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7・祈り

 人は自分の居場所によって、自分の価値を見い出せるのでしょうか。

 欠片もなくなってしまったように感じた闘志は私の中で燻っているだけで、操縦桿を握れば再びそれが身体の奥底から沸き起こりました。

 オイルと硝煙の匂いを懐かしく思いました。

 私は長崎の佐世保から空母春日丸に乗員して太平洋へ出ると、一路マニラへ向いました。

 ゼロ戦の機体をマニラ経由でラエ基地に運ぶ為です。そこからさらに、ラバウルへ飛ぶのです。

 途中敵の襲撃を二度受けてその度にジグザグ航行。

 飛行機乗りが船で死んだのではカッコが着かないと、私は焦りと恐怖で閉ざされた船室で強張っていました。

 おそらく一緒に乗り合わせた仲間も同じ気持ちだったと思います。

 二度目の攻撃では、ゼロ戦で艦を離れて応戦、そのままマニラへ飛びました。

 船室で強張っていた飛行機乗りは、無事蒼穹へ放たれたのです。

 結局私は一年近くマニラに留まった後、ラエに向いました。

 私がラバウル飛行場へ移動になったのは昭和十八年の夏も終わる九月でしたが、四季の遷ろう日本と違って、その季節感はまったく感じませんでした。

 ラバウルの指令基地は荒野に立つ掘っ建て小屋そのものでした。

 滑走路は酷く荒れて、空爆の穴を埋めて修復はしているものの、それでもここそこの外れに穴ぼこが残っていました。

 離着陸する度に砂煙が酷くて、後発で出る機は勘で滑走するしかありませんでした。

 ポートモレスピーから来るB‐17の爆撃が頻繁に行われ、制空権を奪われつつありました。

 この頃には定期的に行われていたガダルカダル島への出撃もなくなり、飛行場の死守が任務のようなものでした。

 兵舎の隅に薄汚れた、けれども人懐っこい犬が一匹飼われていました。

 数年前までいた精鋭部隊は影を潜め、僅かに残った古巣パイロットが先陣を切って士気に励んでいました。

 去年運び込んだゼロ戦二十機は十機しか残存しておらず、私と一緒に飛んできた五機とやたらと古臭い十一型を含めても全部で三十機足らずでした。

 しかし、十一型の半分は飛ぶ事はできません。

 私は奇妙な落胆を抱いて空を仰ぎました。

 蒼い空は、薄っすらと灰色を混ぜたように淡く輝いて、何故かふと内田昌美さんを思うのでした。

 彼女は今も誰かを救っているのだろうか。

 私が殺したぶんの人間の命を救ってくれているだろうか。

 彼女が横須賀の病院で言った事を思い出します。

「両親に進められて始めた看護婦の道ですが、今はこの時代の中で人を救える事を希有だと感じています」

 落ち葉が陽射しで乾燥し、踏みしめるとパリパリと音を立てて砕けました。

「私が誰かの命を奪ってしまう分、あなたが救ってください」

「判りました。でも……あなたはどうかご無事で」

 彼女の黒髪は消毒液の匂いが染み付いていましたが、今の私にとってはあの消毒液の匂いこそが彼女の思い出なのです。

 兵舎の隅に陣取っていた犬が、ワンと鳴きました。

 私は挨拶代わりに自分の水筒から水を分けて与えると、尾を振ってそれを飲みました。

 この寂れた荒野のような場所で、一番逞しい姿に見えました。





 緊張と緩みの交錯する日々が続きました。

 頻繁に飛んでくるB‐17は、まるで子供が遊んでいるような粗雑な爆撃を繰り返しました。

 米軍の爆撃は元々粗雑なのですが、それがいかにも適当だったのです。かろうじで土の場所を狙っている感はありましたが、低空爆撃にも関わらず時には雑木林に爆弾を投下したりしました。

 とにかく手持ちの爆弾を全部消化して、とりあえずノルマを達成しようという感じです。

 そんなに余っているなら、少し分けてくれればいいのに。

 私たちはその度に蒼穹へ上がって応戦しますが、飛行場が無傷な事はありませんでした。

 物資が不足し始めると、7,7ミリ弾だけの武装で飛び立つので、護衛機をなかなか追い払う事もはばかりません。

 20ミリ機関銃と違って、ヘルキャットやワイルドキャットの防弾板を7,7ミリだけで打ち抜くのはただ事ではありませんでした。

 鉄鋼弾を何度も打ち込んで、ようやく黒煙を吹き上げるのです。

 私はその頃から風防を狙うようになりました。

 以前は意識的に、いや無意識のうちに胴体や翼、エンジンを狙っていました。操縦席に見える人間に向けて弾丸を直接撃ち込むことが出来なかたのです。

 人を殺す事には変わりないはずなのに、その命を奪うことに変わりないはずなのに、飛行機を落とせても人間を撃つ行為は私の倫理が妨げとなって出来ませんでした。

 しかしそんな事は言ってられなくなったのです。

 米軍機の防弾板は強化され、真後ろから7,7ミリ弾を打ち込んでも平気で旋回を繰り返すのです。

 私は出来るだけ斜め上方から風防に弾を撃ち込みました。

 どうか昌美さんが彼の分、誰かの命を救ってくれますように。と、祈りながら。

 時には吹き飛んだ風防ガラスに真っ赤な血が内側から飛び散ります。

 接近戦が強いられる当時の空中戦ではパイロットの表情までもが見える事は、しばしばでした。

 私は墜落する機体から飛び出した敵の落下傘を撃った事がありません。

 操縦者が助かれば、再び戦場へ誰かの命を奪いに戻って来ることは判っています。それでも、それが偽善と言われようとも、直接人を撃つ事はしませんでした。

 しかし機体を落とせない以上、風防を狙うしかないのです。

 放たれた弾丸の群れは死神の泪となって、操縦者の魂に吸い込まれてゆきます。

 私は祈りました。

 彼女がこの彼の分の命を救いますように……

 そして再び発射トリガーを引くのです。




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