ってから。次第次第にスピードが落ちて、いくような。

ポンコツで腐ってこそいるが、どうした。お前は天下のハイエースだろう。こんな坂、なんだ坂っと越えていこうじゃないか。

「ガス欠」という言葉が脳裏をよぎり、すぐに否定される。ガソリンなら、満タンに入れてきた。確かにいつもより荷物も多いし、調子に乗って飛ばしてはきたが。僕の計算によれば、新潟市街までは十分に余裕を持って走れるはずなのだ。計算をしているのが僕だと言うのが最大の問題である気もするが、とにかく、ガソリンはある。

想定しうる最悪の事態、それがまさにいま現在進行形で起こっているのだと僕の理解が深まっていくのにシンクロしたかのように、空ぶかしのエンジン音がどんどん高くなっていく。

反比例か。理系だな。僕たちはポンコツで腐っているとはいえ、農学部の学生だからな。

いよいよアクセルを底までベタ踏みしてもウンともスンとも、どうにも前に進めなくなり。

サイドブレーキを引き、カーステレオを止め、ハザードランプを焚いた僕は一言。

「7時、37分、ご臨終、です。」

海が見えたら取り替えようと準備していたサザンのカセットテープが、今はただただ、恨めしい。



「押した方がいいすかね。」という小関ちゃんの提案を「なに見てろ、こいつにはまだとっておきの切り札があるのサ」と却下してはや20分。

ぼくは、とっておきの切り札である四輪駆動に切り替えることができず、疲労と焦燥に駆られ始めていた。

難しいことではない。前輪のハブをキュッとして運転席に戻り、四駆レバーをいれるだけだ。しかし、何故か、それだけのことができない。

後輩の前で恥をかいているという気難しい部長のぼくとしては絶対に耐えられないシュチュエイション、さらに折り悪く、今までまるで他の車の影などなかったというのに、こんな時に限って後続車が現れる。

退避所もないような田舎の細い山道である、無駄に大きいハイエースをかわして先に進むなどまず、インパッシブル(不可能です。)というものだ。

焦る。降りる。ハブを回す。アクセルをふかす。進まない。

焦る。降りる。ハブを回す。アクセルをふかす。進まない。

何度も同じ動きを続けるぼくに、後続車のクラクションが飛ぶ。

うるせえな、トラブル(困難な状況です。)なんだよ。見てわからないのか。

止まりたくて止まっているんじゃないんだよ畜生。お前なんかくじらに踏まれてしまへ。


人は焦ると、正常な判断力を失うものである。ついには対向車まで現れ、完全にこれは投了。

人の能力には限界がある、農学部が二人ではもはや対処不可能な状況だ。

JAF呼んじゃうしかないかなー、高いんだよなー、とそこまで思考が行き着いた時に、あることに気がついた。

前輪のハブが開いている。

四輪を使うにはこいつをキュッと、閉めなくてはならないはずなのだが。つまり、ハブはスタートの時点で既に締まっていて、ぼくは必死でハブを開けては四駆のレバーを入れようつとして、入らない入らないと首をひねっていたのだ。

なにか納得のいかないもやもやが胸に残ったが、とりあえず運転席に戻りレバーを入れる。問題なく入る。ハザードランプを消してアクセルを踏む。問題なく動く。数メートル問題なく登ったところで待たせてごめんなさいのつもりでハザードを焚く。後方からものすごい勢いでクラクション、うへっ。


とにかく危機を脱したのは間違いないのでこのまま進みたいところだが、ハイエース君になんらかの異変が起きていることもまた間違いなく。また、精神に少なからずダメージを受けてしまった今の僕には小関ちゃんとの沈黙ドライブにも耐えられそうにもなく。

こんな時に沢田研二なんか聴いてられるか、勝手にしやがれ!ということで、僕たち二人と1台は寂れたドライブインにドライブインすることにした。

これが仮に寂れたファッションホテルであったとしてもドライブインしたことであろう。そこでベッドインするかはまた別の話だ。

ハイエース君の様子を見なくてはこの先の道のりに不安があるし、心が至急、至急に缶コーヒーを求めていたから。

僕は酒もタバコもマリファナも嗜まないが、缶コーヒーだけは定期的に補充しないとダメなのだ、禁断症状が出る。

鬱になって、このまま旅に出て二度と帰ってこないかもしれない。その場合、小関ちゃんは誘拐された扱いになるのだろうか。不憫なことだ。

缶コーヒーであればとくに銘柄にこだわりはないが、缶コーヒーであることが望ましい。インスタントコーヒーでも代用は可能だが、長くはもたない。

田舎者はスターフォックスなんてイマい飲み物は知らないのだ、必要なのだ、「缶コーヒー」というジャングルの、飲み物が。

缶コーヒーさえあれば、まだ戦える。

缶コーヒー。缶コーヒー。かかか缶、コーヒーはどこだ。隠すな、出せ。かかか、缶、コーヒー、を、出せ。


完全に禁断症状を起こしてガクガク震えながら焦点の合わない目でブツブツ呟いているぼくの横では、小関ちゃんがガタガタ震えて泣いている。

ごめんね小関ちゃん。本当はじゃんけんで負けて僕の助手席に乗ってきたの、知ってるよ。

寂れたドライブインにドライブインし、ハイエース君をナナメ駐車した僕は缶コーヒーを求めてフラフラと出ていく。

小関ちゃんは助手席で固まったままだ。

幸い、寂れたドライブインとはいえ自動販売機くらいはあり、缶コーヒーという飲み物もすぐに見つかった。

微糖などという、イマい健康的な飲み物でないことが今の僕には大変有難い。

男なら、砂糖とミルクのたっぷり入ったカロリーの高い缶コーヒーだ。

健康気にするなら缶コーヒーなんか飲むな。健康気にするなら缶コーヒーなんか飲むな。

太ってから微糖にしたって手遅れなんだぞ。わかったか、そこのお前、あーん?


缶コーヒー片手に僕はしばらく「そこのお前」相手に説教を続けていたが、よく考えてみれば自動販売機さんを叱っても仕方のないことだ。缶コーヒーが効いてきたのだろう。次第に通常の思考に戻って頭のはっきりしてきた僕は、とりあえず小関ちゃんの分も缶コーヒー買ってやるかなともう一度、100円銀貨を投入。

ピー・ガタン。アリガトウゴザイマス。いえいえこちらこそ、さっきは怒ってすいませんでした。

自動販売機さんに非礼を詫びて車に戻ると、小関ちゃんがいない。

小関このやろう、逃げやがったな。せっかく缶コーヒー買ってきてやったのに小関このやろう。僕の好意を無視するなんて度胸。

小関ちゃんがいないのでしかなく、そういえばハイエース君はなんかトラブってるんじゃなかったかと思い出し、ざっと点検を始めたが、原因はすぐにわかった。タイヤがツルッツルに磨り減っているのだ。

うむ、雪が降るまではもたせようと思っていたのだが、やはりダメだったか。もう一年になるからなあ。

ケチったわけではない。面倒くさかったのだ。替えよう替えようと思いつつ、日々の生活にただちに影響を与えない状態だったので伸ばしに伸ばして、一年。本日この日がただちに影響の出る日だったというわけだ。

後悔、役に立たず。太ってから微糖に替えても遅いんだにょ。わかったかにょ?そこのお前。にゃーん?

ハイエース君のタイヤをかわいい口調で叱っているぼくのうしろには小関ちゃんが虚ろな目で立ち尽くしている。

僕はトイレに行くと言い遺して旅に出た、探さないでください。


駐車場の片隅には小さな芝生があり、ちょっとした展望台になっている。

おざなりな2本のポールに渡したチェーン。なんだかもう、その先に踏み出してしまいたい気持ちをどうにか抑え、踏みとどまったその視界の片隅。

小さな石碑、というか、石像?が設置されていた。

小関ちゃんの記憶が曖昧になって、すべてを許してくれるくらいの時が経つまで車に帰れない僕は、点検を中断し探検を始めたのだが、ふと目についたこの石像、なかなかそそるものがある。

なんだろう。子供を背負ったお母さん?と、その後ろに変な、妖怪?

このテのものにありがちな、簡素な造形ながら妙なリアリティがあって。それでいて、シュール。

なんだろう、この、手の長いおばけは。

ボテッと潰れた本体に足はなく、丸い大きな目が2つだけの簡単な顔。

全体的なシルエットはスター・ウォーズの悪い太った宇宙人に似ているが、やはり目立つのは2本の長いウデ。

まっすぐに伸びたウデが、今まさにお母さんの背負った子供を掴もうとしている。

うむ、どうやらこいつは悪いおばけにちがいない。微糖にしなかったから太ったんだろう。

隣には「瀬尾井峠の謂われ」と題した看板が立てられており、なるほど、これは読まずにはおられまい。おばけの像を叱っている場合ではないぞ、ふむふむ、ふーん、字が細かいな、メガネを持ってくればよかった。


《このあたりは古くは瀬尾井峠と呼ばれ、旅の難所として知られておりました。

現在で言う赤蟆市と櫃川村のちょうど境に位置する日扇山はさほど急峻な山ではないのですが、ゆるやかにとても長い登り坂が続きます。

瀬尾井峠という名前は背負い峠からきているという説があり、崇王連山の急峻な山道をようやく越え、ここまでたどり着いた旅人たちは、瀬尾井峠に入るとまるで背負った荷物を後ろから引かれているかのように、重みを増して感じたそうです。

昔の人はそれを背負い峠の妖怪の仕業と考えており、長い腕で後ろから旅人の荷物を引っ張る妖怪の伝説が生まれたといいます。》


お前か!!

僕は思わず声をあげてしまった。

そうかそうか、そうだろう。おかしいと思ったのだ、不可解なことが多すぎる。

こいつだ。この、ウデの長いおばけがハイエース君を引っ張っていやがったのだ。なるほど確かに僕のハイエースは荷物を満載していて、それはそれは引っ張っりがいがあったことだろう。妖怪だって、思わず伝説から出てきてハッスルしてしまうというものだ。

そうか、そうか、そうだったのだ。それに違いない。胸にひっかかっていた不可解なモヤモヤが一気に晴れて納得がいった気がするよ。だいたい、この常に完璧で知性の光に満ちていて、かっこいい部長の僕があんな凡ミスを犯すなんて。妖怪の仕業でもなければまずあり得ないのだ。


人間というのは知性の発達した動物であるから、様々な物事を理論立てて考えることに長けている。それが科学を発展させ、今日の繁栄を築いた。

反面、世の中には実際、どうしても理屈にあわない不可解なこと、理不尽な物事があふれている。そういったものに直面した時、人々はどうしてきたか。

超自然的な存在、例えば。神であるとか、妖怪であるとか。そういった自分たちのまったく理解の範疇にない存在、理屈の外にあるものたちの為せる業と考えて自分を納得させてきたのだ。

特段僕が頭のおもしろい人だというわけではない。

石像の場面は今まさに、お母さんの背負った子供を妖怪が拐っていこうとしている場面だ。幼い子供と、母親の二人の旅路。よほどやむにやまれぬ事情のあったのだろうことは想像に難くない。

あるいは、旅の途上で我が子を亡くすような悲劇が、実際あったのかもしれない。

今も昔も人が生きていくうちにはかけがえのないもの、背に負った大切な物を理不尽に奪われてしまうこともあるのだ。

昔の人はそんな時、神や妖怪の姿を思い浮かべては悲しみを共有し、現代人である僕は缶コーヒーを補充して渇きを癒やす。

ああ、缶コーヒーのある時代に生まれてよかったなあ。

僕は目を閉じて、幸薄き母子のために合掌する。

さあ、そろそろ行かなくては。小関ちゃんも待ちくたびれているだろうし、大分時間もロスしてしまった。

僕は缶コーヒーをお供えして立ち上がり、その場を離れる。

なんだか軽くなった。背負い峠の妖怪は、僕の背負っていた憂鬱も持っていってくれたのかな。

爽やかな朝の光が山の樹木に反射し、輝やく緑のなか、僕は歩を進めた。

トイレに行って。ああそうだ、小関ちゃんの缶コーヒーも買い直してあげなくてはな。

僕の姿は次第に透明になり、時を越えて同じ道を歩む一人の旅の侍の姿に重なっていくのだった。


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