04.Goodbye and hello
家に着くと、文都は少年をリビングのソファに下ろした。
「ふぅーーー」
額の汗を袖口で拭って、ぼきぼきと肩を鳴らす。
「お疲れさま」
「重たかったー」
細身とはいえ、身長が170センチはあると見える男子高校生を背負って約50分。よく歩いたものだ。
「今日は私が夕飯当番変わるよ」
「いや、俺が作るから手伝って」
「分かった、荷物部屋に置いてくるね」
そう言って小夜湖がリビングを出ようとした時、ソファで寝ていた少年が目を覚ました。
「起きたか、虹」
落ち着いた声とともに、文都がソファの前で床に片膝をつく。
「……」
廊下の手前で、小夜湖は黙って様子をうかがった。
虹と呼ばれた少年は、数回瞬きをすると体を起こした。部屋を見渡し、小夜湖に目を留める。
「……」
「……?」
しばらく無言で見つめ合っていたが、やがて虹が視線を逸らした。
「ここは、文都の家か」
「そう、そっちにいるのは俺の妹」
文都の紹介で、再び小夜湖に虹の視線が刺さる。しかし今度は一瞬だけで、すぐ文都に向き直った。
「俺、また…」
ばつが悪そうに俯く虹の頭に、文都は優しく手のひらを乗せた。
「安心しろ、今日は誰も怪我してないから」
文都がくしゃくしゃと頭を撫でても、彼は顔を上げようとしない。
「……」
なんとなく居心地が悪くて、小夜湖は部屋をあとにした。
静かに階段を上がり、自室に入るとそっと後ろ手に扉を閉めた。
「ふぅ…」
溜まっていた息を吐いて、床に荷物を下ろす。ブレザーをハンガーに掛け、解いたネクタイを勉強机の上に放り出した。
(お兄ちゃん、しばらくうちで預かるって言ってた…)
得体の知れない彼と、一緒に暮らすということだろうか。
「……」
文都に、怪我をさせかねない彼と。
小夜湖がリビングに戻ってくると、そこにはエプロン姿の文都しかいなかった。
「あれ、さっきの子は?」
「とりあえず、風呂入ってこいって言った」
「ふーん」
文都の隣に並んで、小夜湖も色違いのエプロンを付ける。
「全部説明してくれるんだよね」
手を洗い、まな板と包丁を取り出した。
「あー、えーっとなー」
文都は視線を泳がせるように冷蔵庫に向かい、野菜を物色する。
「あいつは、妖怪に取り憑かれてるんだ」
「は?」
小夜湖は訝しげに首を傾げた。
「何言ってんの、お兄ちゃん」
「まぁ聞け」
文都は人参と玉ねぎを取り出し、まな板の上に置いた。
「虹は、俺の友達の弟なんだ。杜村 八雲っていうんだけど…先週、事故で死んだ」
文都は玉ねぎの皮を剥きながら、視線を手元に注ぐ。小夜湖もピーラーで人参の皮を剥き、文都の方は見ないようにした。
「虹は小さい頃から妖怪を引き寄せやすくて、それを知った八雲は、魔除けの呪いを片っ端から試していったんだ」
ぱらぱらと、剥けた皮がまな板の上に広がっていく。少しずつ彼の真相が暴かれて、杜村 虹という人物が見えてくるように。
「その中のどれかが効いたみたいで、虹は妖怪を引き寄せにくくなった。けど、八雲が死んで術は効力を失い、虹は妖怪に取り憑かれたんだ」
「家で暴れてたのは、その妖怪のせいだとか言うの?」
「そうだ。あの家には八雲がかけた術の名残があるから、妖怪にとって居心地が悪かったんだろう」
「……」
小夜湖は手を止めて、文都を睨みつけた。
文都は手元を見つめたまま、皮の剥けた野菜を包丁で刻み始める。
「冗談でしょ。本気なの?」
「本気だ。嘘でこんなこと言って何になる」
黙り込んで、小夜湖はしばらく考えた。手際よく調理を進める文都の手元を見ながら、彼を信じるかどうかを。
「……」
答えは、決まっていた。文都はいつだって小夜湖の指標だ。きっと例外なく、この先も。
「夕飯は俺が作るからさ、俺のタンスから適当に見繕って寝巻き風呂場に持って行ってくれないか」
「…分かった」
腑に落ちない表情で、小夜湖はダイニングを出た。ぼけーっと階段を上っていく。
(いや、これは例外!!)
今まで、文都が言うならと何でも鵜呑みにしてきたが今回ばかりは信じられない。
しかし、だとしたらなぜ彼はあんな嘘をついたのか。文都は小夜湖に、何かを隠しているのだろうか。それか、文都自身が何者かに騙されている可能性も考えられる。
(お兄ちゃん優しいから、変な宗教団体に捕まったとか!?)
「でも、友達の弟って言ってたし…」
信じがたい話に、ただただ困惑するばかりだ。
「あーもー分かんない」
小夜湖は文都のタンスから上下揃いのスウェットを引っ張り出し、部屋を出る。
階段を下り、洗面所の扉を叩いた。水音がしていない、もう風呂から上がっただろうか。
「文都か?」
扉の向こうから声がする。
「ちがっ…」
小夜湖が言い終わる前に、引き戸ががらりと開かれた。
「!?」
腰にタオル一枚巻いただけの虹が、小夜湖を見て目を見開く。
「……」
細身かと思っていたが、彼は意外と筋肉質だった。文都も体型維持のために体を鍛えているが、それとは違う。スポーツをするための筋肉がしっかりとついている。
「…お、おい」
「あ、ごめん。これ寝巻き」
思わず身体を凝視してしまい、小夜湖は謝りながら彼の顔を見上げた。
「ありがとう…」
背けられた顔と、消え入りそうな声。差し出された手にスウェットを乗せると、虹はすぐに扉を閉めてしまった。
「……」
耳が真っ赤だったことは、忘れたほうがいいだろうか。それとも、風呂でのぼせたのだと推理するべきか。