09.Several encounters
次の日の朝、小夜湖は昨日と同じように二人分の弁当を作った。ピンクと青の包みを、二つ並べてダイニングテーブルに置く。
その時、背後で扉の開く音がした。
「良かった、今お弁当できたところだよ」
振り向くと、制服に着替えて荷物を持った虹が立っていた。きちんとブレザーのボタンを留め、緩くネクタイを巻いている。
「ありがとう」
律儀にお礼を言って、虹は青い包みをエナメルバッグに入れた。
「陸上部、朝練早いんだね」
「あぁ、行ってくる」
短い会話をして、虹は部屋を出て行く。
「いってらっしゃーい」
小夜湖も一緒にリビングを出て手を振った。
「……」
若干頬を紅潮させた虹は、隠すように下を向いて靴を履くと、足早に玄関を開けて出発した。
「…?」
何やら不思議な様子の虹を見送って、小夜湖も自分の支度に取り掛かる。
(あ、そういえば…)
今日も帰りは図書室待ち合わせでいいのだろうか。そもそも、一緒に帰るのだろうか。
「───小夜」
部屋で支度をしていると、文都が部屋の戸を叩いた。
「はーい」
シャツのボタンを留めかけたまま、小夜湖は部屋の扉を開ける。私服に着替えた文都が立っていた。
「ごめん言い忘れてた。俺今日泊まりで、帰るの明日」
「おっけー」
小夜湖はボタンを留めながら頷く。
「無用心だから、いつも通り司ちゃん呼べよ」
「うん」
小夜湖がもう一度頷くと、文都は微笑んで部屋に戻って行った。
(無用心って、今は杜村くんがいるから大丈夫そうなのにな…)
ちらりとそんなことを思ったが、口には出さなかった。
「虹め…今日も愛妻弁当だった」
「うるさい、愛妻じゃない」
穏やかな放課後、眞夏と虹は並んで教室を出た。
「今日も小夜湖ちゃんと一緒に帰るの?」
「あぁ、朝言い忘れたから言ってくる」
「ふーん…」
不意に、眞夏が虹の顔を覗き込む。
「ねぇ、前から聞こうと思ってたんだけど…虹、それ───」
そう言いながら、彼が虹の額に手を伸ばした瞬間。虹の瞳が、鮮やかな琥珀色に変わる。
「!!」
短い髪は、色を失うように白銀に染まった。まるで別人になった虹が、眞夏を睨みつけながら膝を振り上げる。
「っ…!」
目にも留まらぬ速さで、眞夏の脇腹に回し蹴りが入った。そのまま数メートル吹っ飛んで、眞夏は床に倒れ伏す。
虹は煩わしそうに、背負っていたエナメルバックを床に放り投げた。
「きゃああああああ!!!」
その光景を見た数名の女子生徒が声を上げる。その叫び声に、教室の中から生徒が何人か顔を出した。
「?」
ちょうどその時、虹のクラスに向かおうと思って教室を出た小夜湖は、廊下の異様な雰囲気に足を止める。
何があったのかと視線を向けると、銀髪の男子生徒と目が合った。
「え…?」
彼は小夜湖を見るなりものすごい速さで距離を詰めてくる。驚いた小夜湖が数歩後ずさるも、目の前に彼の拳が迫っていた。
「っ!!」
小夜湖はぎゅっと目を閉じた、しかし予想していた衝撃は訪れない。目を開けると、そこには司の後ろ姿があった。
「司!」
男子生徒の拳を手のひらで受け止め、司は相手を睨みつける。彼が手を振りほどいた瞬間、司はすかさず相手の鳩尾を狙って蹴りを繰り出した。
「ちっ」
男子生徒はひらりと跳躍し、司の間合いから抜け出す。
「逃げるぞ」
司はすぐに小夜湖の手を引いて駆け出した。
「え?」
「あいつは手に負えない」
「喧嘩する気だったの!?」
司に手を引かれ、小夜湖はもつれそうな足を必死に走らせる。
彼女が向かった先は、柔道部の道場だった。まだ部員の集まっていない道場の入り口で、鍵を開けている人影がある。
「部長ー!!」
司は勢いを緩めずに人影に向かって走った。
「萩原?」
「そこ、早く開けて!!」
「はぁ?」
人影の正体は、柔道部主将の渡月 浩哉。浩哉は首をかしげながらも司の剣幕に押され、引き戸を素早く開ける。
「うぉ!!?」
司は浩哉を巻き込み、小夜湖たちは転がるように柔道場になだれ込んだ。
「おい!萩原!!」
しこたま頭を床に打ち付けた浩哉が、後頭部をさすりながら起き上がる。幸い、浩哉の上に倒れこんだ小夜湖は無傷だった。
「ごめんなさい!ごめんなさい!」
急いで浩哉の上から退いた小夜湖が頭を下げる。
「い、いや…」
「そんなことより、さっきの誰だよ」
早々に立ち上がった司は、小夜湖を道場の奥の方へ連れて行った。
「杜村くん、だと思う」
「…杜村って、あんな感じだったか?」
「……」
その時、道場の入り口にゆらりと人影が現れる。銀髪に琥珀の瞳、目つきもいつもと違うが背格好と髪の長さが虹と同じだ。
「っ…」
司が小夜湖を庇うように一歩前に出る。虹(らしき人物)は迷わず小夜湖へ向かってきた。
「小夜、下がってろ」
素早く身構えた司は、繰り出された一撃をさっきと同様に片手で受け止める。
「…馬鹿力」
舌打ち混じりに呟くと、彼女は虹の右手首を捻り上げた。
小夜湖はそのまま背負い投げをすると思った。虹も同じことを考えたらしく、重心を低くして腕を強く引き寄せる。
瞬間、虹の背後に浩哉が迫る。虹は素早く反応して床を蹴り、司の腕を握り返して宙を舞った。
「!?」
およそ人間業とは思えない跳躍力で、虹はふわりと司の真上を飛び越える。浩哉の脚が凄まじい勢いで空を蹴った。
「っ!!」
着地と同時に、彼は握っていた司の腕を床に押し付ける。腕を背後に引かれ、司は背中から地面に倒れた。
「萩原!」
浩哉が虹につかみかかる。かわそうとする虹の脚を捕まえて、司は小夜湖に向かって叫んだ。
「小夜!逃げろ!!」
「…っ」
小夜湖は踵を返して道場を飛び出す。虹はきっと、司と浩哉を振り払って小夜湖を追いかけてくるだろう。
(早く…)
早く追って来くればいい、あの二人に怪我をさせる前に。