滑稽奇譚
ファンタジーを書くのも好きですが、こうした雰囲気の話を書くのも好きなのです。一応伝奇に分類しましたけど……大分違う気も、する……
ところでタグ付けに非常に悩むのですが、どうしましょうか。
下らない事を下らないと思う事の何が悪いのだろうか。滑稽であることを、声を大にして指摘しているわけでもない。寧ろ真に滑稽なものは全力で愛するべきではなかろうか。
下るモノ。下らぬモノ。そうだ、少し定義を改めるべきであるかもしれぬ。改める……もとい、ハッキリしておく、の方が正解かしらん。記憶が正しければ、下らぬ、とは下らないである。何処から下るのか。それはもちろん京都だ。天皇陛下がおわす、あの京都だ。あの辺りは上方と言う。その辺りに運び込まれる荷は「下る」と言われたらしい。それが叶わないから下らない、なのだそうな。
それにしても上方に運び込む荷が、まさか下るモノとは……中々に奇妙な言い回しだとは思うが。京都人は実に上品な人たちであるから、きっとやんごとない事情があるのだろうね。京都人が「下らない」と言えば……なるほど、上品ではないような。そうした意味にも聞こえる。京都マジックか。面白い。
別に京都の人を陥れたい訳では無いのだが、本当に京都の人たちは実に上品であるから。そうした圧は怖いとは思わないだろうか。嗚呼、それはそれとして。
ともあれ、そうした上品な人たちのお目にかけられないほど、悲惨極まりないモノ。それが下らないモノ、下らぬモノなのだろう。そして、今のこの状況は下らぬモノである。ああ、大いに下らぬ。
そう言えば、何かを調べている際に、江戸の粋と京都の粋について行き当たった事がある。江戸はいき。京都はすいだ。江戸の粋は吐き出した先にあるモノなのだとか。京都の粋は吸い取った先にあるモノなのだとか。なるほどなるほど。何となく分からなくもない。
江戸の粋は貧乏が突き抜けて、それでも生きる意志にある所がとても輝かしい。火事の際に建物を壊して広がるのを防ぐ、みたいにそうした自分が生きていれば、そして自分が生きる手伝いをして貰う為に他を助ける……
そうしたところがどことなく愛おしい。
京都の粋は、とにかく色々なモノを吸収して、そうして良い所を抽出して。そうして我がモノとする。これもこれで純度の高い素晴らしいものが生み出されるようで、人間の営みは愛おしく思っている僕としては、中々に歓迎したい、実に愛おしいモノである。
そう、僕は人間の営みはとても愛おしく思っているのだよ。例えば文学だってその人間の営みではないか。書き手が書いた、素晴らしき余分。生きるのにはどちらかと言うと存在しなくとも、困りはしない。……高尚とも言える、愛おしいものだ。何が上等、何が下等と考え始めるのは、おお、哄笑したくなるほどに意味のない話ではあるが。
だが、ともあれ最近は目を覆いたくなるほど下らなくは無いだろうか。滑稽とは高尚なるものに思うから。では、目の前の現実とやらは下劣極まりないモノだ。
はて、一個人の考えでしかないから。
……もしかしたら反論異論が頂戴できるのかもしれないが、だが、他人が何をどう言い表そうが、そいつは下らない。下らないよ。目にも当てられない、とはまさにこの事よ。
そもそも憤慨するべきは、文学排斥の波が迫っている事だ。ふざけるのも大概にしろ! 愚かさを弁えるが宜しい!
おお、観客よ。そうは思わないかね? 現実とはいかに空虚無為な言葉であるか!
ようし、ようし。それでは、この最も愛おしい所から最も滑稽な愛を叫ぶとするか! 尤も余命幾何ない、愚か者の弁舌よ! それをこのような所で浪費するコトの、他には見られないこの無類の、至上の愛おしさよ!
例えば君。文学が排斥されたとしよう。この場合は規制に次ぐ規制――そうよ、まるで戦時中かのように言論が弾圧されていくあの様子の再来が訪れる、今この現状を文学排斥と称しているのだよ。そう、文学が排斥された。それは愚かしいことではなかろうか。
そもそも文学に限らず、マンガ? ああ、他にも色々あるな。そうした物への表現の規制の、如何に下らぬ事か! それを叫ぶ人間の、言い繕えぬほどの憎らしい愚かしさよ!
愛おしさとは対極に存在する、憎らしさよ。愛憎とは言うが、これは反対の言葉を組み合わせた言葉よ。僕は時折愚かしささえ愛おしく思うが、それでもこの昨今の状況は憎らしさへ所属する愚かしさとは思わないかね!
表現の規制。おう、そんなもの、溝にでも捨て置け! そうするが良いだろう。
何故なら、それは芸術の規制である。
人間の真の貧しさへの最短距離だ!
真に貧しくなりたいなら、それはソレで止めやしないが……僕は嫌だね。自ら貧しさへ飛び込むなんて正気とは思えない。死を選ぶほど嫌だ。豊かで在れよ。芸術の真なる意味を忘れたかね。ん? 芸術は、本質的には生きるのに必要のないモノだ。全く必要ないね。ただ、必要が無いからこそ、愛おしいのだよ。
そもそも愚昧なる輩には、そこから懇切丁寧に教えなければならないらしいな。僕には愚妹がいるがね、あいつはそうしたところは弁えているのだぜ? 嗚呼、憎い。
芸術は、余計なものだ。それでいて人間が人間である為に必要不可欠なアクセサリーである。無くたって、確かに生きていられるがね。芸術は余裕がある時に最も栄える。余裕が無い時はまったくと言って良いほどに栄えない。そうだろう? だって、絵画なんてどうして存在しているのだね。音楽だってどうして存在している。文学もだが。
それらは人間の精神活動の産物だろう? 最近はそうした精神活動の産物が精神的に云々とは聞くが、これは実にナンセンスだ。
ナンセンスとは恐らくセンスがない事を言うのだろう。僕もセンスが無いから知らんが。これは粋とも言い換えられるだろう? ――あ? 江戸と京都、どっちのだって? そんなのどちらでも構いやしないさ!
そうしたのがナンセンスって言うのではないのかね? マァ、いいさ。分からない奴には何万と言葉を重ねても通じない。それはソレだ。……まったく、君が話を逸らすから、なんだかよく分からない所に話が迷走しているだろう。無頼漢を気取っていないで、茶々を入れずにおとなしく人の話を聞けよ!
そう言えば、無頼派とは「反俗・反道徳・反権威」の三つを掲げた者たちを表すのだそうだね。まったく愛おしいと思わないかい? ああ、今、反道徳的な事を説いている気がするなぁ。それにしたって、芸術無き道徳に何の意味があると思う?
そう。そうだよ。道徳とは何を悪いか、善いとするかの価値観だろう? だからこそ納得いかないのだよね。押しつけられた道徳を享受するというのは、それは害悪その物じゃあないか?
よし、では少し寄り道して。死ぬよりは生きている方が断然良いのは、まぁ致し方ない。物語の前提条件として肯定してやろう。ここは敢えて、どうして生きるべきかの、最も深刻な問題からも目を反らして、愚かしいほどに生を肯定してやろう。賛辞してやろう。
だが、その最も賛美するべき生と言うのは、一度きりしかないじゃあないか。輪廻転生については話さないぞ。前世の記憶が僕には無いからな。で、一度しかないそれを、押し付けられた価値観で過ごすと言うのかね? それでは何も知らないと同義ではないか。詰まらない。愚かの、憎むべき方の愚かの代表格ではないか。何のための人間だね?
知識欲と言うのも人間が人間であるために必要なものだ。好奇心が殺すのは、何も猫だけではない。人間も時折、それらに殺されてきている。だろう? ほら、フグを最初に食べた人間は死んでいると思うのだよ。そうは思わないかね? それにしてもフグをどうして食べようと思ったのやら。面白いの。
ああ、また話が逸れた。違うって。違う。何の話をしていた――何? 「好きに話を逸らしているのはキミだ」と? 何を言う。必要な話の逸れ方でありながら理想的な寄り道だろう? 何せこれから、何とか話を本筋に戻すのだからな! 天才の話術を聞いていろ。
――芸術なき道徳は、無意味に等しい。芸術とは、作り手のナカで渦巻いていたそれらの爆発を可視化し、共有したものだろう? ほら、よく言うではないか。
芸術はバクハツだ!
……ってね。そのバクハツを如何に制御するか。作り手はそれが求められる。だろう?
そして、その爆発の発生源は作り手のナカにある。逆説的な話をしているぞ? つまり芸術は、異世界である他人のナカがよーっく見えるモノではないか。他人とは身近な異世界だ。言葉というモノが真に通じ合わない、そうした異世界の交流が現実であるべきだ。
そうした現実において、自分を押し付ける事の、いかに憎むべき、愚かしいことか……ああ、またずれた。
ともあれ、多数か少数かは置いておいて、他人を理解できる手がかりが芸術ではないのかね。目を覚ましたら良い。
さっきも少し言ったと思うがね? 現実で自分を押し付ける……例えば表現の規制だ。押し付けることの愚かしさをどうして認めない? 人間は本質的に愚かなのだよ!
そう。人間は盲目的に愚かなのだ。バカなのだ。それを自覚したくない最たる愚か者が、無責任にワーワーと騒ぎ立てることほど、癇に障る事は無い! 無いよ。煩いだけだし。
ヒトは永遠に分かり合う事は出来ない。何故なら、言葉の意味が人によって少しずつ変わるからだ。例えば君。君はこれを何だと思う? そうそう、これこれ。
――うんうん。隙間だね。親指と、人差し指の間にできるそれは、間違いなく隙間だ。
君は正解を口にしたよ。不正解でもあるがね。僕はこれを「チョット」と呼んでいる。チョットとは一寸と書くらしいから、もしかしたら人にとっては、それはチョットではないというかもしれない。だって一寸ってメートル法に直して三センチだろう?
――ん? 三センチより少し長いって? 小数点以下まで拘るとは、中々やりよるな。貴様、さては理系畑出身だね?
って、また話を逸らすなよ。小数点以下切り捨てだったら、別に三センチでも正解だろう? ともあれチョットに関しても長さを出すと誤差が出る。だから僕は言葉を尊ぶが、だが信用すら出来ないのだよ……
言葉を尽くしたって、絶対どこかで解釈の違いが発生して、そうして訳の分からない事になる。キライだよ。幽霊と歓談している方が面白いと思わないかね。幽霊は自分の中にあるものであるらしいから、それこそ娯楽だ。
それはさておいたとしても、人間を尊ぶ気があるのならやはり表現の規制なるものはナンセンスの塊では無いかね。
――あン? 「表現の規制の規制をしているキミと、表現の規制をしている何某らとの違いとは?」だって? そんなの簡単だよ。僕と彼らは本質的には何も変わりはしない。
だって、僕だって彼らだって人間だろう? 表現の規制が気に食わないからと「自分の意見を押し付けている」事には変わりないじゃあないか。そんなの、何が違うのかね?
だから言っただろうに。人間とは盲目的に愚かな生き物なのだよ。戦争と言う名の緩慢な自殺。兵器と言う名の自殺装置。愚かだろう? 君だってそれに辟易している筈だ。
ああもう。君が思い切り話を違えるせいで真に言いたい事から大分ずれているとは思わないかね? だから下るモノと下らぬモノについて話していたのではなかったのか?
君が大分揚げ足取り的な事を言うから、ついつい話を逸らしてしまう。……話を忘れてしまったではないか。そうだ、そうだ。余命幾何もない老人の繰り言を話していたね。
――うン? 「老人と自称するには大分若い」って? バカを言え。新生児から見たら僕は老人でしかないぞ。有史以来の年月を考えると赤子でしかない。それは認識の差、解釈の差であろうに。これから死ぬのなら老人で良い。何故なら若くても意味が無いから。
それより、だからこそこんなにも人間が愛おしいのだ。だが、僕は人間と言う種と心中をしたい程度には同時に憎らしく思っているのだ。可愛さ余って憎さ百倍? 愚かしい事を言うのも程々にしてもらいたい所だね。元々可愛いとは、「可哀想」から来ているのだぞ。決して哀れんでいるのではない。
憎らしい。だが愛おしい。そうした矛盾も人間なれば、と思えば寧ろ味なもので、それを楽しむのも乙なものではないか。人間とは愚かだ。愚劣だ。上等でありながら下等である。不完全だから、それ故に万能を追い求め自滅する。クフフ、愛おしいモノだろう? だが、僕は人類愛を有してはいないのだな。僕が愛するのは、あくまでも愛おしいと思ったモノだけだからね。
大体、自分の身さえ愛せない奴が人類全体を愛せると思うのかね。愚かにも程があるぞ。目を覚まし給え。君の末路が心配だなぁ。まぁ、それもそろそろ無くなるだろうよ。
何せ余命幾何も無いのだからね。
それはソレとして、主観と言うのは非常に恐ろしいものでは無いかね? 何せ死ねば全てが無に帰すのだから。積み上げたモノ、それら全てが無かった事になるとは、想像しただけで恐ろしい……! あ? 時間だって?
大分早かったなぁ。
おうおう。気を違えた王のお通りだ! 黄泉平坂までの道を速やかに潔く開け給えよ! 墓に刻む文面を間違えてくれるなよ?
――そうだ、そうだよ。「言論法違反により処せられ死、愚かにすぎる道化、ここに。」そうだ。そうだよ。一字一句間違えてくれるなよ!
今日も害悪なる小説家が一人死刑に処せられた。本人は実に狂人たることを己に科していたのか、死刑方法をわざわざ指定してきた。
ギロチンによる首切りで、落とされた首が何回瞬いたかをカウントして、それと共に墓碑に自分の考えた言葉を書きつけておけと言う。
小説なる害悪を生み出すような非国民であっても、一応は我が国に籍を置く存在ではある。ならば、死に対して最後の最期まで道化を演じた死刑囚に、引導を渡してやる程度の慈悲を持ち合わせていなければならない。
十回程度瞬いた化け物は息絶えた。
これで逮捕した分の死刑は、全て恙無く、問題なく執行された。この国から害悪が根絶やしにされる日もそう遠くないだろう。
……そう、信じていないと、実に嫌な話だ。そうは思わないだろうか。
ちなみに、特に深い意味はありません。全ては文字通りに。