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2・開戦

 明日になったらギブスが取れるという日でした。

 私は数日前から松葉杖をついて、中庭を散歩するようになっていました。

 陽射しは穂のかに暖かく、深まる秋風は程よく冷たくて、私の焦りを少しだけぬぐってくれました。

 楓の木から糸をたらした蓑虫みのむしが、ゆらゆらと風に揺られています。その姿は、まるで私のようでした。

 身動きできず、ただその場で風に身を任せるだけ。

 その頃の軍病院はそれほど混み合ってはいませんでした。

 四六時中患者の出入りはありましたが、常に空きベッドがありました。大日本帝国軍が優勢な時代であった事を物語っていたのだと思います。



「お散歩ですか? 白土さん」

 昌美さんが病棟の端で、洗濯物のシーツや手ぬぐいを山ほど干していました。

 陽を照り返した白い手ぬぐいの群れは、彼女を眩く浮かび上がらせていました。

「ええ、両の足で歩けるのも、もう直です」

「でも、まだリハビリがありますよ」

 昌美さんの看護帽から僅かに見える後れ毛が、陽に照らされて風で揺れていました。

「そうですね」

 私ははにかみ、伸びかけた自分の坊主頭を片手で撫でました。

 考えてみれば、私も彼女とそう変わらぬ年なのでした。いや、女学校を出たての昌美さんは十七歳。私はまだ十六歳だったのです。

「リハビリ、頑張りましょうね」

「はい、もちろんです」

 次の日ギブスを外した私は、驚異的にリハビリをこなしました。一日も早く学校へ帰りたい気持ちがありました。

 仲間はあと一ヵ月で卒業です。

 私は戻れるのだろうか。卒業できるのだろうか。

 急行列車の途中で転げ落ちてしまった私は、目的地へ辿り着けるでしょうか……

 不安と恐怖を拭い払うように、無我夢中で歩行訓練をしました。

 固定していた足首は、動かそうとすると痛みを伴いました。

「頑張って、少しの辛抱です」

 昌美さんは私の足を掴んで、少しずつ足首を動かしてくれました。彼女のひんやりとした手に触れられると、やせ我慢が出来ました。

 私は無理に笑顔を浮かべると、眉間にシワを寄せたまま

「大丈夫です、思い切りやってください」

「思い切りはダメですよ。飛行機って、足首も使うのでしょ?」

「ええ、まあ」

 私は再びやせ我慢の笑みを滑稽に浮かべました。

 一週間後、無事私は退院し、操縦訓練学校に戻りました。

 昌美さんは、早朝に出かける私を外まで送り「お元気で」と言いました。

 もちろんです。と心の中で応えると、私は「お世話になりました」と応えました。

 二人の口から微かに白い息が零れて、絡み合うように宙に消えます。

 朝靄が微かに煙る、寒い朝でした。





 私はしこたま説教を受けた後、無事に専修機を決められて訓練を再開しました。

 九〇式艦上戦闘機の操縦を学んだ私は、みんなより半月遅れで卒業する事が出来ました。

「白土、きさまは骨折など下らん目に遭わなければ、おそらく首席だったぞ」

 宗方教官は卒業の日、怒っているのか笑っているのかよく解らない顔でそう言うと、私の肩を強く叩いたのですが、それまでで一番痛く感じたのは何故なのか今でも判りません。

 彼なりの激励が、私の心の芯まで届いたせいなのでしょうか……

 その後隊門を出て、私は晴れて任務地へ出発したのでした。

 高い空は蒼く、陽射しが輝く大氣の向こうに、いわし雲がさざなみのように浮かんでいました。



 年が明けた昭和十四年の夏、九州佐伯航空隊で三ヶ月の戦闘機操縦訓練を終えた私は、高雄航空隊に配属になり、戦友たち六人と共に中国大陸へ渡りました。

 当時十二航空隊と十四航空隊の二隊だけしか大陸にはなくて、増援部隊として編成されました。

 当時はまだゼロ戦はなく、九六式艦上戦闘機に搭乗しました。

 初陣は高ぶる緊張の中何も出来ないまま作戦終了し、たっぷりと銃弾を残したまま帰還しました。

 からの蔵層タンクまで持ち帰ってしまったくらいです。

 中国大陸は一年ほどで基地を後にしました。

 九州の佐伯基地へ戻った私は、一年間そこで過ごしました。

 新鋭戦闘機である零式艦上戦闘機――ゼロ戦が作戦の為出撃してゆく姿を、歯痒く思いながら何度か見送りました。

 その代わり試験飛行を何度か任され、ゼロ戦の航続距離のテスト任務などもこなしました。

 その後再び台湾へ配属され、私はこの時、念願のゼロ戦搭乗員になりました。

 幾つもの作戦に参加して、敵機を何機撃墜したかわかりません。

 それは幾人もの命を奪った証なのです。

 私はそれを数えようとは思いませんでした。

 大陸近辺で行われる作戦では、当時ゼロ戦は無敵だったのです。

 誰もが英雄でした。愛機がゼロ戦というだけで。



 一年ほどの戦闘で、気付けば私は二空曹から一飛曹に昇進していました。

 そしてその年の冬、真珠湾奇襲作戦が実行されて日米開戦へと突入するのです。

 私は台湾の航空隊基地でその事実を知り、その二日後にルソン島基地攻撃作戦に参加しました。

 水平線には大きな入道雲が、縁日で売られる綿菓子のように立ち昇っていました。






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