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長野市街からR135を進み、新潟方面へ。崇王連山を抜けて赤蟆市に入るそのあたりは古くは瀬尾井峠と呼ばれ、旅の難所として知られた。

現在で言う赤蟆市と櫃川村のちょうど境に位置する日扇山はさほど急峻な山ではないのだが、だらだらといつまでも続く登り坂。

視界の果て、さらに果て、さらにさらに果てまで。歩けど歩けど、はてしなく、登り坂。

「山の」長野県の見せる最後の意地のように。長く、ゆっくりと曲がって進む山道が、旅する者の心を砕く。

瀬尾井峠は、背負い峠。

崇王連山の急峻な山道を越え、精も根も尽き果てた者たちの前に、果てなく続く絶望が伸びる。

瀬尾井峠の山道は、まるで後ろに背負った荷物を引かれているような。背負った荷物の重みが、一気に倍に増したかのような。

それまで必死に身体を支えてきた両の脚が、背負った重さに耐えきれず、遂に崩れる瀬尾井の山道。

よって呼びなん、背負いの峠。

この山道を越えさえすれば、今度は「海の」新潟県。ゆったりゆったり日本海へ向け、降りてゆくことになるのだが。

幾人もの旅人が、海の光を拝めずに。

行きては倒れて消えていく、ここは魔の山瀬尾井の峠。


山の国と、海の国。それぞれがそれぞれにないものを求めあい。

古くよりこの山道は、人が、物が、獣が、魔物が、先の険しい旅をした。

今のように交通の発達した時代ではない。基本的には徒歩での移動である。

無事に行き着く者もあれば、また、半ばにして行き倒れる者も多く。

それでもある者は何かを求め。また、ある者はやむにやまれぬ事情に駆られ、山から海へ。海から山への旅の途につく。

そんな在りし日の旅人たちの前に立ち塞がり行く手を阻む、ここは魔の山日扇山。行きて帰れぬ瀬尾井の峠。



それに興味を持ったのは学生の時分。

国立大の学生と言えばなかなか聞こえはよいものの、当時の僕と言えば学生とは名ばかり、週七日アルバイトをして

余った時間で学校に行くような、モラトリアムな身分を最大限に活用した体の良いフリーターであった。

住んでいた南信地方はとにかく山。四方八方東西南北、とりあえず、全部、山。撮った写真の背景が全部山になるレベルで山の中、山に囲まれた場所である。

僕は言うほど都会の生まれでもないのだが、それでもそこまでの生涯の多くを関東平野で育ち。

四方のうち、どちらかを見れば地平まで広がる平地がある、というランドエスケイプを当然のものと考えていたものだから、初めてこの地を訪れた時に受けた衝撃たるや、長野県名物の「おやき」を予備知識一切なしで食べさせられた時にも比肩し得るものがあった。


そう、あれは引っ越してすぐの頃。大家のばあさんが電話が壊れたと言うので見に行って、なんだ、受話器が長時間上がりっぱなしになっていたから液晶画面がフリーズしてしまっただけですよ、一回電源を落として、またつければたぶん、ほら。と直した?お礼に頂いたのだ。

部屋に戻ってしばらく、隙にあかせて携帯をいじったりよからぬものをいじったりしていたのだが、どうも電話を直して働いてきたせいか腹が減る。

大家のばあさんから頂いてきたあの饅頭、みたいなもん、が頭の片隅をチラチラかすめていまひとつ集中力が続かない。菓子の魔力である。

うむ、おやつにしますか。

とりあえず湯を沸かしお茶を淹れ、インスタントではあるがお茶を淹れ、当時はまだ初めての一人暮らしに心が踊っていたのでおやつの際にお茶を淹れるくらいの手間はかけていたのだ、今では信じられないが。

とにかく、準備万端。あとはさっきの饅頭、みたいなもん、を食すだけだ。

認めたくはないが、そうだ。僕はきっと、図らず人に頼りにされ、多少なりとも役にたち、感謝を受けたことがうれしかったのだ、きっとそうだ。

だからこそ何も疑うことなく、あんな得体の知れない饅頭、みたいなもん、に躊躇わずかぶりついてしまったのだ。

人生がうまくいかないことなど、十分によく知っていたはずなのに。


人間の体というものはたいしたもので、「よくわからないもの」や「なんだかわからないもの」、「予想外の味のするもの」等は反射的に受け入れないようにできている。平たく言うなら、吐き出す、のだ。

混乱していた。口腔内に広がる未知の感覚。体が、飲み込むことを拒否している。お前の口に入れたそれは本当に食い物か?確認しろ!と問い質してくる。

饅頭、みたいなもん、の中に入っていたものは、アンコ、ではなかった。

つぶあんでも、こしあんでも、僕がちょっと苦手な味噌あんでもない。およそアンコというカテゴリーからかけはなれたものが口の中にある。

それでも吐き出さなかったのは、子供の頃から食べ物を大切にしろと教わってきたのと。腐っても僕がこの国の「食」に広く携わる、農学部の学生であるという自意識と。

そしてなにより、これはお年寄りが心からの感謝の気持ちとして僕に与えてくれたもの、吐き出すことは人の道に反する行いではないだろうか、という思いからである。

さりとて、体の反射には逆らえず。飲み込むことも吐き出すことも出来ぬ進退窮まった状況のまま固まること数分、唾液が口内の物体を緩やかに溶かし始めるに従い、とりあえず僕は何を口に入れたのか、確かめよう、と思い付くていどの理性は戻り。

手に持った饅頭、みたいなもん、に視線を落とそうとして一瞬躊躇ったのは、何故だか脳裏をゴキブリのビジュアルが横切ったからである。

饅頭、みたいなもん、の中からは、漬物が顔を出していた。関東平野に育った僕にはあまりにも見馴れないシロモノである。

何故だ?何故饅頭、みたいなもん、に漬物を入れるのだ?

そうだね、寒い地方は塩分をたくさん摂らないと体のバランスが崩れてしまうから。

塩辛い食べ物が発達する、長野県の場合は野沢菜の漬物がそれだね。

饅頭の皮に野沢菜漬けを入れた「おやき」は長野県の名物のひとつだよね、長野県の常識だね。

うるさい、知らなかったんだから仕方ないじゃないか。

とにかく、「おやき」の存在がいかに僕にとって衝撃的なものであったか、おわかり頂けたら幸いです。

ええ、全部残さず食いましたとも。人からご好意で頂いたものですもんね。

あれ以来、二度と口にしていませんけど。


何の話だっただろうか。

そう、長野県というのは南信、中部、北信の三地方にわかれるのだが、とにかく山。山だらけなのだ。

夜中にちょっとコンビニへ「週刊プレイボーイ」を買いに、と思っても、まずは山を降りなくてはならない。

僕たち学生は山を降りて買い物に行くことを「下界に降りる」などと言っていたが、山ひとつ降りるというのはなかなか伊達ではなく。

自転車で最寄りのコンビニまで、15分。徒歩ならば30分近くかかる道のり。さらに、当たり前だが行きが下りなら帰りは登りなのである。

まだまだ無駄に体力気力の充実していた若き頃とは言え、傾斜の急な山道を荷物の増えた体で進むのは夜中に週刊プレイボーイを買って上がったテンションでもかなり難儀するもの、いや、「たいぎいだにぃ」、か。

さすがの僕でもこの生活には半年で心が折れ、夜中に週刊プレイボーイを買いに行った帰りに自転車がパンク、一時間近くかけてようやくアパートにもどったことを契機についに夢のマイカーを購入することとあいなった。


初めての車はポルシェでもアスタリスクカラーのランチアストラトス・ターボでも、黄色に黒のストライプの入った旧式カマロでもなく。

自動車屋の親父にこいつならお値段もグッ!と勉強しやすぜ!とお薦めされたポンコツのハイエース。

免許取り立ての若葉マークにいきなりワゴン車を薦めてくるその心意気やよし。昭和63年産、ケチくさくギリで昭和生まれなところも悪くない。

だが、一番気に入ったのは、「なんです?」、値段だ。

そんなわけで、神をも恐れぬ僕はいつ走らなくなるともわからないポンコツをお値段20万円ポッキリ、ニコニコ一括現金払いにて購入。

以後こいつは僕の愛車として5年の長きに渡り活躍。カーステレオの爆音を響かせながら縦に長い長野県を北へ南へ、平均時速80キロで飛び回るのである。


北信地方ほどでないとはいえ、僕の住む南信にも毎年冬には雪が降る。

東京で同じ量が降れば●十年に一度の大雪であると騒がれる程度の量は当たり前のように積もるのだが、件のポンコツハイエースはポンコツではあるもののさすがの馬力。

アパートの他の学生が雪に埋もれた軽自動車をガッデムと吐き捨てながら掘り出す隣で僕は悠々とエンジンスタート。

この程度の雪、蹴散らしてくれるわとばかりに発進するのは中々気分の良いものであった。

その後、車検の折りに本体価格以上の金額を請求され、あの自動車屋の親父がボッタクリであると思い知ることになるのだが、少なくとも雪道を自由に走れるのは有難い。

寂しい田舎の独り住まい、孤独なクリスマスからお正月を過ぎ、冬の寒さに抱かれるうちに人に頼られること、人の役にたつこと、人に感謝されることを心の底で求めていた僕は、生来の断れない性格も手伝い。

学生仲間やバイト先からも「足役」「運び役」として次第に頼りにされるようになっていくのは実に自然な流れであったと言えるだろう。

車の選択とは、人生の、生き方の選択に似る。人が車を選び、また、人が車に選ばれている。

僕の場合はさしずめ、「皆と仲良くしたい」という心の奥底にあった願望が、大きな車を選ばせたというところか。

学生時代、何も持たなかった僕の最高の相棒。お前は僕の青春そのものでした。


さて。すっかりなんの話だかわからなくなったところでいやいやどうして、ようやく舞台は整った。

瀬尾井峠の段、いよいよ、本筋の開幕である。

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