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1・蒼穹へ

歴史のジャンルでいいのか迷ったのですが…

実際の歴史上の出来事が背景として登場しますが、時系列は若干改造されていますのでご了承ください。

戦場ロマンとしてお読みいただければ幸いです。

 白いカーテンを風がふわりと揺らすたびに窓の外に広がる蒼い虚空が光を放ち、私の想い出をくすぐるのです。

 テッペンだけが僅かに窓から覗く庭木は、雨上がりの涼風が通り過ぎる度に青葉のさざめきを微かに放っていました。

 ポートモレスビーの風に吹かれ、蒼天へ消えるあの頃の想いのように。





1・蒼穹へ



 絵の具のような蒼に染まる蒼穹そらは、淡く滲んで遠くへ霞む。

 光のグラデーションが、地の果てに続く大氣の蒼を輝かせるのでしょう。

 昭和十三年、冬の訪れを感じる高い蒼穹が広がっていました。

 私はその頃、霞ヶ浦にあった航空隊で日本海軍飛行練習生として、教官に怒鳴られながら毎日空を飛ぶ日々を送っていました。

 確か……海軍少年航空兵の募集を見て応募したら落ちてしまい、翌年になって一般海軍志願兵の応募に合格したと思います。

 最初は水兵として戦艦に乗せられて、来る日も来る日も下士官にお尻を棒切れで叩かれました。

 いったい何の為に志願したのかわかりません。

 私は飛行機乗りになりたかったのです。

 ましてや、下士官の憂さ晴らしの道具になる為ではありません。

 水兵になって一年後、上官に無理に勧められた砲術学校の受験に合格してしまい、私は横須賀の砲術学校へ入学しました。

 勉強は好きでした。

 毎日船の上でお尻を叩かれているのに比べれば、私にとって快いものでした。

 しかしそれがいけなかった……

 私は思いの外好成績だった為、その後砲術分隊に入れられてしまいました。

 来る日も来る日も砲弾を運ぶ日々。

 砲術学校で好成績だった私は最初、砲撃手を任されていたのですが、飛行隊の希望を臭わせている事で上官の激情に触れ、船底に在る砲弾庫任務を命じられていたのです。

 砲術をないがしろにしていると映ってもしかた在りませんでした。

 その頃の戦争とは、戦艦が征するものと誰もが思っていたのです。

 それでも私は大砲より飛行機が好きでした。

 ただ攻撃する為の道具に比べれば、飛行機は明らかに別の用途を持った機械なのです。

 平和な時代の暁には、多くの人々が娯楽で蒼穹を飛べる事を私は信じていました。

 半年ほどした頃、太平洋に演習で出た時の事です。

 水偵が飛んでいるのを甲板の隅から見ました。私の乗る船から飛び立ったものです。

 フロートを着けた水上偵察機は、青空を悠々と飛んでいました。軽やかなプロペラの音が、虚空と海原に響き渡ります。

 私は持ち場も忘れて甲板へ上がり、ただ空を仰いでいました。



 翌日、私は上官に願書を出しました。

 もちろん、航空隊の操縦練習生の願書です。

 一般水兵からでも操縦練習生に志願できる事は知っていました。だから私はこっそり勉強を続けていたのです。

「白土、貴様は大ばか者だ」

 上官は私を罵りました。しかし私はめげませんでした。

 願書を出して一年後、私はついに霞ヶ浦の操縦練習生を受験しました。

 試験は三次まで在り、三次試験は実際に教官と蒼穹そらへ出ました。

 私には向いていると思いました。

 蒼穹は広く、信念意外には何者にも縛られない世界が広がっていました。

 乾いた冷たい空気は機体に切り裂かれて後へ尾を引きます。

 無事試験に合格した私は、戦艦を降りて入学を許されました。

 今は無きスパルタ教育一本の教えは、確かに辛い事もありましたが、蒼穹へ出れば全てはチャラになりました。

 さすがに飛行中は教官も後頭を叩いてきたりしません。

 飛んでいる間も怒鳴り声は終始轟き、声を張り上げて指示に応えたのですが、無我夢中というよりは純粋に蒼穹を堪能していました。

 空の蒼は私を包み込んで、それは何者かと戦う為の訓練で在る事を忘れさせてくれました。

 入校試験の三次試験で教官と同乗飛行した時、私は初めてにも関わらず「どこかで経験があるのか?」と教官に問われました。

 「ありません。初めてです」と正直に答えました。

 私は最初から飛行機と相性が良かったのです。

 計器を見落として怒鳴られる事はしばしばでしたが、当時の飛行機は計器よりも目視と感覚が前提です。比較的好成績で、幾つもの関門を通り抜けました。



 そんな時、私は運動場に在る登り棒から落ちて足を骨折してしまったのです。

 中間練習機教程を卒業して、専修機を決められる日でした。

「飛行気乗りが地上で怪我をするとは何事か! ばかもの!」

 教官に散々怒鳴られた挙句、海軍病院へ送られ入院しました。

 我ながら、阿保あほだと思いました。

 細い鉄パイプでできた粗雑なベッドが大部屋に並んでいる殺風景な病室で、私は毎日焦っていました。

 初めて焦りを感じました。

 同期の連中は専修機教程を開始したら、あと二ヵ月で全教程を卒業し、部隊配属されて飛行機を任される。

 落第するのだろうか、それともクビだろうかと、焦燥感だけが私を襲いました。

「脚、傷みますか?」

 入院3日目。そう声をかけてきたのは、その軍病院に当時二人だけいた女性看護師の一人でした。

「いえ、特に痛みはないです」

「そうですか……何時も俯いているので傷むのかと」

 彼女は優しく笑いました。

 頬から顎までの緩やかなカーブは穏やかで、桃色の唇は自分のものとは全く異質の物でした。

 東京出身という彼女は、白衣姿もどこか垢抜けていました。

「何時も俯いていますか?」

 私は入院した初日以来、蒼穹を見ていなかった。見るのが怖かったのです。

 同期の連中が今日もこの蒼穹を駆け巡るのかと思うと、置いてきぼりを喰らった自分を不甲斐無く思い、怖くなるのです。

「空は、嫌いですか?」

「まさか。私は飛行機乗りです」

 私はキッパリと答えました。

「そうですか」

 彼女は再び優しい笑みを私に向けてくれました。

「そうです。蒼穹は私の全てなのです。でも今は飛べません。私は地上で怪我をしていまいました。土の上で蹴躓くニワトリと一緒です」

 彼女は僅かに吹き出して「す、すみません」

 頬を真っ赤にして私に頭を下げました。

「いえ、それだけ不甲斐無いという事です」

 私は彼女の罪を許す意味で、無理に笑顔を作りました。

 彼女が吹き出して笑った事を罪だとは思いませんが、彼女がそう思っているようだったので私が許すしかなかったのです。

「空を飛ぶのって、どんな気持ちですか?」

 彼女は再び柔らかそうな白い頬をふわりと持ち上げて優しい笑みを零しました。

「最高です」

 私は短く答えました。

 地に足の着いていない完全なる浮遊感とエンジンの力で大氣を切り裂く爽快感、旋回の時にかかる重力加速度は最高の一言で充分なのです。

「最高……ですか」

 何だか彼女の微笑みは、私の気を大変楽にさせてくれました。安らぐとうのは、こういう事なのかと思いました。

 操縦学校の仲間と笑い合うのとは違う何かが、心のなかに沁み込んでくるのです。

 太陽の陽を受けて煌く霞ヶ浦の水面みなもを上空から見渡したような、爽快な想いが込み上げてくるのでした。

 次の日から、私は窓から外を眺めるようになりました。

 敷地の楓と桜が見事に葉を紅く染めていました。銀杏木は半分葉を落としていましたが、何故か寂しげには見えません。

 紅葉が陽射しに照らされて、地面を赤々と照らし出します。

 主治医に彼女の名前を訊きました。

 私に暖かな安らぎをくれた、あの看護婦です。彼女は内田昌美うちだまさみさんといいました。

 しかし私は彼女の名前は呼びませんでした。

 呼ぶような場面が無かったからなのですが、別に呼びたい為に訊いたのではなく、ただ彼女を知りたいだけだったのです。






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